幼少時より音楽に興味を持ち様々な音楽に触れてきました。13歳ぐらいから自分の日々感じている想いをノートに綴るようになり、それがのちに詩ではなく歌詞だと気づきました。なぜなら、形には出来ないながらもその言葉の後ろでなんとなくメロディが聴こえたからです。
それからは歌の本に載っていた好きなアーティストの歌に自分なりの歌詞を書いてみました。いわゆる替え歌ですね。そこでなんとなくヒット曲が持つ“独特の間”や“構築美”を学びました。本格的な教育ではありませんが、独自の成長を遂げている日本の音楽の型を学んだような気がします。
触れたもの全てから色々インスピレーションを頂きましたが、やはりこれまでに出会った人達の発言や生き様から一番たくさん影響を受けました。今まで発表した作品の中には誰かとの会話がそのまま歌詞になっているものも珍しくありません。
また、今回ニューシングル「Only One,Only You」を作ったのは、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻がきっかけでした。このかつてない情報化時代の中で双方の戦場にいる兵士達の本心はいかがなものなのか? 本当はこんなことしたくないのでは? という仮説から筆を進めていきました。1日も早い終結を心から望みます。
今作もこれまでも一貫して、“メロディと歌詞は同時に生まれる”という謎の手法で曲作りをしています。歌詞を書くとメロディが、メロディを書くと歌詞が勝手についてきます。これはどうしてなのか僕自身わからないのですが、便利なのでそのまま放ったらかしにしています。
作詞を始めた頃は、当時発行されていた『明星』や『平凡』の付録の唄の本を参考にし、歌謡曲の古典を学びながら見よう見まねで作っていました。デビューからしばらくは広辞苑と烏龍茶とノート、最近だとPCと烏龍茶が必須ですね。場所は自宅の仕事部屋で家族が寝てから書くことが多いです。
僕らの代表作「HOWEVER」のタイトルを見て変だなと思う方は多いと思います。あんなに幸せそうな歌なのになんでタイトルの意味が「しかしながら」なのかと。
これは映画『卒業』のラストシーンを観て思いついたのですが、若き主人公が想いのあまり結婚式場から花嫁を奪いバスに乗りどこかへ向かう、、、
美しいとも言えますが、僕には彼らの行く末が不安に思えたのでこのタイトルにしました。皮肉が過ぎる僕らしいエピソードだと思います。
固有名詞を上手に使う歌詞はとても気になります。大衆の共感を得ねばならない大衆歌としての命題にささやかに抵抗しているようで、その姿勢が好きですね。
「織江の唄」/ 山崎ハコ
子供の頃に聴いたので「やられた!」って言うのも何なのですが。歌詞の隅々までに言葉を超えた情があるなぁ、と。知らない地名、方言、名前、状況であるにも関わらず胸を打つ。これは只者じゃないな、と思っていたら作詞が五木寛之さんなんですね。納得です。
基本的に曲と歌詞は同時なので、書いた自分ですら意味がわからなくてもどんな平凡な言葉でも奇抜な言葉でもそのまま採用するようにしています。
それは、その時の自分自身の習慣や当時の風習からはみ出ていても、時代が変われば新しい意味を加える事が可能なのが言葉の面白さだからです。僕らの曲「とまどい」の冒頭<恋は真夏のように愛され眠る>もパッとみてすぐ理解できる歌詞ではありませんが、リリースから20年経ちファンの方は僕の思い付かないような様々な解釈をしてくれます。それもまた芸術の楽しみ方かも知れませんね。
簡潔で申し訳ありませんが、自分に向けて、世の中や他者に向けて、何に代えても言いたいメッセージがある人が求められていると思います。惰性で言葉を綴っている人はすぐわかります。
商業ベースのアーティスト、クリエイターに求められる資質は色々あると思いますが、基本、歌詞を書く、言葉を綴ることは自己セラピーの面もあるので何の制約もなく思いっきり書いてみてはいかがでしょう。思いもしなかった自分が発見されるかも知れませんね。