
―― 和義さんは、子どもの頃にポエムや歌詞のようなものは書かれていましたか?
中学生くらいでギターを始めて、「歌らしきものを作ってみようかな」と思ったとき、初めて歌詞っぽいものを作ったと思います。何を書いていたかまったく覚えていないけれど。でも、とにかく文句ばかり書いていた気がします。
―― 音楽はずっとお好きだったのでしょうか。
小学生の頃までは、わりと普通の田舎の元気な子だったと思います。ただ、姉と妹がピアノを始めると言うので、「俺もやってみたい」と始めてみたり。まぁ、つまらなくてやめちゃったんですけど。さらに、吹奏楽部に入って、トランペットを3年ほどやって、みんなで合奏する感覚が好きになりました。最初はギターもそんなにピンとこなかったけれど、楽器を触ること自体は好きだった。やっぱり音楽は好きでしたかね。
―― 人前で表現することはいかがでしたか?
うちの小学校の5~6年生の担任の先生が、「お楽しみ会」みたいなものを毎週やるひとだったんですよ。でも、そんなに毎回いろんな出し物を考えられないじゃないですか。だから俺は、当時の歌謡曲とか『ベストテン』で流行っているような曲をアカペラでよく歌っていたというか、歌わされていたというか。そういうのも楽しかったのかな。中学生になって、自分でエレキギターを買ってからはもう、「将来はギタリストになりたい」ということしか考えなくなり、完全にギター少年として音楽をやるようになっていった感じですね。
―― 当時、歌詞の面で影響を受けた方はいましたか?
いろんな歌を聴いていましたけれど、歌詞はまったく気にしていなかったんですよね。高校のときも、ヘヴィメタルをやっていて、ボーカルが何を歌っているかわかっていなかったし。
―― すると、どこで和義さんの歌詞の軸のようなものができあがったのでしょうか。
メタル熱も冷めて、高校を卒業し、いったん大学に行ったものの、すぐ辞めちゃって。その頃、弾き語りでブルースみたいなオリジナル曲を作っている先輩がいて、ハーモニカホルダーをつけていたんですよ。それを見て、「俺もあれやりたい」と思って、ハーモニカを買う前にホルダーだけ買っちゃいました。そうやって形から始まって、だんだんそのスタイルになっていって。すると、歌詞が必要になるわけです。そこで初めてちゃんと歌詞というものを意識して書き始めました。
とはいえ、最初は何を書いていいのかもよくわからない。だから、しばらくは読んだ小説などの要約というか、そこから感じたことを書いていました。転機になったのが、デビュー曲になった「僕の見たビートルズはTVの中」ですね。上京した1987~1988年頃は、ソビエト崩壊やベルリンの壁崩壊、湾岸戦争など、世界が大きく動いていて、「なんかやばそうだな」という空気がありました。そういうことへの気持ちが、曲を書くときに出てきて。「ああ、俺はこういうことが歌いたいんだな」と、初めて自覚したんですよね。
―― それまでまったく歌詞には興味がなかったところから、“時代”みたいなものをご自身のなかを通してバーッと外に出したときに、「ああ、これだ」と思ったんですね。
はい。歌をちゃんとやってきたわけではないし、さして自信があったわけでもなかったけれど、「こういう気持ちなら上手い下手に関係なく乗せられるな」と思ったんですよね。ただ、そういう印象的な出来事に対する思いがないと歌にならなかったので、せいぜい1年に2~3曲しかできない感じでした。
―― そこから現在に至るまでに、曲が生まれるきっかけや作り方は変化しましたか?
わりと締め切りによって、ですね。アマチュアのときも、ライブを先に決めて、「このライブまでにもう1曲、新曲を作ろう」という感じで、少しずつ増えていったんです。デビューが決まってからは、当時はレコード会社で“試聴会”というものがあって、「この日までに〇曲作ってきて」とか言われて、ゲーッ…って(笑)。その後も、タイアップだったり、アルバム制作だったり、それぞれのリミットに向けて書いている感覚です。
―― 30年以上の活動のなかで、“斉藤和義らしさ”みたいなものが確立されたタイミングはありますか?
