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千葉県 m.911さん/女性17歳
忘れられない過去
中学2年生の体育祭の時、いままで毎日のようにLINEしていた友達から告白されて付き合った。正直とっても嬉しかったけど、付き合ってから悩みが多くなった。喧嘩することもあったし、仲の良かった元カノとも喧嘩した。その元カノとは今も疎遠。付き合って別れてを繰り返した。4回も。別れてからもずっと気になるし、好きな気持ちがあるのかも。今は彼にも新しい彼女が出来て、幸せなのだろう。私は過去を引きずって、新しい恋を見つけられない。彼の幸せを願いたい気持ちと、まだ私のことを好きでいてほしい気持ちが混ざり合って複雑。失って気づいた。付き合っていた時、彼にどれほど支えられていたのか。どれほど救われたか。忘れられない。忘れないと前に進めないのに…。
福島県 りんさん/男性18歳
ありがとう
今年の3月11日におばあちゃんが亡くなってしまいました。おばあちゃんは去年の冬に、がんになってしまいましたが、手術は成功して命を落とさずに済みました。お医者さんには「あと5年は生きていける」と言われていました。その時は、あと5年もあるからと思い、生きていてくれてありがとうと、いうことができませんでした。それから月日が過ぎて3月11日、野球の試合が終わってから父の兄の奥さんから電話があり、おばあちゃんが亡くなったとの知らせがありました。亡くなった理由は心筋梗塞でした。自分はどうしていいかわからなくてなりました。そのまま事は進んで、お葬式などが行われて、感謝の気持ちをおばあちゃんに伝えることができませんでした。自分はおばあちゃんに小さい時に一緒に遊んでもらったり、ご飯を作ってもらったりして、たくさん迷惑をかけました。それなのにありがとうも言えずにおばあちゃんが亡くなってしまいとても後悔をしています。なので、この感謝の気持ちをハジ→さんに歌にしてもらい、天国のおばあちゃんに聞いてもらいたいと思い応募しました。
佐賀県 たか→さん/男性29歳
人生を考える
出身は佐賀県鳥栖市で、11月15日生まれ。幼稚園の時から人と接するのが苦手で、小学生の時にケンカしたり、中学高校では友達も多くもなかった。社会人になり人間関係とかで派遣の仕事はなかなか続かなくなって、どん底。また社員になりたいプレッシャーと不安で27の時、全く人と関わるのが怖くなって鬱に。それから精神薬を飲み、起きられなくなり、人生を諦めかけた。また仕事ダメになって、このままではいけないと思ったけど、自分ではどうすることも出来ず。でもその時、ハジ→さんの曲を聞いて、俺は病を克服できた。音楽はすごいと感じた。ハジ→つながりで、佐賀のとっくん→に出会えた。かけがえのない友達。そのみんなに支えられて友達がいなかった僕に友ができた。俺が学んだことは、頑張ろうって無理していたら挫折してしまうってこと。自分のペースでいいのだと感じました。病になっていたときは、何しても楽しくなかった。付き合った人とも上手くいかなかった。今なら大丈夫。俺はうつ病を克服し、正社員になった。俺を支えてくれた皆にありがとう。彼女として俺を見てくれるあかねに伝えたい。ずっと一緒に居ような。
福岡県 でんでんさん/女性24歳
失くした恋
【大好きなハジ→さんにホヤホヤの失恋を歌にしてほしいです。】その人と出会ったのは2年前。先輩達の飲み会でした。何人かいる中で歳上だったその人は、とても落ち着いていて静かで、いつも元気過ぎて騒がしい自分には釣り合わない人だと思いました。でもイケメンで身長が高くて優しそうな彼に惹かれました。それから連絡を取るようになりました。月に1回休みが被った日は会うようになっていました。半年も経ってないくらいのある日、約束をしていた日の前に「ごめん、その日会えない」と連絡が来て、それから連絡は途絶えてしまいました。私は悲しくなり寂しくなり、でもきっとその頃には好きになっていたから、連絡が来なくてもなぜか信じて待っている自分がいました。彼を待っていたから、他の人に告白されてもみんな振りました。どんなイケメンだって目にとまることはなかった。

それから1年が経ちました。そんなとき、グルメが大好きだった2人が同じ人をフォローしそこに、彼のインスタを見つけました。楽しそうな彼のインスタを見て、なんだか安心しました。鍵が付いてなかったので、ふとした時に彼のインスタを見てしまっていました。それが辛くなり、自分へのけじめをつける為、彼にメッセージを送りました。「覚えてないかもしれませんが、私です。見つけるつもりはなかったんですが、同じフォローしている人から見つけてしまいました。迷惑なら返信いらないです」と。彼からはすぐに返信が来ました。

それから連絡を再び取るようになりました。私は嬉しくて、薄暗かった毎日が一気に明るくなりました。また彼と月に2回程会うようになりました。グルメが大好きなので食べたいもの行きたい所がよく被り、美味しい物を食べるのが楽しみでした。彼と会う為、化粧品も良いものにしてみたり、マツエクも月1で行ったり、格好も大人っぽくなってみたりと知らない間に自分磨きに力をいれていました。これが恋愛なんだと再確認しました。毎回会うのが楽しみで、毎日していたラインでさえも楽しみでした。

歳が3つも離れていたのに、ふざけあったり笑いあったり、時には真剣な話をしたり応援しあったり、会うたび私は彼に惹かれていました。仕事の悩みがあると時間をかけて真剣に悩んでくれました。そんな彼が私との事をどう思っているのかわからなかった私は聞きたい!と何度も思いました。でも、この関係が崩れることの方が怖くてなかなか聞けませんでした。友達に背中を押されて私は聞くことを決心しました。会う約束をしていた日に聞こうと。でも、その日急遽会えなくなり、電話でも良いから聞こう!と決めました。私は電話し聞きました。直接話そうという事だったので別の日に直接会うことにしました。不安のまま彼に会いました。やっぱり会ったら凄く楽しくて面白くて優しくて本気で応援してくれて一緒に悩んでくれてこんな人もう出会えないと思う程でした。

その帰りに車の中で彼の方から話がありました。彼の口からは、人として好きだと。仕事も充実しているし、彼女を作る気にならないと。でも、一緒に居て楽しいからこれからも変わらず一緒に居たいと。私はものすごく苦しかった。顔も見られなかった。指につけていた指輪を取ったり付けたりして泣くのを堪えた。ダメだった時はもう会わないようにしようと決めていたから悩んでしまっていたが、きっぱりそう伝えた。彼は納得した。私は車から降り、駐車場から車が出る時、彼は窓を開け、おやすみと言った。私は家の近くの海で泣いた。1時間程いた。何も考えずにただ泣いた。次の日もぼーっとしていた。振られた事よりもう会えない、もうふざけたりできない、もう笑い合えないあの人と、と考えた時の方が悲しくて毎日涙がでた。仕事中は空元気。帰ってから海に通った。その度に音楽を聴きながら泣いた。

私の中にあったのは、楽しい時間をありがとう。あなたに出会って本当に良かった。私を変えたのはあなたでした。そんな思いでした。感謝しかありませんでした。もちろん付き合えていたらどれ程幸せか。今でもそっと彼を待っています。いつか彼の思い出に私が出て来てくれたらなって。会いたいって少しでも思ってくれる日が来てくれたらなって。まだ失恋ホヤホヤで前向きにはなれてないのでぜひ、大好きなハジ→さんに歌にしてもらいたいと思い応募させていただきました。よろしくお願いします。この想い届け。
群馬県 そら。さん/女性20歳
危険な恋
最初、出会った時は「所詮お客さんだから」と思った。私はキャバクラ嬢。あなたはお客さん。私はお客さんには恋をしない。それが仕事を上手くやっていく方程式だから。嬢と客の距離はなかなか近づかなくて。だけど、あなたがたまにお店に来るたびに目で追って「ああ、ボーイさんどうかどうかあの人の隣に付けて」って願ってしまっている私がいた。あなたは仕事仲間に無理やり連れてこられて、若干嫌そうな顔をしている。その顔覗くように、私はあなたの隣について他愛のない会話をする。「今日は寒いね」なんてね。嫌そうな顔がちょっと和らいで、ニコッと私に微笑むあなたに少しキュンとしてしまう。ああだめだ、お客さんに恋したら上手くやっていけない…。自制心が働くけど、やっぱりあなたの顔見ると嬉しくて心が飛び跳ねてウキウキが止まらない。

そうだ、今日こそはLINE聞いちゃおう…。「普通はお客さんが私たちにLINE聞いてくるのに~」って言いながらちょっと強引に私は自分のLINEのQRコードを表示してあなたに差し出す。あなたは満更でもなさそうにコードを読み込んでちょっと今どきのスタンプ送ってくる。そんなあなたが可愛くて私はニヤける。あなたは35歳、私は19歳…。きっと年が離れすぎいて、子供だって思われているかな…。そんな不安がずっとまとわりついて、必死にあなたに「好き」とバレないように「好き」をアピールする。

決して私からは会いたいなんて言わなかった。あなたから言われたかった。あなたに私を好きになって欲しかったから。あなたのことが好きになってからお店のナンバーじゃなくなった。それだけあなたに夢中だった。あなたはまんまと私の罠にハマったよね。ハメたのは私だけど。「会いたい、デートしよう」それを言われた時、私はめちゃくちゃガッツポーズしたよ。よし、これであなたは私の虜だってね。私は「んー…私レギュラーだから休みとるの大変なんだよ~…仕方ないなー」なんて上から目線で返信してやった。あなたは「泊まりで行く?部屋は別々にするからさ」なんて少し下心のある、返事をしてきて。私はその誘いが嬉しかったけどやっぱりキャバ嬢。「えーやだよ~。日帰りね、送迎よろしく」と返した。

デート当日。11時集合で八景島シーパラダイスへ。ずっと高速走って、途中でパーキングに寄ってじゃがりこ買って、あなたはレモンティーを買っていたね。あなたの運転する横顔見ながら「ああ、好きだなぁ」なんて思いながら。八景島シーパラダイス到着。水族館を回って、遊園地で私がこわいこわいって泣き叫びながらあなたは笑って。ジェットコースター、フリーフォール、もう、怖くてドキドキなのか、あなたと一緒にいてドキドキなのか全くわからなくて、おかしくなりそうだったよ。

夜も遅くなって暗くなって、あなたは長時間の運転で疲れていて、さぁ帰ろうって時、私は「しょうがないなぁ…泊まってもいいよ」って言った。あなたはすごくはしゃいだね。35歳が19歳に無邪気に笑って「えーほんと!?まじ!やったぁー」って。そんなに私の隣にいたかったのかな、なんて考えたらニヤニヤしそうで、我慢していたな。「好き」ってバレたくない一心で。「実はさー、泊まろうと思って横浜の海の見える高いホテルを取っていたんだけど、断られちゃったからキャンセルしちゃったんだよー」って言いながら新しいホテルにあなたは急いで予約の電話をしていたね。私は日帰りのつもりだったから下着も何も持ってきてないし、あなたも持ってきてなかったから、ドンキで2人でダザーイ下着を買って、化粧水も買って、ホテルに向かったよね。

別々の部屋は予約でいっぱいでとれなくて、一部屋で、すごく緊張した。あなたは私の隣ですやすや赤ちゃんみたいに寝ていた。とっても可愛くて愛おしかった。付き合えたらこの顔もっと見られるのかなって。あなたは寝起きがすごく悪かった。何回起こしても「あと5分」って笑っちゃうよね。やっと起きて、帰りの高速、もっとずっと一緒にいたいってもう既に思っていた。あなたはサクッと私を送って「じゃあまたね」って。

私はまた平常運転。キャバクラ嬢。あなたからLINE来てないかなって待機の時、携帯を見る。「12:00に仕事上がれる?上がれるなら送迎断って、俺が送るよ」そんなLINEが来ていた。もちろんレギュラーだからそんな早くには上がれないけど、私は無意識にボーイに「ちょっと親から連絡来て早上がりできないですか?」なんてお願いしていた。ボーイもしょうがねえなって顔して私を早上がりさせてくれて、あなたが待つ駐車場に向かった。「おつかれさま」お互い言い合う。「デート楽しかったね」なんて会話していて、あなたはコンビニに車を停める。「もっとちょっと話したい。もっと一緒にいたい」って。びっくり、あなたからそんなこと言われるなんて。まぁ予想はしていたけどね。

それからあなたは間を開けて「付き合って」って。私はやっぱり意地悪だから「私はわがままだよ?いいの?あと、私と付き合ったら別れるなんて選択肢は無いからね」って言った。あなたは私のこと好きになった。もちろんあなたには内緒。ずっと前から私はあなたのことが好きだなんて、絶対に言ってあげない。教えてあげない。もっと夢中になって、もっと私を好きになれ。絶対に子供だなんて思わせない。わたしは19歳。あなたからしたらまだ子供。だけどあなたは私を好きになった。キャバ嬢と客の恋の話です。キャバ嬢は客のことがずっと好きでした。客は誰を指名する訳でもなく、ただ無理矢理、連れてこられているような感じでした。その無関心な客を自分の虜にしたそんな悪女の私の話。
福島県 きゃんさん/女性23歳
人間関係
ハジ→さんの歌をよく聴いています。歌詞がとても直球でいつも心に突き刺さります。人間関係というのも、私は小学校の時も中学校の時も高校の時もいじめにあっていました。何度も学校を辞めたいって思ったし、人間不信になって不登校にもなりました。家から1歩も出たくなくて引きこもりも経験したことがあります。社会に出てからもその恐怖が体に染み付いているのか新しい職場、誰も知らないとこに行くことなどが怖くて前に進めませんでした。もう過去のことなんだからいいじゃんって、終わったことじゃんって、何回も自分に言い聞かせても、ダメなものはダメですね。そんな私でも大丈夫って思いたいです。ちゃんとこの先に幸せが待っているって思いたいです。そんな私の経験を歌にしてくれたら、凄く嬉しいことに思います。ハジ→さん。よろしくお願いします。
長崎県 ささらさん/女性43歳
危険な恋
まるで、このタイトルが全てをものがたっています。作り話では、ありません。本当に実話で大切な思い出です。ある時、1人の同性と仲良くなり、初めは親友のように何をするにも 一緒で、でも2人は結婚もして子供もいて、子供達を交えて楽しく過ごしていました。しかし、ある時から親友ではなく、かけがえのない存在になって恋に落ちました。2人でいるのが楽しく、落ち着く存在になりました。しかし、それはあってはならない事と分かっていても、2人には止められませんでした。とても、とても、大切な人でした。でも、そんなかけがえのない時間も段々とすれ違い、私の気持ちが重すぎたのか、一緒にいる事が出来なくなりお別れする事になりました。わたしは、初めて人を本気で愛し、性別関係なく人としてかけがえのない存在に出会えて後悔はしていません。

別れはとてもとても、悲しく辛く這い上がることがなかなか出来ずもがき苦しみ自分を責めてこの世から居なくなりたくもなりました。でも、やっと少しずつ、前を見て進むことができるようになって、それでもその人の事が大切で、その人が今楽しく幸せに暮らしていってくれたら、それでいいと思えるようになりました。だって、どうあがいても一緒になることはお互いに家族がいるから出来ないし。相手の気持ちもあるから、自分の気持ちを押し付けても、相手が重たくなるだけ。それなら相手の幸せを願って見守るしか出来ないのです。

この人と、出会い楽しい時、喧嘩した時、また仲良くなった時、そして別れた時そして、這い上がって来た時、いつもハジ→の曲が私の近くにはいました。そして、助けてくれました。今後、こんな恋愛も経験もすることないし、あの人を思う気持ちはずっと変わりません。新しい恋をと思うかもしれませんが、それくらい初めて人に対して感じる思いでした。本当は、もっと壮絶で悲しく辛い事が沢山あって、なんども別れが来たりと苦しい思い悲しい思いをしてきましたがその度に、また元に戻ったりしてきた事があったりして最後に戻ることは出来ませんでした。あまりにも、重すぎてダメですよね。でも、こうして誰かに話すと言うか、書き込む事が出来て良かったです。いままで、誰にも言えず1人で抱えていたので!このような、機会を与えてくれてありがとうハジ→。これからも、ハジ→の側にいます。
埼玉県 エルモは天使さん/女性49歳
人生を考える
四年前、娘は高2でした。夏休みの登校日の朝、暑い日でした。バス停まで送ろうか?という私に、「大丈夫」と自転車で…「行ってきまーす」その20分後家の電話が鳴り、事故と…。救急車で搬送、急いで病院へ…。緊急手術…。その前に「声をかけて」と言われて会った娘は、変わり果てた姿…。泣くことしかできない私に「大丈夫」と。それから繰り返し手術…。あの日から全て変わってしまった…。でも、振り返ってばかりいられない。前へ進まなければ。だって救ってもらった命。私もずっと後悔している。あの日、なんで送って行かなかったのか…ずっと…きっとこれからもずっと…。
島根県 ゆなままさん/女性26歳
キモチを伝えたい
旦那とは保育園から一緒で、年はひとつ旦那が上。中学生の時、旦那は同級生の間で人気の先輩でした。その頃、自分には他に大好きな先輩がいて、どこがいいんだろーって思いなが見ていた。高校で離れ離れになり、会うこともなかった。そんな時に知り合いの先輩から、旦那がうちとメールしたいって言っていたから勝手にメアドを教えたと連絡があって。でもメールが来ることもなくて、自分から送ってみることに。でも、その時うちには付き合っている人がいて。それを知っていて、仲良くなった旦那が告白をしてくれました。答えは「ごめんなさい」と。それからもメールは続いて、旦那から2度目の告白。どんどんきもちが動いていって、付き合っていた人と別れて今の旦那と付き合うことに。

待ち合わせ場所はいつも公園。なにをするわけでもないけど、一緒にいられるだけでめちゃくちゃ幸せだったなー。いつも家の前まで送ってくれて。バイバイするのが寂しかった。高校生の時の自分は、髪も染めて母親とも対立して1番どん底だったかなー。そんな自分のことを旦那は心配して抱きしめながら涙を流していた。初めてだったんだー。自分のことで涙を流してくれた人。その時、この人を大事にしようって決めたんだ。そんな2人も、好き同士なのに別れました。悲しくて寂しくて泣いていたうちに友達が言ってくれたんだ!「もし、その人が運命の人なら絶対また会えるから」って。ずーっと涙が止まらなかったのに、その時、涙が止まって思ったんだ。絶対また会える!って。なんの根拠もなかったけど、自信があった。

それから数ヶ月、メールも一切せず、会うこともなかった。そんな時、男友達と帰っていた時、彼が車で横を通り過ぎて行ったんだ。違う!好きな人じゃない!勘違いされたら嫌だ!って思った。久しぶりに連絡をとって、旦那も彼氏が出来たと思っていたみたい。少しの間メールを続けて、今度は自分から告白。あなたからの答えは「俺じゃ幸せに出来ないかもしれない」だったね。でもね、大好きな人といられるのに幸せじゃないわけないじゃんって伝えて、想いは届いて、また付き合うことが出来ました。

いつも会っていた公園で待ち合わせ。久しぶりに会うあなたは少し大人になっていました。それからわたしも社会人になり、会うことも少なくなり、あなたからのメールは3日に一通。寂しかったんだ。あなたはなにかあるたびに、わたしじゃない女友達に相談してて、自分じゃなくていいじゃん?って思っちゃったんだ。私は別れを選んだ。でもね、その別れを告げる前にわたしのお腹の中に赤ちゃんがいることが分かったの。わたしは思ったんだ。きっと神様が一緒にいなさいって言っているんだなーって。それからわたしたちは結婚をしました。毎日一緒にいられる幸せ。この幸せがずーっと続きますようにって何度も願っていた。時が過ぎて、元気な女の子が生まれました。名前はあなたが決めてくれた。今は大きくなって、頼もしくなったよね。

そんなわたし達には結婚をしてから別れの危機もありました。すれ違い。あなたから別れを切り出された時、必死に一緒にいて欲しいって言ったよね。でももうだめなんだって分かっていた。だから「分かった」って言っちゃった。本心じゃないのに。でもそこから2人は変わった。お互い本音で話せたのがよかったのかなー。わたし達を繋げてくれたのがハジ→さんでした。「君と。」を一緒に聞いて、もう一緒にいることが出来ないって思っていたのに、一緒にLIVEにも行きました。「君と。」がわたし達を繋げてくれました。

きっとわたしといられるのは旦那だけで、旦那といれるのはわたしだけだと思う。たくさん苦しませてごめんね。我慢させてごめんね。でも、出会ってくれてありがとう。一緒にいてくれてありがとう。わたしはあなたが大好きです。あなたの気持ちがすこしずつ離れていっているのも気づいている。あなたの前では涙を堪えるのがいっぱいいっぱい。でもきっと、好きだから流れる涙。ただわたしがあなたの奥さんであるということ、それだけでわたしは嬉しい。安心出来る。また前のように笑顔で話せる日が訪れますように。心の底から願っています。それまでわたしは頑張ります。あなたといたいから。普通の家族のように、一緒に笑って一緒にお出かけして一緒に思い出を作る。そんな日常が訪れますように。
広島県 かなさん/女性21歳
気付いてほしい
私は職場の先輩に恋をしています。今年で働き出して3年目になるのですがその先輩が気になりだして2年半が経つと思います。「社内恋愛は無い」と口では言っているのですが、叶うのであれば好きな人と付き合いたいです。同期にも「好きな人が先輩だ」って言えるわけもないので心の奥に気持ちを秘めています。その先輩は私の担当している営業の人ではないのですが、お客様から聞いた注文を伝票に起こしてほしいと電話がかかってきます。電話にその先輩の名前が出た瞬間、かなりドキドキしてしまいます。電話を取ったら先輩が忙しくない限り他愛のない話をしていっつも笑わしてくれます。プライベートでも他の先輩とかと交えてよく遊んだりします。男の先輩2人と私と女の同級生とよく飲みに行きます。

