死にたいってぼやいたいつかの僕に、誇れるような未来を。
Omoinotake
死にたいってぼやいたいつかの僕に、誇れるような未来を。
2021年11月17日に“Omoinotake”がメジャー1st EP『EVERBLUE』をリリース!タイトル曲は、TVアニメ『ブルーピリオド』OPテーマ曲。 蔦谷好位置によるアレンジ・プロデュース。どことなく懐かしいディスコサウンドでありながら、長い下積み時代を経て、ようやく掴み取ったメジャーデビューへの熱い思いが込められた作品となっております。 さて、今日のうたコラムではそんな最新作を放った“Omoinotake”の福島智朗による歌詞エッセイをお届け!綴っていただいたのは、今作『EVERBLUE』に通ずる想いです。自分には才能がないと思い知ったあの夜。死にたいと思った帰り道。自信は消えかけ、絆さえも壊れかけていたあの頃。結成から9年の月日を振り返りながら、今の想いを明かしてくださいました。是非、歌詞と併せて受け取ってください。 自分には才能がないって、決定的に思い知った瞬間を今でもずっと憶えている。2015年、当時23歳だった僕らは渋谷のライブハウスの対バン企画で、才能の塊のような同世代、なんなら年下のバンドマン達にボコボコに(もちろん楽曲や演奏的な意味で)やられた。 帰り道に現実逃避の缶チューハイを飲みながら家まで歩いた。駅から家まで徒歩10分の帰路の途中、100回くらい死にたいと、心底思った。 同級生は社会人になっていく中で、僕は就職もせずに東京で売れないバンドをやってる。ぼんやりと、考えないようにしてた現実が、急にくっきりと形を帯びて牙を剥き、襲いかかってきた、そんな夜だった。 持ち前の忘れっぽい性格を利用して、なんとかあの夜から立ち直った僕は、諦めが悪かった。身体の隅々まで、僕のどこかに残されてる才能を探した。 だけど確かにあったはずの、たった一粒の自信は消えてしまっていた。正解がわからなくなった。誰でも書ける言葉ばかり書いては消した。これまでのスタイルも崩した。模倣もした。終いには、僕は僕が誰なのかさえも、わからなくなった。 それから2年が経った。諦めの悪い僕らは、まだ東京でバンドを続けていた。同級生は結婚して、子どもの写真をSNSにアップするようになっていた。Facebookを開けなくなった。 ようやくインディーズデビューのCDがリリースできるっていうのに、相変わらずガラガラのライブハウスで演奏してた僕らは、人気も誇れるものも、相変わらずひとつもなくって、唯一の取り柄だった仲の良ささえも、壊れかけていた気がする。 路上ライブを始めた。変わらない運命に、どうやら持ち合わせのなかった才能に、抗える手段が欲しかった。数秒間で何十人、何百人の人間が往来する渋谷センター街、TSUTAYA前。視線を上げることができなくって、割れた舗装や点字ブロックばかりを見つめながら演奏した。 数十分も演れたのに、誰一人の足も止めることができなかった僕らは、誰の邪魔にも、誰の得にもなることができなくって、まるで空気みたいだと思った。 その時僕は、渋谷のライブハウスでの、あの夜を思い起こした。だけどあの時とは違って、胸の奥で感情が燃え始めた感覚があった。きっとあの日に、僕は才能がないことを受け入れる覚悟が、できたんだと思う。 路上ライブを繰り返すたび、その場で感じた想いを歌詞にするようになった。あの頃とは違って、僕にしか書けない言葉が並んだ。消えたはずの自信が、数年越しに帰ってきた気がした。僕はそれをもう二度と手放したくなかった。例えその言葉が僕にしか理解できないとしたって。 2021年11月17日に、僕たちのメジャー1stEP『EVERBLUE』がリリースされる。結成から9年。今思えば、諦めの悪さっていう才能だけ持ってたんかなぁって、この文章を書きながら、僕はそんなことを考えてる。 「才能」なんてものは、もしかしたら始めからこの世界にはなくて、どう頑張ればいいのかさえもわからなかった、あの頃の僕の言い訳じみた幻想なのかもしれない。 そんな不確かで目に見えないものを産まれ持つことより、こんな僕なんかと一緒にいてくれるメンバーに出会えたことの方が、僕にとってはずっと大切で、ずっと奇跡だ。 2012年、渋谷の場末の居酒屋で結成したOmoinotake。ずっと思い描いてる青い夢を、諦めの悪い男3人で、永遠に追いかけよう。 死にたいってぼやいたいつかの僕に、誇れるような未来を。まだ僕たちは何も成し遂げちゃいないから。 <Omoinotake・福島智朗>