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静岡県 元気さん/男性30歳
ありがとう
私は30歳になる男です。20年以上前の小学生の頃からの親友との話しです!正直20年たった今だからこそ親友と思える、言えるようになりました。私は小学4年の頃、転校してきました。転校してきた初日、緊張しながら校長室で話をしていると、ほんの少しだけ校長室のドアが空き、数人が覗いていました。その1人がその親友でした。その後はその友達などのおかげですぐに皆と打ち解けることができ、毎日学校も楽しみに行き、放課後には毎日のようにグランドや公園や川などで17時に鳴る鐘の音まで沢山遊んでいました!

中学に入学しお互い別々の部活にも入部し小学生の頃みたいに毎日は遊べなくなってしまったが、時間がある時や少ない休み時間でも皆で話したり遊んだりする時間が大好きだった!いい事をする時もやんちゃする時もいつも同じ仲間がいたなぁと。しかし卒業後は何かがあったわけではないが全く連絡をとっていませんでした。高校は別々な道に進みその後彼は大学、自分は就職をして何気ない生活を送っていました。

そして会わなくなった中学卒業から10年後、共通の友達を病気で亡くしました。なにもできない自分が悔しかった。もっといっぱい飲みにいったり遊んだりしたかった。その友達のお葬式などでたくさんの同級生に会った。親友とも10年ぶりの再会でした。友達との別れの場ではあったがなんか亡くなった友達がみんなに会わせてくれた気がしました。その話になり、私たち全然集まったりしてないね亡くなった友達もワイワイガヤガヤが好きだったからこれも何かの縁、同窓会しようとなりました。

親友とはこの場で10年ぶりに連絡先を交換しました。でも学生生活より会っていなかった時間のほうが長く、連絡先を交換しても1年連絡をとっていませんでした。しかし一年後急に「元気しているかな?」と思う時があり連絡したら、親友はかなり落ち込んでいました。その原因は別れ。離婚する、しないという話しになっているところでした。「俺でよければ話しきくよ?」その言葉から久しぶりに会って話しをするようになりました。結果的には親友は離婚しました。でもその時、友達は「マジお前が居なかったら俺、自殺していたかもしれない。本当にありがとう。」と言ってきました。自分ではそこまでの事はしていないと思ったが親友はそこまで思っていたみたいです。でも自分もその言葉が凄くうれしくなりました。この時本気で思いました。「こういう関係が親友なんだ。」「ずっと会っているからなんて関係ないな。」って。

それからは頻繁に会うようになりお酒を飲みにいったりもしています。その他にも昔の学生時代に帰ったかのようにカブトムシやクワガタをとりにいったり海にいったりと、なにをしていても気を遣うこともなくお互い自然に笑っていると思います!話が全然まとまりませんが、大人になってからの再会でも子供の時みたいにバイバイって出来ている。何年も会っていなくてまたこうやって一緒に笑い会える。辛いこと悲しいことはお互い聞きあったりして楽になり楽しいことや面白いことは一緒に倍たのしめる。こんな関係が本当の親友なんだな。と最近感じています!何年何十年先だって遊んだ後は今と変わらず、笑いながら「またね。」って言えるそんな仲間、親友でいたいと心から思います!
大分県 COCOさん/女性39歳
ありがとう
大切な人と出会い結ばれたその日から始まった物語。小さな命ふたつ、この奇跡が私の人生を素晴らしいものにしてくれた。全てを頼り、全力で寄り添ってきた15年、あっという間に過ぎた15年はかけがえのない人生。キラキラ輝く星の数ほど喜びや幸せが溢れ、降り止まない雨のように涙する辛い日も共に乗り越えた。ふたりの未来がずっと続くまで誰よりも私が応援し続ける。あなたたちのためなら、どんな試練もどんな努力も乗り越えられる。わたしには、天使のような存在。夢を追い続ける素晴らしさを教えてくれ、忘れかけ叶わなかった自分の夢と重なることもある。今たとえ離れてもどんな家族より心はそばにいる。離れているから感じる絆がある。こんな気持ちになるなんて、こんな素晴らしい心が宿るなんてしらなかった。ただただ感謝。私の大切な宝物。
徳島県 やすかさん/女性29歳
出会いと別れ
付き合っていた彼氏から5年記念日にプロポーズをされ、彼の25歳の誕生日の10月5日に入籍しました。そして次の年の5月に結婚式を挙げました。その時、私のお腹には小さな小さな命が宿っていて、小さな心臓が元気にトクトクと動いていました。結婚式の後の二次会で友達に報告するとみんな喜んでくれました。とても幸せな1日でした!でも、結婚式後の健診の日、動いていた心臓はとまっていました。頭が真っ白になりましたが信じられなくて涙も出ませんでした。もしかしたら次の健診の時には動いているかもしれない、今回はたまたまちょっと止まっていただけだと言い聞かせて。でもその次の健診の時も動いていませんでした。悲しくて泣きました。涙が止まりませんでした。旦那さんも泣きました。旦那さんの泣いている姿を見たのは結婚式の日と、この時だけです。

手術はせず自然に出てくるのを待つ事にしました。それもちゃんとした「出産」だと思ったからです。それからちょうど1年後、また妊娠しました。しかし今回もまたダメでした。二度目の流産でした。私は我が子を抱く事は出来ないのかなと涙が止まりませんでした。この辛い経験を忘れないように当時27歳だった私は、30歳の私へ手紙を書きました。どうか30歳の私は我が子と遊んでいますようにと。ふと今までの事を思い返すと「子供が欲しい」と思いすぎていたことに気がつきました。新しい仕事を始めたのをきっかけにちょっと妊活はお休みしようと思っていた矢先、思いもよらない妊娠発覚。もしかしたら空の上から頑張りすぎている私達を見ていて、気がぬけた今だ!と思って赤ちゃんが来てくれたのかなと思いました。この子はこの世に産んであげたい!と強く思いました。病院も変えました。

標準ギリギリいっぱいにスクスク大きく成長していた我が子は、365分の1。私のお父さんと同じ誕生日を自分の誕生日と選んで産まれてきてくれました。2017年11月21日。3192gの元気な男の子です。産まれたての我が子を、抱っこした時、嬉しくて嬉しくて涙がとまりませんでした。「やっと会えたね」と言いながら抱きしめました。生きてきた中で一番幸せな瞬間でした。この世に産んであげられなかった流産してしまった2人のぶんも、幸せにする!お母さん頑張ります!泣きやまない時は一緒になって泣いたり正直イラッとしてしまう時もあるけれど、世界で一番誰よりも大切で大好きな宝物。うまれてきてくれて本当にありがとう。お父さんとお母さんにしてくれてありがとう。これからいっぱい思い出作っていこうね!毎朝「おはよう」って言ってぎゅっと抱きしめるのが日課です。愛情をいっぱい体や言葉で伝えることはとても大事だと思います!
大阪府 まぁちゃんさん/女性21歳
人生を考える
就職活動が始まった。受けては落ち受けては落ちの繰り返し。なぜか、辛い時に辛い事が重なってやってくる。2年半付き合っていた彼氏に突然振られた。1ミリも振られるなんて思っていなかった。理由はもう好きではない、ただそれだけだった。震災に遭った。初めて地元が震源地になって分かる地震の恐怖。余震で眠れない日々が続いた。だけど、世間はいつもと変わらない。「不安」なんて誰かと共有することは出来ないと実感した。辛い、辛い、辛い、辛いと思っても世界は幸せな時と変わらない。辛い壁は自分の前にしか立っていないと気づいた。だから私が、超えるしか方法はない。自分の足で進むんだ。自分の道を決めるんだ。辛い道はもう嫌だ。今日また就職活動に戻る。私はできる。自分を信じる。
福岡県 悠さん/女性21歳
青春の思い出
声を聴きたいと思って電話も手紙もしたのに、返事はなく、私達の仲は本当に終わったんだと思った。悲しい時はいつも雨だ。中学2年の3月、あなたとSNSで出逢って、電話もして文通もして5年。内容は様々。学校のこと、勉強のこと、部活動のこと、進路のこと、好きな人のこと…星の数ほど話はしてきた。登校拒否で話の相手が欲しかった私は、始めはほんの少しの興味だったし、憧れている学校生活はあなたの話を聞いて想いを馳せていただけだったけど、あなたを知れば知るほど好きになっていった。同い年で、誕生日が2日違いで、好きな人がいて。そんなことで美化はしないけど、私が心労によって正気の沙汰じゃなくなり、あなたに不本意で別れを告げなければ、メールアドレスを削除しなければ、まだ一縷の望みがあったのだと、何百回何千回、後悔したと思う?詩だとか、美化しているとか人は言うけれど、こういうことを言うんだね。美化にもできないよ。

良い友人に同級生がいて幸せだったのだから、登校拒否になったのは私自身の性質で、責任でしかないけど、それでもそんな私を赦してくれて、私の孤独を癒してくれたあなたのことを忘れられる訳がない。私が何を言っても良いと思うよって言ってくれていた。無責任な…って思っていたけれど、私はあなたが好きだった。そしてあなたも私が好きだった。でももう、私達は隣にはいない。登校拒否なだけなら良かったのに、人に感謝もしない私が中学校を卒業して一人になってしまうのは仕方の無い事。友人達に「ごめんね、ありがとう」って成人式でも終に言えなかったことの後悔は癒えないけれど、少なからず、本当に大切な友人がいるから些細な事でも幸せと思えるほどの大学生活だよ。その一人に、あなたがいてほしかった。

正体の知れない私の隣にいてくれたあなたには、手紙でも電話でも適わない「ありがとう」がある。何百回 何千回でも言えたはずなのに、音沙汰になってしまったのなら、あなたにも終に言えなくなる。大人になったら逢えるよって何百回言われてきたけど、その時々を大切にできていなければ、人との縁を戻すことはできない。淡くも無邪気な思い出が、私の歳を止めている。私はあなたを欲しているのに、あなたは私を欲してはいないんだね。手紙を送ってから何ヶ月待っているんだろう。せめて手紙じゃなくてもいいから、メールアドレスもLINEも書いたのに。きっとあなたも大学生になっている。でも寮暮らしなら、手紙には気付いていない?訳がないよね。卒業論文で福島の事を書くからあなたに逢えるならって思ったのに。本当に、ごめんね。

私と友人になったことを後悔してほしくなくて、漸く、楽しい学校生活ができているよって、成人式のこととか、進路のこととか…星の数ほどの話を報告したかった。あなたがいなくなって、私の思い出にも、あなたがいなくなった。私は、あなたを利用してなかった。本当に好きだったから。言葉にすると詩の様になるのは、本当に伝えたい人に伝えられないからなんだね。もう一度仲を戻せるなら、私と友人になったこと、後悔はさせないよ。ありがとう。どうか、幸せでいてね。
愛知県 金さや→さん/女性21歳
ありがとう
【2017年1月12日】この日、お腹の中に新しい命がある事を知りました。「おめでとうございます」先生のその言葉で「ほんとに赤ちゃんできたんだ」と最初は驚きと嬉しさでいっぱいでした。産むと決意してから少しずつ嬉しさの反面、不安が大きくなってきました。「まだまだ未熟な私に、子育てできるのだろうか」そんな気持ちばかりになっていた時、家族や友人が「サポートするから大丈夫だよ」と応援をしてくれました。そのおかげで不安ばかりだった気持ちが楽しみだなって気持ちに変わりました。3ヶ月、4ヶ月、5ヶ月…月日が経つ事に大きくなるお腹、エコーで見る我が子の顔。

【2017年4月21日】初めて胎動を感じた日。お腹の中でもぞもぞと動いた我が子。「あ、ほんとにお腹の中にいる。笑」それまではほんとにおるの?なんて思っていて胎動を感じてからあーいると実感。愛おしさが増しました。8ヶ月頃から胎動も強くなり、お腹の重みも増し、いよいよ出産が近付いてきました。我が子に会える楽しみ、不安な出産、心配な子育てなどいろんな感情が交わる十月十日でした。

【2017年9月4日】朝9:00、妊婦健診を受けた後からお腹に痛みが。予定日は一週間後。前駆陣痛だろうと思い、お昼寝。2時間おきに痛みで目覚めながらも午後5時頃まで熟睡。お腹は痛い。間隔を測って見ると5-10分おき。まだまだ大丈夫と思いながらも病院に連絡しました。「5分おきになり始めたらまた連絡してください」そう言われました。「あ、いよいよだ」そう思い再度入院用意を確認。ドキドキしながらも痛みと格闘。午前0時頃。歩けないほどの痛みになり、病院へ連絡。そして病院へ。

【2017年9月5日、病院にて】陣痛室で待機。NSTを付けながら陣痛に耐える。痛い。ただ痛い。そして不安。恐怖。この時は楽しみだなんて悠長には思っていられませんでした。午前3時頃。分娩室へと移動。歩いての移動。つらかった。歩いたらでますそんな感覚。(笑)。午前7時頃。急遽帝王切開へ移行。午前7時15分。元気な産声が。その声を聞いた瞬間、自然に涙が出ました。先生、看護師さん、助産師さんみんなから「おめでとうございます、頑張ったね」そう言われて余計泣きました。3034g、52.5cmの元気な男の子。名前は悠斗(はると)。無限の可能性、そして長生きしてほしいそんな願いを込めた初めて息子に送るプレゼント。ここから始まる育児。思っていたよりも大変でした。

【1ヶ月、2ヶ月】とにかく寝ない。1人では寝ない。可愛いけど、眠さとつらさ、大変さが身に染みる2か月間でした。初めての沐浴、オムツ替え、授乳、抱っこ、すべてに緊張しながら毎日頑張りました。慣れない育児に不安になる時もありました。そんな時助けてくれるのは母や父、そして祖父祖母やまわりの友人達。感謝しきれないほど助けてもらいました。ありがとうございます。

【3ヶ月、4ヶ月、5ヶ月】首もすわり始め、うつ伏せが上手になりました。赤ちゃんの成長はあっという間に過ぎていくんだなと実感。小さいながらも様々なことにチャレンジしようとする息子。そんな姿が可愛くて、愛おしくてたまりません。

【6ヶ月、7ヶ月、8ヶ月】座れるようになり、ずり這い、ハイハイができるようになった息子。ついこの間までは寝ているだけだったのに、あっちこっちへ移動。目が離せなくなりました。一人で出来ることが増え、自我も芽生え、嫌なことややりたいことがはっきりするようになりました。離乳食も順調に進み、ご飯が大好きな息子です。おやつもヨーグルトもたくさん食べます。不安な育児も毎日の成長が楽しみになり、周りの支えのおかげで幸せな毎日を送れています。

【2018年6月20日、息子9ヶ月】そして現在息子は、つかまり立ちをし、伝い歩きをし、立たせてあげれば1人で立てるようにもなりました。十月十日、お腹の中で大切に育てた命が、今目の前で笑ったり怒ったり泣いたり、様々な表情を見せ、日々成長していってくれています。「大きくなったなぁ。」そう感じる毎日です。それと同時にここまで育ててきてくれた母や父の凄さが身に染みて分かりました。たくさんわがままもしたし、苦労もかけました。それでも見捨てないで育ててきてくれてありがとう。私も母や父のように、息子と成長していきます。

悠斗。初めてのあなたをエコーで見た時、豆粒よりも小さいくらいの大きさでした。 それが今ではこんなに大きく成長してくれましたね。大変な育児も、君の笑顔で癒されてまた頑張ろうと思えます。母のもとに生まれてきてくれて本当にありがとう。元気に育ってくれてありがとう。笑顔を向けてくれてありがとう。命の重みを教えてくれてありがとう。たくさんのありがとう。これからもよろしくね。

そして、はじさん。お腹を撫でてくれてありがとう。頑張れって言ってくれてありがとう。大きな力になりました!必ず悠斗を連れて会いに行きます。本当にありがとうございました!
奈良県 はたけんぱ→さん/女性26歳
ありがとう
小さい頃からずっと一緒に遊んでいた弟。毎日喧嘩したり仲良く遊んだりの繰り返しだったね。でもお互い遊びたい遊びを順番こしながら遊んでいたね。私が高校生の時のある日、両親が離婚して別々の生活になりました。家の中がギクシャクしているとき、きょうだいの大切さを初めて感じました。それまではいっぱい喧嘩もしたけど、別々の生活になってからは弟が一生懸命頑張ってきた部活が嫌になり遊び呆けていたとき、家を出たくなったとき、いつもゆっくりと二人で話をして、信頼を重ねてきました。偶然にも好きな音楽、好みの味、将来の夢が一緒で、友達のように遊んできた学生時代。ハジ→のライブを二人で行くようになったのはその時からです。あなたも私の事、信頼してくれているのが伝わったし、私もいつも一生懸命で誰にも優しくて頑張っている姿、姉ながら尊敬しています。

将来の夢だった職に就職が決まり、今年4月から県外で生活。心配しているよ。ちゃんと生活出来ているかなあ、困ってないかなぁ。と。でもいつも二人で一番成長を祈っていた私たちの妹は毎日学校にアルバイトにきらきら輝きながら頑張っているよ。妹は歳が離れているせいか、私と弟が仲良くて寂しい思いもいっぱいさせてしまったね。ごめんね。でもね、二人で話をする時は、いつも妹の話なんだよ。あなたが思うよりずーっと妹の事大好きだよ。弟が妹の誕生日、こっちへ帰ってきてくれると聞いてすごく嬉しかったよ。妹の18歳の誕生日みんなでお祝いできるね。考えるだけで嬉しくて泣きそう。

みんなそれぞれ住んでいる場所は違うけど、一番信頼している大好きなきょうだい。本当に誰にも変える事が出来ない大好きな大切な存在。あなたたちがいて今の私がいます。恥ずかしくていつも言えないけど弟よ、妹よいつもありがとう。これからも助け合って生きていこうね。大好きだよ。
栃木県 あきさん/女性23歳
ありがとう
私の姪は産まれて間もなく髄膜炎という病気になりました。生存率も低いと言われ小さな体で入院生活を余儀なくされました。治ると信じたい。絶対治ると思いつつも頭の片隅にはもしかしたらの可能性もある。と葛藤し可愛い可愛い愛する宝物に会えない日々でした。大丈夫。絶対大丈夫。何度言い聞かせたかわからないくらいにつらい日々でしたがそれよりも我が子につきっきりで一生懸命お世話する姉に感銘を受けました。その姿を見たら治ることしか頭にありませんでした。小さな体で一生懸命頑張る姪から沢山のことを学ばせていただきました。

長い長い入院生活を乗り越えて今はすっかり元気になった姪も2歳になりました。退院の感動は忘れられません。この出来事から学んだこと、考えさせられることが沢山あったこと、命の尊さ、当たり前がどれだけ幸せか、当たり前なんて一つもないこと、普通の生活がどれだけ幸せか、改めて感じることができました。大大大大すきで愛してやまない私の可愛い可愛い天使の姪。この世に生まれて来てくれて、わたしの家族の元へ来てくれて、本当にありがとう。命の限り守りぬきます。沢山沢山ありがとう。I love u。
福島県 KANAKOさん/女性20歳
人生を考える
私ハタチ、今年で21歳。高校を卒業して1度失敗と言うか、経験。初めて就いた所が旅館業。そのきっかけは正直に言うと、みんな職が決まっていて、先生に言われた通りやった結果 (笑)。でもなんだかんだで2年間働きました。労働時間、サービス業、思っていた以上の大変さ。わたしは人見知りだったけど、こーゆー仕事していたからお客さんと話すのが好きになりました!!「かなこちゃんまた来るからね~」それがほんと嬉しかったです。仕事の1日は起きて仕事して休んで、また仕事として風呂はって寝るその繰り返し。なんか、自分のなかでパンチがないというか、仕事やらされている感。

仕事は楽しくやりたいから、自分に何できるんだろ~、何が得意なんだろ~って、半年間ぐらい考えて、たどり着いたのが調理師。きっかけはお母さんが調理師だから。毎日毎日美味しい手料理。何を食べても美味しいから1番ってゆーのはないな(笑)。私の目標でもあり夢です。つい最近からハジめた飲食店で3年間働いて調理師の夢を叶えます!簡単なことではないと思うから毎日に全力でめけずに頑張ります!!調理師の資格とれたら、何になりたいとか今はわからないんですけど、さがします!
岐阜県 りーたんさん/女性19歳
失くした恋
私の初めての就職場所での出来事でした。仕事が一緒な彼とは、最初は挨拶くらいしか喋った事が無かったです。でもある時、会社の仲良い人達と飲み会があったのです!そこには、その彼も来ました。その時は、お互い恋人が居て、まさか付き合うなんて考えていませんでした。だけど、仕事の先輩達に2人お似合いと言われ隣の席に座らされました笑。そこから仲良くなって、LINEもするようになって、彼から告白してきてくれて付き合う事になりました。私も、好きだったからめちゃくちゃ嬉しかったです。付き合って、彼とは沢山遠出したり、家デートしたりしました。もちろん喧嘩なんてしょっちゅうでした。くだらない事で彼はすぐ怒ってしまうけど、やっぱりそんな彼を嫌いにはならなかった。喧嘩が多い分楽しい事も沢山ありました!ほぼ毎日一緒にいてこんな素で居られて楽しすぎる人。初めてでこれが本気の恋なんだなって思いました。

だからこそ、彼には全て許せました。彼とは、ずっと一緒に居たいと思っていた。でもある日、彼がいつもと違って素っ気なくなっていたから、勇気を出して彼の気持ちを聞き出しました。そしたら、私に対する気持ちが分からなくなったって言われました。それを聞いて私は、こんなに彼の事を想っているのになんで彼には伝わらないんだろ。って、凄く凄く胸が苦しくなりました。そして、結局振られました。こんな人を大好きになったのは、初めてで凄く苦しくて悲しくて彼の事が忘れられなくて毎日泣いていました。でも、後悔はしてないです。むしろ、こんなにも幸せな時間をくれてほんとにありがとうと思います!多分、彼と出会って無かったら自分を失っていたと思う。彼には、色んなことを教えてもらいましたし変えてくれました。結果失恋してしまったけど、こんな素敵な恋愛が出来て良かったです!!彼には、ずっとずっと幸せでいて欲しいです。
鹿児島県 ちゃこさん/女性24歳
ありがとう
2年前に私は病気になりました。婦人科系の病気です。大きな腫瘍が見つかり、良性か悪性かが分かるまで1ヶ月程かかりました。その1ヶ月とっても不安でしたが、両親がとても明るく笑って『大丈夫だよ』って言ってくれていたので、少し気が楽になることが出来ました。今でも付き合っている彼氏にも話したら『俺が付いているよ』と言ってくれました。

そして、良性か悪性かが分かる日。両親と一緒に病院へ行きました。しかし、婦人科なので父は病院の中までは入って行けず、病院の外で携帯を握りしめながら良性か悪性かの結果を待っていたそうです。結果は良性でした。安心して父と母は私に話してくれました。もし、悪性で抗がん剤治療をしなくちゃいけなくなったなら、母は仕事を辞めて私に付きっきりで看病をしてくれる覚悟をしていたそうです。

父はインターネットで病気の色々なことを調べてくれていて、結果を聞く前日は不安で眠れなかったと教えてくれました。ここまで私のことを心配してくれる父と母の子どもで本当に良かったです。感謝でいっぱいです。そして、結果は良性でしたが腫瘍を取る手術をしなくちゃいけなくなりました。手術の日が、遠距離の彼氏との一年記念日でした。彼氏が手術当日、平日で仕事があり行けないとのことで、前日に関東から九州まで日帰りで駆け付けて来てくれたんです。

往復14時間もかけてたくさんの時間と飛行機代を使ってまで会いに来てくれ、元気をプレゼントしてくれました。彼氏からの『手術がんばれ』が何よりも力になりました。すごく愛されているなぁと思い、そして感謝の気持ちでいっぱいです。この病気になった時、支えてくれた両親への感謝と彼氏への感謝をぜひハジ→さんに歌にしていただきたいです。
愛知県 akinyanさん/女性29歳
君のためなら
高校1年生の時にクラスが同じだった彼。約3年間、彼からの告白がキッカケで付き合っていた私達でした。高校卒業後はそれぞれ別の土地へ進学したものの、気持ちの変化が原因でサヨナラしました。それから10年間、お互いに連絡をとることも一切なく、それぞれ完全に別々の人生を送ってきました。

10年後、28歳になった私には4年間お付き合いしていた彼がいて、このまま結婚する流れにはなっていたのですが、次第に「私はこの人に自分の人生を預けていいのだろうか?」という気持ちが強くなっていきました。そして時間が経つにつれ、反比例するように高校時代の元彼への想いが強くなっていったのです。たくさんの人達と色んな恋愛をしてきたけれど、あんなに純粋に、あんなにまっすぐ愛情をくれて、あんなに私だけを愛してくれた人は彼しかいなかった…。

毎日彼のことを夢に見るようになり、目が覚めれば切なくて悲しい日々。あまりにも夢に出てくるので、なんとなく何かがありそうな予感に駆られ、思い切って連絡をとることを決心しました。だけど別れを切り出したのは私だったし、恨まれているかもしれない。嫌われているかもしれない。結婚して子供がいたっておかしくない。色々な不安があり、現実を知るのは怖くもありましたが、もしそうだったとしても踏ん切りをつけるタイミングだと思いました。

しかし、彼への連絡手段が私にはありませんでした。SNSで検索してもヒットしない。今の電話番号も分からない。そんな時に目に入ったのが、昔使っていた歴代の携帯電話たちでした。全ての携帯電話を充電して電話帳を探ると、昔の彼の電話番号を発見。その番号を使ってダメ元でLINE検索をしたところ、なんと彼のIDが見つかったのです!緊張しながら彼にメッセージを送信すると、そこからすぐに返信が返ってきて、昔話に花が咲きました。

そして恋愛の話になった時、なんと彼にも4年付き合っている彼女がいて、しかも彼も私と同じように「本当にこの子と結婚していいのかな?」と悩んでいるところだったのです。それから地元で再会。10年間がむしゃらに仕事に打ち込んで成長したお互いの姿を見て、「求めていた人はこの人だ!」と私も彼も直感でそう思いました。再会してお互いの話を聞き、「目の前のこの人とまた付き合うかどうかは別として、今付き合っている相手は結婚相手ではない」と私も彼も感じました。そしてお互いの恋人にはそれぞれ別れを告げ、今後の人生についてよくよく考える時間を作りました。そして彼が1ヶ月後に告白してくれ、なんと10年越しに復縁できたのです。

こんなドラマや漫画のような夢みたいな出来事が、まさか自分の身に起こるなんて…。犠牲の上に成り立った恋だと言われるかもしれませんが、あの時自分の気持ちや違和感から目を逸らさず、彼を諦めなかった自分に感謝しています。結婚という1つの分岐点を前にして、妥協してもいいと思いながら、やっぱり自分の本音に嘘をつけなかった。後悔したくないと思った…今、彼とは結婚を前提にお付き合いしています。あの時に思い切って彼に連絡をしたという行動が、自分の人生を大きく変えました。隣にいてこんなに心から安心できる、自分の人生を預けてもいいと思える、この人の支えになりたいと思える、ちょっと不器用だけどこんなに純粋にまっすぐ私を愛してくれる相手は…やっぱり他にいないと思います。10年前の恋人を除いて。
埼玉県 みわさん/女性51歳
君のためなら
6年前の夏、当時16歳だった息子から子供が出来た事の報告を受けた。当時、付き合っていた同い年のかわいい彼女。私とも仲良し。ふたりが、真剣に産んで育てたいと私の目の前で泣きながら訴えた彼女。私は、子供を守る母の強さを感じた。相談してくれてありがとう。命を大切に思う気持ちで居てくれてありがとう。私が、貴方たちを守る。そう、強く思った瞬間でした。沢山、反対されながらも、一歩ずつ歩んで行ったよね。

息子は高校を辞め、仕事に着き、慣れない環境に気持ちが着いていかず、爆発したこともあったよね。周りの友達が、楽しそうに遊んで居る中、何故俺だけ…。仕事を転々とし、危なっかしい光景を、ずっと側で支え、父親として頑張ってもらいたい一新で見守り続けていた。必死だった。これが、お腹に命が宿った女性と、頭ではわかっているが気持ちがついていかない息子とのギャップなのか。そんな事を繰り返しながら、少しずつ、ふたりは成長していくのかなぁ…なんてね…。後、3日もすれば孫の5歳の誕生日。2歳の妹思いのお兄ちゃんです。今日も目を細めて居る、ふたりのじいじいとふたりのばあばあです。
山形県 ともとも。さん/男性38歳
ありがとう
妻との出会いから今までの10年の話。あっという間過ぎて本当に時間の流れが早いって感じる。でも濃密すぎる山あり谷ありな10年。バツイチで子供もいた俺と結婚し同じ道を歩んでくれた妻には感謝しかない。妻とはmixiで知り合った。同じ中学校のコミュニティで見付けて俺からメッセージを送った。当時の俺は妻と同じ年齢の6歳年下の元彼女と別れたまたま友達に教えられたmixiなんぞ登録した矢先だった。会話のきっかけも探せず、とりあえず<はじめまして!俺も同じ中学校卒業しているよ。年上過ぎて知らないと思うけど(笑) 22歳だと○○と一緒かな?>って一生懸命妻と同じ年齢で俺と同じ地区の後輩の名前を出してきっかけをつかもうと必死だった。

そんなに返信を期待していなかったけど、程なくして妻から<メッセージありがとうございます!先輩なんですね~○○と同じ歳です。良かったら仲良くしてくださいね♪>なんてメッセージきて嬉しかったっけな(笑)。とりあえず話のネタが欲しくて元カノとの別れの相談をしてみた(笑)。6歳も年下だと共通の話題も探せず苦労したよ。妻も1ヶ月前に元カレに浮気され別れたと言うことがわかった。あの時の俺は何を考えていたんだろうか。<文字打つの面倒だし電話しね?>今の俺からは考えられないくらい積極的にアプローチ?したっけ。好きとかそう言うのではなかった。とりあえず興味があったんだと思う。その後妻からも<いーよ!>とメッセージ貰って、初めての電話は五時間も話した(笑)。

五時間も何を話したか覚えてないけど今でも一言だけ覚えているやり取りがあって…。俺<俺バツイチで小一の子供居るんだ。男の子>、妻<そうなの?一人で子育てとか凄いね!尊敬する!>。このやり取りは10年経つ今もはっきり覚えている。俺が一人で子育てしていたことを、片親だという後ろめたさを誰かが認めてくれた気がして。当時まだ22歳の妻の一言に本当に救われた。五時間の電話の末に妻が<こんなに話すなら会って話した方が良かったね(笑)。せっかく近いのに。今度はゆっくり会って話せたらいいね。ホントに楽しかった。>って言ってくれて、それから2日後、妻が仕事に行く前に初めて会うことにした。

俺は土木作業員、妻はバーテンダー。俺の仕事が終わって、妻が仕事に行くまでの時間で会うことを決めて、待ち合わせはコンビニの駐車場。定時で家に帰ってシャワー浴びて髪セットして私服に着替えて。心臓バックバクさせながら待ち合わせのコンビニに向かった。妻のアパートから近いというコンビニの駐車場。待ち合わせ時間の少し前についてそわそわが止まらなくて煙草に火をつけたその時、妻がやって来た。心臓が止まるかと思った。大袈裟ではなく本当に。となりの車からにっこり笑って会釈してきた妻。残暑厳しい9月に妻と出会った。夏の終わりの向日葵みたいな笑顔が今も忘れられない。その日は少し話して次回のデートの約束まで取り付けた俺。今思えば相当飢えていたのか?(笑)。

初めてのデートの日。バーテンダーの妻が休みの日に合わせて日曜日。いつもより寝られなくて寝不足で端のアパートまで迎えに行った。デートなんてどうしたらいいか分からなくてとりあえずノープラン。ドライブでも行こうか?って海岸線沿いを走らせたっけな。普段無口な俺を知っているのか、妻が緊張していたのかマシンガンのように一人で話しまくる(笑)。でもお陰で無言の時間はなく話が弾んで本当に楽しいドライブだった。お互いの過去の恋愛の事を話した時、妻が<あたしはワガママだから。独占欲強いしあたしだけを見ていて欲しいって思っちゃうの。だからかな…いつも上手く行かない…なんかもうしばらく一人でいーやって思っているんだよね>ってケラケラと笑いながら話してくれたけど、横顔がどこか寂しそうで…。

返す言葉が見付からなくて、でも出た言葉は<俺と付き合ったらいいじゃん>だった。今思えばどうしてなのか分からないけど、俺が守りたいって直感で感じたのかも知れない。妻は<え?何いってんの?あたしワガママだし、頑固だし、独占欲強いし、仕事とあたしどっちが大事?とか平気で聞いちゃうし、デブだしブスだし可愛くないし、水商売だし…>とポロポロ泣き出した。うわ、泣かせてしまった…と焦って言葉を探していると<あたしでいいの?後悔するよ?>って妻が一言。<後悔なんてしないから。俺が○○を幸せにする!だから俺と付き合って>そうやって妻と歩む時間が始まったんだ。

俺は土木作業員で、妻はバーテンダーだから昼夜完全に逆転生活。その中でも時間を見つけて会いたくて、俺が仕事を終えて妻のアパートに帰り、妻と夕飯を食べて食べ終えたら妻が仕事に行き、俺は家に帰る。を繰り返した。残業になれば10分、15分しか、会えなかったり下手したらすれ違う事もあった。でも妻は毎日俺のために夕飯を作り、会えない日には[お疲れ様。ご飯食べてね。仕事終わったらメールする]って丁寧にメモを残してくれて。本当に俺には勿体ないくらいのいい子だった。料理も何を食べても美味しくて、俺の子供にもお弁当作ってくれたり細かいことによく気がつく子で、付き合って1ヶ月で、結婚したいって思うようになっていた。

なかなか合わない休みだったけど、妻が休みの日には、レイトショーで映画を見に行ったり、日曜日に休みが重なれば息子も含め動物園や水族館に行ったり。もちろん二人で蔵王に紅葉を見に行ったり仙台に買い物に行ったり。会える時間は少なかったけど沢山思い出を作った。プロポーズってプロポーズはしてないけど、付き合って199日目の4月1日俺たちは結婚して晴れて夫婦になった。ささやかだけど結婚式も挙げた。妻の笑顔に似た向日葵を会場いっぱいに飾って。プロポーズしてなかったから大勢の親族や友人の前で宣誓したこと今も忘れない<宣誓!俺(実際は俺の名前)は一生妻(実際は妻の名前)を愛し、妻を守り、一生大切にし幸せにすることをここに誓います!>妻が泣いていたっけな。今思えば恥ずかしいけど、気持ちは伝わったんじゃなかろうか(笑)。

それから不妊治療の末、双子の男の子も授かり順風満帆と行くはずだったけど、いつからか夫婦の会話は減りぎくしゃく…。俺も言いたいことを言葉にするのが苦手で、溜め込んで溜め込んで爆発させてしまう悪い癖がある。爆発すると物に当たり散らし、妻に手を上げてしまったこともある。結婚から8年目離婚の危機だった。ひょんな事からいい争いになり、物に当たり妻にも手をあげた。翌日妻が<もう我慢出来ない>と一言言い残し双子を連れ実家に帰った。勝手にしろ。せいせいする。って思っていたけど二、三日して俺ははっと我にかえった。しーんと静かな部屋。溜まっていく一方の洗濯物。自分の服すらどこに何があるか分からないクローゼット。コンビニ弁当の毎日。今まで妻にどれだけ頼りっぱなしだったか反省した。どこに脱いでも文句の1つも言わず洗濯してくれる妻。朝早く起きてお弁当作ってくれる妻。次の日の作業着一式を毎日同じ場所に準備してくれる妻。初めての育児で大変なのに仕事をしながら家事も育児も一人でさせていたのかと涙がこぼれた。

謝るとかしたことのない俺が初めて謝ったのは妻が最初で最後かもしれない。<俺、妻(実際は妻の名前)に甘えすぎていた。大切にするって、俺が守るって言ったのに俺が傷付けた。本当にごめん。もう一回、もう一回だけ俺に人生預けてくれない?これじゃ結婚式の時の宣誓が嘘になってしまうから>俺の思いをぶつけた。でも妻は<考えておく>と一言だけ呟いて電話を切った。あーもう無理か…俺のせいで…幸せって気づくのが遅かったな。って思っていたら翌日妻が<不束者ですがよろしくお願いします>って帰ってきた。正直泣きたいくらい嬉しかった。飛び跳ねて喜びたいくらい嬉しかった。それから一年。俺は改心したつもりだ。今までは家族で出掛けることをあまりしなく妻に任せっきりだったが子供との時間を、妻との時間を作るようにした。妻の大好きなハジ→というアーティストのライブにも二人で行った。今では家族みんなでハジ→というアーティストにどっぷりはまっている(笑)。

俺にとってハジ→は家族を繋いでくれた本当に恩人といっても過言でないくらいのアーティストだ。妻が楽しそうにハジ→だのはじんちゅ。だのニコニコしていると俺も嬉しくてそんな同じ気持ちを共有出来て今は本当に幸せ。一度ほどけかけた夫婦の絆を、家族の絆を。ハジ→が繋いでくれたから。また妻と同じとき同じ思いを紡げることに喜びを感じながら。ハジ→という人が繋いでくれたご縁に感謝しながら…。幸せは目に見えない。だから心で感じられるように。ありがとうの気持ちを大切にこれからも家族みんなで歩んでいけたらいいな。ありがとう。俺と出逢ってくれて。ありがとう。俺と同じ時間を歩んでくれて。ありがとう。生まれてきてくれて。これからもよろしくな。10年目も笑顔で行こうな。
千葉県 にこさん/女性21歳
人生を考える
将来の夢が小さい時からなくて、ただ漠然と今を生きているって感じでした。そんな私も大学四年生。進路を決めなくちゃいけない時期になりました。今は教師を目指して勉強しています。周りのみんなは、「こんな先生になりたい!」「こんなクラス作りたい!」っていうビジョンを持っていて意識も高く勉強している。でも自分は、「子どもから好かれる、〇〇先生がいるから学校がんばる!って思われる先生になりたいな~」と漠然とした理想像しかなくて、こんなんでいいのかな?って思う日々です。本当にやりたいことは、世界中いろんな国に行って、いろんな人と出会って、いろんないいところを見つけて、いろんな人に紹介すること。だけど、それも漠然とした夢だから、なんでか教師の道に進みます。本当にやりたい事を言い出せないし、自分の中ですっごく大きな夢だけど、やりたいなって思っています。最近は、やりたいこと、行きたいところがない人生ってきっとつまんないだろうから、私はそれがたくさんあって幸せだなって思うようにしています。もし、やりたいことに挑戦していたらきっと違う人生だと思うけど、それに挑戦する勇気もないし、お金もありません。親や友達を説得する力もありません。わたしは自分で決めたのか決められたのかわからない人生の中で楽しもうと思います。
岡山県 石井紅葉さん/女性19歳
うれしい・たのしい
私は5人兄弟の4番目、唯一の女の子として産まれました。小さい頃の記憶はあまりないですが、兄弟とはたくさん喧嘩してきました。家の引越しも何回かありました。小学1年生のときと小学3年生のとき引っ越すことになり、あまり乗り気ではないですが親について行くしかありませんでした。小学3年生で引越しした先の学校である男の子に一目惚れしました。でもその男の子は他の子が気になるようで自分の気持ちは諦めたつもりでした。そのまま中学に進み、その男の子と同じクラスになり諦めたと思っていたはずなのに諦めきれていませんでした。1回目の告白でふられてしまい、今は誰とも付き合う気がないと告げられました。中学2年生になり、やっぱり好きな気持ちは変わらず、バレンタインでもう一度告白をしました。すると信じられなかったですがOKを貰えました。うれしくてうれしくてたまらなかったです。ずっと好きでいて良かったと思いました。

それから彼とは今も続いています。青春時代は彼と過ごしてきました。いいことも、悪いことも、嬉しいことも、むかつくことも、彼と過ごしてきました。彼は1番の相談相手でもあります。高校2年生のとき親の離婚が決まりました。どうすることもできないし泣いて過ごす日々でした。それでも彼は彼なりに支えてくれました。親が離婚してから父とは別に暮らすことになりましたが、事あるごとにご飯に誘ってくれ、事あるごとに1番応援してくれていました。彼にも父にもまわりの友達にも恵まれたなと今では思います。父がいなかったら、彼がいなかったら、友達がいなかったらと考えたときにみんながいてくれたからこその自分なんだなと思わされます。

今、彼とは遠距離恋愛をしています。会えることはあまりなく、頻繁に会えていた中学、高校時代がとても懐かしく思います。会える時間は限られていますが、彼とだから、彼だから信じて待っていられるのだと思います。彼に出会えて、付き合えて、たくさんの時間を一緒に過ごせていること、近くにいてもなかなか会えない父とご飯を一緒に食べること、テレビを見て一緒に笑うこと、急に誘っても文句言わず会ってくれる友達がいること、すべてのことがとてもとても幸せなことなんだなって思わされました。

今の私の夢は彼と結婚すること、彼と楽しくて元気で笑顔が溢れる家庭を築くことです。あと、これからも父とたくさん一緒にご飯を食べること友だちと沢山笑い合うことです。みんな私の宝物です。私もたくさんの人に笑顔が届けられるようにこれからも頑張ります。行き詰まっているときにハジ→の学園祭のLIVEで「Only one。」を聞いてとっても勇気をもらいました。去年のクリスマスに彼からコラボdeハジベストのアルバムをプレゼントされました。ほんとうにいつもハジ→さんに元気もらっています!これからも体に気をつけてがんばってください!素敵な歌と素敵な歌声これからも聞かせてください!素敵な企画ありがとうございます!
茨城県 Mimuさん/女性40歳
危険な恋
付き合って3年。出会いはHAZZIEのLIVE!物販で並んでいたらお互いに何となく気になっていて、LIVE終了後のサイン会の後に、2人で記念撮影したのを切っ掛けに、連絡先を交換して遊ぶようになった。私は茨城で、その子は東京。最初は友達として遊んでいたのだけれど、気付いたら恋愛対象として気になり始めていた。でも、その事実を受け止められないし怖かった…。だって相手は女の子だから。そんな時、その子から同性愛者だとカミングアウトされ、告白された。凄く凄く悩んだけど、性別や見た目ではなく、その人が好きだから一緒にいたい…そう思い決断しました。3年間付き合って感じた事。人を愛する事は、見た目や性別など関係なく、お互い幸せで心地良い存在であるならば、それでいいのです。笑ったり泣いたり共に共有して生きて行ければ、それ以上なにも望むことは無い。その子がいてくれるから、今の私がいる。出会ってくれてありがとう…と、いつも感謝しています。
福島県 ちっちさん/女性41歳
ありがとう
幼なじみ美人短命。連絡なくても繋がっていた親友。仕事で毎日忙しいキャリアウーマンで東京にいた友達から連絡きて嬉しかった。でもその連絡は病気になったと。支えになろうとしたけど難しかった。東京から地元に帰ってきてからは、離れていた時間の分あっちこっち沢山一緒に出掛けて沢山美味しいもの食べた!私は絶対に泣かないって伝えたし、泣きたくなかった。泣いたら病気に負けそうで!その後、親友は亡くなり、私は1人ぼっち。でもずっと親友は1人でいいし、どんなに探しても今後、親友はできない。信じ合える親友が今後もできなくても全然ストレスじゃないし、ずっと亡くなった親友に話していくし、今も東京にいて離れている感じに思えているし!結婚式の友人代表じゃなくて、弔辞になった。ドラマみたい!きっとまぁちゃんごめんね~って笑っているな。そんなポジティブでずっと笑っていて、元気すぎて余命は分からないってドクターに言われた~ってまた笑っていた!私達のいい所、二人共ポジティブだってとこ!
埼玉県 soraさん/女性23歳
ありがとう
私にはずっと忘れることのできない好きな人がいます。その人とは地元が一緒で、小・中学校も同じでした。でもクラス替えが何回もある中で同じクラスには1度もなったことがありませんでした。小学生の時も名前を聞いたことがある程度です。中学1年生の頃、仲のよかった友達のクラスに遊びに行った時、彼の笑顔に、笑った時の八重歯に一目惚れしました。彼は、見た目がちょっとクールでどこか話しかけにくいオーラがあって、だからこそあの素敵な笑顔に惚れてしまったんだと思います。自分から中々話しかけられなくて、共通の友達を通して、あの手この手を使ってどうにか連絡先を聞くことができました。彼がどんな人なのか気になって仕方なかったんです。そこから、何か理由を探しては自分からメールを送っていました。彼を知るたび好きが溢れていきました。

彼は、表には出さないけどほんとはすごく優しくて、友達想いで、いつも1歩先を歩いているような考え方を持っていて。彼には他に好きな子がいることも知っていました。相談のるフリをしてでも、彼と連絡が取れるなら、と。でももう好きすぎて、付き合うとかそういうのは関係なしに、ただただ、気持ちを伝えたくて私は彼に気持ちを伝えたんです。そしたら彼も私のこと想っていてくれていたみたいで、付き合うことになりました。一緒に下校するのがほんとに1番の楽しみでした。何話そうっていつも考えていて。彼の隣にいることが幸せでした。

しばらく経つと、私は夢のために部活や勉強で大変になっていき、次第に彼への返信や対応が適当になっていく自分がいました。彼より自分のこと優先する自分がいて、そんな自分が嫌になっていって、こんな自分と付き合っていてもって思う自分がいて、私なんかより他にいい人がいるって自信なくなってきてしまって、ほんとに勝手だけど別れを選んだんです。今思えば、中学生なりの決断だったと思います。その後は彼とはなんか気まずくなってしまって話すこともなくなりました。後から聞いた話しですが、彼は私が思っていた以上に好いていてくれたこと、大切に思っていてくれたこと、別れの日泣いてくれたこと。私も別れてから、彼がほんとに大切な存在だったと気づいたんです。後悔もたくさんしました。

卒業する前、私はあれから話さなくなってしまったけど、はなれ離れなるのでにもう一度気持ちを伝えたんです。案の定、彼に私への気持ちはもうなくて振られてしまいました。あれから彼を見かけることさえなくなって、噂話をたまに聞くほど。私もいつまでも未練ばかりでもしょうがないと思って、もし彼が運命の相手とかいう人ならば、またいつか会えるのかもしれないし、そうじゃないのなら、もう切り替えて、次の恋をしようって思いました。でも何回恋してもやっぱり心のどこかには彼がいるんです。もしもう一度会えるのなら、いつかはまた笑って話ができる日がきたらいいなって。でもそんなことはきっと奇跡がおきない限りないだろうなって思っていましたけど。

そんなこんなで私ももう23歳になりました。もういい大人です。夢を叶え、地元を離れ仕事もしています。久々に地元で友達と飲むことになって、地元に帰った日、彼も地元へ帰ってきていたみたいで、奇跡的に再開したんです。彼は私にあの笑顔で久しぶりと言ってくれたんです。少し話すこともできて、気まずさはいつの間にかなくなっていて。彼は背が伸びていて、ちょっぴり大人びていたけど笑顔や声は変わらずで。私はやっぱり彼に惚れてしまうんです。その後、ちょっと用事があって何回か彼とLINEをすることがあったんですけど、彼はどこか冷たくて、分かるんです。これっぽっちも彼の中にもう私はいないんだなって。あの頃みたいにもう無邪気ではいられなくなって、たぶん、傷つくのもこわくなっていて、もう自分から連絡をとることはできませんでした。もう、ほんとに終わりにしようってけじめをつけるいいチャンスかなって。

こんなに会いたいって思えた人、いつ声を聞いてもきゅんってする人、こんなにも声が聞きたいって思えた人、話したいって思えた人は初めてでした。でも、もう想わないって決めました。きっと彼のこと、忘れることはできません。彼は、私の中でずっと大切な人です。でもその、気持ちはそっと蓋をします。出逢えてよかった。 出逢ってくれてありがとう。どうか彼が幸せでありますように。っていう思いでこの企画に応募させていただきました。
広島県 ぶぅさん/女性29歳
気付いてほしい
友人の結婚式の幹事同士で出会った彼。5歳年上で頼りになって、最初会った時から何か懐かしい感じがして、正直恋愛に発展するとは思ってなかったけど、すぐに仲良くなった。でも私には当時別に好きな人がいて…。それでも彼は遊びにご飯に誘ってくれて、告白してくれた。すごく嬉しかったのに…素直になれず私は保留。自分勝手で、曖昧にしていたのは私で、好きな気持ちはあったのに言葉で伝えられなかった。ケンカや価値観の違い、他の人を好きになったとか色んな理由で振られた。でもまたすぐに自然に会うようになって遊ぶようになって。お互い自由で曖昧で恋人と言いたいけど言っていいのかわからない存在。でも大切で特別な日は一緒にいる。不安もあったのに言葉に出来なくて。

そんな関係ずっと続くはずなく…結局出会って4年経ち…もう会わない方がいいと告げられた。未熟だった私のせいと自分を責めて、幸せになって欲しいと彼の幸せ願ってさよならした。でもそれは強がりで、時間が経つとより大切な存在だったと実感して、もっと言葉で愛情表現出来ていたらと後悔の連続。嫌な思い出や嫌いなとこもあるけど、それでも素直に好きだと今でも思える。彼は年上で口が上手くて、優柔不断な私は彼に合わせてばっかだった。もっと分かり合えるように喧嘩もすればよかったかな。後悔は成長に繋げようと大人ぶってさよならしたけど、本当は大好きだと伝えたかった。ずっと一緒に居たいと今でもこんなに好きになれるのは、彼しかいない。復縁とかそんなのではなくて、もう一度出会えるチャンスがあるなら、1からやり直したいと素直に思う。ありがとう、そして心から愛していると伝えたい。
新潟県 みやこさん/女性29歳
青春の思い出
10年以上前の話、わたしが高校生だった頃。幼い頃からなりたかった野球部のマネージャーになって2年の夏の大会が終わったころ。わたしは恋をしました。同い年で近くの高校の野球部の部員と友人を通じて連絡を取るように。数日連絡を取ってから部活が終わってからお互い会う約束をして小さな無人駅で待ち合わせ。すぐに付き合うようになりました。お互い部活が忙しく部活が終わった後しか会えず、彼はいつも自転車に乗って会いに来てくれるから手もなかなか繋げず。でもたまに彼が片手で自転車を押しながら手を握ってくれたりわたしが自転車のハンドルのところに手を置いて一緒に自転車を押したり。

恋愛経験が少ないわたし達だから何を話していいか分からずほとんど会話がなくて。ただただいつも隣にいるだけでドキドキ。人生初めてのキスは真っ暗な小さな小さな公園でベンチが1つポツンとあるところ。恥ずかしそうに「キスしていい?」と聞かれて「うん」としか答えられないわたし。お互い初めてのキスで戸惑い恥ずかしくドキドキが止まらなくて彼はわたしが、わたしは彼が、とっても緊張しているのがよくわかった。好きすぎて授業中も部活の時も彼のことばかり考えて机の上にシャーペンで彼の名前と自分の名前を書いたり、彼の苗字の下に自分の名前を書いたり。頭の中は彼でいつもいっぱいだった。

重い女になりたくない一心で彼から返信があるまで待って。でも聞きたいこと言いたいことがいっぱいあって、1つのメッセージが長くなって…。部活が忙しい、テスト勉強しなくちゃ…色々理由がつけられてだんだんと連絡が来なくなっていって。我慢して我慢して気がついたら1カ月たっていて、はっきりさせなきゃと思って連絡とって…ごめん、別れようって言われて。たくさん泣いて泣いて泣いて泣いて。

全然吹っ切れず3年生の夏の大会。自分の学校の部員よりも手の込んだフェルトで作ったお守りとミサンガを、ずっとカバンに入れていて、彼に会ったら渡そうと駅で何日も探したけど、時間が合わずに会えなくて。付き合っていたころはあんなに会えていたのに会えなくて。大会の開幕の日、県内の全選手が行進している中、彼だけ輝いているように見えた。もちろんカバンの中にはお守りとミサンガを持って来ていたけど勇気が出せず結局、渡せなかった。

あれから月日は経って、わたしもお付き合いした人は何人かいるし、噂で彼が誰々と付き合っているみたいだよっていうのも聞いたことがある。今は全然情報が入って来ないからもう、みんな私たちが付き合っていたことなんて忘れているんだなって感じる時がある。でもやっぱり青春時代で初めてのキスの相手は忘れられないし、彼で良かったって心から思っています。元気ですか?結婚したかな?ただ普通のこと聞きたい。LINEに彼の連絡先があるけどなんだかアイコンが彼ではない感じ。電話番号も変わってしまったのかな。バッタリどこかで会えたら私は今幸せだよって言いたいです。まだあのお守りとミサンガは持っているっていうのは内緒で。
兵庫県 リンさん/女性20歳
同性愛
高校2年生。私には彼氏がいました。その時の彼氏は面白くて、クラスでも人気者で、いつも周りに人がいるクラスの中心的存在な男の子でした。私にもとても優しくしてくれていたのですが、優しいのは私にだけじゃなく、どの女の子にも優しくてそこが彼の良いところなんですけど、私にはそれがすごく心が痛く、いつも悩んでいました。私にはその時、親友と呼べる仲の良い、気の合う女の子の友達がいました。その子にいつもその彼氏のことを相談していました。その親友には今まで部活のことや、成績のことなどどんなことも相談をしていました。どんな相談をしてもすごく親身になって考えてくれていたのですが、その彼氏の相談になると、どことなく冷たく感じていました。

ある部活の帰りの夜のこと、いつも通り親友と帰りながら、彼氏について相談していました。そしたらその親友が急に、いつになく真面目な顔になり、私に言いました。「そんなやつやめて〇〇(親友の名前)を好きになればいいのに。〇〇(親友の名前)やったら絶対〇〇(私の名前)にそんな辛い思いさせへんのに。」と言いました。私は驚きを隠せませんでした。その親友はボーイッシュでスポーツができて、その辺の男の子よりはイケメンでいつも一緒にいたので、よく付き合っているの?とか周りの友達から言われたことはあったのですが、私は今まで同性を相手にそういった感情を抱いたことはなく、親友にもそういった感情は抱いたことはありませんでした。

でも彼氏のことで悩んで苦しくて、もうどうしようもなかったこと、親友からの告白を断るとその親友をも失ってしまうのではないかという思いから、その親友からの告白どう答えたらいいのかすごく悩んでいました。何日も何日も悩んで、どうしようなくなって、彼氏とももっとうまくいかなくなり、精神的に私はボロボロでした。ある日の部活の帰りに、その親友から「自分のせいで悩ませてごめん。」と泣きながら言われました。私も精神的にキツくて、涙が止まりませんでした。その時、私は首を横に振るので精一杯でした。その時、突然その親友にキスされました。私は驚いて、そのままその日はバラバラに帰りました。でもなぜかその日からそのキスが親友の顔が頭から離れなくなりました。

何日も何日も悩んで、私は気付きました。私はいつのまにかその同性の親友のことを好きになってしまっていたのです。私は付き合っていた彼氏と別れ、そのことを親友に伝えました。親友は泣きながら、でも最高の笑顔を見せながら、「ありがとう。〇〇を選んでくれてありがとう。キスしていい?」と聞いてきました。私も泣きながら頷きました。その時の親友の泣き顔は凄く綺麗で今でも忘れません。同性の1番の親友だった友達がその日から私の彼氏になりました。同性で付き合う。ということは簡単なことではありませんでした。両思いになって付き合ったものの、彼氏は女の子。私は同性だからとか関係なく、私は普通の異性の彼氏と同じと思って付き合っていました。でもその彼氏は女の子。もちろん彼氏の友達も、女の子。周りの友達もまさか私たちが同性で付き合っていると思ってないので、遊びに誘って行ったり、悪ノリでキスしたり…。

仕方ないことだと私は分かっていたけど、そう言った些細なことから私たちはケンカが絶えませんでした。何度も何度もケンカして、でもその分話し合って何度も仲直りしました。色んな所に行ったりして、私たちの思い出は年月とともに積み重なって行きました。私は同性だとか、女の子だとか言うことは忘れて、1人の人としてその子のことを大好きになっていました。私たちも同性で付き合っていると言うことが周りにバレないようにするために必死でした。いけないことだと分かっていながらも、カモフラージュで異性の彼氏を作ったり。私も髪の毛を短く切って、ボーイッシュにしてみたり。その彼氏を失わないように必死でした。大好きで大好きで仕方ありませんでした。

2年の歳月が過ぎ、私は受験勉強。そして同性の彼氏も海上保安官になるための勉強でお互いすれ違いの日々が続きました。同性で付き合っているなんて口が裂けても他の友達には言えず、小さな不満や悩みも積もっていきました。ケンカもまた少しずつ増え、そんな時の何気ないいつものケンカでした。私は「何で男の子じゃないの」といったような、同性の彼氏には決して言ってはならない、心にもないことを言って傷つけてしまいました。仲直りはしたものの、そこからお互いにできた、溝は深くなり、修復することができませんでした。

卒業とともに彼氏は全寮制で連絡のとれない、海上保安学校に行くことが決まり。私も関西の大学に通うことになり、今まで3年間ずっと一緒にいて何するのも一緒だった私たちが離れ離れになることになりました。そんな卒業間近のことでした。「普通の友達に戻ろう。同性っていうせいで辛い思いさせてごめん。でもあの時〇〇(彼氏の名前)のこと選んでくれて本当に嬉しかった。ありがとう。さよなら。」と言われました。別れは突然に訪れました。私たちは何度も別れる。別れないと言った言い合いをしていて、いつも結局別れないを選んできていたので、私はきっとまた彼氏には私が必要になって戻ってくる。そんな風に、たかをくくっていたのかもしれません。彼氏のことを簡単に手放してしまいました。

でもそのまま彼氏の寮生活が始まり、連絡が取れなくなり、寮生活が終わる2年間、連絡は一切ありませんでした。私はその間も好きで好きでたまりませんでした。彼氏の寮生活が終わる2年間。2年間の辛抱だ。と私は自分に言い聞かせました。わたしは待ち続けました。彼氏の寮生活が終わって2年振りに連絡をとり2人でご飯を食べに行きました。久しぶりに会った彼氏に私は「あぁ、やっぱり私が好きなのはこの人だ」と思い、その思いを彼氏にぶつけました。ずっと待っていた。この思いもたくさん伝えました。あの時はごめんこの気持ちもしっかり伝えました。でも彼氏の答えはNOでした。「もう同性ということで傷付けたくない。辛い思いさせたくない。友達のままいよう。それが1番いい。1番の友達になろう。」と言われました。

泣きました。私は1人でいっぱい泣きました。どうして付き合っている時もっと優しくしなかったのか、どうして簡単に手放してしまったのか。待っている。その一言が言えなかったのか。彼氏の優しさに失ってから気付きました。同性で付き合う。同性の人を好きになってその人に思いを告げる。こんな難しいことを彼氏は私にしてくれたのに。私はわがままばっかり言っていて、本当に後悔でいっぱいです。SNS等で彼氏が女の子と遊んでいたりしても、彼氏は女の子だから普通のことだし、私にはもう何もいう資格はありません。でもそれが悔しくて、苦しくて…。そこは私の居場所だったのに…そう思うと今でも涙が止まりません。私は3年たった今でも彼のことが大好きです。彼氏との楽しい思い出ばかり頭に浮かんできます。私は今でもふとした時に、すぐその別れた彼氏のことが頭に浮かび、これ好きだったなとか、声聞きたいなとか、会いたいなと思ってしまいます。忘れたいのに次に進まなきゃいけないのに、大好きだった彼氏を忘れられることができません。今でも1番大好きです。
佐賀県 あんちゃんさん/男性28歳
勇気が欲しい
社会人働き始めて7年。今の仕事をしようと思ったきっかけは小6の時に綴った卒業文集。将来の夢に『社会貢献できる人材になりたい』って書いた時からでした。自分の性格上おとなしいっていうこともあって、こんな自分が社会貢献なんてできるのだろうかと、最初は不安でしかありませんでした。中学高校を経て短大に進学しました。そこで自分磨きをしなくてはと入ったのは、朝礼デモという、毎朝人前で大きな声を出して訓示を読むという務めでした。今まで殻にこもっていて、人と接するのは不得手だったけどこれを機に、人とも徐々に話せるようになり、積極的に人と関わることができるようになりました。人は努力さえすればいくらでも変われるのだと自分に勇気と希望が湧いてきました。
広島県 ゆう昆布→。さん/女性35歳
気付いてほしい
出会ったのは7年前。友だちの気になっていた人を誘って飲み会をした時にたまたま呼ばれて来た男の子。彼は8個下でアマチュアでボクシングをしていました。連絡もマメに取ってくれて、優しいし一緒にいて楽しいので惹かれていたんだけどその時はまだ自分は前の人のことを忘れられなくて前に進むことができませんでした。そのうちに彼がプロデビューをしたことをきっかけに、彼の専属のトレーナーになることになりました。

一緒にいることがまた多くなり、自然に好きになって行きました。しかし、彼には気になる人がいて、ある日、明日その子に告白すると言われました。そこで自分の想いを言おうと思い告白したのですが…やはり「もう遅いよ…」って。それから忘れたいから離れようと思ったのですが、トレーナーとして会わないといけなくて、気持ちを切り替えようと他の人とも遊びに出たりしていました。

彼はほかの人には弱いところをみせたくなくて笑うんです。ほんとは泣きたいし怒りたい時でも感情を隠して我慢して笑うんです。そんな彼をほっとけなくて、彼女じゃなくてもいいからどんな形でもいいからそばで支えてあげたいと思うようになりました。そして、現在もトレーナーとして、彼を支えています。彼の夢は日本のランカーと闘って勝つこと。30歳になるまでに。あと1年。その夢が叶う時にわたしもそばにいたい。彼女とかじゃなくてもいいから、リングの下でその瞬間を見届けたい。それが私の今の夢です。

ほんとはもっともっと長いストーリーなんですけど文章を書くのがとても苦手で感情だけが走ってしまってこんな文章しか書けなくてすみません。周りの人にはそんなの夢じゃないとか、そんな人からさっさと、離れて自分が幸せになりなさいとか言われるのでこの夢のことは誰にも話せないのです。でも、誰かに何を言われてもこの夢は叶えたいです。たとえこの先、この想いが彼に伝わらないとしても。
千葉県 すみかちんさん/女性19歳
気付いてほしい
社会人1年目で仕事を覚えるのが大変で身体も心もクタクタ…。そんな中、同じ生産ラインで(壁を隔てて)働いている先輩がピッチ(会社の電話)で面白可笑しく話をしてくれて、落ち込んでいたり、頭がパンクしそうになっている時に笑わせてくれた。普段の仕事をしている姿は真面目でカッコイイけど、プライベートになると面白い!そんなギャップに惹かれています。普段は働いているゾーン(場所)が違うため滅多に会ったり話したりできないけれど、会社での飲み会で一緒に話して余計に好きになりました。仕事の話だけではなく、人間関係などたくさん学ばせてもらいました!先輩は酔うと髪の毛を触るのが好きみたいでお互いにボディータッチをしているうちにもっともっと惹かれてしまいました。食べ物やニオイなど話していると感覚が同じで…。成人したら一緒に飲もうとか今度遊ぶ?と誘ってくださるので本当に嬉しくて仕方ないです笑。つい最近、連絡先を交換したばかりで、時差勤務が真逆なので連絡をするタイミングを見失ってしまいました…。会社での業務内容の連絡ではなく、普段の他愛もない話がしたいです!でもその先輩は6、7コ離れているので恋愛対象として見てくれるのか心配です。
埼玉県 みゆきさん/女性16歳
青春の思い出
中学生の時、同じクラスの男の子に恋をしました。でも、その男の子は、他の女の子に片思いをしていました。でも、日に日にその男の子が好きになっていって…気がついたら告白していました。好きです。の一言をLINEで。その子は、ありがと。と言って今まで通り何も変わらない感じで私と話したりしました。でも、私は、その人の前に行くと胸が苦しくて顔が直ぐ赤くなりました。それが嫌だった私は、その人と話さなくなりました。その年の私の誕生日、その男の子が、12時ぴったりにおめでとうのメッセージとともに「俺、みゆきの事が好きです。付き合ってください」と、LINEで告白されました。私は、嬉しくて嬉しくて、ニヤニヤしていました。それで、私達は付き合うことになりました。私の、はじめての彼氏です。

彼は、野球部のピッチャーで毎日、部活に励んでいました。吹奏楽部だった私は『青空エール』という、映画に私達の姿を重ね合わせ、舞い上がっていました。あぁ、映画みたいな恋だなって。毎晩、LINEするのが日課になっておやすみと言って寝るのが1日の癒しでした。初めて一緒に学校から帰った時は、嬉しくて、ドキドキして、今でも鮮明に頭に残っています。でも、私にとって初めての彼氏だったので、何をしていいのか分からないし、どんな話をしていいし、デートもどこに行って良いのか分かりませんでした。日に日に、どうしよう、こんな分からない感情で彼に接したら悪い。と、思うようになり、すれ違いが増えていきました。

最後のデートから2日後私は彼に別れよう。と、伝えました。でも彼は「ごめんね。俺は別れたくない」って、止めてくれました。凄く嬉しかったんです。必要とされているんだって思って…でも、こんな中途半端な気持ちはダメだ。と思い、別れることにしました。別れてからは一切話さなくなりました。今も、全然話しません。私にとって初めての経験が沢山できたし、別れたことを後悔はしていません。でも、別れた後、彼に彼女ができたことを知りました。その友達から聞いた話なんですが、彼は元カノの話を沢山する。と、言っていたみたいなんです。なんか、凄く嬉しくて、別れた後も私のことを思ってくれているんだって。

でも、今は、全く話さないので伝えられない事が1つだけあります。それは、彼に対しての感謝です。ありがとうを伝えられませんでした。私と出会ってくれてありがとう。初めてを沢山ありがとう。それを、彼に届けたいと思います。ハジさんの力を借りて…。
山梨県 みーオさん/女性21歳
やっぱり貴方
彼氏がいてもどうしても、あの人がいい。あの人とならどういう風に付き合えるんだろうとか考えちゃって、彼氏じゃない男の子から誘われても断れず遊んじゃう。遊ぶとめちゃめちゃ楽しい。その時の気持ちは、彼氏よりぜんぜん楽しいんじゃないか。この人との方が上手く行くんじゃないか。そして、彼氏と別れようと考える。でも、どうしても彼氏と別れられない。なんで?なんで?って考えても答えが出ない。自分の気持ちがわからない。だけど、自分が悩んだ時、困ったことがあった時、嬉しいことがあった時、やっぱり彼氏に1番に言いたくなる。会いたくなる。自分の中の彼氏の存在。それは他の人の方がいいと思っても、彼氏の存在を超えられない。好きってすごい。愛ってすごい。どんなことがあっても、好きは好き。そしていつも、やっぱり君。ってなる。そして自分の幸せに気づく。こうやって彼氏の存在の大切さに気づく。他の人と遊ばなければ、こんなことに気づかなかった。いけないことかもしれないけど、今思えばそれがあったから今の気持ちに気づけた。そして彼氏を大事にしようって。絶対離さないで2人で幸せになろうと思えた。そして、私の隣にはやっぱり貴方だ。ってなった。
茨城県 ひろみさん/女性39歳
人生を考える
自分が生きてきた事が、今になってそれが、自分探しの人生になっているんだね。昔から、何も考えていない人生だったから、「今」が楽しければいいとか、そんな事を思いながら生きてきたんだよね。「そうだろ~な」考えもしなかった事が、今じゃ「考えられる」になっているんだよね。それは自分の人生に良い事で、考えられるようになったんだから、良い事に、自分の人生になるんだって、そう感じられるようになりました。色んなことに対して、それが人生の旅先にもなるんだよね。それは自分の人間性が、日々、一日、人生で旅先みたいな感じだから喜びが存在する。自分で居られる事なんだよね。自分の人生。人生には答えはないけど日々、一日、自分が居られるから 感謝なんだよね。自分の人生がこれからも、自分探しの旅になっている事も解るよね。
長野県 そ→のすけ。さん/男性43歳
うれしい・たのしい
高校時代1年360日、年間5日しか休みが無かった部活。中学までずっと情熱を注ぎ込んでいた野球を辞めて、高校から個人競技のバドミントン部へ入部。野球は団体競技だから1人が頑張っても結果が出ないスポーツだけど、バドミントンは反対に個人競技だから、全て自分の頑張り次第が結果になる競技。高校から始めたバドミントンだけど、頑張ったら頑張っただけ結果が着いてくるのが嬉しくてホントに毎日必死だった。県大会3位、インターハイ出場を果たし充実した高校生活。いよいよ高校卒業を迎え、進路をどうするか。同級生は実業団や有名大学へバドミントン推薦。同級生と同じ道を選ぶことも出来たけど、学校の先生になってもっと沢山の生徒にバドミントンを教えたい、母校を倒したい、そんな夢を見つけて教師の道へ。

バドミントンは無名の大学へ行き、サークルのお遊び程度で、初心者の男女が羽根突き程度で活動する部活に入り、バドミントンをもっとやりたいと葛藤しながら我慢して、教職課程で勉強する毎日。そんな頃にバドミントンの大会に出場。勝ち進んで対戦したのは高校時代の同級生。高校時代は互角だった同級生が バドミントン推薦で強い大学へ行き、2年で こんなに実力の差がつくのかと思う程の大敗。何をやっても歯が立たず、試合が終わって握手した時に「頑張れよ」と見下された挨拶をされた時の悔しさ。結果的に同級生は そのまま勝ち進みベスト4。

教師になってバドミントンを教えたいという夢に向かって頑張って来たけど、もうプライドはズタズタ。夢を叶えることよりも、バドミントンをもう1度精一杯やって見返したいっていう感情が爆発。教職課程を諦め、部活でキャプテンをやりながら練習。同じようにバドミントンに燃える2つ下の後輩に出会い、自分の大学では強い相手が居ないから、後輩と一緒に社会人のクラブチームに混ぜてもらって練習したり、バドミントンの強い大学へ練習に混ぜてもらう日々を過ごした。その後輩とダブルスを組んで2年、大学4年生の最後の大会、バドミントンとしては無名の大学の学校名を背負った2人が勝ち進む。

強い大学の連中やシードの連中を打ち負かし、自分の大学の仲間達はもう試合は負けてしまったのに、自分たちの応援の為に会場に残り、みんなに応援され、支えられながら気づけばベスト4。たった4組のチームがセンターコートで注目を浴びる。他の3チームはバドミントンの強豪校。試合が始まる時「先輩、ついにここまで来ましたね。勝ち負けよりも楽しみましょ!」と後輩に言われ、最後のスマッシュを決めた瞬間にガッツポーズ!ラケットを宙に投げ、汗と涙で後輩と抱き合い、みんなに拍手され、やれば出来るんだ!ってことを学んだ学生生活。残念ながら優勝は出来なかったけど 今でも過去の大会の歴代勝者のページに自分の名前が載っていることは誇りであり自信であり、本気で最後までやり抜けば、必ず実るんだってことを経験し、今の人生に繋がっています。
島根県 ちろるちょこさん/女性17歳
気付いてほしい
私が高校2年だったときの高一の入学式。興味がなくてうとうとしていたら、病院とかでよく間違われる呼び方をされ、びっくりしていたら後輩に一文字違いの男の子がいた。そりゃ、名前が似ているくらいだから顔も気になるよね。番号覚えていたから見たらかっこよくて一目惚れ…。毎日、目で追いかけていた。メガネをかけていて髪の毛もふってしていて笑顔が素敵な人です。みんなにかっこいいって言うと、そう?かっこよくないってめっちゃ言われて悲しかったなぁ。お祭り近づいたらコンタクトにして髪の毛切ってセットして。よりイケメンに。そしたらみんなきゃーきゃーして。かっこよくないって言っていた人まで…ちょっと引いちゃったなぁ。お祭りの日。どうしても花火を一緒に見たくて。けどLINE持ってない、友達に言ったらLINE送られてきて勝手に追加されちゃった。全然既読つかなくて花火は見られなかったけど、花火が終わったあとに追加ありがとうございますってメッセージがきて。すんごい嬉しかった!!!