その時、好きな先輩と同級生の子が他の子も交えて合コンしたと話していました。合コンに参加した女の子3人のうちの1人の子が「先輩の事を推している」と同級生の子が先輩に言うと「俺も気になっているけど、身長が高すぎて男としてのプライドが…」と言っていました。その言葉を聞いた瞬間、私はただの後輩でしかない、と改めて気付かされました。ただの後輩から特別な人になりたい。気持ちを伝えるとこれからが気まずくなると思ってしまいなかなか勇気が出ません。仕事の事があるので諦めようと思っているので叶わない恋の曲を書いてもらいたいです。よろしくお願いします。
長崎県 みーちゃんさん/女性26歳
うれしい・たのしい
ずっと仲の悪かった私たち姉妹。学生時代も社会人になってからも全然打ち解けることなく日々がすぎて。妹のあなたが、子供が出来て結婚するって知った時は少し複雑で。あー先越されちゃった。まあでも関係ないしとか思っていた。そんな風に思っていたのに、お腹が大きくなったあなたを見たときなぜか涙が溢れてきた。今まで喧嘩しかしてこなかったし、仲が良い姉妹でもなかったのに初めて愛しい、可愛いって思えたの。一生懸命堪えようと思っていたのに涙が止まることはなくて、泣いているのを隠すのに必死になったなー。子供が産まれて初めて姪っ子をだっこした時、あーこんなにも小さくて可愛くて、生まれてきてくれてありがとうって本当に思えた。それからは喧嘩もちょこちょこするけど、姪っ子LOVEな私に呆れるあなた(笑)。姪っ子も可愛いけどあなたのことも可愛くて、今まで仲悪かったのが嘘みたいに一緒に旅行したり温泉に行ったり、姪っ子は本当に私たちの関係を変えてくれたね。これからもたくさん旅行したり遊びに行ったりできたらいいなー!
福岡県 みかぷーさん/女性35歳
ありがとう
お父さんが天国へ行って、もう10年たちました。凄く凄く悲しくて泣き崩れたけど、それから、瑠璃と言う大切な宝が誕生しましたよ。あの時、結婚出来ないワケをお父さんのせいにしてごめんね。凄く凄くお父さんが大好き過ぎて心配だったんだよね。今まで色々大変な事、苦労してきたけど、今は凄く幸せだよ。シングルファーザーで私を大事に育ててくれて、色々な人と出会って感謝でいっぱい。なんだか照れくさくて伝えられなかったけど、お父さん大好きだよ。お父さんがいつも言ってくれていた言葉「みかはみかのままで、人に感謝の気持ち忘れずに」瑠璃にも伝えているよ。大切なタカラモノと言う意味を込めて瑠璃と名付けました。これからも、お父さんの「感謝の気持ち忘れずに」って言葉を胸に、私は頑張るよ。ありがとう。たくさんのありがとう。
福岡県 松永悠生さん/男性23歳
人生を考える
自分は、セクシャルマイノリティーです。女として生まれてきたけれど、女として生きているけれど。自分を女とは思えなくて、男になりたいなーって思っている。好きな人はいつも隣にいた友達や先輩。カミングアウトする事もできず、好きだって事も伝えられず…。生きている事が辛くなって。容姿だけは、かっこよくなれるように頑張った! ボーイッシュやな!って言ってもらえると嬉しかった。反面、女男って言われたりもした。トイレや温泉は入らなくなった。生きるのが本当に辛かった。

なんで男じゃないんやーって泣きまくって。死にたいって何度も思った。自分が生きたいように生きていけないこの人生が嫌になった。その時の応援歌は、ハジ→の「人生は素晴らしい物語。」だった。ほんと、ハジ→だけが心の支えだった。けれど、そんな時に同じセクシャルマイノリティーの人に会って、その人を好きになって、その人に会いにいった。旅行も行った。付き合う事はしなかったけれど、これからも、生きてみよう!って思った。自分の人生は人にどうこう言われるだけじゃなくて、自分の為にも楽しんでみようかなーって思った!!まだ、生き方は見つかってないけど。いつか、隣にいてくれる愛方を見つけるのです!
東京都 ほっしーさん/女性27歳
人生を考える
幼稚園の頃、自分より大きなカバンをもって塾に通った。褒められるのが嬉しかった。小学生の頃、習い事や塾に通う日々で遊びに行きたくて塾をサボった。親や先生が怒るようになった。成績が悪くなって、高校進級できず退学。親は泣いていた。勉強の仕方がわからずどうしたらいいのかわからなくて、毎日泣いて、孤立するようになった。どうやって人と話すのかもわからず、通信で高校だけは卒業して役者になろうと東京に出て来た。なにもかもが中途半端。夢も叶えられずにバイト先でも人と話せず悪口を言われる日々。演技も下手くそで笑い者。どんどん前が見えなくなった。必死で自分の場所をつくろうとした。泣いたって怒ったってひとりぼっち。親からも離れて友達にも裏切られて、学歴もないから就職だってつまらない、生きている心地がしない。

でも、そのままじゃかわらない。だから嫌な仕事もした。人にも好かれるように夜の仕事もした。そうしたら人と向き合えるようになった。過去ひどい悪口を言われていじめられながら仕事をしていた時に、支えてくれた人がいた。その人と仕事ができるように夢を持った。粘り強く生きていればみてくれる人もいる。いまは夢だった仕事をして、人と向き合う営業として働いている。昔じゃ考えられない。いいことばかりじゃないけど前を向けている。人生を振り返ると、親にこんなこと言えたもんじゃないけど感謝してまいす。バカだし、喜怒哀楽はげしいけど、昔よりは前進できたなって思っています。これが歌になればいいなぁ。今だめだなって、生きたくないなって、思っている若い子達にも「人生辛いことだらけだけど、みてくれてる人はいるよ」って「自分を信じてほしい」って伝えたいです。
山形県 莉帆さん/女性25歳
ありがとう
私はおじいちゃんっ子でした。そんなじいちゃんが治らない病気にかかりました。その病気はどんどん進行し、歩く事ができなくなり、表情が変わり、最後は呼吸器を付けないと息ができなくなり、寝たきりになりました。学校に迎えに来てくれる婆ちゃんは、帰りにいつも病院により、入院しているじいちゃんの髭を剃ったり、顔を拭いたりをするのが日課でした。最初の頃は私も車を降りて顔を見に行っていましたが、途中から車で待つようになりました。どうせ病室にいっても会話をするわけでもなく、意味がないと思っていたからです。反抗期的でもあったのかもしれません。呼吸器をつけ喋れず、顔つきも変わり、弱々しくなったじいちゃんを私は受け入れることが出来ませんでした。

小さい頃からどこへ行くにもついて行き、お風呂も寝る時も一緒でした。じいちゃんにとって私は初孫で、とても可愛がられたと皆が口を揃えて教えます。もちろん可愛がられているのは自分でも凄くわかりました。小さい頃にお祭りに連れて行ってもらい、金魚すくいが大好きだった私の為に何度もやらせてくれたり。ねだられてとダメと言えず何個もおもちゃを買ってくれたり。凄く甘やかしてくれました。そんな大好きなじいちゃんが弱っていく姿をみながらきつく当たった日があります。まだ、寝たきりになる前にデイサービスから帰ってきたじいちゃんに「こっち(茶の間)に来ないで部屋に行け」と最低な事を言いました。あの時のじいちゃんの顔はいまでも鮮明に覚えています。どうしてあんな事を言ってしまったのか、なぜおかえりと言ってあげなかったのか、凄く後悔しています。

じいちゃんはその後亡くなりました。ありがとうも、ごめんねも、言わずただ泣いていた私。後悔してもしきれない日々です。きっと天国から見守っていてくれると信じながら暮らしています。今じいちゃんはどんな気持ちなのか、あの時はごめんね、じいちゃんが大好きだった、という気持ちをどうか歌詞にして天国に届けたいです。
埼玉県 こおだいさん/男性22歳
人生を考える
小学校の時から夢だった漁師。16歳になり、1年生の専門高校に行くため埼玉から静岡に。最初は不安と希望やら夢を見て、学校が厳しくても頑張って乗り越えて、なんとか卒業。パパ、ママ、兄弟、友達に「魚送ってくれよ、頑張れよ!」と応援され、念願の漁師になりました。最初はみんな優しくて、怒られても頑張れていました。でもひと月経過したある日、先輩にイジメを受けた。最初は踏ん張れましたけど、まだ17歳の僕にはなかなか厳しいものでそこで初めて挫折しました。漁師を辞めて、のこのこ実家に帰ることもできずに、当時付き合っていた彼女がいる名古屋に行きました。最初は彼女の家に泊まれたりできましたが、彼女の両親から「実家に帰りなさい」と言われ。彼女の家も泊まれなくなり、そこで初めてのホームレスに。公園で寝ながらの生活。お風呂は近くのイカツイ人たちがたくさんいる銭湯に。仕事は日雇いの仕事をやっていました。

そんな暮らしをして2ヶ月経ったある日、いつものように着替えが入っているバッグを公園の物置の上に置き仕事に。そして仕事から帰ってくるとバッグが無いのです。え?とおもい探したらおじさんが近づいてきて「もしかしてバッグを、探しているの?」と聞かれたので、はい!と答えたら「それならワシが警察に届けた」と言われ、警察署に。警察署に着き、事情を説明すると落し物がある部屋にいき、自分のバッグを見つけた。これです!と警察官に言うと「わかりました、身分証明書だけ確認していい?」と言われ渡すと、警察官が渋い顔をして「ちょっと君いい?」といわれ取調室へ。なんですか?と聞くと、いいからこの部屋で待っていてと言われ。黙って座ることに。

3時間くらいして、警察官の声がした。「お母さん、こちらです!」そうして現れたのが僕のお母さんでした。そう、埼玉から名古屋まで飛んできたのです。話を聞いたところ。僕には捜索届けが出されていたみたいでした。お母さんにごめん!と謝りました。そして事情を説明すると怒ることもなく。一言「良かったよ、無事で」半泣き笑いで言われました。そして、家に帰ってお父さんに謝りに行こうと言われ。本当は地元なんて帰れないしみんなに合わす顔がなかった。けれどこれ以上母を辛い想いをさせる訳にもいかず、帰ることになりました。これが自分が経験した。人生の挫折、後悔、失敗です!
福島県 ゆらん→さん/女性17歳
失くした恋
中1の頃から2個上の先輩に一目惚れしていてその人は彼女がいた。彼女はよく保健室に来ていてその先輩は毎日迎えに来ていた。ちょっとでも先輩を見たくて放課後、部活が始まる前に保健室に通っていた。しかしTwitterでは繋がっていた。中3の夏クラスのみんなで球技大会の練習をしに、近くの体育館に行った。そしたらバスケ部だったその先輩が隣のコートでバスケしていた。それで奇跡の再会だった。話したこともないし見たことあるだけTwitterを知っているだけ。でも好きすぎて、我慢出来なくて、友達を無理やり連れて挨拶しに行った。その日から連絡を取るようになって、バスケの試合を応援しに行ったりしていた。

高校に入った。学校も違うしあっちは2個上だから高3。クリスマスの日、彼女ができたって言われた。だけどその時はぞっこんで、なんとも思わず、ずっと好きだった。1ヶ月後、先輩は別れちゃった。私はやっぱりずっと好きで、バレンタインを渡しに行ったら、誕生日が2月1日だからってプレゼントを用意してくれていた。先輩は卒業だ。もう社会人。そりゃ会う機会もなくなるし、諦めようとしていたけど全然諦められなかった。学校にも迎えきてもらったり、部活が終わったあと遊んだり、ドライブ行ったり、付き合ってないのに手繋いだりもした。すごく嬉しくて幸せだった

けどある日「告られた」ってLINEが入っていた。意味わかんなくて悲しくてわかんなくなって喧嘩した。それで直接話そうって、会って話した。その人とは高校も同じで「最近ご飯にも行っていて、幸せにしたいって思える人だから俺は付き合う。お前の気持ちわかっていたのにごめん。今まで通り普通に接するから」って言われた。絶対叶わないってわかっていた。しかもあたしの気持ちを知っていた。だから余計辛かった。あっちに彼女ができてもずっと好きだった。先輩の幸せそうな写真を見る度に辛くなるし、進めなくなるだけ。こんな想いするなら恋もしたくなかった。後悔していた。でも、1人になるとやっぱり好きだなって思うし、写真も消せなくて見ちゃうし、好きになってよかったって思える人だった。このままじゃダメだって思って先輩に「もう終わりにしましょう」って言った。最後の最後に会おうって、最後のお別れをした。今は楽しかった思い出も辛かった思い出も全部あたしの経験になった。約4年間の片想い、楽しかった
愛媛県 こっちゃんさん/男性25歳
キモチを伝えたい
凄く好きな人と結婚することが出来たんですけど、周りの環境と相手の気持ちに寄り添う事が出来ず、たった1年で離婚しました。その後、色々な人と出会ったんですけど、どこかそのかつての好きな人を探してしまいます。自分は結婚が出来てからもの凄く幸せでしたが、相手は幸せを感じてくれていたのか分からないんですよね。少しの間でしたが、相手も幸せやったらどんだけ嬉しいかと考えています。なので、自分はあなたと出逢えて幸せでした、あなたは幸せでしたかと伝えたいです。
長崎県 みぃちゃん☆さん/女性19歳
気付いてほしい
初めてTくんに会ったのは去年の夏。バイト終わりに遊んだのがきっかけで、何回か遊ぶたびに、気持ちが惹かれていって。だけど、相手は彼女と別れたばかりで「彼女は作らない」ってずっと言われていた。それでも、お互い仕事が終わったら、ほぼ毎日会うようになって夜まで遊んでいた。けど、私がバイトを辞めて美容室で正社員として働き始める日に「今日から仕事頑張ってね!」って朝から電話があって、その日を境に連絡がほぼ取れなくなって、会うこともなくなった。でも、自分は相手のことが好きで、連絡くるのをずっと待って。1ヶ月半ぐらいたった時に1本の電話がかかってきた。今までなんで連絡無かったかとか、いろんな話を聞いて、次の日久々に会うことになって、相手が仕事だったから現場にお弁当作って持って行った。お昼はすぐバイバイしたけど、夜にまた会って2人で焼肉食べに行って、ダーツしに行って、そこからまたちょこちょこ会うようになった。

その中でもTくんを好きだって言う女の子が何人かいてライバルは沢山でした。そんな中12月になって私がTくんの家に泊まりに行ったことがきっかけで、私がTくんの事を好きってことがばれた。それからも何回か泊まりに行ったりしているけど、まだ付き合えていません。Tくんに好きってことがバレたその日から5ヶ月たった今、最近Tくんが昔好きだった人とたまたま飲み屋で会って、Tくんは昔の感情が出てきたのかその女の人が気になるみたいで。だけど、私の事も気になるみたいで。Tくんはものすごく悩んでいるみたいです。叶うように頑張りたいですが、半年以上、私はTくんの事が好きで、今も好きで思いの届かない恋愛をしています。
京都府 ティムタムさん/女性18歳
気付いてほしい
私は喫茶店でアルバイトしている大学1年生です。そしてバイト先に、同じ時期に入った11歳年上の社員の男性の先輩がいます。私とその先輩は、初めはよそよそしかったけど、連絡先を交換してから、ぐっと仲良くなりました。先輩とは映画の趣味やノリも合い、いつしか少し好きになっていました。つい何週間か前、LINEで「遊園地に一緒に行こう」って誘われました。先輩は、私が、昔から遊園地が好きっていう話をよくしているのを知っていたから、せっかくUSJに行くなら私と行きたいと言って誘ってくれました。それを聞いて、私はスマホの画面の前で足をバタバタさせて喜びました。無意識に笑顔になりました。(遊園地は来月行くことに決定しました!)

でも、11歳も離れていて、きっと私は先輩にとって妹みたいなものでしかなく、これもデートではないのかなって考えたりしました。そんな風に色々考えていると、ある日のバイト中、先輩が私より先に仕事を上がるのでちょっと寂しそうにしていると、私の頭をよしよしって撫でて、「がんばれー!」ってしてくれました。先輩のそんな思わせぶりな態度にムカつきつつも、頭に残った感触が心地よくて、もう一度自分で自分の頭を撫でてみたりしました。笑 まだまだ私は半人前で、歳も18歳とまだ子供。でも先輩は仕事も一人前の、29歳の大人。もどかしいけど、年の差の壁に戸惑ってなかなか気持ちを伝えられずにいる、そんな今日この頃です。
広島県 Yさん/女性33歳
気付いてほしい
私が片思いをしていたときのエピソードです。それは中学校の時に好きになったひと。そのひとは、頭もいいし、スポーツ万能で、人気トップ3には入るぐらいでした。同級生に「私Sくんが好きなんだ」って話したら、ある日お昼休みに、学校の歩道橋の上で、大声でその子が「Yちゃんは、Sくんが好きなんだってぇ!」と。そのとき、そのSくんは、歩道橋の真下にいたんです。恥ずかしくて忘れられない思い出。でもそんな、数日後、Sくんと廊下をすれ違うとき、小声で「俺も」って、聞こえました。嘘かと思ってそれだけでどきどきしました。だけどその後、S君は、別の学校になってしまい初の片思いは終わりました。
大阪府 ありちゃんまんさん/女性24歳
君のためなら
いつもハジ→さんの歌を聞いて励まされています (^^)!私の彼は父子家庭でした。父親が病気になり、私が出会った時にはお父さんは亡くなっていました。彼は15歳の頃からお父さんの介護をしていました。私は彼の辛さ、寂しさ、悲しさ、分かってあげる事が出来ません。どれだけ努力をしてもあの時の彼の涙を、私が汲み取る事は出来ないのが歯がゆいです。ただ、私はずっと彼のそばで彼の隣でずっと笑わせてあげたいって思います。彼の中に抱えた闇も彼の努力も、私は、この先も一緒に抱えていきたいと思っています。直接は恥ずかしくて言えないですが、彼がお父さんを大切に思う気持ちは今でも私は分かります。ハジ→さんの歌の力を借りて、私達は前に進んで一緒に幸せになりたいと思っています。

