死ぬことについて
クジラ夜の街
死ぬことについて
2023年12月6日に“クジラ夜の街”がメジャー1stフル・アルバム『月で読む絵本』をリリースしました。今作に収録されるのは全14曲。1stシングル「踊ろう命ある限り」やテレビアニメ『闇芝居 十一期』エンディングテーマ「マスカレードパレード」、最新作「裏終電・敵前逃亡同盟」といった既発曲のほか、「輝夜姫」をはじめとした新曲も収録されております。 さて、今日のうたコラムではそんな“クジラ夜の街”の宮崎一晴による歌詞エッセイを3週連続でお届け! 今回が最終回です。綴っていただいたのは、収録曲「 輝夜姫 」にまつわるお話。竹取物語のお話が嫌い。その理由は…。そして、だからこそ宮崎一晴がこの歌のなかで綴った想いは…。ぜひ歌詞と併せてエッセイを受け取ってください。 感情までは、奪ってくれるなよ。 と、「死」というものに対して俺は思います。 竹取物語、ご存知でしょうか? ざっくり言うと、光る竹から生まれたかぐや姫と、その人をめぐる恋とか家族愛とか、あるいは命のお話です。 俺は、あの話がですね、嫌いです。 まあ、そもそもあの物語自体、色んな時代、媒体、作家によってアダプテーションされまくっている(最早オリジナルの原型など跡形も残っていないライトノベルとかも全然ありふれている)巨大なコンテンツですから、その全てをチェックしているわけでも無いので一概に嫌いというには忍びないのかもしれないのですが。 それでも幾つか、かぐや姫を題材とした物語に教科書やら映画やら絵本やらで触れてきて、その時々で思い至った感想は「須く嫌い」とこれに尽きますね。 何が嫌かってまずはかぐや姫の性格です。 悪女という言葉があれほど似合うヒトは中々いません。知ってますか。かぐや姫は自分の美貌に男たちが寄ってくるのを良いことに、無理難題を押し付けて危険な目に合わせて、自分に好意がある善人を間接的に殺したりもしてますからね(諸説あり)。 自分が翁や家族から受けた愛は棚に上げて、誰からも愛されていないと勝手に塞ぎ込んで、無礼千万な態度をあちらこちらに撒き散らす(諸説あり)。見ててすごくイライラするんですよ。 でも、実際それはそこまで大きなポイントではなくて。俺が、すごく嫌いで、悲しい気持ちになるのは、あの結末なんです。 散々、人を振り回したかぐや姫は、最後、月へと還って行きます。迎えにきた天人たちに天の羽衣を着せられると、「心が変わってしまい」「記憶は全て無くなって」しまうのです。 どうやら、天界には煩悩というものが存在しないらしく、下界で過ごした様々な体験は全て不埒な煩悩であるとして、パパッと洗脳されて、かぐや姫は姿を消して、話は終わりです。 それが俺すごく嫌いで。 そしてこのヘイトは、一介の物語の展開に対する不満ってだけじゃなくて。多分、自分が本能的にこの結末を好んでいないということがわかるんです。 死、というものについて。 そのシステム自体には、全く不満はなくて。むしろ希望的な概念だなと思うのです。生物にとっての死とは、一種の旗印であって、権利でもあって、ゴールでもある。死という終わりがあるからこそ、生きることに意味やハリが生じる。死があるから生きようという意欲に繋がる。死があるから生命が連続する。 これは当然っちゃ当然のことですが、改めて思い返してみれば、よくできたプログラムだなと感心したりします。 ただ、死の瞬間。 俺は死んだことがないからわからないけど。 かぐや姫みたいに天の羽衣を着せられて、生前の煩悩も感情も記憶も全て奪われるんだとしたら、それは傲慢すぎるだろうと思ってしまいます。 どれだけ人を振り回した悪女だったとしても、ぽっと出の天人にさくっと処理されて無に返されるなんて、あんまりです。残された翁や帝も浮かばれませんよ。あんなの。 そうではないと信じたい。信じているから、竹取物語のかぐや姫の結末には猛烈な悲しさと嫌悪感を抱いたのです。実際に、現実においても、生というレールの先に、あれだけの虚無が待ち受けているのだとしたら、どうしようと。怖くなったんだと思います。 受け入れたら、今見えているもの、聴こえているもの、生きていることに煌めきを感じられなくなってしまいそうだから、嫌悪感を盾に、あの物語から逃げたのです。 ですが、死はシークレットです。ガッチガチの袋とじ。完璧なまでに伏せられた神聖な概念です。この世に死んだことがある生命体が無いからこそ、わからないんですよね。死の、その先にあるものが無なのか、有なのか。考えても考えても、生きているうちに答え合わせは叶わないのです。それがいじらしい。いやあ本当によくできたシステムです。こう言う時「神は居そうだなぁ(小並感)」と思います常々。 ですので。クジラ夜の街「 輝夜姫 」という物語は、死をテーマにしつつも、死について多くを語りませんでした。どこか遠い世界の、幻想の、ファンタジーのお話として、俺の信じたい「死」の形を、あえて“適当に”綴りました。だって、正解なんてないですから。 「どうかずっと見ていてくれよ」くらいしか、俺には言えないし、言いたくないのです。 そして、反対に、取り残された生者の気持ちを詳細に書くことにしたのです。死という圧倒的に不明確なものと対照に、生とはあまりに確かですから。 「僕ら物語じゃないからさ、そんなにうまくはいかないが、物語だったとしたら、ここで終わるなんていけないな」 「僕の全盛期をあんたとの日々で終わらせない」 なぜなら、生者の道はこれからも続いていくのだから。死に絶望的なイメージを持って塞ぎ込んで生きるなんてのは、ハッキリ言って無駄なことです。 竹取物語はあくまで一つの可能性。 俺はそれを拒んで、生と死について妄想をする、自分だけの物語を提示しました。 どうかあなたも、自由に妄想をしてください。お気に召すまで。 あなたに素敵な死が訪れるまで。 俺は、見てくれていると思うんですよ。 向こうへ逝ってしまったあの人が。 心変わらず、あの人のままで。 それが俺の信じる物語です。 <クジラ夜の街・宮崎一晴> ◆紹介曲「 輝夜姫 」 作詞:宮崎一晴 作曲:宮崎一晴 ◆メジャー1stフル・アルバム『月で読む絵本』 2023年12月6日発売 配信リンク: https://qujilayolu.lnk.to/iseethemoonlight <収録曲> 1.欠落 (Prelude) 2.輝夜姫 3.華金勇者 4.BOOGIE MAN RADIO 5.裏終電・敵前逃亡同盟 6.マスカレードパレード 7.ロマン天動説 8.分岐 (Interlude) 9.RUNAWAY 10.踊ろう命ある限り 11.ショコラ 12.海馬を泳いで 13.Memory 14.Time Over (Postlude)