春ねむり
ここで歌われた「愛」があなたにとってどのような意味合いであるか。
2022年4月22日に“春ねむり”がニューアルバム『春火燎原』をリリースしました。今作には力強く壮大なスケール感を感じさせる「 D é construction 」をはじめ、映画『猿楽町で会いましょう』主題歌「セブンス・ヘブン」、すでにライブで披露されている「Kick in the World」の“脱構築”バージョン、など全21曲を収録。彼女のボーカルを存分に生かし、アルバム全体を通して和声の美しさを追求した作品となっております。
さて、今日のうたコラムでは、そんな最新作を放った“春ねむり”による歌詞エッセイをお届け。綴っていただいたのは、「歌詞とはどのように読むことができるのか」についてのお話。今作の収録曲「 D é construction 」を例に、自身を“作者”として扱い、フレーズごとに丁寧に読み解いていただきました。このエッセイを読んだ上で、あなたはこの歌のなかの「愛」をどのように受け取りますか…?
歌詞というものを、あなたはどのような観点から読むことが多いだろうか。それはあらゆる詩と同じように、いかようにも読むことができ、また、さまざまな感情や感触を受け手に与えることがある。言葉という容れ物によって手渡されたそれは、受け取った者が前提とする世界観や価値観というフィルターを通って、その者の中で変容し吸収されたり、拒絶されたりする。ここでは、継続して詩作というものに取り組んでいるけれども、詩というものを受け取る立場でもあるわたしが、普段どのような観点で歌詞と言うものを作ったり読み解いたりしているかについて書くことによって、「歌詞とはどのように読むことができるのか」についての一例を提示することを試みる。
今回例にとるのは、春ねむりの「 D é construction 」。自作曲であるからこそ、改めて丁寧に読み解いていきたい。読解する都合上、自分自身の作品ではあるが、ここでは春ねむりを「作者」として扱うこととする。
はじめに、イントロは15秒ほど、バックコーラスによるリフと、歪んだピアノのリフが、マーチングを思わせるドラムのリズムの上でそれぞれ踊っているような軽快さではじまる。歌い出しの1段落目を見てみよう。
はじめようぼくらのparadigm shift
Like a project mayhem
数字の羅列を抜け出す0時
きみのきもちを教えてbaby
パラダイム・シフトとは「その時代や分野において当然のことと考えられていた認識や思想、社会全体の価値観などが革命的にもしくは劇的に変化すること」であり、プロジェクト・メイヘムとは、映画『ファイト・クラブ』の中で、資本主義社会に真っ向から反抗し、過激な破壊行動によって人類の技術的進歩に歯止めをかけることを試みたタイラー・ダーデンによって企てられた計画の名称である。以上を踏まえると、3行目の<数字の羅列>とは、資本主義とも読めるし、2進法で表現される現代社会とも読める。そして詞は4行目、主体性を聞き手に問うべくその距離をぐっと縮めてくる。
IDナンバーじゃわからない魂
Bitchesには触れられない気高いlilly
フロウが変化し、社会という外界から魂という内的な風景へ描写が転じる。そこにある本質は、割り振られた記号では判別不能なものであるという提示と、<Bithces――クソ野郎には触れることができない気高い百合の花>という描写が並ぶ。接続詞等が排除されているため解読に余白が生まれているところではあるが、描写が並列されていること、「魂(Ta-Ma-Shi-i)」と「リリー(Li-li)」という名詞で押韻されていることから、ここでは「魂」=「Lilly」と読むことにする。1段落目で提示された「変革」を試みる主体の気高さを誇ろうとする描写であるという解釈である。
餓鬼畜生が語るストレートエッジ
New richesの腐ったロイヤリティ
ロマンスのかけらもないユニティ
ぜんぶ壊してスペースモンキーズ
フロウが再び変化し、矢継ぎ早に名詞句が並ぶ。それぞれの語句を詳しく紐解いて下に記述する。
●餓鬼畜生:仏教における十界論という世界観における地獄の種類に由来していて、それぞれ、餓鬼界(欲望が満たされずに苦しむ境涯)と畜生界(目先の利害にとらわれ、理性が働かない愚かさ)を指すと思われる。
●ストレート・エッジ:ハードコア・パンクにおける禁欲主義的な思想・概念・ライフスタイルであり、それまでの「セックス・ドラッグ・ロックンロール」という快楽主義的な人生観へのアンチテーゼと言える。
●New riches:成金。新富裕層。
●ロイヤリティ:Royalty(特権。王の座)とLoyalty(忠実。忠誠)いずれにも捉えることができる。
●ロマンス:後に続く単語のことを考えると、単に恋愛感情的な要素として捉えるのではなく、広く情熱という意味合いで捉える方が適当であると思われる。
●ユニティ:ひとまとまり。結束。
並列されたこの3行を語句の意味をはっきりとさせて読むとき、作者の主観を通して立ち上がる社会像は克明である。クソ野郎が理想ばかりを語り、資本主義社会における強者が特権の座に着き続けるために腐った忠誠を貫いていて、情熱や感情だけでは人々は団結することができない。そして作者はそれを否定的に思っているので、4行目<ぜんぶ壊してスペースモンキーズ>と続く。スペースモンキーズとは、1段落目に登場したプロジェクト・メイヘムを実行する部隊の名称である。つまり『ファイト・クラブ』の中で描かれたような資本主義社会に対するフラストレーションを抱き、それを破壊したいというテロルに至るかもしれない欲望をも持ち合わせているということが読み取れる。
爆音いますぐ叫んで
Fucked Up, Got Ambushed, Zipped In!