彼は私に「俺が大切な物を大切にしてくれる事が嬉しい」と言います。私は彼が守ってきたもの、大切にしてきたもの。ずっと守っていきたいです。ずっと、ずっと、彼のそばで守る。なんて強気な事は言えませんが、ずっと笑って笑顔でどんな事も乗り越えていきたいと思っています。彼がたまに話してくれるお父さんの話。それが私は楽しくて嬉しいです。お父さんに手を合わせた時、お父さんに彼は一生守っていくと誓いました。彼をもう1人にはしません。彼をもう寂しくはさせません。最近、私が病気になり、心配をかけています。ただ、私は絶対に彼から離れたくないので頑張っています。彼と出会えた事、お父さんが出会わせてくれた宝物だと思っています。私に託してくれたのだと思っています。私は彼を一生幸せにします。不器用で照れ屋な彼だからこそ、直接は言えませんが私とお父さんの約束です!私と彼に一緒に幸せになる力をください!
香川県 すずかさん/女性18歳
気付いてほしい
高2の夏に好きになった人がいます。2年間、同じクラスで、何度か席が近くなって仲良くなって、けど素直になれなくて。私も性格的にサバサバしているから、普通の友達にしか見られていなかったのかなって思います。だんだん席も離れて話さなくなりました。それでも好きで、バレンタイン、帰っているあの人を追いかけて靴箱で渡したり。体育祭、目で追ったり盗撮したり。そして高3の卒業式。勇気を出して話しかけて、写真を一緒に撮ってもらいました。その後、電車で帰っているとあの人は友達と一緒にいて、私より先に電車を降りました。私は電車のドアの前に立っていて、前を通る時に小さく手を振ってくれました。びっくりしたけど、私も小さく手を振りました。それから私は就職してあの人は専門学校いって、全然会わなくなりました。今でも好きです。でも言えない、自信が無い、会いたい。この想いを届けたいです。
滋賀県 ちょもなんさん/女性26歳
気付いてほしい
彼とは、約1年弱、付き合っていたけど、別れることになってしまいました。理由は、彼にしか分からないまま。別れてから、お互いに彼氏彼女ができたけど、私は彼の事忘れられなくて彼と付き合っていた幸せな日々を思い出して、新しく付き合った彼とは別れました。ある日、彼から連絡が来て遊ぶことになる。久しぶりに彼と電話で話すことがあって気づいたら何時間も電話していました。何回か遊ぶようになったり、ご飯に行ったり、お互いファンのハジ→さんのLiveを見に行ったりしているうちに、私には、好きって気持ちが再び出てきて、思い切って戻りたいって気持ち伝えたけど、気持ちは届かないまま。別れてから2年経つけど、復縁したい私がいる。ハジ→さん、是非是非歌にしてほしいです!ハジ→さんから勇気を貰って、また気持ちに伝えてみたいです(´∀`*)
和歌山県 たっちさん/男性17歳
キモチを伝えたい
話したことも無いMのことを、席替えで近くになってからだんだん好きになった。たまたま投げた消しカスがMに当たってそれがきっかけで話すようになって。授業中に紙くずでキャッチボールするようになって。休み時間も2人でいる時間が増えて。毎日毎日寝落ちでラインして、たまに電話して。お互い好きなのはわかっているのに、なかなか気持ちを伝えきれずにいて。でもある日、練習終わりに忘れ物を取りに教室に戻ったら、文化祭の用意をしているMとMの友達がいた。僕が教室に入った瞬間に、Mの友達がみんな廊下に出て行って、告白できる雰囲気を作ってくれて。それでもなかなか気持ちを伝えられなかったけど、1時間かけてMに想いを伝えられて付き合うことができて、みんなの前で抱きしめることができました。
埼玉県 いっちゃんさん/女性23歳
人生を考える
幼い頃に両親が離婚し、わたしは父親の方について行ったのですが、父親もダメな父親で何度も再婚を繰り返し、結局わたしを育てられず児童養護施設へ。大人を、人間を、信じられなくなった私でした。何に関しても投げやりで、どうでもいいと思っていた毎日。そんな中で児童養護施設の一人の先生と出会い、もう一度人を信じること、生きることの意味を噛み締めました。今はその人みたいな保育士になりたいと思い、資格を取り、夢だった保育士になりました。児童養護施設には中学卒業まで。その後は祖父母の家で暮らしています。そんなわたしをここまで育ててくれた、もう一度人を信じさせてくれた、周りのみんなに感謝してます。
静岡県 SIRENさん/女性23歳
君のためなら
ハジ→さん長文失礼します。私は彼氏と遠距離恋愛をしています。出会ったのはSNSで、もう7年前のことになります。でも会ったことは1度もありません…。普通の考えなら、そんなの付き合っていると言えないのは分かっているんです。でも不思議な話…夢の中で会ったことがあるんです。私が人生に悩みを抱えていた時に、彼が支えてくれて。彼と私は家庭環境が良いとは決して言えなくて、私は一人で生きていく、誰も信じないと思っていたのに彼と話していると、初めて弱さも晒け出せて、そして初めて知り合った気がしなくて、久しぶりと言えるくらい心地良くて…。彼となら、幸せになりたい、温かい家庭を持ちたいと初めて思いました。彼は私との未来を考えて婚約指輪もくれました。それでも彼氏の仕事は忙しくて会えなくて、何度も挫折しかけて別れようと思いました。でも彼氏は私に歌を書いてくれたり。私を言葉で支えてくれたり。そんな彼を…私は信じていこう、一生ついて行こう、そう思います。周りにはこの恋愛を反対されますが、私はもう一生添い遂げると心に決めた。いつもありがとう。我が儘でネガティブになりやすい私にいつも呆れずにいてくれる彼に、いつも私のことを歌や詩にして書いてくれる彼に、ありがとうと、愛していると、歌にしてほしいです。
福島県 ころさん/女性24歳
危険な恋
君と出会ったのは3年前。私は旦那がいて子供もいた。その時は、君のことなんとも思ってなかった。私は旦那とうまくいってなくて1年も経たずに離婚をした。そしてこの3年、君と連絡も取らなければ会いもしなかった。でも3年経った今、また出会い、今度は連絡を取るようになった。あなたはもう結婚していた。それでも、連絡を重ねていくうちに、気になり始めていつの間にか好きになった。私には子供もいて、あなたにも子供もいた。叶わないってわかっていた。好きになっちゃいけない人なんだってわかっていたのに、気持ちは止まらなかった。いつの間にかお互い好きになってしまって、あなたは「離婚するかは待っていてね」って言ってくれたね。なんか複雑だけどすごく嬉しかった。今はとても幸せです。出会ってくれてありがとう。好きになってくれてありがとう。私を選んでくれてありがとう。これからもずっとあなたについていきますって気持ちで毎日、頑張っています。
福岡県 ちささん/女性26歳
気付いてほしい
会社の忘年会で、初めて普通に話したら、少し切ない気持ちになって、私はあまり飲めない お酒を沢山飲んだ。 次の日、会社の中で2人きりになった時に 「あの後大丈夫だった?と心配してくれた。私は「大丈夫でしたよ」 としか言えないで、目も合わせられなかった。 「どうして俺と話すときそんな顔をするの?」と話しかけてくれた時もあった。私は「貴方が好きだから」と言えないで、心が苦しくなった。 だけど私はいつかきっとこの気持ちを伝えたいと思う。どうやって伝えたら良いのか、ずっと考えてしまう自分のことが嫌い。この気持ちをハジ→さんにもっと切なく歌って欲しいです。
福島県 マッチーさん/男性20歳
君のためなら
俺には今、付き合っている彼女がいます。高校3年から付き合っていて、今年で3年目の記念日です。高校は別です。知り合ったのはツイキャスで、初めてのデートはカラオケでした。駅からカラオケに向かう時、お互いなかなか目を合わせられず離れて歩いていました。彼女はマスクをして来ました。俺達は会ったのは初めてでしたが、TwitterのDMで絡んでLINE交換して話していてめっちゃ好きになりました。キスする前に、俺は彼女のしているマスクを引っ張って遊んでいました。もー彼女が可愛すぎて、俺は我慢ができなくなり彼女の唇にキスをしてしまいました。キスする瞬間はめっちゃ恥ずかしくなって顔が真っ赤っかになって大変でした。

カラオケが終わり「それじゃー帰ろっか」ってなって、帰る時は来る時とは違ってお互いに恋人繋ぎで手を繋いで駅まで帰りました。でも辛いのは駅ついてから。帰る方向が違うため、電車が違うので別れが来なきゃいいのにって思いました。一緒にいた時間が楽しすぎて別れが辛く、本当に本当に帰りたくなかったです。だが、時間は待ってくれず……刻々と過ぎていってしまいました。そして駅のホームが違うから、繋いでいた手を離さなきゃいけない時が来ました。俺はやってきた電車に乗り、彼女のいるホームを見ました。彼女が見え、俺は手を振りました。彼女も大きく手を振り返してくれました。

そして、俺はその帰りの電車の中で彼女に告白の文を送りました。(本当はその場で告白すれば良かった。) 彼女からの返信はOKでした。それから彼女とは電話できる日には毎日しています。次会える日が楽しみでしょーがなかったです。ちなみに記念日は2015年12月12日です。いちにいちにの日なのでこれからも2人でコツコツと頑張っていきたいです。このままずっと一緒に居続けて、結婚し、子供に恵まれ家族で幸せになりたいと思います。P.S. 8月4日のハジ→の日に水戸のLIVEに参戦します!
鹿児島県 yuーchanさん/男性20歳
うれしい・たのしい
自分は、付き合って5年になる彼女がいます!彼女との出会いは、高校1年生のとき。席が前後で、授業中にこっそり答えを教えたりして、そこから話すようになり自分から告白しました!次の日は、とても緊張したのを覚えています!喧嘩も沢山したし、旅行とかもたくさん行ったし、自分の好きなことも好きになってくれたりしました!そして、やっと5年目で同棲を始め予定では、来年結婚予定です!最初のデートは、水族館で手を繋ぐのもとても緊張したのを覚えています!なので、彼女とのいろんな思い出を曲にして結婚式で流したりしたいのでよろしくお願いします!
大阪府 なーみさん/女性18歳
うれしい・たのしい
私には付き合って4年になる彼氏がいます。中学2年生の夏に出会って、お祭りの日にわたしから想いを伝えて、付き合いがハジまりました。中学3年生の高校受験を2人で乗り越え、高校になったら別れるかもしれんなって言いながらもいま高校3年生です。そして、いま大学受験を控えています。私たちが別れることなく続けてこられたのは、彼氏の優しさがあったからです。ほんまに感謝しています。私はすぐに怒ってしまって喧嘩になることがとても多かったです。けど最近減ったのは彼が怒らずに気持ちを抑えてくれていたからやって気づいたとき、申し訳ない気持ちと嬉しい気持ちで複雑になりました。そして、もう一つ気づいたことは、彼の隣にいるだけで心から笑顔になれることです。嫌なことがあってもケンカした後でも彼の顔を見ると自然と笑顔になることができます。彼と出会えてほんまによかったです。心から感謝しているしずっと一緒に未来を生きていきたいです。
愛知県 みゆ→かんなさん/女性34歳
ありがとう
2017年10月に娘を出産しました。妊娠してから出産まで初めての事ばかりで毎日戸惑っていました。もちろん、娘が7ヶ月になった今も初めての連続です。出産するまでは母親との意見の相違が多く、仲がいいという感じではありませんでした。しかし、自分が娘を出産して、今まで大切に想っていてくれたこと、たくさんの愛で育ててくれた事を実感しました。

毎年母の日には花を贈っています。今年ももちろん花を贈りましたが、どうしてもきちんとありがとうを伝えたかった。でも面と向かっては照れくさくて言えなかったので、メールで伝えました。「私を産んでくれてありがとう」と。母からは、メールありがとう。すっごく嬉しかったと言われました。初めてきちんとありがとうを言うことができ、自分自身も幸せな気持ちになれました。

「あなた。」「おやじ。」を聴くと涙が止まりません。伝える側と、伝えられる側の両方の気持ちが分かったからこそ、「ありがとう」は「有り難う」なんだなぁと実感しました。娘にはありがとうがきちんと言える子に育ってほしい。そのためには娘にいっぱいありがとうを伝えます!
大分県 後輩。さん/男性14歳
キモチを伝えたい
僕は今、中学3年。吹奏楽をしていた。好きな部活の先輩がいた。一つ上の。部活が一緒だから毎日会っていた。俺がしつこく先輩が帰るときについていっていたら、いつのまにか毎日先輩と帰っていた。部活で困ったことがあったら先輩が助けてくれた。気づいたら先輩が好きになっていた。好きになったのは中1の夏。好きって気持ちを伝えたかった。でも根性なしの俺は伝えられなかった。先輩と二人で海に遊びに行ったりした。先輩と話すために学校に行っている感じだった。中2の夏。好きな人に話してもらえなくなった。理由は1つあった。俺が先輩と話したくてしつこかったからだ。泣くほど反省した。好きな先輩と仲がいい先輩が教えてくれた。俺が先輩のことが好きなのは知っている。でも先輩は俺のことが嫌いってことを。悔しくて泣いた。いっぱい泣いた。先輩最後の部活の日。先輩は笑顔で俺に話しかけてくれた。とても嬉しかった。死ぬほど嬉しかった。先輩が部活を引退してからは全く話してなかった。好きという気持ちを伝えられず先輩の卒業式を迎えた。卒業式が終わった後、友達に先輩を呼んでもらい告白をした。好きです。小さい声だったけど気持ちは伝わった。ごめんなさい。って言われた。泣いた。泣いた。先輩は無事高校に合格し高校生になった。LINEを交換し少し話した。半年ほど話してなかったからとても新鮮な感じがした。叶わなかった恋。中3になった今でも先輩のことが好きです。
長崎県 kayoさん/女性25歳
ありがとう
私が生まれて25年。25年前、母のお腹の中でへその緒が首に巻きついていた事で上手く育ちきれず未熟児だった。それに、呼吸ができず、いつ死んでもおかしくない状態だった。でも、そんな私を必死でお腹を切ってまで産んでくれた母。私を無事に産んで欲しいと医者に怒りをあらわにした父。そんな両親の苦労や想いも知らず、学校でも人付き合いがうまく行かず、自暴自棄になって消えたいとまで親に言った。そんな時、本気で私の頬を叩いた母。「お前の帰る家、味方はここに居るんだ」と諭すように言ってくれた父。そんな両親の愛情を受けて育った私は、父と母のように共に歩んで行くパートナーを見つけ、新たな命を授かろうとしています。私も今だからこそ子どもが生まれたら、どんなに辛いことがあっても幸せな未来が必ず待っている。あなたの味方になる人が必ず待っているということを伝えたい。今だから言えるよ。お父さん、お母さん、こんな私を必死に産んで、必死に育ててくれてありがとう。今でも反抗して素直に言えないけど、誰よりも伝えたい一番の気持ち。大好きだよ。
新潟県 あーぽんさん/女性18歳
危険な恋
私には好きな人がいます。それは12歳も年上の人です。特にこれといった才能や知識はない人ですが、とても魅力的で心が奪われてしまいました。その人はたまにライブハウスでライブを行っています。歌は下手くそだけど癒されてうっとりしてしまいます。でも、12歳も年上の人が好きなんて友達には言えずいつも「いない」と、言い切っています。親にももちろん言えません。片思いをして約3年です。初めは全然興味がなく何にも接点はありませんでした。ですが今では、彼は私のことを認知してくれています。それがわかった時はとても嬉しかったのですが、やはり叶わぬ恋だと思っています。12歳も年上の人、そんな人にずっと惚れ込んでいる私はとても変わり者なんだと思いました。恋をしてはいけない人に恋をしてしまった、世界はとても残酷なんですね。
福岡県 まっちょんさん/女性22歳
人生を考える
私の家族はみんなバレーボールをしている。父は強いチームのコーチや監督をしていた。私も小学校二年生からバレーを始めた。2つ歳上の姉もバレーをしていた。姉は身長も高く、上手であった。中学に入った時から姉は注目選手であり、選抜の選手にも選ばれていた。それに比べて私は、注目されるような選手ではなかった。でも、「橋本の妹」ということでは注目されていた。どこにいっても「橋本の妹」として見られて、見比べられていた。姉は高校を決める際も10校ほどから特待の推薦が来ていた。高校も全国大会に出場する強豪チームにはいった。私は比較されることがすごく嫌でもうバレーボールをやめようと思った。でも、唯一親が楽しみにしていることは娘2人のバレーボールだった。県外に出たため、私が高校に入った時には知っている人からは「橋本の妹」と見られていたが、中学ほどではなかった。しかし、親の期待もあったため常に期待に応えないといけない。という使命感にあった。実際にとても辛かった。特に何か言われたわけでもないがバレーをして、比較されているのがすごく重く辛かった。

私は高校でバレーをするとなっても、あまり気持ちが入らなかった。何もかもうまくこなせる姉に憧れていたこともあった。そのため、高校では何もかもうまくしようと変に頑張っていた。なんのために誰のために頑張っているのかわからない時もあった。終いには、監督に「どこでもできるが輝く場所がない。ただの器用貧乏」と言われた。しかし、監督は私がずっと考えていたことをわかってくれていた。ある日監督は私に言ってくれた。「お前はお前のいいところがある。たしかにお姉ちゃんはすごいかもしれない。でもお前はお前。自分らしく自分なりに頑張ればいい」と。この言葉で私は救われた気がした。高校ではそれから私らしくいられた。自分の得意なことを見つけてがんばろうと思うことができた。県大会までしか行けなかったが県大会で勝ったとき相手のチームの監督には、「あなたのせいで私のチームは負けた。すごかったよ」と、今までで一番の褒め言葉をいただいた。私の一番輝けた時だった。

大学では姉が県内の強い大学に入ったため試合で会うことが度々あった。私は決して強くない大学のチームに所属していた。試合で、姉のチームが審判をすることがあった。もちろん私が妹であることはみんな知っていた。大学でも姉は注目されていたため、私は「かっこ悪い、下手な姿見せないようにしなくては。姉の恥をかかせないようにしなくては」と試合で考えてしまい、うまく身体が動かなかった。実際にどんな気持ちだったのかだけで試合の内容は記憶があまりない。母や父は大学のときには姉の応援で県外に飛び回っていた。私の試合よりもちろん姉を優先した。でも私も「見に来て」ということもできなかった。下手な恥ずかしい姿を見られたくなく、「見にこなくていいよ」と何度も言った。ずっと応援してくれた親に酷いこと言ったな、とも思った。

バレーをやめてから、辛かったという気持ちは少し楽になった。でも、だれかと比較されることを常に気にしてしまう人間になってしまった。誰のせいでもない。自分が弱いだけなんだと思った。どうしたら私は私らしくいられるのだろう。どうしたら自分に勝てるんだろうって、今でも思っている。
長野県 ゆか。さん/女性27歳
うれしい・たのしい
3年前から今日までのお話。当時、片思いしていた相手がいました。長い長い片思いでした。私は短大、彼は大学。同じ学校での出逢いでした。短大と大学で違う校舎で普通に過ごしていたら出会うはずのない二人。フットサルサークルで出逢うことができました。第一印象はお互い◎ ノリがよくてちょっとチャラくて、でも優しくて笑顔が素敵で、誰からも好かれる感じに惹かれていたんです。その時は私が付き合っている人がいて、彼はフリーだったみたい。当時は長く付き合っている彼女がいると思い込んでいた!笑。卒業するまではただのサークル仲間。でもこのときからきっと私は好意を持っていました。

頻繁に遊ぶようになったのはお互い卒業して社会人になってから。二人でカラオケに行ったり、夜ドライブしたり、ご飯行ったり。この頃、私は遠距離していた人と別れた。でも、彼は付き合っている人がいました。それでも遊びました。←いけないやつ。彼といるときの居心地はダントツで。。居心地の良さは誰よりも最高でした。彼女がいるのに遊びに誘ってくれて、それにのっちゃう私。とりあえずきっと私は彼の中じゃ都合のいい女ってやつになりつつありました。私はそれがいやでいやで。でも、告白したら今の関係が崩れちゃう。それも嫌で。悩みまくりました。でも次に進むため!その一心で、当たって砕けろ精神で告白!なんと成功したんです。絶対無理だと思っていたこの恋。ほんとに最初は切ない思い出だけでした。

そして、2016年1月16日。大好きなディズニーランドでプロポーズ。ハートの花火が上がったときに「結婚しよ」って。「ディズニー行くなら結婚したら!」って、彼に言いまくっていた私。(ディズニー行くと別れるジンクスがあったから)笑。プロポーズのあと、「ゆかがディズニー行くと別れる別れる言うから一生別れない理由作った!」って言われたときのあの嬉しさ!たまりませんでした!そして、2016年5月27日入籍。2016年9月17日結婚式。結婚式当日にまさかまさかの寝坊!笑 これも今となってはいい思い出。笑

そして、去年の2017年8月5日男の子出産!出産は奇跡です。へその緒を2周巻いて出てきた息子。ちゃんと生きていてくれてよかった。ほんとに出産は奇跡です。(ハジ→の日私は陣痛に耐えていました。笑)長い長い片思いからの結婚!そして、出産。私を育ててくれた両親、出逢って結婚してくれた旦那、旦那と私を選んでくれた息子。みんなに感謝です!家族3人で思い出のディズニーに行って、息子に「ここでパパがプロポーズしてくれたんだよー!」ってお話しして、新しい思い出を作るのもちょっとした夢です。そして、家族みんなでハジ→のライブに行くのが今の私の目標です!ライブでハジに書いてもらった相合い傘の色紙今でも大切に飾ってあります♪これを曲にしてくれたらとっても嬉しくていい思い出になるな、って思って応募させてもらいます!
宮崎県 はははさん/女性22歳
ありがとう
2018.04.07 AM.06:07予想外の自宅出産!7日の朝4時過ぎに、トイレと思って目が覚め漏れそうでやばいと思ってダッシュでトイレに。きっとそれが破水だったのかもしれないです。それからまた布団に戻り横になっていたら、5時頃にお腹が痛くなって、我慢の限界で寝ている旦那を起こし「陣痛かも。病院に連れて行って」と言って病院にも電話しました!来てください、と病院側に言われ上の子2人を起こし準備をしていたら、陣痛が5分間隔から2分間隔に。ふんぞりかえって陣痛に耐えていたけど動けなくて、旦那に「救急車呼んで、動けない。自分達で行ったら車の中で産まれちゃう」と言い、とりあえず救急車呼んでもらいました!3回目の出産ってのもあり、あかちゃんの頭が骨盤にきたのがわかり、だめだ、産まれちゃう、と思い、旦那に「もうだめ。産まれちゃう!」って産む!と宣言をし、旦那と子供しかいない家で産まれました!旦那がとりあげてくれました。

産む時に旦那がお母さん(旦那の母)と電話をしていて、お母さんも赤ちゃんの産声を聞き「バスタオルで暖かくしてあげて、冷えちゃうとだめだから!」と焦っている旦那に言ってくれて、上の子がバスタオルを持ってきてくれ、救急車が来るまで旦那が赤ちゃんを抱っこしてくれていました。もちろんへその緒は繋がったままでした。産まれる前に救急車の音が聞こえ、旦那も安心したんですが、なぜか救急車の音が遠くなり、しまいには聞こえなくなりました。後々知った事だったんですが、病院側も救急車に電話をしていて、だけど自分達が言った住所と病院側が言った住所が違くて、救急車の人も「どっち??」ってなっていたみたいです。県内で引越しをして、産婦人科の方にも新しい住所を言っていたんですが、カルテのほうが住所変更されてなくて。救急車に電話をして「まだですか??」と旦那が言ってくれて、無事救急車到着!先に赤ちゃんが病院に運ばれ、その後自分も救急車で病院に運ばれました!

