顔色の変化に気付けない

 シンガーソングライター“ヒグチアイ”がこの夏、ラブソング三部作を立て続けにリリースしました。第一弾は2023年7月26日にドラマ『初恋、ざらり』エンディングテーマ「恋の色」を。第二弾は8月9日に映画『その恋、自販機で買えますか?』主題歌「自販機の恋」を。そして第三弾は8月30日に映画『女子大小路の名探偵』主題歌「この退屈な日々を」をリリース。
 
 さて、今日のうたコラムではそんな“ヒグチアイ”による歌詞エッセイを3週連続でお届け。今回は第1弾。綴っていただいたのは、新曲「恋の色」にも通ずるお話です。恋の色、ならぬ、顔色の変化に気付けないというヒグチアイ。なぜそうなったのか、その理由は中学時代までさかのぼり…。ぜひ歌詞と併せて、エッセイをお楽しみください。



「なんか顔色悪いね。どうしたの?」
「え? ほんと? よくわかったね。実はさ…」
という会話が目の前で行われるとき、わたしは大体心の中に(え!? 全然気付かなかった…)という焦りが渦巻いている。そしてその焦りが顔に出ないよう必死で眉毛をハの字にしている。
 
顔色がわからない。だから漫画に出てくる、照れた時の赤い顔、というシチュエーションに出会ったことがない。切ない。なんでも経験してみたいわたしなのに。
 
思えば、自分自身が身体の表面に感情が出てこないタイプだ。そうしよう、そうなろうと矯正していた時期がある。なぜそうなったのか、理由もある。
 
中学生の頃、修学旅行で引率のカメラマンが撮った写真が廊下に張り出されて、そこに書いてある番号を紙に書いて、それを買える、というシステムがあった。今考えれば絶対に苦情が出るシステムだ。こっそり好きな男の子が写ってる番号を書いて買ったりしていたなあ…。
 
そこに自分の写真ももちろん貼り出されていて、どこで何をしているシーンか、その写真を見て思い出せるぐらいには新しい記憶だった。友達とふざけていたところだった。でも、そこに写っていたわたしの顔が記憶の中のわたしとは全然違う、ぐしゃっとした笑顔だった。わたしはもっと、美しく綺麗な笑顔を作っているもんだと思っていたから、その顔に驚いた。あれ? わたし、こんなに不細工な顔で笑っていたのか。そう思ってから、途端に笑うのが嫌になった。嫌になってから、口に手を当てて笑うようになったし、そもそもあまり笑わなくなった。
 
それから10何年経って、あの頃みたいに嫌いではないし、それもまた個性かと思えてからはむしろ愛せるようになってきたと思うけど、ブランクというものはあって、どうしても表情に出さないようにしてきたツケが回ってきている気がする。
 
「顔色悪いね」「機嫌悪そうだね」と言われる時、それは大抵間違いだったから、顔色なんて表情なんて本心を隠しているかもしれないことを決めつけることはできない。そう思って今まで不用意な発言をしないようにしてきた。けれど、本当に顔色がわかる人はいて、本当に相手の表情を読み取れる人がいて、そういう人に憧れてしまう。わたしだっていつか、自分の大切な人の顔色ぐらい読めるようになりたいんだ。
 
<ヒグチアイ>



◆紹介曲「恋の色
作詞:ヒグチアイ
作曲:ヒグチアイ