LINEでお菓子作りが得意なこと、ちびまる子ちゃんで爆笑したこと。話したのは、今でも大事な思い出。体育祭がお祭りのすぐにあるの。民謡の踊りの練習は学年が混じって一緒にするの。その子のことずっと目で追っちゃっていた。そこで恋していることに気づいたなぁ笑笑。色が違くて話す機会はなかったけど、本番の日。友達がその子を連れてきて写真撮ってくれた。ほんとに感謝。大好きな1枚です。行事が一旦落ち着いた頃、告白しました。けどダメだった。すっごい悲しくてほんとにほんとに大好きなんだって。すごい気まずいしごめんなさいしか言えなかった。大好きだから涙が出たんだね。LINEしにくすぎて既読無視して、けど急に話したくてLINE送ったら必ず返してくれる、嫌がらずに話してくれる。だからもっともっと惚れました。

バレンタイン、私の誕生日。1番に祝ってくれてほんとに嬉しかった!!!大好きが深まった。テスト期間だったからチョコは終わったあとに作ってお菓子作り得意だから、話したくてそれを口実に話した。しっかり教えてくれるし、わかりやすくてちゃんと作った!!!初めてにしては上手だったよ?!お礼っていう言い訳をしてチョコあげた。手渡しは恥ずかしかったから友達に頼んで。お礼のLINEがきてやっぱりいい子だなぁって笑笑。味に自信ないから、おいしくなかったら捨てていいよって言ったら、そんなことしませんよ。って絵文字なしできて、ドキッとしたなぁ。心優しい子だなって。ホワイトデーお返しきてびっくり。ないと思っていたから。さすがという程の綺麗さ。恋みたくほろ苦い味だった。

月日は流れ、3年になった。一目惚れして1年。受験生という荷物を背負い日々を過ごさないといけない私は最後の告白をした。諦めようとしたことは何回でもある、けど諦められなかった。忘れようとしても忘れられない。こんなに人を好きになったことないくらいの恋をした。最後くらい想い全部伝えてもいいよねって勝手に言ってLINEした。でもだめだった。どんなに思ってもだめだなぁって。けどそれでも大好きなのは変わらない。今日は彼の誕生日。誕生日に送るって決めていたから送ります。想いが叶わなくてもいい。好きな人が幸せならそれでいいってみんな言うけど、私は幸せかつ、笑顔でいれることを望んでいます。振られても大好きなのは変わらないから。これからも好きでいていいですか?
北海道 ら→ちゃんさん/女性19歳
危険な恋
私の好きな人には家庭があります。奥さんとまだ小さいお子さんがいます。仕事の先輩として彼と出会い、最初は怖い人ってイメージでした。でも話して仲良くなっていく間に、この人には叶えたい夢があって野望があって、だからいつも輝いているんだと知りました。仕事の先輩として尊敬できて、仕事面もプライベート面も相談に乗ってくれたり支えてくれる。どんなに私が彼を好きで独占したいと思っても、どんなに彼が私を好きだと言ってくれても付き合うことはできません。彼が好きだと言ってくれることも100%で信じられない自分がいます。せっかく家庭と仕事とうまく両立してデートする時間を作ってくれているのに申し訳なく思う時もあります。仕事でもプライベートでも彼は私にとって人生初の尊敬できる人であり、ドキドキキュンキュンもするし、素でいられる大事な人です。不倫というと悪いイメージしかないかもしれません。でも私の立場からしたら好きという純粋な思いが苦しくて辛くて、でもなくすことの出来ない感情なんです。相手の家庭を壊したいわけでもないしです。少しでも連絡が取れる、月に数えるくらいでも会える、そんな些細なことでも幸せだと思えるのが、ある意味不倫の真意みたいなものだと思います。
岐阜県 まいんちゅ→さん/女性22歳
ウェディング
だいちゃんとの出会いは2年前。最初の印象はめちゃ怖そう。6月8日、初めてのデート。2人とも雨女雨男で雨だった。あたしが大好きな水族館に連れていってくれた。あたしがウミガメを見てはしゃいでいるのを笑顔でみていた、だいちゃん。さりげなく大きな手であたしの手を包んでくれた。そして家で告白され付き合うことになった。だいちゃんと付き合ってからは毎日が楽しくて、でも喧嘩も沢山して沢山ぶつかりあった、でもいつの間にか仲直りして、2人で大好きなハジ→のライブに行くようになった。たくさんの思い出がある。ハジめての同棲。だいちゃんとこの2年のあいだに沢山いろんなところに連れてってもらったほんとにありがとう。そして、ハジ友トラベルでのサプライズのプロポーズ、そして二回目、ハジ→のユアタツの三重で究極の大当たりでの、皆の前でのプロポーズ。ほんとに幸せで2人の大切な記念日。

沢山の方に迷惑もかけた、たくさんの方に応援してもらって、たくさんの人に励まされた。どんなことがあっても何を言われても、やっぱりだいちゃんじゃないとあたしは無理、この人と生涯一緒にいたいと思えた。だいちゃんがいるから頑張れた、だいちゃんがいたから、たくさんの人にも出会えて、ほんとに今はだいちゃんじゃなきゃやっていけない。8月4日に籍をいれ、あなたの姓を名乗ります。それがすごく嬉しくて、あなたとの未来が楽しみで仕方ない。子供が出来て幸せな家庭を築き、あなた幸せになりたいと思えた。あなたの妻になるということがどういう事なのか、2人で支えあって頑張っていきたい。2人でこれから歩んでいく道が険しくても、あたしはあなたについて行きます。そして、これからも今まで支えてくれたお母さんへの感謝の気持ちは忘れない。お母さんから注がれた愛以上に自分の子供に愛を注ぐ。
岩手県 キヨさん/男性26歳
キモチを伝えたい
自分には、付き合って9年になる彼女がいます。1年前から同棲していて10月の記念日に結婚します。そこで今回ぜひ僕の彼女への気持ちをもうひとつの「約束。」みたいな感じに曲にしてくれたらと思って応募しました。彼女と出会ったのは11年前。高校の入学式でした。背が小さくて笑顔が可愛い女の子。初めて一目惚れをしました。やがて彼女と携帯で連絡を取り合うようになり、学校でもふたりで話すように。それから数日後、放課後に勇気を出して彼女を呼び出し、想いを伝えました。「俺と付き合ってほしい」と。彼女はいいよ、と微笑んでくれました。それから手を繋いで駅まで歩きました。俺にとって初めての彼女だったので手を繋いで歩くだけで緊張したのを覚えています。

それから半年くらい付き合ったんですけど、突然「別れよう」と言われました。それからは学校で会っても会話どころか、目も合わせてくれなくなりました。でも、それでも諦め切れず、高校3年の秋に想いが届いてもう一度、彼女と付き合うことができました。それからお互い就職が決まり無事に卒業しました。卒業式の日。将来、結婚しようねって約束をしました。休みの日にはいろんなところにドライブに出かけました。車では彼女が好きなハジ→さんの曲を聴いています。夏には毎年大曲の花火大会に行きました。

1年前に同棲を始めたけれど、彼女は朝から夕方まで仕事で俺が夜から仕事に行くため一緒にいられる時間はほんの2、3時間。それでも朝早く起きて仕事に行く前に俺が帰ってきてから食べるごはんを用意してから仕事に行き帰ってきてからまたすぐ夜ごはんを作ってくれて本当に感謝しています。仲のいい友達が続々と結婚していく中、待たせてしまったけど自分のことを信じてくれて今までずっとそばで支えてくれた彼女を幸せにする自信が持てました。彼女と結婚の話はするんですが、まだちゃんとしたプロポーズをしていないので8月の花火大会でプロポーズしようと思います。彼女への今までの感謝とこれからは俺が幸せにする決意を伝える曲をぜひハジ→さんに作っていただきたいです。
大阪府 あいかっちさん/女性25歳
人生を考える
私は中学校1年生の時にいじめにあいました。見た目が黒いのと外人顔ってだけの理由でした。小学校の時からの友達からもみんな避けられるようになりました。最初は親にも言えず、我慢していたけど、耐えられなくなりパッタリと学校行けなくなりました。親にいじめられていることをなかなか打ち明けられず、勇気がでなかったけどお母さんが真剣に向き合ってくれたおかげで正直に伝えることができました。それから、私とお母さんと学校の戦いがはじまりました。どうしても学校に行けない私のために、毎日パートを休んで登校に付き合ってくれる日々。それでも無理なときは、今日は制服だけ着替えようとか、今日はあそこの電信柱まで行ってみようとか毎日その繰り返しでした。

その間、学校はなにも動いてくれませんでした。友達もいなくなり、お母さん、家族にも迷惑かけ、自暴自棄になりもう死んだほうがマシなのかもって、毎日思うようになりました。どうやったら死ねるのか毎日考え、自分の部屋から飛び降りたら、どの高さからだったら死ねるのか毎日考えていました。でも、どうしても死ぬのが怖くて、死ぬ勇気がでませんでした。学校に行けなくなり1年。もうこの学校には行けないと私とお母さんは判断し転校を決意しました。

その時、先生にお母さんが、「娘が勇気がない子で本当によかった。もしあったらこの子はここにいません。本当にそれだけが救いです」って言った時、あーー。生きていて良かった。って心の底から思いました。この一年お母さんには本当に迷惑もかけたし悲しい思いもたくさんさせてしまいました。でも、いつも側で支えてくれて助けてくれたお母さんに心から感謝しています。そして、高校の友達にも恵まれて一生の親友もできました。それからの私は性格も明るくなりまわりにはたくさんの人が集まるようになりました。昔はなんで自分だけこんな嫌な思いしないといあかんのかなって思ったけど、今ではこの経験が人の痛みをすこしでも感じられるようになったんだなって感謝しています。まわりにたくさんのありがとうをこれからも伝えていきたいなって思っています。
愛知県 はるもんさん/女性20歳
危険な恋
今の彼氏と出会ったのは、2年9ヶ月前の高校二年生のとき。彼とは、ショッピングセンターで待ち合わせをした。彼の彼女とは、同じ学校。彼は遠距離。彼と彼の彼女には、この日始めて会った。その時に彼は、私に惹かれた。ショッピングセンターに5時間くらいいたけど、彼とは、ショッピングセンターを出るまで一言も喋らなかった。ショッピングセンターを出て河川敷で遊んでいた。そしたら彼が話しかけて来てくれて、彼に告白されて彼と付き合うようになった。それから毎日過ごし今日まで来た。彼は、毎日会ってくれる。彼とは、うまくいかなかったりするときもあるけど、彼をこれからもずっと愛しつづけたい。だけど最近、彼の愛がなくなって来た。だからハジ→さんに歌を作ってもらいたい。ハジ→さんどうかよろしくお願いします。これに当選したらハジ→のライブ、彼と行きます。彼をまだ連れて行ったことないので、よろしくお願いします。
茨城県 みくさん/女性22歳
ありがとう
今、私は転職を考えています。今の仕事は好きで始めたのだけれど失敗ばかりで、その失敗が積み重なり、迷う一方です。今現在も迷っています。壁にたくさんぶつかってとても辛かった。でもそんな私に手を差し伸べてくれたのは、両親や友達でした。周りの人がいてくれるから、今の自分がいて、本当にみんなに支えてもらっています。普段は周りに弱いところを見せたくない性格なので、歌に込めて伝えたいと思い応募させていただきました。
大阪府 まいまいさん/女性18歳
危険な恋
私は中学の時に、新人の女の先生に出会いました。最初は、ただ単に先生として、見ていたのですが気づいたら目で追うようになって、笑顔向けられたら嬉しくて…気づいたら好きになってしまっていたんです。2年では、提出したワークに手紙を挟んで交換するようになり、想いを伝えました。先生は素直に、私もって言ってくれてそこから距離が縮まりました。

3年になり、担当が先生じゃなくなりました。あるとき、私が悩み相談をするとライン交換しようっていってくれて、毎日欠かさずにラインをしました。授業中、みんなが問題を解いている時の頭ポンポン。テスト最中に先生を見るとニコってしてくれた。私が得意な英語の授業。難しい問題の時は、わざと当てて来た。廊下ですれ違ったときの満面の笑み。部活の引退試合。私の試合の時だけめっちゃ応援してくれました。受験では、二人きりの教室で教えてくれて…無事に合格してハグしました。

それから高校に入り、お互い離れ離れ。なかなか会えなくてつらくて、先生の学校が遠足でユニバに行っていると聞いたので、私は内緒で会いに行きました。そして、二人でアトラクションに乗りました。一生の思い出になりました。それから、携帯は繋がらなくなり、唯一年賀状だけ送って来ます。もう一度会えるなら言いたいな。好きです。
福島県 hirokaさん/女性27歳
君のためなら
就職活動中のボランティア活動に参加した私。東京からきた講師に出逢いました。それが今の彼氏との出逢い。お互い障害や凸凹があることを知り、私の今までの私生活・経験の話をした。その夜チャットをして、お互い挨拶や冗談交じりの話しのやりとり。そんな中、彼氏:「真面目な話しをしていいですか?」 私:「はい。」 彼氏:「私とお付き合いしてもらえますか?」そんな話だとは思わなかった私…。でも、私は正直言うと恋愛経験も少なくいつも好きになるのは自分から…。男性から言われたのが嬉しくて嬉しくて「はい。」と応えた。遠距離恋愛も初めてだったけど今本当に彼氏に救われて生活(生きて)しています。ありがとう。大好きだよ(照)。最近会えていないけど、きっと心は通じあえていると思って今日も生きています。ありがとう…。
兵庫県 あ→や☆さん/女性25歳
気付いてほしい
付き合うまではなんとも思ってなかった存在の人。気持ちを素直に伝えてくれて嬉しかった。でも歳上ですごくすごく迷ったまま付き合い始めた。付き合うようになってからは、彼の優しさにもすごく惹かれていつの間にか大好きになっていた。歳が離れているからこそ難しいわがままもたくさん聞いくれて、いつも喜ばせてくれた。ペアルックがしたいっていうわがままも最初は嫌だって言っていたのに、一緒にしてくれた。でも、素直になれない日もあって、冷たくしてしまったりする日もあった。

1年8ヶ月付き合って突然の別れ。大阪で出会った彼が実家を継ぐために九州に帰ることに…。その時一緒に帰りたいと言った時、彼が首を振ったのは横だった。涙が止まらなくて最後まで困らせたよね。あの時、なんでもっと大切にしなかったんだろうって何度も何度も思った。こうしてあげられていたらとか、そういう後悔がたくさん残っている。別れてからも誕生日のメールはお互いにするけどそれだけ。これからも叶うことない片思い。いまでも大好きな彼。いまでもずっとずっと思っている。伝えたくても伝わらない。これからも、あなたのこと想っている。いつか届くといいな。
秋田県 バスケ大好きハリボーさん/男性18歳
失くした恋
高1の秋に彼女ができました。しかし最初は、その相手ではなく他に好きな人がいました。その人とはまだ会ったことは無かったのですが、LINEで毎日話したり、電話したりしてとてもいい感じでした。僕はその人と付き合いたいと思い、告白を考えていました。ちなみに自分はバスケ部でした。そんなある日、バスケ部のマネージャーに告白されました。しかし自分にはもう決めている人がいたので断るつもりでした。ですが、そのマネージャーとは友達として普通に仲が良く、しかも同じ部活ということもあり、気まずくなるのが嫌でした。そのため1度遊んでみてどうか決めようと思い遊んで見ました。確かに楽しかったですが、その好きだった人には及びませんでした。ですが気まずくなるのが嫌で付き合ってしまいました。

最初はその人が好きでなかなか切り替えが上手くいかない期間が多かったです。結局最後までその人のことを忘れることができませんでした。それに感づき、相手は自分を振りました。最初はなんともないと思っていました。ですが、時間が経つと涙が出てきました。自分のホントの好きな人は違う人だったはずなので涙はおかしいと思いました。僕は失ってからその彼女のことがどれだけ好きだったのか気づきました。失ってから気づいたのです。僕は長い間その事を後悔しました。もっと大切にしてあげればよかったと…。自分勝手な話かも知れませんが採用して頂けるとうれしいです。この時もハジ→さんの「Only One。」をずっと聞いていました。ホントにファンです。ぜひよろしくお願いします!
愛知県 くにきちさん/男性39歳
ありがとう
僕は小学生と中学生ではかなり成績も良く将来の夢は弁護士でした。手に職をつけた方がいいと思い工業高校へ進学しました。1年生の時はクラス委員長もしていたのですが2年生になった時にいわゆる不良と呼ばれる人達と仲良くなり、成績は悪くなり、喧嘩もして、停学にもなり、親を悲しませました。何とか高校は卒業出来て就職したのですが、遊ぶ癖が付いてしまった僕は会社を辞めてしまいました。それからは両親も離婚してしまい、家族がバラバラになってしまったのに、僕は変われず最低な人生を送っていました。信じていた人にも裏切られ、ただただくすぶった生活を送っていました。

そんな時に妻と知り合いました。妻もその時に15年も働いていた会社を辞めざる事になるくらい人間関係に苦しんでいました。妻はバカがつくほどの真面目で僕とは全くの正反対の人生を送っていました。そんな二人が出会いお互い悲しみのどん底にいた為分かり合える部分があり出会いから5ヶ月で結婚しました。結婚して妊娠をし幸せな家庭が築けると思っていたら心拍確認出来た後に稽留流産してしまいまたどん底に落とされました。

そんな時にハジ→さんの「お前に。」を知り心が救われるライブに行くようになり今はすっかりハジ→さんの生活は考えられない生活になりました。しかし新婚生活は長く続かず。それは僕の父が脳梗塞で倒れてしまい介護する生活が始まりました。妻はいつになったら幸せになれるのか?と思っていますが妻は僕がいるから介護も頑張れるし、ハジ→さんのライブが楽しみだから私は幸せだよ。と言ってくれ感謝の気持ちしかありません。

バラバラになっていた両親も僕が立ち直り真面目に仕事をし安定した生活を手に入れてようやく元に戻り母親とも今はいつでも会え妹とも仲良くなれました。そんな人生にしてくれたのは妻です。妻がレールを戻してくれました。今は親のありがたみや妻への感謝の気持ちを忘れた事はありません。今回このような素敵な企画がありましたのでエントリーしてみたく思いました。妻がいなければ今の僕はありません。何とか妻と両親への感謝の気持ちを歌にして欲しく思います。よろしくお願いします。
北海道 ひろし→さん/男性28歳
人生を考える
2012年、専門学生4年の時。私は小さい時から祖母の家に行って遊ぶ事が多かった。祖母の家は米農家で目の前には田園風景が広がっていた。夏はよく祖母と田んぼでおたまじゃくしや蛙、タニシなどを取っては観察したり遊んだりしていた。そして納屋で祖母が取った野菜を焼いて焼肉をして私をよく楽しませてくれた。冬になれば雪が降り、家の横にかまくらを作ってよく遊んだ。大晦日になれば、手作りの茶碗蒸しが出てくる。私は茶碗蒸しが苦手だったが祖母が作った茶碗蒸しだけは美味しくてたくさん食べていた。そして、未だに茶碗蒸しの味は忘れられず他の茶碗蒸しは食べられない…。

私はそのまますくすくと育っていく。高校を卒業して4年生の専門学校に入学した。最初の3年は実家から約1時間半電車や自転車を乗り継ぎ通っていたが、4年目だけは国家試験の勉強に集中したかったため一人暮らしを始めた。2012年2月就職内定も決まり国家試験がある月に祖母が体調を崩した。母親からはまだ大丈夫だから国家試験の勉強を頑張りなさいと言われ、国家試験が終わってからお見舞いに行こうと思った。そして国家試験2日前の夜、母親から祖母が亡くなったと連絡があった。まだお見舞いに行ってない、顔も見ていない、今すぐ会いに行きたい気持ちでいっぱいになった。しかし電車はもうない。翌日には国家試験を受けるため朝から遠くにある会場に前日入りしなければならない状況だった。

すぐ母親に電話した。国家試験受けないで祖母の葬式に行くと。しかし、母親から祖母が頑張って国家試験に受かってね。と入院しているときに言われたようであった。本当に葛藤した。人生がかかった国家試験を受けなければならない、祖母にはもう会えないから最後に今までありがとうと伝えたい。しかし、祖母が天国で応援してくれている。これを無駄にはできないと思い国家試験を受けた。無事に国家試験も合格し、すぐに祖母の元へ向かい報告した。ばあちゃんがいたおかげで…天国から励ましてくれたおかげで、ここまで成長できました。今の仕事は、ばあちゃんからの宝物だと思い生涯、続けていきます。これからも天国から見守っていて下さい。そして常にたくましくなっていく姿を見せ続けます。
宮城県 かおっちさん/女性21歳
君のためなら
現在、遠距離ですがもうすぐ付き合って2年になる彼氏がいます。同じ高校の3つ上の先輩だったのですが知り合った時にはそれは知らず、あとから知った大きな共通点でした。知り合った頃、私は辛いことが重なってかなり落ち込んでいて、そんな時に私を救ってくれたのが彼の存在でした。「俺が支える」と言ってくれた言葉がとても心強かったです。それから仲良くなりデートを重ね、ついに彼から告白された時は本当に嬉しくて幸せでした。

でも3ヶ月ほどたった時、少し様子が変わったなと思っていたら彼が浮気していることに気付いてしまったんです。遠距離だから仕方ないことなのかもしれないとも思いましたが、やはり裏切られたというショックはかなり大きかったです。その時は謝ってきた彼でしたが、その後も別な子と、そしてまた別な子と…と、何度も繰り返されました。もうしないからと謝ってきたのに、嘘をついてこそこそとされていたことは本当に悲しかったです。

こんな彼氏嫌だよね、と言われ、一度は離れることにもなりました。でも私はどんな事があっても彼のそばにいたいという気持ちが消えず、諦めずにいた結果復縁することになり、今に至っています。(なんと復縁できたのは2人で初めてハジーさんのライブに行った日でした!)。でも、復縁してからも嘘と浮気癖は治らず、彼女は私じゃなくてもいいとまで言われたりしたので、やっぱり私じゃだめなのかなとずっとずっと不安です。それでも今は私を選んでくれているんだからきっと大丈夫だと自分に言い聞かせています。

最初は宮城と岩手で、彼が就職してからは宮城と栃木という遠距離ですが、来年は私が就職で宮城から千葉に行く予定でいます。栃木とは決して近いとは言えないけど、私達にとっては近い距離になれるので、来年まで2人でがんばろうと決めました。今までたくさん嘘をつかれたり辛いこともありましたが、私は彼の「今はちゃんとお前とやっていこうと思ってる。浮気や嘘もやめられるように頑張る。」と言ってくれた言葉を信じようと思っています。

こんなに彼を想えるのは私だけだとも自信をもって言えます。だから今まだもしも彼の心が私には向いていなくてもいつかはちゃんと私だけを見てほしいし、そうなると信じたいです。そしてそのためには何だってしようと思っているんです。他の女の子に負けないくらいメイクやオシャレを頑張ったり、ダイエットをしたりも。いつか努力が実る日が来るといいなぁと願っています。

ただ、そういうのは自分のエゴなのも分かっているので、彼の幸せのためだとしてもずっと身を引くことが出来ず縛り付けてしまっていたことは申し訳なさでいっぱいです。同時に、それでも一緒にいてくれて支えてくれている彼には感謝しています。毎日のLINEや水曜日と土曜日の電話も私にとってはとても大切な時間です。これからもたくさん旅行して2人で47都道府県を全部まわるという夢を実現させたいし、彼の趣味のスタンプ集め(駅とか観光スポットにあるやつ)も2人でまだまだやっていきたいと思っています笑。

いつもは素直になれず意地を張ってしまったり、喧嘩になると浮気のことを持ち出してしまうことが多いのですが、何かの形で私も彼に恩返しをしたいし、過去の嫌な思い出や辛いことよりもこれからのことを大事にしたいという今の正直な気持ちを伝えられればと思い応募しました。
大阪府 やっちゃんさん/女性32歳
危険な恋
私には10年間片思いしている人(Oさん)がいます。決して、上手くいくことはありません。そう分かっているのに、今もなお忘れられない存在として心に位置付けているOさんの存在があります。出会いは10年前。私が大学4回生の頃でした。Oさんはわたしのアルバイト先の飲食店の店長。わたしの7つ上。一般的にいう男前とは違う人で、ちょっと険しめの顔。背も高いわけでもなく、無愛想。第一印象はとっつきにくそうな人だな、という印象。そして、Oさんは既婚者。どちらかというと、好きにならないであろうタイプの人でした。

一緒に働いていく中で、一生懸命に働き、回りの事を気にかけ、自分の苦手な事にも前向きに取り組み、失敗してもへこたれないようなOさんに惹かれるのに時間はかかりませんでした。わたしは、どんな形ででもOさんのそばにいたいと思い、まずアルバイトにたくさん入り、仕事を率先してがんばりました。そのうち、リーダーになったわたしはOさんと仕事の話やプライベートの話、くだらない話などする機会が多くなり、やっぱり好きなんだと改めて思いました。この頃のわたしの一番の幸せは、アルバイトが終わり、みんなが帰った後、2時間位誰も居なくなった店内で、ただただ一緒に二人でしゃべるということでした。それだけで幸せでした。

それが半年位続きました。この時点でわたしはOさんに好きだとか、そういうことを伝えてはいませんが、きっとばれていたとは思います。就活をしていなかったわたしには、充分な時間がありました。週5ほどでシフトに入り、Oさんとの仲はもっと深まっていきました。既婚者を好きになるのは初めてでした。回りに相談できるはずもなく、自分の心にしまっていました。Oさんの性格上、わたしが誰かに相談したり、わたしが匂わせるような態度をとったりすると、この関係は終わってしまうとわたしは感じていました。いつかは終わらせないといけないと思っていましたが、いつかという漠然なこととしか思っていませんでした。

Oさんとの関係が始まってから2年ほどでしょうか。わたしは正式に他の会社での就職が決まりました。この店を辞めるときが私たちの関係が終わるとき。そう思っていたため、就職にも迷いましたが、「いつかは」は今なのかもしれないと受け入れ、バイトを辞め就職することにしました。ここで、一度Oさんとの関係には区切りがつきました。バイトを辞めたわたしには新しく彼氏ができました。ちゃんと好きになれそうと思いました。彼氏と付き合っている間に、Oさんからの連絡が月2~3度のペースで連絡がありました。わたしは、電話に出ることもメールを返すこともしませんでした。Oさんのことが嫌いだったわけではありません。むしろ、でたいし連絡とりたかったのですが、自分の気持ちが揺らいでしまうのかもしれないと思うと恐くて、彼氏にも申し訳なくて無視をすることしかできませんでした。(後から思ったことですが、出ないでおこう!と決めている時点でわたしの気持ちはずっとOさんにあったのかもしれません)。

それから3年ほどがたちました。私は彼氏と別れていました。彼氏と別れたからいいかなという気持ちで、Oさんからの電話に、わたしは出ました。「俺と一緒に働いて欲しい」と言われました。わたしは「うん」と答えていました。どんな形でも、まだOさんがわたしを求めてくれているのがうれしかったからかもしれません。そして、わたしはOさんと一緒に働き始めました。以前の用な関係は一切ありませんでした。部下と上司というただの関係です。ただ、やっぱりダメですね。わたしはまた、Oさんに惹かれていきました。また、わたしは気持ちを封じ込めることしかできませんでした。おんなじことの繰り返し。不倫なんて、いいことないって、昔散々つらかったって分かっているのに、なんでまた好きになってしまうんですかね?それから、私の片思いが始まりました。

一年位がたったころ、Oさんから急に「離婚した」と聞きました。奥さんの方から言われたみたいで。Oさんはショックを受けていました。内心わたしはうれしく、自分にチャンスがあると思いました。そこから、Oさんと一緒にいる時間が長くなりました。わたしの家にも来ていましたし、出かけたりもしました。ただ、付き合うとかそういった言葉はありませんでした。2年位、曖昧な関係が続きました。ただ、この頃の私たちは一線を越えるということはありませんでした。

この2年の間に、わたしは4回ほど告白しました。付き合いたいということ。好きだということ。以前伝えられなかったことを、今はきちんと伝えようと思い伝えていたのですが、いつも「ありがとう」この一言でした。ただ仕事柄、上司と部下という関係なので、その間は付き合えないと言われました。わたしは、仕事が好きでしたし、辞めるつもりもありませんでした。お互いの気持ちがきちんとあるなら、今はこのままの関係がいいのかとも思いました。それから、半年ほど経ちました。あいまいな関係が終わる時が訪れました。わたしの働いていた店舗が閉店することになりました。それに合わせ、わたしの分野の仕事もなくなってしまうため、わたしは会社を辞めることにしました。わたしはOさんと付き合える。そう思っていました。

わたしが会社を辞める日、送別会がありました。その中で、話は恋愛の話に。すると、Oさんはみんなにこう言いました。「今一緒に住んでいる人がいる」言葉がでませんでした。理解ができませんでした。ただただ呆然としていました。Oさんは最後にわたしを家まで送ってくれました。無言の1時間。話したいことはいっぱいありました。わたしのことをどぅ思っていたのか。いつ彼女ができたのか。恐くて何も聞くことができませんでした。「ありがとう」最後にわたしが唯一言えた言葉でした。送ってもらったことに対してなのか、今までの関係に対してなのか。きっとOさんには伝わっていないでしょう。それでいいと思いました。

家に着いたわたしは声を上げて泣きました。こんなに泣いたのは初めてかもしれません。散々なき張らした後に、もう1度だけLINEをしました。どうしても知りたかったのです。Oさんがわたしをどう思っていたのか。返事は返ってきませんでした。それが答えなんだと思います。最初に出会った時には奥さんがいるから、自分が一番になれなくてもしょうがないと思っていました。Oさんがフリーになって、一番近くにいるのはわたしだと思い上がっていました。フリーの状態のOさんにふられたわたしに、この先のことを望むことは出来ませんでした。この出来事から2年経ちました。今現在のわたしです。月1位Oさんから連絡があります。未だにわたしはOさんからの電話には戸惑うし極力連絡をとらないでいようとしています。恐いんです。ただ、いつかまた、笑ってOさんと話合える日がくればいいなと願っています。
岐阜県 じゅんなさん/女性24歳
人生を考える
今から4年前のこと。幼い頃からお世話をすることが得意だった。困っている人を見かけると助けてあげたいって気持ちが強くて自ら声をかけたり、友達が転んだら大丈夫?ってすぐに駆けつけて手当してあげたり、そういう自分がいた。物心つくころから将来は看護師さんになって沢山の人を笑顔にするんだって家族に向かって毎日のように言っていたらしい。やがて中学高校へ進学しわたしの夢は変わることなくむしろ、大切な人を亡くす経験が度々あり看護師になりたいという夢はさらに強くなった。勉強は得意でないけど夢を語る私に『すごく向いてる仕事だと思う、お前ならできる』って友達や先生に応援されて見事看護大学合格。

月日がたつのはあっという間で気付けば2年が経とうとしていた。勉強に恋にバイトにがむしゃらに頑張っている自分がいた。あと少しだって夢に近づいていたのに…。ある日の朝、思いもよらぬ交通事故にあってしまった。命に別状はないもののひどいムチウチに悩まされて精神的にも肉体的にもショックが大きくしばらく寝込んでしまった。学校もやむを得ず退学となってしまった。看護師になるってただそれだけを考えて生きてきたのに。事故が起きたときその夢は一瞬で壊れてしまい私はどん底に突き落とされた気分。

何のために生きているのか…今後どうすれば良いのか…自分を責めて毎日泣いてばかりいた。周りの人と比べてばっかでどうしようもない自分がいた。そんな私の手を握って『大丈夫だよ、1人じゃないよ、一緒に頑張ろう』って励ましてくれる母。母の目には涙がこぼれている。それでも笑顔つくってわたしに喋りかけてくれる。母の優しさに触れながらも私は劣等感においやられ…。このまま実家にいても心配かけてしまう、私もっと強くならなきゃって思って私は家を飛び出した。とにかく遠いところに行きたいって向かったのが北海道夕張市。

リハビリに専念しながらの一人暮らし。初めて行く地で友達もいなければ家族もいない。 そしてはじめてのリゾートホテルでのバイト。心配かけたくない一心で北の国まで行ったけど、現実はそう甘くない。また1人で泣く日々。それでも絶対にやってやるって気持ちだけは強くて成長した自分をみせたくって毎日頑張ったんだ。そこでは新しい出会いもたくさんあっていろんな挫折を乗り越えて輝いている人達がたくさんいていろんな生き方を知ることができた。夢を失った私だけどあせらなくて大丈夫だって自分に言い聞かせることができた。リゾートホテルでの仕事は契約期間を終えて私は実家へ戻ることに。

空港にはちょっと小さくなったお母さんとお姉ちゃんの姿があった。ゲートを出ると『おかえり』って強く抱きしめてくれて。ちょっとちっちゃくなったお母さんを見て心配かけたくないから遠くへ行ったけど離れていれば離れているほど親には心配かけちゃっていたことに気づいた。北海道にいるときも手紙送ってくれたり、美味しい物おくってくれたりいつも気にかけてくれておたのはお母さんで。どんな時も母の優しさに救われているんだなって改めて母の偉大さに気づくことができたんだ。ありがとう。

実家に戻ってからはフリーターとしていろんなバイトを経験した。特にわたしを大きく変えたのはコーヒー屋さん。お年を召した方も多く、来店してくださるお店で仕事をしていた。常連さんから『あなたの笑顔みると元気もらうわ、あなたみたいな人に介護されたら幸せだわ』って言っていただくことが何度かあり、わたしはいつの日か介護の仕事に興味を持つようになったのだ。孤独で寂しい思いをしているお年寄りの方が多くいることに気づき自分が関わることで笑顔になってもらえることが何より嬉しかった。

看護だけじゃない。これからの時代、介護が当たり前になる時代。1人でも多くの方を笑顔にしたいって強く誓った。そしてわたしは資格を取るために2017年4月再び大学へ進学。介護は奥が深くて毎日楽しく学ぶことができています。交通事故にあってから今日この日までの5年間はまるでドラマみたいな物語だなってたまに言われるけど、あの時もし事故にあっていなかったら、私はこんなに強くなれていなかったと思う。辛い壁を乗り越えることで人は強くなり周りに感謝できるようになることを学んだ。今日を迎えられたのも当たり前じゃなくて本当にありがたいことなんだって。感謝して毎日を送りたいと思う。困難にぶち当たっても一人で抱え込まないでほしい、大丈夫だって母が言ってくれたように私も周りの人に寄り添って行けるように恩返しがしたい。
千葉県 りぃ。さん/女性34歳
出会いと別れ
春。パパが天国に旅立っちゃった。私と子供を残して。まるでドラマのような展開。だけど、事実は小説より奇なり。この言葉の意味が、よく分かった。桜が満開の頃、次の週末は家族でお花見しようねって、帰ってきたら言うつもりだった。朝、言葉少なに『おはよう』『いってきます』って、お互いに交わして出かけた。お昼に、貴方の番号からかかってきた電話。珍しいなって思って出てみたら、電話の向こうは貴方ではなく、会社の同僚さん。『旦那さん、倒れました』の一言に、無意識にすべてを悟って覚悟した。意識はありますかって確認したら、『倒れた後、すぐ意識なくなった』って。仕事を早退させて貰って、保育園に行っている子供を実家にお願いして。義母には昨晩、帰省の連絡をしたばかりだったけれど、伝えない訳にはいかなかったから、事実のみ伝えた。詳細は、病院で確認してからだよって…。ショックなはずなんだけど、妙に冷静だった。

パパが運ばれた病院まで、首都高使っても1時間以上かかる。手続きに必要なもの、一度家に取りに行ってから、大急ぎで向かった。『お願いだから、無事でいてほしい』望みはないと思っていても、そう願わずにはいられなかった。駆けつけて、医師から絶望的な状況の説明を聞いた。搬送中、心停止が30分以上あったこと。それでも、奇跡的に蘇生したこと。(元から強い人だったけど、そんな奇跡的な蘇生をするくらい、強いだなんてって感心したくらい)ただ、蘇生はしても既に頭へのダメージがすごすぎて、この先回復の望みはないこと。素人目に見ても、医師の見解は正しいであろうと、思う反面…どこかで、意識戻ってほしいって願っていた。

でも、いざ処置中の本人を目の当たりにすると、より事の重大さを実感。繋がれた沢山の管。本人の意思に関係なく、力なく開いている瞼。普段、信仰心もなかったけど、神様が居るなら奇跡を起こしてほしいって、本気で願った。その日は、もう遅かったから、そのまま帰ることにした。泣きながら、運転していた。涙で道路やテールライトが、激しく滲んでいた。よく事故を起こさなかったと思う。駐車場に着いたら、車の中で大声出して泣いた。

子供には、『パパは頭痛くて今夜は病院にお泊りしているの、明日お見舞いに行こうね』って話した。よくわからないって顔していたけど、静かに『…うん』とだけ、うなずいてくれた。泣かないように説明しようとしていたけど、何故か涙目の私を心配して、『ママどっかいたいの?パパ直ぐ元気になって帰ってくるよ』って言うから、もう本当にしんどかった。子供を抱きしめながら寝かしつけたけど、今夜が峠って話があったから、一睡もできなかった。夜中、いつものパパの帰宅時間の頃。物音が聞こえると、無意識に、帰ってきたって思ってしまう自分がいた…。それから毎日、子供を連れてお見舞いに行った。意思の疎通はできなかったけど、ただ静かに寝ているパパのそばで手を握って、パパが好きだった曲を一緒に聞いているだけだったけど。

段々私の心も麻痺してきて、何だかパパに似せて作った蝋人形が寝ている感覚になっていた。毎日、皆仕事や生活も忙しいのに、同僚さん、社長さん、友達がたくさんお見舞いに来てくれていた。皆さん、パパのことが本当に好きだったこと、どんなに素敵だったか話してってくれた。中には、パパが私を本当に気に入っていたこと、絶対本人が言っているとこを想像できないような、聞いたことのない惚気話を話してくれた人もいた。倒れてから2週間経った日。貴方は静かに逝ってしまった。私と子供を残して。子供も泣いた。私も泣いた。告別式も終わった頃。子供が、寝ていたはずなのに起きてきた。様子が違うからビックリしていたら、『木の看板のパパに会いたい』って言いだした。出棺前に、棺のパパを見せていたから。やっぱり、寂しいんだな。普段、気持ちを話さず天真爛漫に過ごしている子だったから、もういたたまれなかった。

夏。友達と再会した。友達の奥さんも、去年の春に亡くなっていた。その事は知っていたけど、すぐにお線香あげには行かなかった。多分、友達の気持ちが落ち着かないだろうって思っていたから。友達から都度連絡があった時は、可能な限り話し相手になるようにしていたけど。1年過ぎたころ、お参りに行く約束はしていた。いざ行こうと思っていたら、今度は我が家だドタバタだったから、時期がズレたけど行ってきた。会うのは結婚式以来。道中、車のエアコンから入ってきた行者にんにく畑の薫りにビックリして、お互い大爆笑。 強烈な印象に変わった。

久しぶりに、昔話に花を咲かせた。結婚する前のこと、結婚した後のこと、お別れをした時のこと、今のこと。そして、私が今後の覚悟を決めたこと。子供第一に生活を頑張ること、寂しい思いをさせないこと、例え誰かとお付き合いしても子供が懐かなかったら即別れること、また子供が懐く人なら私は好きでなくても再婚の意思があること。せきららに全部話した。まだ、お互いに天国の人に未練があるような、不思議な気持ちでいたはずなのに…。昔話をしていて、お互いに昔抱いていた気持ちを思い出した。結婚する前まで、お互い妙に気が合って兄妹のように仲が良かったこと。恋愛感情とも違うけど、お互いに気になる存在で、惹かれていたこと。色々な感情が混ざって、不思議な感覚になっていった。

それから毎日のようにLINEで会話していた。昔もこうやってチャットで良く話していたよね~なんて言いながら。ある日。友達から、声が聴きたいって言われてからは、LINEより電話で話すことが多くなった。夏の終わり。子供と一緒に遊んでくれた友達。子供も、久々のお出かけ、優しいお兄ちゃんに遊んで貰えて、すごく喜んでいた。やっぱり子供の笑顔には、癒される。この子を、もっと大事に育てないとって、改めて思った。帰る頃になると、すっかり懐いてしまって、離れない、帰りたくないって、大泣きされた。また遊ぶ約束をして帰ろうとした時。友達から、付き合ってほしいと告白された。普通のカップルとして付き合うことはできないこと、子供第一でいること、将来のことまでもう一度話した。それでも、友達の決意は変わらなかった。まだ、パパが天国に逝ったばかりだけど…葛藤もしたけどOKして、交際がはじまった。

秋。悲しいことがあった。友達が、亡くなった奥さんと私を、間違えて呼んだり、無意識に錯覚したりしていたこと。そういう気持ちや扱いになることは、理解していたから、ずっと我慢していた。子供の前ではなく、二人で居るときだけだったから、ずっと心にしまって黙っていた。でも、仲良し(Make Loveの事を、私たちはこう呼んでいます)の直後に、奥さんに向かって『ごめんね』って無意識に謝られた時、静かに涙がこぼれた。そこで初めて、友達に我慢していたことがバレたし、無意識にそう扱われていたことを説明することになった。これで関係も終わりかなって、覚悟した。それだけど、逆に謝られた。沢山話し合いをして、すれ違っていた心を紡ぎなおせた気がした。

幾度目かの季節が巡って、ある年の冬。皆で毎年恒例になった、クリスマスイルミネーションのはしごをしていた。子供もキラキラに大はしゃぎ。沢山の光に癒されて、友達が予約してくれていた隠れ家的なイタリアンでほっこりディナー。優しい時間が流れる中、友達がサプライズで用意してくれていたデザートが運ばれてきた。最初、何が起こったのかわからなくて、ポカーンとしてしまった私。イチゴのサンタさん、バラが飾られたスイーツ。チョコでハートと、『I LOVE YOU』と描かれて、キャンドルの灯ったプレートの隅に、真っ赤なメッセージカード。友達がそのまま読んでくれたのは、プロポーズのプロポーズ(笑)。『一緒』を『一諸』と書き間違えちゃっていたけど、今でも大事な私の宝物。

お互い最愛だと思って、一度結婚したことは後悔していないです。亡くなってそんな直ぐ付き合いだして、なんて批判も覚悟の上でした。でも、お互い寂しさを紛らわす為に、付き合いだしたわけでもなくて。一期一会というか、巡り合えた交友関係、家族が今まであったからこそ、今ようやっと恋人として巡り合えたのかなって、二人で話しています。はじめは、ネット(チャット)でしか繋がってなかったけれど、実際に会う以上に親しくなっていたし、夏に再会するまでは、2回しか実際に対面してなかったけれど…。(1度目はみんなで、2回目は友達の結婚式で)不思議な体験というか、縁の実話です。
広島県 ひでしゃんさん/男性38歳
危険な恋
今年2月4日。自分の誕生日に入籍した。相手の彼女とは約3年不倫の関係…。いつかは一緒になる…。自分の子供の事もあるし、落ち着くタイミングで結婚できれば…と思っていた。そんな時、彼女が新たな命を授かった。男としてのケジメをつける時か!彼女の元旦那には 慰謝料を払い、彼女も自身の子供へ養育費を払うようになり…。色々と大変な事も乗り切った。私は彼女と出逢い、一緒になれて、本当に良かった!この人を奪って本当に幸せだ!愛していると毎日伝えられる。こんな相手に出逢える人生だなんて、こんな幸せだと思える人生が訪れるとは思ってもいなかった。お互い再婚同士だし年齢も…。経済的な事も含めると、結婚式もあげてやれない…。指輪も、もっと良いものを買ってあげたい…。でも妻も本当に幸せそうだ。私がそばにいるだけで、幸せだと言ってくれる。7月25日に女の子を出産予定の妻の身体が心配…。無事に産んでくれるよう、私は家族のために一生懸命、働くだけだ (^-^)私と妻の間に生まれてくる、愛おしい子供の誕生が本当に待ち遠しい!
愛知県 ゆかのすけさん/女性33歳
人生を考える
私の家族構成は両親に姉が二人の三姉妹の私は末っ子3女です。私は今一人ぼっちです。私は凄いママっ子でした。ママが大好きで仕方ありませんでした。でも小4の時に母が病気で他界、その後父にも私達を育てる事が難しくなり(ママが他界して、お酒に走りアルコール中毒になった為)、母の婆ちゃんに育てられました。その後、一番上の姉が20代後半に病気で他界。一番上の姉とはちょうど喧嘩をしていて、仲直りできないまま、お別れでした。ちなみに葬儀にも呼ばれなかったです。(姉が呼ぶなと言ったのか、ただ大阪と福岡で離れていたから呼ばれなかったのかは未だに不明)。

その後今から5年前…。次女は姉が居た大阪に一人住んでおりました。近くには父親と父の兄達と姪っ子がいました。(姉達は密かに父親と繋がっていました)。ある日私の携帯に大阪の警察から電話がかかってきました。姉が自殺したと…。私はわけも分からず、何度も確認して、その場で泣き崩れました。すぐさま姉のいる大阪へと飛び立ちました。そこには冷たくなった姉がいました。第一発見者の方にはお会いできませんでした。(多分当時姉と交際していた方だと思われます)。スカーフで首を吊って自宅で亡くなっていたと聞きました。当時、姉はうつ病にかかっていたそうです。本当は一人で辛かったのではないかと思います。

姉の方から叔父に少し前に電話があったそうです。「ゆかの事を頼むね」と。九州にも帰りたいと言っていたそうです。私は姉が死にたいと思うほど追い詰められていたなんて、気付かなかった…。もっと電話かけたり、連絡をとったりしていれば、こうならずにもしかしたら済んだのかも…と今でも悔やんでいます。そして姉の死は謎のままです。なぜ自殺してしまったのか、その理由も分からないまま今に至っています。携帯電話もロックされていて、中を見ることも出来ず、家の中にも何かヒントがないか、探してみたけど、分からず。自殺されたら、残された人は一生その答えを探して生きていかなきゃならないんです。

姉が亡くなって10数年振りに父親と再開しました。父親は年取って白髪混じりで、でも当時の面影が凄いあり、会った瞬間お互いがすぐ分かりました。その後は父親とも連絡を取るようになりました。姉が亡くなって5ヶ月後、今度は育ててもらった婆ちゃんが急死しました。亡くなる2、3日前に病院に会いに行ったんです。私の事も分からず、話す事も出来ないけど、写真撮ろうって言ったら笑ってくれたんです。その写真は私の宝物です。婆ちゃんとはよく反抗期に大喧嘩しました。でも大人になるにつれて、婆ちゃんが大好きになり、大切にしていこうと決めました。でもやはり病気には勝てないですね。

婆ちゃんも亡くなり、去年は父親が急死しました。癌でしたが、抗がん剤治療で良くなったと聞いていました。でもそれは私を安心させる為の嘘でした。癌は完治していなかったんです。私の家族はみんな他界してしまいました。叔父からは「みんなの分まで長生きせんと」と昔から言われています。みんな亡くなってしまったけど、心の中には今も生き続けている。だから私は一人じゃない。私が生きていく意味、そして姉が自殺した理由、これから先その答えを見つけて生きていく事が私の使命なのかもしれません。
神奈川県 タク→さん/男性26歳
君のためなら
僕には秘密で社内恋愛をしている22歳の彼女がいます。人生初めての彼女です。付き合って来月で1年になります。本当に1年色々あったね。付き合って3ヶ月、僕の持病が悪化して、呼吸困難になり、初の救急車に乗って入院だったね。本当に怖い想いをさせたね。よく面倒みてくれたね。二人旅の京都、大阪旅行。台風で大雨、強風の中、よく歩いたね。 沢山食べて、温泉入って、観光したね。写真100枚以上撮ったね。クリスマス。二人でプレゼント交換。暖かいブーツ、カッコいい時計。お互い愛用しているね。彼女の実家にドライブデート。家族みんな、暖かく迎えてくれたね。時間が早く、毎日過ぎていきます。幸せなんだと感じています。大切な人が側にいる幸せを君が教えてくれました。必ずプロポーズして結婚するから待っていてね。人生初めてで、人生最後の恋人。一緒に歩いて行こう。奇跡って、あるんだね。
茨城県 そるとさん/女性34歳
気付いてほしい
高校卒業間近に出会った人がいました。友人の彼氏でした。友人は私に対して余裕があったのか、彼と連絡とっていいよなんて言ってきました。彼氏が欲しかった私は何も考えずに連絡をしてみたんです、友達紹介してもらえないかなーって軽いノリで。紹介の斡旋は断られたけど、それから毎日その彼から連絡がくるようになりました。そして、彼から告白されました。友人とは付き合っていないと言われたし、どこまでが本当でどこまでが嘘かわからないし、疑ったらキリがなかったからまあいいかと付き合うことになりました。

彼は友達とバンドを組んでいたし、その当時流行っていた携帯サイトにも“椿”という名前で登録をしていたし交遊関係も広かったからすぐ別れてしまうかと思っていました。でも、お揃いでも何でもなく互いにつけていただけのネックレスを、交換して着けてくれたり。私が「友達に言われたんだけど」と前置きして催促したペアリングも、「欲しいって言っていいのに」って笑ってすぐに一緒に選びに行ってくれたり。毎日欠かさず連絡をくれたり、毎月記念日には『いつもありがとう』とメールを送ってくれたり。“会いたい”じゃなくて“逢いたい”と変換したメールを送ってくれたり。新鮮。だけど心地いい。守られている安心感。ありがちな表現だけどそれがしっくりくる人でした。

結局は、私が子供過ぎたから、それがどれだけ欲しいと思っても簡単に手に入らないものなのか分かってなかったし、分かろうともしませんでした。大切にしてくれていることをいつのまにかごく自然なことのように錯覚していたんです。当然のように彼は私から離れていきました。別れてから10年以上経った今でも、もしどこかで会うことがあったら、と考えてしまうことがあります。だけど、今の自分を見られたらきっとがっかりされてしまう、こんな女と付き合ったのかと思われてしまうんじゃないかと。会いたいけど会いたくないし。会ってみたいけど会いたくない。会えないし、会えなくていい。真逆の感情が一気に出てくるけど、所詮はこんなこと考えているのは自分だけなんでしょうね。

今回ハジ→のこの企画を見つけたとき、ふと思いだすきっかけになったのでガラにもなく花言葉を調べてみました。どんな意味で使っていたのかは分からないけど、彼がつけていた“椿”には『完璧な魅力』という花言葉があるそうです。が、一変して『罪を犯す女』という裏花言葉というものもあるそうです。傷つけてしまった自分に合うなと思わず口が緩みそうになってしまいました。こんなこと万が一知ったら、同じ花を使うなと怒るかもしれないけど、今でも彼を忘れられない私にとっては唯一繋がれるものだと思っていたいです。
愛知県 HITOMIさん/女性37歳
ありがとう
私は子供が産まれてすぐ離婚して、シングルマザー暦15年目になります。ハジさんの事が大好きなので、子供との事を歌にして欲しくて、この度、応募しました。「僕がママを守る」小さな頃からたくさん言ってくれた息子。育児は育自と言われるように、本当にそうだと思います。23歳の若さで離婚と出産を経験し、当時の私は遊びたいさがり真っ只中でしたが、周りの友達にも、結婚、離婚、など、経験者があまりおらず、いろんな事を1人で抱えてきました。旦那は私に内緒で勝手にヤクザになり、離婚届を出したのは、旦那が留置所にいる間でした。親戚からも、犯罪者の息子の顔なんて見たくないと冷たくあしらわれ、辛い日々を送ってきました。

数年経ち、親戚たちも、息子をすごく可愛がってくれるようにはなったのですが、離婚したばかりの頃は辛かったです。でも、息子がいるから私は強くいられたし、息子が私を成長させてくれたと思っています。私が体調を崩した時は、どうしたらいいか分からなかった息子は、ベランダで1人、泣いていました。小さいながら、一生懸命、ママのために、何ができるんだ、僕はどうしたらいいんだ、と悩んでいたんだと思います。元気になってから、寝るときにお喋りばかりで全然寝ようとしない息子に叱ったとき、急に泣き出した息子。ちょっと怒ったぐらいで泣くなんて!なんなの?!と言うと「違う。嬉しいの。元気になったママが嬉しい。」って。

私にとって息子は、小さい身体で大きな存在感。保育園の卒園式の日、先生に言われた事で忘れられない言葉。「お母さん、今まで1人でよく頑張ってきましたね。息子さん、パパがいなくても、とっても良い子に育っています」と先生も泣いてくれました。小学生になり、ある日「ねぇ、ママ。反抗期ってなに?」と聞く息子。「うるせー!ばばあ!」とかママに向かって言う事だよ、と簡単に説明すると、目をまん丸にして、驚く息子。「育ててくれた人にそんな事言っちゃだめじゃん!そんな事言う人がいるの?」と驚いていました(笑)。

中学生なった今、いつの間にか、全然会話もしてくれなくなり、たくさん話しかけると、うっとうしそうな態度をとられますが、変わらず優しいまま。私が可愛い可愛いで育てすぎたせいか、男らしくない子に育ってしまったけれど、、優しい子に育った事はホッとしています。息子が結婚するときは、私はいいお母さんだったかな?私はあなたを幸せにできていましたか?と聞きたいです。旦那とは、上手くいかなかったけど、息子と出会えたのは、旦那のおかげなので、感謝しています。

ハジさんは、男性なので、母親の息子への気持ちって歌いにくいかもしれませんが、、、。大好きなハジさんに、パパがいなくても寂しい思いはさせない!片親でも、絶対に幸せにする!って誓った私の息子への思いを歌ってもらえたら嬉しいな、と思い、応募しました。※もし、採用していただけるのであれば、旦那がヤクザになったくだりは、オブラートに包んで、歌詞にしていただけたら、と思います。よろしくお願いいたします。
埼玉県
さやぴっぴ(なかがわ さやか)さん/女性23歳
ありがとう
2017年6月18日。ハジ→のライブが終わって帰宅後、妊娠していることがわかった。3年一緒にいる彼、同棲して2年半で、待ち望んでいた2人の赤ちゃん。それから安定期に入るまでが本当に大変だった。すぐに悪阻が始まり、匂いも考えるのも食べ物を見るのも辛い、テレビに映るお肉でさえも見るとトイレに直行。それでも徒歩とバスで仕事に向かう。夜勤明けの日は旦那さんが、仕事で疲れているのに私の体を気遣って送り迎えをしてくれました。何か食べられるもの、ゼリーだけでもと買いに行ってくれたり。

それでも水しか受け付けなくなり、悪阻が酷くなると水すら戻す。病院で点滴をしてもらう日が増えていく。安定期を迎えて少しずつ動けるようになって気持ちも軽くなった頃、保育士をしていることもあって、切迫早産になってしまいました。救急搬送され、10日間安静入院。その間も毎日お見舞いに来てくれた旦那さん。退院してからも自宅安静で早めに産休をもらうことになる。出産予定日が近づくにつれ、お腹も重たく、寝返りすら大変だったけど、赤ちゃんのしゃっくりや、胎動も日に日に強く感じられるたびに幸せを感じた。

2018年2月1日。妊婦健診で病院へ。妊娠高血圧症ぎみとのことで、促進剤を使って計画分娩に切り替えようということになり、そのまま入院。促進剤を開始したのは2月1 2日の13時ごろ。最初は旦那さんと会話が出来るくらい余裕。少しずつ強くなってくる痛み。お尻の骨が砕けそう。早くお産を終わらせたい気持ちしかなかった。促進剤の強さで私の体力が持たず、一旦促進剤を中断。しかし、自分の陣痛が付いて来ていて、痛みは変わらなかった。いきみ逃しの時も、痛くない時もずっとそばで旦那さんが手を握ってくれたことで、そばに居てくれる安心でいっぱい。

日付が変わるころ。促進剤を再開。痛みでパニック。赤ちゃんが苦しくないように出来るだけ呼吸に集中した。それでも痛いものは痛い。朝方4時ごろ、赤ちゃんの頭が降りて来ているよ~と言われ、いきむが、どうにもこうにも出てこられないみたい。会陰切開をされ、 “鉗子分娩”に切り替えようと。ハサミのようなもので赤ちゃんの頭をはさんでお医者さんにお手伝いしてもらうこと。もうなんでもいいから早くお産を終わらせたい気持ちだった。だけど、想像以上に痛くて、器具が入った瞬間、泣き叫ぶしかなかった。だけどすぐに、おぎゃ~って声が聞こえて…。

2018年2月3日3418g 51cmの可愛い可愛い世界一可愛い女の子が生まれました。10ヶ月間、お腹の中に居てくれた娘。頑張って大きくなってくれていた娘。正直、生まれた瞬間は、終わったーーーっていう達成感しかありませんでした。妊婦生活、色々な試練があったけど、こんなにも可愛い娘に出会えて、心から幸せでいっぱいになりました。約15時間半、そばで支えて見守ってくれていた旦那さん。妊娠生活の10ヶ月間、旦那さんの支えがあったから無事に出産をすることが出来ました。私は旦那さんと結婚して本当に良かった、幸せです。

これからの長い人生、パパとママと琴乃(娘)3人、ニコニコ笑顔で元気で優しさいっぱいな家庭にしていきたいなって思います。パパとママが笑えば琴乃も笑う。笑うとみんなが幸せになれる。そんな笑顔の連鎖を大切にしていきたいです。琴乃の由来は芯のある、心優しい、周りの大切な人も笑顔にさせちゃうような素敵な女の子になりますように。という願いを込めて。パパとママが貴方を大切に大切にするよ。何かあったら守ってあげるからね。人生は素晴らしい。ということ、ママとパパが伝えるからね。一緒に、幸せになろうね。生まれて来てくれてありがとう。
宮城県 なめちゃんさん/女性28歳
勇気が欲しい
わたしが就職をする時の話です。実家を離れる気も無かったし、離れようとも思わなかった。大好きな福島に住んで大好きな友達と大好きな家族と、ずっとこのまま過ごしていくのだと思っていた。しかし震災もあり、就職先がなかなか見つからず、隣の宮城県に面接へ。車で通えばいけるかな?また不採用かもしれないし。受けるだけでも良いから受けよう!と。そこは幼稚園。可愛い子どもたちを前に手遊びや体操、ピアノの試験を行った。なんと、合格をいただいた!就職先が決まり嬉しい反面、家族と離れ、一人で生活をしていかなくてはならない不安があった。

家に帰り、家族会議をした。どうしよう。車では通えなさそうだ。一人でできるかな?起きられるかな?仕事ちゃんとできるかな?先輩怖いかな?…とにかく不安でいっぱいであった。どうしようかと悩んでいると、「幼かった頃から幼稚園の先生になるのが夢だったんだから、お父さんもお母さんも応援するよ?あなたの人生なのだから、あなたの好きにしていいのよ?」と。本当に辛くて辞めたかったら、戻ってきなさい。と、言ってくれた。

その後、お母さんは夜ご飯の支度へ。まな板の上でトントンと音を立てている。毎日聞いている音なのに、なぜか涙がどんどん溢れた。もう春からは、この音は聞けないんだな。悩みも愚痴も、すぐ相談できる距離じゃないんだな。こたつにもぐり、バレないように泣いていました。笑春になり桜が咲き誇る中、可愛い子どもたちの担任に!1年目、仕事を覚えるのに精一杯。右も左も分からず、体調を崩しても家でひとりぼっち。電話越しに「無理しないのよ」と、何度も助けられた。

あなたの人生なのだから、あなたが自由に決めていいの。お父さんもお母さんも応援するから。だって、あなたの親だもの。夢への大きな一歩を踏み出すことができたのは、大好きな両親がいたおかげ。今年で7年目。まだまだ分からないこともあるけれど、全力で生きています!すぐ帰れる距離ですが、仕事が重なるとなかなか帰れず。今度みんなで温泉に行きたいです!笑笑。お父さん、お母さん、わたしはあなた達の子で本当に幸せです!ありがとう!!!これからもよろしくお願いします!
宮城県 れいかさん/女性21歳
気付いてほしい
出会ったのは高校1年生の冬。仲のいい友達とプリクラを撮って友達がトップ画面にしたのが始まり。地元が一緒で高校受験に落ちてしまい地元を離れ東京で仕事をしている同い年。見た目はすごくチャラいけど、実はものすごく優しくて、いつも自分の事より私を応援してくれる本当にいい人。彼が友達のプリを見て私に一目惚れしたらしい。LINEを交換してからは毎日LINEして夜には毎日電話。朝早い彼が寝落ちするのが日課。そんなある日、電話で『好き。』と言われました。初めて男の人から「好き。」と言われた私は一瞬、時が止まりました。電話でハジ→の「ずっと。」を歌ってくれた時、嘘じゃないんだなと思いました。そして『GWに帰った時ちゃんと会って告白したいから待っていて』と言われ、ものすごく嬉しかったです。

気仙沼と東京の遠距離で会いたくても会えないのがとても辛かった。GWの1週間前、急に連絡が取れなくなり彼のトップ画は女の子の横顔でした。連絡が来た!と思い見てみると『彼女が出来たから会えない。ごめん。』と言われました。最初は理解出来ず頭は真っ白、気づいたら泣いていてその時『私好きなんだ!』と実感しました。楽しい毎日は一瞬で消え、それでも諦められず毎日LINEを送り、会いたいという気持ちを抑えきれずにいました。当時アルバイトをしていた私は予定が合わず会うことも出来ず時間だけが過ぎて行きました。彼の誕生日には毎年おめでとうLINE送り、長期の休みが近づくとLINEを送りました。

高校を卒業し1年が経った冬。会うことになりました。お店からお家までのドライブは緊張しあまり話すことが出来ずいましたが、彼がいっぱい話しかけてくれました。大好きな彼が隣にいる。それだけでとても幸せでした。話していると彼の電話が鳴り、仲のいい地元先輩からでした。もっと一緒にいたいと思いましたが、あまり帰って来られない彼を考えると遊んで欲しいと思い『遊びに行って来ていいよ』と言いました。あの時『もっと一緒にいたい』と言ったらどうなっていたかな?と後悔しています。その年のバレンタインにはチョコを送りました。お返しにチョコと大好きなお菓子をくれました。中には手紙が入っていて今もお財布の中に入っています。出会ってから3年が経ち成人式の歳になりました。会場に行くと袴姿の彼がいてめっちゃかっこよかったです。すれ違っても話すことが出来ずただただ見とれていました。

初めて長電話をした人、初めて好きって言ってくれた人、初めて手を繋いで、ドライブをした人、初めて幸せをくれて、初めて手紙を書いてくれた人、何もかもが初めてだった私は今も忘れることが出来ません。忘れるためにほかの人を好きになっても彼のことが忘れられず、周りのみんなにも次に進んだらと言われました。何度も思いを伝えても私に気持ちがないことも分かっているはずなのに…。同じ高校を受験していた彼が高校に入っていたら?もっと素直になっていたら?と考えてしまいます。21歳になった私は未だ彼氏が出来たことがありません。初めての彼氏、将来の旦那さんは彼がいいんです!こんなにも好きなれたのは彼だから!もう叶わないって思っていてもいつかこの思いが彼に届いてくれますように…。
石川県 うるせぇコンビ姉さん/女性28歳
人生を考える
大好きで大切で信頼できる人を2人同時に失った。誰も信じられなくなった。あの人と出会ったのは高校を卒業して入学した大阪の短大。初めは何とも思ってなくて、むしろ、相手には彼女がいて「末永くお幸せに~」ってぐらい何とも思ってなかった人。でも気がついたら、いつの間にか気になる存在になっていて、相手も同じ気持ちだって気付いて…。学校で話す時間が増えたり、授業中に先生に隠れてメール送り合ったり、帰りに一緒にご飯に行ったり、夜遅くまで電話したり、メールしたり(当時はまだLINEじゃなくてメールだった)、2人だけにしかわからない秘密の話が増えていったり、一緒に過ごす時間が増えてくうちに相手に対する想いも比例して大きくなっていった。でもあの人には彼女がいる。強がりだけどこれ以上の関係は望んでない。これ以上の関係になったらダメなんだ!そう思っていた。あの人の隣に並んで歩けるのは彼女だけ、自分じゃない。

でもある時、悩んでいるあの人がいた。いつもの様にふざけて、おどけながら声を掛けるとあの人は「彼女と別れたいけどどうしたら別れられるかな?」って聞いて来た。内心嬉しくて自分の心の中の悪魔が喜んでいた。でも「それは2人で決めることちゃんと会って話しておいで。彼女は別れたくないかもしれないから。ちょっとしたすれ違いかもしれないから」そう伝えた。あの人は「分かった」そう言ってため息をついて、廊下の隅に居続けた。それから暫くして「話を聞いて欲しい」ってあの人からメールが来て2人でご飯に行くことになった。あの人からは「彼女とは別れた」「他に好きな人が出来た」と聞かされた。「そっか」「本当にそれで良かった?」そう素っ気なく聞く自分がいた。それからも自分達2人の関係は変わらず、仲のいい友達だった。

ある日一緒に遊んだ時に言われた。「俺の事好き?」って。どう言う事かは分かっていたけど、ちゃんと言ってほしくて「それってどう言う意味で?友達として?恋愛感情として?」って聞いた。「友達じゃなくて、恋愛感情として好き?」って聞かれた。「逆に〇〇(←相手の名前)は私のことどう思っているん?友達?それとも恋愛感情の好き?」に対してあの人は「恋愛感情として好き。付き合いたいと思っている」そう言ってくれた。絶対に付き合えないと思っていた人とこの日、付き合う事が出来た。「お互い、これが最後の人な!」そう言われて嬉しかった。それからは学校に行くのが今までの何倍も楽しくなった。甘いの物が苦手な彼がスイーツの食べ放題に付き合ってくれたり、歩幅を合わせて歩いてくれたり、さり気なく車道側を歩いてくれたり…さり気ない優しさを沢山感じて、幸せな気持ちを沢山くれる人だった。付き合っている時に結婚の話も何度も話した。結婚は何年くらい?何処に住もうか?どんな家具を揃えようか?子供は何人?名前は?…

そして季節が巡り、卒業のシーズンへと突入。卒業後は出会う前の距離に離れ離れになり。それでも私は大丈夫っていう揺るぎない想いがあったけどからの方はそうじゃなかったみたい。口では「離れていても大丈夫!」って言ってくれるけど、女の勘(?)ってやつかな、それが働いて現実的な距離だけじゃなく、心の距離も少しずつ離れていった。それでも「大丈夫!」って信じて、月1回の会える日を楽しみにしていた。会った時はやっぱり優しくて、大好きな彼。お互いに大好きって言う気持ちを伝えあって、将来のことも話して…幸せだって感じて…。でも、いつの間にか会いたいと思うのは自分だけになり、月1回の会える日…その予定を合わせるのも自分が言わないと会ってくれようとしてくれなくて…。渡せるか分からない誕生日プレゼントを選んだり、「お金がないから会えるか分からない」って言われたり、それなのに友達とは遊びに行ったりしていて寂しかった。だから1度正直な気持ちを伝えた。「不安にさせてごめん。大好きなまま。気持ちは変わってない。これからは気をつけるから」そう言ってくれた。好きだから、大好きだから、大切にしたいからもう1回信じようと思った。

でもダメだった。今まで大切にしてくれている、楽しませようとしてくれている、そう感じていたものがなくなった。次第にLINE(この頃にはメールからLINEになった)も電話も減った。いつも一方通行のLINE。既読にすらならない事も多かった。それでも好きだった。結婚も考えて就職してからは貯金もしていた。でも彼は違った。実際には貯金もせず、結婚のことも二の次になっていた。それでも良かった。今はまだって思っていた。でもやっぱり結婚について真剣に考えて欲しくて話し合った。彼の答えは「また先の事は分からない…」そんな言葉で今まで我慢していたものが堰を切って溢れて来た。結婚を「したい」と言ってくれなかった彼にショックを受けた。そんな感情を押し殺して「そっか、そうだよね」そう言うのが精一杯だった。

それから時間が経ち、彼との事についてよく考えた。これからもずっと一緒にいたいのか?2人で一緒に幸せになりたいのか?ずっと一緒に笑っていきたいのか?…答えはNOだった。いつの間にか自分の想像する未来に彼の姿はなくなっていた。付き合って5年、彼に別れを告げた。彼は泣きながら私を引き止めてくれた。彼が泣いたのは付き合っていた5年間で2回だけ。付き合った日の嬉し涙と、別れを告げた日の涙。引き止められた時は気持ちが揺らいだけど、ここで情に流されてもお互いの為にならないと、別れを選んだ。本当に大切だったから、本当に辛かった。彼の傍に居たかった…。

それから2週間程して、彼に新しい彼女が出来たって聞いた。正直驚きはしなかった。遠距離していた時からそう言う話は聞いていたから。最後に自分を選んでくれれば…そう思っていた。でも彼の彼女が誰か聞いて言葉をなくした。彼と付き合っていた時に、ずっと相談に乗ってくれていた短大で出来た大好きな親友だった。信じたくなかった。信じられなかった。何で?って何度も思った。別れを切り出したのは自分で、そこに悔いはない。むしろ彼には幸せになって欲しいと思っていた。でも何であの子なの?いつからそう言う関係だったの?彼に対してではなく、親友に対して不信感が生まれた。彼と別れた直後に「別れたんだ」って連絡した。親友は「それでも私達はずっと親友。何があっても親友だから、また何かあった時はいつでも言っておいで」そういってくれていたのに…。後で知ったのは親友と彼は、私が彼と付き合っている時から2人で遊びにいったりして「(私と彼が)別れたら付き合おう」って話していたってこと。ショックだった。信用していた人に裏切られるってこんな気持ちになるんだって初めて知った。

それから今まで自分が信じてきた人達の事を信じきれなくなった。この人もきっと自分を裏切る。それで辛い思いをするなら始めから信じなければいい。今のうちに距離を置こう…。そう考えるようになった。でもそれと同時に、この人達とあの子(親友)は違う。この人達は信じていい人だ!そう思う自分もいた。1番辛かったのは彼と別れたことより、親友の裏切りよりも、今まで自分が大切に思って信じてきた人達の事を信じきれなくなった自分がいたこと。信じたい思いがあるのに信じきれない事が辛かった。すると、自然とみんなと少し距離が出来た。居心地の悪い距離。むしろこのまま1人になった方がいいのかもって思った。でも、1人ってやっぱり寂しかった。

そんなとき言われた一言「お前がその子(親友)を許せないのは分かる。でも許せた時のお前の心は大きく成長する。許す事は簡単じゃないけど、それが出来た時はカッコいいぞ」何故だかスッと心に入ってきて、何故だか気持ちが軽くなった。自分の心はまだまだ発展途上で、まだまだ成長するんだって思ったからかな?それからは、無理やりこの出来事を忘れようとか、無理やりみんなの事を信じようとか、自分の出来ない事を頑張るんじゃなくて、時間が解決してくれることもあるって思って時間の流れに身を任せた。そしたら気持ちが軽くなった気がした。今でも心にチクンと何かが刺さっているような気もするけど、でも毎日が楽しくなった。自分の大切な人達を信じることが出来て、その逆に、信じてもらえて。人は1人じゃ生きていけない。お互いに支え、支えられの関係があるから生きていけるんだって思った。でもそんな出来事があったからか、次の恋愛に進むことをずっと躊躇っていた。好きな人は出来たけど、信じるのが怖くて、誰かに相談するのも怖くて…。またあんな思いをするぐらいならずっと1人でいいって思って、それを正当化させて、結局前に進めずにいた。

それから4年…。友達の紹介で出会った人。目は細いけど、いい人で、笑いのツボも似ていて、一緒にいるとドキドキする人。あの出来事から、こんな気持ちになったのは初めてで。でも、好きって認めるのが怖くて「好き?…なのか?…」って誤魔化し続けて。でも会いたいって思う自分が居るのも本当で、「やっぱり好きなんだ」って確信した。何だか一緒に出掛けて一緒に過ごすうちにその気持ちも大きくなっていった。出会って3ヶ月…付き合うことが出来た。あの出来事の事も話した。そしたら「自分を好きになってくれてありがとう。選んでくれてありがとう。信じようと思ってくれてありがとう」って言ってくれた。この人を好きになって良かったって思った。