病院では旦那のお母さんが待っていてくれて「はるかちゃん赤ちゃん元気だよ!頑張ったね!」と赤ちゃんが無事だということを確認でき、安心しました!その後、胎盤が産婦人科で取れなくてそのまま自分だけ県病院に運ばれ出産から3時間後に胎盤が取れました!赤ちゃんを抱っこする事も顔も見ることもなく県病院に行ったので、旦那が写真を見せてくれました!それに1日、県病院に入院。会いたいのに、抱っこしたいのに。1日我慢して次の日に産婦人科に戻りすぐ赤ちゃんに会いに行きました。感染の関係で抱っこはできなかったけど、会えただけで嬉しくて何より安心しました。何度もガラスごしだったけど会いに行きました。

旦那がいてくれたからこそ自宅で出産できました。自分の中で、旦那いるから大丈夫!1人じゃないから大丈夫!何かあったら手を貸してくれ、支えてくれ、安心できる旦那がいるから大丈夫!と思い産みました!旦那も「初めての事で焦ったけど、一生できない経験ができた」と言っていました!そして旦那のお母さんが電話で「バスタオルまいてあげて!」と何も分からずに焦っている旦那に言ってくれたからこそ赤ちゃんが守られたと思います。

2018.04.07 AM.06:09 2612g 48cm。パパにそっくりで元気な女の子が、予想外の自宅出産でしたが、パパにとりあげられ産まれました。パパ、旦那のお母さん、上の子2人、礼樹(らいき 5歳の男の子)・離雄(りおん 2歳の男の子) ありがとう☆☆ ベビーの名前は琴春(こはる)。私の名前の春をとり、そしていくつになっても可愛らしい名前で、と旦那が“琴春”とつけてくれました。琴春、ママたちを選び、ママたちのもとに産まれてきてくれてありがとう?!これから家族5人!どんな時も笑顔の耐えない家族でいれたらいいな!
兵庫県 明日香さん/女性31歳
ありがとう
私は幼稚園の頃に両親が離婚しました。それからはお父さん側の祖父母に育ててもらいました。両親を同時に失いました。祖母は私の妹を凄く大事にしていて、私はひとりぼっちな気持ちでいっぱいで、頼れる人がいないとずっと思っていました。18歳の時に私は妊娠しました。その子供もシングルで産みました。家も出ました。それでも、祖母は家に来てくれたり、仕事の間に子供を見てくれたりしてくれました。その時、頼れる人はいたんだと気づきました。でも私が21歳の時に祖母は亡くなりました。凄く後悔しました。もっと大切に出来たはずなのに。もっと感謝できたはずなのに。いなくなってから気づいても遅かったです。祖母に本当に感謝しています。
大阪府 美桜さん/女性21歳
勇気が欲しい
私の夢は中学校の頃からずっと体育の教師になることです!普段は人見知りだし目立つ存在では決してないけど、体育やスポーツをしている時は誰とでも関われるし、自分でもキラキラしているなっていうのは感じています。そんな大好きなスポーツの楽しさを子どもたちに伝えたいから、高校も体育科のあるところに行って、今は体育学部のある大学で必死に勉強しています!部活動はソフトテニスをしていて、教師になったらソフトテニスを頑張りたいって思っている子たちを伸ばしてあげたいから、全国上位レベルの人たちの中で必死に頑張っています。試合には出られないし、辛くて泣いちゃうこともいっぱいあるけど、やっぱり将来は最高の教師になれるように頑張っています。

でもそんな中、模擬授業で先生をやる時、元々の性格である人見知りとか引っ込み思案が出てきて、思っているように自信を持って授業をできなかったり、おどおどしちゃって担当の先生から「教師向いてないよ」とか言われて、子供の頃からの夢なのに現実を見せられている気がして本当に悲しいし、悔しい。だけど絶対、教師になることは諦めたくないから、子どもも体育もスポーツも大好きだから、絶対あと1年半死ぬ気で頑張って、できることは全部やって努力する。そんな私の夢を応援してくれる、頑張れる勇気をくれる歌を作ってください!!
神奈川県
あやこ→・とうちゃん→♪さん/女性31歳
出会いと別れ
私は子供2人を育てるシングルマザーでした。まだ4歳と1歳だった子供たち。私1人で仕事も子育ても…とても大変な日々でした。でも、誰よりもどんな時でも私の味方でいてくれた母が手助けしてくれていたから、私も子供達も支えられていました。当時は、介護の仕事で体力的に辛く、転職を考えていた時、母がたまたまポストに入っていた求人の広告を持ってきてくれました。そこに転職し、働き始めました。そんな矢先、母の病気が発覚しました。「もう長くない」そう母の口から言われたあの日、私の頭の中は真っ白でした。現実だと思えない日々でした。

職場の店長に母のことを告げました。子育てと看病優先させてほしい。ただ生活があるので仕事はさせてほしい、いろんな私のわがままをきいてくれました。店長は私に「後悔のないように」とだけ言ってくれて。そこから3ヶ月後、母が亡くなりました。初めて人生のどん底へ突き落とされました。この先1人でどうしたらいいの。そんなことばかり考えていました。急に抜け殻のようになってしまった私。母の葬儀が終わるまで、仕事にも行けませんでした。でも、母が亡くなってしまったからといって私には守らなければならない2人がいました。2人のために私は生きないといけない。その思いだけで毎日ただただ必死に過ごしていました。

そんな時、ある男性とお付き合いすることになりました。私と子供達は3人で一つだから。今まで、私に好きって言ってくれる人はいてもプラスαで子供達としてしか見てくれなかった。それが私は嫌でお断りしたこともあった。でも、彼だけは違った。私と子供達、同じ目線で愛してくれた。子供達も打ち解けるまで時間はかからなかった。再婚もありかな、彼なら子供達の父親に合っているな、って思うようになっていました。でも、長男は小学1年生。学校で名前が変わるのは嫌だとずっと言っていました。彼もその言葉を聞いていたので結婚というワードはあえて出してきませんでした。

月日は経ち私の誕生日、0時を回ってすぐに彼は小さな箱から大きなダイヤの指輪を出してくれた。「今すぐじゃなくていいよ、いつまでも待っている、みんなのいいタイミングで結婚できたらいいね」そう言って指輪をはめてくれました。1月の終わりの出来事でした。そして、3月に入り進級間近の長男が、「2年生になるタイミングなら名前変わってもいいよ」と。まだ8歳の子供がこんな事言うとは思いもせず、私も彼も驚きと嬉しさがこみ上げたのを今でもよく覚えています。

3月30日、彼と私は入籍し、子供達と彼は養子縁組をし、晴れて家族となりました。初婚の彼だったので親孝行も兼ねて結婚式もあげました。子供達も一生の思い出になってくれたと思います。その彼は、転職した先の店長です。母が持ってきてくれた求人募集の広告がなければ彼と出会うこともなかったし、今の幸せもありませんでした。全ては母が私に残してくれた最後のプレゼントだったのかもしれません。

そんな彼はカラオケに行くと「for you。」を替え歌しながら歌ってくれます!(笑) 神奈川のカラオケパーティーに当選した時に歌う気満々でしたが、この曲は歌っちゃダメで、私が代わりに楽しませてもらいました!そんな彼へいつか究極の大当たり当てて、感謝の歌を歌ってもらう!と意気込んでいましたが当たらなかったので…今回望みを託して応募させてもらいます!子供達と一緒に感謝の気持ちを歌にして最高のプレゼントにしたいです。よろしくお願いします!
島根県 薫(かおり)さん/女性37歳
ありがとう
私(お母さんが)ストレスから(仕事、子育て、同居などの)で体調を6年前に崩し、数ヶ月平日は幼かった子どもたち(当時小一、3歳、2歳)と離れて実家で療養した。いっぱい寂しい思いをさせたね。でもお母さんのために我慢してくれたね。体調を崩してからお父さんと気持ちの歯車が合わなくなり(病気の理解がしてもらえず、責められた。母はつらかった)ケンカが増え、子どもたちにも嫌な思いをさせた。別居し子どもを3人引き取り、離婚することに決めた。これからの人生楽しく過ごす為に自分の為、子ども達の為に。長女に相談したら「お母さんが決めていいよ」と言って後押ししてくれた。私は離婚することを決め、心が楽になり回復に向かった。もちろん私の両親の支えもあった。今はとても幸せに暮らしている。(両親と子ども達と)子ども達、両親や周りの人のおかげ。1人では人間生きていけない。感謝を忘れてはいけない。大好きな保育士の仕事(小さい頃の夢だった)も続けて頑張っている。本当にありがとう!私と関わってくれている人に感謝。3人の子どもを産んで良かった!離婚に後悔してないし、自分がストレスで体調崩したことで人の有難味がより分かり、人の気持ちに寄り添える自分が今ここにいる。
長野県 しーらまるさん/女性20歳
勇気が欲しい
小学校6年生の時、同級生から軽いいじめを受けていました。田んぼに靴を投げられたり、ヘルメットに犬のフンを入れられたり、パンツを脱がされたりしました。原因は、中学受験する元親友がちょっと不良なグループに行ってしまうのを、連れ戻そうとして目を付けられたことだと思います。元親友は、受験勉強のため学校には来ず、私は1人になるのが嫌で、違うグループにいました。でもそっちのグループでも仲間外れにされました。

当時は相談できる人はいませんでした。親は私のことを明るく誰とでも仲良く出来るタイプだと思っていたので、なおさらです。親に心配はかけたくなかったので不登校にはならず、いやいやですが、学校は休まず行きました。ここで当時の自分を褒めたいです。中学に入るといじめは無くなりました。私を仲間はずれにした1人の子は、中学でみんなに嫌われ、一人ぼっちでいました。私は、ざまあみろとも思いましたが、少し彼女が可愛そうな気もしました。嫌いだったので関わることはありませんでした。

高校に進学すると、同じ高校に彼女はいました。バドミントンサークルに入部すると、まさかの彼女と同じ部活でした。1年生の頃はお互いを嫌い、距離を置いていました。2年生になり、共通の友達が出来てしまい、関わることが多くなりました。いつの間にか話すようになり、地元が一緒ということから、何故か一緒に帰るようにもなりました。3年生になり、部活が終わり、バイトをし始めました。その頃にはすっかり彼女と仲良くなり、同じところでバイトをしていました。

高校を卒業し、県外の大学へ進学しました。今では地元へ帰ると、彼女は必ず会う存在になっています(笑)。地元の友達は少なめですが、大学では、多くの友達が出来ました。来年には地元で成人式があり、少し不安はありますが、楽しめたらいいと思います。当時の自分には、大学に入ったら友達がたくさん出来るよ!いずれは仲間はずれにした奴とも仲良くなるよ!(笑)あんまり無理しないで!誰かに相談して!と言いたいです。
静岡県 まあかさん/女性18歳
私には大切な人がいます。お互い好きで大好きでなくてはならない存在です。私はもうJK卒業して今は社会人として必死に頑張っています相手は同じ高校の二個下の後輩でした。私は女子校でした。私は社会人になって、忙しくなって、会える時間はどんどん減っています。相手からの「会いたい」がだんだんストレスに変わっていきました。でも大好きなのは変わらないし、そんな自分が嫌になる時もあります。で私はその人のために、大好きな人のために、頑張っています。もうすぐ一年です。これからの私たちの未来を想像してハジ→さんからの歌をぜひプレゼントしてほしいです。いつか私たちの結婚式でハジ→さんの歌を披露させて頂きたいです。一生涯、寄り添っていきます。
長崎県 笑架さん/女性15歳
失くした恋
私には幼馴染がいません。でも、母の高校時代の友達の子供と同級生で小学校が一緒でした。でも、小5の時に転校していってしまいました。まだその時は好きとかそんな恋愛感情は全くありませんでした。そして私は小6で引っ越したので、小学校の友達とは同じ中学校に通えませんでした。でも、中学校で転校していった彼に出会いました。しばらく見ないうちにすごく身長伸びてかっこよくなっていました。何気にすごいなぁって思いました。同じクラスには1年、2年でもなりませんでした。でも、3年生で最後の最後に同じクラスになりました。話せなかった時間を取り戻したいと、何故だか思って、だんだんいろんなことを聞くようになりました。話している時間がとても楽しかったです。そして、1番笑顔でいられました。知らないうちに、どんどん惹かれていました。好きになっていました。気づいてしまったら、気持ちがバレそうで不安だったけど、もっと話したいって思いました。自分からたくさん話しかけに行って、ばいばいって言って。言えない日、話せない日はなんだかとても寂しくて悲しかったです。体育大会で副ブロック長をつとめていた姿はとてもかっこよくて男らしかったです。

中学校に入学してきた時、友達が数人しかいませんでした。(中学校の同学年の人数230人)私の名前を下の名前で呼ぶのは、小学校一緒の彼、たった1人でした。私は名前を呼ばれる度にちょっとドキってしていました。3年生は受験で、部活を引退して、勉強を頑張る毎日でした。塾が一緒でした。席が隣になることを願ったりして、少しでも話せることが嬉しかったです。学校の席替えも全力で願っていました。

ある日の塾の帰りのことです。彼から呼ばれました。彼は私にこう言いました。「お前の好きな人を聞いたとけど、今も好きか分からないけど、俺が言ったらなんかあれやん。お前とは小学校一緒やったし、親同士仲いいけん、俺にとってお前は幼馴染みたいなんよな。今から受験とかもあるし。お前の気持ちには応えれない。。。でも嬉しかったよ、俺。お前がそう思ってくれておたこと。ありがとな」そう言って、私の肩を叩いて帰っていきました。私は塾の友達にばいばいと言って、信号を渡って家に帰りました。涙が目から溢れ出て、頬をつたって下へ下へと流れていきました。夜でよかった。そう思いました。家に帰ってからも、お風呂に入っている時も、寝る時も、頭から彼の言った言葉が頭から離れませんでした。失恋の悲しさを初めて知った日でした。

たくさん学校には男子がいるのに、先輩、後輩もいるのに、小学校一緒だった人を好きになって、同じクラスになれたこと。すべて運命だって思いました。でも、叶わないことだってある。上手くいかないことだってもちろんある。どんなに想いがあっても、届かないことだってある。届いたとしても、気持ちが変わらないことだってある。次の日から話しかけるのは辛かったけど、その子は私にいつものように話しかけてくれた。私はやっぱり彼の優しいところが好き。優しい性格が好き。だから、諦めるとか諦めないとかじゃなくて、自分が好きなら正直にいこうって、思いました。恋愛感情は卒業のときには無くなっていました。でも、友達として、たった1人の幼馴染として、私は大好きになれました。辛い思いもたくさんしたけど、自分の気持ちに正直に、素直にいることが1番だって改めて思いました。私は今でも彼が大好きです。
福岡県 りんさん/女性16歳
勇気が欲しい
今高2で剣道をしています。私は中学から剣道を始めたので、他の部員よりやっぱり差があって、部内戦をしてもみんな私の手の内を知っているのでどうしても勝てません。そして4月から推薦で入ってきた1年生に、団体のメンバーの座まで奪われてすごく悔しいです。団体のメンバーはみんなスポーツ推薦で入ってきているので先生のお気に入りばかりで、私がいくら努力しても、いくらいい試合をしても、メンバーに入れてくれませんでした。私は7月までにまた団体のメンバーに入れるように頑張るので、ハジ→には頑張れる歌を作って欲しいです!3月10日にあった福岡でのLIVEは私の誕生日で、すごく楽しくてあのLIVEのおかげで今なんとか頑張れています!3年になるまでに絶対団体のメンバーに入ります!!
宮崎県 きいさん/女性25歳
ありがとう
私は高校時代、友達といえる存在は1人しかいませんでした。私立の中高一貫校に高校から入学し、クラスのほとんどは中学からの持ち上がり。男子28人に対して、女子は4人。私以外の女子も中学から一緒に上がってきていました。友達もいなければ、アウェー感に私は素を出せず、男子とは話せずにいました。そんななか、1人の女の子だけは、いつも私の側にいてくれました。私を1人にしないようにしてくれました。男子にいじめられていたときも、気づかないながらずっとそばにいてくれました。学校に行くだけで過呼吸になる私を、授業に遅れても側にいてくれました。どんな時も私を支えてくれました。学校を辞めること、生きることを止めることを考えた日々もありました。それでも私に寄り添ってくれました。

そんな友達と離れたものの、いつまでも私の心の支えで、私も彼女の支えになりました。お互いが辛いとき、苦しいとき、偶然にもお互いが連絡をしていました。手紙を送ったりしていました。就職で彼女が地元に戻り、お互い仕事で忙しくても、中々連絡を取らなくても、仕事できついと悩んでいると、何故か連絡が来ます。まるで見られているかのように。そんな彼女との友達歴も10年。私の大事な、大事な人です。親友。心友。真友。

私は彼女に出会えたこと、本当に幸せだと思います。感謝してもしきれないほど、心の底から、体全身で言い表すことができないほど感謝しています。そんな大事な人が結婚します。親の離婚や、恋人に酷い仕打ちをされてきた彼女が、やっと幸せになります。やっと任せられる存在に出会ってくれたこと。本当に嬉しく、報告を受けたとき、涙が止まりませんでした。そんな彼女がこれから素敵な家庭を築き、苦労したぶん、それ以上に幸せになってほしいです。
滋賀県 有津佳さん/女性22歳
ありがとう
家族に普段言えない言葉。いつも感謝の気持ちがいっぱいで仕方ない。だけど、仕事から帰ってきたら、リラックスしたくて家族に八つ当たりしてしまうことがある。それを我慢して話を聞いてくれることもあった。中学の時は、悩み事があってもなかなか言えなかったけど部屋に引きこもっていたら、親が「どうしたの?」って言ってくれて、本音が言えるようになった。最初は誰も信用出来なかった。でも、家族には心を開いて言えるようになった。今はお兄ちゃんが家に帰ってこなくて寂しい。だからこそ家族の大切さが分かった。どんなに喧嘩しても、家族は大切だし「ありがとう」を言えるように1日1日を大切に、人生を大切にしたい。私を愛してくれて、大切にここまで育ててくれてありがとう。
石川県 さおりさん/女性26歳
気付いてほしい
私は小学校6年生の頃、ある男の子と出会いました。その子とは違う小学校に通っていましたが、中学校は同じで、お兄ちゃん同士が同級生で同じ野球部。応援に行った時に出会いました。その時はなんとも思ってなかったし、中学校に入ってからも違う小学校なのに仲良い関係でした。ある授業中、男の子の視線を感じ、目があって、そこから意識するようになった。そこからお互い意識していたのかだんだん距離を感じるようになり、ほとんど話さなくなった。

2年が過ぎたころその男の子を呼び出したが、結局告白することできずに終わった。その後もなにもなく毎日がすぎ、卒業式を迎えてしまった。卒業式の日もなにもなく、私たちは違う高校に入学した。私は高校生になっても、彼を忘れることができず引きずり続けていた。でもなにもできなかった。高校を卒業してから同窓会や成人式で会うことがあったが、そこでもほとんど話すことなく終わった。忘れられることなく毎日を過ごしていた。時間はかかったけど、今は思い出となっており、少し後悔もあった私の初恋です。
宮崎県 流星さん/女性40歳
ありがとう
子供が生まれるまでは 自分に自信がなく ただ親の言う通りに生きてきた。だけど子供が生まれイロイロあり1人で育てると決めてから17年。子供にはさみしい思いはさせたくないし、片親だからとか世間に思われたくないから一緒に楽しく過ごしてきた。私にないものを持っている。なんでも興味を持ち、なんでも挑戦し、人前でも堂々としている。その姿は小さい男の子でもたくましく感じ、私の宝もの。大きくなるにつれ 自己主張が出てきて喧嘩も絶えない毎日。力も私よりも強くなり。子育ては大変。でも、子供がいなかったら今の私はいない。子供がいてくれたから楽しく過ごしてこられた。ほんとは優しい心を持っている男の子。子供の成長を見届ける。あなたがいてくれるから、がんばれる。ありがとう。
千葉県 ろばさん/女性22歳
危険な恋
一回り年上のバツイチと聞かされていた鳶職の彼と1年半付き合っていました。ところが実際は離婚しておらず、家庭があり2人の娘さんと4人で暮らしていることが発覚。それも私が勤めている幼稚園の保護者経由で。本当に一度も疑ったこともなく、こんなドラマみたいなことが自分の身に起こるのかとかなりのショックを受けました。職業柄、先生という立場もあり法に触れる不倫なんてことは絶対できないと決意を固め、別れを切り出し、お互いに泣きながら別れることになりました。

別れてから連絡もとらず1年半程たった頃、たまたますぐ近所の足場の看板に彼の名前を見つけてしまい、いてもたってもいられず連絡をしてしまいました。その時は新しい彼氏がいましたが、その彼氏とは別れ、歳上の彼とまた付き合うことはなくとも昔のように会うようになってしまいました。1年半も騙されていたのにバカだなとも思うのですが、私に対する想いは嘘じゃなかったんじゃないかと思ってしまいます。

今は恋人という関係ではないものの、していることは不倫だし絶対にだめだとわかっています。彼は本当に離婚するようなことも話していますが、そんなのいつになるかもわかりません。それに、私に対する想いが本当に好きという感情なのかもわかりません。私は今でも彼のことが大好きです。会うたび別れが辛くて悔しくて切ないです。帰った後は一人で泣いてしまうこともあります。彼の本心を聞きたいけど怖くて聞けません。彼のことを諦めて忘れることが1番なのはわかっています。

でも好きな気持ちにまた気づいてしまった今、どうしても離れたくありません。でも彼の気持ちがわからずに不安でいっぱいです。ハジ→の「約束。」の歌のように迎えに来てくれることを夢見ていました。本当ならしっかり離婚してケジメをつけてからあいに来て欲しかった。でも私から連絡をしてしまったし、会おうと言われて会いに行ってしまったのも私です。このどうしようもない想いを歌にしてほしいです。もしそれが叶うのなら、これをきっかけに別れを決意しようと思います。重たい一歩を踏み出すためのなにか大きなきっかけをください。
愛知県 ARIさん/女性25歳
気付いてほしい
わたしには今年で付き合って5年の彼氏が居ます。わたしと彼は7歳差。出会ったあの時彼は仕事も家族との関係もうまく行かず、どん底でした。でもそんな彼にどこか惹かれ、そして彼を放っておけない気持ちになっていました。私たちは上司と部下。でも付き合うまでにそんなに時間はいらなかった。勿論仕事はそんなにすぐ上手くはいかず、ここに至るまで本当に大変な事ばかりでした。でも2人で支え合い、今年で5年になります。今は彼の仕事はうまくいきはじめ、私も仕事はうまくいっています。

