これまでの日常が日常ではなくなった2020年。音楽業界でも予定されていた多くのライヴが延期もしくは中止を余儀なくされた。この年末ですら直前になって中止の判断が下されたコンサートもあったと聞いている。BUCK-TICKにしても、今秋、発表した新作『ABRACADABRA』のリリース後は有観客ライヴが行なえず、アルバム発売日にバンド史上初となる無観客生配信ライヴ『ABRACADABRA LIVE ON THE NET』を実施し、いわゆるレコ発の全国ツアーの代替えとしてフィルムコンサートツアー『TOUR2020 ABRACADABRA ON SCREEN』を開催した。そんな状況下で、BUCK-TICKの年末恒例行事と言ってもいい12月29日の日本武道館公演が、2020年唯一のお客さんを入れてのライヴとして開催されたことは素直に喜ばしいトピックであった。しかも、2000年から毎年開催されてきた12月29日のBUCK-TICK日本武道館公演(2019年のみ日本武道館の改修工事に伴い、国立代々木競技場第一体育館にて開催)。12月29日はファンにとっては約束の日であり、日本武道館は約束の地である。新型コロナウイルス感染予防対策のため、観客同士の距離を置かなければならず、歓声も出せないという状態ではあったものの、まずもってこの日の公演を決行したBUCK-TICKのメンバー、スタッフ、そしてファンを称えたい。あなた方は日常を守ってくれたのだ。2020年、ここまでオーディエンスの前でライヴをすることができなかったのはライヴバンドとしては痛恨の極みであっただろうが、何とか間に合った。新作『ABRACADABRA』の収録曲をようやく生の観客の前で披露することが叶ったのである。
とはいえ、無論そう楽観視できるものではないことは説明するまでもないだろう。会場をフルハウスにするにはリスクを伴う。この日も有観客ながらも同時に生配信も行なうという、今となっては珍しくなくなったスタイルとなった。筆者も生配信を拝見させてもらったのだが、この生配信というスタイルによって、目の前のオーディエンスはもちろんのこと、モニターの向こうにいる人たちに向けても全力でライヴを届けようとするBUCK-TICKの真摯な姿勢を、これまで以上に垣間見ることができたように思う。とにかく、ライヴシューティングしていたカメラマンの画作りの確かさと、舞台上での映像やライティングといったステージ演出の的確さが尋常じゃなかった。それはほとんどスチールのカメラで撮るような構図であり光の加減であって、どのシーンを抜き出しても実に様になっている。モニターに映る画がどれもこれも映(ば)えている...と言えば分かってもらえるだろうか。優れた映画はどの場面を切り取ってもアート写真と成り得るというが、それと同じことだろう。
特に印象的だったのはM5「URAHARA-JUKU」。カメラは櫻井敦司(Vo)を中心に、メンバーのクローズアップ、引きの画を前、左右、そして上からとらえていく。全体的にはダークな雰囲気だからこそ照明が映え、その中に妖しく浮き上がる5人のシルエット。床面に映像が映し出される仕様であったがゆえに、とりわけ上部からシューティングした画は実に艶めかしく、とても素晴らしいものであった。客席の位置によってはこの構図は見ることができないものであっただろうから、あれは配信視聴者向けの画作りだったのだろう。会場で直接見る時とはまた違う興奮を確実に与えてもらった。
M12「ユリイカ」も良かった。アリーナから観客のシルエットをナメてステージをとらえた画だ。サビの《LOVE》《YEAH》《PEACE》に合わせてオーディエンスの多くがピースサインを掲げ、その奥で演奏するメンバーにフォーカスが当たる。今や写真を撮る時にもほとんど見受けられなくなった気もするピースサインだが、[1960年代には、ベトナム戦争に反対するデモにおいて、その参加者が報道陣のカメラへ向けたアピールと、平和への願いを表す意思表示の手段として用いられるようになったものだ]と聞く([]はWikipediaから引用)。戦争とパンデミックとは事態こそ違うが、世界中の人がその終息を願って止まないことは同じ。無言のピースサインは、その本質的な意味合いにおいても、コロナ禍に相応しい訴え、祈りである。1969年の『ウッドストックフェスティバル』でジミ・ヘンドリックスがピースサインを行なったことでも知られているから、本来ロックに似合うジェスチャーとも言える。今こそ堂々とピースサインを掲げるBUCK-TICKとそのファンはひたすらに素晴らしい。あなた方はまごうことなきロックである。