今はこの人の隣に居られる事が幸せで、これからもずっと一緒に居たいって思える人に出会えた事に感謝している。誰も信じられなくなって、ドン底まで落ちた自分を救ってくれたのはやっぱり友達で、今隣に居てくれる彼の存在があったから毎日に感謝出来るようになった。これからも一緒に居たいと思える大切な人に出会えて、周りには大好きな友達が居て、自分は幸せなんだって分かった。逆にあの出来事がなかったら人の温かさやありがたみに気がつく事なく、人生を送って居たと思う。そう思うと、あの時の友達にも今はお礼が言えるかも(笑)!許す事、信じる事は簡単じゃないけど、自分が少し勇気を出すことで人生は素晴らしい物語になる!
茨城県 とまっちゃんさん/女性25歳
ありがとう
小学生の時に転校してきて、友達を通じて仲良くなった友達。中学に入ってからは、部活は違ったものの、移動する時やトイレに行く時も一緒だった。やがてお互い同じ高校へ進み、登下校は一緒で、帰り道で買い物したり、ご飯したりしながら帰っていた。 そんなある日、私達は同じ人が好きになった。その後、その子がその彼と付き合うことになり、嬉しい気持ちもありながらどこか複雑だった。そういうこともあってか、いつからか連絡を取らなくなってしまった。それから6年という月日が経って、ある曲を聴いて変わることになる。そのある曲というのがハジ→の「道。」。この曲を聴いて、もう一度連絡を取ってみようと思い、色々な想いをその子に話した。それからはまた昔のように今も遊ぶ仲になった。色々あったけど、今こうしてまた会えてよかった。ありがとう。
熊本県 しおりょけさん/女性25歳
ありがとう
私と彼が出会ったのは小学1年生のころ。私は名古屋に住んでいて、熊本の祖父母の家に遊びに行った時に仲良くなった男の子が彼。(私の祖父母の家の目の前が彼の家)小学4年生のころ、私の家族みんなで熊本の祖父母の家に引っ越すことになり、彼と再会しました。初めは友達ができるか不安だったけど、「あの子が近所にいるから大丈夫かな」という安心感はありました。お互いに遊んだ記憶しかなく、どんな子か覚えてなかったけど、すぐに仲良くなれました。幼なじみの始まりです。小学生のころは、学校終わってから毎日暗くなるまで一緒に遊んでいました。喧嘩はしょっちゅうしていたけど!小学6の時、今度は彼が引っ越すことに。それから数年は、年賀状を送り合うだけの仲になりました。(このころは恋心など全くなし。)

再会したのは社会人2年目の春。偶然、彼のお母さんに会い、久しぶりに彼の話をききました。「久しぶりだし連絡とってみよう!」と思いメールしたら今度ふたりで遊ぶことに!ショッピングモールで待ち合わせをして、会った瞬間、かっこよくなっていてドキッとしてしまいました。彼は面白くて優しくて私のことを昔から知っているから何でも分かってくれて、彼にすごく惹かれていきました。幼なじみだから好きにはならないと思っていたのに…。好きで好きでしょうがなくなって、想いを伝えたけどフラれて…。でもあきらめられなくて想いを伝えまくって、やっと彼を振り向かせることができました。4月15日、私と彼の大切な記念日です。

付き合ってからも私たちはすごく仲良くて、喧嘩もほとんどしたことがありません。どこかに行くときは絶対手を繋いで歩きます。「大好きだよ」って私が言うと彼も「俺も大好きだよ」と返してくれる優しい彼。毎日毎日大好きで、彼に想いを伝えまくってうざいと思うけど、付き合ってくれる彼。いつもすごいなぁと思います。記念日にする「いいデート(旅行)」は毎回すごく楽しい。楽しい思い出ばかり。彼といると素の自分でいられる。素の私を好きでいてくれる彼が大好き。

そんな彼と、7年記念日の来年4月15日に入籍することになりました。付き合い始めたころ、「結婚するど?てか、するばい!」って言っていたことが現実になります。彼と生涯そばにいられることが幸せです。可愛くもないし、人見知りで迷惑かけるしわがままばっかり言って困らせてしまう私のことをずっと愛し続けてくれる彼には本当に感謝しかないです。私にとって初めての彼氏が彼で本当に良かった。今思うと、私たちが幼なじみになったころからすでに運命の恋が始まっていたのかな?と思います。私が今までの人生、好きな人にことごとくフラれ続けたのも、彼と再会する運命のためだったのかな??これからも彼のことを全力で愛し続けます。何があっても彼のことを信じるし、落ち込んでいたら私が彼を笑顔にする。これからも色々なことがあると思うけど、ふたりで乗り越えていこうね。本当に彼が大好き。いつもありがとう。はじさんの歌を、結婚式で流したいなって思っています♪10月の熊本ライブに彼とふたりで参戦する予定です!はじさんに会えるのを楽しみにしています!!
大分県 りおんぬさん/女性20歳
勇気が欲しい
中学生の頃、保育士か調理師になるかで迷っていて。でも結局、高校は普通科に行ったからどっちにしろ大学に行くしかなくて。その頃の夢は保育士になることだったのに、周りに「なれるわけない」とか「向いてない」って言われてそれでも頑張ろうって思っていたのに、あまりに言われすぎて諦めちゃって。結局、栄養士になって保育園で働いたけど、毎日子供と少し関わる時間があって、やっぱりあたしの夢は保育士になることだなって改めて気づいたの。でも、それを周りに言う勇気もないし、何から始めればいいのかもわからないし、全然勇気が出なくて後回しになっていて。でも絶対叶えたい夢だから!少しでも勇気が持てればなってめっちゃ思います。
大阪府 mocoさん/女性18歳
失くした恋
別れる前に1度、1週間距離をおいた。夜に電話はしていたけど。1週間、距離をおいたあとに別れようと言われた。でも、嫌いになって別れたとかじゃなくて、お互い子どもすぎるから、お互いが中身的にちゃんと成長して大人になったら、もう1回付き合おうということだった。別れるまでになった理由はケンカが増えたからだと思う。私は施設で育ち、親からの愛情もあまり感じず、高3で施設をでて、一人暮らしをしている。一人暮らしをしてからは本当に1人ぼっちで寂しい日々を過ごしていた。だから、彼氏に構ってもらえなくて、わがままをいい、困らせていた。

大学は一緒だから、たまに会うけど、コースは違うし、向こうは向こうの世界があり、すごく楽しそうでなんで自分なんか好きなんやろって思った。おもしろくないし、可愛くないし、バンドもなんも知らない。毎日自信を失い、病みがちになっていた。大学になってから、記念日のツイートもしてくれなくなった。うちが話しているのに、それに割り込んで自分の話ばっかりで、なんかうちに対する対応が冷たく感じるようになった。そういうので何回もケンカした。女の子のこと下の名前で呼ぶのもいやとか、うちには男の子とはLINEもDMもあかんって言っていたのに、自分はうちの目の前でLINE交換したり、陰で女の子とLINEしていたりなど、嫉妬してケンカしたこともあった。うちが返してほしい言葉を返してくれなくてイライラして、向こうもすごくしんどくて、お互いストレスを感じていた。

なんで付き合ったんやろ。付き合わんかったらよかった。って何回も思って、毎日のように泣いた。別れてから、「別れても関係は変わらんで」と言われて、やることはやり、出かけたときも手つなぐし、お泊まりもするし、うちはこれでもいいと思っていたけど、みんなは「いいように使われている」と言った。でも、うちも電話の相手とかしてもらっているから、うちも利用しているようなものかもしれないって思った。別れてから思ったのは、好きなのに周りに「この人が好きです!」って言えないことがつらいし、周りが幸せそうにしているのがすごく悔しいし、ムカつく。

1番仲のいい幼なじみになんで(元カレ)じゃないとあかんの?って言われた。依存しているんじゃない?って言われた。確かにこの人を失ったら、また自分のことを好きになってくれる人がおらん気がして、この人にすがっているような気もした。あとなんかもう彼氏おったら、誰でもいいって思っている自分もいるような気がして自分クズすぎて自分のことが嫌いだ。別れた彼氏がうちと別れたのに、楽しそうにしているとムカつくし、「なんでうちがおらんくてもそんなに楽しそうに笑えるの?」って思う。別れても、彼氏を尊敬しているから、自分ができないことを簡単にできてしまうのもいやで、別れた彼氏の存在をたまに消したくなる。うちも自分変えるために頑張っているけど、彼みたいにはなれないと思う。どうしても自分と比べて見てしまい、自分のいいところも探せない。どうすることが正解で、どうしたら幸せになれますか。しんどい思いせずに毎日暮らせますか。
埼玉県 山口靖子さん/女性42歳
ありがとう
昭和51年に埼玉県で産まれました。父は建築業を経営しており、7つ上に姉がいて、私は双子の次女として産まれました。両親と父方の祖母と三姉妹の6人家族でした。双子の妹はお母さんっ子だった為、私はいつも祖母のとこにいた為、おばあちゃんっ子でおばあちゃんが大好きでした。おばあちゃんの作るけんちんうどんは最高でした。私は結婚し、子供3人育てながら仕事もしていました。子供が休みの夏休みにはおばあちゃんが夏休み終わるまで居てくれ、食事を作ってくれたり、いろいろ助けてもらいました。子供のお祝い事にはお祝いをくれ、お返しに家族でおばあちゃんを連れて旅行に行きました。

おばあちゃんが89歳を迎えた夏くらいから体調を崩しながらも、夏休みにうちに来てくれました。その時に昔から言っていた、おばあちゃんの大好きな温泉へ連れて行きました。おばあちゃんの嬉しそうな笑顔に私は連れてきて良かったと思いました。自宅に帰宅してからおばあちゃんはまた体調を崩してしまい、寝てばかりになり、トイレに行くのもやっとの思いでした。私は介護の仕事を10年している為、おばあちゃんをお風呂にいれてあげました。おばあちゃんの笑顔を見てホッとしました。9月の末におばあちゃんの家へ送って行き、おばあちゃんが体調を崩した為病院へ行きました。そのまま検査入院になりました。私が思っていた以上におばあちゃんの体は悪くなっていました。

入院して二週間程で呼吸をするのもやっとでした。その日の15時くらいから病室はバタバタし始めました。私はその日、夜勤の為病院を出て仕事に向かいました。次の日、夜勤明けで急いで病院へ向かいました。おばあちゃんの口には呼吸器が繋がれており、おばあちゃんは手を使って何か訴えていました。私はすぐわかりました。おばあちゃんの表情を見て、おばあちゃんは「もういい」と言っていたんだと思った。自分の手で呼吸器を外そうと何度もしていました。おばあちゃんは麻酔で眠りにつき、目を開けることはありませんでした。でも私はおばあちゃんに逢いに行く度、たくさん声をかけました。「庭の柿の木に柿がたくさんなっていたよ!」などたくさん声をかけました。

一週間後におばあちゃんは亡くなりました。おばあちゃんを失って今年の10月で7年になります。この7年間の間に私もおばあちゃんになりました。おばあちゃんからたくさん学んだ事や、おばあちゃんがしてくれた手遊びを孫にしてあげています。そして、毎月欠かさず、おばあちゃんの月命日にはお墓まいりに行き、おばあちゃんとたくさん話してきます。おばあちゃんにもう一度逢いたい!おばあちゃんをもう一度抱きしめたい!おばあちゃんにまた手遊び歌をしてもらいたい!おばあちゃんと…。とおばあちゃんにまだまだたくさん甘えたいことある。7年という月日が経っていても、おばあちゃんを感じている私がいます。おばあちゃんとのたくさんの思い出と一緒に今を私は生きている!

おばあちゃんがしてくれたたくさんの事を忘れず、おばあちゃんから学んだ感謝の気持ちを胸に、天国から見守ってくれているから私は頑張れているのかな。大好きなおばあちゃんへ一言伝えられるなら 「ばぁ~、お元気ですか?」と伝えたい。そして、大好きなおばあちゃんにまた逢いたい。おばあちゃんの温もりは7年経った今でも忘れていません。私はおばあちゃんの孫で本当に良かったと思っています。そしてまたおばあちゃんの孫で産まれたいです。おばあちゃんありがとう。
愛媛県 さぃちゃんさん/女性47歳
青春の思い出
よくあの頃はよかったなぁ。とか、あの頃に戻りたいなぁとか、戻れるとしたら、いつに戻りたい?って、話をすることもあるけど、47年生きてきて、あの時のあんな事が楽しかったな?あの時、あぁしてればとか色々思う事もある。けど、他の選択をしていたら、今がないのかなぁ。って思うと失敗もしつつ、これでよかったなぁって思える。じゃないと、ふたりの娘に出会えなかった。

大事な大切な宝物。今は、ふたりとも就職、進学で一緒には、いられないから、寂しい毎日です。上の娘は、県外の大学に進学し、就職は地元と約束したはずが、本人は残りたいって、言った時、寂しさのあまり反対してしまった。娘は、自立しようと決断していたのに、情けない親だなぁと反省。世間の荒波に揉まれ、挫折もしながら、今を頑張っている娘を陰ながら応援したいです。

下の娘は、コツコツ努力する子で、小学生の時は、勉強はそこそこ。スポーツも人一倍練習して、レギュラー、キャプテンとする子でした。が、中学生の部活動で顧問の体罰とまではならないですが、八つ当たりが嫌になり辞めてしまいました。その後は、ピアスの穴を開け、自己主張が苦手で、ストレスでリストカットしたりと、静かに反抗するタイプで、高校生になると、唯一理解者だった先生の転勤を機に、担任の先生と合わない時期もあり、登校拒否気味に。友達もどんどん辞めていくし。

高校2年の夏休み前に生活指導の先生に呼び出され、「お母さん、私たちには、この子の対応は、難しいです。とりあえず連れて帰って下さい」と言われ、ドラマでは、よく見る光景だけど、学校を自主退学しろと言われているのだろうか。でも、この子の自己主張出来ない性格が学校を辞めて社会に出せる訳がないです。だから、先生には、はっきり言いました。「学校を辞めさすつもりは、ありません。必ず、休まず、通わせます。」と、その日は、娘を連れ、帰りました。娘とも話し、出来る限りの事をサポートし、やり遂げられるよぅにと。本人も気持ちを入れ替え、何とか卒業式には、嬉し涙を流しながら、生徒指導の先生にも、よく頑張ったなと言ってもらえました。

今、まだ、自分の夢、やりたい事がわからない中、県外の専門学校へ通っています。自分にあったやりたい事が見つけられるまで、見守り応援したいな。私にとっては、大切な大切なふたりの娘が宝物です。だから、この人生は間違いではないです。これから、まだまだ何か挑戦できるやりたい事は、やっていけたらなぁと思います。歳は、いくつになっても関係ないと思うから。そう思えるのも、娘たちの姿をみて、親なのに、おしえてもらっているから。ありがとう。母娘で友達みたいな感じだけど、これからもよろしくね。
福岡県 木村嘉夫さん/男性18歳
青春の思い出
自分は今高校3年生です。僕のクラスは3年間クラス替えがありません。僕は、高校受験当日の朝、駅のホームで最終確認の受験勉強をする彼女を見つけました。とても輝いてみえました高校に到着し、試験が行われる教室に入ると、自分の左斜め前に彼女が座っていました。彼女の後ろ姿を何度もみてしまい、試験に集中できなかったことを今でも覚えています笑。彼女の名前も中学校もわからなかったので、上靴に書いてある名字をみて名前を覚えました。高校には、無事合格することができました!入学式の日、教室に入ると、彼女も居ました!それから毎日学校に行っては、彼女の姿をみてしまい授業に集中できなかったのを覚えています笑。

彼女はとても可愛く、自分からしたら雲の上の存在でした。クラスの他の女子とは仲良くなれましたが、その彼女とはなかなか話すことができませんでした。好きだったけど、自分には無理だろうと勝手に諦め、他の女子と付き合ってしまいました。しかし、8ヶ月経ってぐらいから喧嘩ばかりになり別れてしまいました気がつけばもう、高校生活3年間のうち、2年間が終わってしまい、受験生になりました。僕は2年の10月くらいから彼女(受験当日にあった)のことが気になっていました。その時から彼女とラインで話すようになりました。僕はラインで話すうちに彼女のことを好きになりました。そのことを、クラスメイトの女子にラインで何回も相談しました。

そして、2018年の2月に相談していたクラスメイトの女子に言われました「彼女も君のこと気になっていて、うちに相談してきよる」僕はその言葉を聞いて後悔したくないように、学校で話しかけようと決意しました。しかし、2年間話したことなかったせいか、なかなか話しかけられませんでした。僕は勇気を出して、ラインで「電話しよう」と送りました。その日から毎晩彼女と電話するようになり寝落ちする日々が続きました。電話するようになって1週間ほど経って学校で彼女の名前を呼びました。「◯◯っ!(下の名前)」彼女は、 「お~、初めて名前呼ばれた!」と言いました。それが初めての会話です。照れ臭くて、ひと言しか話しかけられませんでした。

しかし、次の日からどんどん学校で話すことができるようになりました。お互い話すようになって仲良くなり、僕は映画に誘いました。夜は韓国料理をたべ、その後、博多駅の屋上に行きました。僕は勇気をだして告白しました。「好きやけん付き合って」と。彼女は「私でいいなら!」と言ってくれましたそして、2018年3月26日に付き合い始めました。一緒に帰ったり、遊園地に行ったりしました。“今”が、僕がずっと夢みてた憧れていた《青春》です。毎日学校に行くのがとても楽しいです!

しかし、高校生活もあと一年しかないのに、2年間話すことができなかったことをとてもとても後悔しています。これからお互いそれぞれの進路に進学します。今がとても幸せなので、毎日逢えなくなるのがとても寂しいなと思います。不安もあります。でもずっとずっと今の彼女と過ごして行きたいと思っています。今の彼女と結婚することを夢見ています!これからいろんな壁にぶつかると思いますが、必ず2人でよく話し合って乗り越えて行きたいとおもっています!自分の人生をかけて幸せにしたい人に、僕は高校受験の当日に出会いました!彼女と幸せな家族を築くことが僕の夢です!絶対に夢を叶えます!乗り越えます!幸せにします!誓います!
長野県 かこ。さん/女性38歳
出会いと別れ
恋愛から気づけた大切なこと。20代の時に一人の男性と出会いました。彼は一つ年下のとっても明るくって自分に正直な人でした。出会ってすぐに…彼の方から私にもの凄い勢いでアプローチをしてきてくれました笑。どんな人が好き?彼氏は?この中なら…誰が好み?とにかく私のことをもっと知りたい!って感じに話し掛けてきてくれて…私の言うことに楽しげにしてくれる彼に自然と惹かれていました。それから少し月日が経って…2度目の出会い。私もずっと彼のことが気になっていたので…また会えた時は連絡先を聞こうと思っていて、思い切って連絡先を書いたメモを渡しました。その日のうちに電話がきました。連絡先を渡してくれたことが本当に嬉しかったみたいで、彼のテンションが凄く高かったのを覚えています。

それから毎日電話をしてきてくれました。いろんな話をして毎日が楽しかったです。一週間後…初めてのデートは居酒屋。居酒屋のが私的にも相手と話しやすいのもあって…好きな人を目の前にすると緊張のあまり凄く乙女になってしまうのです笑。電話でちらっと言おうとしてくれていたのですが…やっぱり会った時にちゃんと話すね!って、断言していたのもあり、その日のうちに告白をしてくれて付き合うことになりました。しばらくは幸せな時を過ごしました。ちょっとした一言。ちょっとしたタイミング。ちょっとした会話…。彼から届くことは全てって言っていいぐらいに大切に思っていました。本当に彼のことが好きだったのです。

だけどある時…ちょっとした想いのすれ違いがありました。彼の心がちょっぴり離れそうになった気がしました。それから数週間後…2人にとって大きな試練が訪れたのです。彼は上手く乗り越えようとすることができずにいて…それと同時に彼の仕事が忙しくなったのもあって会える時間が減りました。私は、彼の気持ちを優先にして…彼からの連絡を待つだけになりました。毎日のようにあった電話も…一週間に一度あるかないか。「いつ会えるかな?」って言葉への返事は「仕事だから…わからない。」日曜も仕事だよ…そう言われていたのに、彼はたまに友達と趣味の草野球の試合。心の中は…“仕事じゃないの?なんで私との時間は後回しなのかな…自分だけが好きなのかな…”そんな不安しかなかったです。

そんな状況が半年続いて、毎日を不安と哀しみで過ごしていました。彼に聞いても…「仕事が本当に忙しい!好きな気持ちがなくなったわけじゃない!」そう言うだけで本当にそうなのかどうかの確信も得られずにいました。好きじゃない…そう告げられた方が楽だなって思うようにもなっていました。ある日のこと…彼からのメールが届きました。そのメールへ私は…「明日は電話してくれるんだよね?」って返事をしました。そしたら彼から電話がかかってきたのです。彼は凄く不機嫌そうに話し始めました…

<彼>俺、明日電話するなんて言ったっけ?
<私>言ってないよ…ただ明日はどうしても電話してほしかったから…
<彼>え?嘘ついたの?俺が嘘を一番嫌いなの知ってるよね?
<私>嘘をついたわけじゃなくって…明日が何の日かわかる?
<彼>何の日かなんて知らないけど!
<私>私の誕生日だよ…
<彼>だからって嘘つくのは気に入らない…電話なんて絶対にしない!

そう言われて…翌日、電話はきませんでした。私の誕生日だったので…会えなくってもいいから電話ぐらいはしたい…ただそれだけ。ほんの少しだけ彼からの優しさが欲しかっただけだったのに。その時に思いました…言葉って難しいな。相手の捉え方次第では相手の怒りにもなる。こっちがそんなつもりがなくっても…相手の怒るポイントになれば喧嘩にもなるってことを。だから喧嘩はどちらかが一方的に悪いってことはない…相手にとっての怒りにもなることをしてしまっているのかも…そう知りました。

たった一つのわがままが心と心の大きな溝にもなってしまったのです。一度すれ違った心は元には戻らない…距離はあけるものではない縮め続けなきゃいけない。見えないものほど壊れ始めたら修復はできない。私は耐えきれずに…自分から別れのメールをしました。それに対して返事はありませんでした。それから一ヶ月が立ちました。読んだのかどうなのかわからないのもあり…気持ちが断ち切れずにいた私は「やっぱり別れたくない」ってメールをしたのです。そしたら彼からメールが届きました。たった一言…「もう無理です」と。結局、彼は自分から別れを切り出せずにいただけだったんだろうな…って確信を持てたのでふっ切れました。

恋愛が続くことは本当に凄いこと。お互いご相手の心を想えているからこそ続くこと。嬉しさも辛さも同じぐらいに互いが大切に思えているからこそ心が寄り添える。辛いは相手のことを思えて相手の気持ちを深く考えさせてもくれる。幸せばかりだと…気づけないことも増えるのかも。知らぬ間に相手を苦しめてしまうこともあるのかもしれません。彼は心がとっても弱い人であり逃げることで自分を守ってきたのかも。私がそれに気づけてもっと彼の心に寄り添えていたのなら少しは違ったのかも。もう少しぐらいは優しくされたのかもしれません…けど、ここまで自分勝手な人と出会えてそうであってはいけないなって心から思えました。

一人一人には心がある。その繊細な心にはできるだけ繊細に触れなきゃなのかも。心を伝えるのに大切な言葉…それを大事にしていきたい。これからも…言葉を大切に。悪いことが悪いことばかりじゃない…悪いことほど大切なことに気づけるチャンスでもあるのかも。彼みたいな人と出会えて恋愛をしたことで…心の深いところを少し知れました。恋愛から学んだ心への大切さでした。長々と読んで頂きたい…本当にありがとうございます。まとまりのない文章で読みづらかったですよね。でも…私の経験を伝えることで少しでも誰かへのプラスにもなればと思い投稿されてもらいました。私の勝手な思いではありますが…それでも最後まで読んでもらえたことに感謝です。私の心を一つ知ってくれてありがとうございました。
山形県 ゆみみつきさゃっぺさん/女性22歳
人生を考える
私の家族は5人家族だった。祖母、両親、兄、私。でも小学低学年の時、突然両親がいなくなった。その後は祖母が私達兄弟を育ててくれた。学校に行くのが嫌な時もあったが祖母が毎日見送ってくれた。だが、学年行事や授業参観に両親が来ないことに同級生が気づき、いじめられることが多くなった。「ばあちゃん学校行きたくないよ」って言ったら「大丈夫、ばあちゃんがついているから」と言われ、その言葉で学校を休むことなく行くことができた。何度も何度も命を粗末にしようとした。でも祖母の笑顔を見ると自分が先に行くなんてできないと思った。祖母は農家をしていて私も手伝うことにした。果物や野菜を育てていて成長するのを間近で見ることができてすごく楽しかった。学校から帰るとすぐ畑に行き祖母と畑仕事をするのが楽しかった。

小学生の時に近くに老人ホームができ、私は暇さえあればボランティアに行くようになった。そこで色んな方に昔の話をしてもらい大変だった話や昔の遊びを教わり、小学2年生の時、将来介護士になりたいと思った。高校生になり介護の勉強ができる高校に入ることができた。ずっとなりない職業は変わらなかった。就職して介護士になり色んなことを覚え祖母の力になることができ今は本当に良かった。祖母に「介護士になってくれてありがとぉ」と言われたことが一番嬉しかった。こちらこそ育ててくれて、何度も何度もこの世からいなくなろうとしたけどいつもそばにいてくれてありがとぉ。これからもよろしくね。

介護士になって色んなお年寄りがいて嫌になることもあったが、その時私の心の支えになってくれたのは友達が教えてくれたハジ→の曲。本当に心に響く優しい声。一度でいいからLIVEに行って見たいと思い、初めて行ったのが宮城公演。自分の気持ちと曲が交じり合い涙が止まらなかった。外に出てみんなで記念写真撮ろーよと言われ写真を撮った。どこから来たのと聞かれ山形です。えぇー私も。山形のどの辺。寒河江ってとこです。えぇー私は庄内の方です。私にもそこではじんちゅができた。その後もハジ→とはじんちゅのみんなに会いたいと思い、東北だけではなく色んな県に行くことができた。

視野が狭いといじめられて辛い思いしたけど視野を広めれば色んな人と出会い楽しいと実感した。そんな中、彼氏ができた。その彼氏とはお互い知らない間に色んな共通点が生まれていた。同じLIVE会場にいたり、農業の方でも一緒になっていた。その彼氏と1年も付き合わないで結婚することになった。この旦那さんと居ればいいことがたくさんあり、何より一番びっくりしたことが私の祖母と旦那さんの祖母が学年は違うが同じ学校、私の土地の土が旦那さんの方にあると聞き、これはすごいと思った。赤い糸は本当に結ばれているんだなぁと思って嬉しくなった。まだ結婚して短いけどこれからも幸せになります。ハジ→やはじんちゅについていきます。何があっても自分で命を絶つことの無いように。みんなついているから。
神奈川県 ゆかさん/女性26歳
危険な恋
彼氏にフラれて、気を紛らわすために友達と毎週末飲みに出かけていた。そんな時に出会った彼。いつものように飲んで、次どこに行こうかと相談している時に声をかけられた。ナンパだった。でも声をかけられた瞬間、私は一目惚れをしていた。少し話をした後、連絡先を交換しバイバイした。その後友達と飲み歩いていたらまた再会。私の心の中は「これは運命なんじゃないか」と思うくらい嬉しかった。そのままカラオケに行った。楽しかった。その後、気付いたら友達とはぐれていて2人で過ごすことになった。はぐれてしまったけど、彼と2人でいられるのが嬉しくて彼の全てを受け入れた。

それから毎日連絡を取り合った。日常で起きたこと、仕事のこと、些細なことなどたくさんした。もちろん次のデートの約束もしていたけど、お互い仕事が忙しくてなかなか会えなかった。連絡を取り始めて1ヶ月が過ぎた辺りで体の異変を感じた。来るはずのものが来ない。病院に行くとお腹の中に小さな命が宿っていることがわかった。まだ出会って間もなく、どうしたらいいかわからず1人でたくさん悩んだ。少しの時間久しぶりに会えることになり打ち明けることにした。話をした時に彼には私以外の大切な人がいることを知った。ショックだった。一目惚れだったし、出会ってまだ日は浅かったけど、好きだったから一緒になれる覚悟はあったけど、彼はそうじゃなかった。

何回も話し合いをしたが、結局自分の本当の気持ちは伝えられなかった。伝えて彼が私の前からいなくなってしまうことの方が怖かったから。たくさん悩んで泣いたけど、彼の前ではいつも笑顔でいるようにした。お腹の子ともバイバイすることを決め、彼ともバイバイしようと思った。でも彼とバイバイすることができなかった。1度に2人も失うことの方が怖かったから。その後もたくさん連絡を取り合った。会えるのは月に1・2回だけだけど、誕生祝いにアスレチックに連れて行ってくれた。美味しいお店にもたくさん行った。彼の誕生日にはお揃いのブレスレットもあげた。付けてくれないんじゃないかって不安もあったけど、毎日欠かさず付けてくれていて嬉しかった。

ただ彼の中で私は1番じゃない。それを思い出すたびに悲しくなって、悩んで次会うので最後にしようと思う。でも会うたび好きな気持ちが膨らんでいって最後にすることができなかった。だからいつか私のことを1番と思ってくれる日が来るまで待ち続けようと思う。彼のことが大好きだから。
愛媛県 わかなさん/女性19歳
勇気が欲しい
私は自分に自信がないです。小学生高学年の時、悪口を陰で言われたり、酷い言葉を言われたりしていました。自分の小学校は人数が少なく1学年1クラスでした。クラス全員が自分の敵みたいな感じでした。すごく辛くて苦しくていっぱい泣いたのを覚えています。毎日、睨まれ悪口を言われの繰り返しで自分の気持ちはぐちゃぐちゃですごく辛かったです。中学生になって、悪口など言われることはなくなったけど、悪口を言われているんじゃないかなとか、仲良く話していても本当は嫌われているんじゃないかって、すごく不安になるようになりました。高校生になってもそれは変わらず、何もかもがすごく不安でした。周りの目、言葉が怖いです。今でも、すごく怖くてどう思われているか不安です。

自信がなく歩く時、みんなの前に立っ時などは下を向いてしまいます。声もどう思われるのか不安で小さくなってしまいます。発表の時など自分の一言によって何か言われたり笑われたりすると「どうしよ」て思ってしまいます。みんなの前にたつと足、声が震えたりします。 今、就活中なのですが、面接の練習をしたとき相手の目を見られないし下向いてしまうし声も小さくなって、言ったあとはこれで大丈夫だったのかすごく不安で自信がなくなります。 だから、そんな自分をすごく変えたいと思っています。すぐには直せないけど、今少しずつ頑張っています!

ハジ→さんの曲を聴くと「頑張ろう」って思えます。ハジ→さんの「Only One。」「ネバ→エンド☆。」は私っぽい歌だねと母に言われました。この曲を聴いていつも頑張っています!文章が下手くそですが、大好きなハジ→さんに自分のエピソードの歌を作ってもらいたいと思ったのと、自信がない人達やいろんなことが不安な人などにこのエピソードでできたハジ→さんの曲を聴いて「大丈夫」「頑張ろ」て思ってもらいたくて応募しました。
岩手県 岩手のなつみ→さん/女性24歳
気付いてほしい
5年の片思い。出会ったのは、高校3年卒業間近。サイトで知り合った。気付けば、初めて会ったときからあまり気を遣わず、家族と一緒にいるみたいに心地よかった。最初の頃は、本名とか年齢とか教えてくれなくて、良くないことだけど、財布の中を覗いて情報を得たなー。高校生だったから、うちのすっぴん姿から化粧するまでの成長を知っている存在。泊まり禁止だったけど、親に友達と泊まるって嘘ついてお泊まりしていた。毎週日曜日は決まって会って、彼の存在が大きくて何回も気持ち伝えたけど、シカトされて好きか嫌いかも言ってくれなくて…。Xmasプレゼントで財布買って、そういうの買うの初めてだったし、喜んでくれるかすごく不安で、だから渡したときに喜んでくれたことが嬉しくて、そのひとの前だったけど涙が止まらなかった。普段あんまり笑ってくれない彼が笑うときゅんとくる。

君が振り向いてくれないから、うちは、他の人を好きになったり、遊んだりしていたら「だれと遊んでいるのや」とかLINE送ってきて。どういう気持ちでそれ言っているの?うちがLINE送らなければシカトか?って送ってくるし。はっきり好きか嫌いか言ってくれなきゃうちもどうしたらいいかわかんないよ…。体の関係もあるからこんなの抜け出したいってめっちゃ辛くなるときもある。でも、好きな気持ちは変わらないから諦めきれない、離れたくないって思う。いつか君と結婚して子供ができたらって、子供に向けて笑っている顔、想像したり。こんなの好きじゃなかったら思いもしない。いまじゃ、名前すら呼んでくれなくなった…。かわいいとも言ってもくれない…。手繋ごうとしても、ぎゅーしようとしても、嫌々されるし…はっきり気持ち伝えてよ!!もし、歌になったら彼に聴かせて少しでも心が揺らいでくれたらいいな。
埼玉県 はるか→さん/女性23歳
ありがとう
ハジ→さんこんにちは!私はハジ→さんの「あなた。」が大好きで聞くたびにいつも大好きなお母さんのことを思い出します。私は3人姉兄の末っ子で1番手の掛かる子でした。物心ついた頃からアトピーに罹患していて痒くて眠れない日々が続くこともありました。そんな時、お母さんはどんなに疲れていても一緒に起きていてくれて、私が眠れるまで一生懸命に背中をさすってくれていました。そして高校2年生の時、アトピーの薬の副作用で顔が3倍くらいに腫れてしまい、学校を長期間休まなければならない時がありましたが、そんな時も嫌な顔一切せずに仕事を休んで私に付きっきりで看病してくれました。

当時は、親がそういうことをしてくれるのは当たり前だと思っていましたが、就職して一人暮らしを始めた今、考えてみると、計り知れないくらいのお母さんの優しさがあったんだな。と毎回思い出し涙してしまいます。実家にいた頃は恥ずかしくて感謝の気持ちをなかなか伝えられませんでした。けれど、ハジ→さんの曲に出会い「全てに終わりがあるように僕らにもいつか終わりがくる。だからもっと今を大切に生きよう。」という歌詞がすごく心に響き、今は今しかないから感謝の気持ちは思った時に伝えなきゃいけないな。と考えさせられ今は素直に感謝の気持ちを伝えられるようになりました。

そして、小学1年生から専門学校卒業するまで、卓球を習っていて毎日練習の送り迎えや、大会の応援も来てくれました。全国大会等の大きな大会に出場が決まった時は、一緒に喜び私の大好きな料理(シチューや肉じゃが)を作ってくれ、負けて悔し涙を流してしまった時は「また練習頑張ろうね」と優しく包み込んでくれて、お母さんの優しさに何度も救われました。今はアトピーも良くなり、卓球も引退したので今度は私が恩返しする番だと思っています。ハジ→さんの力を貸して頂けるのなら私の大好きなお母さんに向けて一曲書いて頂きたいです。私は今の彼氏のお陰でハジ→さんの事を知り、沢山の曲に生きる勇気をもらいました。そんなハジ→さんから私の大好きなお母さんに向けた素敵な曲を作って頂けるよう祈っています。長々と失礼いたしました。
栃木県 やあさん/女性40歳
人生を考える
生まれつき、ろうの私。幼い頃から聞こえる人に近づくために頑張らなければならなかった。つまりそれは、うまく話せるようになること。相手の口の形から話の内容を読み取れるようになること。つねに神経をすり減らしていた。みんなが生まれた時から日本語のシャワーを浴びて自然に身につけた言語も、聞こえない私にとっては、学習しなければ身につかないもの。けれど、頑張るしかなかった。その頃の私は将来の自分の姿が全く見えなかった。いつも心の中で本当の自分って一体何なんだろう・・・って思っていた。

聾学校の幼稚部から地元の小学校に入学して気づいた。いろんな場面で困ることが多かった。1対1なら理解できる会話も、大人数になると話の内容が理解できない。給食の時間はみんながマスクをしているし、女友達の内緒話も分からない。机は常に一番前。それでも先生が板書しながら話すと口が読み取れない。理解できない。

中学校では、置いてけぼりを食った気がした。ついには学校に行けなくなってしまう。自分の居場所を求めて、再び、中学校1年の途中で転校。今思えば逃げだったのかもしれない。苦しさから逃げたかった。聾学校に行けば解放されると思っていた。でも実際は、普通学校から転校してきた私は受け入れてもらえず、同級生から酷くいじめられた。聞こえる世界とろう者の世界で自分はどこに存在するのか……宙ぶらりんだった。

それでもなんとか踏ん張れたのは、支えてくれるろうの仲間がいたから。そしてもう二度とあの辛さを味わいたくはなかった。普通学校に戻るよりずっとマシだった。聾学校に戻ったおかげで自分の気持ちを素直に表現できる方法、それは手話なんだと分かった。それまでは自分の発声がおかしくないか、相手に伝わっているのかいちいち気にしてビクビクしていた。手話なら自分の意見が言える。相手の言いたいこともちゃんと理解できる。

卒業後、就職先のろう者の先輩が、東京には私の知らないろう者の世界があることを教えてくれた。そこには、ろう者として堂々と生きる人たちがいた。それは自分が今まで目にしてきたろう者の世界とあまりにもかけ離れていて、その日をきっかけに私の世界が180度変わったと言っても過言ではない。自分の進むべき道に光がさした気がした。今までは聞こえないから‥とたくさんのことを諦めてきた。なんとか聞こえる人に合わせようと生きてきたけれど、ありのままで自分らしく生きていこうと思えた。苦悩した日々は無駄ではない。あの時があったからこそ強くなれた。痛みがわかるからこそ、寄り添える自分がいる。 私たちはひとりでは生きられないけれど、他人の意見に左右されず自分の決めた道を生きたい。一度きりの人生、揺るぎない自分を生きたいのだ。私はろう者。聞こえない。それが私。

手話/やあ
翻訳/ヒロ&おのの
富山県 のんさん/女性19歳
ありがとう
あなたと出会ったのは中学生のときでした。中学入学したときにはこんなにも仲良く心許せる関係になるなんて思ってもいなかった。私は、小学校3年生のときに引っ越して今の地域にいる。今思えばこの引っ越しがなければあなたと中学校一緒ではなくて、出会えていないんだなって思うと出会いってすごいなって思う。小学校は違う私たちだけど、同じ中学校へ入学した。中学1・2年生のときクラスは隣だった。3年生のクラス替えで、同じクラスになった。最初は業務連絡的な話しかしてなくて、今でもなにがきっかけとかは思い出せないけど、いつの間にか毎日一緒にいるようになっていた。高校は離れ離れになるんだろうな~とあと数ヶ月しか一緒に過ごせないかと思うとすごく悲しくなった。

ある日、「ちょっと聞いて?」って言われて教室の隅っこの方でひそひそとお話をした。「これ、誰にも言ってないんだけどね」とあなたは私と同じ高校に進学するつもりと夢を叶えるための通過点としてその高校がいいのだと。倍率高くて誰にも言えなかったけど、と私だけにはどうしても伝えときたかったと言われた。嬉しかった。受かればまた3年間同じ高校に通える!その日はルンルンでお家に帰ったのを覚えている。卒業式間近に迫った美術の時間にお世話になった人に絵葉書を書こうという授業があった。3枚描くことができ、1枚は担任の先生。1枚は両親。もう1枚をあなたに描いた。あなたも私に描いてくれていた。

「華美に!誠実に!厳格に!」と。そんな人に少しでも近づけるようにと、今現在も毎日見ることの出来る自分の部屋の壁に飾ってある。入試当日もあなたと一緒に頑張ろうと意気込んだ。合格発表の前に卒業式があった。あなたとの出会いであった中学校に別れを告げ新たな道に進むスタート。合格発表の日。一緒に発表を見に行った。あなたと私2人とも受かっていた。また、3年間よろしくね!と。でも、3年間同じクラスになることはない。それが少し悲しい気もしたけどあなたはあなたの夢。私には私の夢。それぞれの夢を叶えるためには仕方がないこと。

高校に入学して、2ヶ月くらいたった頃、私と遊ぶ約束をしていた日あなたは他の人と遊んでいた。連絡もとれないし、もう知らない。とLINEは無視。電話も無視。学校でも気づかないふり。1週間くらい連絡とらなかったら、あなたと私の共通の友達から1回話しな?と言われた。いつまでもこの関係を続けるのは嫌だったから話をした。そしたら私の勘違いとかあっちの勘違いとかが生んだすれ違いだった。話をしないとわからないこともある。話をして仲直りをして。これがあなたとの初めてのケンカ。初めての仲直り。仲直りの印に一緒に浴衣を着て花火大会に行った。早く着きすぎて暇だったね。でもあなたといれば苦痛じゃなかった。

高校2年生のときの修学旅行。あなたは九州。私は関東。修学旅行も別々。一緒に行きたかったなぁ~としみじみ。帰ってきてからのお土産交換。お揃いのものをプレゼント。高校3年生。それこそ本当の進路決定。あなたは大阪へ進学。私は地元富山で就職。夢叶えるために離れ離れ。それまでずっと一緒にいたし、会おうと思えばすぐに会える距離だったのになんか春から隣にあなたがいないと思うと、なんとも言えない気持ちになった。あなたと過ごした学生生活。ケンカもしたし、あなたの隣でたくさん笑った。教室の隅っこで話したこともあれば、廊下の端でしゃがんで話したこともあった。地元の駅であなたを待ち、嬉しい報告をされハグをしたこともあった。一緒にお互いの誕生日を祝い、クリスマスケーキも一緒に作ったときもあったね。今は会いたくても会えない。連絡もほぼほぼとってない。だけど予定がなくても帰ってきていると聞けば会いに行くし、あなたが帰ってきたとき必ず一緒に行く場所が焼肉屋さん。

あなたと私。性格は正反対で、インドア派とアウトドア派。好きな人のタイプも正反対で、なんで一緒にいるんだろうってふと思う。だけどそれはなんだかんだで似ているところがあって、お互いの良いところも悪いところも認めあって、いい意味でなんの気もつかわない。喋ってなくても落ち着けて安心できる。だからこそ一緒にいられるのかなって思います。辛いとき楽しいとき悲しいとき嬉しいときどんなときも些細なことでもあなたに1番に聞いてほしい。いつもありがとう。普段は言えないけど感謝しかありません。お互いお母さんになってもおばあちゃんになってもあなたと隣で笑っていられますように。これから先、まだまだ長い長い道を共に過ごせる日が1日でも多くありますように。
大阪府
国分男@大阪はじんちゅさん/男性20歳
失くした恋
ぼくは2年前の秋にある女の子と出会いました。その時、その子には気になっている人がいて、とても間に入れるような感じではありませんでした。そんなことも知らずにぼくは第一印象で「かわいい、とてもいい子だ」そう直感的に思いました。いわゆる一目惚れ。どうにも気持ちが抑えられず、ぼくはその子の誕生日を祝うために食事の約束をし、サプライズでお祝いをしました。その時に、もうどうにでもなってしまえと一か八かで、自分の気持ちを伝えることに。ですが案の定、気になっている人がいるからと断られてしまいました。

そこでぼくはもう諦めようと決意し、連絡もとらないようにしました。ですが、夢の中に出てくるのはいつもその子。なにをしていてもその子のことを考えてしまっていました。そこでぼくは、あの子はまだ彼氏がいるわけじゃない。付き合っていないのはなにか引っかかっているところがあるんじゃないか?そう思って、もう諦めるなんてことはせず思いっきりアプローチしてやろう!そう思い、クリスマスを一緒に過ごしてくれないか。と伝えました。 25日はもう予定が、、、彼女からそんな言葉を聞いてもぼくはめげません。じゃあ26日は?そう言ってクリスマスの1日後を確保しました。

そこで本当に楽しませるにはどうしたらいいか、どんか言葉をかければいいか、ずっと考えて考えてプランを立てました。そして当日、時間はあっという間に過ぎ、気づけばその子は常に笑顔。ぼくのカメラロールには彼女の笑顔であふれていました。本当に嬉しかった。そこから風向きは大きく変わりました。彼女の予定はぼくとの予定ばかりに。そこでぼくは少し余裕だ。と思ってしまった。人間、余裕が出るとボロが出るものですね。ケンカを何回かしてしまいました。すると予定も減って行き、また気になっていた人のもとへ。失ってから気づくものは多く、後悔が募るばかり。

最後のチャンスをください!そう願ってもう一度デートの約束を。そこで、またあのときのように楽しみたい!そう思っていると、彼女も少し考えてくれていたみたいで「この前はごめん」彼女からのそのひとことを聞くと思わず涙が溢れてしまった。自分がいかに未熟なのかを思い知らされました。やっぱりこの子は手放してはいけない人だ!そう確信に変わった瞬間です。そこからまた彼女の視線の先にはぼくがいました。

でも、二度あることは三度あると言いますが、その通りでぼくは同じ失敗を繰り返してしまいました。そこから愛想をつかれてしまい、だんだんと疎遠になってしまい…。今では彼女は気になっていた人のとなりに。ずっと好きだったけど、彼女の幸せを願ってぼくは身を引く。その方が彼女にとっていい。そんな風に自分には言い聞かせるが、夜になると悔しさと不甲斐なさで枕を濡らす日々。ごめんなさい。ありがとう。人生の中で1番笑っていた日々だったよ。愛する君へ。忘れない。「青い春。」
大分県 愛夏さん/女性20歳
出会いと別れ
私は今年21歳になる専門学校の3年生です。高校2年生の頃から専門学生に上がるまでお付き合いをしていた彼がいました。その彼との出会いはSNSで、彼が私に声をかけてくれたことでした。彼は野球部で私は野球観戦が趣味ということで話も盛り上がり、2.3回会って付き合うことになりました。付き合って1年くらいは仲良しで、順調でした。ちょうど1年が経ったころ離婚していた私の父が自殺で他界しました。それをきっかけに、私も思い悩むようになったり余裕が無くなったり…進路を考えなければいけなくなったりとお互いに時間のズレが生じてきました。そのズレが彼を不安にさせてしまいだんだんと束縛が激しくなりました。高校三年生の秋頃には束縛と嫉妬の激しさに嫌気がさしてきていました。

でも2人で約束をしたディズニーに行くために仮卒まで必死に頑張ってお金を貯め、やっとの思いで行くことができました。その時には、ケンカもなく彼でよかったのかなと思い、写真やぬいぐるみなど沢山の思い出とともにお土産を買って帰りました。それから彼は社会人に、私は専門学生に。ここからどんどんお互いの時間にズレが生じてきました。すると彼の束縛と嫉妬はまた酷くなってきました。専門学生で同じクラスにいた男の子と仲が良くなり、男の子の気持ちは男の子の方がわかるかな、と相談していました。最初はLINEでの相談でしたが、時間が経つにつれ一緒にご飯に行くようになっていました。彼に罪悪感も抱きながら、彼といるときより楽しく自然体でいれるなぁと思っていました。

そんなとき、彼から殴られるなどの暴力をされるようになりました。そのことも、同じクラスの男の子に相談していました。ある日その男の子から好きと告白されました。私は彼のことが好きなはずなのにとっても揺らいでしまいました。同じクラスの男の子には少し時間をちょうだいと伝えました。時間をもらっている間にも相談はしていました。告白されてから1週間くらいたったころ同じクラスの男の子が私のことをマナカと呼んでいたのに急にマナと呼びました。ドキっとしました。今の彼氏と別れてと言われていましたが、暴力されるかもしれないから怖くて別れるって言えない。って伝えるとすぐ別れなくてもいいから俺と付き合ってって言ってくれました。

相談しているうちに自分の中でその男の子の存在が大きくなっていて、気づいたら好きという気持ちに変わっていました。今の彼と別れなきゃと思いその男の子に自分の気持ちを伝えると、何かあった時は俺が守ってあげるから。と言ってくれ勇気をだすことができ別れを告げることができました。しかし彼はイエスとはなかなか言ってくれませんでした。その時、男の子が彼に別れてと言ってくれどうにか別れることができました。簡単に揺らいだ自分の気持ちに罪悪感を抱きながらその男の子が付き合ってと改めて告白してくれたことに、はい。とオーケーしました。それが今の彼です。

今の彼と付き合って半年くらい…。今でもあんな別れ方でよかったのかなと罪悪感があるほど、前の彼は初め、優しくて大好きでした。でも今私は幸せです。今の彼は口下手なところがあってケンカをすることもあるけど、ごめんねの一言でお互い笑いあって仲直りできる関係です。一緒にいると心地よくて落ち着きます。彼の寮にこっそりお泊りしておはようのチュから始まっておやすみのチュで終わる1日が本当に幸せです。2人で未来予想図をたてて、結婚や子供の話をします。そんな今の彼とは来年から彼の地元沖縄で一緒に暮らす予定です。辛い過去があったから今幸せなのかなと毎日幸せを噛み締めています!
滋賀県 みなこさん/女性26歳
人生を考える
私は23歳の時、3年付き合った年上の彼のプロポーズを受けました。その彼とは、私が学生のとき訪問していた実習先で出会いました。いわゆる先生と学生という関係です。実習に行っていて、先生を好きになるとか、自分でもびっくりでした。指導をしてもらっているうちに徐々に距離が縮まり「たまたま出会った関係がこうやっただけやけん、学生やからとか関係ない」と言われ思い切って前に進んできました。彼は必ず毎月、飛行機または船に乗り、電車を乗り継いで私の住む街へ日をまたぎ、約9時間かけて会いに来てくれていました。そうして、ふたりの信頼や絆を深め3年の月日を得て夫婦になる決心をしました。

しかし、ここで大きな壁にぶつかりました。それは、距離。私が彼の地元へ行くことに私の両親が猛反対をしました。何かあったときに帰ってこられる距離、何かあった時に頼れる人や場所が必要だと。夫となる人を信じるのは当たり前やけど、必ずすれ違いも生まれる。そのときに、頼れる人が他にも必要だと。まだまだ仕事も社会人としても半人前で考えが及ばないこともあったけど、私は彼が大好きでした。人としても仕事の先輩としても尊敬していました。ただ彼と一緒にいれるだけで幸せやろうなと思っていました。けれど、私はどんなに想いを伝えても両親を説得することはできませんでした。結局、その彼と「お互いが幸せになって、いつか飲みにでも行けたらいいね」ってゆう約束をしてお別れすることになりました。

その日から私は人を好きになることを諦めました。こんなに辛いなら、誰も信じないと。家族も友達も。傷つくなら、傷つかないように自分の殻にこもれば良いのだと。そうやって自分を守ってきました。けれど、何をしていても私の中は彼でいっぱいで、ずっと彼の面影があって。けど、どうしようもできなくて。けど、何かを変えたくて、彼を思い出に変えるために、彼が好きだったものを1つ1つ消化しようと思い行動に移し始めました。

サッカー観戦、神社巡りをはじめ、彼がよく聴いていた「for YOU。」を聴きにライブへ。これが、私とハジ→さんの出会い。ハジベストツアー大阪。この日を境に、私は前に進みはじめることができました。友達を家族を、人を信じる勇気をくれた。やりたいことをやって、毎日をキラキラしたものにしたい。 殻に閉じこもったままでは勿体無い。自分が強く信じていければ、それが必ず道になる。まずは自分を好きになること。

私は今年27になります。よく似た境遇をもった人に出会いました。案外近くにずっといてくれた人やったんやけれど。お互いが傷を舐め合うのではなく、思いやりながらプラスの存在でいられるようなそんな存在。その方と、今年お付き合いすることになりました。毎日が、楽しくてどこか懐かしい感じがします。何かくすぐったいような。久しぶりで忘れていた感情が少しずつ戻ってきているようなそんな感覚。一般にゆう、色付いた景色的な感覚?この先、お互いの気持ちが変わらないなんて保証はないけれど、大切だと思えるようになった心と、自分と、彼と、そう思わせてくれたハジさんを信じて、前に進んでいきたいと思います。悩んでいても何も変わらない。行動に言葉にしていく。そうやって私自身ができていく。自分が嫌になることもあるけど、その度に時間をかけてでも自分を好きになれるように、努力を重ね続けていきたいです。もちろん自分だけでなく全ての人に対しても。

「for YOU。」はラブソングやけど、私にとっては前に進むための応援歌となっています。頑張りたいときにはいつも聞いています。ずっとずっと私の応援歌。いつもありがとう。「for YOU。」とともに今の笑顔の私がいます。ハジさん、ありがとう、感謝でしかないです。ハジさんへの思いばっかりな気もするけど、それだけ私の人生には欠かせないものであったこと、そしてこれからも必要であることが、ハジさんへ届くといいなぁ。
岩手県 岩手さとみんさん/女性35歳
ありがとう
何を書こうか悩みましたが、実はあたしもハジーと同じなのかな?当時あたしが17歳あたりの頃、不良というか非行に走った頃の事を書きます。お父さんやお母さんに愛情もらって生きてきました。お父さんはうちらきょうだいが生まれる前が東京に出稼ぎに行き、お母さんがひとりで育ててくれた感じです。高校の時、学校が嫌いでした。そんな時、友達が非行に走っていてあたしはそれが羨ましかった。なんであたしは門限ばかりで遊べないの?みたいな。そんなある日、とうとう家出してしまいました。学校があるのに友達の家にたむろして、お母さんが心配しているのにも気付かず。そんなある日、東京にいるお父さんが帰ってきて話し合いしても気持ちが伝わらずまた非行に走りました。警察にも届けが出され、いろんな危険な出会いや別れがありました。お母さんに最初で最後のビンタをされました。

だけど親の選択は施設でした。そこで立ち直るか、鑑別所に行くか警察の方に言われ、あたしは立ち直る約束で施設に入り頑張りました。それでもやっぱり抜け出して親と勘当されたこともありました。その時の気持ち、今大人になってわかりました。今気付いても遅いし、謝っても許してくれないよなと思い、未だにまだ謝れていません(笑)。高校の時「なんで産んだのよ」とか「生まれてこなきゃよかった」って言ったこと後悔し、「あなた。」や「親父。」を聞くとほんと涙がでます。母親が1人で育てたくれた分、あのとき父親にすごく責められたんだろーなって。母親があたしのことでノイローゼにもなっていたのに、あたしは気付かずなにやってんだろーって。今になって思います。

今しかできない親孝行がしたくて、実家に帰ったりはしていますが、やはり未だに謝れず悩み中です。そのうちいつか謝れることができたらいいなって心から思います。あの時、あたしが非行に走った時、助けてくれた親戚のおじさんおばさんにも謝りに行けたらな。このことで色々親に心配や迷惑かけているのかなって今も思います。そしてお父さんとお母さんにホント二人がいなかったらあたしは生まれてこなかったしみんなとも出会えてないしハジーとも出会えてなかった。両親にこんなあたしだけど産んでくれてありがと。お父さんお母さん出会ってくれてありがと。そう言いたい。
静岡県 Blue Moonstoneさん/男性51歳
危険な恋
俺は51歳、彼女は43歳。お互い離婚を告げてある現状で出逢った2人。出逢いは2017年5月の終わりSNS。やり取り重ね、初めて逢ったのは6月9日。とある駐車場で待ち合わせて、手を振って車から降りてきた貴女。貴女を見た瞬間、貴女はとても輝いていて、俺は相手にされない、そう感じたよ。でも俺の車に乗ってくれた。初めてのデートは箱根へドライブ。途中、車を止めて芦ノ湖を眺め、そして富士山が綺麗に見える場所に車を止めて2人車を降りて、初めて貴女に触れ、寄り添い合い手を引いて周りから見えない場所へ。そして抱きしめ合い、唇を重ねたね。その日から付き合い出したけど、貴女には男を愛すると裏切られるというトラウマがあり、俺にのめり込む事への不安が。俺にも幼い頃から人に愛されてないそんなトラウマがあり、貴女の事を不安にさせ怒らせてばかりいたね。

それでもデートを重ね、お揃いのネックレスを買い、俺の誕生日(6/30)に天然石ブレスレットを買ってくれたね。夏に行った海辺の花火大会。間近で見上げるように見る花火はとてもキレイで壮大だったね。そしてお互いの愛が深くなっていき、俺の事を信じられるようになった貴女。どうしても隠しておく事が出来なかった貴女は、同じ職場に忘れられない男が居る事を俺に伝えたね。俺のトラウマのせいか、俺は酒に溺れる様になり寝落ちを重ね10月の初めに忘れられない男に想いを伝える為?忘れられない男を忘れる為?貴女は俺の元を去って行ったね。失って改めて気付いた。どれ程貴女が大切なのか。でも真っ直ぐな貴女は俺の元へは帰って来ない。

それでも俺は貴女に俺の想いを伝え続けたね。そして忘れられない男に抱かれ、想いを伝え砕け散った貴女。それでも貴女はその男を忘れられないと、そう言っていたね。俺はそれでもイイ。俺の愛でその想い無くすからって伝え、10月23日にまた付き合い出した。そしてお互いの愛を育み。忘れられない男からの誘いに対してもう2人では会わないと断った事を俺に報告してくれたね。次の日は初めての日帰り旅行。秩父夜祭へ出掛け、冬の花火を2人で見て、お互いの愛を確かめ合い2人の気持ちが大きく前に進んだね。

クリスマスにお揃いのピンキーリンクを贈り、貴女の誕生日(3/25)にハジ→LIVE旅行をして、LIVEの後は居酒屋で乾杯からのサプライズプレゼントに、サプライズ誕生日ケーキ。最高の誕生日になったかな?2人のゴールはまだ先だけど必ず俺がお前を迎えに行くからな。そしてそこからが本当の2人のスタートだよ。俺の人生掛けてお前を支え、守り、愛していくからな!絶対に貴女を幸せにするからな!
福岡県 みゆさん/女性16歳
ありがとう
私は今高校2年生です。今から7年前のことです。ある冬の日、1人の女の子が転入してきました。私は人と接することを怖がってその女の子に話しかけようとしませんでした。でもある日、話す機会があってそこからその女の子と仲良くなりました。休日もたくさん遊びました。たくさん喧嘩もしたけれど、お互い信じ合える関係で親友でした。でもある春の雨の日、その女の子から「別のところに行かないといけないかも」と告げられました。正直最初は嘘でしょ?って思っていました。でも夏休みに入る前にその女の子は転校しました。私は最後まで嘘だって思っていました。

新学期の初日にはもちろんいませんでした。私はこの時、初めて凄く後悔しました。最後まで私は素直になれませんでした。今でもすごく後悔しています。私はその女の子とは今、連絡が取れていません。だから、大好きとか、わがままたくさんいってごめんねとか、私と親友になってくれてありがとうの気持ちを未だに伝えることが出来ていません。その女の子がいたから、大切なものを知りました。私とその女の子は2人で記念日を作りました。その日は私にとって今でも大切な日です。ハジ→さん、私の想いを私の大切な親友に音楽で伝えて欲しいです。お願いします。
鹿児島県 みゆぱんまんさん/女性16歳
キモチを伝えたい
私と彼は、幼稚園が一緒でした。でも、小学中学校はバラバラになって、高校で再会しました。私は、結構いじられるキャラで、特に1番いじってくるのは彼です。1年生のときは、全く気になる存在じゃなかったです。私に彼は、「美優は、なんか男友達としてはいい」って言われていて、あ、女の子って思われてないんだ。まあ、しかたないぐらいに感じていました。でも、高2になってから、ある友だちが「美優と千翔は、絶対お似合いだと思う。中学校の時は、女子と全く喋らなかったし、いつもニコニコなんかしないよ。美優には、結構ガツガツ言うけど千翔は、気があるかもよ」と言われて、最初は、絶対ない!って思っていました。

でも、よく考えてみたら授業中私の名前めっちゃ呼ぶし、顔もイケメンだし、運動神経抜群だし、身長も高いし、体格いいし、結構いいところたくさんあるなって思いました。その日から彼は、私の気になる存在になりました。でも彼は、わたしと同じ部活の子に「かわいい」って言ったり、「ばいばい」って行ったり、普段私には言わないことを言っていました。さりげなく聞いたら、「かわいいとは思うけど、好きではない」って言っていてなんか、ほっとしました。だんだん彼のことを好きになってきました。この前の英語の授業の時に、いきなり、「○○(私の名字)は、かわいい・・・」っていきなり言われて、友だちとにやけてしまうこともありました。でも、今のこの関係を崩したくなくて、なかなか進めずにいます。もし、ハジ→さんが歌を作ってくれるのであれば、勇気を出して告白しようと思います。どうかよろしくお願いします。
福岡県 はるちゃんさん/女性23歳
うれしい・たのしい
彼氏と初めて出逢ったのが、朝方の駅前の歩道橋で、話して仲良くなり連絡先を交換した。その日は、失恋した後で友達とパーっと呑み明かした日で、自暴自棄になって勢いで連絡先交換してしまって。彼氏の第1印象はチャラそうって思っていて、すぐ連絡も途切れるのだろうと思っていた。ちょくちょくLINEするようになって会ったりするようになり、彼氏からの告白で付き合うようになり、もうすぐ2年になります。今まで、様々な壁にぶつかり、お互いの考え方などの違いなどに気づき、喧嘩したり泣いたり悩んだり距離を置いたり。私は、寂しがりでわがままな為、彼を困らせてしまうのですが、彼は優しく受け止めてくれます。

最初の出逢いから想像出来ないくらい、今は固い絆で繋がっています。お互い、今までの恋愛が上手くいかなくて、やっと真剣な恋愛が出来て、ひょんな出逢いでこんなにも人生が楽しいと思える恋愛が出来て、彼とあの日出逢えた事が私にとって幸せな出来事です。彼と同じ未来を歩くため、お互いを想い合う気持ちを大切に、彼がいつも笑っていられるよう、笑顔になる花のような女性になります。
大阪府 沙奈美さん/女性27歳
ありがとう
私と彼は今、遠距離恋愛3年9ヶ月で趣味を通じて知り合い交際する事になりました。付き合い始めた頃は少しの事でヤキモチを妬いたりして、一人暮らしの彼と実家暮らしの私と土地と生活環境が違う私達は、喧嘩もたくさんしてきました。新幹線で2時間半の距離とバス12時間の距離で仕事終わりに彼が来たり私が向かったり、少しの時間でたくさんの思い出を作って下手な料理も美味しく食べてくれました。サプライズ大好きな彼は、私が喜ぶ為ならどんな事も努力してくれて、どんな時も彼は私を1番に思ってくれていて、3年9ヶ月、変わらず私を大切にしてくれます。

最近はいつになれば遠距離が終わるのかな?将来はどうなるのかな?って。もう付き合って遠距離して3年9ヶ月で不安な事やぶつかる事も付き合い当初より違った悩みが出て来ているんですが…。会って話す事が1番いいのに久しぶりに会ったら笑顔でいられる時間を増やしたくて素直話せないんです。実は私の家族からは交際を反対されていて…。反対されても私は自分の様に悩み、支え育ててくれた家族も大好きなんです。だからその大切な家族にも私の為に努力し大切にしてくれている彼と私が一緒にいて幸せって事を伝えたくって。周りの目とか気にせずに、大好きな人と歩む幸せな人生と、感謝しかない大好きな家族に大好きな人の事を理解して欲しい気持ちと、いつも私の為に離れた場所で頑張っている彼に1人じゃないよ、不安もあるけど一緒に乗り越えたいと言う気持ちと感謝を伝えたいです。
福島県 ま→ちゃんさん/女性23歳
出会いと別れ
私と付き合っている彼のことです。出会いはよくある話、職場。彼は私より年上の先輩。部署自体違うから会ったら話す程度の関係ってだけだった。私は3年半付き合っていた彼氏がいて、結婚も考えていて、その人に振られて、毎日が辛かった。どうしても諦められなくて、その相談を彼にしていた。(彼は私が別れる前から私のこと気になってはいたみたいです)忘れたくて、他の男の人と遊んだけど、やっぱ忘れられなくて。そんな時、彼に「無理に忘れなくてもいい、俺が忘れられるよう幸せにするから」って告白された。職場恋愛なんて絶対ないって思っていたし、付き合う気なんてなかった。けど、押しに押されて、付き合った。それが今の彼。

付き合ってからも、元彼が忘れられなくて、何度別れようと思ったことか。勝手に2人を比べて、イライラして。最低だと分かっていても、自分の気持ちには嘘つけなくて。「忘れられないのは、俺が悪い。もっと幸せにするからな。」って何度言ってくれたことか。そんな彼と過ごしていく時間うちに、気付いたら大好きというか大切な存在になっていた。会いたいというより、いないと寝られない。そんな感じの安心する存在。彼も私も、異性関係が良好とは言えなくて。でも、お互いが付き合ってからは、遊んでないし真面目になって。彼に関しては職場でも女好きと噂がたっていたのに、驚くぐらい一途でいてくれている。当たり前のことだけど、お互い成長したんだなと。今まで、お互いが求めていたのは今の私たちみたいな安心できる存在だったのかなって。そんな存在に出会えたのかも。

彼氏でもあるけど職場でも人生でも先輩。だから、話聞くと参考になるし、頑張ろう追いつこうって思えて、私自身成長できる。一緒にこれから、一緒に人生歩んでいくうえで、お互い成長できる存在って素敵だと思う。これからも、いっしょにサンダル履いてコンビニにアイス買いに行きたい。缶ビール片手に、テレビでスポーツ観戦したい。手を繋いでいろんなところデート行きたい。毎日、小さな幸せたくさん。ずっと、隣にいてくれたらいいな。
沖縄県 はじはる。さん/女性21歳
失くした恋
職場が石垣島になって、最初は相手が宮古島にいて、初めて会ったのは去年の夏頃だったかな。最初はなかなか話すこともなかったけど、8月に同じ店舗で2週間一緒に働いてその人と何人かで飲みにいったりもして。9月前に相手が宮古に戻って10月の20日わざわざ希望休まで出してわたしの休みに合わせて飲みにいって関係が変わったのかな。最初は遊ばれているだけって思った。でも「やめよう」って言った時、初めて相手が「本気だ」って言ったのね。それから何回か離れたりしたけど結局戻ったりもして、今はもう戻らなくなっちゃった。元奥さんがちょっとめんどくさい人でね、子どもも3人もいるから。

それなのに期待させたりどん底に落とされたり。最後に会おうってなったのはね、わたしの誕生日。トイレ行っている間にロウソクついたケーキがあったの。クリスマスはわたしの好きなテッドのキーホルダー買ってくれた。歳がひとまわりも違うから恋愛対象になると思わなかったしさ、すごく居心地の良い相手だったから心に穴が開いたみたいだった。今も。仕事で会うたびつらい。けどこの島も好きだし何より接点をなくしたくないのかもね。もう戻ってこないってわかっているはずなのに待ってしまうんだよね。仕事終わった後の時間がほんと会いたくてたまらないですね。なのに会えない。連絡すらもうとれないしね。どうしたらまた一緒にいられるんだろうなと日々悩んでおります。
鹿児島県 ひなさん/女性22歳
出会いと別れ
私の友達は高校1年生の夏に亡くなりました。中学校で出会って私が困っていることがあるとすぐに相談に乗ってくれて真剣に悩んでくれました。だけど、友達が亡くなる前に1回もお見舞いに行くことができず、そして、出会ってくれてありがとうとも言えず後悔ばかり残っています。高校も1日だけ行けた。アナウンサーになるのが夢だったと話していた。それも叶わなかったけど…私はその友達の分まで生きて誰にでも優しくしていきたいと思っています。1度出会ったからまたどこかで会いたいな!!!
兵庫県 pipさん/女性23歳
危険な恋
当時の私には付き合ってすぐの彼がいました。でもその彼と付き合う前に気になる人がいるとわかりながら気づかないフリをして先に進みました。なぜなら相手には彼女がいたからです。駄目だと思いながら、その気なる人と連絡をしているうちに、好きが大きくなっていき、付き合っている彼に別れを告げた夜、好きな人が来て傍で支えてくれました。そこからが始まりでした。駄目だとわかっているのに家に行くようになり、駄目だとわかっているのに連絡を続け、それなのに彼女と別れてなんてワガママ言えなくて。言うと関係が壊れそうで。友達にも私のしていることは最低だ、ありえない、相手の気持ちになってみろと散々怒られました。でも1番仲良しの子は「オススメはできんけど自分の悔いのないように行動して納得行くまでしたら?また話し聞くよ」と支えてくれました。

数ヶ月経ったある日「別れたから付き合って」と言われました。私は本当に嬉しくて嬉しくて…。でもそれがすぐに嘘だとわかり。その数週間後にも言われましたが、前回のことがあるので信じられず。2回目に言われたときは、本当に別れて私に来てくれていたのにそれを信じられなかった自分をずっと恨みました。彼にはその2回目のとき「そんなに俺のこと信じられんのなら無理や」って言われてそこで終わりました。その2年後、偶然再開して関係が戻りつつありましたが、相手にはそんな感情が一切なく、このままじゃ繰り返すだけだと心を鬼にして自分から離れていきました。その人と出会い4年経つ今となっては、いい経験でいい思い出ですが今でも忘れられない人です。
静岡県 GENGEさん/男性57歳
人生を考える
今日の君も素敵だね。今日の写真を見て思う。逢えた時は必ず写真を残そうって決めたんだよな。初めて会った青い季節、君は当時流行りのサーフブランドのTシャツ着ていたっけ。大きく手を広げて海に挨拶。一枚目の写真。そう、君は手を広げている写真が多いんだよ。気づいていた?夜景に向かって、富士山に向かって、桜の花や紅葉に向日葵、外国の世界遺産だって、両手を広げて君のモノ。一番楽しそうな顔している。

最初から素敵だったのは君。俺はなんだかさえなかった。でも、君と居ていろんなトコ行って、色んなもの見て全部写真に残していたら、相変わらずいい男じゃないけど、いい笑顔になってきた。大きく手を広げて俺に挨拶。百枚目の写真。そう、君は周りの人も景色も全部素敵にしちゃうんだよ。俺気づいたんだよね。背景が素敵なんじゃない。君が写っているから。素敵なトコになっているんだ。二百枚目の写真。

君の大好きなアーティストのライブに行った時「みんなで写真撮ろう!」ってステージに向かった、最前列で笑顔の君と俺。五百枚目の写真。マラソン大会に出てシンドかった。だけど二人でゴールした時、撮った写真は、汗だくのボロボロになっちゃったけど、満面の笑み。七百枚目の写真。「いつまで続くんだろうね」「続かなくなるまでさ」先の事はいいじゃん。今もやっぱりキラキラ笑顔。観覧車が怖くて。俺は引きつっちゃった。九百枚目の写真。

毎日逢えるわけじゃないから、逢えた時は記念に残そうって、写真を撮るようになった。もうすぐ千枚目の写真。二人の写真が三人になれたらいいのにな。
東京都 青空さん/女性16歳
失くした恋
私には8ヶ月付き合っていた人がいました。たった8ヶ月でも毎日が楽しくて、喧嘩なんかしたことがありませんでした。ハジ→さんのことを教えてくれたのもその人で、最初に教えてくれた歌が、「あなた。」でした。付き合って5ヶ月記念にこの歌を2人で聞いて、これからもこの人と歩いていこうって、思っていました。けれど、9ヶ月記念の2週間くらい前に彼の浮気が発覚して、別れる決意をしました。別れる時、「人として最低だね」「そんなことする人だとは思わなかった」「私たち出会わなければよかったね」とか、沢山ひどいことを言いました。しかし、元カレは浮気をしたくてしていたわけじゃありませんでした。「全身性エリテマトーデス」という病気にかかっていました。元カレは、私を泣かせたくないと思い病気を隠して、浮気をしたそうです。これは元カレの友達から聞いた話ですが、私は事情もちゃんと聞かないでなんで別れたんだろう、と悔やみました。