私は彼と結婚したいと思っていますが、彼は結婚願望が全くなく5年経った今でも結婚する気はありません。結婚したいなら他の人と付き合った方が良いと言われるくらい。でも他の人では意味がない。私たちは同棲し、結婚してもしなくてもそんなに生活が変わるわけではありません。だから私も彼と一緒にいられたらそれで良いかなと諦め始めていますが、女としてはやっぱり結婚って諦めきれなくて。一緒に居て楽しい、嬉しい。この気持ちは5年間ずっと変わらないけど、どこか寂しくて。この気持ちを伝えた事はありますが、彼はこの話を嫌がるのでこの関係のまま。幸せなはずだけど片思いのような私。全然まとまってなくてすいません、、
佐賀県 きょん→さん/女性24歳
出会いと別れ
彼との出会いは高校卒業して初めて勤め出した職場。彼は私より3つ年上の方で、完全にわたしの一目惚れ。彼の第一印象は怖そう。例えるならヤクザみたいな感じ。でも、どこか優しさも感じられるような人だった。職場は工場で、役職的にわたしは普通の作業者で、彼は段取りをする人だった。仕事をするにあたって絶対に関わらなければならないけど、見た目の怖さと人見知りでなかなか話しかけられなくて、彼以外の段取りに頼みごと等をしてしまう日々。

しかし、ある日…彼の意外な一面を見た!!いつもは真面目で怖そうな彼だったんだけど、他の段取りの人とわいわい楽しそうにはしゃいでいる。まるで子供のように。その彼の一面を見て“怖そう”という印象が少しなくなって、話しかけてみよう!と、勇気が出た。話すと言っても仕事の内容だけでわいわいはしゃげるような会話ではなかった。でも入社した時よりもだんだん仕事に慣れ、彼とも少しずつわいわいはしゃげるような話も出来るようになってきた!3交代の仕事のため、彼と出番がかぶることはあんまりなくて…。それでも彼と同じ出番になる日が楽しみで、楽しみで…。なんだか彼と同じ出番の時は、いつも以上に仕事も頑張れた。

仕事では会話出来るけど…、連絡先も知らないし連絡先を聞く勇気もなくてどーしよう。そう思って約1年が経とうとしたある日。会社の忘年会で、彼は職場の人と動画を撮っていて…。後日「忘年会の日の動画ほしいです!」と勇気を出して言ったら「いいよ。あげる!でも連絡先分からんね(笑)」って、彼は苦笑い…。そこで「LINE交換しましょう」と言えたらよかったのに、またしても勇気が出ず「わたしの同期に送ってください。同期からもらいます」と言ってしまった…。そしたら彼は「分かった!同期に送っとくけん、同期からもらってねー」と言った。しかし何日経っても動画が送られて来なくて彼に「まだ同期から動画来ないんですけど…」って言ったら「じゃあもぉ直接きょんに送るけん、LINE交換しよう!」って言ってくれて、もおおおおおスーパー嬉しくて、ニヤニヤして手の震えがとまんなくて、やっと、やっと連絡先を交換することに成功した。

それから毎日、連絡を取り合って、お互い水族館とか好きだからって、水族館に行くことになった。しかし、運転はわたし。免許取って1年ちょっとで遠出とかもしたことなくて、高速も不安やった。けど、なんか彼が横に乗っているって思うだけで嬉しくて、そんな不安な気持ちもいつしかなくなっていた。プライベートで2人っきりの時間は特別な時間だった。職場では見たことのないくらいの彼の抜群の笑顔に何回もキュンキュンして、心臓のドキドキも止まらんくて、大好物の焼肉ですらあんまり喉を通らないくらいだった。

それから何回かプライベートで2人きりで遊びに出かけて、楽しい時間を過ごしてきた。このまま付き合えたらいいな、って思っていたのもつかの間…。彼には刺青が入っていて、親にそのことを話したら「やめときなさい」のイッテンバリ。刺青が入っていても彼の事が好きな気持ちは変わらない。そぉ思っていたのに…。友達からも「やめといた方がいいんじゃない?」ってめっちゃ言われて結局、周りに流されて、自分の気持ちに嘘ついて彼と離れることにした。

そんなある日、彼が仕事を辞めるって友達から聞いた。もぉわたしは彼に近づかない。近づいたらまた気持ちが揺らいでしまう。と心に決めた。けどやっぱり無理で…「仕事辞めちゃうの?」って、連絡してしまった。「そうだよ!言ってなかったね(笑) ごめん」 って彼は言った。でも、職場も変わるならわたしの気持ちも彼から離れられる。そんな気がした。彼が仕事を辞めてから何回も連絡をしようと思ったけど、我慢していた。

だけど彼の誕生日に「おめでとう」ってLINEをした。既読はつかなかった…。そう。ブロックされていたのだ。え?なんで?…。頭の中がパニックになった。でもこれでよかったんだ。そう思うしかなかった。彼が仕事を辞めてから4、5年経つ今でさえたまに思い出してしまう。けど、連絡も取れないし、どーすることも出来ない。もう一度逢えるなら会いたい。彼の笑顔がみたい。元気にしているのかだけでも知りたい。
茨城県 おかのちひろさん/女性34歳
ありがとう
友達は小学1年の時に引っ越して来て以来、5年生まで同じクラス。家は離れていたけれど、ランドセルを置いて私と一緒に下校し夜まで遊ぶくらい大の仲良しでした。でも、6年生でクラスが変わってしまい、中学も全く別のクラス…7クラスあり、教室も2階3階で別れてしまうと全く会わない日もあるほど離れてしまいました。もちろん部活も別、下校も別…。そのまま高校、大学とお互いがお互いを忘れ、自分の生活に夢中で過ごす日々でした。

30歳の時に同窓会が開かれて、参加するか悩んだ結果、ちょっとだけ行くことに決めました。そこにいたのがゆいちゃんです。「ちひろ?」と、声をかけられた時には、私はその子が誰かわからず、名前を聞くほどに成長していました。ゆいちゃんとは少しの会話を交わし…当時仲よかった中学校の同級生と楽しい時間を過ごしました。同窓会が終わり1度車に乗って帰ろうと思ったのを踏みとどまり会場に戻り、勇気を出してケータイ番号を聞きました。それから今までの離れていた時間を埋めるように遊ぶようになったのが2年前です。

服の趣味もカラオケの曲も育った環境や友達、遊びやライフスタイル…全てがちぐはぐで似ていない私たちが唯一同じ音楽を聴いていたのが、ハジ→さんの曲でした。車で出かけるたびハジ→さんの曲をお互いの車で聴いて出かけました。去年のゆいの誕生日に、ゆいのお友達から柏のチケットを貰いました。私と行ってきなと言ってくれたそうです。一度も会ったことも話したこともない方からの思わぬプレゼント。ゆいが私のことを…自分の友達に話してくれていたことにとても嬉しく思いました。そのお友達のあたたかな気持ちも全てが嬉しくてこころが爆発しそうでした。約20年…離れていてもちゃんとどこかで繋がっていたゆいとの絆が見えた気がしました。
宮崎県 松田真奈さん/女性16歳
気付いてほしい
私は今高校2年生です。約2年半前からずっと叶わない恋をしています。その人を知ったのは私が小5の時でした。でも実際に会ったことはなく、その時はただ「いいなー」って感じで、特になんの感情も抱いていませんでした。でも中2の時に初めてその人と会って、目が合った瞬間に自分の直感的になぜか「この人だ」って思いました。その人は自分の事よりも周りの人のことを1番に考えている優しい人で、誰に対しても真っ直ぐに向き合ってくれて、人として尊敬するし、なにより笑顔がとても素敵な人です。その人のことを知っていくうちにどんどん頭から離れなくなっていって、あ~これが好きっていうことなんだなって思いました。最初は名前すらも知ってもらえることもできなかったけど、ずっと好きでいたらその人に近づくきっかけが出来て、名前も顔も覚えてもらえるようになりました。

でも好きになって2ヶ月後にその人が結婚をしたことを知りました。その時はものすごく落ち込んで、泣いて、その人の顔すらも見たくない時期もありました。でもその人がこれまで大変な思いをしてきた時に支えてくれたのは奥さんってことを実感し、その人と奥さんのことを応援しようって思いました。私とその人にはとても年齢差があります。その時点でもう無理だったのかなとか考えたりもしたけど、その人は年の差なんて関係ないって言ってくれたんです。その言葉にどれだけ救われたことか。

もう結婚しているので叶わない恋をしているのはわかっています。その人と奥さんのことを1番に応援しているつもりです。でもその中でも自分の心の中にある好きっていう気持ちは否定したくありません。だから勝手にこれからも好きでい続けます。好きだからこそその人には1番に幸せでいてほしいです。好きだからこそ奥さんのことを幸せにしてほしいです。綺麗事に聞こえるかもしれないけど、本当に心の底から思っている私の気持ちです。読んでくれてありがとうございます。
福島県 さーたんさん/女性22歳
別れたが、届かぬ想い
私は、3つ年上の彼氏が居ました。付き合っていた当初は、お互い笑顔が太陽のように輝いていて幸せな毎日でした。3年半付き合ってのある日の事、彼からいきなり「別れよう」の一言。私の頭は突然の事で先が真っ暗に。付き合っていた時、お互いの両親や祖父母にあいさつして、結婚の約束をしていたのに(泣)。落ち込んだ時に大好きなハジ→の曲で前向きに進んで行かないといけないと思いました。大好きだった彼にいきなり別れ話をされましたが、たくさんの思い出とたくさんの笑顔と幸せをくれた彼が今でも大好きです。この気持ちは彼には届かないと思うけど、彼を信じて待っていたい。大好きな気持ちに蓋をしたらきっと、涙が溢れる。うじうじしてないで前進しないと、と思っています。
宮城県 みなさん/女性21歳
青春の思い出
私は宮城県南三陸町出身です。東日本大震災によって私は大切な人、住み慣れた家、そして大好きな町を失くしました。私はあの日までは自分の地元を好きだと思ってはいませんでした。しかし、実際に町を離れてみて、自分の帰る家を失くして故郷の大切さに気づくことができました。夏には海で遊び、友達と崖登りをした思い出、小さな町の中を走りまわったこと、近所の大人には自分の子どものように厳しく育ててくれたこと。私はそんな町が今では大好きです。震災の後、避難をするために一度地元を離れた時、私の友達、町の方がかけてくれた「必ずこの町に帰ってきてね。いつ帰ってきてもいいから。待っているよ」という言葉が今でも忘れられません。そして私は、震災前の数えきれない思い出は絶対に忘れず、これから沢山の思い出を友達、町民の方と作っていきたいと思えるようになりました。地元の役場で働くことが私の今の夢です。東日本大震災があったからできた夢です。叶えるため今は沢山勉強をしています。そして、これから町で暮らす皆さんとたくさんの笑顔、笑い声が絶えない日々を送りたいと思っています。また、あの日亡くなってしまった方の分も私たちが一生懸命生きようと思います。
熊本県 ゆうかさん/女性17歳
気付いてほしい
私には、2年間片思いしている人がいます。その人とは、いつもLINEをしていて、話せることが嬉しくて、楽しいです。だけど、返事が来ないと少し寂しくなって、通知の音が鳴るたびに携帯を見て、ドキドキして、の繰り返しです。彼には、1度だけ告白をしたことがあります。しかし、その時は振られました。なぜなら、その彼には好きな人がいたからです。とても、悲しかったです。諦めようとしたけど、なぜか諦めきれなくて、今もずっと好きなままです。いつか、彼の好きな人が私に変わる日がくることを、ひそかに願っています。
北海道 あおはるさん/男性22歳
君のためなら
今付き合っている彼女と出会って今年で二年。出会いはハジ→のライブ。お互い、ライブには行きたいけど相手がいないから「一緒に行こう?」って誘ってから、意気投合して付き合い初めました。付き合うとき「自分は最後の恋人ってくらいの覚悟だ」って伝えたら、「重た」って言われたけど「嬉しい」って言ってくれて、嬉しかったのが今でも懐かしい笑。それから、初めて二人で札幌のハジ→のライブに行ったら、まさかのサイン会が当たって。しかも二人とも笑。

その時に、二人の名前から“あおはる”ってサインしてもらって今でも大切にしています。それからは、いろいろなところに行って写真をいっぱい撮って、思い出が日々増える毎日で幸せです。これからいくつも試練があるけど二人でなら乗り越えていけるって思います。仕事柄、いつ死ぬかわからないからこそ、会うときは全力で悔いのないようにしています。二年目の記念日にはどんなサプライズをするか考えているから楽しみにしていてね、って言いたいけど、恥ずかしいから秘かに準備しているよ。これからもずっとよろしくお願いします。
石川県 さとあやさん/女性21歳
気付いてほしい
私は20歳ちょっと年上の人を好きです。同じ地区で小さい時から可愛がられていました。高校2年生くらいからちょっとその人ことを気になり始めました。祭りにも参加していたので、その時にその人に会えるのがすごく嬉しくて、ひと目見られるだけでとても幸せでした。高校を卒業して社会人になり、祭りなどにも参加することがなくなって、なかなか会えなくなるんだろうなと思っていたのですが、社会人になっても祭りに呼ばれたり、花火大会などの手伝いにも呼んでもらえて、高校の時より会えることが多くなりました。祭りとかで私を見つけると「よっ」と声をかけてくれて頭をポンポンしてくれます。それに最初は戸惑いましたが泣いちゃうくらい嬉しかったです。

21歳の誕生日に偶然コンビニで会って頭をポンポンされました。その人は私の誕生日なんて知らないし、特別な意味なんてないんだろうけど、私にとってはとてもとーーっても忘れられない誕生日になりました。最高の誕生日プレゼントです。21歳は誕生日からすごい幸せなことが続きました。花火大会の時に勇気を出してLINEを聞くことができたし、写真だって2人でとってもらったし、花火大会終わったあとに2人ではないけどみんなで花火をしました。すごく幸せな時間でした。でも年明けに衝撃の事実を知りました。いつからかは分からないけど彼女がいました。LINEをGETしたので遊びやご飯に誘おうとしましたが、勇気が出ず誘えぬまま、気持ちも伝えられぬまま、私の恋は終わりました。年が20歳ちょっとも離れていて最初から叶わぬ恋だったことは知っていたけど気持ちくらい伝えていたらなと今になって後悔しています。でもとても幸せでした。
熊本県 くまもんさん/男性25歳
気付いてほしい
まず僕は、普通の家ではなく、施設で育ちました。中学生の時に、両思いだった同じクラスの子と付き合いました。しかしクラスの男女の仲が凄く悪い中での恋愛でしたので、お互いに気を使っていました。丁度冬でしたので、バレンタインデーやホワイトデーのやり合いもしましたが、学校ではなかなか話せず、また施設で暮らしていたので、自由に電話もすることも出来ず、そのまま自然に別れました。半年経って、クラスはバラバラになりましたが、やはり彼女のことが忘れられず、また付き合いと思って手紙を書きました。渡したい気持ちはありましたが、なかなか行動に移せず、その度に何度も手紙を書き直しました。そのまま想いを伝えきれないまま、卒業してしまいました。あの時手紙を渡せていたら、今頃どんな風になっていたのかなと、ふと思う時があります。
島根県 おまゆさん/女性28歳
ありがとう
出会いは10代の時。出会ってからすぐ仲良くなって、馬鹿なことも沢山した。バカ騒ぎして怒られるのもいつも一緒で。きっと、最初から好きだったんだと思う。夜の公園で明るくなるまで将来の夢を語ったり、好きな人のこと、生き方、沢山話した。同じベッドで寝て、付き合っても無かったけど一緒に居て凄く落ち着いた。いつしかもう付き合っとるみたいなもんだよね、ってなんとなくで付き合い始めた。でも付き合うってなるとなんだか上手く行かなくなって、今まで言えていた言葉も言いづらくなって、何気ない言葉でも傷付けた。お互いが友達のままが良いってそう言って手を離した。

別れてからも私は彼に甘えてばかりで、辛いこと、楽しかったこと、酔っ払った時に必ず彼に電話した。彼は彼女が居ようがいつも私の話を優先して聞いてくれて、「お前はもう少し自分を甘やかしなさい」と最後は笑ってくれた。お互い社会人になって離れ離れになって、私は結婚、出産、彼は地元を離れて中々会えなくなった。でもそれでも何かあれば彼に電話する癖は直らなくて。いつも連絡するのは私だった。

でもその日。珍しく彼から電話だった。「久しぶりに飲もうや!」仕事が忙しかったから私は「予定が合えばね!まあいつでも会おうと思ったら会えるじゃん!」って笑い飛ばした。今考えたらあの時、貴方からの初めてのSOSだったんだね。ある夏の日。私のバイト先に遊びに突然遊びに来た彼。久しぶりに見る彼は凄く痩せていて少し疲れているみたいだった。「学校とバイト忙しくてさ~」と笑った彼の異変に私は全くきづけなかった。

一緒にカラオケを行くといつも歌っていたハジ→の「for you。」。その日も彼は「お前」のとこを私の名前に変えて歌って指を指して歌ってくれて。みんなで笑って。「もしお前より俺が先に死んでも空の星になってずっと見守って良いか」の部分で彼が言葉に詰まったのも、「ちゃんと歌って!」って笑い飛ばした。

それから1ヶ月後。それは突然だった。友達からの1本の電話。「あいつが死んだ。通夜が~」までしか頭ん中入って来なくて「いや、そおゆうウソやめて」って言ったら、「嘘だったらいいのにな…」って泣く友達。信じるしか選択肢は無かった。嘘だよね、ってつい彼に電話をかけた。するとお兄さんが出て「ごめんな、ずっとあいつからお前だけには言うなって言われとって。あいつは見た目の割に弱っちいけ、絶対全部捨てて俺の傍から離れんくなるだろうけ。て。ごめんな。」て、何度も何度も泣きながら謝られた。

お通夜に行った日。彼の死因を初めて知った。半年前に宣告されていた病気でもなく。自殺だった。いつも笑顔でいた彼が病気になんて負けるはずない。彼がどうして自ら死を選んだのか。どうして彼があんなにもSOSを出していたのに、手に取るようにわかる異変があったのに「なんかあった?」って聞けなかったのか。後悔しかなくて。今でもなお理由はわかりません。

手帳に走り書きされた「もしお前より俺が先に死んでも空の星になってずっと見守って良いか」の文字が痛くて、苦しくて。少しの間、ハジ→が聞けませんでした。でも暫く経ったある日、友人からハジ→のLIVEに誘われました。いっぱい考えて、彼が好きだったアーティストと寄り添うことで、彼のことが少し分かるんじゃないかと言う期待を持って初めて行きました。その場で「for you。」を歌ってくれて、泣き崩れました。彼が隣に居てくれる気さえしました。歌詞の通り彼は空の星になって見守っていてくれていると信じています。いつもどんなときも。

今でも酔っ払ったり、辛い時は電話をかけてしまいます。電話の向こうから聞こえる声は彼の声ではなく「現在使われておりません」の機械的な声。でもハジさんの歌を聞く時LIVEに行く時。なんだか近くに居てくれている、そんな気がします。沢山後悔して、沢山泣いて、沢山自分を責めたけど。もう彼はあの暖かい手で頭を撫でてはくれないから。今は沢山のきっかけをくれた彼に、沢山の勇気をくれた彼に、甘え方を教えてくれた彼に、沢山の愛をくれた彼にありがとうを伝えたいです。これからもきっとずっと彼はハジさんの歌の中に、私の中に生きているんだなって信じてます。
福岡県 ゆーさん/女性38歳
キモチを伝えたい
中学一年生の時に同じクラスだった人と、2年前お付き合いすることになり幸せな毎日を送っていました。お互いにシングル同士で、彼も男の子を引き取って育てているんですが…やっぱり多感な子供にとっては受け入れられないとこもたくさんあったようで、今は彼の子供の気持ちを考えて別れることになりました。でも彼は「お前のことは嫌いになれないし連絡を断つつもりもない。今までどおりBBQしたり呑み行ったりしよう」って言ってくれ…。別れてから一年になるけど、彼氏彼女っていう肩書きがなくなっただけで、連絡も取っているし集まりもあるし呑みにも行くし…。たまにかけてくれる優しい言葉も嬉しくなるし、あたしの気持ちはまだまだ大好きなままです!中学の入学式で隣の席になってからもう26年。中学の時、大好きだったことを伝えたのは卒業してから。でもその時、彼はすでにパパになる直前でww それからはほんと数回逢ったかなーってぐらいだったし、連絡とってもその時はパートナーがいたりとか。あたしの過去を全て知っていて彼氏になってくれた彼を、あたしはこれから先もずっと好きでいる自信があります!ありがとうなんかじゃ伝えきれないけど、こんなあたしを好きになってくれて、そして今も特別な存在でいさせてくれてありがとう。
京都府 *haruka*さん/女性17歳
勇気が欲しい
私は昔から絵を書いたり、ものを作ったりする事が好きで、絵画教室にも通っていました。小学6年の時、父が「和傘のデザインコンテストとゆうものがあるから描いてみたら?」と言ってきたので、私が1番綺麗だと思っていた赤い傘の色に飼っていた黒猫の絵を描きました。結果を見てみると、大人の人が多い中、小学生のわたしが入選していました。鳥取県にある和傘工房で、表彰式には行けませんでしたが、半年後ぐらいに家族で鳥取にキャンプに行った時に、その工房まで連れて行って貰いました。そこで、和傘の話を少し聞いたり、傘を実際に持たせて頂いたりした時に、今までビニール傘しか持ったことが無かった私は手作業で全て作られたからこその傘の重みに感動しました。また、全国的にも、和傘職人の数は少ないという現状。和傘作りにはとても沢山の工程があり、分業制で作っていくのが普通ですが、その職人さんは、全ての工程を1人でこなしておられることを知りました。その姿にも憧れを抱きました。単純に「この職業って素敵!!」「楽しそう!!」「職人が少ないなら私がこの和傘を守ってやる」って決意しました。