Uh stop!
再び頭2拍にアクセントを置くフロウに展開し、この3行でAメロが終了する。<爆音>が何を指し示すかについては解釈の余地があり、『ファイト・クラブ』の文脈を踏まえれば、テロ的破壊行為によって発生する爆発音とも読めるし、次に続く行の<Fucked Up, Got Ambushed, Zipped In!(待ち伏せされてジッパーに詰めこまれてるような状況でたまったもんじゃないぜ!)>が、ベトナム戦争時のアメリカ兵のスラングであることを踏まえれば、戦場で発生する大きな音とも読める。この語句は、3段落目で既出のストレート・エッジという思想を提唱したイアン・マッケイが組んだバンド「FUGAZI」の由来となったものでもある。
Where is my mind?
Bメロの<Where is my mind?>のリフレインと、それに突入する前の<Uh stop!>が、ここまで地続きに配置されてきた『ファイト・クラブ』の要素を鑑みれば、その映画の主題歌であるPixiesの「Where is my mind?」のオマージュであろうことはすぐにわかるだろう。
D é construct all
Ratta wow wow wow
ここまで4つ打ちのキックによってぐんぐんと歩を進めてきたビートが、ブレイクを挟み、ビートがハーフタイム・フィール、つまりBPMが半分になったかのように感じさせる、大きなリズムに変化し、ホーンとチャントによるリフが登場する。
曲タイトルの「 D é construction 」は、ジャック・デリダによって用いられた哲学用語であり、和訳すれば「脱構築」。Wikipediaにおいては『「静止的な構造を前提とし、それを想起的に発見しうる」というプラトン以来の哲学の伝統的ドグマに対して、「我々自身の哲学の営みそのものが、つねに古い構造を破壊し、新たな構造を生成している」とする、20世紀哲学の全体に及ぶ大きな潮流』と、国語辞典においては『西洋哲学で伝統的に用いられる統一的な全体性や二項対立の枠組みを解体し、新たな構築を試みる思考法』と説明されている用語であるが、脱構築という概念がそもそも絶対的な定義づけを拒むようなものであり、それ自体が脱構築という営みの最中に常に在り続けるようなものでもある。
このサビはリフレインであり、2行目はスキャットのようなものと思われるので、<D é construct all>がこの曲の主旨であると考えることができる。「すべてを脱構築せしめよ」という一文に収束するにあたって、必要とされる情報や描写が、バース部分ということだ。既存の社会を構成している価値体系を解体し、新たな構造を生成する。その営みを必要とする動機としての破壊衝動と、ある種盲目的とも言える理想や信念。それらが、作者のルーツにある映画や音楽等のカルチャーが文脈を持って用いられることによって、描写されていると言える。それを念頭に、この後のバースでなにが書かれているのかについても考えていく。
優しい人から死んでいくnowadays
ゴルゴダは亡骸で溢れている
悲しみの道は続く
ひとはみなイエスとユダのハイブリッド
2番のバースでは新たにキリスト教のモチーフが登場している。ゴルゴダとはイエス・キリストが磔刑に処された丘であり、悲しみの道とは、イエスが判決を受け十字架を背負ってゴルゴダまで歩いたその道のことを指す。イエスは人間の罪を代わりに背負って死んだというのがキリスト教における教えであるが、ここでは<ひとはみなイエスとユダ(イエスを裏切って死刑に導いた者)のハイブリッド>であり、その亡骸が溢れているということは、ゴルゴダで死ぬのはイエスだけではなく、広く「ひと」であるということと読める。
聖人の列に並ばない魂
Bitchesには触れられない気高いlilly
1番と同じフロウで、1行目の歌詞だけが変化している。聖人の列とは、前段でキリスト教の要素が登場していることを踏まえると、列聖(おもにキリスト教のカトリックにおいて、信者がその死後、信仰の模範となり聖人名簿に列せられるにふさわしいと公式に認められること)について言及していると考えられる。1番と同様に読み解くとして、ここでいう魂の「気高さ」が特権的な立場を否定したところに宿るという表現であると受け取ることができる。
十字架切って痛がる
ルサンチマンにまみれている
そうやって自分を愛している
マーラは今日もうたっている
十字架を切るとは信仰の告白や祈りのしるしであるが、続く2行目が<ルサンチマンにまみれている>であることを考えると、ニーチェが用いた言説に倣って、キリスト教的道徳を内面化することによって自己愛を保存している状態への批判であるように捉えられる。マーラとは『ファイト・クラブ』に登場する主要なキャラクターのひとりで、「死は目の前にある」というのが人生哲学で、「悲劇なのは、自分が死んでいないこと」と考えている女性。
爆発こわれてくビル
Fucked Up, Got Ambushed, Zipped In!