初めて本気で好きになって、これからも一緒にいたいって思った人なのに、なんで支えなかったんだろう、という後悔しか胸になかったのですが、元カレの友達が、「〇〇には幸せになって欲しかったんだよ。こういう風に自分を責めてほしいわけじゃないと思うし、泣いても欲しくないと思う。たしかに、責める気持ちはわかるけど、〇〇はあいつと付き合って幸せだったんだろ?だったらいい思い出として心に残しときなよ。」と言われました。この元カレと別れた後も、たくさんの方とお付き合いをさせて頂きましたが、元カレ以上の人がいなくて、今もまだその人のことが大好きです。けれど、私が幸せにならないと元カレも安らかに眠れないと思うので、ちゃんと元カレ以上の人を見つけたいと思います。
長野県 美歩さん/女性29歳
ありがとう
私の家は、両親共働きだったため、小さな頃からおじいちゃんおばあちゃんが面倒を見てくれることが多くありました。2015年の2月。おばあちゃんとの別れは突然やってきました。そして同じ年の6月。おじいちゃんも天国へ旅立ちました。おばあちゃんが亡くなった日、人生で一番泣きました。その年の4月に結婚式を控えており、楽しみにしていてくれました。しかし、ウエディングドレス姿を見せることも出来ませんでした。悲しい思い、悔しい思い、寂しい思い…言葉では言い表せられない気持ちでいっぱいになり、ただただ涙が溢れてきました。おばあちゃんが亡くなってしまった日から、心にポカリと穴が空いてしまい、なかなか前を向けずにいました。そしてさらに追い打ちをかけるかのように、おじいちゃんまでも。泣いて泣いて、仕事をしてようが家事をしてようが、ちょっと気を許せばいつでも涙が出てきてしまいました。なかなか立ち直れずにいました。

でも、少しずつ少しずつ落ち着くことができ、「天国のおじいちゃんおばあちゃんは、きっといつまでも私が泣いていたら心配してしまう。笑顔でいた方が絶対喜んでくれる。」そう思えるようになりました。わたしは、結婚し、地元から離れた土地で暮らしていたにも関わらず、おじいちゃんおばあちゃんの最期を看取ることが出来ました。おばあちゃんは私と手をつないでいる時に、天国へ旅立ちました。おじいちゃんは私がおじいちゃんの元へ到着して、数分で息を引き取りました。「おばあちゃんが危ない」「おじいちゃんが危ない」そう連絡をもらい、実家に向かうまでの間、おじいちゃんおばあちゃんは頑張って、私が到着するのを待っていてくれました。そう思えてなりません。

今でも寂しくてたまりませんが、おじいちゃんおばあちゃんに教えてもらったたくさんのことを胸に、前を向いて頑張っています。辛い時も、おじいちゃんおばあちゃんが見守っていてくれるから大丈夫と、不思議と自身が湧いてきます。そして何より、おじいちゃんおばあちゃんが教えてくれた、心のあたたかさ。これは、私自身の支えにもなっていますし、母親になった今、子どもたちにも受け継いでほしいと、心から願っています。それと同時に、いつか孫ができたとき、私も、私のおじいちゃんおばあちゃんのような、孫にかけがえのないあたたかさを伝えられる、そんなおばあちゃんに、そんな人になりたいと思います。

特にこれといった夢もありませんが、「おじいちゃんおばあちゃんのようなあたたかさを持った人になる」この気持ちだけは、ずっと揺らぎません。どんな時もわたしの糧になり、支えてくれています。この、おじいちゃんおばあちゃんへの感謝の気持ち。どうか、歌にして、天国へ届けたいです。しかし、私にはそんな力がありません…。大好きなハジ→さん、そのあたたかな歌声で、そしてハジ→さんの優しい心でどうかお力添えをお願い致します。
熊本県 保育チィ→♪。さん/女性27歳
出会いと別れ
なんだかんだ、5年前からハジ→に会うたびに、私の恋愛事情をその都度、手紙に綴ったこの気持ちを、ぜひ、歌にして欲しくて応募しました。私は、女子校、女子短、保育士と、ほとんど男の人と関わることなく過ごしてきました。でも、友達の紹介や、バイト先など、今まで7人の人と付き合って7人目の人と結婚しました。今までの恋は1ヶ月で終わったり、時には3ヶ月で終わったりと、恋愛下手で臆病な私で、長くて1年1ヶ月でした。私には大好きで大っ嫌いな今でも忘れられない人が居ます。ハジ→も知っていると思うけど、お互いハジ→が好きで、Twitterでハジ→が、私のツイートをリツイートしてくれたおかげで、全国にいるはじんちゅの中から、彼が、私をフォローしてくれたのが、キッカケでした。

最初はお互い好きな人がいました。「あなたと明日も。」の歌詞のように、恋愛相談を乗るだけ。でも、それから、何度かDMでやりとりをして、デートを繰り返すうちに好きになり、長崎の稲佐山で告白されました。一緒にハジ→のライブに行ったり、映画を観たり、沢山写真撮って、記念日は毎回LINEで送り合って…でも、いつしか、連絡が少なくなり、振られました。あの頃の私は、彼のことしか頭になくて、仕事をしていても、友達と遊んでいても、四六時中、頭から離れなくて、どうしたらより戻せるんだろう?と色々考えて、自分の気持ち伝えないで後悔するより、彼に対する大好きな気持ちを伝えて後悔したほうが良いと思って電話で伝えました。

結果的により戻すことは出来なかったけど、彼と出会って、彼を好きになって、彼が振ってくれて、本当に良かったと今では思う。だって、あの時、私を振ってくれてなかったら、今の幸せはなかったから。時々、あの時、あの人と付き合っていなかったら…今の幸せな道には辿り着いてなかったんだろうな…って思うの。だからね、過去の恋達に【ありがとう】って言いたい。今の幸せがあるのは過去の恋達が居たから。人生って成るよう成るんだね!私が歌にしてほしいのは、【どんなに辛い過去の恋も、けして無駄なんかない、絶対幸せな道に繋がる過程であるから、過去の恋達にありがとうを伝えたい、人生は奇跡の組み合わせ】という気持ち。ハジ→の歌に乗せて世界中の人達に届けてほしいです。(※今は、連絡取れない彼にも歌を通して届けてほしいです)。今まで、ハジ→に手紙で綴った内容を見返してもらったら、もっとこの気持ちが伝わると思うので、良かったら手紙を読んでみて下さい♪
兵庫県 つかささん/男性28歳
青春の思い出
高校生の時に初めて会った女性と10年ぶりに再会をしてご飯に一緒に行った帰りにハジ→さんの話題になって、ちょうどその頃ハジ→さんの「風のたより。」をずっと聴いていた時期でその話をしたら、「ライブあるから一緒に行く??」って言われ「行きます!! 」と即答し、ハジ→さんのライブに初めて行くことになりました!!ライブまでの1ヶ月ぐらい2人でDVD観たりCDを聴いたり、いっぱい勉強をして当日のライブも岡山までの道中も盛り上がってとてもいい思い出になりました!!その後お付き合いをすることができて、今は結婚を考えて2人で過ごしています!!
埼玉県 にゃーちゃんさん/女性37歳
危険な恋
子供が出来て結婚してずっと幸せが続くと思っていたけど、いつからか旦那は女性として見てくれなくなり、寂しさから職場が一緒だった他の男性に心惹かれるようになりました。付き合うようになって約5年、その人と一緒になりたいって思った事もあったし、何よりアタシが諦めていた夢をもう一度挑戦するきっかけを作ってくれました。でも彼には家族がいて、その子供が発達障害のあるお子さんでした。私は子供の頃から身内に障がい者がいた事もあり、大人になったら障がい者の支援がしたかったけど、子供が出来て結婚して諦めていたんです。でもそのお子さんとお会いして、もう一度支援をする仕事をしたいって思わせてくれました。旦那とは離婚も考えているけど、意思を伝えたまさにその日、体調不良を訴え病院を受診したら癌が見つかりました。そんな旦那を置いて、再度離婚したいとは言えず今に至ります。その彼は出世し他の所へ行ってしまい、寂しさに耐えきれず結局お別れする事になりました。でも本当に感謝しかありません。一緒に過ごせた日々、諦めていた夢を思い出させてくれた事。ありがとうって一言では伝え切れないぐらい!
宮城県 すみかさん/女性20歳
危険な恋
職場の先輩からある日「知り合いが働いているからそこの美容室いこうよ。イケメンもいるよ」と言われて、ちょうどカラーをしたかった私は行くことを決めた。「そこの美容室にいるイケメンこれだよ!」って写真を見せられた。イメージとも違うし、タイプでもなかった。当日、立派な美容室にドキドキしていた。先輩と入店すると「いらっしゃいませ」迎えてくれたのはあの美容師だった。素敵な笑顔と安心する優しい声に少し緊張がほぐれた。写真とはまた違い、実際見ると優しそうな顔立ちでかっこよく見えた。私のアシスタントでついてくれたのはその美容師だった。初めてなのに、なんだか安心感があった。気を使わないでなんでも話せた。人見知りの私がなぜか自分から話題を出し、話が盛り上がりすごく不思議な気持ちになった。

気づけば恋バナになっていた。美容師の恋愛歴、それを聞いただけで特別な感じがした。この人彼女いないんだ。なんだか嬉しく思えた。楽しい会話もつかの間。私のアシスタントが終わって、そばからいなくなった。何故か急に感じた寂しい気持ち。いつしか目で追っていた。自然と気持ちが美容師に動いていたのかもしれない。他の人と楽しそうに話している美容師を見て、羨ましく思えていた。私は違う人にシャンプーをされ、セットしてもらい、美容師が染めてくれた髪もきれいに染まり、満足のいく髪型になった。店を出てから、なぜか美容師のことが頭に浮かんできた。運転をしていても先輩と話しても、買い物をしていても何をしていても頭の中は美容師でいっぱい。

タイプじゃなかったはずなのに、美容師が私のタイプになっていた。あの時きっと一目惚れをしてしまっていたのかもしれない。でも好きになっちゃいけない。好きになってはいけない人そう言い聞かせていた。私には2年半付き合っている彼氏がいる。だから、いけない恋をしてはダメって何度も言い聞かせていた。彼を裏切るわけには行かなかった。でもその日から片思いソングを探しては、照らし合わせただただ心が苦しくなっていた。また話したい、会いたいそう思ってしまった。彼氏に秘密でSNSで美容師の名前を検索。見事、アカウントを発見。ためらいながらフォローをし、メッセージを送った。次の日になっても返ってこない返信。「来るわけないか」そう思っていた。

返信が来ない間もなぜか美容師のことで頭がいっぱい。携帯から通知音。美容師からの返信だった。嬉しくてたまらなかった。時間をあけて返信をしようとしたけど、我慢出来ずすぐに返してしまった。お互いの趣味や仕事のこと、何気ない会話で話が弾んでいた。客と店員。そうとは思いたくなかった。美容師からLINEを交換しよって言われた。ドキってしたけど素直に嬉しかった。けどトプ画は彼氏との写真。「彼氏いない」と嘘をついてしまっていた。だから私は急いでトプ画を変えた。美容師への抑えきれない感情、彼への罪悪感。二つの感情が葛藤していた。次々と話題を出して楽しい話をしてくれる美容師。淡々とスムーズにいく会話。客と店員ではなくまるでカップルのようだった。客と店員の壁を早く破りたかった。その時点で彼氏のことは頭から消えていた。彼からのメッセージや電話を知らないふりをしていた。それでも鳴り止まない通知に、「ごめん、眠いから寝る」と嘘をつき、こっそり美容師と電話をしていた。

愛していたはずなのに、彼が1番だったのに、そんなバカな自分に涙は止まらなかった。でも今求めてしまうのは美容師のことだけだった。いけない恋。それは知っていた。けどもうこの感情を抑えきれなかった。何かを察したのか、彼が家に来た。私がいない隙に携帯を見ていた。美容師とのやり取りをバレてしまった。泣きながら抱きしめてくれる彼。「なんでだよ、俺だけだろ?」って。彼が世界一好きなはずなのに。彼の温もりが一番好きなのに。美容師が邪魔をしていた。忘れたいのに、もう美容師の事が頭から離れることは無かった。「ごめん」って彼には謝ったけど、私は彼を裏切り美容師に会うことになった。

その日から私は1人で舞い上がり、ドキドキがとまらない。食べ物が喉を通らないほど緊張していた。会う当日。私の職場から美容師の職場の近くまで1時間半かけ直行した。待っていると、美容師の車が隣に止まった。もうドキドキがとまらない。美容師は私の車の助手席を開け、座った。隣には美容師が。夢のような瞬間。あの時と同じ安心感。ほんとに幸せだった。それからお互いにお腹も空いていて、ご飯を食べに行くことになった。周りからはカップルって思われているのかな?ってそんなことを1人で考えていた。気づくと時計は深夜1時。私は休み。美容師は今日も仕事。そんな中「俺んち泊まればいいじゃん」美容師からの一言。馬鹿な私はついていった。

ごめんなさい。彼の顔が思い浮かんだ。また裏切ってしまった。何度も来るメッセージと電話。「何かあったの?」って心配してくれている彼。「大丈夫だよ、友達の家泊まるから返信できない」って嘘をついた。こんなにも自分を愛してくれる人を裏切るなんてって心では思っているのに、隣にいる美容師への思いを止めることは出来なかった。美容師の家に着いた。散らかったキッチン。干しっぱなしの洗濯物、男らしい生活感溢れた部屋。初めてなのに「ただいま」って言いたくなるような感じがした。TVを見て笑うツボが同じ2人、とてつもなく幸せを感じた。時間が過ぎるとともに距離も近くなっていった。もう朝方。寝ようとすると美容師から「付き合おう」って一言。なんとも言えない感情。正直嬉しくて、「いいよ」って返事をしてしまった。

浮気だ私。いけない恋。だって分かっていたのに。初めて感じた美容師の温もりとなんとも言えない安心感と幸せにこのまま時が止まればなって思ってしまった。そのまま2人で寝た。目覚ましで起きた2人はもう恋人。「仕事行ってくるね、いってきます」その一言が嬉しかった。「行ってらっしゃい、気をつけてね」ってこの人はもう、私のもの。そう思った。彼と別れなきゃ。浮気になるって。けど2年半も長くいた彼に別れを切り出せなかった。彼の悲しむ顔を見なくもないし、彼を手放したこと絶対後悔するってそう思って、私は別れを告げることが出来なかった。もう2人とも私のものにしようって。そう決めた。

でもそんな幸せな時間は長くは続かなかった。私が彼を裏切るように、美容師は私を裏切った。どんどんLINEの返信が冷たくなってきた美容師に私は「どうしたの?」と返信をすると「やっぱりお互いのことよく知ってから付き合おう」って。間違えなくあの時付き合ったはずなのに…。あの時の言葉を私は信じていたのに…。彼よりも美容師を1番に求めていた私はもう心がボロボロ。もう感じられない美容師の温もり、安心感のある話し声、何もかもが消え去った。「会いたい」最後の勇気を振り絞って送ったメッセージ。返信は来るわけなく未読になったまま。トーク歴を何度も何度も読み返した。楽しそうに話していた2人。付き合う前に「次付き合う人は結婚相手かな」って美容師が送ってきたメッセージに怒りと悲しみがこみ上げてきた。美容師と別れたにしろ、私にはでも彼氏がいる。彼といる時間も幸せなのに。今求めているのはやっぱり美容師のこと。また今日もあの日のように彼を裏切りながら美容師を密かに思っている。

神様が1人にしなさいって、美容師よりも彼があなたを幸せにしてくれるよって教えてくてれるんだよねって、こうやって前向きに考えるしかできなかった。あの日出会わなければ彼と幸せな時間を今も過ごしていたのに。ぽっかり空いた彼との距離。こうやって彼を裏切ること無かったのに。全部美容師のせい。いけない恋。知っているのに、やっぱり諦められない。いけない恋でもいいからもう一度美容師と会いたい。この思いが届くまで祈り続けるよ。美容師の職場、家の近くを通ると探してしまう温もり。いるわけないのに、いる気がして。でも、美容師に出会って私はどんなに愛する人がいてもその人を越える人が現れてしまうんだってこと学んだよ。浮気をしてまで愛したくなる人がいるってことを知ったよ。最初は辛かった、けど付き合えて幸せになって、別れてまた辛くなって、だから次は幸せなことがあるのかなってポジティブに考えられるようになったよ。恋人でもなく、友達でもなく、客と店員でもない今の関係。けど沢山この恋で学べたよ。会いたいより伝えたいありがとうがいつか届きますように。
広島県 実奈さん/女性22歳
うれしい・たのしい
中学生の頃までは、表には出さないけど小さな事でぐずぐずしたり、ずーんってなったりする性格でした。でもある日、落ち込んでいる時に何かをきっかけに爆笑すると、その笑い声と一緒に悩んでいたこともどっかに飛んでいく感覚を体験し『笑うってすごい!落ち込んでいたこと、悩んでいたことも吹っ飛んでった!!!!』ってなりました。自分にとって大切で深刻な悩みだったけど1回笑って客観的に、もう1人の自分になって自分を見つめてみると『え、たったそれだけ?』って思ったり。違う角度から考えたら意外とラフな事だったり。そんな事に気付きました。

暗い表情だと心も重たくなる。そしたら自分の周りの人も暗い気持ちになる。でもね、笑顔でいると笑顔がどんどん連鎖していく!笑顔が広がって楽しい空間がどんどん広がる!そう気付いた私は『どんな時でも笑顔』が目標になりました。決して自分の感情に嘘をつく訳じゃなくって自分の毎日がハッピーになるために!!それから、学校や環境が変わった場所でも『スマイル』があたしのイメージなりました。笑顔でいると気持ちも明るく前向きになった!

大学の時に進路について先生と話していると『みーやんはなんでそんなに前向きなん?みーやんは落ち込む事ないん??』って真顔で聞かれました (笑) !どんな時でも笑顔でポジティブにってゆーのは自分が毎日心がけている事だから、この言葉が嬉しくて私のこと見てくれているんだなって嬉しくなりました。悩むこともあるけど、でもそれも自分にプラスになる事って考えたら楽しくなる♪言葉や会話がなくても笑顔を見るだけで嬉しい、楽しいって気持ちはすぐに伝わる!

今は幼稚園の先生になって自分の笑顔を子供達にたくさんおすそ分けしています。先生と子供は写し鏡。気持ちは常にリンクしている。嬉しいことがあると笑顔でハイタッチ。少し離れた場所でも笑顔と親指たてたグッドポーズ!で気持ちは以心伝心♪『天真爛漫』っていわれます(≧∀≦)そんな私は年中無休のハッピー野郎です!大切な人の笑顔の理由になりたい。だから、私は今日も明日も笑い声を響かせます!
宮城県 ハジっ子→さん/女性18歳
ありがとう
私は今、社会人1年目です。慣れない仕事にとても辛くなる日もあります。それでも頑張れているのは父と母の存在だと私は思います。私は反抗期があり他の人よりも少し長かったです。私はバスケが大好きで小学校から続けていたのですが中学校2年生の時から親に対する気持ちが少しずつ変わっていき、恥ずかしいとか照れくさい気持ちもあり自分が思っていることをなかなか言葉にすることができませんでした。

それでも父と母はいつも朝早くから始まり、遅くまである練習の送り迎えをしてくれて感謝の気持ちはあるのに、反抗期は徐々にエスカレートしていき次第には家を飛び出し心配をかけたり、何をするにも嫌になって生きているのも辛い日々になってしまいました。私は当たる場所もなく父と母に当たってばかりいました。そして思ってもいない言葉達が出てきてしまい、「こんな家に生まれてきたくて生まれてきたんじゃない」など悲しくなるような言葉を言ってしまい、いつも私の前では強い父であったはずのあの悲しい顔と母の涙は今でも忘れることができません。

それでも、父と母は私のバスケの試合があると自分の休みを削ってまで私の成長した姿を見るために必ず試合にきてくれて誰よりも応援してくれました。高校での卒業式の時。私は今まで言えていなかった、「ありがとう」という、たった5文字の言葉をやっと言えることが出来ました。やっと父と母の嬉し涙を見ることが出来ました。私は父と母がいつの日か私を忘れてしまう日が来ても少し悲しいけど私の1番の尊敬である人には変わりはないし、愛してくれた分、これからは少しつづではあるけど返していけたらいいなと思います。大好きな父と母に感謝の気持ちを込めて…。これからも頑張っていきたいです。
長野県 サチさん/女性29歳
失くした恋
まだ保育園に勤めていた時、東日本大震災が起こった。友だちが仙台にいて連絡が数日とれなかったけど、数日後連絡があって無事やった。被災地はいろいろあるけど、いつか宮城県のボランティアに行くと決めたけどすぐには行動に移さなくて、やっと行動に移したのは3年目の時。全然知らない土地へ、被災地のボランティアをしに行って出逢ったスタッフのあなた。最初の印象はいかつくて無愛想なやつ。でも、いざボランティアが始まると、子どものように一緒に被災地の子ども達と遊んだり、無邪気な姿を見て悪いやつではなさそうやなと思った。その時はまだ彼氏がいて、でも浮気されていてすごく苦しい時やった。恋愛相談を聞いてくれたあなたは、いつの間にか兄みたいな存在やった。「そんなやつ、別れちまえ!」そう言ってくれた。

それから1ヶ月半~2ヶ月に一回ボランティアに行きながら、行った時はいろんな話しをした。失恋からなかなか立ち直れへん私に、「我慢しないで泣けよ」って言って肩を貸してくれた時、うわんうわん1時間以上泣いたのに、ずっと肩を貸してくれたあなた。少しずつ、あなたの存在が“兄みたいな存在”から“気になる存在”になって来た。でも、あなたからすれば妹みたいな私。自分の気持ちに気付いて来たけど、何事もないように、今まで通りを装った。でも、会えば会うほど惹かれていった。京都と石巻。距離もあるし絶対叶わへんよねって思っていた。やから、両想いやってわかった時は嬉しくて嬉しくて仕方なかった。でも、だから付き合うかというと、すぐにそうはならなかった。付き合えるかどうかもわからへん。でも、好きな気持ちが溢れて来て、仕事辞めてあなたのいる街に引っ越した。被災地の子ども達の為にも働きたかった気持ちは強かった。やから迷いはなかった。

でも、あなたには他に気になる人が出来てしまって、私の想いは一方通行。それでもあなたは世界でたった一人やから、諦めたくなかった。この人と一緒にいたい。この人がいい!そう思っちゃったから。付き合ってなかったけど、引っ越してからはよく買い物に行ったり、ごはんを作ってくれて食べたりしたね。いろいろ浮き沈みはあったけど、想いは募るばかりやった。やからまさか、自分の誕生日の日に「結婚前提に付き合って下さい」って言ってもらえるなんて思ってなくて、嬉しくって嬉しくって涙が溢れた。あの時作ってくれていたバースデーケーキの味は格別やった。ぶつかる事もあった。喧嘩もした。楽しい事もあれば、辛い事や苦しい事もあった。でも幸せな時間はたーくさんあった。ずっとずっと続いて欲しい。一生を共にしたいと思った。お互いの想いが同じ瞬間は確かにあった。

でも、同じ方向を向いていたはずの2人やったけど、いつの間にか、あなたの気持ちは変わっていって、「別れよう」って言われてしまった。まだまだ未熟な自分やった。ごめんね。でもありがとう。もう好きな人なんか出来ないって、前の失恋の後は本気で思った。それでも、「あなたしかいない!」って、大好きってまた思えた自分がいて嬉しかった。不器用でごめん。でも、お互い一生懸命向き合おうとしたよね。あなたに出逢えてよかった。もう戻れないけど、あなたやからまた好きになれた。別々の道をこれからは歩んで行くけど、またお互いがそれぞれの場所で笑えていたらいいよね。今はまだ辛くて、苦しくて、悲しいけど、同じ方向を向けなくなってしまったんやから、受け止めてみせるよ。ただ、大切で大好きな人でした。ごめんね。でもそれ以上にありがとう。元気でね!…と、最近結婚も約束していたけど、別れたのでこんな気持ちで思っています。でも、悲しいだけじゃなくて、最後はありがとうで終わりたい。大好きになった人やから、悪口は言いたくない。強がってでも、そう思う。ただ、今はやっぱり悲しくて苦しくて辛い。それだけまた愛せる人と出逢えた事、幸せやなと思います。
三重県 えぷさん/女性18歳
気付いてほしい
私には好きな人がいます。しかもその人は18歳も年上の人です。いつも何かあったら 二人になれる空間を作ってくれて話をちゃんと聞いてくれます。ときには頭をポンポンしてきて「大丈夫」と、いってくれます。その人には彼女がいるかわかりません。けど男女問わず友達が多いのです。それにその人の女友達にはきれいでかわいい人が多いです。子どもの私が眼中にいないのもわかっています。年的に、もうそろそろ結婚してしまうと思うので、私がかわいくなったり、色々努力した頃には結婚しているかもしれません。叶ったらいいなと思いますが、叶わない恋だとほぼ確定しているので諦めようと思うけど、好きなので辛いです。
奈良県 あーしゃんさん/女性30歳
人生を考える
高校の時、周りについていけなくて引きこもりになった。自分だけが取り残されたみたいで、自分の周りだけが真っ暗で、どこに向かって歩けばいいのか分からなかった。親や友達、周りに八つ当たりして、他人を羨んではないものねだりして。私らしいって何だろうって、生きている意味って何だろうって、ずっと考えていた。そんなの答えなんかないのに。消えてしまいたいって、死にたいって、口に出せずに周りの目ばっか気にして。それでもそんな思いをしたから、今の自分があるってことを忘れない。私はそれも私の一部だと受け入れてこれからを生きていく。そして死ぬ時に色々な答えがわかると思っているから。
山形県 ゆーちゃむさん/女性33歳
危険な恋
【彼】と出会ったのは今から13年前。いわゆる出会い系サイトだった。当時の彼氏とうまくいってなくて、彼氏へのあてつけのつもりで書き込んだ投稿に連絡をくれたのが【彼】だった。会うつもりなんて全然なかったのに気付いたら会う約束なんてしていて、彼の積極性と自分の流されやすさに驚いたことを覚えている。初めて会ったのはパチンコ屋(笑)お互いスロットが好きで自然な流れで「じゃあ一緒にスロット打ちに行こうか」って流れになっていた。どんな人が来るんだろう…めっちゃおじさんだったりして…変な人だったら速攻逃げよう…とか口から心臓が飛び出るんじゃないかって位ドキドキして、自分で自分の鼓動が聞こえる程だったことを今も鮮明に思い出す。後ろから「こんにちわ」って声がして振り返ったら向日葵みたいな笑顔で立っている【彼】が居た。きっと一目惚れ。今も思うと、きっとじゃなくあたしの人生、最初で最後の一目惚れだった。

想像と全く違う人物像に益々心拍数は上がるし、何話したかも覚えてない位緊張したけど、スロットを打ちながら色んな事を話した。スロットなんて全くおまけで、私の仕事のこと、彼は私より2歳年上でまだ学生だって事、帰省中で横浜に住んでいる事、いつか地元に帰ってこようと思っているって事、学生時代水泳部で今も大学で水泳をしている事…本当にたくさん話したっけ。そんな話の中「地元同じなら共通の知り合い居たりして?」って話になって出身高校、出身中学の話になったらなんと同じ中学校の2つ上の先輩。彼はあたしの事は覚えてなかったけど、あたしはしっかり覚えていた。中学の頃なんて話したこともなかったけど憧れの先輩だった。あたしの初恋だったから。

出身が一緒なんて益々話に花を咲かせて、パチンコ屋を後にして、そのまま夜のドライブをして、海で朝まで話したね。初めてのキスもその時だったね。本当に昨日のことみたいに鮮明に思い出すよ。そんな幸せでドキドキした時間は長く続かなくて【彼】が横浜に帰ったら連絡はパタっと途絶えた。今みたいにラインが有るわけでもなく、メールを一方的に送る日々。付き合っているわけでもないし、あたしだけがドキドキしていたのか…って凹んだっけ。でもあたしにも彼氏が居てきっと【彼】にも彼女が居て…。地元の都合のいい女だったんだ。って納得しかけた頃に「来週地元帰るよ」ってメールが来て…。帰ってきた時だけ連絡きて、遊んで横浜に帰ると「忙しい」とか「疲れているから」とかそんな理由で連絡来なくなった。その度に遊ばれているし彼氏も居るからもう止めよう、って思っていたのにいつの間にか「遊びでもいいから、都合のいい女でもいい」って思うようになった。

そんな矢先、私は彼氏からプロポーズされた。悩みに悩んで彼に気持ちを伝えることにした。もし、【彼】が私と同じ気持ちならすべてを棄てて【彼】と歩もうと思ったから。【彼】に「私プロポーズされたの。でも貴方が好きだから悩んでいる。気持ちを聞かせてほしい」ってメールしたら案の定返信はなかった。電話もしてみたけどいつかけても留守電だった。やっぱり【彼】の気持ちはあたしにはなかったんだ…都合のいい女だったね。って自分に言い聞かせて自分の気持ちを消化したの。それから数年。彼とは連絡も取らず彼から連絡もなく。結婚し子供も生まれて人並みに幸せな日々を送っていた。そんな時携帯に1通のショートメール。知らない番号…「帰ってきたから」ってたった一言。そして見覚えのなる名前。【彼】からだった。正直嬉しかった。でも素直に嬉しいなんて言えなくて「なんで今さら?あたしの気持ち完全に無視して自分の気持押し殺したのに。」って…「今さら何?あたしは結婚して子供も居る。あたしの気持ちは数年前に伝えたのにそれっきり。遊びなら遊びだって言ってほしかった」って思いの丈をぶつけたね。【彼】は「ごめん。幸せにできる自信なかった。ずっと好きだったよ」なんてきれいごと並べるもんだから「信じられない!」って一方的に連絡を絶ったのはあたしだった。まだ本当は好きだったんだって思い知らされて涙が出た。

そして3年前。偶然職場で【彼】に再会した。私の会社に営業で来たのが【彼】だった。受付に居たあたしは平静を装うのに必死だったけど心臓が飛び出しそうなくらい動揺していた。その再会をきっかけに何方からともなくまた連絡を取り合うようになった。暴力を振るう旦那と離婚しようと思っていたから、弱っていた心の隙間を埋めて欲しかったんだと思う。【彼】もまた連絡を取り合わない期間に結婚し、離婚を経験していた。【彼】が離婚した直後に再会したから【運命だね】って言っていたっけ。いけない事だって分かっていたのに…不倫とか最低って毛嫌いしていたのに…自分が当事者になったらそんな罪悪感が薄れて優しく包み込んでくれる【彼】のいる生活から抜け出せなくなっていた。でもあたしの離婚はまだ成立していなくて【彼】と会う時は旦那に「仕事」とか「友達と飲みに行ってくる」とか理由つけてこっそり出掛けていた。

あたしの誕生日には北海道に旅行に行った。半年記念にはディズニーに泊まりで出掛けた。冬のイルミネーションを見に行った。本当に思い出がたくさんある。本当に傍目から見たら普通のカップルだったんだ。【彼】にディズニーで「信じられないかもしれないけど、俺出会った頃からずっと好きだったんだよ。本当は横浜に連れて帰りたいって思ったけどまだ学生でバイトに学業にあって…マメに連絡もしない俺が偉そうなこと言うなって思うかもしれないけど。お前が結婚するって連絡してきたときもショックでさ。何も出来ない自分が情けなくて。どうやって俺の気持ちを伝えようか悩んでいるうちに連絡できなかった。ごめん。こっち戻ってきてお前の会社で再会した時は本当に運命だって思った。話すうちにお前は悩んでいて…今まで俺がしたくても出来なかった(お前の力に、お前の支えに)今ならなれるんじゃないかって。本当に嬉しくて…俺すんげー遠回りして大切な存在を失いそうになったけど…もう手放さない。俺についてこい!一生お前を幸せにする!離婚するまで何年でも待つから!もしお前が俺のこときらいだって言っても俺はずっと好きで居るから…だから……………俺と結婚して下さい!」ってプロポーズされた時には本当に涙が止まらなかった。

でもそんな幸せな時間は長く続かなかった。ずっと続くと思っていたのに…このまま幸せだなぁって思う日々だと思ったのに…。別れの時は本当にいきなりで音を立ててあたしの気持ちを足元から壊していったの。【彼】にはあたしの他にも【彼女】が居て、その【彼女】からあたしの携帯に「人の彼氏に手を出さないでもらえますか?不倫のくせに」ってどストレートなクレームが(笑)もう笑うしかなかった。涙すら出なかった。あたしも離婚していないから【彼】のやったことをとやかく言えないし。あたしに「なんで他に女がいるの?」なんて彼に言う権利はないって思った。【彼】には「彼女のこと大切にしてあげてね。人の彼氏に手を出すな、なんてなかなか言えないよ。」って送った。本当は汚い言葉並べて罵倒したかったけど、あたしに言える資格なんてなかったから。その後【彼】との連絡手段は全て断った。電話番号も変えたし、SNSも止めた。仕事もやめて【彼】との接点は全て断った。もう二度と会うことがないだろう…。本当に苦しかったし「不倫」なんて許される関係じゃないけど本当に愛していたから。何度も重ねた唇、触れ合った肌のぬくもり、【彼】の香り…思い出す度に涙が止まらなかった。何度もハジーの「夜空。」を聞いて夜を明かした。泣いても泣いても涙は枯れなくて自分だけが終わりのないトンネルに居るようだった。

【彼】に出会わなかったらこんなに辛くてしんどい思いはしなかったと思う。でも【彼】に出会わなかったらこんなに真っ直ぐに人を愛することも知らなかった。別れて一年。【彼】の面影も思い出せないくらい色褪せてしまったけど、今なら言える。【彼】に出会えて本当に良かった。許されない恋だったかもしれないけど【彼】を好きになった気持ちは本物。【彼】を好きになって【彼】を愛せてあたしは本当に幸せだった。叶わない恋だったけど、許されない恋だったけどあたしは本当に幸せだったよ。【彼】はどう思っているかな…同じ時間少しでも同じ気持ちで居てくれていたらいいな。いつかまたどこかで出会えることを願って…。
新潟県 ペンギンさん/女性30歳
気付いてほしい
結婚して子供が産まれたら忘れると思っていた恋。未だに忘れられない。友達の紹介で知り合った年上の彼。片思いして3年。片思い中は何回も振られた。何回も遊ばれた。片思い中、彼に彼女が出来たりしたこともあった。辛くて辛くて何度も諦めようと思ったけどすごく大好きで諦められず…出会って3年目。彼の妹さんが病気で亡くなった。彼は死にたいと何度も言うようになった。俺のせいで死んだんだと毎日言うようになった。毎日の様に一緒にいて何もしてあげられないけど一緒にいることで安心してほしかった。彼もあたしに心を開いてくれるようになった。

月日が流れ彼から「付き合おっか」と一言。ようやく実った恋。これがあたしの初めての彼氏。毎日一緒にいたりお出かけしたり旅行に行ったり2人で幸せでした。付き合って4年が経ってお互い結婚を意識するように…お互いの親にも会い結婚秒読み。しかし、彼の浮気が発覚。彼からの告白で知ることに。お前も好きだけど浮気相手も好きと言われ…泣き崩れたあたし。天秤にかけられるのは嫌だったからあたしは彼の背中を押した。行っておいでよ!だめならあたしのところに戻って来ればいいよ。ずーっと待っているから!と送り出した。

後悔しかない。自分の気持ちに素直になれなかったあの日。戻れることなら戻りたい。素直に気持ちを伝えたい。行かないで…と。その後、彼と浮気相手は付き合い結婚することに。彼が結婚する前に彼に呼ばれ会うことに。あの時はごめんな。お前を置いていってと何度も謝れる。今も好き。大好き…と言いたい。伝えたいのに言えない。今、会うことが出来るなら素直に気持ちを伝えたい。大好きだよ。今でも待っているよ。って。
千葉県 夏蓮さん/女性16歳
青春の思い出
大好きで片思いしていた先生が、定期異動で違う高校に行ってしまうことに。なんとかLINEはゲットできたもののあまり連絡するのも迷惑かな、と思いほとんど使っていませんでした。それから暫くして中間テスト一週間前になりましたが、テスト期間中に部活の大会があったので勉強時間がいつもより圧倒的に足りなくて。色々なストレスも相まって「ああ今回のテスト終わったな」と、部活の帰り道泣きそうになっていると…突然鳴ったスマホ。部活の顧問からの電話で「お前が会いたがっている人が隣にいるから変わるぞ」と。本気で誰だかわからず取り敢えず待っていると…『○○(本名名字)~』と電話口から聞こえてきたのは大好きな先生の声。

嬉しすぎて泣きました。その電話のおかげか(絶対ありました!笑)テストも上手くいき友達からは「愛の電話だ」とからかわれました笑。先生と生徒という立場上、おおっぴらに好き好き言えない。私の本気の気持ちが先生に伝わっていたかどうかもわからない。それでも。嬉しすぎて泣きじゃくる私に苦笑いしながら『これからもお前らしく頑張れよ』と言ってくれたの、ずっと忘れませんよ。先生みたいなステキな人に恋できて、幸せでした。流石に外ではバレたら恥ずかしいのでできませんが(笑)家では未だにスマホのホーム画を離任式の日に撮った先生とのツーショットにしているのは私だけの秘密です。
広島県 なつさん/女性23歳
出会いと別れ
初めまして。なつです。先に言います。ほんとに長くなります。すみません。現在進行形の話です。歌にしなくてもただこういう恋愛もあると聞いてもらいたくて投稿させていただきました。私は今2人の男性を好きになっています。1人は遠距離恋愛している人で、もう1人の人は会社で出会った人です。遠距離の人とはサイトで知り合いました。彼は最初、私が住んでいる所まで引っ越してきて、少しの間でしたけどほぼ同棲していました。けどお金の事や色々あり彼は地元に帰っていきました。それから彼と遠距離恋愛になりました。寂しくて辛くて毎日が長くて毎日が会いたかった。仕事でしんどい時傍に寄り添って話聞いてほしかった。けど彼はまだ19歳。友達と遊びたいし自分の趣味を選ぶのは仕方ない。そんな時に会社で挨拶した相手がもう1人の人でした。

知らない人なのに挨拶しただけなのに、もう1回会いたいと思い、次の日出勤すると遠くからその人を見つけました。そしたら相手も私を見つけて手を振ってきてくれました。少しびっくりしたけど嬉しかった。その日から会わなくて、ずっと会いたいと思いながら半月が経ったある仕事終わり、帰ろうと車にエンジンかけて行こうとしたらその人が歩いていて、何故か(今しかない)と思い窓を開けて大声で「お疲れ様です!」と言ったら驚いた顔をしたあとその人は私の車の後部座席に乗り込んできました笑。最初はチャラ!って思ったけどなんか喋りやすくて会社の駐車場で日が回ってもまだ話していました。「明日もしまた会えたらお互いの連絡先交換しよ」と約束をし帰りました。けど何回か会ってもなかなか交換せず、ダメだったのかなと諦めようとしたホワイトデーの日、仕事終わりその人とご飯を食べに行きました。その帰り彼からやっと連絡先を教えてくれました。

ある日、会社で嫌な事があって泣いた日彼は仕事休みなのに関わらず、会社の駐車場まで来てくれました。特別な言葉はいらない。けど傍に居てくれて話を聞いてくれた。遠くにいる彼にはすぐには言わなかった。その日から嫌な事があるとその人に電話をした。「また泣いとんじゃねんじゃろ?笑」って。「そこまで頑張る会社じゃねぇけ」って。私はその人が居たから頑張れたし、癒された。満たされていった。だけど当時本命は遠くにいる彼だった。その何ヶ月後遠くにいる彼から急に電話も連絡もなにも返ってこなくて、意味がわからなくて私は3日間ひきこもってほぼ1日中寝転んでご飯も食べてなくてずっと泣いていました。けどこれじゃいけないと思い、彼にもらった物や飾っていたユニホームを見えないように隠して片付けました。けどなにしてもどうしても忘れられなくて辛かった。その時、私の心を支えてくれていたのはもう1人のあの人でした。もうこの人を選ぼうかな、この人となら幸せになるんかな、と考えた。

そう決心しようと思って心も復活しそうな時に遠くにいる彼からいきなり連絡が来ました。「なつ、一言言いたいことがある、気が向いたら返事返して」と。心臓がバクバクして信じられんくて嬉しいと同時に、(なんで今なん、)て思ったまま「なに?」と一言で返すと長文で謝りのメールが来ました。やっと分かってくれた、って思った内容でした。その時から今も彼と続いています。彼とは付き合った時から将来同棲して結婚を約束した仲です。親とも会いました。不安だったけどその言葉を信じて付き合っていました。今、彼は大手企業で働くためもっと遠いところに行きました。私の為と言って、けど、正直私は、ずっと支えてくれたあの人が好きなのかな、とずっと悩んでいます。けどその人からは告白もなくて、私の事どう思っているのかなと。日に日にその気持ちが強くなっていって今日その人に「うちのことどう思っとん?正直前々からうちを好きと言ってくれる人がおるんじゃ、けどうちはどうしたらいんか悩んどる。こんな短気でわがままなうちじゃけ嫌なんかなと思ってなかなか言えんかった、」と言いました。

その人は「約4ヶ月ずっと不安に思わしとったんじゃな。出会ってすぐ仲良くなっていってなかなか言うタイミング失っただけ。ほんとに。俺がちゃんと言わんかった罰じゃ、明日会ったときちゃんと言います」と言ってくれました。嬉しかったし、私もちゃんとしないと、と思いました。明後日6月17日、私の誕生日で私は24歳になります。その人は33歳です。私の誕生日1番、お祝いしてほしかった人は会いに来てくれなかった。悪い人だったら好きになんかならんかったのに。浮気されとったほうがマシだった。今さら連絡してこんでほしかった。うちはどうしたらいいん。どうだったら幸せになれるん。両方傷つけたくなくて、自分も傷つきたくない。そんなクズみたいな考えで卑怯な自分。けど一人一人ほんとにちゃんと思い出がある。全てはうちが悪い。でも決心しないと。最後まで読んでくださって本当にありがとうございました。
神奈川県 sayakaさん/女性25歳
ありがとう
初めまして。25歳、男の子二人を育てるシングルマザーです。長くなってしまいますが、目を通して頂けたら嬉しいです。小学校5年生の頃(姉中1、妹2歳)両親が離婚。三姉妹母についていきましたが、義理の父親から身体的虐待を受けました。そして小6の秋頃母が学校まで迎えに来てくれ、1度は逃げたのですが、母の要望で自宅に戻り次の日には三姉妹で家を追い出されました。父に連絡を取り迎えに来てくれ、半年ほど経った頃私たちの住む家にまで押し掛けてきて警察、児童相談所も動き施設へと入りました。半年後、父の元へ帰るときには、まだ3、4才だった小さな妹はいませんでした。一人別の施設へと行ってしまいました。

父のもとには義母、義弟がいて、はじめの頃は仲良く過ごせ幸せな毎日でしたが、低学年になった妹が施設から戻ってきたとき、義母による妹への虐待が悪化し、庇う私への精神的虐待。家族全員から無視され、自宅で声を出すことはなくなりました。耐え兼ね18歳の秋、児童相談所との相談の末家を出ました。その後3つの施設に入り、貯金をして19で独り暮らしを初め、21歳長男を未婚で出産。24歳、結婚を約束した人との子を妊娠しましたが、子供が出来ると「おろせ」「誰の子だ」と言われ、結局また未婚で産むこととなりました。

産婦人科の看護師をしている人だったのに、自分の事と仕事は別なんだなと思いました。次男は入籍前にこの事に気付かせてくれるために、こんな私のところへ来てくれたと思っています!長男妊娠時もアルコール中毒になり、荒れていた頃でした。(そのころいつも「証。」聞かせてもらっていました)子供達が私を母にしてくれ、私を強くしてくれました。ホントに私の人生の宝物で、この子達の為に前を見て胸を張って生きていこうと思えます!

人生良いことばかりではないですが、乗り越えられる人の所にしか困難は来ないと母に教えられたので、きっとどんな困難でも乗り越えて行けると思っています!産んでくれた母に凄く感謝していますし、父も大好きです!いつか1回だけでも私の大切な子供たちに会って欲しいなと思っています。長くなってしまい申し訳ありません。まだまだ聞いてもらいたいことも沢山ありますが、ここで失礼します。目を通して頂きありがとうございました!!
千葉県 チイコさん/女性36歳
亡くなった娘のこと
私は二十歳の頃から、病院で、妊娠出来にくい体と言われてはいましたが、特に治療はしませんでした。そして三十路を過ぎて結婚。妊娠出来にくいと言われ続けていた私が自然に妊娠。子供が大好きな私は嬉しくて涙が溢れました。定期検診も問題はなく、先生達に『本当によく動く元気のいい子だね』と言われていました。そして臨月。陣痛が来て病院へ。もう産まれてくるという時に『もうすぐ会えるからね。頑張ってね』と言われ、やっと娘に会える!と思っていました。そして出産。赤ちゃんが泣かない…。

私は動けない状態だけど、明らかに先生達が動揺しているのがわかった…私は泣きながら『○○ちゃん(もう産まれる前から名前は決めていました)、頑張って!頑張って!』と。けど娘の産声が聞けなかった…。そして赤十字病院へ先生が赤ちゃんと先に向かい、私は後からタクシーで看護士さんと向かった。

着いたら先生に赤ちゃんの状態の説明をされた。重症新生児仮死状態…常位胎盤早期剥離…もう聞いただけで涙が止まらなかった。通常は出産後に胎盤が剥がれますが、胎盤が先に剥がれてしまい、赤ちゃんに酸素がいかなくなってしまうという、産まれる時に稀に起こる病気に。

心臓も自力で動かせないから機械で動かしていた。私が泣きながら○○ちゃん、頑張ってと言っている途中で先生から選択をしてくれと…さっき産まれたばかりなのにやっと会えたのに…けどもう助からない、選択をして下さいと言われ、楽にしてあげて下さい…って号泣しながら言いました。火葬の前日、初めて我が家に娘が来ました。その日しかないので、朝まで一緒に見たかったアンパンマンを観たり、一生分の写真を撮りました。

ずっとずっと、周りの同じ歳の赤ちゃんを見るのが怖くて苦しくて辛かった。けど、常位胎盤早期剥離は母親も命の危険があるのに、私は何ともなかった。私の娘が私を助けてくれたのだと思います。『ママは生きて!』って言ってくれたんだと思う。そして私もママになれるんだよ、出産出来る体だよ!って教えてくれたのだと思いました。
茨城県 あやcさん/女性27歳
ありがとう
祖父にありがとう。祖父が42歳の時に私の母が産まれました。私の母は18歳で妊娠、19歳で私を出産しました。平成3年、私は産まれました。私が生まれたとき、祖父の家から20分くらいのアパートに住んでいました。まだ若い父母は毎日仕事をしていました。祖父は初孫である私が大好きだった為、生まれてすぐに近所の百貨店で買った赤ちゃん用のカゴを車に積み、毎日迎えに来てくれていたそうです。年中さんの歳になるまでは母が仕事の間はずっと祖父母が私の面倒を見ていてくれました。近所の小さな洋服屋さんでよく服やおもちゃを買ってくれました。年中さんになり、私は保育園に入りました。時々祖父母が迎えに来て、よく近くの温泉に連れて行って貰ったことを覚えています。私が小学校にあがる時に私の父と母は離婚をしました。離婚と言うと寂しいイメージがあるのですが、私は寂しくなかったのです。母は私を養う為に仕事が忙しかった為、私は大好きな祖父母と一緒に住むことになりました。

雨の時や電話した時には必ず迎えに来てくれました。スーパーに行くとおやつを買ってくれました。いつもそばに居て私を見ていてくれました。私が4年生になる時に母は再婚をして、新しい父と一緒に住むことになりました。そして妹も産まれました。祖父母とは別の家になってしまったけど、週末にはよく泊まりに行きました。中学生になり、部活が忙しくなった私は泊まることは出来なくなりましたが、休みの時には母と妹と3人でよく遊びに行きました。高校になってからはバイトが始まり、土日もバイトがあったのであまり会いに行けなくなりました。妹と母はよく行っていたので、その度に私にもと何かしら持たされて帰ってきていました。短大に入ってからも時々しか会いに行けない日々でした。

私が就職をして親の車を貰うことになりました。昔にタイヤ屋さんをしていた祖父はタイヤの種類や山には厳しい人でした。私の為にいいタイヤを買ってくれました。保育士で土日は休みになっているので、よく会いに行きました。仕事が始まり、2年目に入った4月、もともと喘息などの持病があった祖父は夜中に呼吸が苦しくなり、救急車で運ばれ、入院をしました。喘息の発作や肺炎などで入院はたまにしていたのですがその時は違いました。酸素がうまく頭に回らなかったようで少しボケたような状態になっていました。会話はできるのですが、たまに言っていることがおかしかったり。毎週土日はお見舞いに行きました。酸素チューブだけでは呼吸が出来ない為、口からの呼吸器がつき、最終的には喉にこきがついていました。麻酔も使っていたようで、眠っていることもありました。

5月に入り、私は風邪を引いてしまった為に、私は少しの間はお見舞いに行けませんでした。6月になり、私は元気になったのでお見舞いに行きました。その日は手を動かしたり、意識もある日でした。いつも帰る時は祖父が寂しくならないようにそっと帰るのですが、その日は、祖母が帰ることを祖父に伝えてしまいました。祖父は寝た状態でしたが手を振ってくれたので、また来週来るからね!と伝えて帰りました。その日の夜中に呼吸がまた出来なくなってしまい、祖父は天国に旅立ちました。久しぶりにお見舞いに行く数日前に調子がよかったようで字を書いていたようで、その書いた紙を見て私はびっくりしました。そこには「あやしごと」と書いてありました。私がお見舞いに来ないのが寂しかったのかもしれません。お見舞いに行けない私のことを思ってくれていたのです。お葬式が終わるまでは毎日祖父母の家に泊まり、昔のように祖父母に挟まれて眠りました。お葬式が終わり、とても寂しくなりました。

祖父は出かけることが大好きでテレビで放送された場所や雑誌にのっている所など、小さい時からいろんな所へ連れて行ってくれました。妹が生まれてからも体調が良ければ電話をかけてきたりしてお出かけをしました。祖母はたくさんの写真を撮ってくれていました。私にはたくさんの楽しい思い出が残っています。いろんな場所に行っていたので私はいろんな道を覚えることが出来ました。とある時、友達を乗せて車を運転していると、霊感がある友達に後ろに誰か乗っているよと教えられました。容姿を聞いてそれは祖父だと思いました。目には見えないけど祖父はいつもそばにいてくれるんだと感じました。今の私があるのはもちろん母や二人の父が育ててくれたこともありますが、それ以上に祖父母の存在があったからだと思います。私が生まれてからいつも私のことを考えて優しくしてくれた祖父が私は大好きです。人生で大きな支えになってくれた祖父にありがとうの気持ちでいっぱいです。
静岡県 tourimmさん/女性16歳
気付いてほしい
とても仲の良い友達。グループでお泊まり会もした。家に帰ればTwitterで会話。中学2年生の時、お互い付き合っている人がいた。「前にお前のことが好きだった」と言われ、「私も好きだった時あるよ」と答えた。それから恋人ように会話をしたり、2人で出かけるようになった。その時、別れたら俺と付き合ってと言われ、私は付き合っていた人と別れた。でも、その人はまだ付き合っていてそれでも関係は続いていた。告白しても振られ、諦めようとしていた。学園祭が終わった次の日に告白された。滅茶嬉しかった。でも、いろいろあって別れた。それでも好きで、高校が同じだからもう一度アタックしようと思い、告白をした。付き合えた。今でも充実した毎日を送っている。絶対に諦めないことが大事だと思った。
大阪府 KADEさん/男性25歳
人生を考える
私はすごくマイナス思考な人間でした。その私でも唯一すごく夢中になっているものかありました。それは野球です。その野球をするキッカケは父親とのキャッチボールでした。興味を持ち始め、小学3年生の時に地域のクラブチームへ入りました。そこで、今の親友と出会いました。出会った当時、私は背が高かったので小さかった親友をチビと呼んでいました。中学ではクラブチームへ親友と一緒に入り、私がエースになりました。高校では親友とまた同じところに行きました。寮生活をして親元を離れ3年間野球に没頭した毎日でした。ですが、正直その高校生活が1番苦しかったです。1年生のときは、付いていくことに必死でした。いろんな規則、上下関係、人間関係に悩まされる日々を送りました。時には陰で厳しい指導も。2年生では上下の学年がいる中、仲裁を取り、3年いよいよ自分達の代で意気込んでいた矢先、春の大会で肩を怪我し、投げることができなくなりました。プロのスカウトの方が観に来てくださっていたので、それでも痛み止めを打ち続け、投げていましたが、もう手に力も入らないくらいになり、夏の大会前に、投手を諦め、大会のベンチにも出られず、高校も一回戦負け。正直野球での良い思い出が全然ありませんでした。

ですが、それでも諦め切れず、大学でも野球を続けましたがもう一度肩を潰して、挫折してしまい。夢を追いかけていた心はもう自分の中から消えていました。野球だけで生きてきた自分には何が出来るのかも考えましたが、中々見つからず、ただ学生生活を送っていました。ですが、あるキッカケで今でも追いかけている夢を見つけることができました。それは海外への興味です。親友がいきなり、「俺、英語話せるようになったらカッコよくない?」と言ってきて、それを聞いた私は「何それ。めちゃめちゃカッコいいわ」と思ってその旅立った背中を追っていくように、私も外の世界へ行きました。初めての海外が留学だったのにも関わらず、元々寮生活をしていたので、親元を離れる不安はなく、好奇心、高揚感全てのプラスの感情がそれ以外の不安を一掃してくれていました。野球を失くして、夢を見なくなったは私を心配してくれていた親父に、勝手にビザを取り、勝手に休学届を出し、勝手に野球部も辞め、勝手に航空券を取り、目の前に出した時の顔は今でも忘れません笑。色んな感情が出たんでしょうね。こういう思い立ったらすぐ行動してしまう、私とは真逆の父親の性格を見ているともどかしさも感じていた私はどこかやってやったと思ってしまい。その時の親父の顔はすごく好きでした笑。

海外では毎日が素晴らしい世界が広がっていました。何もかもが新しくて、刺激的で、楽しくて、人はあったかくて、心臓は野球で鍛えてきて良かったな、ってそのとき初めて野球をしていて良かったなと思いました。そしてこの先も海外へ行き続け、最終的には日本と海外を行き来できる仕事をしたいなと思っています。何が言いたいかは父親、親友、今まで出会ってきた人達がいるから、今こうして、みんな一人一人の夢を追いかけて続けられるのかなと感じます。今まで自分がしてきたことは、絶対意味のないことはないし、これから先の自分に力をくれる原動力となるんだなと感じています。恋愛、仕事、趣味様々なことに影響を与える自分のモチベーションや、自分の心の力。野球をしていた時の自分ではなく、やりたいことをやって何が悪いんだ、どうして人の目なんか気にするのか、それを否定されて悔しい気持ち、寂しい気持ち、全てを今にぶつけていけたら、もっともっと楽しい、素晴らしい人生になるんだろうなと思います。もっと私らしくポジティブに笑顔で生きていき周りも巻き込む人になることが私の夢になりました。
愛知県 くみっきーさん/女性43歳
ありがとう
私があるのは娘と主人が居てくれているおかげです。私は今年の3月まで1人で子育てをしていました。今の主人とは再婚です。主人と出会ったのは1月です。その頃の話を書きたいと思います。出会いは今で言うネットです。私は娘をお腹にいる時から1人で育ててきました。今娘は6歳なので約6年間1人で育ててきました。産む時も1人育てるのも1人。頼る身内も居なく保育園を探し生後6ヶ月で入園させました。それでもやっぱり1人で育てると言うのは難しく国の援助を借りながら働きました。最初わけも分からず泣きじゃくる娘の顔は今でも忘れません。でも卒園まで頑張って娘は通ってくれました。そんな笑顔がたえない娘が私の元気の源でした。

でも今年の5月頃にネットで人と会話するというファンライブというものに出会いました。私が配信すると数人の人が来てくれてスマホにコメントしてくれる。今まで娘と二人っきりだったため人の話すことなんてなかった私なので、ネットとはいえみんなが見に来てくれてコメントしてくれる事が楽しくて仕方なかった。そんなこんなことを年末までやっていてリスナーさんと呼べる人が何人も出来ました。今の主人も年末くらいから来てくれるようになりました。その時はたんなるリスナーさんの1人でしかなかった。

そんな主人が私の誕生日に突然サプライズを計画してくれて。年が明けた頃から直に連絡は交換していたんですが会うとなったら別で、まさか会えるの?とか思っていたらほんとに初対面なのに1月の私の誕生日にケーキやシャンパンを買ってきてくれて。後々聞いたんだけど、そんなサプライズを企画した主人は私がこの数年間、子供としか誕生日を祝ったことなくケーキすら自分で買っていた事を知っていたので、ってか仲良くなるうちに私が配信の中で話していたんだけど(笑)そんな私を同情?みたいな感じで頑張ってきた私を励ましたい気持ちでおめでとうって言いたかったらしいです。めちゃくちゃ嬉しかった。娘とニコイチで頑張ってきていたので他の人からおめでとうを言われることが。

それ以降、彼が週末になるとこちらに遊びに来て娘とも遊んでくれました。娘も最初は戸惑っていたんですが、彼が子供好きと言うこともありすごく懐いて「今度いつ来るの?」など聞くようになりました。彼の方もサプライズ以降気持ちはもう決まっていたらしく同情から家族になろう…。最初はこの親子の助けになれば良いとくらいの気持ちが会うにつれて家族になれたら良いなと。私は少し考えました。付き合う=結婚にならないかと。彼の中ではその気持ちは固まっていたらしいけど、私の中では少しためらいがあり好きだけど結婚となると…ニコイチで今まで頑張ってきてた私には助け舟。娘にも今まで寂しい思いをさせてきたのでたしかに良い話とも思った。けど踏み切るには相当覚悟がいる話。

踏ん切りがついたのは娘の笑顔でした。今までも私との生活で笑顔はいっぱい見てきました。それでも彼と遊ぶ娘の笑顔は人一倍でした。この彼なら娘とも上手くやって行けると思えた笑顔でした。そこで私は娘に聞きました。今ママとことみはニコイチだけどサンコイチになったら嬉しい?って。そしたら迷わず娘はサンコイチの方が賑やかで楽しいよって。今まで私にあまりわがままを言わなかった娘が彼にはめちゃくちゃ甘えて懐いてやっぱり父親って存在が欲しかったんだなぁっと思い彼からのプロポーズを受け入れました。ニコイチからサンコイチに。出会いはネットで出会ってから数ヶ月しか経ってなくても今、私はものすごく幸せです。娘の笑顔、主人の笑顔がサンコイチのおかげで手に入ったから。今、世間では再婚相手の男性が連れ子に虐待して…なんてニュースが絶えません。でも主人は全くそんな心配はないと言いきれます。娘とも仲良くほんとの親子さながらです。周りからみたら実の親子そのもの。この子を1人で産んだ時には考えられなかった今の生活。私達家族の合言葉サンコイチ。3人でひとつ。今笑顔がいっぱいの家庭で私も頑張ることができています。主人と娘に感謝です。ニコイチからサンコイチ。3人の幸せを今噛みしめています。
沖縄県 愛さん/女性28歳
ありがとう
私は、南の島、石垣島出身です。今回の企画をみて、ありがとうを伝えられたらと思い投稿させていただきました。私は石垣島で生まれ、育ちました。当時は、小さい島で、どこに出掛けても、友達や親戚に遭遇する小さな島が大嫌いでした。都会に憧れて、早くこの魅力のない小さな島から自立したい、都会に行くんだ!と思い過ごしていたことを覚えています。母は看護師をしており、仕事をしながら、祖父母の面倒をみながら、私たち兄妹4人を育ててくれました。

母の姿をみて、自然と同じ看護師を目指していました。高校3年生18歳の誕生日、その数日前から母と喧嘩して、口も聞いていない日々が続いていました。毎朝お弁当を作ってくれていた母に、嫌味に思って、お弁当を置いて学校に行った日もあります。誕生日の日の朝も、喧嘩したままですが、お弁当が置いてありました。喧嘩しているなら、嫌々、作らなければいいと思いながら持っていきました。お昼にお弁当を開けて、驚きました。“18歳お誕生日おめでとう、今日で18歳になりましたね。来年からは、進学して一人暮らしです。毎日、愛とは喧嘩ばかりだけど、よき話し相手でもあります。これからも、よろしくね!PS家の手伝いとか、もぅ少し親孝行してね。母より”口も聞いてない母から、私への手紙が同封されていました。あー、私はこんなに私を思ってくれる優しい母がいるんだと。

高校までしかない島から沖縄本島に進学し、夢だった看護学校を卒業。就職先は、当時、母から沖縄にしてほしいと言われていましたが、憧れもあり、勝手に都会に決め、母に報告しました。反対もされましたが、決まったからと、母の反対を押し切っての就職でした。知らない土地、知り合いのいない場所でのスタート。自分を試してみたかった。働き出して、もともと人見知りで、ネガティブな自分。初めは新しいところで頑張ると決めていたのに、毎日がつらくなって、母に電話し、地元に帰って働こうかな?と言いました。もともと、帰ってきてほしいって言っていたから、反対まではされないって思っていました。

しかし、母は、「自分で勝手に決めて、都会に行きたいって言ったんでしょ?そんな覚悟ないなら、初めから行くな!自分で決めたなら、それを貫けば?」と言われました。私は母に、何も知らないくせに!田舎とは違うんだよ。と言い返しました。母は、じゃあ私と交換する?って言ってきました。その時思ったのです。母は、私の祖母(母の母)が倒れて実家に戻らされ、面倒をみながら、看護師として働き、島で結婚して私達を育ててくれた。ずっと、島から出ることもなく、介護や家事などで旅行すら行けない人でした。母はそれでも、私に介護や家のことを手伝わせるより、私の自由を優先してくれました。

「あなたには、私のような苦労より、自由に好きなことをしていってほしい。余裕ができたら、旅行に行きたいな」と。母の代わりなんて、出来ない。仕事だけで一杯の私には。必死に看護師として、働くことが、今の私のやる事だと気付かされました。それから、毎年1回は、休暇をもらい、実家に帰っています。介護の手伝いや、行事の手伝い、色んなことを相談したり、たまに愚痴を聞いて貰ったり。お酒を飲みながら、母は「あなたは、東京で頑張っているんだね、本当は、すぐ挫折して、帰ってくると思っていた。意外と強いんだね、私より。帰ってきてほしいって思うこともあるけど、あなたはあなたの好きなように生きてほしい。たまに帰ってきて、こうして、過ごせることが嬉しいから」と言います。

あの手紙にあったように、少しは親孝行出来ているかな?と思いながら、今も都会で頑張っています。意外と強いって、母には負けるよ。母の「覚悟ないなら、最初から行くな!自分を貫け!」の言葉に、私は、ただ、悔しいと思ったから頑張れたんだと心の中で思いました。そして、私の夢は母のような、暖かい愛と強い心、芯を持つことです。そして、将来、いつになるかわからないけど、あの大嫌いだと思って飛び出した小さな島、今は大好きな石垣島に帰りたいな。もっと母のような、強い心を、芯を持った私になったら。いつも、恥ずかしくて、本音が言えないけど、「お母さん、いつも私の味方でいてくれて、沢山の愛をニーファイユー(ありがとう)」もっと、これから、親孝行させてね、今度、旅行に行こうね。母への感謝の気持ち、いつか、自分の言葉で伝えたいと思っていますが、なかなか伝えられない、伝えられたらと思い、書かせて頂きました。
沖縄県 くっくさん/男性22歳
君のためなら
僕は、性同一性障害です。戸籍上の性別は女性。性自認は男性です。幼稚園の時くらいから、スカートもいやで、髪を結ぶのもいやでした。かわいい女の子に目がいっていた。でも、戸籍上女性として生まれ、女を好きになってはいけないという世間体を幼き頃から気にしていました。

小学校で、かっこいいお気に入りのポロシャツを、着ていったら男子から、「おかま、おかま」と大きい声で言われて恥ずかしい思いをさせられました。中学校は制服でスカートを着用しないといけない。いやだった。無理して着た。女の子として振る舞った。無理していた。中学校3年の時、とてつもなく好きな女の子ができて、高校1年まで引きずっていた。その子には彼氏ができて諦めた。俺は男として生きたいっていう気持ちが増した。

それから高2くらいの頃、ブログである出会いがあった。僕と同じ性同一性障害の子。この子は男に戻る。と有言していた。そんなことできるなんて知らなかった。男になれるってこの子のおかげで知れた。心が晴れた希望が持てた男として生きられると。この子とブログで知り合い、今では親友。見た目も男性化させる為、ホルモン療法や胸オペ、性別適合手術など色々教わった。共感できることも話し合えた。

それから、俺は1人じゃない。と心強くなり、高2の夏、髪もバッサリ切り、高校の制服もズボンに変えた。それから、新たにバイト先に出会いが訪れた。現在の彼女。仲良くなりたかったと言ってくれた。俺のことを男としてみてくれる。まだ、男としての自信がない俺を、周りの目を気にしないで、手だって繋いでくれた。一途に想ってくれている。俺は、一般男性とは違い、子供は作るのは簡単じゃない。そう伝えた上でも、一緒にいてくれると。戸籍を男性に変更してからじゃないと結婚もできない。それでも彼女は、いつまでも待っていると言ってくれた。彼女と付き合い5年が経った。

付き合い初めの初々しさはなくなったし、浮気もした、軽々と女と話したり散々、彼女を傷つけた。それでも一緒にいてくれた。今年の夏、タイにて性別適合手術を受けにいくことになりました。彼女は付き添ってくれます。5年も経ち、変わらない気持ちで想ってくれる彼女。結婚することは2人でずっと話しています。子供のことも諦めず、2人でゆっくり話し合い、授かりたいと思っています

たまに、子供を授かってあげられない俺ではなく、一般男性となら子供もでき、幸せに暮らしていたのかな、とか、俺と別れちゃえば子供のことなんで悩まず作れるのに、とか、わかれた方がいいのかな、とか思ったりもした。彼女の親も悩ませてしまうから。でも、やっぱ一緒にいたいし、どうにかしてでも幸せにしてあげなきゃと想う。そして、同じような悩みを抱えている人達の自信に繋がるように、1人じゃないんだよ。と伝わってほしい。です
鹿児島県 ヤスヒロさん/男性34歳
君のためなら
娘が産まれてから全てが変わりました。最初は父になる事の実感と現実が追いつかずトキが過ぎました。良い父ってどうしたらなれるの?自分は何を小さい頃にしてもらっていたんだろう?これから先ずっと、絶え間ない苦労や現実の波が押し寄せてきても、娘を守っていけるのかな?考えていたらキリがない。でも産まれて初めて聞いた産声、抱いた時、澄んだ目を見て不安なんて一瞬でとんだ。ただ守ろう。日に日に大きくなる貴女を見て、苦労、苦難、苦痛、全て受け入れそれを乗り越える力を今もくれる。これからも全てをかけて守っていくからね。産まれてきてくれてありがとう。
鹿児島県 わかてぃーさん/女性20歳
大切な人がいるということ
わたしは今、彼氏と1年2ヶ月目です。彼氏とは100日間限定プロジェクトのミュージカルで出会いました。出会った頃、彼には彼女がいました。でも、まだわたしはそれを知りません。話したりしていくうちに彼にだんだん惹かれていきました。LINEを少しずつしていくうちに楽しくなって好きなんだなあと思いました。彼は、車を持っていたのでミュージカルの練習後、わたしは思い切って「車に乗せて!」と言いました。すると「いいよ(^O^)!」と言ってくれて、姉もいたので、一緒に帰ることになりました。わたしの家の近くの芝生一面に広がった、犬が散歩できるような大通り公園に着いたので降ろしてもらいました。降ろしてもらった後、バイバイと手を振りたかったのですが、彼は誰かと電話をしているようだったので出来ず。姉が「いこっか」って言ったので歩き始めました。その日は青空で綺麗な日だったので、わたしは思わず寝転びました。すると、そこへ彼が笑顔で走って来て「俺も!」って、言ってくれました。わたしはものすごく嬉しかったです。それからミュージカルのダンスを少しそこで踊ったり、3人で話したりして、帰りました。

そのあと、わたしは気になって思い切ってLINEで彼に彼女がいるのか聞いてみました。すると、彼に「5年ぐらい付き合っている彼女がおる」と言われました。すると彼が今日「彼女のことで電話できる?」と言われたのでわたしはすごく胸が苦しかったですが、この気持ちを胸に閉まって相談に乗ろう!と決心して電話することに決めました。電話では色んなことを話しました。彼は彼女に対して素直にいられない。いつも顔色を伺いながら行動したり、話したりしていると言っていました。そして 好きということが分からないと言っていました。わたしはいい言葉が出なくて、姉に話すと、「この世でお金も財産もなにもなくなってその人だけがいる世界になった時それでも一緒にいたい」て思える人なんじゃないかな?と言ってくれました。その言葉は今でも胸にものすごく残っています。

彼は納得し、気持ちに整理が着いたと共に、彼から思いもよらないことを言われました。それはわたしが彼の目の前に現れたからだ、という唐突な言葉。頭が真っ白になりましたが、この胸の内の気持ちはもうしまって置けないと思い「わたしも気になっている」と伝えました。そこから会話がどんどん弾みとても楽しい時間を過ごせました。それから毎日のように電話をしていました。4月4日、彼は彼女に別れを告げてくるといい、それから夜中の11時半まで待ってもLINEが帰ってこなかったので、心配になっていると、あっちからLINEで写真が送られて来ました。そこにはあの日送ってくれた夜の大通り公園の写真が貼ってありました。わたしは慌てて家を飛び出し行くと、彼はベンチに座って、会いに来てくれました。わたしは「なんでいるの?」と驚いた様子で聞くと、「今日は4月4日。幸せの日でしょ?好きな人と過ごす日。だから最後の時間は一緒に過ごしたいと思って会いに来たよ」と言ってくれました。わたしはとても嬉しくて涙が溢れました。そして一緒に音楽を車の中で聞きながら幸せな時間を過ごしました。

それから3日後、告白をされて付き合うことになりました。あとから彼に聞いたのですが、あの送った日、私が芝生に寝転ぶ姿を見て、「こんなに素直に感情を出している子がいる。俺もこんな子と一緒にいたい、俺ももっと自由になっていいんだ!」と思い、わたしのところに笑顔で来てくれたらしいです。そして、今はとっても幸せで、遠距離で寂しくて辛いですが、2人で頑張って乗り越えています!彼を選んでよかったと思います。わたしは喜怒哀楽がとても激しいので、この感情をそのまま出せて受け止められる人は彼しかいないと思っています。彼はわたしの喜怒哀楽が激しくても「個性だからね!」って、そっとわたしを 包み込んでくれます。当たり前じゃない事 を 当たり前のようにしてくれる。そんな彼にとっても感謝しています。わたしを選んでくれたことにほんっとーに感謝しています。これからも2人で支えあって歩んで行けたらいいと思います。

長くなってすいません。最後に、この場をかりてなんですが、去年の姶良での夏祭り覚えていますか?あの時 ハジ→さんの歌を聞きに行きました!たくさんの歌を聞かせて貰いました。ものすごく心に染みてお互い いい歌だね、すごく幸せだね、って言って2人とも 号泣しながら 聞いていました。いつも元気になれる曲を作ってくれてありがとうございます!これからもすてきな音楽、楽しみにしていますね!ハジ→さんもハジ→さんが作る曲も大好きです!これからも応援しています!よかったらわたしの曲、作ってくれると嬉しいです。その曲がこの遠距離中、彼が勉強で頑張っている時に力になってくれたら嬉しいです。よろしくお願いします。
山口県 まろんさん/女性22歳
失くした恋
以前、付き合っていた彼のエピソードです。彼と出会ったのは約3年前。付き合って別れてを2度繰り返して2年くらい一緒にいた。何でも言い合えるし私のわがままも何でも聞いてくれる心優しい人だった。広島と山口の遠距離だったので、会えるのは月1程度だったが、毎回会いに来てくれていた。この人となら幸せになれる、結婚したいと思える相手だったし、お互い将来のことも考えていた。でも、不安な点もいくつかあり、それが大きな欠点だった。1年以上付き合っていたのに、後から知ることもたくさんあったし、あれ?と思うことも多々あった。

