―― ご自身がとくに思い入れが強い楽曲を【Disc 1】から選ぶとしたらいかがですか?
社会的な要因も含めて、この歌詞が書けてよかったと思うのは、「林檎の花」とか「軒下のモンスター」とか「Remember My Name」とか。でも、1アーティスト、1歌手として好きなのは「運命の人」ですね。ちょっとねちねちと、カメラワークをかなり細かいカット割にして、ひとつの映画のようにしていて。
「運命の人」を書いたときのことは、よく覚えています。いつも歌詞を書くときって、頭のなかにフワッと世界が浮かんで、その世界の住人のところに行って、そのひとを目で追っていくんですね。この歌の場合、その解像度がとても高かったんです。自分で歌っていても好きですね。季節もこう…なんというか…。
―― <ウィンドウは 秋冬の服を着せられた マネキンが並んでいて>、<夏の終わりの匂いがする>、晩夏のあの空気感というか。
そうそうそう。その世界のなかに生き生きと<僕>や<君>がいるんですよ。あと、言葉のチョイスも、中島みゆきさんの「蕎麦屋」じゃないですけど<焼き鳥屋>みたいなワードも思い切って入れてみたり。このヤキモキした片想いの感じを描いたのは久しぶりだったので、楽しかったですね。しかも先ほどお話した、JASRACから送られてきた集計で、この歌が何か月かずっと1位だったんですよ。
―― おお!そうなんですね!
ビックリしますよね。そのとき僕は勝手に、「僕とファンって繋がっているんだなぁ」と感じました。しかも糸みたいなものではなく、切っても切れないロープみたいなものでガッツリと(笑)。そういう意味でも「運命の人」の歌詞には勇気をもらいましたね。
―― 「運命の人」を聴いてから「林檎の花」を聴くと、<君はあのこのことが 本当に好きなんだろう 自分の事よりもずっと 大事に思えるほど>というフレーズがより染みます。
わー、たしかに。なんか僕、そういうひとの恋愛ばかり書いちゃっていますね。「好きで好きでたまらない!」とか、「僕たち幸せだね」とかじゃなく。すでに好きなひとがいるひとを、好きになっちゃっている主人公が多い。
―― しかも自分は身を引いてしまいがちで。
だよねぇ。よくないよねぇ。たまには略奪するぐらいの歌を書かないとダメだよねぇ(笑)。そこはやっぱり本人の気の弱さが出ているんだと思う。恋って、順番制みたいなところがあるじゃないですか。
―― 順番制。
整理券で1番をもらったひとから順番に、そのひとに関わっていくのが正しいというかさ。だから僕の人生で、「もうこのひとだけは、順番制なんか無視してでも!ちょっと前の方どいていただきたい!」みたいなことを思うことがあれば、そういう歌詞を書くんでしょうけれども(笑)。
―― また、「四つ葉のクローバー」や「ミタテ」の<君>もすごく素敵です。槇原さんの楽曲には、イヤな主人公もいませんが、イヤな<君>もいない気がします。
うんうん。まず曲を作るときに、優しい気持ちになってほしいとか、希望を持ってほしいという気持ちが強いので、イヤな登場人物が出てきにくいんだと思います。あと何より、曲のインスピレーションをくれるひとが素敵なのも大きいですね。僕なんかよりはるかに目に見えないものを信じる力を持っていたり。誰も見ていないところで、ひとを愛して、支えようとしていたり。だから自然と<君>も素敵になるというか。
―― まさに「You Are the Inspiration」ですね。
本当にそうだと思います。誰かの言葉に感嘆したり、驚愕したり、そうやって書くことばかりなんです。しかも、僕のまわりには「これを書け」と言わんばかりにいいひとがすごく多い。恵まれているなぁと感じますね。とはいえ、実はこれからあえて“イヤな<君>”も書いてみようかなと思っているところです(笑)。
―― 【Disc 2】で思い入れの強い楽曲というといかがですか?