2度のアンコールでは『ABRACADABRA ON SCREEN』から引き続き、BUCK-TICKの過去曲の中からポジティブなリリックが目立つナンバーがチョイスされていた。
《蹴散らせ 引くな 怯むな 進め 未来だ/蹴散らせ 弾けてみせろ そうだ 未来だ》(「FUTURE SONG -未来が通る-」)。
《そうして 君の街へ パレードがゆくよ/いいね もう一度言うよ パレードがゆくよ》(「LOVE PARADE」)。
《これが世界 君の世界 夢幻の闇 君は流星/まばゆい世界 君の世界 無限の闇 君は切り裂く》(「New World」)。
今井寿(Gu)が“また会いましょう、ピース”との言葉を残してステージを去ったのち、秋に全国ツアーを決行すること、そして今年も12月29日に日本武道館公演を開催することが発表された。半年以上先の話である。この事態が終息している保障は何もない。だが、あえて公表に踏み切ったということは、これはBUCK-TICKの強い意志表明であろう。未来へ進み続けなければならないし、このパレードを止めてはならない。もちろん世界を閉じるわけにはいかない。彼らはそんな願いを言葉ではなく、楽曲群と自らの姿勢で示した。
話は前後するが、櫻井が“医療関係の方に捧げたいと思います”と前置きして披露された「LOVE ME」もそう。この日のライヴに駆けつけたくとも、仕事の関係でそれができないという人たちも決して少なくなかったともいう。そんな人たちに向けて自らのナンバーで労りと敬いを表したのである。
《どんなに夢を見ても 気付けばいつも独りさ/Love me 夢見て Dreaming 眠ろう》《My Darling 月夜に羽を広げて/消えるまで Love me》(「LOVE ME」)。
BUCK-TICKはこの日、ロックバンドができること、そしてBUCK-TICKにしかできないことをしっかりとやり切った。そのアーティストとしての真っ当過ぎるスタンスを間近にして、身体が打ち震えるような感動を禁じ得なかった。
最後にもうひとつ。本公演でもっとも素晴らしかったのはオーディエンスの姿勢だったと思う。それは間違いない。ロックバンドのライヴである。歌ったり、歓声を上げたりするのは普通のことであるのは言うまでもないけれども、この状況下でそれが叶わないのはこれも説明するまでもなかろう。公演に関しての注意事項にも“公演中の大声での発声(中略)は禁止といたします。”との一文が加えられていた。声が出せない代わりに、この日、日本武道館に集った人たちは、演奏が終わるたびに万感の思いを込めた拍手を贈っていた。櫻井もアンコールのMCで“今日はたくさんの拍手をありがとうございます。手が痛いでしょ?”と言っていたが、あれだけの拍手を聴けば手の痛みも心配にもなろう。それほどに客席の拍手は長く大きく、そして楽曲が終わる毎に必ず沸き起こった。みんな歌いたかっただろうし、声援も送りたかっただろう。それでもしっかりと公演マナーを守っていたことは特筆すべきことと言える。本公演を成功に導いたのはオーディエンスである。
撮影:田中聖太郎・渡邊玲奈(田中聖太郎写真事務所)
取材:帆苅智之
BUCK-TICK
バクチク:1987年にメジャーデビューを果たし、以降メンバーチェンジすることなく、日本のロックシーンの第一線で活躍し続ける。不動であり孤高であるその姿は、後続するアーティスト達にも多大な影響を及ぼしてきた。89年にリリースされた3rdアルバム『TABOO』でチャート第一位を獲得、デビュー後わずか2年の間に日本武道館、東京ドームと席巻し、名実共にトップアーティストの仲間入りを果たす。その後も独特なポップセンスとダークな世界観を深く掘り下げていく一方で常にその時代の先鋭的な要素を積極的に取り入れ、まさにBUCK-TICKでしか成し得ない独自の音楽性を提示しながらも、今なお進化し続けている。