28歳と言われて付き合い、その後バツイチと聞かされ、さすがにバツイチは無理と思っていたが、付き合っていくうちにあまり気にならなくなり、そのまま付き合っていた。ある日、たまたま携帯ケースに入れてあった彼の免許証を目にした。何気なく生年月日を見た。あれ?おかしい。6歳上なはずなのに合わない。計算してみると38歳。16歳も上だった。衝撃的すぎてその場では本人に言えず、モヤモヤのまま帰宅した。それからずっと聞こうにも聞けず、悩んでいた。

いざ勇気を出して聞いてみると、私が若い子が好きだから、嫌われると思って隠していた。占いで歳の差はいずれ気にならない時が来ると言われたから、と。一気に信頼性がなくなった。本気で好きだったし、結婚まで考えていた相手にこんな大きな嘘をつかれていたなんて…。ショックを通り過ぎて、怒りしかなかった。この裏切りには耐えられず別れを告げた。その後も彼からは申し訳ないという気持ちと戻りたいというメールがひたすら来ていた。でも私の心は変わらず、無理だった。

結婚相手にうるさい母が唯一気に入っていた相手で、母の方がショックを受けていた。付き合っていた頃、外れない占い師から前世からの運命の相手とか言われていたことなど信用していた自分が馬鹿だった。この約2年間の時間を返してくれと思った。でも今思えば、たくさん尽くしてくれたし色んなこと経験させてくれたしいい恋だった。今だから言えるけど、この恋があったから今の自分がいると思う。だから、もう恨んでないし、幸せになってほしい。もちろん自分も幸せになってみせる。いつか笑い話で話せるようになればいいな。
愛知県 花火さん/男性20歳
出会いと別れ
去年地元で行われた花火大会の日。まだお互いを知らない二人はその日、別々の友達と別々の場所に居た。自分達の地元から少し離れた場所へ花火を見に来ていた二人組。花火が終わり地元では有名な展望台に夜景を見に来ていた。三人組はこの日、久しぶりに集まり食事をしていた。お腹もいっぱいになり、展望台で夜景を見ながら会話をし、今日は締めることにした。展望台に着くと二人組が楽しそうに会話をしている。最初は気になっていたが、途中からは完全に自分達の世界に入って会話をしていた。話題は音楽の話題へと移りふと曲を流した。すると、二人組の1人の子が知っている曲だったようで歌いだしたのだ。この出来事をきっかけに5人は会話を始めた。会話をしていると流れ星が流れ始めた。ここで4人は盛り上がったが、1人だけ盛り上がってない…。流れ星を見つけられずにいたのだ。

会話をしながら流れ星を探しはじめて、かれこれ3時間程経っただろうか。ようやく5人が流れ星を見ることが出来たのだ。そこから会話はさらに弾み気がつけば朝陽が昇っていた為、そろそろ帰ることとなった。別れ際、なんとなく今日だけの関係では終わらない気がし5人は連絡先を交換することとなった。それから二人組のうちの1人の子と毎日LINEのやりとりが1ヶ月続いた。お互い同じ相手とここまでやりとりが続いたのは初めてのことだった。それから二人でご飯を食べに行くことに。その日は楽しく終わりまた遊びに行く約束をし帰ることに。

2回目のデートの日。この日は勇気を出して告白をすることに。出会ったあの場所で告白するつもりだった。デートも終盤となりあの場所へたどり着いた。が、帰る時間も迫っているのに言葉が出ない…。あの場所では何も出来ずに終わってしまった。別れ際、ここで言わなければずっと言えなくなってしまう。そんな思いが僕の背中を押した。考えていた言葉は緊張で全部飛んだが辛うじて「付き合って下さい」と言えた。返事はすぐに返ってきた。彼女は絵に描いた様な笑顔で「良いよ!!」と言ってくれた。人生で初めての告白は頭が真っ白になるほど緊張したが返事を貰った時の嬉しさは今でもハッキリと覚えている。

付き合ってから初めて迎えた僕の誕生日。彼女は夜景を見ながらお祝いをしてくれるとゆうことで彼女イチオシの夜景スポットで誕生日を迎えることとなった。時が来た。夜景を見ているとなんと誕生日を迎えて1分もしない内に流れ星が流れたのだ!!二人は歓喜に包まれた。この日は僕の人生で1番幸せな誕生日となった。そして、出会ってからもうすぐで1年が経つ。この1年は人生の中で1番色濃く忘れられない1年となった。次は彼女の誕生日を彼女がしてくれた以上に祝いたいと思う。どんなに忙しくてもどんなに疲れていてもいつも僕のワガママに答えてくれる彼女に感謝を伝えたい。
神奈川県 りこさん/女性25歳
出会いと別れ
私は福島から神奈川に上京し、家と会社を往復する毎日が続いていました。友達も出来ず、休みの日は近所を散歩したり、日々がただただ過ぎて行きました。1人でラーメンもいけるようになりました。でもやっぱり誰かと食事がしたくて、東京で出会った男性と仲良くなる機会がありました。金銭面で裏切られ、新卒では大変なほどの借金をしてしまいました。なんとか早く返済をしようと昼間働きながら水商売もしました。人と話すのが苦手な私が、ヒールでうまく歩けない私が、気が利かない私が、やっとの思いで働き、返済はまだまだだけど体力的にもたないので辞めようと思って出勤した日に運命の相手と出会いました。好きな食べ物の話、出身地の話、ただそれだけしかしていないのに私のことを「運命の相手」だと何度も言ってくれました。酔っ払いのことだからかるくながしていましたが…。彼の実家が秋田で同じ東北ということもあり、気があうな~という感じで1時間もしないうちに帰ることになりました。

連絡先を交換していたので、後日わたしから連絡を入れました。彼はADをしていて、家に帰れない日があるといい、私は応援メールをするしかありませんでした。それから、彼の方から食事に誘ってきてくれました。私はハジ→のライブに2、3回誘いましたが断られて1人でいきました。2016.7.11みなとみらいで告白されて付き合うことになりました。もうすぐ返済も終わるし、そろそろ実家に帰ろうかと思っているときでした。でも、彼と一緒にいるとお互い仕事の愚痴も楽しい時間も素で言い合えるし、家族以外でこんなに信頼できる人は初めてです。2017年夏、付き合って1年たち私の両親に会いたいと言ってくれたのであわせることにしました。そして、2018年夏、秋田の花火大会という理由もつけてご挨拶にいくことになりました。今年中に一緒に住む予定で、不動産屋にいったりもしています。

もうすぐ2年ですが、寝るときは手を繋いで、お出かけするときも手を繋いで、ずっとラブラブです!ハジ→のライブにも2人でいけました!2人が始まった場所でハジ→の「ずっと。」を聴いてみたりカラオケで「あなたと明日も。」を歌ったり、俺はAD、君は技工士ってゆう替え歌にしてみたり。未来を想像すると楽しみで仕方がありません。夜の世界で出会って、こんなに大好きになるなんてって2人でいつも笑いながら話したりしますが、彼が言った運命かもしれないって言葉は本当かもしれません。言霊なのか本当の運命なのかわかりませんが、あのときの不幸がなければ、こんなに幸せになっていなかったと思うし、悪いことはいい事の始まりなんだと捉えるようになりました。これから先何十年も一緒にいたいと思える人との出会いはいつどこであるかわからないですね。都会での出会いは田舎者の私にとって大事な人生の一部です。
富山県 うるせぇゆいたろさん/女性24歳
ありがとう
小さい頃からのお友達とは、保育園の時からずーっと一緒でした。仲が良くて、手を繋いで家までかえったり、歌を歌ったりして。高校ではそれぞれが別々の道を行き、私は介護士、その子は警察官という夢をもっていました。2人ともの夢は叶いました家も近くて最近ではよく遊んでいます!幼馴染と遊んでいると、心も晴れるし、出会いはすっごく大事なんだと思います。もちろん出会いもあれば、別れもある。それでも友情を大事にしていきたい。誕生日の日には、必ずサプライズで何かと送ってくれます。出会いを大切にしていきたい。いつもお仕事行く時にはあたしの家の前を通って顔を出していってくれます。ほんまに幸せです。これからも仲良くしていきたいです!こんなので歌詞になるのかな?お願いしますゆいたろからの投稿でした!
徳島県 あゆみさん/女性30歳
青春の思い出
私に想いを寄せてくれていた彼。一緒にいるのが楽しくて、私もいつからか好きになっていました。高校卒業間際、彼は夢を追い東京の専門学校に、私は地元の大学にとそれぞれ別々の進路が決まっていましたが、遠距離になることを承知で付き合うことになりました。迎えた卒業式。彼が私の卒業アルバムの寄せ書きのところに『寄り道しながら待っててな。必ず迎えに行くから』と書いてくれたこと、それが嬉しくて、彼となら遠距離も乗り越えられる気がしました。でもやっぱり寂しい。上京までの時間が迫ってくるにつれて、寂しくて泣いてしまうわたしの頭を優しく撫でてくれる彼が大好きでした。東京に行ってから数週間後、家の用事で一旦彼が帰ってきました。少しだったけど、彼に会える時間は幸せでした。東京に戻る前日、また寂しくなって泣いてしまった私に、彼が『手出して』と言ってきました。何かと思っていたら、私の薬指に指輪。サイズもぴったりで。ブランドとかそんなに高級な指輪ではないけど、大好きな彼との初めてのペアリング。次は嬉しくて泣いてしまいました。

それからは数ヶ月に1回のペースで彼が帰ってきてくれたり、私が会いに行ったりしていました。夜行バスで片道10時間近く。行きはこれから彼に会える嬉しさで10時間なんてまったく苦痛じゃなかった。帰りは寂しさを堪えるのでいっぱいいっぱいな10時間。こんなにも時間の感じ方が違うかとびっくりでした。毎日メールして、寝る前には電話して、少しでも私が寂しくないようにと尽くしてくれた彼。長期の休みには私が東京に行ってプチ同棲みたいなこともしました。すごく幸せで楽しかった。でも私は裏切ってしまった。私が大学を卒業する数ヶ月前、『卒業したら東京に来て欲しい』と彼が言ってくれたのに、私は『もうちょっと待って』と言ってしまったのです。寂しさのあまり寄りかかった別の人と離れられなくなってしまって…。今思えば本当に最低なことをしたと思っています。大好きな彼を傷付けてしまった。もう戻れなくなってしまった。後悔しかありませんでした。

別れ話をした日。別れ際、『最後にごめん…』と言って彼が私にしてくれた最後のキス。忘れられません。それから彼が何度か元に戻るチャンスをくれましたが、また同じことを繰り返して彼を傷付けてしまうかもしれないという怖さで、戻ることができませんでした。そのチャンスを与えてくれた時に彼の元へ戻っていたら、今頃違う人生だったのかなあ…。あれから8年が過ぎました。私はその後出会った人と結婚し、新しい日々を過ごしています。彼は地元に戻ってきたそうで、当時追いかけていた夢とは別の道でがんばっているそうです。今になってこんなに近くに彼がいるなんて…。
石川県 真理さん/女性53歳
人生を考える
私は生まれて良かったと思った事が、一度もありませんでした。人生なんて世の中なんてどうせ幸せなんかない、だから早く人生終わらせよう、私は若い内に死ぬのがいい、と思っていました。そんなある日、アニメ動画に夢中になって、『君に届け』という女子高生の主人公が、同じ男子を好きな同級生女子に、根も葉もない噂をたてられて孤立するという場面で、私も以前に同じ事があった記憶が蘇りました。その子のせいで、好きな人が私に告白するのをやめて、突然居なくなってしまった事を。「あ!私は本当に好きな人がいたのに、別の人と結婚してしまった、心に嘘をついてしまった」その瞬間から、物心ついてからの人からされて悲しかったこと、嫌だったこと全ての記憶が毎日々蘇って、涙が止まらないのです。 私は幼少の頃から、母親に精神的に虐待されて育ったのでした。父親は酒乱で、両親共理由もなく怒鳴って怒って、お前はダメだと言われて、毎日が恐ろしくて萎縮したまま大人になりました。

私は本当は、自分の好きな人と愛し合いたかったんだと本音に気付きました。でもその相手は既に結婚されていて、もうどうにもなりません。だけど私はもう本音に気付いてしまい、苦しくて逢いたくて逢えなくて苦しくてしょうがありません、旦那さんに嘘をついてまで一緒にはいられない。一人になろうと決心します。そんな時、家のチャイムが鳴り、モニターで宅配業者さんの男性の姿をひと目見た瞬間、全身と魂で「!!!」とはっとします。初めて見るのに、初めて会うのに。彼も私の目を見た瞬間、全身で「!!!」となりました。お互い相手のことを何も知らないのに、同じリアクション同じ感覚なのです。それからは、もう彼のことが愛しくて愛しくて仕方ないのです。彼も間違いなく私と同じなのもわかるのです。それなのに、なぜかデートをすることもできない状態が続きました。

私は5年かかって、私達が現実だと思っているこの世界は、自分の思い込みというフィルターを通して映し出している幻なんだという事に気付きました。私は愛されないと強く思い込んだフィルターで、他人や世界を観るから愛されなかったんだとわかりました。人はみんな沢山の思い込みのフィルター同士で見るから、真実が観えないのです。私の両親は、生まれる前に、こんな経験をしたいので、こんな悪役を引き受けてもらえませんか?と私が頼んで嫌な役を引き受けてくれるほど、深い愛を持ってくれていたのです。世の中の虐待されている子供やそうやって大人になってしまった人たちに、本当は愛されているんだよ、あなたは素晴らしい価値があるんだよと気付いてもらえたら。

私は今まで、男性を愛していると思ったことがありませんでした。男性が苦手で、付き合うこともほとんどないまま、愛してない男性と年頃だからと結婚しました。今は元旦那さんが私のお父さん代わりになって、私が欲しかった親のような愛を与えてくれています。元旦那さんにも、私はこんなに愛されていました。愛しくてしかたない彼とは、まだ一度もデートをしたことはありません。でもきっと彼が、「初めて会った時から、あなたのことが大好きです!」と告白してくれます。私も「私もですあなたのことが大好きです!」と、人生初の告白をすると決めています。その時きっと、生まれて来て良かった、と私は思うのです。
青森県 古屋敷幸一さん/男性28歳
人生を考える
2年前に1人の女性と出会いました。それまでの俺の人生はロクなもんじゃありませんでした。恥ずかしい生き方をしてきたけど、その人と出会って、その人に今までの全てをぶつけ、ドン底だった俺の味方になってくれました。今、生きていられるのはその人に出会い、救われたからです。俺は、自分を素直に出せない人でした。自分を守るためだけに嘘も裏切りもして、周りを振り回し、呆れさせ、見捨てられてもおかしくない、孤独になって当たり前なくらいの人間でした。でもその人は、言ってない事でも、俺の心全てを見ているかのように俺の心を知ってくれていました。俺は初めて自分というものをその人だけに見せることができました。時に厳しく、時に優しく、時に包み込んでくれました。今、その人と一緒にいます。

「まだまだ人じゃないよ。でも成長してきている。周りが敵になっても、私だけはいつでも味方だから。裏切り、嘘、絶対ダメ。一本筋の通った人間にならなきゃダメ。みんなに良い顔するのも良いかもしれないけど、自分の気持ちをしっかりと言える、伝えられる、行動できる人になって!いっぱいの約束と思うかもしれないけど、今すぐに変わらなきゃいけないって思うかもしれないけど、私が死ぬまでに変わってくれて、私が死ぬまでに幸せって思えたらそれで良いから!」

俺は、そんな言葉や行動に救われています。俺の見えないとこでも俺のために動いてくれています。今までの人生でこんな人と出会えたことに感謝し、見捨てずに味方でいてくれていることに感謝し、誰よりも必ず幸せに大切にすると誓いました。親子みたいに歳は離れています。でも歳じゃない!お互いの気持ちただ1つ!これからの人生いろんな出来事があると思うけど、2人なら乗り越えられる!2人で1人!支え合って協力しあって、お互いを思い合って生きていきます。

生きている意味も持てなかった俺…。今は、生きる意味、覚悟を持っています。父親を小学低学年の頃に亡くし、おじいちゃんが父親代わりでやってくれました。野球一筋で生きてきた俺。おじいちゃんも弱ってきて、何か恩返ししたい。俺の大切な人は、本当に心がデカイ!おじいちゃんの介護もしてくれて、おじいちゃんの笑顔を毎回出してくれる。おじいちゃん、孫をよろしく!って頭下げたって聞いた時は涙出たな…。大切な人を守り、幸せにして、悪を償い、笑って暮らせる人生にしていこうとます。
三重県 さくらさん/女性39歳
危険な恋
7年前にパートで働いていた時、同じ職場の年下の子と恋に落ちました。でもお互い家庭があって、アカン事!!ってお互い思っていたけど…。お互いがほんまに理想の人で、もっと早く出逢えていたら…って逢うたびに思っていて。でも結局、半年が過ぎたぐらいの時にダンナにバレて…。あたしは何年か前カラ別れる気でいたからある意味ダンナと別れるきっかけになってよかったけど…。あたしの知らない所でダンナが彼に会いに行っていて…。ほんまに彼には辛い思いさせてしまった。もしもう1度、彼に逢って話す事が許されるのなら、心からのごめんなさいと、心からのありがとうを伝えたいです。そして…彼が最後に言ってくれた「生まれ変わったら絶対一緒になろう!!」この言葉を信じて!!あたしはこれからも彼を愛し続けマス。
愛知県 鈴木美香さん/女性33歳
人生を考える
看護師になるために勉強を頑張ってきた。高校3年生の夏、進路を決めるために志望校を考えた。どこの学校にするかとても迷い、母親とも相談しながら考えた。でも、すごく頭が良いわけではなかったから看護学校に受かる保証はなくて、自分も自信がなかった。「受からないかもしれないし、他の学校にしたほうがいい。」と泣いた。母親は「大丈夫。絶対受かるから、頑張ろう。」と、一緒になって泣いてくれた。とても嬉しかった。私は毎朝早くから学校に行き勉強を頑張った。部活を引退するまでは朝練で早く行っていたから、朝練の代わりに朝勉した。その甲斐あってか、推薦枠をもらえた。推薦では小論文があるから担任の先生とマンツーマンで小論文の練習をした。沢山のやり取りをして、なんとか形になってきた。受験当日、とても緊張したけど、練習してきた内容のお題が出た。私は無事に看護大学に合格した。自分でも驚いたが、高校の先生達も私が受かると思っていなかったらしく、驚いていた。

そこから4年間、勉強、実習の日々。友達と国家試験に向けて勉強をして合格。今は看護師として10年働いた。新生児病棟で毎日小さな赤ちゃんの看護。小さな命は一生懸命に生きている。その命と向き合うのは、嬉しいこともあるが、辛いことも沢山ある。とても、やりがいもあるため、今の仕事を誇りに思う。上司にも恵まれた。自分の子供のようにスタッフ一人一人と向き合ってくれ、理解してくれている。母親みたいな人。今では一人前に働けているけど、両親・兄弟・友人・先輩・後輩・患者様々な人たちに支えられてきた。これらの人に感謝して、こらからも頑張っていきたい。夢に向かって、頑張った日々。諦めかけたこともあるけど、自分を信じて頑張ることで夢を掴むことが出来る。前に進むことができる。それを実感することができた私の人生。何かを諦めようとしている人達に伝えていきたい。夢は必ず叶うと。
北海道 りょ→さん/男性38歳
キモチを伝えたい
「子供出来ちゃった」と言われてから15年。早いものだね。あの時、付き合ってまだ1年。しかも、貴方は大学生。若さ故の勢いで、周りの声も聞こえず、親の反対も押し切って結婚したよね。それから2年後、もう1人の子供を授かり苦しい生活の中で子育てしたね。私も未熟で貴方の苦労も知らずワガママを沢山言って、ケンカして、困らせて、泣かせて。そして、子育てが1番大変な時期に5年間の単身赴任。年に3回しか帰れない。仕事ばかりで相談ものってあげられない。その間、貴方は自分を犠牲にして大切な子供達の為に時間を費やしていたね。

沢山悩みながら、手助けのほとんどない環境で頑張っていたんだね。やっと家族の元に戻れて、子供達の成長を日々見ることが出来るようになったとき、子供達が元気にのびのびと生活し、成長を見ることができた時、本当に貴方の今までの苦労の賜物なんだなとものすごく感じた。私が知らない子供達それぞれ悩みや喜び方。優れている所やダメな所を何気なく会話し、感じている姿を見ていると、私が不甲斐ないと感じたのと同時に貴方の今までの苦労が垣間見えた。こんな環境で、私が協力しないことで大変で辛いはずの環境だったのに、子供達は私が側に居なく関わりが少ない存在ではなく「パパ」と言う存在をしっかりともって信頼し、愛してくれている。この事を感じた時、涙が出た。どんな環境でも、私は父親である事を貴方は大事に守ってくれていたんだね。本当に貴方に感謝しています。真面目に言っても信じてくれないから言わないけど、貴方の事が大好きなんです。そして、ありがとうございます。

これから、まだまだ迷惑もかけるし、ケンカもすると思う。でも、これからも、家族皆で手を取り合って明るく楽しくのびのびとした家庭を築いて行こうね。15年前のあの時、「ここにいる子供は私の宝物だから。」と言った言葉。私は忘れないよ。そして、今、私から「ここにいる家族は私の宝物だから。」と自慢して言うよ。まだまだ私も未熟者だけど、皆と一緒に成長して、最高のパパになるからね!
大分県 ギョギョッチさん/男性32歳
ありがとう
幼馴染のことです。「また大分おいでよ」と、言葉を交わし広島へ戻って社会人一年目の夏。彼は友達とキャンプへ行った。しかし連日の大雨で増水していたそう。そんな中キャンプをしていたら、同じくキャンプをしていた見知らぬ団体の人が川に流された。それを迷うことなく飛び込んで助けた。1人を助けることが出来、もう1人を救出しようと再度飛び込んだ。そしてそのまま姿が見えなくなった。そのニュースをテレビの速報に出て、名前を見て知った。すぐに広島へ向かった。着いたのは朝。現場ではすでに捜索活動が始まっていた。そしてすぐに水難者発見という言葉。見つかってほしい!と思う反面、信じることができない家族たちは違ってほしい!という気持ち。水面へ上がって来たのは、彼ではなかった。彼が救おうとした人。結局その日、彼は見つからず、みんなは泣いてその場をあとにした。日が経ち、捜索も打ち切り。発見は絶望だという言葉を残された。

一年が経ち、偶然にも、というか奇跡的にも彼は水面へ浮き上がって来ました。釣りに出ていた人が発見したらしい。その姿はとても見られるものではないとのことで、包帯巻きにされた彼。顔を見るどころか、体の一部分も見ることが出来なかった。本当に彼なのか?信じられない気持ちと、みんなの前に戻ってきたことの安堵感。そして、それだけの日が経ったのにも関わらず五体満足で発見された奇跡。

通夜を終えた夜。遺体と同じ部屋で自分と、彼のお父さんで夜を過ごしていたとき。ふと、ペチャっ、ペチャっと音がした。身体は金縛り状態だか、足音でわかった。水面から出てきた彼がこっちへ歩いてきている。と。そして自分の頭元で止まりなにかを話すような気配がした。そしてそのあと、彼のお父さんのもとへ。目だけは動く。姿を確認すると、ただの影。だが彼だとわかった。そんな彼の影がお父さんの耳元へしゃがみこんでなにかを話して消えた。

夢なのか…。そして葬儀も終わり大分へ帰って1週間ほどが過ぎ、手紙が届いた。送り主の名前を見ると彼の名前。????「今回はごめんな。しっかり親孝行しろよ。俺のかあちゃん、父ちゃんのことを、頼む。顔見せしてあげてな」そのような内容だった。今考えたらきっとそれはお父さんが書いてくれたものだと思うが…。自分が手紙書いても返事が来ない!そんな話をしたのを覚えていてくれ、そして、父としての気持ちも入り交えて手紙を書いてくれたのでしょう。

それから何年も経つが、彼のことが頭から離れず、笑顔も忘れた。生きたかった彼がもうこの世にいないのに、自分だけ楽しくいろんなことをして笑顔でいてもいいのか。と。みんなは「彼のためにも生きないと!」などと当たり前のことをいう。でも違う。生きるべく彼が生きていないこの現実を自分は受け入れられなかった。

そんな自分に光を与えてくれたのは紛れもなく彼の両親。彼の両親が精神不安定になったり、すこし前向きになったり、なにかあるたびに自分を求めて電話したり会いにきてくれる。彼がいなくなっての息子は自分だと。その言葉を聞いて、前を向かないと!と思った。今でもやはり思い出すし、前を向けないことが多々ある。しかし、今の自分がいるのは彼がいたからこそ。今でも彼へのやるせない気持ちが多く、なにかの形として自分のもとにほしかった。だからこそ、彼への感謝の気持ちや、この、やるせないきもち、歌にしていただきたいです。彼へも自分からの感謝の気持ちを伝えたい。
岩手県 Kou-kasumiさん/女性21歳
生きた証を残したい
私は約2年前、大好きだった彼に別れを告げられました。理由は彼の人生を支えた音楽の世界で、「生きた証」を残すため、仕事にも恋人にも左右されずに、束縛されずに、自由になりたいというものでした。別れの日が本当に来てしまったと、覚悟はしていましたが、彼のいない未来が想像できず、何も手につかない日々が始まりました。別れを告げられ、彼との最後の日。「また会えるよ。一生の別れじゃないんだから、泣くなよ。準備が出来たら、迎えに行く。絶対、会いに行くから。」それが駅のホームで彼と交わした最後の言葉です。息が白くてこのまま消えちゃいそうな昼下がりでした。こんな時間が来なければいいのにと何度も思いました。

将来も一緒に居たいと思い続け、毎日が彼中心に回っていた私にとって、生きる支えになっていた別れ際の彼の言葉は不思議と力強いものでした。いつも別れ際は泣き、本当に泣き虫で困らせていた私は、その最後だけ、涙が出ませんでした。それはまた必ず、会えると思っていたからでした。彼を最後に本当に信じたいと強く思えたからこそ、彼のために強くなりたいとその一心で泣くことを辞めました。しかし、その彼の言葉は虚しく、本当に一生の別れになってしまいました。今、彼がどこにいて何を頑張っているか私は何も知りません。今では、一緒に居た時間が本当に存在していたのかと思うぐらい、幻のような存在になってしまいました。そんなことを言ったら、彼に本当に俺のことなんて愛してなかったんだってそれっぽちだったんだねと言われてしまいそうですが、夢のような日々に変わってしまいました。

ですが、振られてから、「迎えに行く」という彼の言葉に、まだずっと期待してしまっている自分がいます。またもしかしたら、会えるのかもしれないと。しかし、今の状況からもう彼が帰ってこないことは自分自身が一番よくわかっています。あの最後の日に、私が泣かないようについてくれた最後の優しい嘘だったんだと思っています。私は彼がくれた「生きた証を残したい」というこの言葉を頼りに今、彼にまた見つけてもらえるように生きています。彼との過ごした時間が色褪せ、色々な気持ちにかき消され、思い出せなくなりながらも、一緒に「私も生きた証を残したい」というこの一心で、またどこかで会えるように、頑張っています。会えたら、ぎゅっと抱きしめて、素直に今日まで支えてくれた彼にお礼を言いたいです。下記は彼との思い出の一部です。時間の系列がバラバラですが、どうかお許し下さい。

一つ目は、別れが来る半年前、彼がいつもの待ち合わせの駅まで迎えに来てくれた時の出来事です。信号の待ち時間、彼が手を差し出してくれました。いつものように、手を握り返すと、こみ上げるように彼が「寂しかった、会いたかった。」と普段泣かない彼が泣いていました。私は絶対にあの瞬間は忘れません。遠距離で彼の心が離れると心配になり、不安だった私は、その時大切なことに気づけませんでした。それは本当に愛されていたということです。彼の涙を見て、当時の私は、そんな彼の気持ちに気付かずに過ごしていたんだと今でも後悔することがあります。

二つ目は、転勤前に彼がくれたぬいぐるみを今でも大切にしていることです。私が寂しくないようにと、「俺がずっと大事にしてきた俺の分身だから」と、大切なぬいぐるみを私にくれました。ふさふさのクマのぬいぐるみを抱きしめるたび、あの頃の記憶があまり思い出せなくなり、悲しい気持ちが押し寄せますが、今でも大切にしていることを彼に伝えたいです。

三つ目は、ハジ→さんの音楽です。遠距離恋愛が始まり、やっと会いに行けた時、彼の車で、ハジ→さんの「指輪と合鍵。」が流れました。お互い出会う前からこの曲が大好きで、曲が流れた瞬間、「俺たちの歌だね。」と彼は言いました。彼が岩手に転勤して来なければ、私たちは出会っていませんでした。 また、彼は私と付き合う前、他の方に浮気や嘘を繰り返され、もう恋も恋人も要らないとも思っていたそうです。まさに出だしの歌詞の部分はリンクしていました。

初めて出会ったのは、研修で、当時、私は短大に通いながらのアルバイトスタッフ、彼は新店の店長でした。研修中、私は彼のどこか寂しそうな、冷たい目が会った瞬間から、そらすことが出来ませんでした。そらしたら、また1人っきりに彼がなってしまいそうでした。私にはそんな彼がいつも強がっているのに気付きました。心から「守りたい」そう思えたのがそんな彼との出会いでした。転勤先で出会い、惹かれ、付き合った私たちにとって、あの歌は本当に共感する曲であり、遠距離恋愛を受け止められる支えでもありました。

また、「 "会いたい"この気持ちを 生きる力に変えていこう 」というこの歌詞は、本当に聞く度、彼を思い出し、また会える日まで頑張って生きようとそう勇気をくれました。私たちは指輪の代わりに、ペアのネックレスを付けていました。私は壊したり、無くしたりするのが怖くて、いつも見える場所に飾っていましが、彼は別れる前までそのネックレスをデートの時、いつも付けてくれていました。そのネックレスが唯一、離れていても、触れたら繋がっていると感じられるものでした。2人とも、この曲に運命的なものを感じながら、いつも聞いていました。

そして四つ目は付き合い始め、何か月か経った後、彼はこんな話を打ち明けてきたことです。彼は幼い頃、両親が離婚し、親の代わりに弟の世話を一生懸命したり、彼はその環境から抜け、誰かに甘えたくて、楽になりたくて、二十歳で結婚しましたが、結婚というより付き合いの延長線上になってしまい、上手くいかず離婚したりと、色々な過去を一人で弱音を吐かずにずっと背負い込んでいました。だから、「生きることなんてもうどうでもいいと思っていた。死にたいって訳じゃないけど、家族が幸せになってくれたら、それで良くて。自分はどうでも良かった。でも、かすみに出会って、これからの人生を生きたいって思えた。だから、いつでも俺の生きる希望になって。」と彼は打ち明けてくれたのです。私はその言葉を言われ、本当に彼を守りたい、支えたい、彼の生きる希望になりたいとそうずっと心に誓いました。

その言葉が今となっては、儚いものになってしまったとしても、私はこの言葉を忘れません。もう一度、自分自身が彼の生きる希望になれなくても、もう二度と会えずに、2人の人生が平行線であっても、彼への想いを「生きた証」として残したいとそう思いました。2人が大好きなハジ→さんの曲を通じて、この想いが大切な音楽によって、彼の元に届くのなら、私はこの人生をもう一度生きたいとそう思えます。

全ての想いを伝えきれずにいた私の想いが、ハジ→さんの歌に、言葉になって、生きた証が残せたなら、その歌とともに胸を張って、彼と繋がっていられる気がします。私のこんな思いを、ハジ→さんの言葉で、メロディーで、感じたもので、人を繋ぐ歌にして頂けませんか。宜しくお願い致します。いつから、彼の希望ではなくなったのか、彼の心が離れようとしていたことを、私は気付けなかったのか、気づかないフリをしていたのか今ではもう分かりません。会えるならもう一度会いたいです。もう一度名前を呼んで、ぎゅっと抱きしめて欲しいです。

ハジさんの歌を通して、もう一度繋がりたいです。今後、再会が果たせず、2人の出会いが一生の別れになったとしても彼の帰れる場所が、一緒に居た頃の様な心落ち着く場所がハジ→さんの奏でる「この曲」であってほしいと心から願っています。2人の居場所が物理的にもうこの世にないとしても、この歌を通じて2人きりにまたなれたら幸せです。2人が出会えたことを、生きた証として残したいです。最後まで読んで下さり、誠にありがとうございました。ぜひ、このプロジェクトに関わる皆様とのご縁があることを願っております。
兵庫県 あほ。さん/女性17歳
幼馴染
自分には、幼稚園から高校までずっと一緒の幼馴染がいます。でも、ちっちゃい頃から特別仲が良かったわけではなく、たまたま2人とも高校の部活が同じで、もともと部活内での男女の仲が良いのでその流れで話すようになって、仲良くなった感じです。今年の春から新チームが始まって、お互いキャプテンという立場になったこともあり、今まで以上に2人で話したりすることも増えました。たくさんたくさん、悩みも聞いてもらいました。

「こんな話ばっかでごめん」っていうと、「ぜーんぶ吐き出してスッキリしい」って言ってくれる。「寒いなぁ」っていうと「これ使うか?」ってカイロを貸してくれた。「俺性格わるいから。笑」って、自分では言うけどすごく優しい人です。部活終わりは、家も近いので2人の家の間くらいにある、道路脇の電柱みたいなところで、喋ってから帰るのが日課になっています。今までは、別に深くこの関係を気にしたことはなかったけど、前にみんなで話していた時ノリで「嫁に来るか笑」って、言ったことがあって、その時に周りにもその子にも凄くびっくりされて、友達と喋っとる時に「2人付き合えばええのに」って言われました。

でも、彼氏 彼女っていう関係になったところで、今までとなんか変わることはないんちゃうかなぁって思うし、人を恋愛感情で好きになるっていうのがどんな感覚なのかが自分にはよく分からなくて、その話をしたあとから今までずっともやもやしています。でも、「俺高校卒業したら誰とも喋ることなくなるんやろーな」みたいな事を前に2人で話している時言われて、「それは嫌やな」って思ったし、この1年自分はだいぶ仲良くなれたと思っていたので余計、寂しくなりました

幼馴染やのに仲良くなりだしたのが高校生からってゆうんも不思議なんですけど、なぜか自分はその子のことを名前で呼べません…笑。変に緊張してしまいます。「今更やけどなんて呼んだらいい?」とか、本人に聞いたりできるくせに名前を呼ぶ勇気が出ないです…笑。もしこーゆうのが好きって事なんやったら、恋愛ってなかなかめんどくさいもんなんやなぁって思ってしまいます笑。よく少女マンガで見る、目と目が合うだけで…みたいな。絶対うそやー!!!って思っていたけど、あー、やられた。って思いました笑。キャラメルが大好き、とかこれがギャップ萌えってやつか!!!!!少女マンガあなどれんなぁ、ってなっちゃいました。笑

でも別に付き合わなくても、今のまんまで…って思ってしまって、結局自分がどうしたいのかが分からずじまいです…。ほんまのほんまに現在進行形の話なので、悩み相談みたいになっているけど、返事とかはないとしてもたぶん友達とかじゃない誰かに聞いて欲しかったんやと思います!全然日本語力もない意味わからん長文、読んでいただいてありがとうございます!!!
福島県 レアさん/女性45歳
ありがとう
私は13年程、不倫していました。不倫って切ないです。その場しのぎで、公で一瞬に手を繋いで堂々と歩く事もできないし、こそこそしている自分がやるせなかった。心のどこかに闇を抱えていました。でも、そんな人生から救ってくれたのが今の彼氏です。7歳も年下なんですけど、自分を大切にしろ、人生、無駄にするなよ、これからの人生、心から笑って暮らそうぜ!って言われた言葉が忘れられません。今まで不安の闇にいたせいなのか、諭された時は涙が止まりませんでした。

こんなに自分の事を親身に思ってくれて、闇から救ってくれた彼氏に感謝です。今、彼氏と同棲しています!こんなに心から笑える自分を取り戻してくれた事に感謝しながら毎日、過ごしています!普段、一緒に買い物したり散歩したり、そんな当たり前の事が不倫していた時は出来なかったから、こんなに楽しいもんなんだなって幸せを感じています。ほんとに幸せです!
東京都 町田知子さん/女性45歳
私の夢に気づかせてくれた
人生で結婚を考えた1人の貴方へ
私は美容師25年目。今は自分で美容院を開き15年目。私が美容師になりたての頃にお店に来てくれていたお客様の彼と恋に落ちた。美容師にはなったけど、他に夢を持っていた私は、24歳まで店長でありながら、美容師としてなんとなく過ごし、そして夢を諦め美容師1本でやっていく事を決めた。そんな夢も何もなくなった時に彼の一言で全てが変わる。「お前の夢ってなんなの?」挫折した私は何もこたえられなかった。夢に向かっている彼はキラキラしていた。それから私は生涯、美容師人生を貫くと決めた。もう彼との恋は結ばれる事はないけど、先日8年ぶりに再会した。変わらなく離れていても、いまでも彼は私の夢を誰よりも応援し続けていてくれていた事を知った。
千葉県 しょ→ぴさん/女性26歳
失くした恋
彼と出会ったのは中学1年の冬。私たちは別の学校のソフトテニス部に所属していて、たまたま彼の学校が私の学校に来て合同練習をした。同じグループになり、彼の第一印象は良いとは言えなかった。「チビだけど上手くてなんか気に入らない。」負けず嫌いの私はそんなことを思った。その日以来、なぜかわからなかったが彼のことが気になってしまった。中学2年になり、彼と同じ学校にいる女友達に連絡をした。彼の連絡先を知りたかったから。その日から彼と連絡を取り出した。あまり頻繁に連絡は取らなかったが、たまに来るメールに一喜一憂していた。大会で会えることを心待ちにする日々が続いた。会ったら話しかけようと思っていても、実際は恥ずかしくてとてもじゃないがそんなことはできなかった。

中学3年になり、お互い部活を引退し会う機会がなくなってしまった。会えないことから、更に気持ちが募った私は彼に告白をした。勇気がなくてメールで。もちろん振られてしまった。その時は失恋ソングを聴き、悲しみをやり過ごした。高校1年生になり、彼のことを忘れて新たなスタートを切ろうと決めていた私は、クラスメイトと付き合った。しかし、やっぱり彼のことを忘れられず3ヶ月で別れた。大会会場では相変わらず彼のことを目で追っていた。高校2年になり、彼への気持ちは変わらないまま、彼とメールでのやり取りをしていた。その時、彼のほうから告白された。私は突然のことに驚いたが、即座にYESと答えた。4年の片思いを経て付き合うことができたが、彼も私も強豪校にいたため休みは0。デートをすることもできず、メールのやり取りのみ。友達からは親指の恋なんて言われていた。そんなこんなで、半年経って私たちの関係は終わってしまった。それからはいい友達としてたまに連絡を取る程度だった。

大学生になっても、私たちは別の大学でソフトテニスを続けた。大会の会場で見かけて話したり、遠征先のホテルが近くの時はこっそり夜に会ったりしていた。好きという気持ちは薄れていたが、やはり彼の存在は私にとって特別だった。周りからは付き合えばいいのにと言われることもあったが、私は彼とは違う人と付き合った。しかし、1年でお別れをした。社会人になり、共通の知人をきっかけに彼と2人で飲みに行くようになった。仕事が忙しい彼だったが、休みに映画を観に行ったり、高校生の時にはできなかったデートをした。私は気持ちが再燃していた。やはり彼は特別。デートの帰り、まだ一緒にいたいなと思いながらも言えずにいると、彼のほうから「もう少し散歩しよう。」と言ってくれた。手を繋ぎたいけど、軽い女に思われたくないし…。

共通の知人と3人で飲んでいた時、私と彼の終電がなくなってしまった。気を使って知人が「先に帰ろうか?」と言ってくれたが、勇気が出ず3人で朝までカラオケで過ごした。どうでもいい人ならできることも彼にはどうしても勇気が出なかった。告白をしようと決意をしたが、私は約1年間の留学に行くことになっていた。行く直前に告白しても、自己満足で終わるのかなと思っていた。行く直前に彼から会いたいとLINEをもらった。私は気持ちを伝えようと決心をした。居酒屋に行った後、恒例のお散歩タイム。桜が咲いている公園のベンチに座った。私は告白しようと思ったその時、彼から「帰って来てからだね。」と言われてしまった。そんなこと言われたら何も言えないと思い、そのまま帰った。彼から「好きだから早く帰って来てね」とLINEが来た。その言葉を信じ、私は留学へ旅立った。留学中も連絡は取り合っていて、「早く帰ってこーい!」って言われていた。

長いようであっという間に留学から帰国した。私はすぐに彼に連絡をして、会う日を決めようとした。すると、彼から共通の知人をいれて3人で会おうと言われた。あれ?と思った。知人が来る前に、2人で先に飲んでいることになった。話していても、以前の感じがしない。すぐに私は勘付いた。もう彼は私に気持ちが全くないということに。現実を知るのが怖くて何も動かないでいた。そんなある日、彼がInstagramを始めた。彼の投稿を見ると、誰かとデートをしているようだった。やはり嫌な予感は的中した。そして、その投稿から数ヶ月後、結婚報告がSNSにアップされた。私は言葉を失った。前に言ってくれた言葉は嘘だったのか?でも私が告白できなかったことが悪いんだと思い、彼を諦め前に進むことにした。 今でも彼のSNSの奥さんとの幸せそうな投稿を見るたび、胸が締め付けられる。結婚してしまったけど、彼は私にとって特別な存在だということは変わらない。13歳から26歳まで私の中には彼がいた。こんな気持ちを知ることができた。彼に感謝をして、私も新たな人生を歩もうと決めた。
大阪府 まりな→33さん/女性14歳
出会いと別れ
最近ずっとカップルを見て羨ましいと思っていた。でも好きな人もいなくて当然彼氏ができるわけがなかった。ある日突然、ひとりの男の子と話していたら、違う男の子が「付き合ってんのー!?」とちゃかしてきた。もちろん付き合っている訳じゃないから「付き合ってないし~」って笑いながら返した。それからなんかずっとちゃかされた。冗談って、二人とも分かっていたからいつも笑っていた。でもなんか、だんだんちゃかされるたびに、その男の子(一緒にちゃかされた男子)が気になってきた。なんでだろうって、ずっと思っていたけど、本当にあの子のことが好きなんだなぁって実感した。

その事を友達に言ってみたら、応援?してくれた。でも、あの子はちゃかされているだけだから、うちに気なんてないと思っていた。そのまま時が過ぎていった。私はお母さんから「1ヶ月後くらいに引っ越しするよ」と言われた。とても驚いた。その事を言われて真っ先に浮かんだのはあの子の事。どうしよう。でももし、今告白して付き合える事が出来たとしても、1ヶ月も経てば私は転校してしまう。遠距離恋愛でも、私は付き合いたいと思ったけど、あの子に迷惑がかかるからと思って告白する事はなかった。心の中であの子をずっと思っていた。

そして、転校の当日。みんなに挨拶した。みんな笑顔で見送ってくれた。私は恥ずかしくてあの子とは話せなかったけど、転校先についてからあの子に、「今までありがとう!本当に楽しい時間をありがとう!これからも友達としてよろしくね!」ってLINEした。あの子のからは「こちらこそありがとう!元気でね!」って優しい言葉が送られてきた。寂しい気持ちもあったけど、転校先でも頑張ろうって思えた。転校先でも、あの子の事は好きなままですぐには忘れることはできなかったけど後悔はなかった。私はこの経験から、恋愛って付き合わなくてもできるんだなって。付き合わなくても、こんなにも嬉しい気持ちになれるんだなって知った。これから、いろんな恋をしてみたいなって思った!
宮城県 宮城のおだづもっこさん/女性22歳
出会いと別れ
地元が一緒の私たち。出会いは中学に入る直前。小学校を卒業したばっかの頃。当時、お互いの第一印象は“なんだあいつ”…。悪い印象しかなかった。お互い生意気でクソガキだった。中学に入学して、クラスは別。なのに何故か連絡を取り合うようになり、次第と仲良くなっていた。どうやって連絡先を交換したかはもう何年も前になるから忘れた。話せばいいやつじゃん、優しいじゃんって思うようになっていた。好きな曲がドンピシャで、よくCDを貸してくれた彼。気付けばお互い“マブ”と呼ぶように。真面目に相談し合ったりするときもあれば、ふざけあったり校舎のなか走り回ったり。当時はお互いに別な好きな人がいて、付き合っていた。まったく恋愛感情なんてなかった。中3の最後の中総体。彼はバスケ部、私はソフト部。彼は私にバッシュを差し出して、「なんかメッセージ書いて」って言ってきた。彼女を差し置いて。笑。いいの?って聞いたら、書いて欲しいって言ってくれた。私は、「負げだら許さね」と東北弁ばりばりのメッセージを書いた覚えがある。笑

共に中学3年間を過ごして、無事卒業。そして、お互い地元の高校へ進学。私は前期で受けて合格。彼は後期だった。合格の知らせを受けたときは、本当に嬉しかった。また一緒に3年間過ごせる、馬鹿みたいにふざけあえる、またCDとか貸し借りができる。素直にそう思った。当時、お互いに付き合っていた人はそれぞれ違う学校へ。でも、その時もまだ彼と私は恋愛感情とまではいたっていなかった。高校に入り、彼と私は違うクラスだったが、彼はしょっちゅう私のところに教科書やら借りに来ていた。高1の初夏、私の16歳の誕生日だった。いつものように教科書を返しにきた彼。なかなか返してくれなかった。ん?と思っていると、教科書の間にお互いに好きなアーティストの当時の新曲のCDがはさまっていた。その時彼が、「誕生日おめでとう!」と言ってきた。それが初めて彼にされたサプライズだった。私は本当に嬉しくて飛び跳ねて喜んだ。くれるの?!と聞いたら、あげねーよ、レンタルな!って言った。でも特典で付いてきたステッカーを見つけると、それは誕生日プレゼントであげるって言ってきた。今思えばそれが彼の優しさでそういう些細なことで人を喜ばせるところが彼の良いところだと私は思う。

その頃からだった、私が彼を意識し始めたのは。夜中まで一緒に遊んだりもした。私が部活中に倒れて救急車で運ばれたときも、誰から聞いたかは分からないけど、とても心配した様子で連絡をくれた。すでにもうお互い気を使う関係ではなく一緒に居て楽な存在だった。そしてその頃にはもうお互いに付き合っていた人とは別れ、中学よりも仲が徐々に深まっていった。高1の冬、彼に告白された。「前からお前のこと気になっていた」その一言だった。私は、正直 一時的な感情だろうと思っていた。別に嫌いじゃないしいい奴だし、付き合おうかなとその時は軽い考えだった。それから2人の物語が始まった。

“マブ から 大事なひとへ”一緒に居ればいるほど、どんどん好きになっていって、初めての感情だった。もう彼しか考えられなくなっていた。しかし、高2になる頃、彼は学校を辞めざるをえなかった。私は高校2年生へ、彼は一足先に社会人へ。立場が違くなった。辛かったけど、住む場所が近いしいつでも会えると思っていた。私は部活が忙しく、彼は仕事。なかなかゆっくり時間をとることができなかった。付き合って半年がたとうとしたころ、彼に好きな人ができ、破局。私は、やっぱりなと思ったが、なぜか涙がとまらなかった。その頃は2番目でもいいと思った。その1ヶ月後に、彼から連絡が。将来を考えたらやっぱりお前がいいと言われた。心の底から嬉しくて、よりを戻すことに決めた。

それから私は無事に高校卒業、地元の企業に就職した。彼との仲も順調で、たくさんのサプライズもされた。仕事で長い間出張に行っていた彼が帰ってきたとき、11本の真っ赤なバラの花束をくれた。クリスマスだった。意味を調べたら“最愛”。彼は照れ臭そうにしていたし柄じゃないけど、とっても嬉しかったのを今でも鮮明に覚えている。私の20歳の誕生日の時も、出張で不在だったはずが、こっそり帰って来ていて地元の友達や親戚と協力してたくさんのケーキやプレゼントでおっきなサプライズをしてくれた。一生忘れられない誕生日になった。このまま幸せな毎日が続いて結婚して。そうなると思っていた。

よりを戻して3年半ぐらい経った頃だった。同棲を考えてもうそこまで話が決まっていた。だが、お互いのすれ違いが絶えなくなっていた。その理由は束縛だった。一緒にいても喧嘩ばっかりになっていた。会話も徐々に減っていき、距離をおいた。同棲の話は白紙。考え直そうとした。私は彼にとってどんな存在なんだろうと、大切さをわかってほしい一心だった。そして、お互いのギクシャクは良くならず、初めて付き合ってから4年目を目前にして別れ話をすることに。それと同時に私の妊娠が発覚。私はしっかり伝えた。別れたくないと。この子が別れちゃダメだよと言っているような気がして。

でも彼は「距離をおいている間、お前がいなくてもなんとも思わなかった」と言った。もうこれではダメだ、お互いに同じ気持ちじゃなきゃ一緒に居ても意味がないと思った。そして1番かわいそうなのはこの環境で産まれたこの子だと思った。だから、別れを決意し、私は人口中絶手術を受けた。一生分の涙を流した気がします。ちゃんと意味のある名前を付けて、絶対に忘れちゃいけない、この先もこの子と生きていくんだと誓った。命日にはひとりで手を合わせに行き、あの子とたくさん話をした。私は大丈夫だから、彼の側に居てあげてと。もうこれで彼とは終わり。連絡先をはじめに彼との思い出すべてを捨てた。でも、すべて捨て去ってもこの気持ちが消えることは無く。彼に新しい相手ができたと噂で聞いた。心が痛かった。私はこんなに辛い思いをしているのに、なぜ彼は楽しんでいるのだろうと、とても悔しかった。心の穴を埋めようと、私も新しい人と付き合ったりもしたが、ダメだった。見返してやるはずだったのに、まったく吹っ切れない自分に腹が立った。彼のどこがいいか考えたけど、そんなの分からない。でも、ただただ彼がいいと思った。

そして手術の日から1年、つまり命日から1年が経つ前日。彼から一本の電話があった。「明日、一緒に行こう」と。久しぶりに彼に会った。相変わらずだった。でも少し痩せていた。2人で一緒にあの子に手を合わせに行き、他愛のない話をしてその日はわかれた。会った瞬間に気持ちがあふれた。でも、簡単によりを戻せる関係ではなく、彼には相手がいた。ただひたすら、私は待とうと決めた。それからたまに連絡をとったり、ご飯を食べに行ったり、遊んだりするようになった。これでいいのだろうかと考えたりもしたけど、やっぱり好きという感情には勝てない。私は彼が好き。それだけだった。いろんな男の人たちと出会ったりもしたけど彼を越す人は現れなかった。どうしても無意識に彼と比べてしまう自分がいた。

私の想いが伝わったのだろうか。ある日、彼が今夜空いているか聞いてきた。見せたいものがあると。お互い仕事終わりだった。彼が大きな紙袋を持ってきた。なんだろう?と中身を見ると、付き合っていた頃、私が彼にあげたプレゼントたちだった。たくさんのアルバムに手紙など。とても懐かしかった。彼のお母さんが捨てないでとっていたらしい。すでに彼は新しい相手とは別れていた。そして彼が言った。「俺のことをちゃんと理解して受け止めてくれるのはお前だけだった、やっぱり俺はお前が好きだ」「結婚しよう。」プロポーズされた。その日は、1月29日。そう、私たちが初めて付き合った記念日は、1月29日。付き合っていれば、5年記念日だった。今日この日に伝えたかったと彼は言ってきた。私は、ずっと待っていたよと伝えた。

でも、私たちには重い過去がある。まずはお互いの親に頭を下げに行った。ちゃんと認めてくれるとまではいかないかもしれないけど、今度こそ真面目に。ということで付き合うことを許可してくれた。そして今、2人の物語がリスタート。二度と同じ過ちは繰り返さない。そして信用を取り戻すために。この離れていた1年、お互い成長した気がする。考え方も変わり、些細なことですれ違いもなくなった。大人になった。喧嘩をする時もあるけれど、ちゃんと話をして解決するようになった。ちゃんとごめんねをお互いに言い合い仲直りをするようになった。心の底から信用できるか?と聞かれたら、正直 今はまだ分からない。

ただ、私は彼と一緒に人生を歩みたい。そう思ったから側に居ることを決めた。私のことを理解して受け止めてくれるのは彼しかいないし、彼のことを理解して受け止められるのは私しか居ないと思うから。離れていたのが嘘のように、一緒に居て楽で、苦じゃない。素でいれる。安心感こそ、最上級の愛情だと私は思う。カッコイイから好き、優しいから好き。そんな感情で始まったわけじゃなく、好きになったからカッコよく見えるし、好きになったからより一層優しさを感じる。そう思わせてくれたのは、彼だけだった。私は何があっても彼を離さない自信があるし、この先もずっと側で私が彼を支えていきたい。どんなに辛くても一緒に居たいと思えた人に出会えたことに感謝。

彼と出会って、あっという間にもう10年が経とうとしている今。12歳の時に出会って、16歳の時に付き合い、今年22歳になる。出会った頃は、こういう風になるなんて微塵も思わなかった。あの頃のガキンチョな私に伝えたい。いま目の前にいる人が、私の運命の人だよと。人生の半分は、一緒に過ごしている私たち。好きになるのに、時間や距離なんて関係ないと思っていたけど、案外大事なのかもしれない。長く一緒に居るからこそ、知っていることもある。今や、会話なんてなくても彼が何をしようとしているか、何を求めているか、何を考えているか、顔を見ればだいたい分かる。それがとても居心地がいい。まだまだ未完成で未熟な私たちだけど、過去の経験をいかしていちからまた頑張っていきたいと思う。これが私たちの凸凹な物語。
神奈川県 ゆり→さん/女性20歳
気付いてほしい
私には好きな人がいます。彼は1つ上の大学の先輩で、サークル関係で知り合いました。彼には1年以上付き合っている彼女がいます。2人はとてもお似合いで、私が手を出せる隙なんてありませんでした。ずっと好きになってはいけない人だと思っていました。彼は私のことを妹のような大切な後輩と思ってくれていて、私が困っていたらいつも助けてくれたり励ましてくれたりしています。私はそんな彼に彼女がいることをわかっていながら惹かれていきました。彼への気持ちがはっきりしてからも気持ちを伝えてしまったらもう今のままの関係ではいられないと思い、気持ちがばれないように必死に抑え彼の前では可愛い後輩でいようと決めました。

きっぱり諦めようと、連絡をとるのをやめたり、なるべく会わないようにしたりもしました。でもその努力もむなしく、むしろその人のことをずっと考えてしまい逆効果でした。彼も私のことを気にかけてくれていて、学校で会うたびに名前を呼んで笑いかけてくれます。正直私への気持ちなんてないんだから優しくなんてしないでほしいとも思います。けど、そんな優しい彼が私は今でも好きなんです。私の恋に終止符は打てるのでしょうか。伝えたくて溢れそうな想いを閉じ込める方法なんて存在するのでしょうか。あるなら教えてほしいです。
兵庫県 chinamiさん/女性19歳
人生を考える
私は中学2年の秋に精神疾患になり将来への希望を失い、一時期、不登校でした。勉強も追いつかず高校受験は、中2の夏から憧れていた志望校より4つ下のランクにせざるを得なくなりました。無事合格したものの悔しさ、情けなさが喜びより勝っていました。高校では勉強は追いつけていたんですが、精神疾患を理由に根も葉もないことでいじめられ自殺を何度も考えていました。高校を卒業して1年、今は通院しながら家で過ごしているニートです。思い描いていた自分の未来とはかけ離れた生活です。病気で電車に乗るのも怖く、遊びに行けない、大好きなアーティストのコンサートにも行けない。そんな自分を友達とどうしても比べてしまい、その度に劣等感で泣いています。最近は生きている意味がわかりません。
香川県 ナルさん/女性38歳
出会いと別れ
出会った時は、友達だった。いつの間にか気になる存在になって、LINE交換してくれたよね…。「好きだよ」「俺も好きだよ」時間が合えば会うようになって…「愛してる」「俺も愛してる」あなたなしで、生きていけない気がした。「家族になろう」「そうしよう」…そう言った直後にあなたは、居なくなった。何も言わずに天使になってしまった…。私は、あなたをずっと探し続けている…。「幸せになろうね」「いろんな所に行こうね」その約束は、どうしたら良いの?二人でした約束…何一つ叶えられてないよ…。私は、まだ、あなたにいっぱい伝えたい事があるよ…。私のそばに帰って来て欲しい。それだけをただ、願っている…。
宮城県 しずかさん/女性35歳
ありがとう
私のおばあちゃん。小さい頃は農家をやりながら共働きの両親で、学校から帰るといつもおばあちゃんが待っていてくれた。大人になっても、実家に帰るといつもおばあちゃんが待っていてくれる。歳をとって、歩くのがつらそうなのに、実家に帰ると畑から新鮮な野菜をとってきて、私に持たせてくれる。昔から畑の野菜はずっとおばあちゃんが作ってくれていた。パン屋で働く私のお店に、大好きなメロンパンを買いにくるのが1番の楽しみだって。私の夢は自分でパン屋さんをすること。その1番の応援者がおばあちゃん。夢叶えるまでずっとずっと元気でいてほしい。おばあちゃんにいつもは言えない感謝の気持ち届けてほしいな。
大阪府 Rin.さん/女性22歳
気付いてほしい
私には大学入学当初から好きな人がいます。何を考えているか分からないし、私に対して凄くきついけど、悩んでいる時は真剣に相談に乗ってくれて、時には怒ってくれたりするようなとても優しくて素敵な人です。普段は自分のことが嫌いだけど、その人と一緒にいると素の自分でいられ、自分のことが好きになれます。片想いですが今でもこの人が大好きです。入学当初、その人は女友達も少なく自分からみんなに話しかけるような人ではないので仲良くなるために時間がかかりました。しかし学籍番号が前後ということもあり、同じ授業が多かったのでわざと隣に座ったり、授業はきちんと聞いているので理解できるけれど「分からないところがある」と言って連絡したり、うざ絡みをして仲良くなることができました。

1回生の夏頃には大人数で遊びに行くことが出来るようになって、相手も私のことを理解してくれるようになって毎日がキラキラしていました。しかしそれと同時に、「特別な人になりたい」と思うようになって、その人が他の女友達と一緒に遊んでいたり相談したりしている姿を見ると凄く辛かったです。2回生になると毎日LINEをするのは当たり前。電話をしていてどちらかが寝てしまっても切らずに朝まで繋げておいて、「おはよう」を言い合うなど2人だけの秘密が増えました。ずっと思っていた「特別な人になりたい」という気持ちが抑えきれず、夏休みに告白しましたが友達にしか思えないという理由で振られてしまいました。けれど、「人の気持ちなんて明日になれば変わっているかもしれない。今は無理かもしれないけど、いつかは特別になるかもね」と言われて、片想いを続けようと決めました。

冬になると、2人でご飯を食べにいったりすることが出来るようになりました。初めて終電がなくなって泊まることになった日、二人乗りをしながらポケットに手を入れて、手を繋ぎながら帰りました。寝る時に抱きしめられて、とても幸せな気持ちになったと同時に「なんで彼女になれないんだろう」と思って涙が止まりませんでした。辛いのに好きなことをやめられなくて、悔しい気持ちを押し殺しました。3回生になって、ご飯の回数も増えたり泊まる回数も増えた頃、好きな人に彼女が出来ました。そして、その彼女は私が大学生になってから1番仲の良かった、いわゆる「親友」と呼べる友達でした。この事実を知った時に「なんで?」という思いだらけでした。私が好きなのを知っていたのに、頑張れって言っていたのに、好きな人はいないと言っていたのに全部全部嘘だったのかと思うと、辛くて苦しくて人間不信に陥りました。親友に裏切られた気持ちになって、親友とは疎遠になりました。人の絆ってこんなに簡単に切れてしまうのかと悲しくなりました。

彼女が出来たから諦めようと何度も思ったけどできなくて、好きな人とはずっと連絡を取り続けていました。彼女が出来ても私たちの関係は変わらなかったです。手をつなぐたびに、抱きしめられるたびに幸せだったけどとても辛くて、浮気だって分かっているのにやめられない自分がとても嫌いになりました。どんな思いでこんな風な対応をしているんだろう?と考えれば考えるほどしんどくて訳が分からなくなりました。でも相談や辛いことがあった時に話したくなるのは好きな人で、頼れる存在なので離れることが出来ません。私は今4回生なのですが、来年就職すると離れ離れになってしまいます。離れる前のあと少しの期間、辛いけれど好きでいることをやめずに片想いをしようと思います。
兵庫県 チップさん/女性32歳
うれしい・たのしい
私は今、5歳年下の男の子と付き合っているのですが、その出会いは10年程前のことです。私は大学生、男の子は高校生。私はコンビニでアルバイトをしていて、田舎なので、店員とお客さんとの距離が近く、フレンドリーに話すお店だったので、常連のお客さんとはよくお話をしていました。そのコンビニは2つの高校の近くにあったので、たくさんの高校生たちが部活終わりの小腹を満たしに毎日のように寄り道をしに来ていました。「今日は何にする?」「気をつけて帰りやぁ~」なんて、たくさんの学生たちと会話をして、卒業していく子、入学してきて通うようになった新しい子など、たくさんの子と仲良くなることが出来ました。そんな中の一人が今の彼氏です。その子が卒業して何年か経ったある日、神戸の三宮にたまたま職場の先輩とランチに出かけた時、そのコンビニに来ていた高校生が大学生になったころに偶然再会をしました。

また、月日は流れて、普段は車通勤で、電車に乗ることはないのですが、会社の記念のイベントに参加するため、この日はたまたま電車に乗ってUSJへ向かう途中、電車の同じ車両で、彼氏が大学を卒業し、会社に出勤するために電車に乗っていて、たまたま同じ車両で、びっくりしながらも、もう働いているんやって、大人になったなってびっくりしながら仕事頑張って、というような会話をしました。その数か月後に、彼氏から友達と一緒にFacebookの友達申請がきたので、友達になり、少しだけメッセージのやりとりをしました。

その3年後に、また久しぶりにFacebookで彼氏から連絡が来ていたのですが、私はFacebookを全然みていなかったので、連絡が来ていることに気づいたのは20日後…(笑)。遅ればせながら連絡を返しました。たわいもないメッセージと、今どうしてるのかっていうような内容のやりとりをする中で、「一緒にご飯でも行きませんか?」って誘われて、少し悩みながらも、1回ぐらいいいかって気持ちでご飯に行くことにしました。近くのお店に行くか、ちょっと遠いけど行ってみたいお店にするか迷って、もし予約が出来たら行ってみたいお店にしようって前日の夜にFacebookのメッセージでやりとりをしていて、当日の朝に予約の電話をして空いていたので宝塚の中華のお店に行くことにして。

私「12時半に予約をしたけど、何時に集合する?」彼氏「何時でも大丈夫ですよ」私「じゃあ、10時半ぐらいにコンビニ跡地にする?」(私が働いていたコンビニは閉店をして、クリーニング屋さんになってしまいました)って送ってから連絡が返ってこず、10時半も過ぎて、11時前ぐらいに連絡が来て、彼氏「今気づきました!11時10分にお願いします」…絶対寝てたな(笑)。その10分は準備の時間やな(笑)って突っ込みたくもなりながら、その時間に集合場所に歩いていくと…怒られて廊下に立た去れている子のようにうつむき加減で、車の前で立っている彼氏がいました(笑)。それが久しぶりの再会で、コンビニで出会った時から、10年程経った頃でした。

「めっちゃ久しぶり!車も運転できるようになって、大人になったなぁ~!私の中ではずっと高校生のイメージしかないわ」なんて話しながら、気になった11時10分の突っ込みもしながら、予約したお店に向かいました。ドライブの時間が結構あって、会話が続くかなぁなんて心配していたのですが、私の今までの印象とは違ってめっちゃ喋る子やなって、ホントにいろんな話を聞かせてくれました。それが去年の8月で、私は去年ハジ→さんフィーバーの年で、ハジ→さんに何回も会うことが出来て、私の周りのみんなにハジ→さんの話をしても知らないって言われるばっかりだったのですが、彼氏に「ハジ→さん知ってる?」って聞いたら「知ってますよ!」って答えが返ってきたので、めっちゃテンション上がりました。「風のたより。と人生は素晴らしい物語。と春色。3曲だけですけど、知ってます。」って、知っていてくれて私はめっちゃ嬉しかったです。

それで、ライブも楽しいよって話をしたら、ライブに行きたい!ってことで、去年は秋から“WE LOVE YOUR TOWN TOUR→♪♪”の第2章があって、チケット発売していたからそのどこかの日休めたら行こうって話になってその日はさよならしました。正直、そのハジ→さんのライブに行きたいって話にならなかったら、もう1回会うって話にはならなかったんじゃないかなって思います(笑)。それまではずっとFacebookのメッセージのやりとりでしたが、ご飯に行った日からLINEでのやりとりが始まりました。ライブに行く日が決まって、その日まで会えないのは寂しいです、なんて言われてライブに行く前に、西宮にランチとパフェ食べに行ったり、USJに行ったり、何度か一緒にお出かけしたり、お互い通勤が車になっていて、仕事の帰りにまさかの車が前後になってコンビニの駐車場にとまって話をしたり。振り返ると、偶然出会うことが多くて、こんなにたまたま出会う人はいなかったなって思います。

8月に久しぶりの再会をして、ライブが10月で、それまでにいっぱい曲を聴いたり、DVDをみてハジ→さんの勉強してくれたり、一緒に遊びに行って、一緒にいて居心地良いなって思い始めました。彼氏の方は好き好きオーラが全開で、そんなこと言えるなんてすごいなってびっくりするような恥ずかしいこと、例えば「ハジ→さんのライブに行けるのが嬉しい、いや一緒にライブに行けるのが嬉しいです」とか、「早く会いたいな」とか、そんなことをいっぱい言ってくれていました。ハジ→さんのライブは、岡山公演だったので、車で片道2時間ほど。せっかく岡山にいくし、しおりとかあったらいいなって話になって、お互いにしおりを作って、行く前に交換したら、ライブに行く数日前に私の体調が悪くて、咳がとまらなくて、のど飴と生姜湯を買ってきてくれたり、いつも優しくしてくれました。

そして、しおりのリクエストでチビはじくんの絵描いてって言ったら、頑張って書いてくれたり、当日の天気予報が雨で、自分が雨男って言っている彼氏なので、てるてる坊主をつくって、その写真を送ってくれたりしました。てるてる坊主なんて作ることないし、なんかアメフリ。みたいやなって話したりしていました。 ライブの当日は、車でお迎えに来てくれて朝早く家を出発して、岡山までドライブ。岡山に到着したとたん、まさかの雨!!!!!まず後楽園観光しようって予定やったけど、雨やし、お腹空いたし、お城の中のお店でパフェ食べようって食べて、岡山城を観光して外に出たら、雨がやんでいてめっちゃ嬉しかったです。てるてる坊主効果があったのかな。この日のテーマは、ライブとパフェ巡り♪後楽園観光と、パフェは全部で3つ食べたり、岡山満喫して、ハジ→さんのライブでもめっちゃ楽しく盛り上がれて、ライブが始まる前、彼氏「ライブが始まってほしくないです」私「なんで???」彼氏「始まったら終わっちゃうじゃないですか」私「えぇ~!私は始まってほしいな!始まって終わらない方がいい」なんて話していました。

ライブからの帰り道、彼氏は告白しようとして、でももしフラれたらもう会えないっていう葛藤があったみたいで、結局言えずにバイバイして、数日後にまた遊ぶ約束をしていて、その日の帰りの車の中で、頑張って告白してくれて付き合うことになりました。今月で付き合って8か月。いつも私のことを大切にしてくれて、優しくしてくれる彼氏に感謝すると同時に、私たち2人を巡り合わせてくれた偶然と、そう導いてくれたハジ→さんに感謝しています。これまでも、これからもハジ→さんのことを2人で応援していきます。今度のライブもめちゃくちゃ楽しみにしています♪♪いつも元気と勇気と夢を与えてくれるハジ→さん、ありがとうございます。これからも2人が幸せであり続けられるように、応援よろしくお願いします☆彡 長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました(≧▽≦)
北海道 さらさ→てぃ→ちあきさん/女性28歳
ありがとう
出逢いは海でした。地元が同じで共通の友人の誘いでキャンプに参加した日のことです。みんなで楽しくBBQ…お酒も入り距離が縮まった私と彼。お互い恋人がいたにも関わらずその日を楽しみました。今まで私は追う恋ばかりで自分を見失い、相手を気遣いすぎて素直になれず、周りからも指摘される程でした。でも彼と出会ったことによって、ありのままの自分でいることができ素直になることを学びました。お互いの気持ちがヒートアップし、当時の恋人と別れ私たちの恋がスタートしました。その時、私が聴いていた曲がハジ→の「おまえに。」です。YouTubeを見せ音楽を通してまた仲が深まりました。あなたと出会えたことで私は変われた気がする、と当時話しました。

初めてのデートはハジ→のライブ、彼が「ハジ→会いたかった!」と叫ぶと今の男の声は誰だ?と…そして即興で歌ってくれて最高な初デートでした。それから2回目のライブではタオルをキャッチ、3回目は超大当り…そして結婚第一子妊娠。お腹ナデナデしてもらって母子手帳にサイン。産後また参戦して娘のほっぺプニュしてもらって、第二子妊娠のときもお腹ナデナデ…。彼と出会ったことによってハジ運も最高潮でした。

ハジ→に出会って、彼に出会って、良いことづくしの私の人生。彼に出会えてなければきっとあのままの私。ありのままの私を受け入れてくれて、家族になってくれてありがとうの気持ちでいっぱいです。これからは子どもたちの未来のため、今を楽しく生きるために親として日々成長していこうと毎日子どものことで頭がいっぱいの親バカな2人になりました。あなたと出会えたことで大切なものが増え笑顔が増えシワも増え…幸せがどんどん増えていくものだと思っています。
佐賀県 泉美さん/女性12歳
失くした恋
これは小学5年生のときの出来事。その頃、周りの友達が話していたのは好きな人やアイドル、俳優の話。特に盛り上がっていたのは恋バナ。でも、その時の私は興味を示さなかった。恋なんて遠い世界の人たちが経験するものだと思っていたから。その時までは…。2017年が始まって2ヶ月が過ぎようとしていたある日、体育の授業でバレーボールがあった。運動が大の苦手である私にとっては憂鬱な時間。いつも通り出来ることだけをやっていた。でも、その日は調子が良くてたくさんの点を入れることができてその日の試合は全勝。チームの仲が良かったのもあり、全員でハイタッチをした。その時、私はそれまで経験したことのない感覚に襲われた。普段、まぁまぁ話すくらいの男子とハイタッチしたとき、ドキッとしたのだ。他の男子としても何とも思わないのに、その人としたときだけドキドキして、その人の手の温度がいつまで経っても残っている。

恋というものを知らなかった私はネットで「男友達 ドキドキする」と調べた。すると、驚きの検索結果が映し出された。そこには「好きな人」だとか「好きになった」だとかいう言葉が並んでいた。その言葉を見たとき、私はやっと気が付いた。私はその人に恋してしまったのだと。それから、その人に話すのが怖くなってしまった。挨拶するのにも緊張して、話すとなると頭が真っ白になってしまう。最初はとっても辛かったけど、だんだん辛くなくなってきた。4月になり、私たちは6年生になった。残念ながらクラスが離ればなれになってしまい、話す理由が無くなった私は、あまり話せなくなった。けれど「好き」という気持ちは日に日に大きくなって行って、数ヶ月後には会えるだけで幸せだと感じた。

その頃、縦割り掃除という1~6年生の男女1名ずつで構成された班で行う掃除が始まった。 私たちの班は体育館掃除。体育館は蒸し暑く、教室から1番離れているため嫌だったけど、私はとても嬉しかった。なぜなら体育館裏の通路掃除がその人の班だったから。体育館の換気窓から通路が見えるようになっていて、窓は開閉するとき、少し話せる。ほんの少しだけど、色んな話が出来た。それから、私は掃除の時間が待ち遠しかった。こんな幸せな日々がずっと続いて欲しい、と思っていた。その願いが叶わないとも知らずに。