とくに「理由」の<自分で好きになれる 自分でいられるのは 誇りを持てるような 自分でいられるのは 正しい心であろうと 何かを信じながら 頑張ってる時だけ その時だけだから>というフレーズは、自分の根幹にあるものだと思います。何が正しいか、何を信じるかという確認は常に必要だし、それを貫くための行為が作詞だったりするので。僕にとってすべてに通ずるなと。あと「信じようが信じまいが」もパワフルで好きです。
―― 「信じようが信じまいが」は、槇原さんの楽曲には珍しく怒りのエネルギーを感じます。
アルバム『Believer』をリリースした2016年は、喜怒哀楽の“怒”とか“哀”の部分を書くことが多かったタイミングなんです。それは当時、SNSで多く見受けられるようになっていた誹謗中傷の影響が大きいと思います。僕もまったく関係ないひとから、本当にビックリするぐらい突然、刺すような言葉が飛んでくるという経験を何度もしました。匿名性のなかで、人間ってこんなに残酷になれるんだ、と。
仏教的には思うこと自体もよくないんですけど、まぁ心のなかで誰かのことを悪く思ってしまうことは仕方ないじゃないですか。だけど、それをわざわざ相手のところまで行って、「あんた気持ち悪いね」と伝えてしまう時代になった。SNSによってそういう醜さが表面化された。そんな現実に対して、最初は憤りを覚えていたんです。ただ、いろいろ考えていくなかで、「いや、僕が怒ろうが怒らなかろうが、このひとは大変だぞ」と気づいて。
―― <誰かを言葉で傷付けたなら 同じ言葉で傷付けられる その日が必ずやってくる>ということですね。
「人を呪わば穴二つ」ということわざがあるけれど、そのとおり。誰かを呪った場合、呪いが終わると、その呪いは行き場所を失って、自分自身に返ってくるそうなんです。だから、誹謗中傷を受けているひとに「頑張って!」というのではなく、やる側のひとに、「返ってくるからね。一応言っておくね」という歌で。そういう宇宙の理を歌うことで、自分のなかの怒りを取っ払って、違和感を消化させたところがありますね。
―― 個人的には、SMAPさんへの提供曲「Love & Peace Inside?」の<どんな時でも愛と平和は 気分で脱いだり着たりしちゃだめなんだ>というフレーズも刺さりました。2010年に書かれた楽曲ですが、2025年の今、よりいっそう必要な歌になっているなと。
自分でもよくこのフレーズを書けたなと思います。だから歌って怖いですよね。やっぱり降りてくるようなところもあるので。自分で書いたつもりでいても、何年か経ったあとに歌詞を読んで、「ああ、これは何かに書かされていたんだな」と感じる楽曲も多いんです。
―― 『Design & Reason』もコロナ禍前にリリースされたアルバムですが、「In The Snowy Site」で機能を失った街を<全て思うままに出来るわけじゃない>と歌っていたり、「記憶」で“触れられることの大切さ”を歌っていたり。どこか予言的ではないですか?
本当だ。やだ、ちょっと怖い。僕、「Remember My Name」も東日本大震災の前に書いているんですね。その後、大地震が起きて、津波がやってきて、海の底に沈んでいったものや想いがあって、歌詞の意味が大きく変わった。逆に今はもう書けないと思います。当時、この歌をラジオでかけるかどうか迷って、でも祈りを込めてかけたのを覚えているんですけど…。やっぱりアーティストって、何かに導かれているところはあると思う。心して歌詞を書かなければならないなと、身が引き締まる思いですね。
―― では最後に、歌詞面での今の“槇原敬之らしさ”とはどんなものだと思いますか?
希望があるものかな。必ず最終地点に「希望」をセットして、歌を作っていると思います。それは昔、お世話になった木崎賢治さんというプロデューサーさんに毎回言われたことだから。「“もう恋なんてしない”で歌が終わってしまったら、希望がないんだよ、槇ちゃん。時間を使って聴いてくれたひとのもとに、最後に希望とかそういうものが残らないと絶対ダメなんだよ」って。それをマイルールとして、ずっと持っている感じですね。
逆に、自分はこれだけ歌詞を書いてきているので、希望のないものも書けてしまうんですよ。誰かが絶望してしまうくらいに。ふにゃふにゃ柔らかいものだと思いきや、実はものすごく切れ味のよい包丁のようなものを持って僕は仕事をしているのだと、あるときに気づいて。言葉はひとを生かしも殺しもすることを知っている。だからこそ、その刃をしっかり磨いて、決してひとを傷つけることのないように、歌詞というおいしい料理を作り続けていきたいなと思っております。