工房を出るとき、「私が大人になったら弟子入りさせて下さい」とお願いしたことも覚えています。「待っています」って返事をしてもらえました。その時は小学生が言う夢だからすぐに変わるだろうと思われていたかも知れません。その職人さんはそんな小学生が言った一言なんて覚えてないかも知れません。でも、私はその時から今までずっとその夢を追いかけています。そんなのなれないでしょって鼻で笑われたこともいっぱいあります。それでも、先日、Twitterでこの夢をツイートしたら「素敵、応援しています」って言ってくれた人もいました。ものを作っている私は、この一言にすごい勇気を貰い、救われました。高校3年の私が職人になるのはまだまだ先だと思います。この業界で生きていける人はほんの一握りで不安しかありません。最近はほんとに不安が山積みです。でも、絶対に、1人で全ての作業をこなして、顧客の意見も取り入れられる職人になります。1人でも多くの人に和傘の魅力を伝えられる職人になってやります。和傘は私が人生をかけて守り抜きます。日本の伝統技術の素晴らしさを世間に再発見させてやります。これぐらいの強い思いで夢を追いかけています。和傘職人になりたい…。
愛媛県 なぎさん/女性34歳
うれしい・たのしい
ある夏の終わりのBBQで出逢いがありました。一目で何か感じるものがあったなぁと今では思います。ただただ仲良くなりたいと思ったその相手が今の旦那です。仲良くなるのに時間はかかりませんでした。最初は、旦那のアピールがガツガツしすぎて戸惑っていたけどそれも今では逆になっちゃいました。もう少し相手してよとか子作りに協力して欲しくて喧嘩もしたけど、今まで一緒に歩んで来た5年間があるから不満はありません。

地元の山口県から離れて、知り合いもいないような県外に引っ越して遠距離恋愛した日々や結婚に対しての意見の食い違いで喧嘩別れした時、よりを戻すまでの10日間の悲しさや恋しさ、友達に反対され辛い日々もありました。それでも覚悟して結婚しました。そうすると嬉しいことがたくさん増えました。

結婚式を挙げた事、アルバムを作って両親にプレゼントした事、新婚旅行を計画してくれた事。体調が悪い時は文句ひとつ言わずそばにいてくれた事。独身の時の寂しさや辛さはたくさんあったけど、その事を忘れさせてくれているのが他の誰でもなく隣にいる旦那です。だから、自分は幸せを実感しています。結婚前に他界してしまった母にもそう言いたいです。旦那に出会えて良かった!
兵庫県 COPINさん/女性25歳
ありがとう
今年の4月3日、とても暑い日の午後に女の子を出産しました(^-^) 安産で、ドクターからも母子ともにこんなスムーズなのはとてもいいことと褒められるほどでした(^-^) 少し遠方の旦那の妹さんやお母さん、私の両親、めったに仕事が忙しくて帰って来られない旦那も慌てて病院に来てくれました。妊娠に気づいた時、既に安定期手前で、今思うと皮膚科の薬等いろんな薬を飲んでいたり、介護の仕事をしていたので、力仕事も妊娠を知るまではしていました。通勤も妊娠後期まで電車で2時間かけて通っていました。今考えると大きいお腹で、またよく流産もしなかったなと思います。そして産まれた我が子はとても可愛くて、日に日に大きくなるお腹をおしゃれが出来ないとボヤいたり疎ましく思ったり、娘がお腹を蹴るのを痛いと元気なことを喜ばなかったことを謝りたいです。だけど、元気に生まれてきてくれてありがとう。あとこんな私をお母さんにしてくれてありがとう。
埼玉県 あき→さん/女性54歳
人生を考える
14歳の時両親が離婚。そこから私の人生の転落が始まった…。今では考えられない事だが事実。私は1人風呂なしトイレ共同の4.5畳アパート暮らし。色々あった。悪い事もしてきた。生きる為に。22歳で結婚して子供が出来たが、幸せな家庭を築く事が出来なく離婚。その後も再婚するが離婚。結果3人の子供を私一人で育ててきた。まだ終わってないが。

22歳からの32年間してきた事。大型免許を取り、牽引免許を取り、トレーラーに乗り長距離を走り頑張ってきた。20年前に大型二種免許を取得していたのでトレーラー引退してバスに乗り、パワハラや人間関係で会社を退職。今年31歳の息子は転職を繰り返す、家出を繰り返す、どうしようもない長男。次男21歳はしっかりしていて高校卒業して転職する事なく頑張っている。娘は中学2年難しい年頃の反抗期。

この前成績の悪い娘に次男が言った一言が私の頭の中から消えない…。「俺の職場のバイトの女の子、中学の時偏差値42。今早稲田に行っているよ!何故だかわかるかい?中学の時に同級生に『お前の親、仕事何しているの?』って聞かれて、トラックの運転手だと答えたら『誰にでも出来る仕事だな』って言われたことがキッカケで勉強したんだよ」って。確かに誰にでも出来る仕事かもしれない。でも私は心の中で、キャリアカーのトレーラーは誰にでも出来る仕事ではないと思いながら、心の中に刺さるトゲが抜けない。こんな時15年前に自殺した父は何て言うのだろう?14年前に事故死した姉は何て言うのだろう?

私は生きてくる事、子育て、仕事に必死だった。産まれてくる命は奇跡だから。絶対に意味があって産まれてくると思っているから、だから頑張ってきたのに…。この40年どこで間違えてしまったのか?14歳の時?結婚した時?結局54歳の今でも答えは見つからない。色々ありすぎる波乱万丈の人生だったから。31歳になってもギャンブルで借金を作って家出を繰り返す長男はどうしたらいいものか…。子は死ぬまで子だから。死んでも子供だから心配するのが親心。そんな風にしてしまったのは、私の生き方が間違っていたからなのかと思い悩む日々。ここには書ききれない実情があります。文章を上手く書けないけど、こんな人生を送ってきた元トレーラーの運転手がいる事をわかって欲しい。多分子供達にわかって欲しいのかもしれない。
高知県 ちゃんちいさん/女性31歳
うれしい・たのしい
彼は県外で仕事をしていて会えるのは週末だけ!それに耐えられるか不安もあったけど、お互いを信じて付き合う事に!平日会えない分、連絡はマメに取っていたけど、私は寂しい気持ちでいっぱい!週末帰って来てくれても、家で仕事をしたりで、中々2人の時間がない時もあります。そんな私たちは結婚してもうすぐ1年になります。これまで沢山喧嘩もあり、色んな壁にぶち当たりました!それはこれからも続きます。私たちは付き合い初めから約束事を決めています!嘘は付かない。言いたいことは言う。他にもありますが特にこれは大事だと思います!2人の子供にも恵まれ幸せですが、平日彼がいないのは今まで通り!仕事でしんどかったりしたら話を聞きたいし、何の力にもなれてないけど、私はこの人を支えたいと思っています!私を選んでよかった!って思ってもらえるように、頑張ろうって心から思います!私は幸せです!私を選んでくれてありがとう。これからもよろしくね!だいすきです!
神奈川県 ゆすけさん/男性19歳
出会いと別れ
僕は高校の時、付き合っていた彼女がいました。その彼女とはテスト期間に利用する勉強場所で出会いました。鬼ごっこをしていて、ふざけていて、その時にハジ→の音楽を聞きながら鬼ごっこをしようと思いイヤホンがなく探していた時、出会った彼女です。連絡先を交換し電話などをして1週間ほどで付き合いました。すぐ別れると思っていましたが2年半付き合いました。向こうはチア部、僕はサッカー部、お互い運動部でチア部は野球を応援するのですが、サッカーの応援はなく嫉妬していました。

帰り道は学校から駅までか、彼女の家まで、約1時間電車に乗り送っていました。無人駅で駅から彼女の家までは5分くらい。近いけど手を繋いだりと大切な時間でした。何回かお互いの嫉妬で別れたりして最後最後と言っても何度も復縁をしていました。でも本当に最後と思った時の彼女を送った帰りは悲しくて、送った後に1人で電車を待つ駅の自分はもういないと思い、周りの景色を目に焼き付けるようにしていました。まるでドラマの1シーンだと思い青春だなぁと思っていました。

ディズニーへ行ったり、初詣へ行ったり、もんじゃ焼きを食べに行ったり、文化祭でクラスTシャツに彼女の名前を入れたり、鎌倉江ノ島デートへ行ったり、いろいろあったのですが、鎌倉江ノ島へ行く途中で喧嘩して途中の駅で引き返しその後、別れました。しかし何故かお互い好きという気持ちはまだ残っていました。なので面白い話、別れてからリベンジ鎌倉へ行きました。人力車に乗ったり楽しいことを沢山しました。好きなのに付き合えないという悲しい気持ちがありよくわかりません。この話の続きはまだありますがうまく伝えられません。もし連絡を頂けたら話したいです。是非宜しくお願い致します。
愛媛県 たけとの隣の女の子さん/女性15歳
失くした恋
高校一年生の私には付き合ってもうすぐ1年になる彼氏がいます。私たちは中学校3年の7月1日に出逢いました。中学校は別々でお互い受験生で会える時間はそんなにありませんでした。でも会える時はとても楽しく時間があっという間に早く過ぎていきました。そして高校も別々になり、彼が私から離れていくんじゃないかと不安になり、彼に「私のことすき?」「私の側にずっと居てね」など想いを毎日のように伝えていました。でもそれが彼からしたらとても重かったのか3月の半ばに「俺はもう幸せにできん。別れてほしい」と言われました。私はショックで涙がとまりませんでした。彼に別れたくない!と何度も何度も伝えました。でも彼は既読をつけて返信はありません。私は次の日、彼の家まで訪ねました。彼はセールスの人だと思ったのか、出てきて私の事を見てびっくりしていました。私は涙目になりながら彼に「話そう」と言って、気持ちを伝えました。そしたら彼に「ごはん食べた?」と聞かれて、私は正直ショックのあまりごはんを食べられていませんでした。なので「食べてない」といったら「お寿司食べに行こ!」って言われて、そこで「考え直す」と言ってもらえました。帰ってLINEを開くと3通のメッセージが届いていました。(もう俺はきめました)(あなたをどうしようもないくらい)(幸せにします)と。私はその言葉を見た瞬間、嬉しさの余り泣いてしまいました。今ではお互い忙しく会えない時間は少ないですが、1日1日を大切にして彼との幸せな時間を増やしていけたらなと思います。
長崎県 まりえさん/女性32歳
産みの親や兄弟との再会
両親は私が年長の時に離婚して、私は父と祖父母の家で育ちました。兄とも別々となり、母や兄とは会うことも無く、どこに住んでいるかもわからず。私が結婚する前に母や兄を探そうとしましたが、探す手段は無く、会えないまま結婚し、子供も3人授かりました。看護師として働いていた時の出来事でした。私が働いていた病棟に兄が交通事故で入院してきました。25年振りくらいの再会でした。私の幼少期の記憶は母との事より、兄の記憶が深く。唯一大事に持っている写真は兄との写真1枚だけ。ずっと財布に入れて持ち歩いていた写真でした。再会した時はしばらく涙がとまりませんでした。交通事故でしたけど、そんなにひどい怪我でもなく1ヶ月程の入院期間で元気になっていきました。そして、入院期間中に産みの母が面会に一度来ましたが、声をかけることは出来ず、まだきちんと再会する事は出来ていません。小さい頃は母の日が嫌いで、母親と買い物などに行く友人が羨ましくあり憎くもありました。今は自分にも家族がおり幸せな生活ですが、そろそろ母親としっかり話をしたいと思っています。実の父は再婚したため疎遠となり、祖父母も10年程前に他界しました。自分の身内と言える人も少なく、親戚に頼ってばかりです。母親に会える勇気を下さい。
山梨県 愛夢さん/女性19歳
危険な恋
彼とはバイトの先輩と後輩の関係。最初は好きとか、そんなことを考えもせずに、ただ「キスをしよう」と言われ、キスしてしまった。彼は私より3つ歳上、しっかり仕事も遊びも全力で成し遂げてくれる素敵な人。そんな彼には奥さん子供という家庭があった。最初は遊びに連れて行ってくれる先輩。そのはずだったのに、私の彼になった。付き合うまではあっという間。でも別れるまでもあっという間。楽しかった毎日が私の中から消えた。

だけど、その中で私は、沢山のことを学ぶ事が出来たと思う。私にとって彼は、私を愛してくれた人で、私を一番傷つけた人で、私の初めての人で最低な人だった。今は楽しかった思い出も、あの時涙したことも、彼に開けてもらったピアスも、彼と一緒に頑張って取った車の免許も、布団の上にいるこのぬいぐるみも、全部彼から貰った宝モノになった。自分の中で葛藤や想いが抑えきれなくなるということ。好きという言葉だけが全てではないということ。いつの日か、相手を想うという事に気付けなくなってしまったという事。

ありがとう。そう泣かずに言えるように強くなりたい。こんな自分じゃダメなんだって何度も気付かされたのに、手放すことしか出来ないようにしてしまったのは私自身だった。私の中で最低で、最悪な、大切な、彼。こんなはずじゃなかったのに、って泣きたくなるのは私だけ。あなたが私を好きとか言うから騙された。

付き合い始めてすぐ、私の携帯には彼の奥さんからメッセージが届いた。「あなた何しているの?私彼と結婚しているの」って。私は知っている。彼の奥さんにも会ったことがあった。なのに、私は彼と付き合った。言い訳を並べれば「彼が私の所へ来たの」ってそう言いたい。
自分でも解っているはずなのに、動けなかった。目の前で微笑みながら「好きだよ」って言ってくる彼が目の前に居たから、嫌いになる前に好きなっていた。

私は学校へ、彼は会社へ。時間を合わせて毎日彼に会いにいく、私はそんな彼と一緒に居られるだけで幸せだと感じる事ができた。付き合って1ヶ月。初めてのセックス。私は処女。彼は知っていて私に近づいてきたのかもしれない。付き合って1ヶ月で私が18年守ってきた処女はあっという間に消えた。初めは抵抗があった、けど何度も何度も彼と2人で過ごせるだけでその抵抗さえ消えていった。

2人で始めてお泊り旅行。修学旅行みたいに、車で京都へと遊び行った。近くの安い駐車場見つけては修学旅行で行った様な場所をはしゃぎながら見て回る。清水寺の上からは物凄く綺麗な紅葉が見られた。千本鳥居を数えながら上まで登っていく。京都タワーからみた夜景。2人で撮った記念写真。その後、泊まったホテルからは琵琶湖が一望出来る素敵で広いお部屋。その時私はまだ高校生、横で運転している彼の姿を見てる事しか出来なかった。

付き合いはじめて3ヶ月。2015年から2016年の年越し。無事にお休みで、2人でお家でまったり年越し。初詣にも2人で行って、私はその時ずっと一緒に居られますようにと、そう願った気がする。いつも仕事で疲れているのに、お勉強に付き合ってくれた。夜中までガストで2人で勉強した車の免許。当日も送り迎えしてくれた。合格発表「俺が見てやる!」って言って数字を勘違いしていて2人で物凄く焦ったこと。でも、無事に1発で車の免許を取れたこと。このことは、一生私の中の大切な思い出。

それから、3月には無事に高校を卒業。卒業したからピアス開けるの!って、私が騒いで2人で開けっこした、会社、ピアスとかまずいし、ホントはピアスとか多分嫌いだった彼だけど、一緒にお揃いのピアス付けてくれた。4月から私は大学生となった。私は大きく環境が変わり、彼を大切に出来なかったのだろうか。5月6月約2ヶ月の九州への出張、彼は会えなかったあの2ヶ月に何を考えたのだろう。会いたくて寂しくて仕方なかったのは私だけだったのだろうか。出張の帰り、最寄りの駅まで迎えに行った。一番にお帰りって抱きつきたかったから。

それから2カ月くらいたって、彼は私に「将来、お前と一緒に居られる気がしない」そう言った。私達は別れたみたいだった。きっと誰も悪くない。彼を愛しきれなかった私のせい。彼に手離したいと思わせてしまった私のせい。ありがとう。前を向きたい。大切な思い出なのって笑って話したい。またいつか、さようなら。実話なんです。私の体験談。正直、彼を忘れられません。大切な1年をくれた彼でした。
大分県 まっす→さん/男性25歳
ありがとう
僕が手術をするために、田舎から電車で1時間ちょっとかけて、街の方の病院に少し通っていた時の出来事です。病院での診察の空き時間ができて、暇だったので僕はショッピングモールに行っていました。服を見るのが好きで、気に入った服があれば買おうと思い、たまたま立ち寄った店に接客してくれた女性がいて。その時、第一印象でお互いに『この人と結婚するかもしれない。』と、本当に思いました。それが今の僕の嫁さんです。

嫁さんはその頃、アパレル関係の仕事をしながら夢である歌手を目指していました。そんな嫁さんはディズニーが大好きで、よくディズニーランドに行きたいと言って、中でも1番好きだったのがシンデレラでした。僕は、彼女の夢を応援したい気持ちもあったけど、最初は正直、戸惑っていました。嫁さんがどんどん離れていってしまいそうで、寂しいような、なんともいえない罪悪感があって心の底から応援できていませんでした。

けど、ここで支えてあげないとこれから先何も乗り越えられないと思い、僕は何かあるたびに色んなサプライズをして喜ばせてあげました。でも結局、嫁さんは歌手の道を諦めて、僕と一緒になる為に貯金をすることになりました。そこで、僕になにか出来ることはないかと考えた結果、嫁さんは「もう一つ、笑われるかもしれないけど、誰にも言えない夢がある」と僕に言ってきて。その内容が、シンデレラになる事でした。なので、僕は嫁さんの誕生日にディズニーランドに旅行に行き、片足だけですが、嫁さんの足のサイズに合わせたガラスの靴と婚約指輪をもってプロポーズをしました。

そして、約1年後に、サプライズで披露宴中にもう片方のガラスの靴をプレゼントして本物のシンデレラにさせてもらいました。嫁さんは泣いて喜んでくれて、夢を諦めてまで、持病を持っている、こんな僕を選んでくれました。本当に感謝してもしきれないほど、嫁さんの存在は大きなものになりました。そんな僕たち2人は今年の夏に親になります。
東京都 ゆ→かさん/女性21歳
失くした恋
付き合い始めて、あと少しで1ヶ月って言う時に、急に別れがきました。理由も教えてくれずに、突然「別れよ、好きになれなかった」と言われました。その言葉に私は唖然としてしまい、その日から何も手につかない状況になってしまいました。同時に、その彼との共通の友達とも、ほとんど縁を切ることになるほどの喧嘩も起こりました。何もツイてないなって私は思っていました。その日からしばらく食欲もなく、しばらく引きこもりになる日々。そしたら神様は、また意地悪をするかのように私に幸運のような不運をもたらしてきました。それは妊娠です。私は大好きで結婚もしたいと考えている人だったので、産みたいって思って、ちゃんと別れた彼にも話したのです。そしたら彼には「産むなら俺の前に二度と現れるな、1人で全部やれよ」って言われて、ショックでした。私も1人で育てられる自信もなく、結局はおろしてしまったのですが、やっぱり今も後悔しかないです
宮城県 ともちん3さん/女性33歳
人生を考える
両親は、私が小学校五年生の時に離婚しました。私は母親の方に弟と2人引き取られました。兄2人は父に。母親は仕事でいつも居ません。居る時は弟ばかり、可愛がりました。私はいつもひとりぼっちでした。高校に入り、恋をしました。そして、高校3年の時に妊娠しました。産婦人科で、赤ちゃんの心音を聞いて、私はこの子を守ると心に決めて、産む決意をしました。私はいつも、孤独…。私はなんで産まれきたの?生きて居る意味なんか、無いんじゃないかって、ずっと思って生きてきました。でもこの子を宿し、私はこの子の為に生きようって。孤独は無くなりました。今は二回離婚をして、4人の子供と生きて居ます。私は今、4つの命を守る為に生きて居ます。家族の絆、小さな事の幸せを感じながら今を生きて居ます。
静岡県 はじんちゅ?さん/女性19歳
どん底から見つけた“ありがとう”
この話を初めて書きます。今まで誰かに話した事もなければ、何かに書いたこともなく、ずっっと自分の心の中だけにあった思いです。普段、弱音をあまり吐けない性格なので、本当に迷いましたが、せっかくなのでこれを機に書いてみようかと思います。私は今、19歳で一人暮らしをしている社会人です。仕事とアルバイトを副業して生活しています。だけど、家を出て仕事を始めてこうなれるまでに、本当に色んな事がありました。

中学生の頃、とある噂が学校中に広まり、ひたすら学年の男子全員からいじめられていました。もちろんその噂なんて全くのデタラメです。私の場合は体に危害を加えられる事は全くなく、精神的なものでした。そのため証拠も何も残らず、心を病んでいく一方でした。基本的に何をされても笑っている性格だったので、クラスの女の子達も、笑っているなら平気なんだな、くらいの感じだったし、私も頑張って、毎日笑っていました。今思えば、その女の子達も私の事をそこまで好きじゃなかったんだと思います。毎日毎日いじめられる事によって、私は完全に自分の無力さを受け入れるようになっていました。何も出来ず、完全に孤立した私は、行き場がなくなり、親にも話せずどうしようもない想いを抱えながら、笑って学校に通っていました。