運動会も終わり、そろそろ生活に慣れてきた頃、私はある噂を聞いた。それは私が思いを寄せている人が県外の有名私立中高一貫校に進学するという噂。もともとその人は頭が良く、県外の有名私立に進学するというのもあり得ない話では無い。でも、その時は「そんなの嘘に決まってるじゃん」って聞き流していた。それから4ヶ月が経ち、噂は本当だと知った。それを聞いて、告白しようかとも考えた。でも、この時期が1番大切な時期だと思い、告白は延期した。2017年も終わり2018年が始まって2ヶ月が経った。その人は無事合格した。私も県内の学校を受験して合格した。無事終わったんだし告白しようと思ったがやめた。今さらしても無駄だと思ったから。その頃、私たちはすれ違っても挨拶すらしない関係になっていた。

1年前のあの日、私は初めて恋をした。恋をしてからというもの、毎日がキラキラしていた。「そんな日々もそろそろ終わってしまう」卒業までのカウントダウンが書かれた日めくりカレンダーを見ると、余計そのことが身に沁みた。月日が流れるのも速く、卒業まで残り10日を切ったある日、その人のクラスが外で授業をしていた。私は教室での授業だったけれど先生が来ていなかったためにボーッと外を眺めていた。その時、その人と目が合った。今思えば、私の思い過ごしだったのかもしれない。でも、その頃の私は目が合ったような気がした。5秒程だったと思う。けれど私には5分くらいに思えた。目が合った時、改めて感じた。私、あの人のことが大好きなんだ、と。

待ちに待った卒業の日がやって来た。6年間、仲間と一緒に笑い、怒られ喧嘩して…たくさん成長した学校を卒業する。卒業証書をもらい、無事卒業式は終了した。ほとんどの人が同じ中学校を受験して、同じ中学校に進学する。でも、泣いてしまった。6年前、1人で登校するのに不安を覚え、泣きながらくぐった校門。もうこの制服でくぐることは無いのかと思うと涙が溢れた。その後は卒業生と保護者が集結し、謝恩会が行われた。さっきまでの涙はなんだったのかと問いたくなるほど、保護者は愚痴をこぼし、私たち卒業生は写真を撮りまくった。大して写真を撮る相手もいない私は、お手洗いに行った。そこにはあの人もいた。 2人きりでいられる最後のチャンス。ここで言わないと。そう分かっているのに、たった2文字が口から出てこない。そうしているうちに、その人は戻ってしまった。

謝恩会も終わり、本当にお別れの時間。親友は自分の好きな人とツーショットを撮ったととびきりの笑顔で報告してくれた。私もそんな笑顔で報告したいのに。そう思いながら、親友と2人母の車を待っていた。好きな人は私と親友の近くにいた。本当に最後のチャンス。親友からも「伝えなかった後悔するよ」と言われたけれど、やっぱり言えなかった。あと1時間でいいからこの時間が続けばいいのに。そんな願いもむなしく、母の車は来てしまった。私の初恋は降っていた雨と共に流されて行った。親友を家まで送る間、何度も「大丈夫?」と聞かれた。けれど親がいる手前「大丈夫じゃない」なんて言えない。その場しのぎで「何か吹っ切れたから!全然大丈夫」と言って何とか乗りきっていた。家に着いてから、父や妹・弟、祖父や従姉妹に「卒業おめでとう」という言葉をもらった。けれど、私の心の中はボロボロだった。部屋着に着替え、ベッドに倒れ込んだ。その瞬間、しょっぱい水滴が流れてきた。私は泣いていた。楽しかった日々を思い出しながら。家族にバレないよう毛布にくるまって、泣いた。その時、外はまだ雨が降っていた。
福島県 むすめっち。さん/女性18歳
ありがとう
父と母が出会ってくれたから生まれたこの私の命。毎日父と母と楽しく幸せに過ごしていた。ご飯を食べるときも寝るときも3人一緒。だけど私は少しずつ大きくなるにつれて、自分の部屋で、1人で寝るようになった。そうしたらいつの間にかお父さんとお母さんも別々で寝るようになっていた。私はまだ小学生3年生くらいで小さい時だったから特に何も思っていなかった。だが突然お母さんと別で暮らすようになった。父と母は“離婚”してしまった。とっても悲しく辛かった。でも1番辛かったのはきっと父と母。離婚というのは2人にとって大きな決断だっただろう。やっぱり家族みんなと一緒に暮らしたい。それが1番の本音。でも離れて暮らすことになっても“家族”で“私は2人の娘”ということには変わりない。私はそう思っています☆♪

あの日から約10年。父と母には感謝することがたくさんです。お父さんは遅くまでお仕事をしているのに、学生の私に毎日お弁当を作ってくれます。そして休みの日にはどこかに連れて行ってくれます。母とはお互いの予定が合う時は月に数回ご飯を食べに行ったりしています。やっぱり普段生活していて、母にしか話せないようなこともたくさん出てきます。母はいい意味で、友達感覚でいてくれて、私の話をたくさん聞いてくれて色々なアドバイスをくれます。親が離婚してしまって悲しいけれど、その分私は親の偉大さに気づくことができたと思います。父は私のために一緒懸命働いて、ご飯を作ってくれて、遊びに連れて行ってくれて。母は別に暮らしているけど、たまに行く食事、SNSで話をたくさん聞いてくれて側にいてくれる。

私は2年後、社会人になります。今、将来“親孝行”をしたいと思っているけれど、なにをすることが親孝行になるのかはまだ分かっていません。社会人になって自分なりに仕事を頑張り、そこで目標に向かって目指して行く。その中でまたさらに親の偉大さに気づくことが何度もあるのではないかと思います。そこで親孝行というものを何か1つでも見つけて、父と母にすることが私の人生の中の目標です。お父さん、お母さん、2人が出会ってくれてありがとう。そして私に命を与えてくれてありがとう。いつか3人でご飯を食べに行って3人それぞれの、今まで起こった楽しいこと、悲しいことを肩並べて話せる日が来るといいな♪ 2人は私の大切な家族です。これからもよろしくね☆ だーーーーいすき!!!
兵庫県 つな。さん/女性17歳
出会いと別れ
わたしには好きな人がいました。笑顔の似合う人。懐っこくみんなに好かれるような彼でした。私は以前の恋で二股をかけられていました。そんな時に出会ったのが彼でした。何かある度、相談に乗ってくれ笑わせてくれました。そんな中、お互い惹かれあっていったようで彼からの告白。泣きながらOKしたのを覚えています。前の恋であまり積極的に動けない私にも優しく側に寄り添ってくれ、私も徐々に笑い、時には喧嘩するまでに仲良く、周りから羨ましがられる程でした。しかしそんな中、彼の浮気が発覚し、1度目も2度目も許しました。ですが何度も許してしまったためか、彼は何度も繰り返すようになり、喧嘩の際には暴力まで振るうようになってしまったんです。

それでも好きだから、一生懸命笑って誤魔化して、隣にいようと頑張っていました。仲の良い友達に別れろと言われ続けてもそれでも自分の気持ちに嘘つきたくなくて。彼の笑顔を独り占めしておきたくて我慢していました。ですが彼がバイト先の先輩とキスしているのを見てしまった私の友人から連絡が入り、私はその場で泣き崩れてしまいました。そしたら「何泣いとん。めんどくさいしお前いらんから」って逆に振られました。そんな事を言われても一緒に過ごした日々が幸せで楽しくて忘れることができません。別れてから数カ月、彼とのお揃いのものを付けたままの私。偶然彼の友達に会った際に、お前らまだお揃いのもの付けまんまやん。お揃いのもの持って携帯ケースまでお揃いのものでお前ら別れたんじゃないん?って。私には怖くて続きを聞くことが出来ませんでしたが、この話を元に彼へ私の今までの気持ちが伝わればと思っています。
北海道 みちきゃんさん/女性23歳
出会いと別れ
今年の11月に入籍する彼と私の話です。18歳の頃に彼と出会いました。出会いのきっかけは共通の知り合いでした。彼は私の1つ上で19歳。車が趣味で、ハチロク(スプリンタートレノ)に乗っていました。私も昔から父の影響で車が好きでしたが、専門学生だったためまだ免許は取得していませんでした。当時仲良かったメンツで毎日のように遊んでいた彼達は、車が趣味のため個々に好きな車を乗って集まっていたりしました。私は免許も車もないので、たまに誰かに迎えに来てもらわないと遊びに行くことができませんでした。ですが、彼と出会ってから、 彼がよく私を誘ってくれて迎えに来てくれるようになり頻繁に遊んでいました。でもその頃の私はそのメンツの中にいた他の人が好きで、失恋してしまいました。それから私はそのメンツから離れていき、気がついたら彼とも連絡を取らなくなりました。

その2年後、ドライブをしていたときに彼の車を見つけ、お互い気づきSNSで連絡を取って後日会うことになりました。その後も頻繁に連絡を取り、いつしか付き合うことになりました。しかし、その頃の私は夜の仕事をしていました。彼は、私が夜の仕事をしていることを嫌いですが我慢してくれていました。彼の気まぐれで会いにきてくれるのでいつ会えるかはわからない。仕事が休みの日は彼が友達と遊びたいので1日中デートしたことがない。周りの人に付き合っていることを公表したくないから秘密で付き合う。会えるのは夜だけ。そんな日々を繰り返すうちに、どんどん会う時間も少なくなり、連絡も減ってきて、愛情を感じなくなった私は別れようと伝えました。私は引き止めてほしかったけど、彼はそのまま離れていきました。連絡先もSNSも全て切られ、全く連絡が取れなくなってしまいました。

そのまままた2年が過ぎ、ある日突然彼からSNSのメッセージが届きました。「最近なんか困ってない?」と。話を聞けば、ここ2.3日夢に私が困った様子で出てくるらしく心配になり連絡をしてくれたみたいです。その頃の彼は、半年前に彼女を亡くしてどん底からやっと回復してきた頃だそうで、もう二度と彼女は作らないと決めていたらしいです。私は結婚を決めていた彼と別れたばかりでした。久々に連絡を取ると昔の感覚が戻りまた2年ぶりに会うことになりました。不思議とお互い、この人と結婚するんだと直感で思い、よく話し合いをしてよりを戻すことにしました。

現在。私は夜の仕事はとっくにやめており、免許もとって車が趣味なのは変わりません。彼も昔から変わらずハチロクに乗っています。そのハチロクのナンバーが3990(サンキュー90)で、偶然にも私の車は90と呼ばれるマークIIに乗っています。もしかしたら出会った時から運命の相手だったかもしれません。そして今私は3986(サンキュー86)にナンバーを変えました。お互い感謝の気持ちを忘れずに、という意味を込めて。今は同棲しており、今年入籍、来年挙式予定です。お互い遠回りしてしまったけど、必要な時間だったのかもしれません。様々なことを学び、その経験を活かして今はとても相性のいいパートナーです。

彼は前の彼女を亡くした経験を活かし、前付き合っていた時以上に私を大切にしてくれて毎日愛情をしっかり伝えてくれます。私は前の彼との経験を活かし、結婚を前向きに考えて2人の生活を楽しめるようになりました。人は経験する全てのことに意味があり、無駄な経験はないと思います。別れには辛い時もありますが、必ず次の出会いがあります。その出会いには必要な経験だったのかもしれないと今は思えるようになりました。よく聞く、「一度別れても、本当に運命の人ならいつか戻れる」という言葉は本当だったんだなと思います。この私の経験談で、別れが辛い時に励みになるような曲になればいいなと思います。そして、一つ一つの出会いと別れを大切にしてほしいという想いがたくさんの人に伝わるといいなと思います。
愛知県 さるさん/女性22歳
ありがとう
専門学校で出会った友達。お互い高校までスポーツしていて、すぐに意気投合。就職した今でもずっと仲良し。専門学校では国家試験合格のために毎日勉強。ちょっと頭の弱い友達は、つまずくことも多かった。それでも2人で頑張ってきた。1度目の国家試験。試験終わった後、2人でオール。出来た気がしなくて、落ち込んでいたうちを励ましてくれた。人を励ますことよりも自分のことで精一杯だったはずなのに。結果、私は受かったけど、友達は落ちた。友達はやっぱりねー!って言って笑顔を見せた。そして今年で3度目の国家試験。合格だった。自分のことのように喜んだ。同じ職種の職業に就いた。

男社会、肉体労働、人間関係。大変なことはたくさんあるけど、何とか支え合って頑張ってこられた。それも全部友達のおかげ。上手くいかないとき、泣きたいとき、恋バナ、ムカつくとき、いつもどんな話も聞いてくれる。休みの日は、はっちゃけて遊んで、遠出もして。照れ臭くて、ありがとうなんて改まって言えないけど、いつもありがとうって思っている。これからもお互い支え合って頑張っていきたい。
東京都 Kitsonさん/女性28歳
青春の思い出
好きな人はいたけど、付き合ったことがなく、部活一筋のスポーツ少女の話。高校生の時、ソフトボール部でやっていたSNSに一通のメッセージ。<絡んでください!>そのメッセージは、私宛だった。誰からもわからず、何となく連絡取り合い始めたのが出会いのきっかけ。その人は大阪に住んでいて、同じ年だという。今まで誰かとこまめに連絡を取ったことがなかった私は、その人と連絡を取り始めてたわいもない話や日常生活であった出来事を話す。そのうち毎日連絡を取ることが当たり前になって、いつもより毎日ワクワクするようになった!そんな日々を送り、高校を卒業し、私は大学生になった。

連絡を取り始めて1年がすぎた頃…お互い会ってみたくなり、会う約束をする。長野の大学に行っていた私は、彼に会うために高速バスで大阪へ。バスに乗っているのは長い時間だったが、1年越しに彼に会えるのが楽しみすぎてずーっと胸の鼓動が高まっていた。大阪に着き、連絡をし…待ち合わせの場所へ。車で迎えに来てくれた彼は写真で見ていた人通りで、優しそうだった。話してみると、本当に面白くて、一緒にいて安心出来て居心地のいい人。ドライブに行って、たくさん話して、彼に惹かれていった。私が彼氏いなかったことも知っているし、部活が大事って言うこともわかってくれている。だから、私は彼に告白しようと決意した。

でも、なかなか言い出す勇気が出なくて…。何て伝えようか…。断られたらどうしよう…。そんなことを考えていたらあっという間に時間が過ぎていった。そして、決意をして少し小さな声で初めての告白をする「今日が記念日にしよう」告白と言うよりは決めつけ。でも、彼はうん!と言ってくれて付き合うことになった。本当に幸せな瞬間でした。帰る時もまだ一緒にいたいという気持ちが100%なのに離れ離れにならないといけない環境。苦しいけど、彼となら乗り越えられる!そう思った。それからは、おはようからお休みまで毎日連絡した。

ただ、やっぱり長野と大阪の距離は遠い。お互い、1ヶ月交代で長野と大阪の行き来をした。その時に、ハジ→の「指輪と合鍵。」の歌をずーっと聞いていた。大好きな彼に会えるのはほんの少しだけどその度に毎回ドキドキしていたし最高の時間だった。そんなこんなを繰り返し、そろそろ1年が経とうとした時少しのすれ違いから別れ話になった。それまでも何回か別れ話は出ていたが話し合って仲直りして。ただ今回は違う。もう、彼の気持ちが痛いほど伝わってきた。私は別れたくなかったから、何回も連絡して、電話して。こんな時に会えたらどんなにいいんだろうって何回も思って…。でも、彼からの一言「もう連絡しないで。俺も苦しい」その言葉を見た瞬間、もうダメなんだって確信した。

それから毎晩毎晩泣いて同期が慰めてくれた。もうメールを送っても帰ってこなかった。それから時が経ち、勇気を持ってメールを送ってみた。『元気にしてる?』と。すると、彼から『元気にしとるよ!お前も元気か?』っていうメールが来た。やっと繋がった。すごくすごく嬉しかった。この繋がりがなくならないようにと連絡を取った。そして月日が流れ、心にずっと残っていたことを聞いてみた。『どうして別れようって言ったの?』って。なんて返ってくるかわからない返信を待つのに必死に携帯を握りしめていた。ブーブー。返信が来たけど、怖くて見ることができない。でも、見たい。そんな気持ちになりながら、ゆっくり受信ボックスを開けた。そこには彼なりの考え、私を気遣ってくれる気持ち、そして遠距離のことが書かれていた。初めての彼氏だからこそ、大切にしてくれていたことが伝わった。その時初めて別れることに納得出来た。そんな彼は、今でも大切な大切な友達。なんでも言い合えて、支え合える一番の親友。幸せも楽しさも苦しみも悲しさも全てを教えてくれた。そんな彼に感謝しています。出逢ってくれてありがとう。
千葉県 mayuさん/女性40歳
キモチを伝えたい
こんなにもヒトを愛したことはなかった…。ひとりで、子どもを育ててきて、必死だった。恋なんてする気なんてこれっぽちもなかった。周りには寂しくないの?とかよく聞かれたけど、寂しいとも思わないくらい必死だった。子どもが20歳になり、ふと、青い空をみて「私、頑張ったな」って思った。娘の夢の友達親子。このまま、この先も…。好きだとか、愛しているとか、言ってくる人は何人もいた。でも、誰一人心に響かなくて。元々、男の人の言葉って、信じられず、ずっといたから。いい言葉を言われても、笑って誤魔化していた。なのに…ひと回り以上年下のカレと出逢った。他愛もない話をして、好きになるなんて思わなかった。あまりにも年下だし、私をオンナとしてなんて見てないと思っていたから…。

私が年下に告られた話して、そんな、年下なんて、ナイナイと。その時、カレが「オンナとしてみている」って…。なぜだろ?カレの言葉、行動が、すべてスゥーと入ってきて。マニアックな私のココロを動かすなんて。愛しいとか恋しいとか、あたたかい気持ちが心に。ずっと一緒にいたいねって、言葉…私は言えない。言いたいけど…カレは若いし未来もある。でも、今は一緒にいたい。恋じゃなく愛を教えてくれたから。この歳になっても、オンナでいられる…。愛されているのを感じる。こんなに愛しているって、気持ちを伝えたい。でも、言葉では、口に出せず…。でも、この気持ち伝えたいから、口では伝えられない気持ちを歌にして頂きたく、応募させて頂きました。
熊本県 麗花さん/女性34歳
気付いてほしい
初めて声をかけてくれた。それから仲良くなり、いつの間にか好きになっていた。月に数回会える日が嬉しくて幸せで、その度に気持ちは大きくなっていく。些細な事で何度も喧嘩した。さよならが恐くて号泣。何度も喧嘩と仲直りを繰り返す。とある日、好きな人が出来たと告げられた。もう会うことも出来ないし、連絡だって取れなくなった。心にぽっかり穴が空いた…。ずっとずっと好きだったから、簡単には埋まらない。数ヶ月後、久々に連絡が来た。久々に会う事が出来た。彼女と何かあった時、連絡して来たね。別れればいいのに!!心の中で思いながらも言えなかった。常に思っていた…。好きなこと知っているのに、何で私なの??って。

とある日を最後に、たまに連絡は来ても、会うことがなくなった。どこに居るかも分からない。あぁもう本当に終わるんだ…。そう思いながらも心の中にはずっと居る。会いたいなぁ会えたらいいなぁなんて、ずっと想っていた。その想いが叶った。やっと会えた。あの時。反対の道に行っていたら、会うことは出来なかった。偶然なのか運命なのか分からないけど凄く嬉しかった。どうにもならないと、あの頃のようには戻れないと、分かりながらもまた恋していく。ずっとずっと君に片想い。
宮城県 さーなさん/女性34歳
ありがとう
14歳の冬に親が離婚して、母と2人の生活になり、生活が変わり私は荒れました。高校入るも続かず中退、夢もなくぶらぶらと遊び、沢山親を泣かせて来た。そんな生き方をして来た19歳の時、妊娠がわかり、母に言えず黙っていたら、母は「妊娠したの?」と聞いてきた。うん…と言うと、怒らず、やさしい顔で「おめでとう!」って言ってくれた。その瞬間色々な想いが溢れ出し泣いてしまいました。相手の親に反対されるも、母は泣きながら、小さな命を殺せと言うのですか!?と言って説得してくれました。少ない母の給料から、子供の物など買ってもらい感謝しかないです。無事、自分も親になりほんとうに母親の偉大さに気づかれました。
東京都 綾さん/女性19歳
気付いてほしい
これは現在の話で、私には半年以上片思いをしている人がいます。最初は苦手でしたが、その人が優しい良い人なことに気がついて、いつの間にか好きになっていました。サークルが同じで、段々仲良くなっていっています。でも、今その人には彼女が出来て、その子は一個下の後輩です。後輩のことも、先輩のことも、嫌いになりそうになったけど、嫌いになりたくなくて、今では普通に話しています。そして、私は先輩のことを諦めようと決めました。でも、未だに少し苦しくなる時があります。恋心は消えずにいますが、私は2人を応援していけたらと思います。長続きすればいいなんて、思えませんが。今後も先輩に頼られる後輩でいたいです。
兵庫県 ニコさん/女性22歳
人生を考える
私の父は悪い人。正反対の人を探してお付き合いして、結婚するために22年間探し続けた。私の友達の幼馴染の職場の同期3人と、私たち大学生3人の合コン。何もないだろうと言いながら帰った。二ヶ月後、知らない人からの電話。暇だし出てみるとあの時の人。顔もろくに覚えてないけど楽しかった。それから毎日電話して、好きになってしまったと言われた。でも、彼には彼女がいる。私はそれを知っている。6ヶ月彼女がいる彼と連絡を取り、苦しい思いをした。もうやめようと伝えた時、別れを切り出して、私に告白してくれた。そして私にとって初めての彼氏ができた。

最悪な始まりかもしれないが、私にとっては始まりなんてどうでもよくて、今が楽しかったらいい。今をたのしまなければ。今幸せです。私の父の話をしようとしても、父に変わりはないから、離婚の理由は話さなくても良いと言ってくれる。そして、左利き、野球好きな彼と父は被るところが多いが、彼を愛している。いつか父を許せる日が来るのだろうか。でも、産んでくれてありがとう。だって、彼と出会えたもん!結婚しよ!って言ってくれるまで待ちます。でもね、早くしてね!笑 料理ができて、まめで、片付けが上手で、少し泣き虫で、蜘蛛が嫌いで、女の人みたいだけど、大雑把で適当な私にとってはぴったりの彼です。これからもよろしく!よく、顔が似ていると笑われる私たち!仲良くしようね!
愛媛県 ばつまるさん/女性41歳
気付いてほしい
つらくて何もかも嫌になって、何もする気がなくて、一人では押しつぶされそうで、そんな時、何も言わずそっと寄り添ってくれた。車に乗って夜の海を見に行った。寒い夜、雪が舞い散る中、2人空を見上げて雪のシャワーを浴びていた。白いふわふわした雪を見ながら涙した。貴方はそれを見ない振りして、珍しくふざけた事、話していたね。何も言わなくても貴方には、見透かされていた。側に居て欲しいとき、寒い中、ずっと夜空を見上げていた。毎日毎日、黙って側に居てくれる。側に居てくれて本当、ありがとう。好きだと伝えても、聞き流されて、次の日には、ありがとう。それ以上はなく毎日、側に居てくれる。

貴方には、ありがとうと言う感謝の言葉では言い尽くせないほど、いろんなことをいっぱいしてもらっている。毎日、ただただ側に寄り添ってくれている。それだけでも、ウチにとっては…。こんな想いを貴方に伝えたら、関係が壊れちゃいそうで。いつも貴方は、何も言わずにいろんな所に連れてってくれる。そんなサプライズに、いつも驚かされて、感激、感動が押し寄せてくる。この2人の時間はウチにとって生きていく源になっているって、貴方は知っているだろうか?1日1日が大切な、そしてかけがえのない時間…。2人で居る時間、笑顔、この時間がこのまま続いたらいいのに…。
宮崎県 ひまわりさん/女性19歳
人生を考える
私は今、すごく迷っています。自由な不幸せがいいのか、不自由な幸せがいいのか。ほんとなら自由で幸せなのがいいのかもしれません。でも、人生そう簡単にはうまくいきません。わたしには遠距離の彼氏がいます。優しすぎるくらい優しくていい人です。でも、初めての遠距離で限界がきています。なんでもないことで毎日悲しくなります。正直、わかれたい気持ちがあります。でも、彼ほどに愛してくれる人はいないとおもいます。でも、話していて楽しいと思える人が他にいると、わたしは彼を選んで良かったのか迷います。とにかく、幸せって、なんなんですかね。
京都府 みーぬさん/女性22歳
失くした恋
中学生になって初めて好きになった人がいました。22歳になった今も忘れられない人です。 中学1年の4月。廊下で友達と話しながら歩くその人を見て、初めて恋をしました。誰とでも仲良く接し、分け隔てなく笑顔を向けられる彼のことが大好きでした。何度も何度も告白を繰り返し、断られ、それでもめげずにずっとその人の事を想っていました。そして中学2年の4月、部活帰りの夕方。メールで告白すると、「いいよ」との返事。飛び上がりたくなるほど嬉しかった。土曜日に告白して月曜日、学校で会う日。いつもより髪も整えて、制服も気崩れてないか確認して、また廊下ですれ違うと、彼は照れたような笑みを浮かべました。嬉しかった。幸せだった。好きな人と付き合えたんだって、私の彼氏なんだって、すごくすごく嬉しかった。でもその日の昼休み、同じクラスの彼の友達から「あいつがおまえと別れたがっている」と聞きました。嘘だよって思って、家に帰ってから彼に電話すると否定しなかった。だから、私から別れを告げました。たった3日間だったけど、私は忘れられないです。

そのまま中学を卒業し、高校も離れた私と彼は、全く会うことなくそれぞれ学生生活を送っていました。彼を思い出すこともなかったし、私は私なりに高校生活を楽しんでいました。そんな高校2年の文化祭中日。同じ中学の友達が神妙な面持ちでやってきて、こう言いました。彼が亡くなった、と。事故だったそうです。あまりに突然すぎる別れに、涙も浮かびませんでした。ただ心臓がばくばくとうるさくて、何がなんだかわかりませんでした。お通夜に行って、棺桶に眠る彼の姿を見て初めてこれが現実なんだと知りました。まさかこんな形で再会するなんて思ってもなかったし、17歳で人生を終えるなんて想像もしていなかったから。すごくすごく、辛かった。

あれからもうすぐ5年が経ちますが、未だに彼のことが忘れられません。彼の短かった人生のうち、さらに短い私と過ごした時間。高校生になって忘れたと思っていたけど、きっと私の心のどこかには、彼がいたんだと思います。もし、彼に言葉をかけられるなら、私に恋を教えてくれてありがとうと言いたいです。人を好きになる気持ちを教えてくれてありがとう。どうか安らかに、と。
大阪府 恋に恋する乙女さん/女性16歳
気付いてほしい
好きになってもうすぐ1年になる私の好きなひと。彼からすると私は仲の良い女友達。お互い本当に何でも話し合える仲だけど、相手からすると私は恋愛対象になれない友達以上恋人未満の関係。ふと、たまにLINEで送られて来る「また、遊ぼう」の5文字の決まり文句に何故か期待してしまいます。これは私に気があって誘ってくれているのかな?それとも友達として遊ぼう!という誘いなのか…。私はその決まり文句に期待していたけど、実際に会って遊ぶことはないまま。私は彼の事が好きなのに彼はきっと私の気持ちに気づいていない。だけど、私は彼と今よりもっと近い距離になりたいけど、逆に遠くなってしまうのが怖くて何もできないまま…。あえて今のこの距離感のままがいいのかな?って思ってしまう。彼に彼女ができないことを願ってこのまま彼と一番仲の良い友達でいれるのが今の私にとってちょうど良い恋になる気がするのかな…。恋って甘くて、切なくて、何より難しい。
兵庫県 翔子さん/女性27歳
失くした恋
1番大好きな人と別れて後悔しています。10年ぶりの再会でお互い初恋の相手でした。ネットで再会してXmasの日に会い、それから会うようになり、年明けに付き合い、毎日が楽しかった。色んな所にも連れてってくれたし、ずっと笑いっぱなし!家の嫌なことだって忘れさせてくれる人でした。家出して同棲を始めてからも、毎日のようにドライブ行ったりして、あたしの知らない世界を見せてくれました。そんな時、子供ができて、ふたりで色んな名前を考えたことを今でも覚えています。でも、結婚してたった4年で離婚してしまい、お互い好きなまま別れることになりました。

だけどお互い、彼女が出来たり、彼氏が出来たりしたけど、くだらない人ばかりに引っかかり、別れの繰り返し。そんな中、久々にあの人からの連絡で会ったり遊んだりしているうちに、やっぱりあたしはあの人以外ダメなんだとわかったけど、あの人の心にはこれっぽっちもあたしが居ないこともわかりました。このまんまずっと今の気持ちを隠して行くしかないのかな?って思うとすごく胸が苦しい。毎日毎日あの楽しかった日々が頭の中でよみがります(泣)。今更後悔したってもう遅いのは分かっているけど、どーしても、もう1度あの頃に戻れるならと思うと、涙が出てきます…。
茨城県 あめちゃん→さん/女性30歳
出会いと別れ
高校の1年~3年までお付き合いしていた彼!同じ大学を目指し、勉強を頑張って一緒に合格するのが目標だったね!無事大学も二人して合格し、あとは卒業というときに彼はバイト帰りに交通事故で亡くなりました。同じ大学で一緒に勉強して、夢に向かって頑張ろうねって言っていたのに。なんで?なんで?もう私の心の中が空っぽになってしまいました。

彼のお母さんに「もう忘れて、違う道を進んで」って言われたとき、とても悲しくなりましたが…。でも、一緒に高校生活頑張って勉強し、夢の大学に入ったんだから、彼のぶんまで私は頑張るって決めた。今では国家試験もとり、夢の仕事にもできて毎日やりがいのある仕事を頑張っていますと、彼に言えるようになりました。

ほんとあなたと出会えて私はとても幸せでした。喧嘩しあったり、笑いあったり、日々がほんと幸せだったよ!!あなたがいたから今のあたしがあると思う。感謝しています。天国から応援してくれていたら嬉しいな!もし事故で亡くならなかったら、同じ仕事しているのかな?一緒に同じ仕事の相談とかできていたのかな…。あなたに逢いたい!
和歌山県 あかねさん/女性23歳
人生を考える
幼稚園のころからなりたかった幼稚園の先生。年少のときはクッキー屋さんだったけど、年長になった時に担任の先生に憧れて、なりたいと思った。年長のときのお絵描きの時間には絶対に先生の絵と自分を描いていた。それから夢を追い続け中3の受験。受験の結果は最悪なことに落ちました。二次募集をしている高校を探したときに保育の授業をしている高校を発見!!ここやな!と1発で決めました!!高校に入学し、保育の授業もありとてもたのしい三年間。友だちと授業をさぼったりした時もありました!!(笑)高3の受験のとき。私は迷うことなく保育専門の短大に進みました。推薦枠があり校内で1人だけしか選ばれないとのことでピアノ教室にも通いました。推薦枠で進学もし、短大では毎日忙しい日々。人生の中で1番勉強したなと今になり思います。(笑)

そして、就職。幼稚園の先生になりたかった私は幼稚園の試験に挑みました!でも結果は落ちました。あきらめて、保育園の試験に挑みました!みごと結果は合格!!そして今、保育士4年目として働いています。試験に落ちたときには諦めようかなと思っていたけど、保育士で今働けていて、子どもと触れあっていてとても楽しい毎日です。やめようかなって思ったことは何度もあります。でも今ここで逃げ出したらずっと追いかけていた夢やのにあきらめるとか絶対あかんって思って今にいたります。両親には短大のお金もないのに出してもらっていて顔合わせできないと思いながら、共に感謝の気持ちをつたえたいと思い応募しました!!よろしくおねがいします♪
愛知県 岡本さん/女性26歳
うれしい・たのしい
まだまだ寒い2月に弟が誕生日だったから、旦那とノリで愛知から伊豆にある私の実家に帰り、誕生日を祝いに行った時。なんかずっと気分悪いなぁーと思っていたけど、そのうち治ると思って頑張ってテンションあげて、なんとか楽しくお祝いして、1泊して仕事があったからすぐ帰った。でも、しばらくしてもやっぱり気分が悪くて旦那に「ずっと気分悪いんだけど」って相談したら「妊娠してんじゃね!?」ってなって、動きたくなかったから「検査薬買ってきて」って頼んだら、いつもはすぐ動かない旦那が今までにないぐらい速攻で買ってきて、笑った。

そうしたら、赤ちゃんが出来ていて、次の日に病院行ってちゃんと見てもらったら、3ヶ月でした。結果を聞いたら急につわりが始まって、何も食べたくないのに食べないと赤ちゃんが可哀想って無理やり食べて、気持ち悪くて吐いての繰り返しで辛かったです。つわり始まって、つらすぎて横になっている事が多くなって、家事全般やらなくなっても旦那は一言も文句言わず全部やってくれて感激。仕事で疲れているのに帰ってきたら私の分のご飯もちゃんと作ってくれて愛を感じました。悪いなぁーと思いつつ、楽だったからつわりが終わっても妊娠8ヶ月ぐらいまで辛いふりして家事全般やらせちゃった。ごめんね…。

そして生まれる日。なんかお腹痛いなぁ…って思って、病院に行ったら「今日か、遅くて明日産まれる」って言われて、これが陣痛かぁー全然痛くないなぁーって余裕ぶっこいていたら、だんだん痛くなって、痛さピークの時には旦那に暴言吐いていた笑。分娩台に移動しても、なかなか赤ちゃん出てきてくれなくて、2時間踏ん張り続けてやっと出てきた赤ちゃん。陣痛の痛さはどこに行ったんだってぐらい全然痛くなくて、後は裂けた所を縫いますって時に、その時もう1人産んでいる人がいて、その人が意識不明になったって看護婦さんが言いに来て、すぐ戻りますって言ってドクターも看護婦さんもみんなそっちに行っちゃって、まさかの旦那と私と赤ちゃんの3人だけに。

旦那が赤ちゃん激写しているけど、私下半身何も着てないし足広げたままで、なんか面白くなって大爆笑。ずっと笑っていたらドクター達帰ってきて、縫ってもらったんだけど、麻酔しているはずなんだけどめっちゃ痛くて、麻酔が効いていませんってドクターに言ったら大丈夫だからねって言われて、え、なにが?って思ったけど我慢しました。旦那にあとから陣痛中の時の話聞いたら、元ヤンだから口調が怖くて逆らえなかったし、暴言吐かれている旦那見て看護婦さんがめっちゃ励ましてくれたよって言っていました。とにかく可愛い赤ちゃんがうまれて、旦那は今後が心配なぐらい溺愛して、たまにうざいけど、今まで生きてきて今が1番幸せって叫びたいぐらい幸せです。
愛知県 shibayayoさん/女性35歳
危険な恋
3年付き合って幸せな結婚をしました。誰もが羨む仲良し夫婦で、幸せで、一生この人と歩んでいくものだと思っていました。結婚して6年目、私の中で変化が起こりました。同じ職場の7歳年下の男性とよく話すようになり、意気投合。最初はただの仲の良い職場の人でしたが、少しずつ心が揺れ動いてしまいました。そんなはずないと自分で言い聞かせる毎日。でも自分の気持ちに嘘はつけませんでした。相手男性も、私が既婚者と知っていながらも私に気がありました。お互い気持ちを抑えば抑えるほど辛く、もう我慢ができなくなり不倫をしてしまいました。

嘘の下手な私はすぐ夫にバレてしまい、事実を夫に話し、自ら離婚を申し出ました。しかし夫はなかなか離婚を受け入れず、私を手放したくない思いで普段通りに接してきました。夫はすごく辛かったと思います。夫が私に優しくすればするほど私の胸は締め付けられました。私の気持ちはもう他の所に行ってしまったという事実をちゃんと受け止めてほしくて、わざと夫に酷く冷たい態度をとりました。嫌われてしまおうと。おそらく私は嫌われて、夫は別の女性と付き合い始めました。これで良かったんだと自分に言い聞かせました。夫は離婚を受け入れ、今までありがとうと言ってくれました。お互い付き合っている相手がいる状態での離婚でした。

その後、前夫はその女性との間に子供が産まれたという話は耳に入ってきました。私はというと、不倫をしてしまった7歳年下の男性と昨年入籍しました。とても純粋で真っ白な人。前夫に対しても、幸せになってほしいとよく言っています。私を奪ってしまった罪悪感があるようです。私も、前夫には幸せになってほしいと本当に心から思っています。自分のしてしまった罪は重いものだと思っています。お互い違う光を見つけて別々の道を歩んでいけることを、今は幸せな事だと思っています。そして、離婚してまで一緒にいたいと思った人が今ここにいます。私の大切な人。今の夫をずっと愛しつづけます。
神奈川県 ゆずさん/女性26歳
ありがとう
小さい頃から転校が多くて(小学校3校、中学1校、高校2校)どうせ友だちできても離れるし、って思っていました。だから、親友なんてできるわけないし、むしろ離れて寂しい気持ちするくらいなら仲良しの友だちなんていらないって思っていた小学生の頃。そんなスレまくっていた私に、本気でぶつかって本音で喧嘩することを教えてくれたのは中学の先生方と大好きな大好きな中学の時の友だち。

無視もされたし、仲間はずれも経験したけど…どんだけ殴り合いの喧嘩になっても「お前のそーゆーところ嫌いなんだよ!」ってぶつかることの大切さを教えてくれた中学の先生方には本当に感謝しています。先生方がいつも本気で怒ってくれて、守ってくれて、何度泣かれたことか…。ストレスで各クラス担任が激痩せしたり、病気になったり、(1年間休職)胃に穴あいたりさせてしまった中学1年生。あの学校にいなかったらと思うと…今でも八方美人で友だちなんていなかったんだろうなーと。

だから、母校に恩返しがしたくて理学療法士になって、仕事じゃなくて気持ちとして、母校のバスケ部帯同をするという夢を今は追いかけています。その夢を応援してくれて、後押ししてくれて「できるから!大丈夫だから!!」って、いつも支えてくれる人がたくさんいる。「夢は叶えていいんだよ。人生は思った通りだから!」って、見せてくれる人がいる。未熟な自分に「もっとこうしたら、ああしたら」って、教えてくれる人がいる。時には、強い口調で「何でわからないんだ!?」とか「それは違う!」とか言われるけど…それも愛で、本当に私に良くなってほしいって夢叶えてほしいって思ってくれている人たちが自分の周りにたくさんいます。

そんな人に出会えたことにも本当に感謝で。そんな出会いをくれた神様にも感謝で。そんな人生を歩ませるために産んでくれた親にも感謝で。本当に、本当に。お世話になった人すべてに大きな感謝!!!恩返しがしたい!!!!!!!!!!だから、私は生きています。毎日本気で人生を歩んでいます。きっと、これから出会っていくたくさんの人にも感謝。私は1人ではここにいられないし、今の自分はないから。ありがとう。
東京都 ゆうみさん/女性21歳
失くした恋
大好きでほぼ毎日一緒にいる彼氏がいました。付き合って1ヶ月経つ前に子供を授かり、でも、子供を授かったことにより相手との距離が出てしまい、破局。当初はすごい後悔と、切なさでいっぱいでした。でも、子供を産むと決めて、女手一つで育てると決めた。それなのに、頑張っていた最中、お腹にいる子供を流産。本当に辛かった。神様はなぜこうふたつも嫌なことを私にしてくるの?とずっと思っていた。そんなある日、元彼からの急な連絡。何かと思えば、あの時、別れを告げた理由を教えてきた。理由を聞いた時に、私のことを思ってくれていたんだなと思えました。
石川県 る→のみさん/男性43歳
ありがとう
親友に感謝の言葉を贈りたいので力を貸してください。親友(以後A君)との出会いは中学1年生。出会う前は、別々の小学校に通っていたので顔も知らないわけだが、お互いの姉同士が友達ということもあり、電話で話したことは何回かあった。A君とはクラスも別、部活も別ということもあり、なかなか接点がなかったけれど、二人とも互いの存在を意識していた。中学2年生になり、A君と同じクラスになり二人の距離は一気に縮まった。電話で話すようになり、遊ぶようになり、よく家にも行くようになった。

ある日、A君の家で遊んでいるとき、A君の小学校からの友人が遊びにきた。そして俺のことをこう紹介してくれたのだ。「オレの親友の○○。」えっ!一瞬、耳を疑った。今まで自分が、「親友」という言葉を使ったことも使われたこともなかったからだ。恥ずかしいような、嬉しいような。「友達」ではなく「親友」俺の事をそんな風に思ってくれていたんだと、心がスーっと開くのが分かった瞬間でした。それから、A君とは何でも話せるようになり、やりたいこともたくさんやってきた。

中学、高校時代はバンド(ブルーハーツ、BUCK-TICK、BOOWYなどのコピー)を組んで、ライブハウスでよくライブをした。自分たちでチケット作って、売りさばいて、練習して。練習後にはマックでミーティング。ライブ後にはちょっと背伸びして打ち上げっぽいことをしたりなんかして。そして社会人になっても、週に1回は集まりたいねと、草野球チームを作った。チーム名「Fellows(仲間)」今でも活動している。(20年目突入!)良いことも、悪いことも、悪いことも…たくさんしてきた。30年来の親友。

あの時「親友」と言ってくれたことで、俺の人生は大きく開けた。今まで言ったことがないかもしれないが、ここで言う。「ありがとう」「お互いリスペクトして生きていこうな」今では互いにオッサンになってしまいましたが、息子同士が同じ中学で同級生。しかも自分たちが通っていた中学校。学校でしか学べないこと、たくさん学んで欲しい。(父こころ)
東京都 あやなんさん/女性20歳
青春の思い出
今の旦那と出会ったのは高校生のとき。隣のクラスの子で、最初は好きでもなんでもなかったのに、知れば知るほど優しくて、どんな時も笑顔で、面倒見が良くて、誰にでも好かれる人当たりがよすぎる人でした。そんな彼を、私はすごいなーって思っていただけなはずなのに、なぜか自然と好きになっていて、告白されたときは嬉しくて嬉しくて仕方なかったです。付き合ってからも優しくてわがままな私のことをたくさん好きでいてくれました。彼の他の人には見せない甘えん坊なところとかをたくさん見られるようになって、すっごく嬉しかったしもっともっと好きになりました。喧嘩もたくさんしたけど、すぐ仲直りして次の日には、なんで喧嘩していたのかもわからないくらい仲良しになっていました(今も)。

日に日にこの人と結婚する日が来るのかなって思うようになっていたら、本当に結婚しちゃいました。お腹に2人の子供もできて今とっても幸せです。毎日笑いあって何かあったら励ましあって辛い時は2人で泣いて楽しい時は2人で笑って。この人に出会えてよかった、この人だからよかった、この人じゃなかったら今の私はいないし、こんなに楽しい毎日はなかったんだろうなって強く感じています。これからもずっとそばで支えられる存在でいたいし、いてもらいたいです。(これが私の初恋で、初彼氏で、最初で最後の旦那です。)
愛媛県 テンさん/女性21歳
キモチを伝えたい
中学2年のとき、教育実習生を好きになりました。その時、親の事、友達の事で悩んで病んでいた私に唯一気づいてくれたのが彼でした。実習に来ているのに、時間の許す限り私の話を聞いてくれて、解決方法を一生懸命考えてくれました。実習最後の日伝えたい思いが多すぎて書いた手紙には「ありがとう」がいっぱい並んだけど「好きです。」は伝えられませんでした。大学へ戻った彼とはメールや手紙でのやり取りがあって会うことはできなかったけど、変わらず私の悩みや辛さを理解してくれていました。私の中では憧れでもあり心のそこから好きな人でした。時間が経って高校1年になった私は地元に戻ってきた彼とまた再会し、「好きを」伝え、恋人の様な日々を過ごしました。

でもある日「もう会えない。」それだけが伝えられ、彼とはそれきり会えなくなりました。「これからもずっと味方でいるからね。」って言ってくれていたのに。彼は私から離れていきました。いっぱい泣きました。ご飯も食べられないくらい気分が落ちました。でもそんな私が立ち直れたのも彼がくれた言葉があったから。彼には会えなくなってしまったけど、私は壁にぶつかるたびに、彼の言葉に助けられ、また頑張ろうって思えます。私の夢のきっかけも彼との出会いです。彼がいなかったら今の私はいませんでした。今は私の知らないところで彼が幸せでいてくれるだけで、私は幸せです。ただ頭の片隅に私の存在が残っていればいいなーなんて思います。
宮城県 かなパ→マン。さん/女性26歳
人生を考える
中学生時代にいじめにあった。友達はいたけど、人と関わる事自体がすごく嫌で部活にも入らず、帰宅して夜中遊び歩いていた。でも、そんな好きなアーティストがいて、ライブへの申し込みをし、抽選で当たって初めて母親と2人で行った。本当に楽しかった!!周りみんな好きなアーティストが一緒で、一つになった会場がすごく綺麗だった☆ 衝撃を受けた。ライブに参戦した事で、人生で最大の楽しみを知った!そこからライブ参戦を繰り返していくごとに参戦する人たちとの繋がりも増えて行った。人見知りで人と繋がる事が嫌だったけど、共通の繋がりか出来て今は凄く人との繋がりが好きです。苦手な部分もあるけど、今の繋がりがすごく大切。過去の自分に言ってあげたい。大丈夫♪1人じゃないよ。と。いじめられていても大丈夫。必ず周りには誰かがいてくれる。大切な人が。
宮城県 kyonさん/女性33歳
ありがとう
東日本大震災後に今の主人と出会いました。その時には既に小さな子どもが2人いました。その子達を守るのに毎日がむしゃらに働いていました。何故ならばシングルマザーだったからです。仕事終わりに子どもたちを迎えに行き、どんなに疲れて帰ってきても2人の寝顔を見たら、とても微笑ましくて次の日の活力になりました。主人とは月に数回食事に行きました。子どもたちもいたので、普通のカップルの様に長い時間一緒にいたり出来なかったけど、家と会社の往復の中でたまに主人と生き抜き出来る時間をありがたく感じていました。

主人と私はお互いどこか似ていて。他人に甘えられない頑固なとことか、素直になれないとことか。でも、本当はものすごく弱かった。子どもたちを女手一つで育てていく決心があったので、弱いって思いたくなかったんだと思います。でも心とは裏腹に主人をだんだん、気になっていました。一方で、自分にはそんな権利ないと臆病になっていました。

ある日、車でハジ→の曲を聞きました。凄くいい曲で車に乗っているときリピートして何回も聞きました。そして2人で初めてハジ→のライブに行きました。車で聞いた曲が流れて感動して泣いたのを覚えています。そして間もなく再婚する事になりました。今では、家族も一人増えてみんなで幸せな毎日を送っています。

1度失敗すると、もうどうでもよくなったり、悲観的な考えになってしまいがちだけど、人を信じる事、誰かを大切に思うこと、感謝の気持ちを持ち続けることによって、幸せな道を拓くことが出来るということをハジ→の曲を聴いて改めて思いました。そして、主人や子どもたちに日々感謝して…辛いことや悲しいことが例えあったとしても、家族みんなのかけがえのない笑顔をずっと守っていきたいと思います。
徳島県 うみままさん/女性41歳
勇気が欲しい
ママになって17年まだまだ子供たちと成長過程で、しんどいなんで言わない、きっと泣いているママさんだっているはず。いつも元気いっぱいのママもいる。仕事に育児に家事に頑張っているママさん達はいっぱいいる。そんなママさんに応援の歌を作って欲しい。私も育児に家事、仕事、さらにやりたい事の為の勉強と日々奮闘中だし、時間なんて24時間じゃあ足りない。自分の時間を削ってでも家族の為に必死なママを応援してほしいです。

私のエピソードをここからは書きます。パパと出会って18年、結婚して、すぐ長女が生まれ2年後に次女が生まれその2年後に三女また、2年後に4女、次は4年後に5女がいまれあっという間に5人姉妹に。その間でもいろいろあったよ。パパとの出会いはナンパ(〃ω〃)怖い顔つきのパパに初めてのお誘いママがドタキャン。それでも連絡をしてきたパパはすごいと思う。2度目のお誘いからお付き合いスタート。徳島と香川のプチ遠距離恋愛だった。ママは服の販売員の仕事をしていたし、パパは土木建築の仕事。休みはすれ違いだし、それでもパパは香川に来てくれた。ママは汽車で会いにも行った。

一年後には結婚した。結婚式にはお腹に長女がいて長女が生まれて家族が増えた。長女はママっ子で母乳の頃からママでないと大泣き!ずっとひたすら抱っこで寝かしつけたし、2時間おきに起こされ母乳をのませた。1人目だし、必死だったし、つかれと寝不足で夜中一人で泣いたこともあるよ。だけど成長が嬉しかったし、今しかないと歯をくいしばって子育てした。1人目で頑張った分2人目からはめっちゃ楽におもえたよー。手を抜くところとかね。わかってきたし、そんなこんなで5人の子育て頑張った。3人目が生まれた年に仕事にも行きたした。はじめはパートからそして正社員に。保育園探しも大変!仕事してないと保育園は入れない、保育園に入れないと仕事もできない。市役所には何度も行ったし電話もした。3人ガ保育園に行っているときが大変!お昼寝布団は三人分を抱えて保育園用お着替えが入ったカバン、子供たちの手をつないで毎日保育園に通ったよー。今思うと私体力あったなぁって思うわぁ~。

パパはたまーに育児に参加だったし、全て私が家事、育児をしていた。休みでも見て見ぬふりなのかなーんにもしないパパ。ほんとはガツンと!言うべきだったと今になって後悔(T ^ T)パパはいないと言い聞かせて1人でこなした。今も進行形で、娘たちの習い事、学校行事は私が送迎。パパははひたすらゲームをして私の帰りを待って、ご飯出来るのを待っています(T ^ T)1週間前に話したことは覚えていません。聞いてないと言うし、あー離婚の危機だ!!なんて思いつつ結婚17年です。今は長女の進路に悩みつつ、次女は高校受験でイライラ、三女は中学生生活満喫中、四女はママの味方でお手伝いいっぱいしてくれて、五女は小学1年生まだまだ即戦力にはならないなぁ…。

わたしにはやりたい事がいっぱいで、プリザーブドフラワー の教室を開くために勉強中。生活の為に正社員で事務の仕事をしながら勉強中。いつか自分のお店を持ちたいとネコカフェも夢を見ている。今だに私のやりたい事を探し続けているんです。きっと世間のママたちもそれぞれエピソードは違うかもしれないけど、頑張っているに違い。24時間、365日休みナシでママやっている。熱がでようが、体調が悪くても。ハジ→の歌が私にはすごく大好き。つらい事も前向きになれる。今、ほんと仕事も育児も旦那のことも、将来のことも考えすぎて混乱ぎみです。私が頑張っていける曲をお願いします。
三重県 まさよさん/女性47歳
ありがとう
昨年の10月22日の台風で地域一帯水害に遭いました。10日ぐらい前からの雨も重なって、自宅近くの川の水位は朝からヤバイな~って、それでも、大阪の大学に通っている長女に逢いに電車に乗って行きました。で用事を済ませて帰る為に駅へ…切符が発売されてない…えっ?電車が止まっている?家に帰りたいのに…。二人の子供が心配やん…。駅員さんに聞いても「どこまで動くか分かりません」…。とりあえず遠回りでもいいから、少しでも近くまで行きたい、それだけで電車に…一か八かで友達に…。

友達「どうしたん?」私「電車動かへん」友達「どこまで動いているん?」私「わからんけど、青山まで」友達「仕事で、近くに今から行くから、迎えに行ったるわ」あの時、帰ることできやんかったら、子供ら二人、水の入って来た部屋で一晩過ごしていたかも…。迎えに来てくれた人にも、その後部屋を貸してくれた人にも、沢山の人にありがとうを言いたいです。
宮崎県 日高綾乃さん/女性17歳
人生を考える
私は現在高校3年生です。3年前、中学3年生の私が受験生だったときの時の話です。私には、9歳と12歳離れた従兄弟と4歳離れた妹がいます。従兄弟2人と妹はとても頭が良く、従兄弟は2人とも県立の高校を卒業し、1人は自衛隊、もう1人は保育士になっていました。私の夢も、小学生の時からずっと保育士でした。そのため祖母や叔母、親から保育士になるなら従兄弟と同じように県立の高校にいって保育士になりなさいとずっと言われ続けてきました。けれど私は勉強ができませんでした。親達からのプレッシャーが強く誰にも相談出来ずに1人で、悩んで苦しんでなにもかも抱え込んでいました。

そして少しずつグレていきました。今思えば、親に自分がここまで追い詰められていることを気付いてほしかったのかもしれません。タバコを吸ってみたり、自傷行為をしたり、学校をサボったりしていました。そんな私を救ってくれたのは、その時の担任の先生です。放課後に、よく教室で話をしました。怒ることなく熱心に話を聞いてくれ、私のために涙を流してくれました。その時の私にとっては、その放課後の少しの時間が、唯一自分が自分らしくいられる時間でした。その先生のおかげで、少しずつ笑顔でいる時間が増え、親にも自分の気持ちを伝え、現在は県立ではなく、私立の保育科の学校に通うことができています。

あの先生と出会わなければ今の自分はここにいないと考えると、ほんとに感謝しかありません。私は将来、あの先生のような大人になれるように少しずつ、自分らしく努力していきます。夢は諦めなければ必ず叶う!これは先生から教えていただいた言葉です。この言葉を胸にこれからもすべてに感謝し生きていきます。そしてハジ→さん、こんなに長い文章を読んでいただきありがとうございます。あまりうまく、まとまらずわかりにくくてすみません。ハジ→さんの歌にいつも元気をもらっています。本当にありがとうございます!これからも応援しています。お読み下さりありがとうございました。
新潟県 幸さん/女性48歳
出会いと別れ
私の父は、私が母のお腹にいた時、他に女の人ができて私の2つ上の姉と母を置いて蒸発しました。そして産まれた私は、姉や母とは別れ、何年か孤児院で生活しました。小学生になる頃、母が迎えにきてくれてやっと一緒に住めるようになりました。数年後、母が再婚をしました。姉は反抗期で新しい父と話をする事もありませんでした。母はずっと夜、お店を開いて働いていました。高校を卒業後、家ではいつも姉と義父がケンカをしていたので、私は、昼間は会社、夜は家に帰らず荒れた生活をしていました。そんな中、旦那に出会い付き合って3ヶ月後に結婚しました。

子供が欲しくても出来なくて不妊治療をしました。妊娠した時、嬉しかった。しかし実家の近所に住んでいた酒乱の人に買い物いく途中襲われて流産を…。その後妊娠しても流産。やっと3回目の妊娠で赤ちゃんが生まれました。ただお耳を忘れてきてしまいました。私は欲しくて産まれた事が幸せでしたが、旦那の親はおきまりの「うちにはそんな子産まれた事がない」そう言われました。旦那も最初は子育てに非協力的でした。でも、段々と子供が大きくなって子供の成長と共に父としての自覚が芽生えてきました。子供はパパっ子で中学になっても旦那とお風呂に入り、一つの布団で寝ていました。

ある日の夕方、家の前を救急車がサイレンを鳴らしていく音が聞こえました。数分後、義理の姉から電話で旦那が仕事中に倒れて救急車で運ばれたと連絡がありました。慌てて病院にいくと旦那はストレッチャー上で暴れていました。検査の結果は脳腫瘍。余命半年。結局、倒れてから8ヶ月後に亡くなりました。東北の震災の年でした。その3ヶ月後突然祖母が亡くなり、大好きだった母も肺がんで一年半後に亡くなりました。障害のある子供。これからもまだまだ沢山手術をしなきゃいけない。未来がとても不安でした。毎日泣いていました。自分の人生はなんだったんだろうと。母とは12年しか一緒にいられなかった。

そんな時友達から良い歌あるから聞いてみてと言われたのが「3.11。」でした。ハジ→の。涙が止まらなかった。亡くなった人達はどんな想いだったんだろう。自分が辛い、悲しいばかりで亡くなった人達を考える事が出来なかった。今岐阜と新潟で遠距離恋愛をしています。行ける範囲のライブは全部行っています。子供は21歳になり、将来を誓いあった彼氏ができました。私も娘も今は笑顔で毎日暮らしています。

こんな私の人生ですがハジ→に出会って、彼とライブに行ってハジ→の曲で元気をもらい本当に感謝しています。自殺を考えていたあの頃。未来はないと思っていました。採用されなくても伝えたくて応募しました。ハジ→、笑顔にしてくれてありがとう。命を助けてくれてありがとう。喉をまた壊さないように奥様と幸せな家庭を。私がハジ→から沢山幸せを貰ったようにハジ→の幸せを祈っています。
奈良県 まさかよさん/女性41歳
キモチを伝えたい
私と旦那さんの出会いの話です。私と旦那さんは、同じ中学校の部活の先輩後輩でした。旦那さんは、1つ上で、柔道部、とても試合の姿などがカッコ良く憧れの先輩でした。中学1年のバレンタインに、チョコを準備して持って行ったけど渡す勇気がなくて、渡せず自分で食べました。少し苦く感じたチョコでした!それから、私も違う人を好きになり、お付き合いするようになり、先輩は、中学校を卒業して行きました。

それから7年がたち22歳の時に、久しぶりに柔道の道場を見に行きました。たまたまその所に、好きだった先輩も来ていて、柔道が終わった後に、皆で飲みにいったりして、そこから、ちょくちょく遊ぶようになりました。でも、私はその当時、中学校から付き合っている彼氏がいたのです。でも、先輩と遊んでいるうちに、先輩の優しさや男らしさにひかれてしまい、一線をこえてしまったのです。やっぱり先輩の事が、好きで、忘れられなかったんだと思いました。それから、色々とグダグダと先輩との関係が続き、このままだとダメだと思い、私は、彼氏と別れました。そして、それから先輩に、猛アピールして、付き合ってほしいと言いました。少し時間は、かかりましたが付き合う事ができて、それから毎日楽しかったです!そして、その先輩が今の旦那さんです。
兵庫県 あみガロさん/女性18歳
人生を考える
過去に、生死をさ迷う病気を体験しました。家族は毎日お見舞いにきてくれて、ともだちは500羽のつるを折ってくれました。三ヶ月の入院生活でしたが、みんなの支えのおかげで病気が治りました。そこから家族や、友達が、いる大切さを学びました。当たり前に感じることこそに感謝すべきだということ。また、いいことにも悪いことにも感謝できる人になりたい。そう思いました。経験ほど素晴らしいものはない。日々笑顔を忘れずに感謝して生きたいです。
東京都 まるさん/女性19歳
青春の思い出
中学生の時のことでした。初めは大嫌いな存在で、クラスの中でも一度も話すことはありませんでした。ある日のこと、席替えをしたら大嫌いな君が、私の斜め後ろに。そのときの私は嫌だったけど、今じゃそれがとても幸せな思い出です。初めは話すこともすごく嫌だったけど、そんなことなんて知らずにしつこく話しかけてくる君のことがいつの間にか気になる存在になってしまいました。何気ない挨拶だけど、それだけで私の心はいつもポカポカになって癒されたんだよ。部活でボロボロなときもお疲れって言って辛くて泣いているときは隣で励ましてくれてありがとう。こう思っていても強がっていた私は言えませんでした。それでもそんな優しい君のことがもう大好きで心が苦しいくらいになってしまって…。それも伝えられずあっという間に中学卒業。

高校に入って別々の学校になってしまったとき、すごく寂しかったのを覚えています。それでも連絡は取り合っていて、たまに電車で会える時間が私に取ってはすごくすごく幸せで。初めてお家まで一緒に帰った日のドキドキは今でも忘れないです。微妙な距離感のまま、ドキドキしながら一緒に帰ったなぁ。憧れていた二人乗り。乗りなって言ってくれたのに遠慮してしまって、そのあとずっと後悔。そんな甘酸っぱい思い出のまま、想いは伝えられず。あのとき言えばよかったなあと何度も後悔しました。今だから言えるけどあなたのことずっと好きだったんだよって!伝えられなかったけど、大好きだったよ!!!大嫌いから始まったけど、最後には大好きになってしまった恋。素敵な思い出をありがとう!!
奈良県 eriさん/女性31歳
気付いてほしい
テレビに出ていた一般人の彼に一目惚れしてしまって、放送後からネットで色々検索してなんとか繋がる事ができました。毎日ラインでたわいもない会話をしていました。逢いたいけれどすぐには逢えない距離で。彼は新潟で私は奈良なので。私の一方通行な片思いで7ヶ月。まだ会ったこともない彼に1人片思いをしていて。気持ちは普段から伝えているけど笑って誤魔化されたり。「地元で良い人探そうと思うから連絡取るのやめよう?」って言われたり、その度に「直接会って振られるまでは納得しないので、直接会った時に言ってください!」って、強がっていました。

バレンタインには住所わからないから職場にチョコ送ってみたり。職場の住所を間違えていて危うく14日に届かないところだったり笑。 ホワイトデーにはラインで写真を送ってきてくれたり。ラインが切れそうな糸を必死で繋いでくれていて。いつからかだんだんラインの返事が3日後になったり1週間あいたりしてきてこの気持ちをはっきりさせたくて彼に伝えたくて逢う約束をしました。会う約束をしてからまた1週間連絡が帰ってこなくて、新潟へ行く前日の夕方まで連絡がなくて、仕事終わりに新幹線とか宿とかキャンセルしようと思っていたら最後の休憩の時にラインが入っていて。「ついに明日ですね」って。あたし嬉しすぎて仕事中やのに泣いてしまって。

仕事場のお客さんたちにも友達にもずっと相談に乗ってもらっていて、みんなに「あんたの行動力と彼を思う気持ちは尊敬する」って言われて。「全力で応援しているから頑張っておいで!」って。「結果がダメでも後悔だけは新潟に置いてきたらあかんよ!」って。「やりきってこい!」って。背中を押してくれて。1人で新幹線乗るのもホテルに泊まるのも初めてで究極の方向音痴の私が彼に告白する為に2連休を取って新潟へ向かいました。彼に会えた時、テレビのままの誠実で優しい人だったので泣きそうになるくらい嬉しかった。彼の車に乗ってご飯食べに行って思いも伝えました。

でも、結果はダメでした…。こっちで探そうと思うって断られました。最初から断ろうと決めていたって言われて。距離に負けた気がして納得できなくて…。付き合うのは諦めます。なので結婚して下さいって伝えました。でも彼はクビを横に振りました。悲しくてつらくて涙が出そうになったけどここで泣くのは反則やと思ったからなんとか笑顔で彼との時間を乗り切りました。時間も0時になりそろそろ帰りましょうか?って言われて。これで彼と2度と会えなくなるのか…って寂しくなって引き止めました。ホテルに一緒に泊まってもらって近くで話をして一緒に眠りました。

次の日1人で新幹線の時間まで新潟観光しやなあかんのかって思っていたら、彼が夜からフットサルの練習あるけどそれまで一緒に出かけよう?って言ってくれて車でドライブに連れってくれました!せっかく新潟に来たんやから名物のお蕎麦食べにいこって言われて車で1時間かけて有名なお蕎麦屋さんでへぎ蕎麦食べて。でもあたし胸がいっぱいでなかなか食べられなくて彼に助けてもらって。おいしそうに食べる彼の顔を見てるいるだけで幸せで。そこから大きな公園へ行ってバラ祭りをしていたのでたくさんの花を見ながら散歩しました。じゃんけんして負けた方がソフトクリーム買おうって、レジの前でじゃんけんして、お互いすっとグー出すからなかなか勝負つかなくて笑いました。

彼の友達にも何人か出会って「デートしてる」って言ってくれて、いろんな人に愛されている彼がすごく微笑ましくなりました。手を繋げる距離にいるのに言えなくて。後悔だけはしたくない!って思いながらもなかなか素直になれなくて。時間だけが過ぎていくばかりで。新幹線の時間まで後2時間半っていう時に自分の中でもう彼に2度と会えないかもしれないって思って勇気を出してホテルに誘いました。最初は彼も驚いていたけどあたしの真剣さに押されて行ってくれました。本当に幸せな時間でこのまま時間が止まればいいのになって何度も何度も思いました。最初で最後のキスもしてくれて。あたしの中では忘れられない大切な一生の思い出と記憶になりました。

駅についた時に彼から今日から1年間は俺から連絡しないよ。俺への気持ちが無くなって友達として会えるならまた1年後連絡するって言われて…。エスカレーターに乗りながらお互い姿が見えなくなるまで手を振っていて。彼の姿が見えなくなった瞬間にあたしは堪えていたものが全部溢れてきて新幹線のホームで声を出して泣いてしまいました。奈良についた時に彼からラインがあって、「色々考えたんだよ?何が正解なのかなんてわからないけどこれがお互いにとって1番良い選択だと思った」って。あたしの大切な時間をこれ以上使えないって。俺にはもったいない人です。って。遠くからあなたの幸せを願っています。って。

あたしにはそんな優しさいらない。彼のそばにいれるなら都合のいい存在でもいいって思えた。それから1度ライン送ったけど既読にはなったけど彼からの返事は無し。あたしは1年、待つつもりです。1年後のまた同じ日に新潟に行って彼に気持ちを伝えたい!距離なんかに好きって気持ちは負けないって。彼がハジーさんの曲好きって知っているから今回エピソード投稿させてもらいました。叶わないってわかっていても1回振られたくらいでは諦めたくないんです。もう無理って自分が思うまではこの気持ちに素直でいたいんです。毎日切ないし辛いし逢いたいなってそればっかり思うけどあの日の記憶があるからあたしは笑顔で頑張れます。来年の5月26日と27日は新潟に逢いに行くつもりです。そんな私の背中を押してほしいです。
鹿児島県 かなでさん/女性23歳
危険な恋
同棲している彼がいます。月日が経ち、彼の優しさが次第に薄れ、落ち込んでいた私はリハビリの先生に恋してしまいました。先生には家庭。私には大切な相手。こんな気持ち初めてで、最初から先を望んでいた訳でもないし、ただの片想い。叶わないなんて分かっていました。でも、話す機会が増え、半年経ち、身体の関係を持ってしまいました。ああ、自分は最低だと、何度も自分を責めたけど、それでも先生の事が頭から離れません。

先生からは、ハマっちゃだめだよと言われ、それからはなかなか会えず、見かけるだけ。先生は我が子を抱いていて、奥さんと3人で並んで帰る姿を見て密かに胸が苦しくなります。あの日の事が夢のようです。都合のいい存在だって分かっているし、目の前の人だけ大切にしなきゃいけないことも分かっている。でも大人の恋を初めて知った私は、先生の事が忘れられません。毎日鳴るはずない携帯を眺めています。強くなりたいのに、前に進みたいのに、もう一度だけって、思ってしまっている自分が憎いです。
神奈川県 かなこぴさん/女性26歳
危険な恋
北海道の田舎出身のわたし、去年東京に出てきて友達も居なくて寂しい日々。友達に勧められ、怪しいなと思いつつも暇つぶし程度に始めたアプリ。それが最初の出会いでした。メールのやりとりがとても楽しくて、1ヶ月くらい毎日ただメッセージを送りあうだけの日々が続きました。顔も知らない、声もわからない、フルネームもわからない相手とたわいもない会話で盛り上がり、気づけば毎日の彼とのメールが楽しみになっていました。

ついに会うことになり、その日。一目惚れでした。待ち合わせ場所で目が合った瞬間ビビビッて自分の中で何かが起こって、こんなのは26年間生きてきて初めてでした。そしてまさかの彼の家がとっても近いことが判明!すごいね!なんて言い合いました。そのおかげもあってか、平日でも会えたし、週に二回くらいのペースで彼の家へ行って楽しい時間を過ごしました。

とっても幸せでしたが、彼は好きとか、付き合おうって言葉は言ってくれませんでした。耐えられず問い詰めた結果、実は遠距離中の5年付き合っている彼女がいると…。彼女との関係が上手くいかなくてアプリに手を出したと。真っ白な頭の中で、離れなきゃいけないと思いましたが、無理でした。それでもそばにいたいと思ってしまいました。今まで散々浮気を否定してきた私が、まさか浮気相手になる日がくるなんて…彼女がいることがわかっても離れられないなんて…。自分の中での常識が自分に通用しないという複雑な状況でした。

それからの日々はなんとも言えない日々で、週末が来るたびに今週は彼女?わたし?と考えてしまい、会えない週末はずっと頭の中で彼のことを考えてしまい、大好きだった週末が憂鬱になったり、ラインが来ない時は、彼女と電話中かな?なんて思ったり、家の中に彼女の影を変に探してしまったり…、時には自分のヘアゴムなどをわざと置いて帰ったりしました。ドラマの中の話だと思っていたことが、自分の身に降りかかってきて、離れたいのに離れられない。どんどん嫉妬で嫌な女になっていく自分が分かりました。

それからもそのままの関係は続きましたが、こんな自分が嫌になり、彼を好きな気持ちより、辛く苦しい気持ちが多くなったので、ついに別れを決意。そして数日後、最後にヘアゴムを取りに行きました。わざと置いていったかわいいヘアゴムです。彼が駐車場まで持ってきてくれて、久々に話しました。お互いちょっと緊張しながらぎこちなく会話していたその時、わたしの車のタイヤがパンク!!急いでガソリンスタンドへ駆け込み直してもらいました。でもそんなハプニングがあったからか、お互いいつもの感じに戻り、自然と笑顔で話していました。その時彼が、離れたくない。彼女とちゃんとするから待っていてほしい。と。ずっと待ち望んでいた言葉。素直に嬉しかった。迷いはありませんでした。私は待つことを決意。今もまだ待っている状態です。

正直いまもたくさん不安はあるし、この話だけ聞くとひどい男と思うかもしれません。でも本当にあったかい心を持っている人なんです。それはエピソードがあるとかじゃなくて、出会ってから今まで見てきた私が感じることです。彼の行動、しぐさ、言葉、全てあったかい感じがするんです。今まで生きてきた中で分からなかったこと、根拠はないけど、この人についていけば絶対大丈夫となぜかいつも思います。そして、こんなに彼のために尽くしたい、支えたいと思うのも初めてです。私の最後の恋の相手は、彼だと信じて待とうと思います。
岡山県 しゅむさん/女性19歳
気付いてほしい
初めはお互い知らない同士。知り合ったのは月に数回だけ仲間内の趣味でしたバスケットボールの集まり。終わると皆で集まって何の気なしに語っていた。連絡アプリのグループから個人追加されて来た連絡。ただのスポーツ友達がプライベート友達に更新した。毎日連絡交わし親しくなる日々、でもそれはただの異性の友達。ある日、諸事情で落ち込み1人抱え込んで誰にも言えなかった。ただ誰かに気づいて欲しくてさりげなく変えたプロフィールのステータスにSOSサイン。とにかく落ち込んでいて、誰から連絡来るなんて想像もしなかったその時、ある一件の通知。そこには気にした一言、勇気づける写真、それに励ましの一言。そんな小さな瞬間が、気になる異性の友達に更新された。すごく救われた彼の行動、どんどん気になる彼の事。

でも日々が経つにつれ仲良くなっていく中、知ってしまった。彼の陰にはあの子の存在。少しでも嫉妬してしまった時にはもう好きな異性の友達に更新していた。平常心を保てず触れてしまったあの子の話題。相談されるただの友達の私。好きなんて言えず、ただ応援する事しかできなかった。嫌な反面、頼りにされている事は素直に嬉しくて。応援しようと心変わった日。そして、少し特別なただの友達だといいなーなんて願いながら消えたモヤモヤ。時が過ぎたある日、告げられたあの子との別れ。再び蘇る気持ちと共に現れた独占欲。今度は伝えたい、そう思った。

あの子が去ってから初めて2人でのプライベート。あの時とはまるで違う雰囲気。走る緊張感に動揺を隠せず汗ばむ私。改めて実感した、私の気持ち。早く言いたい、早く伝えたい!それなのに、自分に自信のないそんなネガティブシンキングが勝りなかなか伝えられず。そして過ぎていく日々と共に初心を忘れ雑さの増す彼。お互いすれ違いが始まり、初めてした喧嘩。本気でぶつかりあえずに流され、気付いた時には遅かった。当たり前のように毎日とっていた連絡、長電話、2人だけのプライベート。そんな時間も失っていた。

