ラジオ ラジオは……。

2022年7月6日に“関取花”がメジャー2ndフルアルバム『また会いましたね』をリリースしました。今作は「ありのままの関取花らしさ」をコンセプトに自身がサウンドプロデュースし、ライブサポートでもお馴染みの盟友たちが全編に渡り参加。オンエア後から「ぶっ刺さる」と話題の「明大前」など、100%関取花節の全13曲が収録。歌ネットではインタビューも敢行しましたので、ぜひ改めてチェックしてみてください。

 さて、今日のうたコラムでは、そんな最新作を放った“関取花”による歌詞エッセイを5週連続でお届け!今回は第4弾。収録曲「ラジオはTBS」にまつわるお話です。関取花がラジオと歩んできた軌跡を。そしてラジオへの愛とリスペクトを綴っていただきました。歌詞と併せて受け取ってください。



私はラジオが好きだ。大好きだ。ラジオに出会っていなければ、大袈裟でもなんでもなく今の私は存在しない。間違いなく音楽を辞めていたし、人や街の景色、些細な出来事に対して興味を持つこともなかった。ラジオ好きのミュージシャンは多い。でもこんなことを言うのもどうかと思うが、私ほどラジオに救われてきたミュージシャンはなかなかいないんじゃないかと思う。
 
詳しくは『どすこいな日々』というエッセイ本の中の「ありがとう、ラジオ」という話で書いているのだが、心のバランスが崩れてしまい声が思うように出せなくなった時、たまたまラジオのレギュラー番組のお仕事をいただいた。当時の私は今ほどおしゃべりなタイプではなく、ライブのMCも軽い自己紹介とライブ告知くらいのものだったが、このラジオでのお仕事をきっかけにスタイルを変えた。声が出なくて歌える曲が減ってしまったのなら代わりに喋って繋げればいいと、曲間でMCを挟むようになった。
 
はじめは探り探りだったが、さまざまなラジオをあらためて聞きあさり、どんな話だと思わず立ち止まって耳を傾けたくなるのかなどを考えていくうちに、それが楽しみに変わっていった。塞ぎ込んで部屋から一歩も出なかった私が、話すネタを探すために外に出るようになった。人と話すのが好きになった。世の中はまだまだ自分の知らないことだらけだとやっと気づいた。そしてそれらの経験や話が、いつか歌になればいいと思えるようになった。あの時ラジオのお仕事に恵まれていなかったら、解決策を何も見出せないまま、とっくにマイクとギターを置いていただろう。
 
元々ラジオは好きで、最初の出会いはTBSラジオ『極楽とんぼの吠え魂』だった。そこからこの深夜帯の“JUNK”枠を聞くようになり、学生時代はテスト勉強のお供として大変お世話になった。いつもバラエティ番組で見ている時は、ひな壇での活躍が求められたり、他にも司会の方がいらっしゃったり、あるいは進行する側であったり、何かしらの役割がある芸人さんたちが、少し肩の力を抜いて自由にお話しているのがとても楽しかったし、親近感を覚えた。もちろん、それだってたくさん考えられてできたものなのかもしれないけれど、素の部分が少しでも見えるとなぜか安心するのだった。
 
そう、ラジオの何が好きかって、そうやって誰かの秘密基地をそっと覗いているような気分になれるのが好きなのだ。完成しきっていない自分も、他では出せないガラクタも、弱くて脆くてかっこ悪い部分も、隠し持っていた思い出も、「実はこんなのあってさ」となぜか話せてしまう空間がそこにはある。
 
私はそんなラジオを聞くことで、「私だけじゃないんだな」と思い何度も救われてきた。そして自分がパーソナリティーをするようになってからは、そういう場所を自分自身が持てたことで救われた。でも、個人的なスペースではなくあくまでもメディアであるから、ただグチグチ、ダラダラと話すわけにはいかない。出口には必ず何らかのユーモアを伴う光があってほしい。そう思いながら話すクセがついたことで、自然と以前より前向きな思考にもなっていった。
 