でも、次第に学校に行かなくなり、親には毎日デタラメな嘘をついて休んでいました。嘘をつく事にさえ、罪悪感を抱いていましたが、当然分かってもらえるわけもなく毎日「行きなさい」等と言われる度に、なにか自分が壊れていくのを感じていました。私は「こんな娘でごめんなさい」という思いが強くなり、また何事もなかったかのように登校するようになりました。ですが、当然現状は何も変わっておらず。とうとう笑えなくなりました。何が楽しくて皆学校に来ているのか?そもそも楽しいって何?笑うって何?そんなに楽しいの?それでも何とかぎこちない笑顔で必死に笑い、中学校を卒業しました。何とか3年間は乗り越える事が出来ました。

高校に入り、中学校の時に同じ学校だった男子も数人ポロポロといましたが、もうほとんどいなくなり、気にすることなく普通に高校生活を送っていました。ですが、いじめの後遺症は簡単には消えませんでした。その当時の想いと怖さがいつになっても消えず、完全に人間不信になっていました。友達を信じる事も、友達を作ることでさえも臆病になっていた。怖くて怖くて仕方がなかった。心を開く事が出来なかった。弱さを見せる事も絶対出来なかった。誰一人信じられなくなっていた。それから高校生活に馴染む事も出来ず、途中から行かなくなりました。母親は、また同じように毎日私を責め続け、私は学校に行かなくなっただけではなく、本当の引きこもりになってしまいました。母が自分の事を思って言ってくれているのはもちろん分かっていたけど、その当時は何より私にとって一番の凶器でした。引きこもった後も、このままじゃ嫌だと思っていたし、もちろんまた楽しく笑えるようになりたいとも思っていました。

そして、1年が過ぎようとしていたある日、ここまで笑えなくなって、どん底にいて人間らしさを忘れていた私が、笑えるようになりたくて、普通より接客面が多いバイトをはじめました。高校は中退しました。学歴社会だと思っていた私には、高校を辞める事が本当に不安だったけど、このまま学校に行かないのに無駄に学費を払ってもらうのも嫌でやめました。それからバイトは、何もかも必死でやったし、自分にはこれしかないんだって気持ちでいっぱいでした。そんなある日、一人のアーティストさんと出会いました。たまたま出かけたお店でそのアーティストさんの曲が流れていたんです。その人の歌がとても素敵で、誰かの言葉なんて聞きたくないし歌なんて聞きたくないと思っていた私が、初めて自分から歌を聞きたいと思ったアーティストさんでした。その方はTwitterをしているみたいで、何か変わるきっかけが欲しかった私は、LIVEに行ってみる事を決めました。正直ここから抜け出したくて必死でした。ですが、初めてで一緒に行く子もおらず、誰かのLIVEに行ったこと自体なかった私は、1人で行く勇気もなく、Twitterでたくさん探して、ようやく見つかり、地元近くの会場に行く事に決めました。初めて行った時の感想は、正直よく覚えていません。でも、笑う事楽しむ事を忘れていた私が心の底から楽しめていたのは覚えています。

そこから私はそのアーティストさんが大好きになり、Twitterを通して同じファンの皆とも交流を深め、少しずつ馴染んでいきました。このままじゃダメだと思い、不安や金銭面での負担も大きい中、17歳で家を出て自分で生きていかなきゃいけない環境に自ら足を踏み入れました。そこから頑張って働いて生活も落ち着き、頻繁にライブも行くようになり、私の生活は一変しました。人を信じることが出来なかった、笑い方が分からなかった私が、少しずつ変わっていくのを自分でも感じていました。ライブで皆と過ごす時間が本当に幸せで、どうしようもないくらい幸せで、心の底から楽しんでいました。ずっとこのままでいたい。このまま時間が止まってほしい。この人の歌をずっと聞いていたい。そんな空間が自分に出来たのは人生で初めてでした。

だから“とあるアーティスト”ハジ→さんには、本当に感謝しています。本当に本当に、感謝しかない。そして、ハジ→さんが人生をかけて続けてくれた音楽が、私に出会わせてくれた仲間。私はその人達が大好きです。今、誰かを信じられるか。心の底から笑えるか。そう言われたらまだ少し微妙だけど、昔よりは遥かに楽しいです。ただ少し恐いけど(笑)いつかは、誰かを信じる事が出来ますように。笑えるようになりますように。そして、ハジ→さんみたいに、“過去”も含めた全ての出来事に“ありがとう”が言えるようになりますように。ハジ→さん、そしてはじんちゅの皆。いつもありがとう。私を変えてくれてありがとう。出会ってくれてありがとう。“みんなに出会えた事で俺は変われた気がするんだ”。
徳島県 あい→さん/女性18歳
危険な恋
高校2年際の時に体育教師に恋をしました。 私は当時、気持ちをいつかは伝えられたらいいと思っていました。ある日、体育教師の誕生日の1か月前ぐらいに告白をしました。でも、やっぱり付き合ってはくれなくて、諦めようと思っていたけど、諦めきれず。それなら、付き合えなくても尽くせるまで尽くそうと思って、努力して振り向いてもらえるなら頑張ってみようと思って、その体育教師の誕生日の数日前ぐらいに2人で会って誕生日を祝わせてもらいました。サプライズ的なことをしたんですけど「初めてこんな大げさな誕生日で嬉しい」と言ってくれて、目がうるうるしていて、ほんとに尽くしてよかったと思いました。その日に向こうから「もう一度考えてみる」と言われました。

数日後、教師と生徒だから中々会えないし、誰にも言わない、別れても誰にも話さないという条件で付き合うか付き合わないかは決めて、と言われました。人生でここまで好きになったのは初めてだし、本当に嬉しかったのでその条件を受け入れました。でも、そこから3ヶ月付き合ったものの「好きだけではどうにもならないから、このままグダグダ付き合うか、卒業したら付き合うか、決めて」と言われて、私は向こうは別れた方がいいと思っているんだと察して別れる方を選びました。

卒業後…私たちは電話で話し合いました。向こうは1年間考えてきて、私のことは生徒としてしか見られないらしく、私は相手のことを大好きなままでそれでも諦めきれなかったです。私は、結婚できるかと言われたらと「できる」と答えられるほどの覚悟を持ってました。だけど、向こうは私との結婚は1ミリも考えられなかったらしいです。今、私には新しい彼氏がいます。体育教師とは、ちゃんと向き合いたいからこそ1回別れたんですけど、前に進むには今の彼氏といることが1番なのかなと思って、新しい恋を頑張ってます。
福島県 やのさん/女性19歳
出会いと別れ
中学2年生の時にネット上で彼氏が出来ました。でも1ヶ月も経たないうちに別れてしまいました。理由は彼が受験生で、受験に支障が出てしまうからでした。私はとても好きで忘れることができませんでした。でも忘れるためにその後はいろんな人と付き合ったけどそれでも忘れられず、1年経ったあとに、よりを戻せないか聞きました。その時にはもう彼には彼女が出来ていて、とても悲しかったです。そこでキッパリ諦めようと思いました。考えないようにしているうちに約4年になります。今は私も、愛する人が出来てとても楽しく過ごしています。たまに彼を思い出してしまうこともあるけど、過去があるからこそ今があるのかなって思います。だから、私は最後に彼に言いたいです。「大好きでした」と。
福岡県 aiさん/女性16歳
人生を考える
小学生の頃から自分の顔にコンプレックスがあった。そのコンプレックスを男子にいじられる毎日で、いじられては夜泣き叫び、またいじられては夜泣き叫ぶばかり。生きている意味があるのか、汚い私が生きているから迷惑している人がいるんじゃないかって小学生から死を考えていた。自分の顔が嫌いで写真の自分の顔だけ切り刻む事もあった。小学校を卒業し、中学生になると、毎日毎日、顔を隠すためマスクも触覚もつくってとにかく顔を隠した。しかしやっぱり男子にいじられることはちょこちょこあった。その度もっと隠さなきゃ隠さなきゃと下ばっかり見ていた。学校に行かない日も続いた。

しかしある先生に出会って変わった。私のことを気にかけてくれて、毎朝手紙を渡してくれて、そこにはたくさんの人の名言を書いてくれた。たまには面白いことも書いてくれた。その手紙がほしくて学校に行くようになった。その先生は私が顔にコンプレックスがあることは気づいてくれていた。その先生が相談を聞いてくれたおかげで触覚もマスクも徐々にやめるようになった。その度「マスク外してる、いいじゃん」「表情が見えないと気持ちがわからないよ」って言ってくれた。マスクを外すことで友達と思いっきり笑うことができた。マスクを外すことで前向きになった。自分に少し自信を持てるようになった。友達と過ごす学校生活が楽しくなった。学校が好きになった。たまにいじられても笑って返せるようになった。今でも自分の顔が嫌になって下を向くことがあるけれど、先生の手紙や言葉のおかげで今、上を向いて高校生活を楽しく過ごしている。もし顔にコンプレックスがある人がいたら、下ばっかり向いて隠すより一度、上を向いて堂々としてほしい。違う世界が見えるかもしれないから。
広島県 ひーたんさん/女性41歳
ありがとう
今、妊娠9ケ月。仕事も産休に入り 日々、お腹の赤ちゃんのこと、高齢出産だなぁって不安なこと、これから将来のこと…、色々なことを想いながら過ごしています。赤ちゃんを授かるっていう奇跡…、当たり前なんかじゃなくて…。今までそれなりに頑張ってきて、失ったものもたくさんあって…。失くしたものはもう取り戻せないけど…でもそんな人生を生きてきたから今の自分がいて…。毎日愛しているよって言ってくれる愛する旦那さんがいて、 毎日喧嘩したりふざけたりする賑やかな子供達がいて…、この先もずっとずっと一緒にいたい。いつかは終わる人生だけど… その一瞬のとき 本当に幸せだったと思いたくて 後悔なんかしたくなくて。愛する人がいるってことがどれだけ幸せなことか…、仕事ができるってどれだけ幸せなことか…、本当に感謝しかありません。私も無事、出産してこれからも人生楽しみます!子育て= 己育て(こそだて)。愛でいっぱいの人生を…。
千葉県 トシ→さん/男性32歳
出会いと別れ
今の嫁とは出会いは4年前ダーツバーでした。私は当時、秋田と埼玉で遠距離している彼女がいました。その時に嫁にも付き合っている人がいました。私は彼女の仕事の都合で秋田に呼ぶことは出来ず、思い切って私が上京しました。ですが彼女となかなか会えず、ぎくしゃくした関係が続き、後に破局しました。同じ時期に嫁も長年付き合っていた彼氏と破局していました。そこから私達は一緒に出掛ける事が多くなり、同じ趣味のダーツやカラオケに頻繁に出掛けるようになりました。そこから交際に発展。付き合って1ヶ月程で私の部屋で同棲を開始しました。

彼女(現嫁)とお父さんは20数年2人暮らし。同棲を始めた事を伝えに行くため、挨拶を兼ねて彼女(現嫁)のお父さんと会いました。お父さんはおおらかで優しくすぐに仲良くなれました。挨拶から10ヶ月後、お父さんから呼び出され彼女(現嫁)と居酒屋へ。お父さんから渡された封筒には病院からの診断書。病名は骨髄異形成症候群という血液の病気でした。その病気は骨髄移植しても治る可能性は低く、いつどうなってもおかしくない病気でした。私はその時に覚悟を決めました。彼女(現嫁)を1人にはできない。自分が守らないと。と。

そして、彼女(現嫁)の誕生日にプロポーズしました。その後、仮退院していたお父さんと居酒屋で報告。お父さんは勘づいていたのか、「そんな気がしていたよ。よろしくね。」と言葉を貰えました。そして入籍。入籍してから、お父さんの体調は安定せず症状は悪化。骨髄移植を行い体調が良くなる事を祈りましたが、移植後1ヶ月で亡くなってしまいました。もう嫁には家族は私だけ。これからずっと嫁を大事にしていくと決めました。お父さん上から見ていて下さいね。
千葉県 たーくんさん/男性24歳
出会いと別れ
5年前。当時、中学三年生だった僕は恋愛の真っ只中だった。同じ人(元カノ)と別れては付き合い、別れては付き合い、の繰り返しをし、ひたすらギクシャクした関係だった僕達はその頃、中学の卒業式を迎え、とうとう最期の別れを告げようとしていた。結局、お互い進路は別々のまま、熱り冷めた頃には2人とも別の好きな人ができ、全く連絡など取る事無く、高校卒業。就職。成人式と、時を進めた。

そんなある日。成人式を、きっかけにお互い心の内に秘めた想いがあったため、2人きりで会うことになりました。やっぱりあの当時の思い出が濃く、永遠と笑い合っていた2人でした。どこか引き付け合うものがあるのでしょうか。自然と良い雰囲気になり、気付けば相思相愛な関係でした。

しかし、双方とも社会人。転勤と言う思わぬ別れで、幾度の別れに更なる別れをし、最終的にはお互いの同意の元、今後一切連絡は取らずして、遠い遠い、一生心の中だけの大事な大切な人にしよう。と言う切ない恋として一生のお別れをしました。楽しくて恋しい、切ない出会いと別れでした。
熊本県 愛さん/女性23歳
出会いと別れ
長く付き合っていた彼が既婚者でした。私は彼の為ではなく子供と奥さんの為に身を引き、訴えることも何もしませんでした。今思うと、愛していると、結婚しようと、言っている男ほど危険なものはないなと思うようになり、不信にもなり、怖くもなりました…。それでも私はまた誰かと出会い恋をしています。元彼は最低でしたが恋している時はとても楽しかった…。だからこそ、辛い思いをしても恋愛から遠ざかるのは違うかなと目覚ましてくれたのが今の彼です。彼のことは未だに信じることができません、それでも好きになってしまったから私も信じる努力をしよう。と決め付き合うことを許しました。今恋愛で苦しんでいる人、浮気や不倫をしている人…必ず罰が下ります。知らないうちに誰かが傷ついて、その傷が深くならないうちに、人を騙さないように…少しでも同じ思いをしている人に届きますように。
東京都 MASATOさん/男性24歳
人生を考える
幼稚園の頃から仲の良かった幼馴染が3人いました。その3人と小学校は別々でしたが、小学生2年の時に同じ野球チームに入りました。僕だけ身体が大きくならず、監督に嫌われ、レギュラーを6年生の時に外されました。それでもそいつらがいたから頑張れた。中学に入って監督が変われば小さくても認められるかもしれない。それだけを考えて。そして卒団し、みんなで同じ中学に進みました。しかし、そこからが僕の転落人生でした。身体は小さかったけど愛嬌があり昔から歳上に好かれる傾向があり、それは中学でも変わらず、先輩たちに凄く可愛がってもらっていました。野球部に入部してもキャプテンや先輩たちから凄く可愛がってもらって色々教えてもらいました。ここでならまた頑張って野球ができるって思いました。

でも幼馴染の内の1人がそれが気に食わなかったみたいで僕はイジメの対象になりました。靴を隠されたり、消しゴムを投げつけられたり、みんなの前で笑われ者にされたり…。今みたいにひどいイジメではないかもしれませんが当時の僕は「なんで俺なの?先輩に好かれるのがそんなにダメなの?」ってずっと考えていました。他の2人の幼馴染も少しずつ離れていきました。最後は先生に泣きつきましたが「そんなのはイジメに入らん。そんなくだらないことを言うんじゃねー」と相手にされませんでした。その瞬間、僕の心がパックリと折れる音が聞こえました。次の日から学校に行かず、部屋に閉じこもって引きこもりになりました。仲良しだと思っていた幼馴染、何かしてくれると期待した先生に裏切られ、誰も信じられなくなりました。もちろん自殺も何回も考えました。その時のことは今ではあまり思い出せないくらい辛かったです。

そんな僕を心配した母に、無理やり水族館に連れて行かれました。そこで僕の人生において重要な出会いを果たしました。その水族館でイルカのショーを観た時、塞ぎ込んでいた自分が涙を流して感動しました。「将来はこうして傷ついた人の心癒してあげられるような飼育員さんになりたい。」と思いました。そして『夢』を見つけました。中学1年から2年まで学校には通っていませんが、水族館で働くために生き物の勉強をそれなりにしてきました。中3になる頃には母の実家の近くに引っ越して新しい人生がはじまりました。中学3年の時はお世辞にも楽しく過ごせたとは言えませんでしたが、大好きな野球ももう一度できるようになりました。そして卒業し、高校に入学します。高校は親元を離れ、寮生活を3年続けました。この高校を選んだ理由は『海』や『海洋生物』に触れ合えるような学校だったからです。しかしいじめられっ子だった僕を寮生活させるのは母に反対されました。でも『夢』のためには絶対泣き言を言わないことを条件に土下座で頼み込み入学にこじつけました。結果的にはこの選択は大正解でした。今でもこの高校で出会った友達とは仲良くしています。人間不信だった僕が再び人を信じれるようになりました。

高校ではたくさん学び、たくさん笑い、たくさんの思い出ができた人生で最高の3年間でした。そして僕は専門学校に入学することにしました。専門学校ではより専門的に色々学び、色々な水族館に研修に行きました。『夢』だけは絶対諦めない。その気持ちだけを考え、必死に授業や実習にくらいついて頑張りました。そんな今では僕も憧れだった水族館で飼育員をしています。今思っても夢を諦めなかった結果だと胸を張って言い切れます!そして今では僕をいじめていた幼馴染にも感謝しています。あの時いじめられていなければ僕の人生は全く違ったと思うし、夢があったかもわかりません。なので、辛かった時期もありましたが、僕は今の人生を歩めていることに幸せを感じています。
福島県 ぇりちさん/女性27歳
危険な恋
今の話です。私は既婚者です。二週間ほど前に、ツイキャスライブでとある男性と出会いました。画面越しにしか聞こえない声に日に日に惚れて行きました。その人がいる事で、一日が楽しくて仕方なかったり。一日が寂しかったりします。また。私の知らないあの人の顔を他の人から聞いたり、悪循環。恋をしている自分は好きだけど、切なくて。忘れたいけど、離れられなくて。会いたくて。もうおしまいにしなきゃいけないと思うけど、彼は優しく話しかけてきて。忘れられないのです。でも、いつかは、さよならしなきゃいけないです。
兵庫県 ひらゆか→さん/女性30歳
亡き兄への想い
私には、二つ上に兄がいます。たった1人の大切な兄です。小さい頃から面倒見がよくて親が仕事の時は、私のオムツを替えてくれたり、一生懸命面倒を見てくれました。お兄ちゃんが大好きで、でも下の名前で呼び捨てで呼んでいてなかなかお兄ちゃんって呼ぶことが出来ませんでした。照れくさくて。でもある日突然、お兄ちゃんって素直に言葉に出すことが出来て、お兄ちゃんも嬉しそうでした。そこから兄妹の絆がもっと深まったように思います。

当時私は中学1年生、兄は3年生でした。学校でもイジメられないようにと妹の私を守ってくれて、兄は私たちの学年からしたら憧れの先輩的存在でした。本当に色んな人に好かれていたと思います。中学の卒業式には、花束をたくさんのひとからもらっていて持ちきれないほどでした。

私が中学を卒業して高校生になるときに兄と同じ学校を選びました。電車通学でしたが兄と兄の友達みんなで通学するのは本当に楽しかったです。遊ぶ時もデートの時もいつも妹の私を一緒に遊びに連れてってくれて、バイト代が入ればお小遣いをくれたり、時には自転車を買って来てくれたり、本当に少ないバイト代の中で自分のことより母や私のためにお金を使うような兄でした。お返しで私も兄に星柄のタンクトップをプレゼントしたのを覚えています。すぐに着てくれて気に入ってくれました。兄が好きだったことは歌とだんじり。カラオケは何回も何十回も一緒に行きました。地元のだんじりでは本当に楽しんでのっていてかっこよくてキャーキャー言われる程でした。

そんな中、兄の様子が少し変だなと感じたのは、よくむせること。歩いていても自転車に乗っていてもよくふらつくようになり、体もしんどかったようです。それでも頑張ってバイトに行き 、ある日、母にこれで最後にするからお願いやからだんじりに行かせてと言ったそうです。その頃にはだいぶ体もしんどかったようです。そして病院に行き、色々検査をしました。その時の診断は、頭に腫瘍があること。手術ではとり除けない場所にあること。そして、、将来歩けなくなることを医師から宣告されたようです。病院を出た帰り道、兄はその場にしゃがみこみ泣いたそうです。おかん、ごめんな。って。そのことを聞いた時、私は涙が止まりませんでした。何度もセカンドオピニオンに行って分かったことは「余命1年」でした。それでもどれだけ調べてもはっきりとした原因が分からず少しずつ歩くのが困難になり寝たきりになりました。介護の日々で、医師からは「いつダメになってもおかしくない」と言われ続け、母はもう限界がきてしまい最後の方は病院に行けなくなってしまいました。

17歳だった私は、兄が死ぬわけないって思っていて、兄のそばではなく母のそばにいてしまい、結果、兄の面倒は母の兄弟の方がみてくれていました。そして、兄が息をひきとった瞬間に私たちは立ち会えませんでした。その事で母は、兄弟から「逃げた。」と言われ、それ以来疎遠になってしまいました。母は、病院に行けなかったこと、結果逃げてしまい死に目にあえなかったこと、たくさんたくさん悔やんで悔やみきれないほど悔やんできました。同時に私もなんでもっと兄に会いに行かなかったのだろうと後悔が残りました。お兄ちゃんごめんね。ごめんねって。。17歳で病気になり20歳になる4ヶ月前に亡くなりました。 高校は単位制でどうしても卒業したいって頑張っていましたが、直接行かないとダメなことがありあと少しのところで卒業が出来ませんでした。お葬式には500人の方が参列してくださり誰からも愛されて本当に人望が厚い兄でした。中身も生き方も素晴らしい兄。