怒りと悲しみの狭間にある後悔。なんでもっと早くに素直になれなかったんだろうって。いつまでも続くなんて確信がないのにまだ大丈夫だなんて期待していた。ほんと馬鹿だった。なんて思っている間でも好きな気持ちは消えるだけでなく、強くなっていた。どうせ言ったって結ばれない、それなのに言う必要ないなんて思ってしまった。だけどそれよりも伝えずに閉まっておく事の方がずっと苦しい。そう思ったら気持ちを伝えず終いなんてできなかった。恥ずかしさやプライドなんか捨てて素直に伝えよう。そう思った。

結ばれなかったのにどこか清々しく、奥深くに閉ざされていたものが全て出て心も晴れていた。素直になるってこんなにも自分を解放してくれるんだなって。ポジティブシンキングは自分自身をすごく変える。本当に伝えられて良かった。気づかなかった後悔はあるけれど、伝えられなかった後悔を背負うことはなかったし、たくさん学ぶこともできた。自分を変えられるきっかけになった。私はこの人を好きになって良かったと思う。この先まだまだたくさんの人と出会い関わっていく中で、この経験をプラスに生かしていこうと思いました。最後に、やっぱり私は彼がまだ好きみたいです(笑)。
香川県 (c)ぇンなさん/女性37歳
危険な恋
お互い相手が居る時に出会い、惹かれ合い、愛し合い、将来必ず一緒になろうと言い合っていた…。本気にしていた私は、パートナーに別れを切り出していた。彼もパートナーと別れ…なのに、裏切られていた。彼は別の人と一緒になった…。私は、愛し、支え、尽くしていたぶん、憎しみと悲しみで落胆した。自律神経に支障が出て、仕事中に倒れてしまったり…。それでも、なんとか乗り越え忘れられお互い今は違うパートナーと幸せでいる。たまに連絡取る事もあったが、彼から「あの時は、お前が居なきゃ俺はダメになってし、本当に支えてくれてありがとう」と…。その言葉を聞いて、私は出会った事すら後悔した時もあったけど、出会った事に無意味な事なんてないんだなって、改めて感じた瞬間だった。そんな風に言って貰えて、心からあの時の幸せだった時間は嘘でもなんでもなかったんだ…と。そんな、エピソードがありました!
新潟県 ぺんぎんさん/女性30歳
気付いてほしい
結婚して子供が産まれたら忘れると思っていた恋。未だに忘れられない。友達の紹介で知り合った年上の彼。片思いして3年。片思い中は何回も振られた。何回も遊ばれた。片思い中、彼に彼女が出来たりしたこともあった。辛くて辛くて何度も諦めようと思ったけどすごく大好きで諦められず…。出会って3年目。彼の妹さんが病気で亡くなった。彼は死にたいと何度も言うようになった。俺のせいで死んだんだと毎日言うようになった。毎日の様に一緒にいて何もしてあげられないけど、一緒にいることで安心してほしかった。彼もあたしに心を開いてくれるようになった。

月日が流れ彼から付き合おうかと一言。ようやく実った恋。これがあたしの初めての彼氏。毎日一緒にいたりお出かけしたり旅行に行ったり2人で幸せでした。付き合って4年が経ってお互い結婚を意識するように…。お互いの親にも会い結婚は秒読み。しかし、彼の浮気が発覚。彼からの告白で知ることに。お前も好きだけど浮気相手も好きと言われ…。泣き崩れたあたし。天秤にかけられるのは嫌だったからあたしは彼の背中を押した。行っておいでよ!だめならあたしのところに戻って来ればいいよ。ずーっと待っているから!と送り出した。

後悔しかない。自分の気持ちに素直になれなかったあの日。戻れることなら戻りたい。素直に気持ちを伝えたい。行かないで…と。その後、彼と浮気相手は付き合い、結婚することに。彼が結婚する前、彼に呼ばれ会うことに。あの時はごめんな。お前を置いていってと何度も謝る。今も好き。大好き…と言いたい。伝えたいのに言えない。今、会うことが出来るなら素直に気持ちを伝えたい。大好きだよ。今でも待っているよ。って。
宮崎県 まんまるさん/女性28歳
危険な恋
看護学生をしているとき。既婚者の先生(付き合った当時は既婚者と知りませんでした)との2年間の恋。既婚者と知らずほんとに先生×生徒の恋をしていました。あくまで私は本気でした。2人で将来の話もたくさんしました。お出かけはいつも県外。(既婚者だったことは知らず、先生×生徒だったため)。お揃いの指輪、お揃いの靴。一緒に聞いた曲。(この時聞いていたのがハジ→の「おまえに。」です) ある日突然、彼の奥様が私の前に現れて、私はどうしていいかわからなくパニック状態。その後、事実を全て把握し泣く泣くさよなら、しました。

本気の恋。本気で好きになった人。だからこそ、現実を知ったとき本当に辛かった。先生を恨みたいけど恨めなかった。とにかく自分が憎かった。奥様に申し訳なかった。今でも、ひしひしとある罪悪感。だけど、今でも本気に好きになった人。と思っています。写真が捨てられず、思い出の場所が忘れられず、今でもひしひしと思い出し写真を眺めます。会いたくなる。彼の匂いが恋しい。時が戻れば。と思います。今でも罪と思いながら…。ごめんなさい。

だけど先生、私はあなたが大好きでした。ただ、いま言えるのはありがとう。本当の恋を、愛を、知ることができた気がします。もし、生まれ変わったらまた出会いたい。罪ですが、先生との写真。今でも秘密の宝物です。
島根県 ゆっこさん/女性22歳
失くした恋
去年の夏から付き合っていた彼と4月に別れました。別れる頃はもう1ヶ月も会ってない状態で、私自身も交通事故に遭ってしまったこともあり、バタバタの新年度でした。付き合っていた頃は、この人とずっと一緒に居たいって、結婚を考えていたけど、気づいたら相手には気になる人が出来ていました。今思えば、結局は気持ちが一方通行では意味がないんだなって。でも付き合っていた日々は宝物だったし、嘘もなかったなと思うから、前に向かってまた進みたいと思います。
秋田県 m→kさん/女性17歳
危険な恋
私には好きな人がいます。13歳年上の彼女持ちです。彼とは私が小学生の時からの知り合いでよく遊んでもらっていました。全く恋愛感情も何にもなくただ優しいお兄ちゃんっていう存在でした。けど、高2の夏に私が失恋で落ち込んでいたせいもあったのか、なにかにときめいてしまいました。最初はただ、かっこいいだけだと思っていたけど、だんだん全てに惹かれて、気づいた頃にはもう恋に落ちていました。そこから今まで以上に近づこうと思い、LINEを送ったり電話に誘ったりしました。LINEはそれからずっと続いていて、電話もちょくちょくするようになりました。彼はご飯屋さんで働いていたので「おいでよ」と誘われ彼のいとこと一緒に食べにも行きました。

彼はきっとこの頃から私の気持ちに気づいていたんだと思います。ある日、彼が会おうと誘ってくれました。嬉しくて速攻予定を立てました。当日になり私は初めて好きな人の助手席に乗ることが出来ました。彼の恋愛状況を全く知らなかった私は思い切って「彼女いる?」と聞いてみました。するとさらっと「いるよ」と返ってきました。衝撃やショックが大きすぎましたが頑張って隠して私もさらっと流しました。

暗くなってきて停まって休憩しながら話をしていました。すると突然彼にキスをされました。私は戸惑いや照れを隠せませんでした。恥ずかしい。嬉しい。けど彼女は?これって浮気じゃない?大人の人ってこんな軽々しくキスするの?体目的?沢山の感情や思いが頭を巡りました。罪悪感でいっぱいでした。けどそこできっぱりと断れない自分がいました。奪いたいとどこかで思いました。

それからよく会うようになり会う度に同じ事を繰り返しました。彼と一緒にいる時はとても楽しく何も考えずにいられました。しかし家に帰り1人になると一気に現実に戻され、彼女といるところを想像しちゃったり、遊ばれているのかなと思ったりして涙が止まりませんでした。何度も辞めようと、諦めようとしました。でもやっぱり好きなものは好きだからどんなに頑張っても自分の気持ちに嘘はつけません。

ダメなことだと分かっていても、会ってもますます好きになるだけだと分かっていても会ってしまいました。頭では分かっていても心が比例しないんです。今もまだこの関係が続いています。終わりが見えないこの関係を早く終わらせたい気もするけれど今の私にはまだそんな勇気はありません。きっといつか今以上に素敵な恋愛ができると信じて待とうと思います。
熊本県 Seiさん/女性20歳
危険な恋
学生の頃、英語の先生と恋に落ちました。最初は普通の先生と生徒だったのですが、だんだんお互いの距離が縮まっていき放課後2人きりの教室に。先生は「何しているの?早く帰りな」って言ってくれました。私は「先生に会いたくて待っていた」と少しふざけて言いました。先生は困ったように笑って「あんまりからかうな」って言いました。私は先生のことが大好きだったし、他の子達と仲良くしているのもちょっとヤキモチでした。

バイバイする時はいつも理由をつけてハイタッチ。先生の手は大人の男の人の手でとてもドキドキしました。ふざけて手も繋ぎました。ぎゅっとした時に先生から握り返されてドキドキしました。みんなが周りにいるのに誰も気づいてないみんなの後ろで。勉強教えてよと理由をつけて近くの図書館に。英語は好きじゃなかったしできないわけでもなかったけど先生とどうしても2人きりになりたかった。

休みの日に先生の車に乗って図書館へ。「今日は先生って呼ばないようにね」いつもは先生なのに下の名前でさん付けで呼びました。大好きな先生を独り占めしている時間が本当に幸せでした。勉強している机の下でこっそり手を繋いで、できたら頭を撫でてもらって、たくさん褒めてもらいました。

結局気持ちは伝えられず卒業式。先生が異動することがわかって、私は泣きながら「先生に出会えてよかった」と伝えました。ステージの上で別れの言葉を言い、花束を渡すと、先生は手を握って私にしか聞こえない声で「ありがとう本当に好きだったよ」と言ってくれました。先生と生徒だったこの恋は実りませんでしたが本当に幸せな時間でした。この恋をぜひ歌にしていただけないでしょうか?
愛知県 wakeさん/男性33歳
危険な恋
あの日、僕は夜勤の仕事に出発する前、目の前に寝ている奥さんと2人の子供の寝顔を微笑ましく見ていました。すると奥さんの首元に見慣れぬ傷が。キスマークでした。となりに転がっていた奥さんの携帯を見てみるとロックがかかっておらず、ラインの画面が浮かび上がっており、男に送った最後の言葉だけが残っていて、その前までの会話は消してありました。そこには「あなたのためならなんでもするわ。なんでも言って!」と送られていました。全身の血の気がスーッと引いて行くのを感じ、絶望感というか、失望感というか…なんとも言い難い感情になりました。

他の友達からはラインに「彼氏とラブラブで羨ましいな~」と送られてきており、それに対して奥さんも、「そうなんだよ~ラブラブ過ぎて幸せ~」と返信していました。思わず奥さんを起こし、「キスマークがついているよ。彼氏いたんだね」と携帯画面を見せて問いただしました。奥さんはキリッと僕を睨み、携帯返して!と。「まず言うことないの?」と言っても「携帯返して!」の一点張り。僕は怒りに任せて床に携帯を叩きつけ、携帯を割ってしまいました。冷静になって考えると証拠をしっかり掴んでから問いただせばと後悔しています。

夫婦の仲を回復するべく色々努力しましたが、奥さんは浮気相手との縁が切れず、何度も浮気をし、子供の親権を取られ、5ヶ月後に離婚する事になりました。奥さんはその後すぐに浮気相手と再婚。子供との面会の打ち合わせにも無視をするようになり子供に会えない日々が続いています。心に空いた家族という大きな穴はなかなか埋めることが出来ませんでした…。

しかし、現在は僕にはもったいないくらい素敵な人と出会うことができ、結婚はしていませんが幸せに暮らしています。会社の先輩後輩ですが、会社には内緒でもう3年付き合っています。未だに子供と遊ぶ夢を見ることがあり、目を覚ました時涙が出ることが何度もあります。でも、今の彼女の笑顔が寂しさ以上の幸せを与えてくれて、とても感謝していますし幸せにしてもらっています。男としては情けない話ですが、彼女がいなければ僕はダメになっていたでしょう…。そんな彼女はハジ→さんの大ファンでその影響で僕も大ファンになりました。人生は苦しくて辛い事もありますが、その分、幸せな事も同じだけあると気付かせてくれた僕の人生。今は悪くないと思っています。
群馬県 えりぽん→さん/女性21歳
出会いと別れ
3年前、高校卒業して工場に就職した時の話です。特に夢もないしやりたいこともなくて工場に行きました。そこは車で実家から40分のところにある埼玉県の大きめの印刷会社です。決め手は給料がよかったから。(笑)同期は30人くらいいたけど同じ配属先になった女子3人で仲良くなりました。うち以外の2人は岩手出身。だけどハジめましてですぐ打ち解けました。岩手の2人は寮で私は実家から通いだったので仕事帰りよく寮に遊びに行っていました。

そして、配属先の工場で働いていた3個年上の金髪の背が高くてすらっとした人に一目惚れしました。工場は比較的若い人が多く仕事終わり工場で語って先輩ともすぐ仲良くなり金髪くんと班まで一緒でした。敬語も使うことなくすごくフレンドリーで知れば知るほど好きになりました。そして職場の私たちの歓迎会が開かれてみんなお酒が入って盛り上がって一次会が終わり先輩の男2人(金髪くん含む)岩手の同期2人と私の5人で二次会に行きました。

未成年の女子3人はお酒が飲めないけど楽しい時間が終わり、先輩2人も寮だったため寮まで行きました。その日はもう遅かったので岩手の子の家に泊めてもらう予定でした。寮についても駐車場で、5人で語っていたら、だんだん明るくなり朝になってしまいました。そして会話の中で金髪くんの黒髪が想像つかないという話になり卒業アルバムを見せてくれることになり岩手の子1人と私は金髪くんの家に行きました。

卒業アルバムをみたり、お腹すいたねって朝ごはんを3人で食べたりしているうちに岩手の子が自分の家に帰るねーっと私をおいて帰ってしまいました。その時、私は金髪くんが好きだったのが岩手の子にはダダ漏れで気を使ってくれたらしい。後からの情報だと。(笑)2人きりになり金髪くんがタバコを吸いにベランダに出ました。おいでーと誘われて2人でベランダに出て、突然キスされました。オレの事好きでしょ?と言われて固まってしまいました。バレていました(笑)

でも「職場恋愛が嫌だ」と付き合えないことを言われました。でも好きにさせてみせる!と思い積極的に仕事中も話しかけに行きました。仕事中の金髪くんはリーダー的存在で機械が壊れたら直してくれるし、分からないことがあったらなんでも知っているようなその仕事姿に惚れました。そのような関係が半年くらい続いて2人でお出かけするようにもなりました。水族館に行ったりショッピングモールに行ったりいろいろ連れて行ってくれました。とある帰り道突然、スキ!付き合おう!と言われて私は泣きました。そしてお付き合いしました。

付き合っている期間はとても幸せでした。ですが1年半で別れてしまいました。別れるきっかけは私が仕事を辞めてしまいすれ違ってしまうことでした。今まで職場で会えて休みの日にも会えていたからすれ違って喧嘩が増えてしまいました。別れてから1年たつけど今でも金髪くん以降付き合った人はいないし、今でも思い出す。周りからは付き合っていた頃金髪くんのチャラい性格や、自分勝手なところを理由に別れた方がいい!もっといい人たくさんいる!と言われたけど今でもステキな彼でした。たしかに周りのみんなが言っていることは自分が一番分かっていたけど認めたくなかっただけなんです。

金髪くんは秋田出身で別れた後埼玉での仕事を辞めて秋田に戻ったことは同期から聞きました。それを聞くまでは職場の近くのコンビニ、スーパーなどでばったり会えるんじゃないかと期待していた自分がいたので秋田に帰ったことを知って悲しかったです。出会いがあれば別れはある。頭では分かっているけど気持ちに整理がつかないです。この先彼を超える素敵な方と出会えますように…。ながながまとまらない文ですみません。ハジに読んでいただけたら光栄です。
岡山県 来夢→さん/女性16歳
これは恋なのか
私には、2歳からずっと一緒の幼馴染が2人います。2人とも男子です。私たちは、いつも一緒で、「3人で1つ」のような存在でした。だけど、3人とも受験した高校がばらばらで離れ離れになってしまいました。でも、その中の1人とは電車通学という共通点がありました。「私たちは3人で1つで、その中の1人を好きになったりするはずがない。」って思っていました。普段、2人とも部活をしていて、私の方が終わる時間が遅いのに、私が終わるまで駅で待っていてくれたり、彼は自転車があるけど、私が歩きだと私のペースに合わせて歩いてくれたり、そんなさりげない優しさに惹かれているのかもしれないって思いました。

3人でご飯を食べに行こうと約束をしていて、1時間ほどもう1人の幼馴染を彼と2人で待ちました。「カップルみたいって思われているんだろな~」とか話したりして、岡山をフラフラ歩きました。その姿を私と同じ学校の数人に見られていて、「あの人彼氏?」ってきかれて、ただの幼馴染だよってこたえたら、「じゃあ付き合いなよ~!」って言われたけど、わたしは「幼馴染だから恋愛対象じゃない」とか言ったりして、自分の中で、彼を好きになるなんてありえないって思っているんだと思います。

それなのに、私は彼を好きになってしまったのか、それとも、ただのギャップにキュンとしているだけなのか、どんどん自分の気持ちがわからなくなっていく。彼は私のことをどう思っているんだろう。ちゃんと女として見てくれているのだろうか。私は彼の中で恋愛対象に入るのだろうか。考えれば考えるほど気になってしまう。彼との他愛もない会話が楽しくて楽しくて仕方がない。

彼は私と話している時、どう思っているんだろう。もし、これが恋なら気持ちを伝えていいのかな。私が気持ちを伝えても、3人で1つの関係は変わらない?もう一人の幼馴染はどう思うんだろう。頭の中がグチャグチャになるまで考えたけど、やっぱり答えは出なくて。どうするのが正解なんだろうか。まだ悩み中です。この歌が彼に届いた時、気持ちを伝えてみようかな…。
福島県 ちゃそさん/女性22歳
人生を考える
去年の9月に、婚約破棄されました。同棲もしていて、結婚式場も見に行っていました。彼は美容師をしていて、東京から宮城県の古川に戻ってきました。だけど、やっぱり東京に戻りたい、あっちで先輩たちとお店を開く話が出ていると急に言われました。私も一緒に言っていいんでしょ?って聞いたら、ここで終わりたい申し訳ないと泣きながら言われました。私は彼のために仕事をやめて、古川に引っ越してきて新しい環境にも慣れてきたところでした。親同士の挨拶も終わり、私の親と彼の親も仲が良くなっていたので彼の言っている意味がわかりませんでした。いくら話し合いしても、彼の気持ちは変わらず私は古川を離れ彼とも別れました。結婚を決めていたので、周りに合わす顔がありませんでした。今も悔しいです。彼はその2ヶ月後に、別の人と付き合っていました。それにもびっくりです。やり直せるなら、彼とはいい思い出はたくさんあったけど出会わないようにしたい。あんな思いはしたくないので。
茨城県 ニョロさん/女性23歳
危険な恋
イケナイ恋…。19歳の夏、保育学生だった私は、友達に連れられボーリング場へ行き、そこで初めて一目惚れをしました。目と目が合った瞬間、この人だ!と不思議なインスピレーションを感じた事を今でも覚えています…。運命かのように、彼も一目惚れをした。と言われ、告白されました。付き合う事になりました。初めての両想い。そんな時にリリースされた、ハジ→さんの「ずっと。」が、いつも彼とデートの時に車の中で聴いていた曲でした。

8ヶ月が経ち、馴れ合いや喧嘩も増え、好きな気持ちを残したまま、彼と別れる事になりました。噂で聞いた新しい彼女…。コロコロと女を変え、私の知っている彼ではなくなっていた事を知っても、私は諦める事が出来ず、3年が経ちました。寂しさを埋めるため新しい人と何度か恋をしましたが、結局うまくいかず。

そんな時、たまたま見たSNSで彼の名前が浮き上がってきて、勇気を出してインスタをフォローしました。するとすぐに返ってきて、「久しぶり!」から始まったやりとり。そして3年ぶりに再会し、私はまた彼に恋に落ちました。彼氏でもないのに2人きりで会い、ご飯、買い物、ドライブ。旅行。彼女でもないのに1つのペットボトルを2人で飲んだり。突然お揃いのプレゼントを渡されたり。思わせぶりのように手を繋いだり、突然キスをされたり。戸惑いながらも、惚れたもん負けの私は、この瞬間が止まればいいと思いました。

友達 と言い聞かせるほど辛く、周りには内緒でいつも彼は私に会おうとしてきます。都合のいい存在なのか、キープなのか。好きと言う気持ちを打ち明けられず、自分の気持ちに嘘をついている事がすごく辛いです。ずるいです。そんな彼は他にも女友達がたくさんいます。周りには反対される事の方が多く…それでも好きな気持ちが消えません。キケンな恋を私はやめられません。一度は好き同士。でも今は一方通行。好きな人と同じ気持ちになれた事がこんなに幸せだったんだと、初めて教えてくれたキケンな彼をまだ消さずにいます。大好きなハジ→さんの企画。勇気を出して送ります。この想いを歌で伝えられたら、復縁できたら、すごく嬉しいです。よろしくお願いします。
石川県 ま→さん/女性48歳
危険な恋
4年半前に乳がんをしました。幸い…温存手術。その3ヶ月後に今のパートナーと子供の学校の役員を通じて知り合いました。その時、私は結婚していましたが、役員の懇親会で一目惚れ。ダメなのは100も承知で気持ちを伝え、その時、彼はシングルファーザー…。不倫でも付き合う事になり、乳がんの事を全て話しました。もちろん手術した胸も…。全てを受け入れてくれ、私を笑顔で支えてくれています。それに甘え今は、わがままばかりですが、それでも笑ってくれていたらいい…と。いつ、どうなるか分からない爆弾を抱えている私をパートナーは、やりたい事、食べたいものなんかは我慢せずに今やろう!笑っていよう!と支えてくれています。笑っていたら癌は逃げてくからって…。面と向かって言えないけど本当に毎日感謝しています。ありがとう…心から言える。彼には感謝しかない、本当に本当にありがとう。これからも、よろしくね(笑)
大阪府 はぴさん/女性30歳
危険な恋
突然出会ってしまった彼。あたしも彼もお互い別の誰かがいて、いけない恋です。月に何回も大阪にきてくれる彼との時間はいつの間にかかけがえのないものになっていきました。彼と連絡をとる時、会っている時、いつもあたしをドキドキさせてくれます。でも東京と大阪の離れた恋で、もちろん不安もたくさんで、連絡取れない時、お互いの嫉妬、何回も離れないといけないなと思っていた時、彼から「いつか近い将来、一緒になろう」と言ってくれました。ただ嬉しくて本当に言葉にならなくて気持ちが暖かくなり涙がでました。それまでに彼を傷つけてばかりいたあたしには、想像もできない言葉でした。愛は本当に存在するものだと彼に教えてもらいました。

確かにダメな恋です。誰もがそう思うだろうと思います。でも止まらないのも確かにあって、あたしのこれからの人生には彼が必要だと確信に変わりました。何も持ってなかったあたしに彼は希望をくれました。上下左右どこにも逃げられなくなっていたあたしを彼は簡単にすくい上げてくれました。そんな彼をあたしは離せないし、離して欲しくない。外で簡単に会えないし、デートもできない。手も繋げない恋だけど、いつか笑って堂々と2人で手を繋いで歩きたいです。なにより、ずっとずっと側で彼の横顔を見ていたいです。心は繋がっていても、やっぱりそばに居ないのはどうしようもなく辛くなります。周りは一筋縄でいかない恋だから燃えているだけと言いますが、純粋に彼を愛しているんだと思っています。じゃないと何もかも捨てて本当に一緒になりたいだなんて思わない。

ただ、彼がほしいだけなんて思えないし、好きだなんて言葉も軽すぎて言えない。愛している以上の言葉も存在しないし。ダメだと分かっていても止まらないのが愛なのかどーなのかは分かりませんが、あたしは単純にそばにいたいだけなんです。彼だけがあたしを一喜一憂させ、彼だけがあたしを救える人なんだと思っています。彼を愛して、わがままになってく自分、嫉妬深くなる自分。彼もわがままになっていき、嫉妬深くなっていく。抜けられないとゆうかそもそも抜ける気もなくこれからもそんな彼と歩いて行きたいと思います。
大分県 りーさん/女性17歳
キモチを伝えたい
私は好きな歌手など居なかった。いつも、母や姉の借りたCDで音楽を聴いていた。ある日、母が借りてきたCDを聴いて私は初めて自分からこの歌手が好きだ!と感じた。その歌手こそハジーなのだ。自分が周りに振り回されたり、我慢をしたり、苦しかったり、悲しかったり、頑張ろうと思う時、どんな時でもハジーの曲を聴いて元気をもらったり励まされたり、音楽を聴く時はいつもハジー。歌詞の中に詰まった思いが心に初めて響いて、歌ってすごいなと思った。学生だからライブやイベントなどほとんど行けないけど、初めてハジーの生歌を聴いた時には本当に感動した。

友達に裏切られて、人生なんてどうでもいいと思った時もハジーの歌に助けられた。私にとってハジーの曲はとても大切なものです。書きたいことはたくさん他にもあるけれど、ハジーに感謝の気持ちを伝えられるのは今回しかないんじゃないか。そう思ったからここで思いを伝えさせてもらいます。大分であるライブまで、今一生懸命頑張っています!ハジーもこれからも頑張って下さい!
岡山県 しょこらさん/女性18歳
危険な恋
高校3年の冬、付き合い始めた彼とは遠恋でした。(趣味関係で)なかなか会えなくて、寂しい思いばっかりで、辛いことの方が多かった。それでも好きだから、距離なんて関係ないと思っていた。でも、寂しいって思っていたのが、だんだんとどうでもよくなって、冷めているのが自分でもわかった。私は高校を卒業して就職、彼は大学生。社会人の仕事への不安やストレスは学生の彼にはなにもわからないし、学生からわかったような口を聞かれたくなかった。私はだんだんと学生と社会人という差は大きな壁になるって感じた。

就職して数ヶ月、仕事に少し慣れた私。そんなときに1人の男性と急に仲が良くなった。趣味が一緒で、8つ歳上の男性で家が近い。趣味だけの繋がりでそれ以上の関係になるなんて出会ったときは思わなかった。私はその26歳の彼にだんだんと惹かれていった。彼氏がいるのにも関わらず…。彼氏への罪悪感が日に日に増した私は、ついに別れを告げました。そして別れた。でも彼氏は私と別れたくないといい、腑に落ちてない部分などもあったようで、別れた1週間後にまた連絡が来ることになる。

別れた数日後に26歳の男性から告白をされ、私は驚いた。元カレと別れたばかりということに加え、8歳も年下の子供みたいな私を恋愛対象に見られるの?遊ばれるんじゃないのか?という疑問や不安。しかし私は付き合うことにした。付き合うことになったその後に元彼から連絡が来る…。別れるときに私は隠し事をした。他に好きな人ができたということだ。後ろめたい気持ちがあったから隠したんだと思う。こんなの浮気だって自分でわかっていた。浮気はだめだってそんなの当たり前だし。

別れた一週間後に嘘はつかないでと元彼がいうので全て話した。新しい彼氏が出来たことも。元彼は私にあきれた。彼氏にもあきれたとすごく言われた。(※元カレと彼氏は友達)これがきっかけで元彼との共通の友達もほとんど失った。悪いのは全て私だし自業自得。危険な恋に走った私の選択がこうさせた。仕方ない。仕方ないけど胸が痛い。
埼玉県 とんちゃんさん/女性23歳
青春の思い出
彼と出会ったのは高校2年生の2月。高校は違うけど毎朝、駅のホームが同じで一目惚れでした。おもいきって友だちを通してメールアドレスを聞いて友だちになりました。初めて遊んだのは7月の地元の夏祭り。神社で二人きりになり遠くからはお囃子の音が聞こえていました。長い沈黙があり今度の花火大会は恋人同士で行こうと告白されました。初めてのことで、照れていたことを覚えています。初めてのキスはお互い震えていたのを覚えていますとても幸せな気持ちでした。お互い専門学校に行ってからは忙しい日々。私は保育の道へ。彼は公務員の道へ。彼は朝から晩まで勉強づくしでした。それでも時間を割いてデートしてくれました。夢に向かって頑張っている姿はとってもかっこよかったです。素直に夢を応援してあげたくなりました。

成人式も一緒に行き、2人で大人になったことを実感しました。彼はどんなわがままも受け入れてくれて、いつも私を笑わせてくれて、彼がいない人生は考えられないほど大好きでした。私は無事、保育士になり、彼の夢は残念ながら叶いませんでした。専門を卒業してからは彼の勤務先が決まり埼玉と山梨の遠距離になってしまいました。その話を聞いた時はたくさん泣きました。別れた方がいいのか考えましたが彼は休日には埼玉に戻って来るから別れたくないと言ってくれました。素直に嬉しかったけど、彼には負担をかけたくありませんでした。彼が同期と遊んでいるのに嫉妬してしまい喧嘩をして別れを切り出されました。嫉妬をしてしまったのは彼の気持ちが離れちゃいそうで怖かったからです。逆に態度に出してしまったことで嫌われてしまったのかな。

胸が苦しいというのはこういう感覚なんだなと思い知らされました。悲しくて寂しくて、辛くて、彼の気持ちはもう私にはないんだという絶望感。毎日が辛くて生きている心地がしませんでした。今までも、私の嫉妬で、ケンカをしたことがありました。彼のことが大好きすぎて嫌な妄想ばかりしてしまい、彼に嫌な思いをさせてしまい、今では後悔しています。デートで行った場所や花火大会、お祭り、出会ったホーム、行くと楽しい思い出がよみがえります。彼は私にとってとても大切な人でした。ずっとこれからも一緒にいられると思っていました。

付き合ってきた3年半、毎日が幸せで初めてのことばかりでした。今でも夢を見ます。夢の中で目が覚めると隣には彼がいて、こっちを見て微笑んでいました。そこで夢は終わりました。もう一緒に寝られないんだ、触れられないんだ、会えないんだと思うとまた涙が溢れてきました。今でもあのときの優しい気持ちと、幸せな気持ち、愛しい気持ちは忘れてはいません。もう多分会うことはないと思うけど、大切な人の幸せを願っています。私の青春は彼と過ごせた時間です。実は彼からクリスマスプレゼントでハジ→のライブチケットをもらいました。初めてハジ→のライブに一緒に行くはずだったのですが、別れてしまったので、行けませんでした。是非ハジ→に歌を作ってほしいです。彼に届けて欲しい。よろしくお願いします。
兵庫県 大貴さん/男性24歳
危険な恋
高1の夏から始まった恋。まじめに恋をしたことなかった俺が先輩を好きになりました。同じ部活だった先輩。頑張って喋りに行ったり、帰るタイミングを部室の窓から見計らって一緒に帰ったり、先輩が好きな音楽を聴いてみて話題を作ったり、話がしたいが為に先輩の家の近くに用事があると嘘をついて送って帰ったりしていました。しかしその先輩には2個上の彼氏がいました。それも同じ部活の先輩でした。だがその2人は別れそうだったので、チャンスだと思いガンガン攻めていると男の先輩から呼び出され圧をかけられました。

しかし、好きな気持ちは抑えられずメールをしていると急に男の先輩からメールが一件。『邪魔するな。』の一言のみ。怖くなりメールを控えていると、女の先輩からメール『ごめん。』の一言が。これで終わりやと思って、諦めそうになった時に、女の先輩から泣きながら電話が来ました。その彼氏の先輩はDVが激しくて別れるのも怖いって言う電話でした。すぐそこで僕はその女の先輩の元へ向かいました。そこで女の先輩に『男の先輩より僕が幸せにするから付き合ってください。』と告白。返事がないままその日は送って帰りました。

後日女の先輩から連絡があり『今から彼氏に会うからついて来て。』と一言急いで準備し向かったら、そこには2人の姿があり別れ話をしているところでした。到着した瞬間に女の先輩が彼氏に『私あんたと別れて大貴と付き合う』と言い、僕が嬉しすぎて、とっさに「ありがとうございます」と言った瞬間、彼氏に殴られ、彼氏は去っていきました。その傷は今となっては、はじめての嬉しいキズになっています。
愛知県 KiNギョ31さん/女性33歳
出会いと別れ
保育園と小学校が同じの親友がいた。でも、親友の親が同級生の親と不倫し、中学になるころに離婚して転校していってしまった。それから中学・高校と手紙のやりとりをしたり、週1で電話したり。なんでも言える仲だった。はず。高校2年になりだんだん部活が忙しくなり、電話かかってきてもなかなか折り返し電話できなかったし、手紙も返せてなかった。そんな時、高校2年の3月、急に電話が鳴った。親友の親から。親友が自殺したって。クラスからのイジメだって。

自分があの時、忙しさを理由にせず、手紙を返していたら。電話していたら。会いに行っていたら。何か出来たんじゃないか。生きていたかもしれない。友達ってなんだろう。自分はなんだったんだろう。15年以上経っても後悔しかなくて、自分はどうするのが正解だったか答えが見つからない。自分は何がしたかったのか、自分が死なせてしまったんだって時折絶望感に苛まれる。死んだらもう何もしてあげられない。立ち直るってなんだろ。時間が解決するってどういうことか未だに謎。時間が経てば経つほど苦しくて、辛さが増すのは何。親友に会いたい。
千葉県
ち→ちゃん。千葉んちゅ。さん/女性21歳
君のためなら
高校時代、わたしは野球部のマネージャーをしていた。高校を卒業した翌年の夏、社会人になった私は休みを貰い母校の野球応援に行った。母校の試合は第2試合なのに、毎年170校近い学校が出場するなかで1番すきなN高校がその日の第1試合で朝早くから試合観戦していた。無事にN高校が試合に勝利し、母校も強豪校を撃破。気分よく帰ろうとすると制服を着た見た事のある生徒が…。「T君だよね?」って私は声を掛けた。その彼は同い年のN高のピッチャーだった子でした。

ほんの一瞬話した日から丁度2年後、、私がSNSに母校の夏大の動画を投稿した所T君からコメントが。会話をする中で翌日T君が誕生日だと知りました。そして、2年前に初めてあった日もT君の誕生日だったと言うのです。同じ野球繋がりで、彼の誕生日の日に出会い。その2年後にまた繋がり会えたのは何だか奇跡かなと思いました。そのままお互い惹かれ合い2年ぶりの再会をした日に彼から告白されて付き合う事になりました。

高校生の時は共通の友達が多くても会った事も、話した事もなかった2人がくっついて周りは驚いていますが、自分達の方がびっくりです笑。T君は高校卒業後、隣の県で大学野球を続けています。なかなか会えないけど、野球を頑張っている彼はとってもカッコ良くて。ヒーローです!来月で付き合って1年。最後の春大が終わり、残すは秋の大会のみ。そんな彼を優しくサポート出来たらなと思います。

わたしは本当に本当に頑張っている人に「頑張れ」なんて言葉を軽々しくかけることが出来ません。【頑張っている人にもっと頑張れって言っているみたいで苦手なんです】だから、どうしたらプレッシャーをかけず、勇気や元気を与える事が出来るのかな?って悩みます。そんな気持ちを持っている人他にもいると思うんです。ハジ→の優しい心と豊富な言葉で上手く伝えてくれたら嬉しいです。何かまとまってないですけど、引退したら彼をLIVEに連れていく予定です!!
鹿児島県 しーちゃむ。さん/女性15歳
気付いてほしい
彼と初めて話したのは、中3の夏頃。それから喋るようになりどんどん惹かれていった。文化祭のある日たまたま文化祭のモザイク班が一緒の事に気づきよく喋るようになった。彼からポスターカラーで元彼の名前も書かれた。それも好きだったから楽しかった。その時は彼にも彼女がいたから、好きとは伝えなかった。でも、ある日友達が好きな人の話をしていたことで、私にも好きな人誰?と質問がきた。その時、彼もいた。私は隠すので必死だった。でも放課後まで続いたので、仕方なく好きな人を目の前にして、言うことに。伝えたら両思いだった。そして、彼が彼氏になった。でも、付き合って1ヶ月後に浮気されていた。しかも、私の信頼していた友達が相手だった。私はすぐに気づいていた。その事で何度もケンカしたし、別れようとしたけど、無理だった。卒業式の前の日にカミングアウトされ、その日は3人で電話した。彼氏は私を選んでくれた。安心しきっていたけど、また裏で付き合っていた。でも、すぐ別れた。いまは、付き合って7ヶ月。遠距離です。不安も沢山ある高校生活を送っています。でも、彼氏は、大好きです!
香川県 490さん/女性23歳
出会いと別れ
高校2年の冬、大好きだったおばあちゃんが他界した。幼少期から親は共働きだったためおばあちゃんに預けられていた。生粋のおばあちゃんっ子。ここだけの話、母よりも、父よりも、おばあちゃんが大好きだった。おばあちゃんは身体を自由に動かすことができない身体障がい者だった。それでも小さい私を抱っこして可愛がってくれた。そのせいで不自由な部分を悪化させてしまったかもしれない。でもおばあちゃんは一度も私を責めたりしなかった。

中学や高校になると部活やバイトでおばあちゃんに会う機会が少なくなっていった。でも時々自転車でおばあちゃんに会いに行っていた。帰りたくなくて朝早起きして実家に帰りそれから登校していた時もあったなぁ。高校2年の時、おばあちゃんが椅子から転げ落ち立てなくなって入院した。何回も母と様子を見に行った。でもだんだんとおばあちゃんの様子が変わっていった。私のことは認識しているものの、まともに会話ができない状態になっていた。

ある日、母、父、私で様子を見にいった。とても苦しそうだった。少しだけ目を開けて私を見て頷いたおばあちゃん。何かを言っているように感じた…。そのあと母と父が焼肉屋さんに連れて行ってくれたが、私は何も口にしたくなかった。ずっと涙が止まらなかった。母に食べなさいと怒られた。嫌々泣きながら口にしたのを覚えている。肉の味なんてなかった。ただしょっぱかっただけ。

その日の夜は眠れず好きな音楽を聞いていた。悲しみを忘れるために。突然、夜に働いていてこんな時間に帰ってくるはずのない母が帰ってきた。「心肺停止状態やから病院に行くで。」母は寝ていた父を急いで起こした。私はしばらく頭の中が真っ白だった。「えっっ、まだ、助かるよね?死んでないよね?」そう、心で思っていた。

病院に着いてからのことは不思議とあまり覚えていない。でも覚えているのは私の心に良かったって気持ちがあったこと。不謹慎と思われるかもしれない。おばあちゃんは入院中とても苦しそうだった。やっと、やっと、楽になれたのだから…おばあちゃんが安らかに眠った日、天国に行った日、それは私の誕生日でした。きっとあのとき「精一杯のおめでとう」を言ってくれていたんだなぁ。ありがとうおばあちゃん。忘れられない誕生日になりました。ずっとずっと大好きです。誕生日には毎年お墓に行くからお祝いしてね!
福岡県 うえのくんさん/男性20歳
気付いてほしい
高校生の時、彼女と住んでいるところが違って、電車に乗って会いに行っていました。時間が無くても無理やり時間を作って会いに行って、デートと言えることも出来ず、2時間と経たないうちにその日はお別れということが多々ありました。半年経って別れ話。別れた後すぐ彼女は新しい彼氏を作り、自分はそれをSNSで見せびらかされました。まだ好きだったのに。今、SNSは全てブロックされていて、何してるのか分からないけど、元気だといいな。
愛媛県 まゆ→んちゅさん/女性18歳
ありがとう
私には88歳のおじいちゃんがいます。今は認知症で私のことも誰か分からなくなっています。私は3人姉兄の末っ子。小さな時から毎週、母の実家へ1人で泊まりに行っていました。車で30分かかるところを祖父がわざわざ迎えに来てくれていました。そんなおじいちゃんが大好きです。お百姓をしている祖父母。働き者で観光梨園をしていました。友達におじいちゃんの作った梨をあげると「めっちゃ美味しい!よその梨は食べられない」と言うくらい美味しい梨でした。気がつくと、祖父母が高齢になり梨園を止めざるを得なくなりました。働き者のおじいちゃんは何もすることがなくなり、認知症を発症し始めていき、だんだんひどくなっていきました。

私の母がよく言います。おじいちゃんは昔から働きもので、母は幼い頃からお百姓の手伝いをさせられ、「勉強しろ」と言われたことはなく、「手伝いしろ」と言われ続け、気がついたら高校受験の時に受験できる高校がないほどの成績順位。それに気がついて勉強して大洲の進学高校に入学した。そして都会に出ていきたくて反対されたけど、大阪に就職。念願叶って大都会に行ったと同時にすぐホームシック(涙)。「帰りたい」と何度も公衆電話から泣きながら電話をしても毎回答えは同じ。ダメだ…と。大阪で友人にも恵まれ、彼氏もいたのにもかかわらずこんなにいつも「愛媛にかえりたい」と言いづける母を見て、周囲の人は「愛媛ってどんなに素晴らしいところなんだ。1度行ってみたい」と口を揃えて言うようになったそうです。

そして2年経ち、この電話を最後にして「帰りたい」といって「ダメ!」と言われたら一生このまま大阪に居ようと決心して、いつもの公衆電話から電話したそうです。「帰っていい?」と母が、そしたら「いいぞお」と祖父が言ってくれ涙がとまらなくなったそうです。そしてその日はなんとクリスマスイブ。おじいちゃんはクリスマスイブなんて知ることなどありません。そして母は愛媛に帰り就職して職場で父と知り合い恋愛して結婚したそうです。なかなかの高嶺の母だったそうですよ。

祖父母は8人の孫に恵まれ幸せそうな顔をします。とても私たちを大切にしてくれます。祖父の名前は「亀鶴(きかく)」といいます。『亀は万年。鶴は千年。』素晴らしい名前をもらっています。若い時からの口癖は「わしは死なん」でした。それが今では「早く死にたい」言う。なりたくて認知症になったわけではないのだから、おじいちゃんに「そんなことは言わんの!いつまでも長生きしてよ…おじいchan大好きよ」というと「お前は可愛いこというの~」とめっちゃにっこりして言ってきます。笑顔の可愛いおじいちゃんなんです。

私は今、障害者施設(介護)で働いています。1年目でまだまだ新人ですが利用者さんは私の名前を"ちゃん"付けで呼んでくれハイタッチしてくれます。この人達もなりたくて障害者になったのではありません。すごく素敵な笑顔をみんなもっています。笑顔の素晴らしさを教えてくれたのはこの人達で、それ以上に1番の最高の笑顔は私のおじいちゃんです。その笑顔を見ることができなくなる日がいつか必ず来る…と思うと辛くあついものがこみあげてきます。いつも一緒に過ごしているおばあちゃんに「今日はなんの仕事したらいいんぞお~」と今日も言っているんでしょうね。
東京都 ゆきだるまさん/女性22歳
人生を考える
私は、中学生の頃から保育士になるか、コンサート等で働く音響・照明スタッフになるか迷っていました。しかし、音楽や芸能関係の仕事はきっと辛く、厳しい現実がたくさん待っているに違いない。そのようなイメージを強く持っており、まだ10代だった私はその道を進む勇気がなく、諦めて保育士の道へと進みました。現在は東京に上京をし、保育士になって3年が経ちました。ハジ→さんのライブにも何度か行ったことがあります。その度に、あの時、諦めずにPAスタッフを目指していたら今とは違う現実が待っていたんじゃないかと後悔します。このままずっと夢を諦め、保育士として働いていくのは嫌だとも思います。

ですから、今年度いっぱいで保育士を辞め、PAスタッフの道に進もうかと考えています。しかし、いざ転職を考えると、はやくそっちの業界に進みたいと思う反面、こんな私に勤まるのだろうかという不安と恐怖の気持ちしかありません。本当にやりたいことは音響さん・照明さん。しかし、ツテもなく、私に勤まる自信もありません。でもこのまま夢を諦めてこの先何十年も生きていくのは嫌です。色々な気持ちと葛藤しすぎて、どうしたらいいのか自分でもわかりません。こんな臆病な私ですが、是非私の思いを歌にしていただいて、ハジ→さんに歌っていただければ、と強く思っております。話がまとまらず申し訳ありません。
大分県 たけるんさん/女性27歳
人生を考える
ぼくは、男ではありますが、看護師をしています。看護師になり、働きはじめたころの話です。看護師として未熟であり、慣れない仕事と不規則な勤務に目まぐるしい毎日を送っていました。しかし、患者さんには笑顔をふりまき、患者さんから返ってくる笑顔や感謝の言葉には看護師という仕事に充実感とやりがいを感じていました。とある勤務の日、患者さんの名前の中に、偶然にも友人の名前を見つけました。高校時代を一緒に過ごし、部活も共にした友人が入院していたのです。すぐに会いに行きました。そこには高校時代と何ら変わりない友人の姿がありました。白衣を着てやってきた、ぼくの姿にびっくりしていました。看護師として、働く姿を友人に見られるのは少し恥ずかしさがありましたが、久しぶりに話が出来て、元気そうな姿を見せる友人に安心しました。すぐに良くなり、退院出来るものと思っていたのですが、友人の病気は重く、“がん”に身体を蝕まれていました。

看護師として、友人が今後どうなっていくのか、その時のぼくは、既にわかっていたのかもしれません。しかし、友人としては、認めるわけにはいかなかったのです。友人との別れを。友人が治療を受ける傍らで、ぼくは仕事をこなしつつ、可能な限り友人に会いに行きました。看護師として、何か友人に出来ることはないか、それを思う毎日でしたが、働きだして間もない未熟なぼくに出来ることはありませんでした。はじめは元気だった友人が治療の影響で少しずつ弱っていく様をぼくは、ただ見守るだけでした。

看護師なのに、ぼくは友人に対して、何もしてあげられない。自分が未熟だから、何も出来ないんじゃないか。もっと勉強していれば、経験を積めば、出来ることがあるんじゃないか。看護師として何も出来ない自分が嫌で嫌で、たまりませんでした。友人から見えるぼくは、役立たずな看護師なだろうなと自己嫌悪になりました。弱っていく友人を見るのが辛くなり、次第に病室からも足が遠のくようになりました。友人の病気は、ぼくの成長など待ってはくれません。食欲がなくなり、動くこともままならず、視力さえ友人から奪っていきました。そんな友人を見て、ぼくに出来たことは、ただ側にいてあげることだけでした。耳は聞こえていますが、なんて声をかけたらいんだろう。話そうと思っても言葉が出てきませんでした。手を握ったまま、途切れる会話。溢れる涙を必死に堪えていました。

友人との別れの日。急いで病室に訪れたときには、すでに生き途絶えようとする友人の姿でした。泣きながら声をかける友人の家族。懸命に助けようとする医師の姿。医師や家族をサポートする先輩看護師。この現場で、ぼくがとった役目は、友人としてではなく、看護師としての役目でした。ここで取り乱せば、家族も医師もみんな困るだろうと感じとったからです。泣きわめくほどの気持ちを押し殺し、友人との別れを告げました。「ありがとう。何もしてやれなくてゴメンな。」病室をあとにし、人目をはばからず、ぼくは泣きじゃくりました。ああすればよかった。こうすればよかった。と後悔の念に押しつぶされ、涙が止まりませんでした。看護師として、初めて人が亡くなる瞬間に立ち合い、一患者ではなく、友人を看取ることにどんな意味があったのだろう。

今思えることは、看護師になることも、友人を看取ることも、すべては必然だったんだと思います。友人の死から、たくさんのことを学びました。そして、ぼくに目標をくれました。友人の亡くなる瞬間がフラッシュバックし、看護師を辞めようとも思ったのですが、それでは友人の死を無駄にすることだと思いました。友人と同じように病気で苦しむ人たちに、ぼくが出来ることはなんだろう。次に出会ったとき、ぼくは何が出来るだろう。友人に恥ずかしくない姿を見せるためにも、ぼくは後悔しない行動が取りたい。後悔しないことなんてないのかもしれません。だから、1つでも後悔をしない努力をしようと思いました。あの時は出来なかったけど、今はこれが出来るよ。あれが出来たよ。心の中で生き続ける友人にいつも話しかけながら、ぼくは看護師を続けています。たくさん経験を積み、勉強し、自分が出会う人、1人でも多くの人を笑顔にしたいと思います。
東京都 Maiさん/女性22歳
人生を考える
中学生の頃1人だけ省かれるのが怖くて私もなんとも思っていない友達の悪口を言った。お互い傷つけあい、最後は自分が省かれた。自業自得だし、消えてしまいたいと何度も思った。自分がターゲットになったとき、周りがみえなくなり、誰にも気持ちを打ち明けられなくなった。学校では友達と誰一人話さずに終わる毎日。家では親にはバレたくないから元気を装い、自分の部屋に引きこもり、毎晩泣いた。睡眠もできないくらいにつらい毎日。勉強も手につかず、学校では成績も一番下。誰も信じられなくなって、誰も知らないどこか遠い世界に逃げたかった。高校生になり、私は本気で変わりたいと思った。自分を180度変えて昔の友達なんか見返してやるって思った。

高校の入学前、一生人の悪口を言わない。自分の持っていない人の良いところだけをみていこうって決めた。おへそまであった髪の毛をボブにバッサリ切り、メイクも勉強し、ダイエットも頑張った。もう誰にも馬鹿にされたくない。悪口を言われたくないって思った。今まで逃げてきたコミュニケーションも家の犬と練習し、学校で友達と何をどう話すかを毎朝考え、すっごくすっごく努力した。すると友達ができた。たくさん友達が集まってきて遊びも誘ってくれた。私が落ち込んでいるときには、親身になって励ましてくれた。私が体調不良のときには、学校にいないことに気付いてメールもくれた。その瞬間。あ、変われたんだなって思った。

少し前まで、私は人とコミュニケーションをとることを拒み、人と接することを避けていたが、こんなにやさしい人たちが世の中にはたくさんいるんだって、気づいた。そのとき、私は人のためになにかしたい。人と接したい。沈んでいる人。不安な人を勇気づけてあげたい。そう思い看護師を夢見た。学校の先生からは当然猛反対を受けた。私は自分の夢を否定され、すっごく悔しかった。まだなにもやってないのに無理っていわれることの怒り。この人を見返してやるって決めた。夢はなりたいって強く思えば叶うんだって証明したかった。

そして私は今までしたことのなかった勉強を始め、無事看護学校へ合格した。看護学校でぶち当たった壁はコミュニケーション。今まで嫌われるのが怖くて自分の思いを他人に話すことをしなかった私は自分の意見を話すことができなかった。また私は努力した。すると友達はなにを言っているのかわからない私の話をうなずきながら聞いてくれた。すっごくうれしかった。おかげで私は自分の意見を少しずつではあるが言えるようになった。その時、やっぱり人には苦手だと思うことはあってもできないことはないんだと、改めて気づかされた。私は今看護師になった。夢が叶った。もう何も怖くない。あの時、努力してよかった。そしてあの頃のしんどい自分がいたからこそ今があるんだ。あの頃のしんどさは無駄じゃないって思えた。
群馬県 あっちゃんさん/女性25歳
気付いてほしい
二年前の事。酒を飲みすぎて座り込んでいた私に、そっと頭ポンポンとしてくれた1個下の男の子。以前はそこまで気にしてなかったけど、その頭ポンポンをきっかけに私はその男性が気になる存在となりました。普通に話せる仲だけど、連絡先知らず。聞けばいいことだけど、緊張して聞けなくて。やっと連絡先聞けたのは半年後。お互い共通の話題でほぼ毎日連絡取るようになって、いい感じかも!って思い始めた時でした。

彼の奥さんに赤ちゃんができて、結婚する、って知ったのは。泣いて泣いて泣いて。涙が枯れるっていうのはこーゆーことなんだって知りました。その奥さんはすごくキレイでスタイルよくて、私とはかけ離れたような人。それでも悔しかった。もう少し早く連絡先を聞いてれば。ごはんとか行っていたら。もう少し早く出会えていたら。後悔だけが残る私の片思いです。
滋賀県 ワニさん/女性18歳
危険な恋
2個上の先輩のことが好きで、今友達以上恋人未満みたいな関係です。私は大学生で、地元を出て1人暮らしをしています。この関係は終わらないといけないのに、逢いに来てくれるたびに好きが増して、会えるだけで嬉しくて、でもつらくなります。大学4年間好きでいて、それでも無理なら諦めようと思っています。めっちゃ辛いですが、私の人生なので周りになんて言われても後悔なく終われたらいいなって思います!この人に出会えていろんな経験ができたって思えたら最高です!
熊本県 ayankyさん/女性37歳
気付いてほしい
16の時にポケベルに知らない人から友達になろうとメールがありそれからポケともになりました。そしてたまに会うようになりました。でも彼は同じ県でも島の人なので橋を渡らないと会えません。彼に会いたい為に橋をバスで渡り彼の家に行くことが増えました。しかし彼の親に内緒で上がりこんでいたので、ある日見つかってしまい彼のお母さんに「なにしてるのー。はしたない。あなたを嫁になんて出来ません」と言われてしまいました…。それから彼とは少しだけやり取りをしましたが連絡は途絶えてしまい…。

未練だけが残ったまま私は違う人と結婚。2人目の子供が帝王切開だったので未練のある彼の誕生日に産むことにしました。しかし離婚し…再婚。それから20年たちましたがまだ彼のことが忘れられません。Facebookで彼をみつけたときの幸せ…しかし連絡がとれたわけでもなく。ただ元気にしていることだけがわかり…その人の働いているところにいつか泊まりに行けたらいいな…という夢を今見つけました。それを楽しみにして今を過ごしています。もちろん今の旦那さんにはこの夢は内緒です
富山県 なよさん/女性22歳
危険な恋
私は高校時代、野球部のマネージャーをしていました。古豪の高校で、県でベスト8に入るほどの部だったため、入部する前に部内恋愛は禁止と監督に言われていました。部員とも仲が良かったため、そんな事はないとずっと思っていました。しかし、最後の夏の大会前に、クラスメイトで1番仲良しだったキャッチャーの男の子に彼女ができたと知り、なぜかモヤモヤしてしまいました。当時、私も彼氏はいましたが、自分の気持ちに気付いてしまいました。ダメだと分かっていながら相手に気持ちを伝えると、相手も私を想いながらも、部内恋愛禁止だから無理だろうと諦め、その彼女と付き合ったと言われました。その後、私たちはそれぞれ相手と別れ、そして最後の夏の大会が終わり、正式に付き合うことになりました。3年半ほど付き合い、今はもう別れてしまいましたが、私史上最大の恋愛で、これを超える大恋愛はないかなと思っています。
東京都 くまにあさちこさん/女性26歳
出会いと別れ
シングルマザーの1児(娘)母です。21歳に娘を出産。その時は幸せが続くと思っていました。けど性格の不一致から当時の旦那と23歳の時に離婚。私が妊婦の時に元旦那に女絡みがありました。元旦那と別れ、もう男の人が信じられませんでした。しかしその後、出会いがありました。25歳の時に彼氏ができました。その方は2つ上の職場の上司。結婚を前提に1年以上お付き合いをしました。彼との恋愛は私にとってとても幸せな時間だった。しかし、ある事がきっかけで彼の激しい束縛で私の気持ちは段々と薄れていきました。

お付き合いしていた彼とは別で、同い年の彼と出会いました。その彼は元々お互い顔見知り程度。そこまでお互いの事をよく知りませんでした。知っていたのは同い年ということ。彼との共通の友達がいました。その友達から彼の話はちょくちょく聞いていました。元カレ(職場の上司)とギクシャクしている時に出会った彼。元カレの相談をしたり、くだらない話をしていく内に、私は自然と彼に想いを寄せていました。同い年ということもあり、とても話しやすくて楽しくて…。

私は元カレと別れ、同い年の彼とお付き合いをすることにしました。現在進行形。今の彼は、今まで自分が出会ってきた男の人と違うものを感じています。結婚の約束をしています。彼ももちろん、私がシングルマザーって事も知っています。彼とは結婚前提です。この幸せがずっとずっと…続くとわたしは信じています。今の彼なら大丈夫と、信じています。
福島県 ARさん/男性13歳
人生を考える
学校が嫌いな僕は小学生の4~5年の時、反抗した。みんなに迷惑がかかっていることは、わかっていたけど先生が嫌いを理由に悪いことをした。4年の時は、いい先生だったけどなぜか反抗した。最後の方は、まじめになった。けど5年で先生が変わり、また悪くなった。より先生に反抗して学校をサボることが何回もあった。時には「クソババァ」と言ったり、先生の机の上に悪口を書いた紙をのせたりなどしていた。

でも5年の時の先生は本当に悪かった。宿題やらないと運動会出さないとか、おどしばかりで「別にいい」と言っても結局参加させられた。言葉使いも悪く子供に指導していいのかと思うぐらいグズだった。6年になり4年の時の先生になった。いい先生ってことが気づいた。だからまじめにやっていたら、5年の時の先生が関わってきた。親友のお母さんと5年の時の先生は仲がよく僕と親友は、距離をおかれた。本当に意味がわからなかった。でも6年にはまじめになった僕はこれから中学校が楽しみだった。

やっと中学生になった。今の担任が5年の時の先生に考えが似ていて嫌いだ。今、僕は中一だけど学校がつまんない。中学校は卒業したいが3年まで学校に行くかわからない。今迷っている。中学は卒業するか。中退か。こう考えると変だけど5年の時の先生がいなきゃ僕はこうなっていなかった。6年の時の先生がいなきゃまじめに戻らなかったと思う。支えてくれた先生に感謝すべきか、グズに人生変えられるかどっちか、まだわからない。これからの人生のことなんて中一の僕には考えられない。こんな中学生がいるのはやっぱり5年の時の先生のせいだ!僕の人生に関わらないで欲しい人。
岐阜県 齋藤哲太さん/男性19歳
ありがとう
大切な時に一緒にいてくれる友達に感謝の気持ちが伝えたい。けど、恥ずかしいから歌で気持ちを伝えたい。高校に入学して知らない人ばっかの生活が始まった。学校に慣れないといけなかったりして、勉強・部活の両立、一人では乗り切れなかった。高校でたくさんの友達ができた。その友達と頑張ることにより勉強・部活を頑張ることができた。学校を楽しく過ごせたのも友達のおかげ。学校を卒業してからもたくさん遊んで楽しい生活が出来ているのも友達のおかげ。「今までありがとう。これからもよろしく!」
岡山県 秋佳さん/女性21歳
危険な恋
私が初めて付き合った相手は彼女持ちの同級生。好きになったときは彼女がいることを知らなくて告白してから彼女の存在を知った。彼は別れてくれると言っていたけど、実際は別れておらず二股状態。そんな状態を友だちに相談すると、必ず返ってくる言葉は「そんな男やめたほうがいい」。自分でもやめたほうがいいって頭ではわかっているけど、好きな気持ちは止められずズルズルと2年間、恋人という関係を続けた。今は別れてしまったけど、どんな相手でも純粋に好きだって思える気持ちが大切だと知ることができた。私に恋を教えてくれてありがとう。
山形県 ひまわりさん/女性20歳
ありがとう
私には小さい頃から看護師になる!という夢がありました。看護師になる為に地元の中でも進学校だった高校に入る為、中学校の授業が終わってから夜10時まで塾に行く生活を続け、なんとか地元の高校に進学し、一年が過ぎた頃でした。クラスの仲間から無視されるようになりました。いじめの始まりでした。英語の辞書は新しいものを買うたびになくなり、「誰かのリュック、背負い投げしました」と写真付きでSNSにアップされたこともありました。階段から突き落とされそうになったりもしました。小学校から仲の良かった友達も離れていき、クラスでは常に1人で、こんな学校来なきゃ良かったってやめたいと思ったこともなんどもありました。

先生に相談しても「いじめられる側も悪い」の一点張りで、相手にしてもらえず、転校も考えましたが、学校側に「いじめはないからやめるなら退学だ」と言われ、優しくて、大好きな両親には心配をかけたくなくて、相談できず。この頃は、味方は誰もいない1人だと思っていて、この状況にあと2年も絶えなくてはいけないことに絶望していました。でも、看護師の夢は諦めきれず、看護師になりたい!そんな思いだけで、毎日耐えていました。この頃、わたしには大好きなアーティスト(遊助)の「今が最低なら今より下はない」という言葉を呪文のように唱えていました笑。

いつものように集会で体育館に集合し、自分の場所に並んでいると、後ろから「席変われよ」と男の子にどつかれました。でも、順番通りに並ぶ決まりだから場所は変われない。私は怖くて声も出ず、泣き出しそうになった時、ある男の子が私をどついた男の子に「男が女の子をいじめるのは卑怯だろ、やめようぜ」と言い返してくれ、なんとかその場を切り抜けられました。それから、あたしの中で、どこか目で追う存在になっていました。いじめはひどくなる一方で、修学旅行行く班を決めるときも、あたしは除け者にされ、どこの班にも入れず、先生に促され、渋々入れてもらえても、班の中では完全に浮いた存在で、修学旅行に行くのも諦めようかなと思っていましたが、これも看護学校に行くために欠席がつくと、受験に不利になると言われ、行くことに決めました。

修学旅行に行くと決めてから、毎日泣いてばかりで、両親も気づいていたのかなと思います。修学旅行は学校出発だったので、学校までお母さんに送ってもらいました。その途中、虹を見つけました。お母さんの「ほら、虹も出ているじゃない」という言葉を聞き、お母さんと車の中で大泣きしたことを今でも覚えています。着いてからもなんだか不安で、携帯を見ると、お母さんから「楽しいことも辛いこともいつでもラインして来なさい。楽しいことは誰かに話せば、2倍だし辛いことは半分こだよ」と、お父さんからは遊助の歌詞の「絶対絶対夢は叶うさ」とラインが来ていました。今までのことを思い出し、なんだか涙が出ました。後々、両親から聞いた話なのですが、先生から、修学旅行中、毎日「今日は目がうるんどいました」とか、「今班別研修に出かけました」とか連絡してくれていたようでした。

そして、この修学旅行で、新幹線で隣の席に座ったのがあの集会の時に助けてくれた男の子でした。誰もあたしになんか話してくれないなか、緊張していたあたしにすごく優しく笑顔で話しかけてくれて、ご飯を食べる時も隣でずっと話してくれて久しぶりにホッと安心したことを今でも鮮明に覚えています。ご飯を食べたとき、海で拾った綺麗なシーグラスをもらいました。これをきっかけに、その男の子と毎日「おはよう」「また明日」と言い合うようになり、気づくと、楽しみになっていました。ですが、あたしと話すと、その男の子にも迷惑がかかると思い、なかなか話せずにいました。それから、しばらくすると、その男の子と隣の席になりました。その日の夜、「隣の席だね、よろしく」とラインがきました。そこから、毎日ラインをするようになり、学校でもずっと一緒に話していました。そして、気づくと部活の帰りを待って一緒に帰るようになりました。

三年生でクラス替えをする時、その男の子とはクラスが離れてしまいました。私はあー、これで終わるのかなと思っていました。ですが、「好きだ」とラインがきました。すごく嬉しかったけど、あたしにはもったいない、もしかしたら、その男の子にも迷惑がかかると思うと素直に返事ができない自分がいました、なにより、あたしに恋愛的な感情はなかったのです。その時は断りました。ですが、好きだって気持ちは変わらないから、今まで通り友達として話してほしい、毎日ラインもしたいし、一緒に帰りたいと言ってくれました。迷惑をかけるかもしれないというと、そんなことで離れて行く友達は本当の友達じゃないと。

その男の子の周りには常にたくさんの人がいて、一緒に過ごす中で、何となく友達もできました。友達と学校帰りにカラオケに行ったり、遊んだり、受験勉強をしに塾に通ったり、学校で面接の練習をしたり、別々で帰ったり、ラインもなかなか返せない日々が続いていました。そんな時、その男の子に好きな女の子がいるという話を聞き、私は、気持ちをもて遊ばれたような気持ちになり、ラインを無視したり、挨拶されても素っ気なく返すようになりました。そんな時も、毎日挨拶してくれたり、みんなの前なのに少しうざいなと感じるくらいベタベタしてきたり、部活終わりで疲れているはずなのに、教室でずっと待っていてくれたり、あの時の「好きだって気持ちは変わらないから」という言葉を思い出しました。それから、また一緒に帰るようになり、ラインもするようになりました。

その男の子も、進学先が決まり、私もなんとか看護学校に合格しました。男の子の進学先は新潟、私は山形でした。私が山形に引っ越す前日、「もし遠距離でもよかったら、付き合ってください」と告白されました。2回目の告白でした。私は今まで、毎日学校で会って、一緒に話して一緒に帰っていた今までとは違い、なかなか会えない距離がどこか引っかかっていました。そのことを素直に伝えると、いっぱい甘えていいんだよ、と言ってくれました。この言葉に背中を押され、付き合うことに決めました。

付き合い初めてもう1年が過ぎ、彼は今、就活、私は、看護学校の二年生になり、まだ学生ではありますが、実習では看護師さんと呼んでもらえるようになりました。この一年出会えたのは4回、ゴールデンウィーク、夏休み、冬休み、春休みだけでした。でも、あの時の言葉通り、たくさん甘えて、たくさんの思い出ができました。初めてのデート、イルミネーションを見て、初めて手を繋いだこと、クリスマスプレゼントで、お互いにペアリングを作ったこと、海に行ったこと、映画を見たこと、温泉にも入ったね。ラーメン屋さんの油で転んだこともあったし、かき氷を食べたお店で傘を忘れて2人で暑い中傘を取りに行ったこと、バスにケータイを忘れた時、走って取りに行ってくれたこと、実習がきつくて、もうやめたいって愚痴った時、怒ってくれたこともあったね、天然でダメダメなあたしをいつも隣で時には優しく、時には厳しく見守ってくれ、助けてくれるスーパーヒーローです。

きっと彼に出会わなければ、いじめられたことしか記憶に残らない最悪な高校生活になっていたと思います。彼に出会ったことで、目標を持って明るく前を向いて歩けるようになりました。毎日毎日、ふざけんなって思う事ばかりだったけど、彼とのラインが楽しみで、彼との話が、おはよう、バイバイが励みになってここまでがんばってくることができました。なにより、1人じゃないんだと思えました。こんな最高な人と出会えたあたしの高校生活はいじめっ子の高校生活より、ずっと楽しくて、ずっとずっと幸せでした。だから、あたしと出会ってくれてありがとう。あたしの最悪だった高校生活を最高の高校生活に変えてくれてありがとう。

今年、祖母が病気で倒れて、今、後遺症と戦っています。家族もショックを受けており、落ち込んでいます。辛い時支えてくれた家族を今度は私が支えられたらいいなと思います。小学校から仲の良かった友達とも、あの時から一言も話せていませんが、20歳になったので、一緒にお酒を飲見たいなと思っています。そして、また先の話ですが、あの時の約束だった、結婚式で司会をしてもらうことが密かな夢です。
宮城県 さやポン。(馬)さん/女性24歳
人生を考える
中学の頃人生初めての大きな壁で、部活内でイジメにあって居た私。そこで、自分の気持ちや思っている事を伝えるのが怖くなってしまった私。そんな時に、支えてくれた両親、部活の顧問の先生。人生、初めて大きな壁にぶつかった私でした。そんな時に両親は私を見捨てず寄り添ってくれ、誰にも言えない事を聞いてくれ私の逃げ道を作ってくれました。顧問の先生は、私の気持ちを読取ってくれ、事を公にしないよう部活内で多くの話し合いを設けてくれました。

それでも、中々変わらない現状で私は部活を辞めようと考えていた時顧問の先生から貰った言葉があります。「負けたくなければ強くなれ。悔しかったら努力しろ。」この言葉で、私は強くなりたいと思い1歩を踏み出す事が出来ました。その頃から、私は現状を変える為には自分が変わらないと行けないんだ。と思うようになりました。私は、両親と顧問の先生の支えのおかげで部活のメンバーと和解する事が出来ました。今では、社会人になっても部活のメンバーとは深い絆で結ばれています。

そして私は、社会人になり接客業に付きました。 そこで私は人生2回目の大きな壁にぶち当たりました。接客をする事への難しさ大変さ、怖さを知っていくに連れてどんどんとマイナスな気持ちになっていました。そんな時、当時の店長に言われた言葉で、「自分に自信をつけなさい。今まで努力しているのを私は見ているよ。自分なりの接客をしてごらん?あなたの接客をする上での努力はきっとお客様に伝わるから!」その言葉に私は、とても救われました。それからの私は自信を持つ事が出来、後輩達のお手本として立つことが出来るようになり、TV取材を任されたりセミナー等にも代表で行くようになれました。

大きく何が言いたいのかと言うと、私の人生は大きな挫折、小さな挫折、沢山あったけど、必ず誰かが側で見ていてくれていて必ず誰かしら手を差し伸べていてくれている。だから、決して自分から折れちゃダメ。周りをちゃんと見て、自分からその差し伸べられた手を掴みに行ってほしい。そして、その救ってくれた人達に感謝して、毎日を胸貼って生きていこう!常にありがとう。と言える様に、言われる様になろう。って、事が言いたいです。

長くなり、上手くまとまって居るか不安ですが少しでも気持ちが伝わっていれば嬉しいです。今、私は、社会人4年目になります。まだまだ、これからも大きな壁が迫ってくるかもですが私の心の支えの1つでもあるハジ→の「証。」を聞いて頑張って行きます。この場を、お借りして伝えさせて下さい。ハジ→さん「証。」と言う曲を生み出してくれてありがとうございます。
石川県 satomiさん/女性30歳
気付いてほしい
新しく職場に入って来た4歳年下の男の子が気になります。ですが、彼には彼女がいておそらく結婚を視野に入れてお付き合いしているようで。好きになってはいけないとブレーキをかけているのですが、考えれば考えるほど自分の気持ちが明確になっていく気がして怖いです。私は20代前半に当時付き合っていた元彼にいきなり理由も聞かされずフラれ、後になって別れた次の日に別の女の子と付き合っていたと、友人から聞かされた事がありました。元彼とバイト先が一緒だったその女の子は、私がいるのは知っていたけど気持ちだけは伝えたかったと言って元彼に告白したそうです。

その事があってから無意識に男性を信用出来ない気持ちがありました。ましてや、自分が彼を取られた形になっていたので彼女がいる人を想うなんて絶対にあり得ないと思っていました。ですが、今私が気になっている人には彼女がいて振り向いてもらえないとわかっていても、気持ちにどう決着をつけたらいいのかわかりません。彼のことが気になり、過去の出来事を思い出し、あの時気持ちだけは伝えたかったと言った女の子の気持ちが今の私と一緒だったのかなと思うと、恋は理屈じゃないんだなと改めて思いました。ただ、私には彼女のような勇気はありません。歳を重ねて年齢的に結婚への焦りもあり自分自身、傷つくのが怖くなり今の関係のまま先輩後輩として過ごしていくのが一番誰も傷つかずに済むのではないかと思っています。誰にも言わず気付かれずに私の中で想いを整理するのが一番だと。

