―― 人生でいちばん最初に心を音楽に動かされた記憶っていうと、何が浮かびますか?
感動ともまた違うのですが…。父がジャンベというアフリカの太鼓をやっていて、ストリートミュージシャンとして、いろんな国を渡り歩いていたんです。それを家でも叩くんですけど、生の音がかなり体にズンズン響いて。その感覚がいちばん最初の音楽体験である気がします。母もゴスペルをやっていましたし、音楽は私にとって身近なものでしたね。
―― そのなかで自然と「自分も表現する側になりたい」と思うようになっていったのでしょうか。
そうですね。小さい頃って、「魔法使いになりたい」とか「プリキュアになりたい」とかそういう夢があるじゃないですか。その感覚で「歌手になりたい」と思っていました。でも、当時は女性のソロシンガーにそこまで詳しかったわけでもなく、母に憧れていましたね。ゴスペルのメインでソロパートを歌うポジションになってみたかったというか。
―― 子どもの頃、ポエムのようなものは書かれていましたか?
母がよく車を運転していて、右の後部座席が私の定位置で、目の前にシートバックポケットがあって。そこにお絵かき用のスケッチブックが入っていたんですね。私は車酔いがひどくて、絵を描いて気を紛らわせていたのですが、気づいたらそこに詩のようなものを書くようになっていました。それが多分、6歳ぐらいの頃だったと思います。
―― どんな言葉を綴っていたのでしょう。
<真っ白なページに~>みたいな内容だったんですけど、お母さんに、「プリキュアのオープニングテーマに似てない?」って指摘されて(笑)。たしかに、私が好きだったプリキュアの歌詞にそっくりでした。知らないうちに影響を受けていたのだと思います。それでギクッとしたので、よく覚えていますね。
―― “歌詞”として意識されて書かれたのは、いつ頃からですか?
多分、中学生のときですかね。古いiPhoneにたくさん歌詞が書いてありました。当時は曲を作ったこともなかったのですが、明らかに歌詞なんですよ。AメロやBメロ、サビを想定している。思春期のイライラとか、恋心とか、今思うと恥ずかしくなるようなことを綴っていましたね。タイトルも「リピートホルダー」みたいな造語を作っていて。
―― 「リピートホルダー」とは、すでに今さんらしい気がします。
そうですよね。「リピート」と「キーホルダー」を組み合わせた造語で。キーホルダーって、何かのメインではなく付属品的じゃないですか。人生のちょっとした飾り。別に落としてしまっても、また同じものを買ったりしてリピートはされる。でも本当に大事なただひとつのものにはなれない。そういう意味合いを比喩で書いていました。今思うとあの頃から歌詞の軸みたいなものはできあがっていたのかもしれません。
―― そこから「曲も作ろう」となっていった経緯というと?
最初は、自分で作ることになるとは思っていませんでした。曲を作りたいというより、「歌いたい」が強かった。だから誰かの曲でもよかったんです。でも、時代の流れ的に、他者の曲で評価されるって、その歌声だけに相当な魅力がないと難しくて。カバー動画なども上げていましたが、自分が歌でその先にいくためには、力が足りないだろうなと。
つまり、歌い続けていくために必要だと思ったから、曲を書いてみた感覚なんです。とはいえ、阿部真央さんやあいみょんさんのような弾き語りの名曲も作ることができなくて。それでアレンジも始めてみたら、私はDTMが天職だったようで。そこでアレンジの才能が開花しました。結果的に、作詞作曲編曲すべて自分で手掛けたものがいちばん評価されたので、やっているということなんです。
―― DTMが天職だったのは、小さい頃からお父さまの太鼓のリズムがご自身に刻まれていたことも大きいかもしれませんね。
ああー、たしかにそうですね。Creepy NutsさんやYOASOBIさんもそうですが、DTMはビートが肝ですから。私は確実にそちら向きでした。でも、自分自身はリズム感がないんですよ。太鼓の達人もヘタだし。弟のほうがうまい。彼はビートボックスもベースもやっているんですけど、私には絶対できない。だから家族内でのリズム隊は弟に譲っています(笑)。
―― 歌詞面で影響を受けたアーティストはいますか?
平沢進さん。“日本語で遊ぼう”のレベル100というか。みんながわかる言葉で、この世にない表現をする方です。初めて曲を聴いたとき、衝撃を受けて。影響を受け続けていると思います。
―― 今さんも歌詞内での日本語遊びが印象的です。どうやってあの量のワードが出てくるのでしょうか。
うーん、ポンポンポンポンッって、まさに言葉遊びの延長上で出てくるんですよね。降ってくるというよりも、ひらめいていく感覚。
―― 連想ゲームのような感覚ですか?
まさに連想ゲームです! 普段から大好きなんですよ。友だちと飲みに行っても、喋る内容がずっと連想ゲーム。「もし私たちが無人島に行ったらどうする? ご飯を調達するときはどうする?」みたいな。あと、架空の名前を考えたりもします。「ちょっと“あだちゆり”っぽいよね」とか(笑)。そういうふうに歌詞もどんどん出てくる気がします。
―― 私は今さんの「無言電話」や「酔い夏」も好きなのですが、ものすごく歌詞の振り幅が広いですよね。
ありがとうございます! だからこそ“紫 今らしさ”の自覚がないんですよね。表現の幅を狭めたくない気持ちも強くて。自分らしさを認識してしまうと、その型にはまりにいってしまう気がするんです。あと5年くらい活動を続けることができたら、ファンの方々が分析してくれるものなのかもしれません。「あの頃はこういう歌詞だったよね」とか。
―― 同じく歌声も、曲によってガラッと変わります。
そうなんですよ。でも一方で、時間との戦いだとも思っています。家族や友だちの声って、すぐにわかるじゃないですか。それと同じで。私はすごくいろんな歌声を使うし、現段階で、曲だけで“紫 今”だと認識されるのはなかなか難しい。
でも、10年間、街で私の曲たちが流れ続けたとしたら、たとえ私がどの声を出しても、「あ、紫 今だ」ってバレるんじゃないかなって。いつのまにかみんなの耳に馴染んでいればいい。長い目で見て、そういう気持ちでいますね。
―― その多様な歌声は練習などで培われたものなのでしょうか。
多分、私は耳がよくて、音の解像度が高いんですよ。しかも、アフリカの音楽から始まり、ボカロ、ブラックミュージック、演歌、ジャズ、ロック、クラシック、いろんなジャンルを聴いて育ってきましたし、それをカバーしていた時期がありました。そのとき、曲の声を聴いて、モノマネをするように歌っていたんです。外国語の発音の仕方、声の出し方、ボーカロイドの声質、そういうものを自分なりに分析して。
わざとハスキーな声を出しているひとってあまりいないのですが、私の場合はハスキーな声のものまねができる感覚なんです。無機質なものと生々しいもの、綺麗なものと粗いもの、アナログとデジタル、正反対のところにも行ける。それが今の幅の広さに繋がっているように思います。
―― それは大きな強みですね。
歌声の扉は、あと1億枚ぐらいひらけると思います(笑)。いくらでも組み合わせられるので。ボカロみたいな歌声と、ニルヴァーナみたいな歌声を、1曲のなかに共存させられるひとはそんなに多くなくて。だからこれは自分にとっての武器だなと思っていますね。