また、リスナーの方々との距離感という点でも、ラジオは非常に心地良い。こんな大SNS時代に言うことでもないのかもしれないが、私はSNS上での近すぎる距離でのコミュニケーションが苦手である。個人発信のツールで頻繁に更新される点から、それこそ親近感が湧くのかもしれないが、どんなに好きな相手だとしても、どんなに知りたいことがあるにしても、「太った?」「痩せた?」「なんで○○しないの?」「○○はどうなったの?」など、一方的にぶつけられるやり取りにはやはり抵抗がある。たった一枚の写真を見て判断したり、短い文章の一部分を切り取って反応したり、ツールの特性上仕方のないことだとは思いつつ、文脈というものを一切無視したコミュニケーションを見ていると、なんだかとても息苦しくなる。
 
その点、ラジオでは全方位的に一定の距離が保たれている感じがする。素の部分は垣間見えるけれど、あくまでもメディアに出ているという自覚が話す側にあるところ。聞く側もそれをわかった上で番組にメッセージを送っているところ。そこには互いの愛とリスペクトをたしかに感じる。
 
愛だけが勝つと、壁を突き破ってコミュニケーションを取りたくなってしまうのかもしれないが、リスペクトがあると透明な壁を一枚隔てて話をすることができる。私にとってはそれが心地良いのだ。ただ思ったことを瞬発的にぶつけ合うのではなく、相手が何を伝えようとしているのかを理解しようとしながら作り上げていくのがいい。秘密基地はあくまでも秘密基地だ。そっと覗くことはあっても、土足で踏み入る場所ではない。そのルールが暗黙の了解で互いに守られている感じがいいのかもしれない。
 
話がだいぶというかかなりそれたが、そうやってラジオのおかげでなんとかここまで音楽活動も続けてこられた私が、このたび念願のラジオ番組のテーマソングを担当させていただいた。しかもラジオと出会うきっかけをくれたTBSラジオの新番組で、さらにパンサーの向井さんの番組。
 
CBCラジオで放送されている『#むかいの喋り方』には、悩める日々を何度救ってもらったかわからない。生きているといいことがあるんだなと本当に思った。「いつまでこんなこと、でも」と続けてきた毎日の先に、いいことなんてそんなにありはしない。でも、何年に一度、いや何十年に一度かもしれないご褒美をたまにもらえることがある。その一つがこのお仕事だった。いや、仕事というよりラジオへの最大の愛とリスペクトを込めて、ただただ曲を書いた。
 
そんなありのままの気持ちで曲を書いたら、自然と「ラジオはTBS」というタイトルの曲になった。媚びていると思われるかもしれない、他局での仕事を心配されるかもしれない、でも私は信じていた。そしてわかっていた。ラジオはそんなに懐の狭いメディアではない。
 
この楽曲がリリースされてから、アルバムのプロモーションで全国各地のラジオ番組にゲスト出演させていただいた。するとやはり、これは本当に嘘でもなんでもなく、どこの局のどの番組の方々も、この曲が好きだと言ってくれた。「ラジオはTBSという歌だけど、これはすべてのラジオの歌なんですよね」と、私がこの曲に込めた想いや意図を完全にわかってくれていた。ちゃんとそこを理解した上で、番組でいじってくれたり、他局なのにオンエアしてくれたりした。そして私はもっともっとラジオが好きになった。ラジオを愛する人々へのリスペクトがさらに溢れた。
 
そう、この曲はラジオというものへの私からのラブレターなのだ。満員電車の中、誰かに怒られたあと、ひとりぼっちの夜だって、君がそばにいてくれた。イヤフォンの向こうから、スピーカーの中から、誰かの声が聞こえてきて、そのたびになんとか明日もと頑張れた。これからも私は数えきれないくらいラジオに救われることだろう。そしてこの曲が、そういう私みたいな誰かの毎日の中のBGM として今日も流れていると思うと、とても嬉しいのである。

<関取花>



◆紹介曲「ラジオはTBS
作詞:関取花
作曲:関取花

◆メジャー2nd FULL ALBUM『また会いましたね』
2022年7月6日発売
UMCK-7170 ¥3000+税
 
<収録曲>
1.季節のように
2.ねえノスタルジア
3.風よ伝えて
4.やさしい予感
5.長い坂道
6.明大前
7.ミッドナイトワルツ
8.道の上の兄弟
9. 障子の穴から
10.モグモグしたい
11.青葉の頃
12.ラジオはTBS
13.スポットライト