一方の妹の私は。。なんて残念な人間なんだろうって自分を責めてきた人生でした。私がもしも亡くなってもこんなに悲しんでくれる人はいるのかな?人望も何もない私はなんで生きているのかな?どうして私じゃなくて兄なのかなって、自分の価値が分からずマイナス思考になってしまいました。兄が生きていたらって何回も何回も思った。兄が生きていた頃に今みたいに歌声を動画に撮っていたらなとか。私が産んだ子供を可愛がってくれただろうなとか。後悔しか出てこなくって。。でも、いつまでも下を向いていちゃいけないって。自分の人生は自分で切り開かないといけない。兄の分まで一生懸命今を生きるんだ。そう思いながら今は日々を送っています。

兄と過ごした17年間は、何にも変えることが出来ない素敵な素敵な時間で、兄の妹ってことに心から誇りに思い、兄を心から尊敬しています。今でも無性に会いたくなってキューって胸が締め付けられる事があります。一生忘れることのないずっと胸に刻んで生きていくんだって。ハジ→さんがもしも楽曲にしてくれるのならば、天国にいる兄に届けたいです。私の思いを届けたいです。そしてもしも一曲の歌になったのであれば是非、お母さんにプレゼントしたいです。曲を聴いて後悔の念が少しでも和らいでくれたら1番いいなと思います。どうかお力を貸して下さい。よろしくお願いします。読んでくださりありがとうございました。
福岡県 ゆっきぃさん/女性42歳
人生を考える
私の母は45年ほど前に、駆け落ちして結婚して私を産んだ。でもうまくいかず離婚。その時、私は1度捨てられた。母の兄が、一緒に育ててあげるから連れ戻しておいでと、言ってくれたから、私は今も生きていられている。母方の祖母は厳しいひとで、友達と遊ぶのも、恋愛するのも禁じられていた。私は、捨てられないように…早く自立したい…早く自由になりたい…と思いながら、育った。母親の愛情がなかったわけではないが、心のどこかに、1度捨てられた!という思いが残っている。今までも、恋愛はしてきたけど、あまりうまくはいってない。心のどこかに親に捨てられた私を他人が好きになってくれるはずない…という思いがあったから…。

学校を卒業して、看護師を目指し、家を出た。そして看護師になったけど、近づいてくるのは、金目当ての人ばかり…。騙されたり、利用されたり…。そのうち、あまり、人を信用しなくなっていた。でも、30過ぎた頃から、人のせいにばかりしてはいけない。自分を変えるのは自分!と思うように生きてきた。友達もたくさんいた。仕事も充実していた。でも、頼まれたら断れない性格。利用する人は絶えなかった。38歳の時、いきつけのバーのマスターとケンカした。何かしたわけではない。呼び出されれば行き、お金を使い、何かしたいと言われれば、準備していたのを、1回仕事が忙しくて断っただけなのに…。ウチの客とは連絡とるな!店を出禁になり、全ての友達と縁を切らされた。

最初はみんな、理不尽と思ってくれていて、自分達と私との友情関係は変わらないから…と言ってくれていたけど、日が経つと段々疎遠になっていった。恨んで、悲しくて仕方なかった。でも、嘆いても仕方がない…。忘れようと努力した。新しい夢を見つけて、夢に向かって努力もした。なかなかうまくいかなかったけど、まだ叶ってないけど、前を向いて歩き出せていた。

今まで生まれてきて良かった!あの時に戻りたい!と、いうほどの時期が私にはない。死ねないから生きているだけ。そんな人生だったけど、先日10年以上の知り合いで好きな人からプロポーズ?された。生きていて良かったと初めて思った。その人はいきつけの居酒屋の常連さんで車の整備士さん。出会った頃、彼には妻子がいて、家庭があった。でも、時々2人であって飲みに行ったり、キスしたりしていた。でも所詮家庭のある人、ゴールはないし、いきつけの居酒屋がなくなって、会う機会も減って年に1~2回しか会わなくなっていた。

だけど先日、久しぶりにごはんでも行こうかと連絡があり、飲みに行ったら「一緒にくらそうか。ついでに籍もいれようか。妻とは2年前から離婚の話が出ているから別れる。子どもも20歳すぎたからもう別れる」と言われ、2人で家を借り、引っ越しまでしたけど、彼はまだ一緒に暮らしてはくれない。離婚がうまくいってないのかもしれないし、親権とかの問題もあるみたいだし…。また私は利用されただけみたい。離婚されて、追い出された時の行き場の保険。ほんとはどうなっているのか?どうするのか?聞きたいけど、好きなのは私の方だから怖くてきけない…。引っ越しの準備とかするうちに、何か嫌われることしたのかな…。夢だったんだと忘れよう。
埼玉県 迅也さん/男性20歳
勇気が欲しい
これは僕が追い続けているキックボクシングのチャンピオンになるという夢を追った実話です。僕は小学校1年生の頃に親に空手道場に連れていかれ格闘技に出逢いました。その時に「やってみるか?」と言われ、僕は迷う事なく「やる!」と言ったそうです。これが僕の格闘技人生の始まりです。ですが、現実はそう甘くなく、昔は大会に出ても全く勝てず、周りからも「こんなやつがプロになるとか、有名になるとか、そんなのありえない」と言った感じでした。何度もやめたいと思いましたが親に止められ、試合に出ても勝てない日々が続きました。それでも中3まで粘り強く続けてきました。その頃、テレビでやっていたK-1を見て僕もいつかこんな選手になりたいな。と思うようになりました。

ですが格闘技のやる気がなくなってしまい、高校に入ると同時にやめてしまおうと、格闘技から離れることを決めました。だが前期で行きたい高校に落ちて、後期で行く予定ではなかった高校に入りました。そこにはボクシング部がありました。これをきっかけに僕はまだ格闘技を続けよう。と決めました。だけど、高校に入って3日で僕は自転車で事故ってしまい左手を複雑骨折してしまいます。何もかも思い通りに行かず、気持ちも落ちていましたが、そんな時に出逢ったのがハジ→の音楽です。YouTubeでたまたまハジ→の音楽を見つけ一気にハマっていきました。ハジ→の音楽はストレートで僕の胸に刺さり何度も助けられました。高校時代とてもキツイ練習の日々がありましたが、なんとかやり切ることが出来ました。高2の頃は部員が僕1人しかいなく、先生とマンツーマンでやる日々でした。それでも僕はやめる事なく頑張ってきました。そして高3の最後の年にはインターハイに出場出来ました。

高校を卒業すると、格闘技をやめ、実家の長野で普通に仕事をしていました。でも、仕事をしながらなぜ僕はこんなことをしているんだろう、と気付かされ、夢であるキックボクシングをやりたい!と思い仕事を辞め上京することを決めました。上京してからも色んなトラブルがあったり辛いことがありましたが、やっと結果が出るようになり優勝も出来ました。ハジ→の「道。」という曲を聴き、さらに頑張れました。そんな時にハジ→からこんなリプが届きました。「じんやがチャンピオンになったら登場曲を書いたる」これを見た僕は本当に嬉しくて泣いてしまい人生で1番の夢になりました。

そして10日後の6月10日に僕はプロデビューの権利がかかった試合に出ます。あんなに弱かった僕がプロにまであと少しという所まで手が届きました。これを優勝してどんどん有名になっていつかハジ→さんに曲を書いてもらいたいです。まとまっていないしよく分からない文章ですが、これをハジ→さんが読んでくれればそれだけで嬉しいです!いつか絶対チャンピオンになるので登場曲を書いてやる。という僕の夢よろしくお願いします☆そしていつも素敵な音楽を本当にありがとうございます!!
奈良県 ならんちゅさん/女性38歳
君のためなら
20年も昔、授かった婚で結婚した私!笑。お互い若すぎた結婚で、旦那様は仕事が続かない、生活が出来ないそんな結婚生活でした。毎日責めてしまう日々。こんなはずじゃなかった、と。私には宝物がこの世に二人!旦那様とは離婚してしまったけど、腐れ縁なのか?運命の人だったのか?未だに家族の様に、子供、私を心配してくれ、いつでも助けてくれます。「あなたは再婚しないのか?」と聞くと、「お前と再婚するから。必要ない」と笑。もう、出会って20年の月日が流れるのに、お互い相手を作らずに居ます。笑。仕事も真面目に勤め、頑張ってくれています。「お前らのためや!」って、いつもいつも感謝でしかない。旦那!きっと、いい人がいただろーに!長い人生、仕事、子供を大事に生きて頑張ってくれていた旦那。私は上手く、伝えられません。笑。でも私の気持ちは、20年前と変わらずあの人が、人間そのものが、大好きです。ほんとに20年もありがとう。来年ぐらいに「共に生きてくれませんか?」と、伝えようかと思っています。きっと、私にとってあの人は、運命の人だったんだと思います。毎日毎日、あの人の心配しか出来ませんが、どうぞ、この気持ち、詩にまとめて下さい。私の不器用な気持ちを。来世でもあの人と結婚したいです!本当にありがとう。です。
熊本県 あずみさん/女性26歳
危険な恋
お互い結婚していて、けどお互いその時は離婚を考えていて、その時に出会って恋をして、不倫関係を1年。ずっと、私は彼を待っていて、でも、待っている間はものすごく複雑な気持ち。でも、本当に来てくれて。今ではやっと、本当の幸せを見つけられたんだ!って思った相手。いけない関係からのスタートだけど、だからこそこの恋で最後にしたい。1年後に結婚すると今なっていて、3年目に結婚予定です!ハジーの宮城仙台ライブ、居酒屋当選して、その日からまたぐっとお互いの距離が縮まった。ハジーでお互い距離がどんどん縮まっている。あたしと、彼を繋げてくれているのはハジーです。感謝。
愛知県 いつみんさん/女性28歳
ありがとう
おじいちゃんが8年前に亡くなって最後喧嘩したまま死んで行っちゃった。最後喧嘩したままやったから、すごい後悔で。でもわたしの名前、おじいちゃんと一文字しか変わらない“逸美”って名前つけてくれたこと、ありがとうと言いたい。いま何していますか。おばあちゃんに逢えたのかな。おばあちゃんと仲良くいるのかな。そうふとした時に思ってしまう。実家に帰るとおばあちゃんとおじいちゃんが寝ていた部屋にいつも行ってしまう。おじいちゃんとおばあちゃんに逢えるならもう一度逢いたい。出逢えたことに感謝ありがとう。
沖縄県 Na:)さん/女性26歳
ありがとう
今から14年前。わたしたち家族は山口県に、パパは千葉県に単身赴任をしていた。なかなか会うことはできないけど、月2回くらい週末、わたしたちに会うためにパパはよくお土産を持って帰ってきてくれていた。その頃、わたしと弟はソフトボールをしていて、試合を見に来てくれて、応援してくれた。どんなに疲れていようが家族のために。

12月、それはわたしと弟の誕生日。わたしは誕生日より一足先にプレゼントを買ってもらった。シルバーのポータブルCDプレイヤー。買ってもらった日にパパにありがとうの連絡した。使い方のわからないポータブルプレイヤー。次の週末帰ってきたら、設定してくれるって約束した。その日の夜中、ママへ誰かから電話が来た。パパの会社の人だって。なんだか慌ただしい。

、、パパが倒れた。って。
千葉県はもともとわたしたちも住んでいたからおばあちゃんたちがパパの元に。わたしたちは夜遅かったから何もすることができない。

、、パパ死んじゃった。って。

なにが起こったかもわからないまま、ママはわたしと幼い弟を連れて次の日、パパの会社の人が手配してくれた飛行機に乗った。初めての飛行機。寝不足、緊張、不安、目の前が暗いもちろん嘔吐。苦しんでいたところ助けてくれたのが客室乗務員の人たち。喪服のわたしたちを見て、察してくれたのか、いってらっしゃいませ。と優しい声をかけてくれた。早々と葬儀を終え、パパを抱いて新幹線に乗って帰ってきた。

それから今まで、ママはパパ役も務め、わたしたち兄弟を成人させてくれた。好きな勉強をさせてくれ、自分のやりたい道に進みなさいと。あの日、何が起こったか未だにわからない。けどそこからずっとママは頑張って成長させてくれた。きっと誰よりも辛いのは間違いなくママだったはずなのに。泣きたかったはずなのに。きっと一人で泣いた日もあったけど、わたしたちには決して見せなかった涙。今こうやってわたしが好きな道へ進めているのも、パパやママがいてくれたから。この家に生まれることができたから。自分がしてもらったことをいつか自分がパートナーを見つけて、子どもを授かり、同じことをしてあげたい。そう願いながら今を毎日生きている。

いつ誰がどんな時に目の前からきえるかわからない。だからこそ出会えてよかった。良い時間を過ごしたな。と思ってもらえるような、客室乗務員として今働いている。それがなによりもあの辛かった過去を思い出させてくれる空間であり、だけどずっと心に残る時間だったから。いつまでも自由にさせてくれるママに感謝。ありがとう。わたしはこれからもわたしにしかできない形で多くの人との時間を過ごしていきたい。もちろんママともね。
愛知県 さんあーさん/女性18歳
人生を考える
私はいじめられていました。1年生から2年生へ進級しウキウキワクワクだったのにある日いきなり変わってしまった。クラス替えで学年のリーダー的な奴らと、一緒になった。ありもしない噂やありえないぐらいの暴言。すごく辛かった。友達は心配してくれたけど、笑って「大丈夫大丈夫」と言っていたけど、正直もうダメだった。

そして席替えの日、あみだくじで主犯格のやつと隣、そしてそいつの友達が回りにきて、あーもうこれ耐えられないなーと思った。これからこの人達と同じ時間を過ごしたくないなぁと思い、その日から学校へ行かなくなった。

親は心配して「どうしたの?」とか聞いてきたけど、話したくも思い出したくもなかった。1週間、何も食べず、ずーーっとボーっと過ごして。でも、あいつらのためにこんなもったいない時間を過ごしてたら意味が無いと思って、通信制高校を片っ端から訪問して今の学校に入った。前の学校では生徒会をやっていたこともあって、めちゃめちゃ引き止められたけど、いじめに気づかない先生達とはなにも話したくないと思って迷わず学校を辞めた。

今の学校では、素晴らしい出会いがあり、通信制高校だからこその素晴らしいことを体験できて、こっちの道で良かったんだと思っています。通信制ってだけで「全日制とは違うんでしょ」とか「勉強してないんでしょ」とか言われるけど、そんなこと気にしてたらキリがない!

もし今、いじめられている子がいるとするなら自分がなにを1番したいか。いじめたやつらを違うことで見返してやりたいか。あいつらのことを考える時間の方がもったいないよと教えてあげたい。自分は今、いじめられていたからこそわかる思いを、みんなに知ってほしいし、通信制高校だって言うことでバカにされるそんな世の中になって欲しくないって思う。
大阪府 あんちゃんさん/女性23歳
人生を考える
交際して8年、結婚して1年の旦那がいました。学生の頃から遠距離でお付き合いし、同じ目標に向かって切磋琢磨し支え合ってきました。結婚式前に妊娠がわかり、安定してないから結婚式では妊娠報告はしないでおこうと約束していましたが、結婚式当日、勝手に妊娠報告されました。そして翌日、夫は家を出て行きました。捨てられました。その後、赤ちゃんを失いました。沢山失いましたが、私は裁判などはしませんでした。家族の支えがあって、また赤ちゃんに会うために、私は前を向いて歩き出しています。
岡山県 しまうまさん/女性18歳
恋愛と夢
高校を卒業して、自分の夢を叶えるために入学したが、自分の思っていたのと違った。勉強に追われ苦しい。でも夢を叶えるために頑張りたい。けど頑張れる源がない。お互い好きだがまだ付き合えない。会いたいけど忙しくてなかなか会えない。あなたと近い距離なのに会えない。あんだけ多く会っていたのに、急に会えなくなって、写真や動画を見返す毎日。一日一通メール送ると約束したけどいつ返信がくるかわからない。あなたの気持ちをもっと知りたい。10ヶ月後、君を待っていると約束した。はやく10ヶ月経ってほしいけど、あなたの気持ちが変わらないかが不安。次会える日まで、夢のために頑張るしかないけどあなたと話せない不安がつのっていく。それでも、私はあなたを応援している。ずっとずっと、あなたを待ち続けたい。夢のための勉強をして、あなたとこの先の人生を歩みたいと思うから。
福島県 あみ→会津っ子♪♪。さん/女性20歳
人生を考える
小6の時、両親が離婚して今までにないくらい泣いた。なにをするにも気分が上がらず笑顔になれなかった。だけど父と離れて暮らす事になった日、「離れていてもお前の父親にはかわりない。一生お前の父親だ」って言われました。その言葉で、父親がいなくなったわけではない。一緒に暮らせなくなるだけだって。会いたくても亡くなって一生親と会えない人だっている。だから私は会えるんだから幸せなんだと思いました。幸せってなんだろうって考える時もあるけど、いま自分が生きていること。家族が生きていること。それが幸せなんだと思いました!パパ、ママ、私を産んでくれて育ててくれてありがとう!パパ、ママ大好きだよ!私のパパとママが2人でほんとによかった。ありがとう。私は今幸せです。
千葉県 高田満紀さん/女性20歳
ありがとう
自分が高校1年生で16歳、今の旦那さんが18歳の時出会いました。当時、私達は宮城と神奈川の遠距離でした。月に1回、旦那さんが会いに来てくれていました。ハジ→の「指輪と合鍵。」や「ずっと。」に支えられていました!

付き合って3年がすぎた年、私は高校3年生で就職活動の時期で憧れだったバスガイドの職に。そして就職先を東京にしました。憧れと旦那さんの近くに居たくて笑。けど東京に来てからすれ違いが多くて何度も別れそうになっていました。けど自分は何もかもが初めてだった旦那さんと、人生で初めてできた大切な人と、一緒に未来を家庭を築いていきたいと思っていました。

そんな時、就職をして半年を過ぎたころ、体調が優れない日々を過ごしていました、まさかと思ったら自分のお腹に小さな命が宿っていました。妊娠がわかった時はとても嬉しくて幸せな気持ちになりました旦那さんにも報告したら今までで一番喜んでくれました笑。 そして両親にも報告。私は小学高2年生の時から片親で育ってきました。母とはなかなか気があわなく、何度も大きな壁にぶち当たり、仲は最悪でした。そんな母に妊娠を報告するのはとても気が引けていました。けどいざ報告をするととても喜んでくれて心がホッとしました。まあ母も19才で私を妊娠していたのもあるんでしょうね笑 そして去年の夏無事に元気な男の子が生まれました!無事に我が子が生まれて来れたのも旦那さんや母、周りの人たち助けてくれたおかげです。けど、なかなか素直に感謝の気持ちを伝えられていないので、ハジ→のこの企画をみて応募させていただきました!今年旦那さんと付き合って5年記念日。息子が生まれて1年など沢山の記念日があります。なので是非、お願いします!
宮城県 あずっちぃ→さん/女性17歳
キモチを伝えたい
一昨年の夏、彼とすれ違いが沢山あって喧嘩も多くなり、別れる事になりました。そして去年の冬、勇気を出して一通の手紙を送りました。封筒の中に手紙とは別に電話番号を書いたメッセージカードを入れました。ちょうど(届いたかな?)って時に彼から一本の電話がかかってきて『久しぶり!元気してた?』と、その一言が嬉しかったです。連絡を重ねるにつれて、改めて私は彼のことが好きだと確信しました。お互い都合が合い、会う事になりました。日が経つにつれて、会う回数が増えてきて、今じゃ仲良しです。

でも、どんなに近くに居ても彼との距離は全然遠くてめっちゃ好きなのにめっちゃ辛いです。今彼に気持ちを伝えてしまったら今の関係が壊れてしまいそうで不安と恐怖でいっぱいです。会いたいのに素直になれなくて頑固で“好き”って気持ちを紛らわすことしか出来なくて...。でも、どんなに頭がいっぱいで辛くても、私は彼と一緒にいる時、沢山笑って居ます。私が八つ当たりでどんなに酷いこと言ってしまっても、彼はいつも大丈夫だよって笑いかけてくれます。そんな彼が私は好きです。過去も今も彼は私の笑顔の理由です!私も彼の笑顔の理由にまたなれたらいいなって思っています。
福岡県 アゴktさん/男性17歳
うれしい・たのしい
高校に入学して、出会った2つ上の先輩。部活も違ったけど、その先輩の従姉妹が同じクラスで、その子のおかげでLINEも交換できた。何人かで行った公園でも、一緒に遊んだデパートでも、先輩だけをみていました。好きな人とほんの少しでも一緒にいられて、少しだけの楽しい思い出ができました。今はもうあまり会えないけど、あのときの気持ちは今でも大切に胸にしまっています。このさきも、あなたと過ごしたほんのわずかな時間を大切にします。あのとき、一緒に撮ったみんなとのプリクラも、あのとき、バカみたいな顔して撮ったみんなとの写真も、今でも大切に持っているよ。このさき、あなたに今までいろいろあったと思うけど、幸せになってほしい。少しの間だけど、2つ年下だったおれだけど、ありがと!そして、これからもよろしくね。
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