霞

松田今宵
霞
2025年5月28日に“松田今宵”が1st EP『ケの日』をリリースしました。今作には、様々なサウンドと物語が紡ぐ珠玉の全4曲が収録されております。そして、EPタイトル『ケの日』に込められているのは、“丁寧でもないし、穏やかでいられないような毎日…そんな日々にこそ宿る、ちょっとした違和感、癖、弱さなどを、まるごと肯定したい”という想い……。 さて、今日のうたではそんな“松田今宵”による歌詞エッセイを4週連続でお届け! 第2弾は収録曲「 霞 」にまつわるお話です。自身の心がどこか3月で止まったままになっている、その理由は…。なかったことにできない恋をぼんやりと抱え続けているあなたへ。ぜひ歌詞と併せて、エッセイを受け取ってください。 これは、失恋の話ではない。 それよりも、もっと曖昧で、やっかいな話だ。 * だいぶ陽も延びてきて、太陽が少し西に傾いてから、「夕方」の時間が長くなったように思える。 4限の授業を終えて、バイトへ向かう電車の中、 左耳をドアに張り付けるようにして、電車の一挙手一投足に身体を無駄に揺らされながら ぼんやりと外を眺めていた。 (ずいぶん、あったかくなったな) わたしは、ある一人の先輩が好きだった。 でも彼には彼女がいた。 だけど時々わたしとも遊んでくれるし、飲みにもつれてってくれた。 自由で気さくな性格が好きだった。 彼のことを好きだった冬という季節は、思い出せば長く、それでもあっという間に時は流れて、やがて先輩は卒業した。 卒業したって、また遊びに誘おうと思っていた。 卒業式の日、また次の約束をしようと思っていた。 だけど、先輩たちが卒業するその日 わたしは、彼が地方配属になったと別の先輩から聞いた。 わたしにはそれまで知らされてなかったのだ。 別にショックじゃない。 だって別に彼女じゃないし、悲しがるのだって、迷惑だ。 彼にとってはちょっとだけ仲のいい、一後輩に過ぎなかったのだ。 一後輩は一後輩らしく、笑顔で送り出さなきゃ。 「先輩○○県に、行くんですね!」 「おう!いや~さみしくなるね。」 「また東京に帰ってきたら遊びましょね!」 「おう!」 嘘つけ。全然寂しくなさそうに、そんなこと言わないでほしいよ。 って、わたしが勝手に期待してただけなんだけど。 泣きたい気もしたが、わたしは泣かなかった。 泣くのはお門違いと思った。 今頃、彼は仕事を頑張っているんだろうか。 わたしはきっと、学生気分なんだろう。 そりゃそうだ。だってまだ学生だし。 でもでも、彼からみたらわたしは、無垢で世間知らずで、女としての魅力がなく、 本当にただの友達… いや、もしかしたら、ただの暇つぶしだったのかもしれない。 本当のところは、わからないけど、 とにかくわたしは子どもだったんだろうな、と思う。 思ったより悲しくないことも、 彼が、頻繁に会いに行けるような場所にはいないことも、 もてあそばれていたかもしれないことも、 それらすべてが、ただなんとなく、 虚しさという、感情のヴェールを被って、まとわりついていた。 別に失恋したわけじゃないし、大げさに悲しむこともできない。 勇気がないので、追いかけることも、思いを伝えることもできない。 そして全部なかったことにもできない…。 でも何か、わたしが少しでも動いたら。この感情が、少しでも何かに傾いたら、 わたしはきっと立っていられなくなるだろうと思った。 だからこのまま、時間が解決してくれるのを待つしかないのだ。たぶん。 何色にも染まれないわたしは、 季節の変わり目のだるさを抱えながら、電車に揺られている。 まるで、空にありながら、晴れにも曇りにも、夕焼けにも染まれない、 ただそこに浮かんでいるだけの、春霞のよう。 お前も季節の変わり目で、動けないんだろう。 今日はバイトに新しい子がはいってくるらしいから、わたしが教えなきゃ。 “新しい子” きっと先輩も、わたしの知らない、誰かの“新しい子”として 誰かに何かを教わっているんだろうな。 なんだかわたしだけが、ずっと3月にいるような気がする。 …霞よ、お前もか。 <松田今宵> ◆紹介曲「 霞 」 作詞:松田今宵 作曲:松田今宵 ◆1st EP「ケの日」 2025年5月28日リリース <収録曲> M1. 記憶捏造計画 M2. 霞 M3. かくれんぼ M4. 遮光カーテン