愛を獲得してwarriors
映画『ファイト・クラブ』のラストシーンは、タイラーによって計画された爆破が始まって高層ビルが次々と崩れ去る場面で終わる。2行目は1番と同様、<Fucked Up, Got Ambushed, Zipped In!(待ち伏せされてジッパーに詰めこまれてるような状況でたまったもんじゃないぜ!)>と続き、3行目<愛を獲得してwarriors>と結ばれる。
ここで言われる「愛」とは、この曲の主旨と、ここまで描写されてきたものを踏まえるとき、何を指すだろうか。いままでわたしが書き連ねてきたことは、わたしが作者であるから読み解くことのできる要素ではほとんどなかったはずだ。受け手として、記述そのものから、自身の持つコンテクストやルーツ、バックグラウンドを用いて歌詞と対峙し、立ち上がってきた景色そのままである。その浮かび上がった景色を用いて初めて、わたしはここで書かれた「愛」を如何なるものか結論づけることができる。同時に、その結論をここで書くべきではないとも考えている。なぜなら、作者のわたしがそれを断じることによって、ここで曖昧に余白を持たされている「愛」が持ち得る表現の可能性を狭めるかもしれないからである。
あなたはこの歌詞をどのように読むか。それにはあなたの持つカルチャーの要素や人生観が確実に用いられる。つまり、ここで歌われた「愛」があなたにとってどのような意味合いであるかは、あなたが自分で読み解いてはじめてわかることだ。その時、いままで単なるPixiesの引用であった<Where is my mind?>というBメロのバースが、また違う意味を持って聞こえてくるだろう。
曲はそのあとサビへと続き、4分弱で終わる。ここまで歌詞を改めて読み解き、わたしはいまこの短い詩というものにこれだけの情報量があり、しかもそこに音楽的なコンテクストやギミックが追加された状態のものが、4分もかからずに再生され終わるということに単純に驚いているし、この量の情報をなるべく整理して書き起こすことによって少し疲弊もしている。なにか表現と呼べるものに対峙するときは、わたしはいつもそうだ。丘を登ったあとに息が切れるように、疲労しながら、時には傷つきながら、しかしそれでしか得ることのできない興奮や充足感を求めて、いつも音楽を聞いたり文章を読んだりしている。これが他人にとっても面白い類の営みなのかは正直なところわからないけれども、あなたがなにかの表現と向き合う際に有用なものを書き記すことができていれば、大変喜ばしい。 <春ねむり> ◆紹介曲「 D é construction 」 作詞:春ねむり 作曲:春ねむり ◆2ND FULL ALBUM『春火燎原』 2022年4月 22日(金)発売 / 全21曲収録 デジタル配信/12インチアナログ盤 <収録曲>
01.sanctum sanctorum
02.D é construction
03.あなたを離さないで
04.ゆめをみている (d é constructed)
05.zzz #sn1572
06.春火燎原
07.セブンス・ヘブン
08.パンドーラー
09.iconostasis
10.シスター with Sisters
11.そうぞうする
12.Bang
13.Heart of Gold
14.春雷
15.zzz #arabesque
16.Old Fashioned
17.森が燃えているのは
18.Kick in the World (d é constructed)
19.祈りだけがある
20.生きる
21.omega et alpha