それこそデビュー曲の「僕の見たビートルズはTVの中」から、あまり変わってないかもしれません。心でモヤモヤしていたことや、自分が感じていることが、全部じゃなくて、ワンフレーズでもちゃんと含まれていればOK。基本的に歌詞は、愚痴に近いのかな。自己セラピーでもある。書くことでスッキリするというか。
それを世の中に出すとき、「俺のそんなものを聞かされてもどうなの?」という気持ちもあったりします。だけど、意外と人間ってそんなに変わらないから。「同じようなことを思うひともいるかもなぁ」なんて感じで、自分のなかでよしとしていますね。
―― 今作『日常Days』の収録曲にも、まったく和義さんからかけ離れている主人公はいない気がします。
そうなんですよ。全部フィクションというのも憧れるし、多少はフィクションが入っている曲もあるんですけどね。やっぱり、根底には自分自身が本当に感じていることがないと歌えないんですよね。
―― 年齢や経験を重ねるにつれ、描きたいことや価値観で変わってきたところはありますか?
恋をしてウキウキ、みたいな曲はやっぱりもうできにくいですね。そういうラブソングは、若者にお任せします、という感じです。愛の描き方にしても、今作の「乙」のような形になってくるのだと思います。これはいわゆる惚れた腫れたを歌っているわけではないけれど、自分のなかではラブソングなんですよね。
―― 「乙」は、まったく<愛>という言葉を使っていないのに、日常の描写から愛が伝わってきますね。
ラブソングに<愛>という言葉をなるべく使いたくない気持ちもあるんですよ。以前、秋元康さんか誰かが言っていて、なるほどなと思ったことがあって。世の中のほとんどの歌は、“愛という山”について歌っている。その頂上には<愛>という言葉がある。その<愛>をどの角度からどう登っていくのか。それぞれ表現の仕方が違うだけで、みんな<愛>を歌うために、いろんな言葉を組み合わせて歌詞を書いているんだって。
だから、<愛>という言葉を使ってしまうと、楽をしているというか、ズルをしている感覚があるんですよね。それを使わずにその山を登るべきなんじゃないか。そういうものが歌詞なのではないか、という意識はあります。
―― たしかに、和義さんの曲で明確に<愛してる>と歌っているのは「歌うたいのバラッド」くらいでしょうか。
ああー、まさにそうかもしれません。あれも書いているときにかなり悩んだんですよ。「これを言ってしまったらおしまいじゃないか? なるべく避けたいのに…」と思いながら。でも、あの曲に関してはもう逃げきれなかったから(笑)。歌わざるを得なかった1曲ですね。
―― アルバム『日常Days』というタイトルには、どのようにたどりついたのでしょうか。
最初は、8曲目「ウグイス」に「日常Days」というタイトルをつけていたんです。でも、アルバム曲が揃ってきて全体を見たときに、アルバムタイトルのほうがいいなと思って、変えました。近年の情勢で、戦争があったりするなか、対義語として「平和」がある。じゃあ、平和って何なの? と考えてみるとぼんやりしてしまうけど。でも、“なんてことない普通の日常が繰り返されること”じゃないかなと、思いついた言葉ですね。
―― 今作の「乙」や「透明の地図」で描かれている、日常の優しさも好きですが、「黒猫のタンバリン」や「轍」といった楽曲で、日常の影の部分もちゃんと歌にされているように感じました。
たしかにそうですね。「黒猫のタンバリン」や「轍」、「鏡よ鏡」、「HAPPY」、歌詞は違うけれど、言いたいことは同じだなと自分でも思っていて。右とか左とか、保守とかリベラルとか、核武装をすべきだとか絶対にダメだとか、いろいろあるけれど、みんな願いは一緒じゃないですか。平和のためじゃないですか。目標は同じなのに、ぶつかってしまうことの違和感というか、やるせなさというか、そこに自分はずっとモヤモヤしていて。
ネットでただボコボコにやり合っていないで、もっとお互いに話し合えたらいいのに。みんなをうまくまとめられるひとがいてくれたらいいのに。そういうことが歌になっている感覚が強いです。俺も政治とか詳しくないしよくわからないけれど、必ず日常に関わってくることだから。むしろそれ次第で、まったく日常が変わってしまうこともある。このアルバムを作るうえで、日常の影の部分を描くことは避けられませんでしたね。