ただ、整理するには気持ちが走り過ぎたとも思っています。ですが、彼にとって私はただの先輩という立ち位置でしかないのはわかっているので自分の気持ちが置き去りになったとしても、先輩としてだけは一番の支えになりたいと思います。現状、先の見えない自分の気持ちにどうしていけばいいのかもわからない状況ですが、彼の隣には立てなくても後ろに立って支えられる存在になりたい。気持ちの整理がつくまでは彼の後ろ姿だけでも見ていたいです。この気持ちに決着をつけられる日がいつ来るかはわかりませんが、それまではこの絶対に届く事のない想いと、自分自身と向き合って彼の前では笑顔でいたいと思います。
東京都 なつきさん/女性15歳
気付いてほしい
私には今好きな人がいます。その人は私の後ろの席の男の子です。好きな人がいたりするのかな?って、思いLINEをしました。そしたら、今まで恋愛に興味がないと言っていて、いないという答えを予想していたら、想像以外の答えが返ってきました。僕が好きなのは男女関係ないんだよ。と返ってきました。彼はバイセクシャルだったんです。すごく驚きました。何で言ってくれたの?と聞いたら、なつきなら話して良いと思ったと言ってくれました。それでも、彼を好きな気持ちは変わりません。でも、きっとこの気持ちを伝えても彼には響かないのではないかと思います。実際、彼は恋愛ができないというのです。だから告白なんてできません。でも、少しでもこの気持ちが伝わってほしいです。手助けしてくれませんか?
島根県 黒須さん/男性22歳
失くした恋
ハジさんこんにちは。ハジさんのライブを去年島根のAPOLLOで初めて参戦させて頂いて、とても魅力的な歌を歌われるなと、自分はハジさんの歌にハマってしまいました。(笑)今回、このような実話エピソードを歌になさるというモノをTwitterで見かけたのでぜひ僕のつい最近体験したお話を聞いてもらいたいです。僕はゲイです。そしてつい最近まで3ヶ月という短い期間ではありましたが彼氏がいました。とても素敵な方で弱きを守り強きをくじく。そういったポリシーを持った方でした。でもメンタルが人より弱い部分があり相談などを受けた時僕はとても嬉しかったことを覚えています。

そんな彼と付き合うことになってから彼には自分以外に大事な人がいることに気づきました。そして彼は段々とその人に対する気持ちが抑えきれなくなり、僕と中途半端な気持ちで付き合うことへの罪悪感から僕らは別れました。彼の好きな相手は中学生。ですが、2人は僕と別れてから2週間後に付き合っています。

まだまだこの時代に受け入れられることのないLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)。彼は自ら敵を作りたくないといい、今まで周りにカミングアウトをすることがなかったらしいです。そんな彼とまだまだ幼い中学生。周りにバレればイジメの危険もあります。僕は彼らのことを心から応援することはできません。ですが、自分は元彼よりも自分らしく生きている自信があります。なので2人が本当に困った時、その時は力になりたいのです。たった3ヶ月とはいえ、一瞬でも俺のことを見てくれたことはすごく幸せでした。

大切な人の大切な人はこれまた僕の大切な人なのです。この恋愛で僕はもっともっと成長しようと思えました。再スタートをきろうと思えました。彼にはいい意味でも悪い意味でも、成長させてもらったので今となっては感謝しかないです。これからは彼の良き友として関わっていきたい。そして中学生のサポートもしていきたい。この経験は僕の大切な肥やしとなってくれました。

こんなエピソードがありました。僕のようにこのような体験をしている人がこの世の中まだまだ隠れています。ぜひハジさんの歌の力を貸していただきたいなと思いました!文章まとまらず申し訳ないです。笑最後まで読んでいただきありがとうございます!これからもハジさんのこと応援しています!頑張ってください!!
三重県 ひまわりさん/女性15歳
願い
初めて会った時は明るい人やなって思っていました。なんでかわからんけど、よく話すようになって知らん間に好きになっていて、いつも目で追っていました。付き合ってもないのに他の女の子と話しているのを見たらヤキモチを妬いていました。そんな君からある日告白されました。ほんまに嬉しくて泣いてしまいました。スポーツに打ち込む君の姿は本当にかっこよくて、見ているだけでもドキドキしました。うちが悩んでいることがあったらどんな話でも聞いてくれました。

普段は強がりでなかなか本当の気持ちを教えてくれへんけど、そんな君は本当にとってもとっても優しい。2人が付き合ってそろそろ一年が経ちます。この一年、君のことをたくさん困らせたり迷惑をかけたりしちゃいました。それでも突き放さずそばに居続けてくれました。そして、たくさんの思い出と愛情をもらいました。君は私にとって本当に大切で愛おしい人です。私もあなたにとってそんな存在になれますか?これからもきっと迷惑かけると思うけどあなたの癒しになれるよう頑張ります。あなたにとってかけがえのない存在になれますように。
佐賀県 ゆんさん/女性25歳
ありがとう
ばあちゃんっこだった私。幼い頃からよく面倒をみてくれた。遊びに行って帰る時、素直になれないばぁちゃんは「もう来るなね」と送り出す。幼い頃からそれの意味はわかっていた。寂しがり屋のばあちゃんは「また来てね」と素直に言えないのだと。だから「もう来んけん」というとお互いニヤリと笑い合った。大好きなばあちゃんは、病気がちで入退院を繰り返していた。だから少しでも力になれるならと看護師を目指した。入学して働きながら学校に行く事で会う回数は年々減った。でも准看護師の免許を取った時はとても喜んでくれた。だけど病気になり、正看護師の学校も仕事も辞めることになった。

辛くて辛くて何度も死にたいと思った。誰からも理解してもらえなかった。でもばあちゃんだけは「生きていてよかった。ゆっくりしてまた頑張れば良い」と言ってくれた。その一言で今まで実習先や職場で関わった患者さん達の顔が目に浮かんだ。頑張らなきゃと思った。でも頑張りすぎて病気になってしまったことをばあちゃんは見抜いていた。どんな人に相談しても「大変だね」という一言で誰も理解してくれないと思っていた。でも「生きていてよかった」の一言で私の悲しみや苦しみを理解してもらえている。そう思って気が楽になったのを覚えている。リウマチで節々が痛む手で、昔は綺麗に書けていた字も、何とか読めるような字になってしまった。そんな中「早く元気になってね」と書かれた手紙は今でも持っている。

それは突然起きた。ばあちゃんが入院した。最初は骨折でが 保存的療法の為しばらく安静程度だった。しかし、ある日の夕方。お見舞いに行った時に悟った。「ばあちゃんが死んじゃう」って。現場で働くからわかる重々しい雰囲気。心電図モニター。集まる看護師。苦しむ祖母。すぐに母に言った「親戚の人みんな呼んで」と。数時間後、ばあちゃんは大きな病院へ転院した。救急処置室から2時間経っても出てこない。何が起きているのか不安でたまらない。そこに親戚一同集まった。じいちゃんはもう覚悟している顔をしていた。他の人たちは「またか」という面持ち。和気あいあいと近況について話し合い始めた。

私はばあちゃんが「ゆっくり話をしたい」と言っていた次男のおじさんへ、その事を伝えた。今しかないと思った。そして怒られた。「何故死ぬ間際のような事を言うのだ。この場で言うことじゃないだろう。」と。ああ、誰も実際のばあちゃんをみてないからわからないのだと思った。とても悲しくなった。そして医師からの言葉「このままでは命が危ない。一か八か…処置を行いますか?もし、上手く行かなければ…」と。何も言えなかった。それまで苦しみ耐えている祖母の顔が頭から離れなかった。いっそのこと何もしないでそのままの方が良いのではないかと頭によぎる程、衰弱した祖母の顔が頭から離れなかった。

泣き崩れる親族。「だから言ったじゃん」その言葉が頭の中をグルグル回った。処置は上手くいったが肝臓に爆弾を抱えたばあちゃん。なんとか奇跡的に寝たきり、絶食を乗り越え少しずつ回復。車椅子に移れるレベルへアップしていった。転院したことで距離が遠くなったばあちゃん。寂しがり屋は素直になった「また来てね?今度はいつ来る?」「まだ帰られんと?早く帰りたい…」その言葉が重たかった。出来るならそのまま連れて帰りたいと何度も思った。寂しくない様に一緒にたくさん写真を撮ってアルバムの中に入れた。ばあちゃんいつもそれを抱えて眠っていた。「家に帰ろうばあちゃん。みんなが待っている」たくさん励まし、応援して家に帰る様にリハビリもしたが、お腹に抱えた爆弾は再発と軽快を繰り返す。その度祖母の精神と体力は削られていった。もう長くない。それは直感でわかった。だから親戚には会いに行くように何度も言った。来るのは限られた人だけだった…。

徐々に弱る祖母。脳梗塞を起こし認知症にもなっていった。最後は何もわかってない様だった。でも、今でも覚えているのは仕事帰りに会いにいった時、周りにいる親戚達を置いて私に今まで以上の笑顔をくれた。「どんな状態でも良い。生きていてくれればそれだけでいい」とじいちゃんは何度も私達に話した。そしてその数日後、突然だった。病院からの急変の連絡。すぐにばあちゃんの元へ駆けつける。心電図モニターが部屋にあり、一生懸命努力呼吸をしているばあちゃん。「ばあちゃん、私だよ。ユイだよ!わかる?」そういうと大きく頷くばあちゃん。もうこれで最後だ。そう思うと涙が止まらなくて泣いちゃダメだ、まだばあちゃんは頑張っているんだ、そういう心の葛藤が何度も起きた。でも感情には勝てない。

昔、看護学校の先生は言った。「看護師は女優なのだ」と。どんなに辛くても悲しくても1番悲しいのは家族なのだから。看護師が涙を見せてはいけない、と。でも家族だからいいよね。ばあちゃん…。私達が到着して、HR80台あったのが急に30?40台へ下がった。待っていてくれたんだね。苦しかったよね。こんなに苦しい思いをして寂しかったよね。もっと側にいれなくてごめんね…。そのまま、ばあちゃんは亡くなった。

働かない身体になって、ばあちゃんと関わることで取り戻していった自信。それが今でも心の中で生きている。学校も仕事も辞めてDr.ストップだった1年半。たくさん泣いた。でもそれで良かった。休めた分、たくさんばあちゃんの側にいれたのだから。たくさん関わることができたのだから……。心に大きな傷を負ったけれど、学校も仕事も辞めて良かったのだとばあちゃんの為になれたのだと、自分に言い聞かせ乗り越えることができた。

あの大きくてゴツゴツした手で頭を撫でられる事も…。ふわふわしたお腹に抱きついて眠れる事も…。気持ちいい耳たぶも…。背中合わせで遊んだり、一緒に買い物に出かけたりする事も、もう出来なくなった。でもばあちゃん。たくさん学ばせてもらえたよ。たくさん苦しんだよね。今は安らかに休んでね。今までありがとう
北海道 きおむさん/男性14歳
人生を考える
頭が痛い。たったそれだけの事だけど脳神経外科へ行きました。MRIをかけてお医者さんに見てもらったら、頭のてっぺんに4ミリの脳動脈瘤があるって言われました。たった4ミリだけど、破裂して、くも膜下出血になる確率は100分の1。くも膜下出血になって死ぬ確率は2分の1。そんな現実を受け止められないまま日が経っています。剣道をやっていて破裂する確率は高くなるそうです。だけど、たくさん励ましてくれる人、応援してくれる人がいて、元気が出ました。
福岡県 まぽぽさん/女性22歳
君のためなら
私は今彼氏と三年半付き合っている。三年半はあっという間のようで思い返したら色んなことあったなって。彼氏はもともと連絡をしなくてもいい人。SNSも全くしておらず、本当に普段は何をしているかわからない状態。一日返信が来ないことは普通で、たまに3日あくときもある。それには私も慣れた。でも時々やっぱり不安になる。相手が仕事で1年経ったころに遠距離になった。もちろん県内で一緒だった時は、大丈夫だったけど県外となると不安になった。どこで何をしているか不安でも信じなくてはいけない状況。

そんな時、私は彼氏に「遠距離不安だねーどーなるかなー」と言った。そしたら彼氏は「遠距離がどーなるかなんてわからないよ。その時はその時でしょ」と言ってきた。確かに私はそう思った。その一言で心がスッとした。他の人からは「連絡もとらないなんて信じられない。遠距離とかなかなか続かないよ」と言われた。でも恋愛は人それぞれだし、人生についても人それぞれだと思う。

~が遠距離で仲よかったけど、三年目にわかれた。でもだからって、遠距離は難しいなんて考えはおかしいと思う。それぞれだからこそいいと思う。私は遠距離の方がいいような気もする。会った時に新鮮さがあるし、相手のことを思いやることもできる。彼氏に言われたようにこの先なにがあるかわからない。でもその時がきたらその時だしこれからも自分たちなりに未来に向かって頑張ろうと思う。
静岡県 るるさん/女性15歳
ありがとう
野球部の彼と陸上部の私は、休みの日があまり合わず、遊ぶ日もあまり多くありません。そんな中、彼は愚痴ひとつ言わず、遅くまで練習していて、何故か私より元気で、いつも励まされるのは私の方。彼はもうすぐ夏の大会で甲子園に向けて頑張っています。あまり試合も見に行けなくて少し悔しい部分もありますが、ホームランを打った日や、勝った日に1番に報告をしてくれて私も、ものすごく頑張ろうと思えます。日頃の感謝とエールを込めて歌になったら嬉しいです。
栃木県 こーたさん/男性21歳
危険な恋
まさか友達の彼女を好きになるとは思っていませんでした…(以後、キミ=友達の彼女)。ここ数年、本気で好きになった事が無く、好きと言う感情を失っていた。そんな時に、何気なく彼女からの相談を受け、それから日に日に話すようになり、お互い相談し合うようになり、なんとなく好きなのかな?って思うようになりました。だけど、キミは、僕の友達の彼氏が居て、キミの友達が僕の事を好きなのを知っていて応援しているのも知っています。絶対好きになってはダメって事はわかっているんだけど、どうしてもキミと話したり会ったりするだけで心が躍る様な気持ちになってしまいます…。キミの前では彼女なんかいらない、一人で充分、そんな事を言っていた僕ですが、本当はキミの事が好きでどうしようもないです。もうこれ以上自分とキミにウソをつきたくない。この曲で伝えられたら、嬉しいです。
千葉県 ぷ→たんさん/女性24歳
キモチを伝えたい
初めて出会ったのは2017年12月1日。 趣味(野球と音楽)が同じで意気投合して、次回会う約束もしていた。お互い仕事が不規則勤務のため、なかなか予定が合わなくて、12月23日が次の約束。イルミネーションに行こうか?と誘われていて、とても楽しみだったけど、会う2週間前に怪我(アキレス腱断裂)で入院。地元(山形)で療養することになり12月23日は会えなかった。怪我から復帰し3月に久々の再会。そこからは、何回かご飯行って距離も縮まった。5月には水族館に野球観戦。そして6月になって、自分の気持ちを伝えた。彼も付き合いたい気持ちはあるって返事。でも、彼には以前の恋愛でトラウマがあって、付き合いたいけど、もし別れちゃった時に趣味を共有出来なくなるのが嫌だと付き合うのを悩んでいた。その日は答えを出さないで保留にしていた。そして、次に会った時、彼に 付き合っても別れる気はないこと、ずっと一緒に楽しく過ごしていきたいこと、万が一別れることになっても、趣味は共有出来るような関係になりたいことを伝えた。彼自身、会うまでの1週間前悩んでいたが、私の気持ちを知ったこと、一緒にいたいという想いが強かったことから決心し、結婚も視野に入れた付き合いが始まった。
鹿児島県 みずきさん/女性24歳
失くした恋
初めて会ったのは、私が転校してきた日。指定された席の前に君は座っていました。仲良くなるのに時間はかからなかった。気がついたらたくさん話して、笑って、バカみたいなことを一緒にしていた。クラス替えをしても同じクラス。席替えをしても高確率で隣の席や前後の席。「またかよ」と笑う君の顔が今でも思い出せる。進学しても同じ学校。初めてクラスが離れた。同じ教室に君がいない。違和感のある学校生活が始まった。廊下ですれ違うとき、「元気?」の挨拶も次第にしなくなって、私の毎日からどんどん君がいなくなっていった。とっても寂しかった。気がつくといつも君を探して、目で追いかけていた。

そうか、君に恋をしていたんだ。そこから長い長い片思いが始まった。ある時、友だちから君が他の子から告白されたと聞いた。君に興味のないフリをして「告白されたの?モテるね~」なんて話しかけると,「まあな」と君は答えた。「付き合ったの?」とは怖くて聞けなかった。結局付き合っていないことを知り安心したが,それと同時に他にも君が好きだと言う子がいることを知った。焦った。他の人に取られたくないと思った。そこからは、必死にアピールした。必死だが、決定打は出せずにいた。君と友だちで無くなるのが怖かったから。

ある日君は私に「お前といるのは居心地がいい」と言ってくれた。「え?どう言う意味?」と思ったが、聞けなかった。聞くのが怖かった。気がついたら卒業シーズンになっていた。今度の進学先は君とはバラバラ。学校で見かけることも声をかける事もできなくなる。しかし、臆病な私は今の関係を変えることができないと思った。恋人になれなくても、居心地がいい関係でいたいと逃げた。

でも卒業式を控えたある日、帰り道、君とばったり会った。「また明日ね」と声をかける私に君は「待って。」と言った。君は私の正面に立ち「好きです」と言った。世界で一番幸せだと感じた瞬間だった。もちろん「私も好きです」と伝えた。それからは,とても充実した日々を一緒に送った。毎日は会えなくなったが、君の一番で居られることが心の支えとなった。しかし、別れは突然だった。あんなに大好きだったのに、大切だったのに、君と離れることを私は選択してしまった。私の言葉に君は「わかった。いままでありがとう」と言った。そのまま背を向けて帰っていく君の姿が忘れられない。

あんなに大好きだったのに。あんなに大切だったのに。毎日が幸せで楽しかったのに。たくさん後悔をした。たくさん涙を流した。この後悔や涙は自分勝手なものだとわかっていた。わかっていても涙が溢れてきた。あの日から数年経った。君は今,笑っていますか。誰かを大切に思えていますか。誰かを愛していますか。私は今度の春に大切な人と新しい生活を始めます。
愛知県 てぇりさん/女性18歳
失くした恋
高校生で入った部活の先輩が誰にでも優しくとても丁寧に色々教えてくれて恋をしました。同学年で仲の良かった友達と喧嘩したら一晩中電話して相談も乗ってくれたり、1日の間に起こったことを伝えあったり、まいにち部活に行くのが楽しくてしょうがなかったです。引退の日先輩が、「まだ続けたい」と肩を震わせながら言っている姿を見て私は「あの時間は戻ってこないんだ」と実感しました。一緒に笑って、技術を上げて喧嘩して楽しんだ日々を思い出し私は思い切って告白をしました。するとなんと!付き合うことになりました。

三年生ということもあり受験だったのでなかなか会えず。だけど部活終わりに迎えに来てくれたり、学校祭で歌っている姿を見てまた惚れたり、窓から手を振ったり、遊べる日には遊んでくれて、たくさん写真を撮って、手を繋いで愛を育んで幸せな毎日を過ごしました。しかし、勉強が忙しくなるにつれ会えなかなって来てお互いすれ違いが増えて来ました。別れようと言われた時は本当に真っ暗になり空も台風でした。

今までの失恋とは違い、きちんと話し合い「1番楽しかったよ」と言ってもらいました。それからも私はまだ好きで、窓から見たりしていたし、部活の活動場所でよく喋った場所は本当に行くのがきつかったです。別れてから私はおみくじを引きました。そしたら「過去を忘れればいい出逢いがある」と書かれていました。ちゃんと忘れなければならないのに忘れられない。早く前を向きたいが似たような人を見つけては見てしまう。県内にあるわけないのに。前を向いて頑張ります。
埼玉県 ると。さん/女性19歳
人生を考える
9月21日、母がいなくなった。高校2年生、修学旅行前の秋だった。いつも笑顔で送迎をしてくれた母。料理が得意で、いつも美味しいご飯を作って待っていてくれた母。困ったことがあった時、話を聞いてくれた母。誰よりも私のことを大事にしてくれて、いつも一緒にいた母。そんな母が9/21、突然、姿を消してしまった。何の変化もない朝を迎え、いつものように笑顔で送り出してくれた母の姿が、私の記憶にある最後の姿である。

事実に気づいたのはその日の学校帰り、LINEで連絡をすればすぐに返信が送られてくるはずがその日は遅かった。電話をかけても一切反応がなかった。「仕事じゃないからさ~。」そう言っていた母がこんなにも連絡を返さないということは今まで無かった。何かがおかしい。そう思った時には、もう遅かったのかもしれない。結局父に連絡を取り、迎えに来てもらい家に帰った。家の庭には母の車は無く、私自身もその時までは「あ、出かけてるんか」としか思っていなかった。

家に入り、すぐに違和感に気づいた。「あれ、なんでお母さんのバックあるの?」「ていうか、ケータイも忘れているじゃん」って。母がそんなことをするはずがなかった。いつも出かける前にはケータイもったか、財布もったかを確認していた母だ。出かけているのに、なんで置きっぱなしなんだろう。私の中には疑問だらけだった。父に聞くと14時頃に出ていったとのこと。不安になった私は母の友人や仕事先に連絡を取った。だが、みんな今日の事情は知らないとのこと。22時を過ぎても帰ってこないため、母の友人に相談したら「なんでも遅すぎる。一応警察に連絡しておこう」と言われ、連絡した。

連絡後、家に警察が来た。携帯や財布を持っておらず、車両に乗りどこかに行っていること、母の特徴等様々なことを教えた。そして、《失踪》という形になった。夜は不安で眠れず、朝方まで携帯を手放せないでいた。そのまま翌日の6時。警察から連絡が来た。「お母さんの車が見つかりました。ですが中に人はいません。周りも探してみましたが、いませんでした」と。その言葉を聞き、私はもうダメだ、と思った。

もう生きている意味ない、こんなんだったら死にたい。学校にも行きたくない。そう思ってしまった私に父は厳しかった。「とりあえずお前は学校だ」。嫌だと言っても聞いてくれなかった。だが、母の車の中からメモが見つかった。それを見て、涙で前が見えなくなった。「笑顔の素敵な優しい女性になってね。」「愛してるよ。」面と向かっては言ってもらえなかった言葉の数々。こんなに愛されていたっけ。そう思った時、今までの思い出が走馬灯のように駆け巡っていった。なんでいなくなったのという怒りと悲しみ。ふたつの感情が混ざり、私の心はだいぶ変わってしまった。何よりも大好きだった家が、苦手に、嫌いになった。

居場所なんか無いって思って帰りたくなくて友達と遅くまで遊んだり、バイトのシフトをできるギリギリの時間までに設定したり。家に帰っても父とほとんど会話しなくて、ご飯も食べず寝室にこもってひたすら友達と電話していた。いつの間にか、家族が信用出来なくなっていた。周りの友達でさえ、愛想笑いで接していた。なんのために動いているんだろ、食べているんだろ。そう思ってしまった。父にバレないようにこっそり出かけて、帰って。迷惑をかけないようにこっそり家を出てバイトいって歩いて帰って。そんな日々を繰り返していた。でもいつの間にか素直に話せるようになった。言い合えるようになった。父は父なりに、心配してくれていた。

そして一年半程たった今、母が生きているか死んでいるか分からない状況だが私は私なりの人生をあゆみはじめた。慣れない地で一人暮らしを始め、同時に社会人としての暮らしを始めた。改めて父のありがたさや実家での暮らしの楽さを痛感している。お母さんへ。今どこで何しているかわからんけど、ずっと見守ってくれているのかな。小学校時代からの夢、叶えたよ。活躍して行けるように頑張るから、これからも見守っていてね。ずっと恥ずかしくて言えなかったけど、大好きです。
新潟県 やんさん/女性22歳
失くした恋
彼の押しから始まった恋。初めての合コンで出会った1つ下の彼。地元の場所も離れているのに毎週のようにバイト終わる頃に会いに来くれました。私のこと好きってバレバレなのに隠しきれない笑顔が可愛すぎて、この笑顔をずっと見ていたいと思いました。ドライブも買い物もお泊まりも、彼と一緒ならどこでも楽しかったし、何を食べても美味しかった。B型同士だから二人して意地張って、素直になれないときも沢山ありました。耳が痛くなるほど喧嘩してその度泣いて仲直りして、これからも私たちの日々はこうやって続いていくと思っていました。

でも私が社会人になって以降、私たちのすれ違いがはじまりました。彼は現場で私は美容師。彼は誰よりも嫉妬深くて、でもそんなところは知られてたくなくて。誰よりも寂しがりやだってこと、分かっていたはずなのに側にいてあげられなかった。とても後悔しています。『もう無理!』って言われても引き止めればよかった。暑い夏の日に、私達は終わりました。

数ヶ月後、彼には新しい彼女がいました。どことなく自分に似ていて、なんで私じゃないんだろうと思いました。それでもたまに連絡をくれる彼。会いたくて仕方なかったです。気持ちを伝えようと思いました。そのために、学生時代彼が一番応援してくれた美容を一生懸命やろうと決めました!スタイリストデビューしたら絶対会いにいこうと。

でも間に合いませんでした。いつのまにか結婚していて、可愛い女の子が産まれていて。悔しいけど、何故か嬉しかった。本当に、おめでとう。彼のいない人生はつまらなくて仕方ないけど、思い出を手放すと決めました。大好きで仕方なかったです。ありがとう、幸せになってね。またいつか会うときは笑顔で会いたいですね。
栃木県 まみっきーさん/女性26歳
勇気が欲しい
彼と付き合い始めて1年半。大好きな場所でプロポーズしてくれて結婚が決まった矢先…私の病気が見つかりました。命にかかわるものではないけれど、妊娠が難しいかもしれないと告知されてしまいました。これから!って、時に病気が見つかって、自分でも状況の整理ができないし、辛い治療もあったりして、彼にはいつも八つ当たりばかり。でもどんな時でも優しく支えてくれる彼。いつもありがとう。これから少しずつ恩返しをしていきたい!そんな気持ちです!
沖縄県 MOTOKIさん/男性23歳
君のためなら
今、3年8ヶ月になる彼女さんがいます!自分が病気で倒れて、入院生活しているときに、僕に片思いしていた彼女が支えてくれました!!それから、交際につながり、結婚前提でお付き合いしています!僕の事情で遠距離している時も、ずっと彼女に苦しいときは支えてもらってばっかりでほんとに感謝しています!

たまに喧嘩とかもあるんですが、毎日幸せでとても彼女が大好きです!僕は美容師、彼女はネイルのお仕事をしているので2人でお店でもできたらいいなと思います!この先ずっとずっと彼女を大切にして僕が守ります!!ぜひ、僕の実話エピソード使ってください!!ハジ→さんこれからもずっと沖縄から彼女と応援しています!11月の沖縄Live彼女と見に行くので楽しみにしています!よろしくお願いします!!
山口県 山口*ゆうちゃんさん/女性28歳
人生を考える
私は山口住みの28歳です。高校卒業と同時に地元のリハビリ病院に就職して介護士として働き始めました。それまで高校生で同年代ばかりで社会勉強といえば高校時代に2年半行ったバイトくらいで、それまでと環境がガラッと変わり年上ばかりの大人の世界に入り戸惑う事ばかりでした。私なりに一生懸命がんばっていたつもりでしたが、色んな事が空回りしていて、悩みを話せる人もおらず、全てを1人で抱え込んでいました。自分がなりたくて選んだ仕事のはずなのに、仕事に行くの自体が辛くて、笑顔を作るのも辛くて、1人になると泣いてばかり。それでも必死に自分自身に「大丈夫!」と言い聞かせながら無理してがんばっていましたが、それも精神的に限界がきて心が壊れてしまいました。何をしても楽しくなくて、1人になると悲しくないのに涙が出て、夜も眠れず、家族や周りの友達にも本当に心配を掛けていたと思います。でも、あの頃の私には周りを見る余裕が無く、自分の命を粗末にするような事もしてしまいました。今思うと本当に悲しませてしまったなぁと思いますが、あの頃はそうしないと自分を保っていられませんでした。そうして未来への希望も何の楽しみも見つけられず毎日が過ぎていくのをただ待っていました。

そんな出口も見えず真っ暗な毎日に少しの光を照らしてくれたのは、やはり音楽でした。親の勧めもあり、ライブに行くようになって、音楽を通して元気と勇気を少しずつもらって、本当に少しずつですが周りの優しさに気付く事も出来るようになりました。音楽は、それまで一人だと思っていた自分に、周りにはこんなにも優しくて温かい家族・友達・職場の先輩がいるのかと気付かせてくれました。そして、その事に気付いた時、本当に幸せで嬉しくて、心がほっこりと温かくなりました。そして、それまで4年勤めていた仕事場を退職し、家の近くのこれまたリハビリ病院に勤めることになり、そこで今の旦那さんに出逢いました。

今思うと、私の人生、転校や親の離婚・退職などあまりいいイメージのなかった出来事が、先々いい出逢いをもたらしてくれているなぁ、と感じることが最近多いのです。転校してきたから、一生物の親友に出会う事が出来たり、親が離婚して再婚した結果10歳離れた大好きな弟が出来たり、前の職場を退職して今の職場で働き始めたから今の旦那さんと出会う事ができたり、心が限界を迎えて精神的に不安定になったから音楽と出逢い、音楽を通して感じられるものの大きさに気付く事ができました。

人生で起こる全ての出来事は、当時は分からなくても、その時の自分に必要な事で、何一つ無駄な事や不必要な事はないんだ、と今までの様々な出来事を通じて感じました。あの頃の私からは考えられない位、今の私は幸せです!大好きな旦那さん・家族・友達・職場の仲間たち・音もだち、沢山の温かくて優しい人達に囲まれて、今の私は笑顔で幸せに毎日を過ごせています。あの頃の出口の見えない真っ暗な毎日にいた私に会えるとしたら、「今は辛いかもしれないけどいつか出口にたどり着いて、笑顔いっぱいの毎日が送れるようになるよ」と伝えてあげたいです!あの辛かった日々も今では「周りの人達の優しさと自分は1人じゃないと気付く為に必要な時間だったんだ」と思えます。そして、これからも周りの人達と音楽は私にとって必要不可欠なものです。今の幸せを大切にして、「ありがとう」と「ごめんね」を大切にして、思いやりを持って過ごしていきたいと思います。そして、もしまた笑顔になれない時がきたとしたら、音楽を聴いて元気と勇気を貰いたいです。私に沢山の大切なものをくれてありがとうございます。
広島県 逆転満塁ホームランさん/男性19歳
ありがとう
ハジ→さんには分かってもらえると思いますが、自分は高校2年生で先輩とともに、夏の県大会という最後の大会にスタメンとして出場させて貰いました。でもその試合で僕はラストバッターになってしまい、先輩達を引退させてしまいました。試合に出ていない先輩もいる中で僕が試合を終わらせてしまったという申し訳ない気持ち、試合に負けた悔しさなどで涙が止まりませんでした。新チームになっての練習でも気持ちが入らず、ずっとこの思いを引きずっていました。そんな時に声をかけてくれたのが10年一緒に野球をやってきた1人の親友です。みんな僕を気遣いそっとしていた中、1番に声をかけてくれました。優しい言葉もかけてくれましたが、厳しい言葉で自分を鼓舞してくれました。

野球がやりたい。その自分の気持ちに嘘はつけず、僕はまた野球が楽しく出来るようになりました。そして3年の夏の県大会。9回2アウトという同じ場面で僕の打席になりました。運命だと思いました。去年の夏を思い出しました。それと同時に親友の気持ちも。その思いを胸に打席に立ちました。レフト前ヒット。プレッシャーに打ち勝ちました。これほど嬉しい事は無かった。あの時親友が声をかけてくれなければ僕は野球をやめていたかもしれない。しかし親友が声をかけてくれたからこそこの気持ちが味わえている。ありがとうを沢山言いました。この思いを歌にして親友に届けて貰いたい。お願いします。
愛媛県 ri____p。さん/女性23歳
人生を考える
これは私が保育園に通いだした4~5歳のときの話。私は2年間だけ保育園に通っていた。その頃、祖母が癌を患い余命もわずかで、母は入院中の祖母の看護に務め、帰りが遅くなる日もあって寂しい思いをした。祖母からの手紙を思い返す度に号泣している。「元気になったらうどんを食べにいこうね」(抜粋)元気になる可能性は限りなく薄かった祖母の手紙をいつも思い出す。祖母は天国に旅立ってしまったが、そんな日々が続きながらも、いつも一緒にいてくれた担任の先生のことが大好きで、いつしか先生のようになりたいって思うようになってきた。今でもその先生とは連絡を取り合い、私は今、夢だった保育士の夢を叶えて働いている。大好きだった先生。自分もいつか子供たちから「あの先生のようになりたい」と思ってもらえる保育士を目指したい。
三重県 zuuu*。(生前野郎)さん/女性25歳
人生を考える
保育園の時前日まで楽しく家族で話していた。次の日お父さんは朝起きたら体が冷たくなっていた。6歳の私は“父親が亡くなった”って意味がわからず何度も母に「お父さんは?なんでしんだの?」って聞いていた。その頃の母は聞かれる度、辛かったと思う。小学校にあがり、ようやく私には父がいないんだ。帰ってこないんだとわかった。周りは家族旅行とかしていて羨ましかった。中学になりいじめられ部活も全部員vs私のひとりやった。何度も命をたつことを考えた。でもなにも話していないのに、母が泣いて抱き締めて止めてくれた。高校にあがってもいじめは続き、姉と同じ通信の高校に通わせてもらった。本当は全日制で卒業してほしかったと思う。でも娘ふたりはその夢を叶えることはできなかった。

私が専門にいきたいって言ったときも「あんたの人生やからやりたいようにやり。」って背中をおしてくれた母。専門で2年間行かせてもらい、それでもまた別の夢がでてきて進学したいって言って、周りには反対ばかりされました。けど母だけは「やりたいようにやり。何がなんでも夢叶えておいで」って言ってくれたことが本当に嬉しかった。そして念願の夢での仕事がきまったとき、母は泣いて喜んでくれた。お墓にいる父に報告しにいったらそのとき突然風がふき「がんばれよ。」風邪にのって父の声でそうきこえた。6歳の時になくなって声も顔も思いでももうわからなくなったのに確かに父の声やった。

就職して体を壊しやめるはめになったときでも母は私を責めずに「がんばったね。」と言ってくれた。小さいときからまわりから「お父さんがいないから、お母さんを守ったらないかん」って言われ続け苦しかった。本当は思春期にお父さんと喧嘩も沢山したかった。旅行もいきたかった。なによりお父さんとバージンロード歩きたかったけどそれだけが叶わない夢。でも去年の11月に無事に入籍できて、7月に結婚式をあげることになりました。沢山迷惑かけた母にひと安心させられたかな?って、思う。私の晴れ姿を1度も父に見せてあげられないのが悔しいけど、天国でみてほしいなあって、思う。本当はバージンロード歩きたかったけど代わりに母に歩いてもらうね。私はお父さんといられたのは6年間の短い時間だったけどお父さんとお母さんのこどもで本当によかったです。ありがとう、生んでくれて。私もお父さんとお母さんのような家庭を築いていきたいです。
愛知県 佳耶さん/女性26歳
ありがとう
私が中学1年生の時、単身赴任が多く、ほとんど一緒に生活した記憶がない父が亡くなりました。当時、私は父を恨みました。残されたお金は兄の学費へ回されました。母子家庭になる。お金に不自由になる。私が我慢しなければいけないと。でも、母が居るなら大丈夫と思いました。しかし、母は父が亡くなる前から胸に違和感があり、それを隠し続けました。しかし私が中学3年生15歳の時、叔母の言葉で病院に行き結果、乳癌という診断を受け、片乳をリンパ節まで切除し、抗がん剤治療をしなければいけなくなりました。

母は死を覚悟したそうです。母は負けずに治療をし続けて治りました。そして私と兄を育て仕事も始めました。そう、治ったはずでした。定期的に検査に行っていたのですが、私が22歳の時、異常値が出て病気が判明しました。そこからが早かった。みるみるうちに病気が悪化し同年、夏に他界しました。私は就職しており仕事を優先してほしいという母の思いから、なかなか休めない状況もあり側に居てあげる事ができなかった。とても後悔しています。

1つ親孝行出来たこと。亡くなった年、亡くなる前に私は看護師という夢を叶え報告することができました。母が私を産んで生活が苦しい中でも私立高校、専門学校に行かせてくれて育ててくれて夢を叶えるまで支えてくれました。言葉では言い表せないぐらいとても感謝しています。母が私を産んで育ててくれた事で夢を持ち、叶えることも出来た。そしてたくさんの人に出会い、心から愛する人にも出会えた。すごく大好きな母に感謝しています。
福岡県 福岡んちゅ★のんさん/女性29歳
ありがとう
今29歳と30歳。今から10年前に出会い、恋をした。楽しい時間沢山過ごしていく中、20歳で赤ちゃんが出来ました。私達は最初から結婚する事はできなかったけど、いつかは結婚したいとお互いに思い、一緒にすごしました。だけど結婚できない。将来の先が見えない不安。堕ろす選択は全くなく、一人で産む決断でした!相手も一緒にいてくれました!そして一人目誕生。もし私が、この先一人になるのならば、子供の為にもう一人子供を作ろう。そしたらもし、私達が離れても、子供は血が繋がっているからわたしに何かあった時でも、上の子がひとりぼっちになることはない。そう思い二人の姉妹に出会いました!

わたしには身内が居ないから頼る場所がなく。やがて四人で生活していく中で、歯車がくるいはじめ、24歳で別れ、未婚の二児の母になりました!子育て仕事、家事全て一人で、やっていました!だけどその頑張りがあったのは、周りのお友達のおかげでした。一人になって、辛いとか苦しいとか感じた事はなかったです!そう思えたのも友達のおかげだし支えです。何より子供達のおかげだとおもいます!だけど、沢山悩むこともあります。泣くこともあります。一緒にその悩みを聞いて解決方法を探してくれているのも友達です。本当に感謝しかありません。

月日が流れて、上の子は今小学校二年生。下は年長さん去年の冬あたりに、子供にあたるお父さんとまた会うことになりました。それは子供からの「会いたい」という一言でした。子供の心から笑っている姿を見て、その日くらいからみんなでまた一緒に過ごす時間を少しずつ大切にして、何が私達にとってベストなのかな。それは、家族四人が毎日笑顔でいる事なのかな。と…。それが全てではないのかもしれないけれど。本当にここにはまだまだかいてない色々な事がありました。今でもまだ悩みは沢山あります。ですが、もういちどやり直してみようかと。そして、来年出会って10年目の節目になり下の子は小学生になるから、結婚をしようかと、話しています。

人生って本当に波瀾万丈だなぁ!と。だけど過去があるから今があるんだなぁーって。過去があるから強くなれたんだなぁー。って色んな痛みを知ったから、わたしみたいな思いをわたしの大切な友達にはなってほしくないから、何かあったときは助けていきたいって、飛んでいきたいって思う^_^ いつも笑顔があれば、いい事もあるのかなって。色んな壁にぶつかってもなんとかなる精神で生きてきたよぉ~ハジ→!笑。だから、波瀾万丈の人生もわるくない笑。心からみんなに感謝??
愛知県 独占欲野郎→♪ゆきさん/女性25歳
ありがとう
私は、なんとなく仕事して、なんとなく友達と遊んで、毎日、なんとなく過ごしていました。こんな自分が好きだとは思わず、やりたいこともなくて、夢を持っていたり、あれがしたい!これがしたい!って思っている人を、尊敬していて、羨ましくも思っていました。今のままでいいんだろうか。と。そこで、次やりたいこともないけれど、仕事を辞めようと!思いました。それで、辞めるまでの期間、自分はなにがしたいのか。とか、自分の好きなことはなにかな。とか、考えていました。

そんな時、時々具合が悪くなる事がありました。とくに、吐き気がすごくて、なんだろう。と思っていました。もしかして。と心当たりがありました。それで、検査をしました。自分のお腹に赤ちゃんがいました。嬉しい反面、不安が押し寄せてきました。こんな自分に、育てることができるのか。赤ちゃんは、私がママになってもいいのかな。と。でも、やっぱり、産む!という決断しか私の中にはなかったと今では思います。笑

そして、赤ちゃんが健康に産まれるように願って毎日を過ごしていました。3月3日に女の子の赤ちゃんが産まれました。名前は、あこ。です。産まれた瞬間には、旦那と号泣しました。そして、毎日、あこのことだけ考えて、過ごしていました。ゆっくりする暇もないくらいどんどん成長していきました。毎日、毎日、初めてのことだらけで、どうしたらいいのか。ほんとに、毎日悩み、解決しての繰り返しでした。まあ、今も悩むことがないときはないですけどね。笑

そして、今では2歳です。今思うと、あっという間でした。これから、あっという間に大人になっていくんだな。とたまに寂しい気持ちにもなります。最近、私のなんとなく過ごしていた毎日が、あこのおかげで変われた気がします。毎日、毎日ずっと一緒にいて、そりゃ、嫌だ!って思う時も正直あります。だけどこの子のおかげで、笑ったり、怒ったり、泣いたり、いろんな感情と、いろんな毎日が、送れていると思います。

あこのことで、悩むことはいっぱいであります。だけど悩める。ってことは、それだけ考えている。ってことで、解決できたときは、前に進めているのかな?と思います。あこのおかげで、人として、人間として、成長できることがいっぱいあることを、ほんとにほんとに、感謝しています。あこ。産まれてきてくれて、ありがとう!家族全員で、成長していこうね。
東京都 ヒビキさん/男性18歳
ありがとう
自分の夢はお笑い芸人です。今、養成所に通っています。自分は高校を辞めました。親にはちゃんとした理由はまだ言えていません。お笑いを目指すと言ったときも、最初は戸惑いがあったりしたものの、最終的には「頑張れ」と、背中を押してくれました。無口だけど心配してくれる父と、心配性で、でもいつも優しく見守ってくれる母。高校を辞めてしまった分、そのお笑いの養成所のお金は自分で補っています。新聞奨学生というもので。色々迷惑をかけた分、いつか自分のお笑い芸人としてのステージに呼べるように、自分で家族が笑って過ごせるような、感謝を笑いで伝えられるお笑いを目指していきたいです。
岡山県 森宇宙さん/女性17歳
応援
私は県北の中学校を卒業して今、夢を叶えるために県南の私立高校に通っています。同じ中学を卒業し、同じ高校へ入学した子が1人だけいます。私は彼に片想いをしていました。同じ中学からは私と彼の2人しかその高校へ通っていない為、彼が所属している野球部の友達からは勘違いされよく冷やかされたりしました。告白する勇気が出ず、1年くらい片想いしていました。ですが、いつまでも想っているだけではなにも変わらないと思い、ついに告白をしました。ですが、思っていた通り振られました。

話は少し脱線しますが、私の通っている高校の野球部は私が入学した年の夏、甲子園に出場しました。そして今年の春の選抜大会にも出場し、私の好きだった人は背番号を付けベンチ入りしていました。本当は彼女というポジションで応援したかったですが、叶わないことなので、1番の女友達になろうと思いました。友達以上恋人未満になってどの女の子より近くで応援しよう。と思いました。なのでハジさんには異性の友達への応援歌を書いてほしいです。語彙力なくてすみません。
岩手県 ひまわりさん/女性34歳
ありがとう
シングルマザーで今子供が4人います。上2人は同じパパで、DVで別れました。3人目の子供はシングルで生みました。それから再婚し4人目の子供も妊娠したのですが、旦那が働かなく、子供達を食べさせることができなくなり、別れました。でも子供はなにも悪くないので1人で生む決意をし生まれるまでに色んなことがありました。病院で赤ちゃんが無事に生まれるかわからないし、おとうさんいないんだから赤ちゃんは諦めたほうがいいんじゃないか、など毎日が不安でしょうがなかったです。でもその時、家族が支えてくれました!子供達、私の母親、そしてどうにか無事に生まれてきてくれました!今1番伝えたい気持ちは子供達、私の母親に本当にありがとう。そして応援してくれてありがとうという言葉です。
広島県 GAReeさん/女性29歳
青春の思い出
高校3年生~25歳まで付き合っていた彼とのエピソードです。野球部の部員とマネージャーだった私たち。白球を追う彼の姿を目で追っていた私は長い片思いの末、部活動引退後に彼と付き合えることになりました。友だちとお泊まり会をしているときに、「付き合う?」とメールが来たときの喜びは今でも忘れられないし、親友に1番に報告できて祝福されて、本当に嬉しかったな~。それからの毎日は2人いつも一緒でした。でも楽しい時間はあっという間に過ぎて、大学1年生の春から遠距離恋愛に。会おうと思えばいつでも会える距離なのに(広島と福岡、新幹線で1時間少し)、まだ若かった私たちにはすごく遠い距離に感じていました。見えない相手(友だちや寮生、バイト仲間)に嫉妬して困らせた事もあった。今ならあの頃は若かったね、って笑って話せるのにね。

会いたくても会えなくて、会いたい時に会えなくて、寂しいことを理由に彼を責めて何度も傷つけていたと思います。そんな私を何度もなだめてくれた彼だったからこそ、もう少しまた頑張ろうと思えたんだと思います。バイトを頑張って高速バス(4時間)に乗って会いに行っていました。2~3ヶ月かに1度しか会えなかったから、いつでも新鮮な気持ちで会えて、2人並んで歩くという普通の事すら幸せに感じていました。せっかく福岡に行ったのにモスバーガー食べるなんて事も、2人にとっては特別なことでした。

でもせっかく会えた大事な時間なのに、バイバイする事を考えて泣いてしまっていた私。そんな私をいつも大きな体で抱きしめてくれた彼。陰であなたが泣いていたこと、知っていたよ。それでも私のために、強くいてくれようとしていた彼。そんな彼のために強くなりたいと思った。さよならのときはいつも「2人なら大丈夫」って自分に言い聞かせるように言ってくれていた。もしあの時に戻れたら、今なら、先のことなんて考えずにその瞬間の幸せを大事にできるのに、なんて。

大学卒業後は彼が仕事で仙台(!)勤務になって遠距離継続。この頃から、私は先の見えない未来の為に彼を待つ事に疑問を持つようになりました。いつも何を決めるのも事後報告で、約束しては破られての繰り返しで。私は彼にとっての何?と思っていましたが、喧嘩になるのが嫌で口に出さずにいました。その後、お互い転職して彼は広島に帰ってきました。だけどお互い転職してすぐで、仕事にいっぱいいっぱいだった。せっかく彼が戻ってきたのに、すれ違いが増えて連絡が減って、喧嘩すらなくなった。彼は、私がもう彼のことを好きじゃなくなったんだと思い、私はいつまでたっても彼の1番にはなれないんだと思った。何度も別れ話を乗り越えてきた2人だったけど、何度も同じことの繰り返しで。ここが2人の限界だと感じて、会わずにメールで別れた。

もしあのとき直接会って話していたら、話し合うことを諦めずにお互いもっとぶつかっていたら、2人一緒の未来だったのかな、なんて。別れて良かったとは思わないけど、あの時の決断に後悔はないです。そう思えるのも、あの恋が過去になって、今を前向きに生きられているからかな、と思います。この恋があったからこそ、私は大人になれたし成長できた。それはあの人の優しさや愛情深さ、強さを学べたから。だけど、時々あの時の私がもう少し早く大人になれていたら、今も隣にいるのはあなただったのかな、と考えます。

大好きだった人、今でも大切な人。忘れられない人、忘れたくない人。今でもふとしたときに彼のことを思い出します。彼が好きだったアーティストの曲を聴いたとき、駅のホームやバス停(泣きながら見送っていたね)、母校のグラウンド、福岡や宮城に行ったとき…彼にとって私も、元気かな?と思い出される存在であったら良いな。

私の初めての恋人。初めての遠距離恋愛。初めての大恋愛。初めての別れ。今回、エピソードとして思い返してみて、あの頃の気持ちが蘇ってきたし、思い出に浸りながら客観的にあの頃の2人を見つめ直すことができました。全く後悔がないわけではないけど、今は今ですごく幸せです。でも、あの頃のようなまっすぐで良くも悪くも全力で、泣いて笑って傷ついてそれでも幸せと思えるような恋愛、もうできないな~と懐かしく思うし、あの頃の自分が羨ましくも思えます。色々な理由があって別れたけど、今思い返してみたら良い思い出しか浮かびません。思い出は美化されるというからそうなのかもしれないけど、そのおかげであの頃の気持ちを大事に、思い返したときに幸せは気持ちになることができます。…少し切なくもあります。でも一生もんの恋をできたあの7年に彼に感謝です。

今はお互い結婚していませんが、大事な人がいます(風の便りで聞きました)。だから会ったり連絡したりすることもないですが、いつかまた会えたときには、「あの頃は若かったね」と笑って話せるように、あの時の私たちの判断は間違いじゃなかったと思えるように、今の恋を大切にしていきたいと思います。もしこの想いをハジ→さんが歌にしてくれたら、彼が偶然でも良いからこの歌を聴いて、あの時の恋を、私を、思い出してくれたらな~と思います。思い出したらまとまらなくて…長々とすみませんでした(>_<)
香川県 彩さん/女性21歳
ありがとう
ハジ→さんの歌で、どうしても届けて欲しい感謝の想いがあったのでご応募させていただきました。約一年前に亡くなった私のじぃちゃんへの感謝の気持ちです。母子家庭で育った私にとってじいちゃんはお父さんみたいな存在でした。お互いに頑固だからたくさん言い合いにもなったし喧嘩もして怒られることもありました。カラオケ、車、バイク、が大好きで新車が出るとよく目移りして買い換えて。家に不備があると全部自分で直してバルコニーや車庫も一から作るような何でも屋さん。カッコいい私の自慢のじいちゃんでした。孫は4人中3人男で唯一の女の子が私。小さい頃から二つ離れた兄の影響で虫取りや魚とり、車遊びなど男っぽいことをしていた私。それでも可愛がってくれたじいちゃん。

小さい頃から、よくじいちゃんが暮らしている実家に遊びに行っていて、幼稚園は実家の近くの所に通っていました。じいちゃんは定年までトラックの運転手さん。夕方に帰ってくるじいちゃんに合わせて、ばあちゃんが作ってくれる美味しいご飯をみんなでわいわい食べるのが日課でした。兄が高校から県外に出て、私が反抗期になりました。母親ではなく祖父母に当たるようになり、よくじいちゃんとばあちゃんと喧嘩になって怒鳴られることも叩かれることもありました。そんな生活に耐えきれなくなり中3のときに母親と近くのアパートに引っ越しをしました。

今まで洗濯やご飯、掃除など家事はほとんど任せっきりでたまに手伝うくらい。母は掛け持ちで朝から晩、晩から朝、とほぼ24時間働いていたのでアパートでは基本1人。少しでも親の負担を減らそうと慣れない家事を頑張り、親と祖父母のありがたみ、身をもって知りました。朝起きて身支度して学校に行き授業受けて部活。帰ってご飯、洗濯、お風呂終わらすともう23時、24時とか。自分の時間はほぼなく一日が終わって行き、毎日がこれの繰り返し。高校の部活が厳しくて夜遅くまで練習をして疲れた時には学校や近くの駅まで車でお迎えに来てくれたり、試合の時は送迎や応援に来てくれたりしていた、じいちゃん。お散歩ついで、と言い、ばあちゃんが作った美味しいご飯を2人で仲良く持ってアパートまで持ってきてくれたり、ほんとに気にかけてくれていました。約4年間離れて母と祖父母の偉大さを痛感し、自分がどれほどの愛情をもらっていたか、知ることができました。

色々考えて祖父母も歳だしこれからは一緒に住んで何かあったら助けられるよう近くにいたいと思い、私から母親に「戻ろう。戻りたい。ばあちゃんとじいちゃんと一緒に暮らしたい」と、話しました。それから2人で実家に行って泣きながら一緒に住みたい。と伝えて一緒に住めるようになりました。それからは喧嘩することはほとんどなくなり一緒にお出かけに行くことが増えて私の趣味の写真をたくさん撮るようになりました。ほんとに普通に幸せでこれからもこんな日常がずっと続くと思っていました。

私の仕事が休みだったある日、ばあちゃんと私が2人でゆっくりしていたら、いきなり廊下でドン!と大きな音が鳴り、ばあちゃんが「倒れた!」と言いました。私は物が落ちたくらいだと思いまさか、と言いましたがばあちゃんは今まで見たことがないくらい早く立ち上がって、ドアを開けるとじいちゃんが倒れていました。さっきまで一緒にテレビ観ていて、普通だったのに何が何だか分からなくて、必死に呼びかけるばあちゃんを前に私は震える手でわかるはずの番号がすぐに打てずに必死に救急車を呼びました。救急車の中でしっかり意識を取り戻したじいちゃん。いろんな検査をし医師から告げられたのは胃がん。ここまで痛みや違和感がなかったのがおかしい、と言われるくらいすでに進行していて、ステージⅣでした。そこから私たち家族は生活が変わっていきました。

通院、入退院を繰り返しわかりやすく痩せていくじいちゃん。自分の思い通りにならない体が嫌で家族に少し当たるようになりました。みんなじいちゃんが1番辛いのを分かっているけどどこかピリピリしていて会話が少ないときもありました。それが原因で私はじいちゃんの誕生日プレゼントに渡す予定だったアルバムも未完成で渡せずにいました。(亡くなった年の敬老の日にようやくプレゼントを渡すことができましたがすごく後悔しています。あの時ちゃんとつくって渡していたらどんな反応をしてくれていたんだろう、喜んでくれたかな、びっくりしたかな、なんて言ってくれたのかな…)。

入院している時お見舞いに行くといつも元気そうで、来てくれてありがとうって言ってくれて、こっちが笑顔になれて元気もらっていました。帰るときは寂しそうになるけど、帰るまでいろんな話をして楽しい時間を過ごしていました。ご飯の話、体調のこと、仕事の話。携帯で一緒に写真撮ったりもしました。今まであんまりしなかった恋愛の話もしました。そこでじいちゃんと2人の約束をしました。幸せそうに、嬉しそうにでもどこか寂しげで「変な人に引っかかるなよ。いい人と結婚するんやぞ。じいちゃんも、彩乃の子供、ひ孫見んといかんけんな、頑張る」と言い、手を握ってきてくれました。このとき頷くしかできずじいちゃんを見ると顔を赤くし目が涙でいっぱいでした。じいちゃんが泣いている姿は滅多に見ないので弱くなったんだな、と思いました。私は涙をぐっとこらえて頷くことしかできず何も言葉が出て来ませんでした。

最期、家でいたときに自分で「救急車を呼んで、」とばあちゃんに伝え、きてもらって病院で色々処置してくれましたが天国にいきました。ほんとに突然で会話もしていたし意識もあったし、家族みんなこんな急になくなると思ってなかったから、ちゃんと話ができないまま見送る事になりました。家族でじいちゃんを囲んでじいちゃん、じいちゃん、と呼び、それぞれの想いを叫び続けました。寂しさ、辛さ、悔しさ、どうにもならない感情が込み上げてきましたが1番はありがとう。ただただ感謝しかありません。今までの思い出が頭の中をいっぱいにしました。釣りを教えてくれたこと、夏休みの宿題の工作を一緒にしてくれたこと、自転車乗れたのを一緒に喜んでくれたこと、高校入学、就職、喜んでくれたこと、一緒に行った旅行。ありきたりの日常。思い出すときりがないです。どれも、にこにこの優しいじいちゃんが浮かんでくる。

唯一の女の子だったのに、孫の中で1番大変だったんじゃないかな。それなのに周りに自慢してくれていた。たくさん喧嘩して言い合いして傷つけてごめんね。こんな私を孫にしてくれてありがとう。私はカッコいいじいちゃんの孫でよかった。私の中でいつまでも自慢のじいちゃんでい続ける。いつか会える。そう信じて私は今日も元気に生きます。きっと見てくれていると思うから。大好きなじいちゃんに笑顔を見て欲しいから。笑って前を向いて生きていく。じいちゃんの分もみんなで助け合いながら生きていく。ありきたりの日常だけど全く同じ日はなくって普通がどれほど幸せで当たり前ではなくて、大切なものなのか。いのちの大切さ、教えてくれた。誰よりもでっかい存在。じいちゃんが大好き。

ひ孫を見る、という約束を果たすことなく天国行きましたがじいちゃんは最期まで頑張りました。いつかじいちゃんみたいなカッコいい人と結婚してひ孫をじいちゃんに見て欲しいです。そして見て触れて抱っこしてもらえると私は幸せです。遠くありません。ただ会えないだけでいつも近くに居ます。これからも家族みんなを見守っていてください。今日も元気です。幸せです。約一年経った今も、じいちゃんが亡くなった、という現実をまだしっかりと受け入れられていない私がいます。正直向き合うのが怖いのと信じられない、信じたくない。というのがあります。じいちゃんがなくなった約4ヶ月後に母の姉もガンでなくなりました。2人の身近な大切な人を失い命の大切さはもちろん、当たり前に今ある日常を過ごすことの幸せを痛いほど知るほどができたしすごく考えさせられました。

伝えたくても伝えられない。会いたくても会えない。声が聞きたくても聞けないし触れたくても触れられない。どうしようもないこの感じ。何をしても戻ってくることはないと分かっているけど戻って来てほしいと思う。よく夢にも出て来てくれます。でも夢に出るってことはその人に対して悔いが残っているから、と言われたことがあり、それを聞いてハッとしました。ちゃんと自分の気持ちをじいちゃんに伝えられてなかったな。と。恥ずかしくて照れ臭くてなかなかありがとう、という感謝の気持ちを伝えることができていませんでした。

じいちゃんの死を受け入れられず、思い出すのが怖くて信じたくなくて自分の中で向き合うことを避けて来ました。でもここで向き合わないとこれから先ずっと後悔すると思ってきちんと思い出して自分の想いを書き伝えさせていただきました。伝えることの大切さもじいちゃんが教えてくれました。このような機会を頂けたから少しですが向き合えたのかな、と思います。前に進めた気がします。ありがとうございます。この想いをハジ→さんの歌で大好きなじいちゃんに届けてくれると信じています。
秋田県 愛里さん/女性25歳
ありがとう
出会いは高一。人見知りの私は、学校に行くのが嫌だった。そんな中、君は話しかけてくれた。最初は正直怖かった。友達をまともに作ったことがなかったから。それでも少しずつ本音を話せるようになっていった。でも、ぶっちゃけ、その頃はうわべだけの関係だったよな。君は私より先に卒業した。1年後に私も卒業。お互いに別々の道を歩んだ。連絡をとることがなくなり、月日が流れた。ある日ふと、元気にしているか気になって電話をした。最初は繋がらなかったけど、折り返し掛かってきた。

「久しぶりー!元気ー?」「元気ー!めっちゃ久しぶりじゃん!」こんな他愛もない話。それからまた遊ぶようになった。私にとって君は親友だった。君は友達がたくさんいるから、きっと親友は私以外の誰か。そんなのどうでもよかった。一緒に行った地元の祭り。ハメを外して迷惑をかけたのに、君は許してくれた。あの時は本当にごめんなさい。なんだかんだで知り合ってから10年。最近、話の流れで「私も親友だと思ってるよ!」って言ってくれたときは、嬉しすぎて涙が出そうになった。

君には彼氏がいて、私にも彼氏がいて。Wデートが毎月の恒例行事。うちらこのまま結婚するのかな??子供ができたら、一緒に遊ばせようぜ!!お互いに幸せになろうな!!将来のことはわからないけど、これだけは言える。君は私のBEST FRIENDこれから先も変わらない。ママになっても、おばあちゃんになっても。これからもよろしく!いつもありがとう。君に出会えた私は、幸せ者です。
宮城県 ハジっ子→さん/女性18歳
ありがとう
私は今、社会人1年目です。慣れない仕事に社会の大変さを痛感しています。そんな私でも今、頑張れているのは父と母のおかげだと思っています。父と母は私に元気で優しい子に育って欲しいと言ってこの名前を付けてくれました。それでも私は反抗期があったのですが何をするにもすぐにイライラして、自分を嫌いになり、家を飛び出したりして、心配ばかりかけていました。こんな私に父は本気で叱ってくれて、母はずっと支えてくれました。心の奥底では感謝していてもたった5文字の「ありがとう」がうまく言えず、「こんな家に生まれたくなかった」と言ってしまい、いつも私の前では強い人でいた父の辛そうな顔と母の悲しそうな涙をいつまでも忘れることができません。

私は小学校から高校までバスケをしていたのですが大変で辛いのは自分だけだと思っていました。でもそんなことは絶対になくて、きっと父と母にも大変で辛いことがあったと思います。それでも私の前では絶対に弱音を吐かず、朝早くから夜遅くまであるバスケの練習に送り迎えをし、私の試合があると自分の時間を削ってまで試合に必ず見に来てくれ、誰よりも応援してくれました。ほんとに感謝しても足りないくらい感謝でいっぱいです。高校の卒業式ではいつも照れくさくて言えなかった「ありがとう」がやっと言えた時、父と母の嬉し泣きがやっと見ることが出来ました。

これまでいろいろあってもずっと私に愛をくれてずっと見捨てないでくれた父と母は私にとって世界で1番尊敬する人です。まだまだ未熟な私ですがこれから少しでも恩を返していきたいなと思っています。いつか父と母が私を忘れてしまう時が来ても、私の前からいなくなってしまってもずっと私の尊敬する人には変わりはありません。これからは私が守られていた人から守る人に変われるように父と母を思って頑張っていきたいと思います!
宮城県 ちーちゃんさん/女性18歳
ごめんなさい、そしてありがとう
私は小学4・5年生の時に母と父を亡くしました。母が弟を出産してすぐ容態が悪化していたにも関わらず、父に誘われたお見舞を断り、友達と遊ぶことに夢中だった私。最後のお見舞だったとも知らず母の最後の笑った顔を見ることなく亡くしてしまいました。父は、腎臓癌で、母が亡くなって一年経ったくらいに亡くなりました。父は母が亡くなってとても寂しそうでした。そんな父はどんなに辛くても痛くても笑って「俺は大丈夫」と言ってくれていました。

小学生の私は、母と父を支えることも応援することもできず最後の最後まで本当に親不孝でしかないなと思い、なんども悩みました。そんな中、私は一生一緒にいたいと思える大切な人が出来ました。こんな私の事を支えようとしてくれる彼は私の今の生きる希望です。母と父には本当にごめんなさいと何度言っても足りないくらいだけど、それでも文句ひとつ言わずたくさんの愛情で育ててくれて、本当にありがとうと天国の2人に伝えたいです。彼と出会わせてくれたのも母と父なのでは…と思い、これから少しずつでも母と父のようになれるよう2人で沢山の壁を乗り越えていつか温かい笑顔あふれる家庭をつくっていきます。
茨城県 大和田莉子さん/女性18歳
君のためなら
出逢ったのは小学生。私は小学1年生、彼は小学4年生でした。小学生の頃の記憶なんてこれっぽっちしか残っていないのに、彼が運動会団長をやっていたことだけはなぜだか鮮明に覚えています。その時はまさか10年後に付き合うなんて思ってもなかったです。2人とも成長し、私は高校2年生。彼は大学2年生。バイト先がお互い同じショッピングモールの中で、店舗は違うけれどすれ違うことはしばしば。私はケーキ屋、彼は鮮魚店。彼がバイト終わりに私のいるお店にケーキを買いに来てくれたりすることもあり、お互いの頭の中には「小学校の頃のあの人だよなあ」と思い浮かぶようになりました。

たまたま友達伝いにInstagramのアカウントを見つけフォローしました。そこからメッセージのやりとりが始まり、少しだけ話すようになりました。ある日、私がひとりで店番をしている時にトラブルが。仕事が終わるのも遅くなりそうだと気持ちもとても沈みました。そしたら彼が「手伝うから頑張ろ。終わるまで待っているよ」と。彼のおかげでかなりスムーズに解決し、その後に2人でお話をしました。そのトラブルがきっかけで私たちの距離は縮まり、ご飯に行きました。東京にお出かけにも行きました。付き合ってはいないけどもどかいしあの気持ちがちょっぴり懐かしいです。

そして話すようになってから約2ヶ月後のお出かけの帰り道、彼から「好きだよ。付き合って」と伝えられました。今じゃ、いつだってそばに居てくれて私の心の支えになってくれるかけがえのない存在です。出逢いも始まりも、偶然なのか必然なのか…彼と共に時を経ていくうちに、彼が運命の人となってくれることが私の今の1番の願いです。どんなときだって愛している、君のためならなんだって、と思えます。そんな彼はハジ→さんの大ファンで、私も彼の影響でハジ→さんの曲を聞くようになりました。そんなアーティストさんに自分のこれっぽっちのエピソードだけど、歌って欲しいなと思いました。
青森県 Eri98さん/女性29歳
人生を考える
私は3歳から競技スポーツをやっています。小さい時からずっと夢はオリンピックで活躍する事でした。10歳の時、年子の兄と同時に競技を変えて、親に「二人で世界一になりたいから世界一の国に行きたい」とわがままを言い、家族を巻き添いにして海外に移住。高校から単独で行動して現在、29歳ですが今でもその競技を続けています。大学に入ってすぐの時や大学卒業後など怪我や精神的ダメージで何度も何度も挫折し、どん底まで落ちる時もありましたがその度に家族や友、コーチなどに助けられて這い上がってきました。

日本代表としてもプレーしたり、プロとしてプレーする機会も頂き、成功した方ではありますが、まだオリンピックという夢だけは達成できていません。2年ちょっと前に代表を外された時、日本で競技歴がなかったので思い切って18年ぶりに日本に戻りプレーしています。トップを目指していても日本ではオリンピックアスリートのみにしか色々サポートがない中かなり苦労して競技を続けています。今でもオリンピックの夢を諦めずにいますが色々と厳しい環境である事は確かです。レベル的な意味で「海外にまたチャレンジしろ」だとか周りは言いますが、資金集めもそう簡単ではありませんし、かなり難しいのが本当で。自分は今与えられた環境で頑張りたいとは思っていますが…色々悩んでいます。

恋の方も人並みにしてきて(トップアスリートがそんな余裕がなぜあるだとか意見はありますが)趣味も多く楽しい人生をもちろん送っていますが、年齢的に結婚や出産についても周りの無言でも伝わるプレッシャーなどにも悩んでいます。まとまりがない文章ですが…本当は、女子アスリートでもこうやって代表レベルを目指し年齢関係なく頑張っている事、自分の行動(スポーツ)で周りの人の心を少しは動かせて社会貢献できる事、夢だけじゃやっていけないって人は思うかもしれないけど…そうじゃないって事!

悩みつつもやっぱりやりたい事ははっきりしていてそれを本当は競技を通して沢山の人に伝えたいのですが…難しい!この小さな画面で書ききれないほどですが伝えたいのは、どんな人生でもやっぱり努力は惜しまない事、なるべく正しい努力を選択できるよう常時物事を冷静に分析し判断する事、常時感謝する事、やれる時にやりたい事をやる事です!
広島県 ケバ部さん/男性20歳
君のためなら
研修で出会った女の子。一緒にいるうちに好きになった。だけどその子は、DV気質の元カレから言い寄られていて、守らないといけないって思った。その子はめっちゃビビっていた。付き合うことはできないらしい。そんなことしたら何されるかわからないって。研修が終われば遠距離。無力な自分が情けなかった。研修最終日にお互い抱きしめあって泣きあった。お互いの気持ちを確かめあってサヨナラした。今でも忘れられない人。その子がなんて思おうとおれはずっと待っている。ずっと大好き。
宮崎県 りんちゃんさん/女性21歳
危険な恋
出会いは3年前(大学1年生)。学校の文化祭でゲストとして来ていた歌手。4人で活動していて(今では1人ソロ活動をし、3人になりました)、その日初めて彼らを知りました。アカペラグループでオリジナル曲やカバー曲もあり歌声に一目惚れしました。この日ファンになり、沢山のライブに行くようになりました。

出会って1年後(大学2年)の学校の春休み最終日に友達2人でカフェにいたら、グループのメンバー1人と遭遇。同じテーブルに座ってくれて一緒に食事してくれました。お腹もお話も落ち着いたので帰ることになってお別れして、友達と歩いていると道の角からまたその人とばったり。何か可笑しくって笑っていると、「春休み最終日だし、どっか行く?」と言ってくれて、3人でカラオケに行くことになりました。夜中まで飲んで歌って、凄く楽しかったです。

この日をきっかけに時々3人で会うようになりました。ライブだけじゃなくプライベートでも会えることが凄く嬉しいし、ライブでは見られない一面も見ることができて、好きになりました。その頃ミニオンの映画が上映中で私もその人もミニオンが大好きで、2人で映画を見ることになりました。2人で会うのは初めてだったので凄く緊張しました。

それから2人で会うようになって、私のバイト先とその人の家が近くで、私が停めている駐車場に来てくれて寒い中温かいココアを飲みながら話したり、二人でカラオケやドライブに行くようになりました。会う回数が増えるたびに、「会えるのは嬉しいし楽しいけど、どういう関係なのかな?」て思うようになって、ある日告白をしました。

答えは「好きだけど付き合えない」でした。この時、遊びなの? もしもファンの人にバレたら会えなくなるの?とかいろいろ想いがあって悩んでいたので凄く辛かったです。理由を聞くと、仕事関連でした。活動もあるしファンがいるから…などいろいろ理由はありました。それは私も思っていたので何も言えませんでした。お互いにマイナスな部分があるので、私もそれは分かっていたけど、好き同士なのに…という気持ちがありました。

でも今までみたいに会っていました。私から恋愛の話は出来ませんでしたけど^^; 出会って2年後(大学3年生)、告白をしてくれました。凄く楽しかったです。仕事上、もう会わない方がいいのかな?とか諦めた方がいいのかな?て、いろいろ悩んでいたけど、やめなくて良かったです。普通に出掛けたり、友達に彼氏のこと話せないけど凄く幸せです。こういう関係だからこそ味わえないことも、2人だけの秘密もたくさんあるので私は満足です。これからファンにバレたら…とかいろんな不安はあるけど今を楽しみたいと思っています。今では諦めなくて良かったなって凄く思います。
大分県 みぽちゃさん/女性32歳
うれしい・たのしい
貴方との出会いは運命だったのかもしれない。ある日、出会い系で彼と知り合って、彼を見つけて仲良くなりたいと思って、連絡して仲良くなれたけど…。うちが出会い系をやめてしまって…。気分の浮き沈みで、違う出会い系を始めてみたけど、なかなか…仲良くなれる人いなさそうで。でも彼がうちを見つけてくれたの。他の出会い系で知り合って仲良くしていた彼が、今度はうちを見つけてくれて。すぐLINE交換して、話したりLINEしたりして、2月3日に彼と付き合うことになって。付き合って1ヶ月ほど経ってびっくりしたことが。彼がうちの元彼の友達の弟だった。彼とは出会う運命だったのかなって。彼は11個下で、うちはバツイチ子持ちだけど、嫌がらないで今でも彼と付き合えています。毎日電話して寝る時はお互い電話を繋ぎっぱなしで、それが日課になっていて。彼が居ないと駄目になってしまうくらい彼に依存してしまいました。
岐阜県 けんとさん/男性24歳
失くした恋
12月の初め頃にネット上で出会った女性がいました。当時僕は21歳でその子は18歳でした。笑顔とショートヘアが良く似合う明るくて小柄な子でした。初めて直接会うきっかけができたのは、近所のラーメン屋さんに行きたいって話になったからです。既にその頃には彼女の魅力に惹かれていて、会うのがすごく楽しみでした。いざ会ってみると、やはりとてもいい子で、初対面なのに昔から会っていたかのような感覚でした。一緒に居ると自然と笑顔になり常にデレデレでした笑。楽しくて短い濃い時間で、その子を家に送り届けた後、僕が家に着くまでその子と電話をしました。さっきまで会っていたのに、逢いたい気持ちが凄かったです。家に着いたらすぐ親友に電話して彼女の事を惚気けまくりました。

数日後デートの約束をしていたのですが連絡が来なくて心配していたら、彼女が体調を崩してしまったとの連絡があり出掛けずに看病をしました。デートは出来なかったけど一緒にいられる時間が幸せで、その時一緒に飲んだ甘酒の味がより一層美味しく感じました。そんなこんながあってある日僕の家で手料理を作ってくれる事になりましたが、僕は一人暮らしでまともな調理器具や具材が無かったので一緒に買い物に出かけました。ただスーパーやコンビニで買い物するだけなのになんでこんなに楽しくて幸せなんだろうと不思議な気持ちになりました。手料理はオムライスでかなり美味しかったです。

それから自分達の過去の話になり、昔のトラウマや病気、長く生きられないかもしれないなどということを聞きました。正直ショックは大きかったです。ですがそれでも彼女を守りたい、大切にしたいという気持ちが強かったので、決心して告白したら答えはOKでした。ですが、次の日付き合うのはまだ無しにしてくれと言われました。理由は、今まで付き合う前のまともな恋愛が出来なかったから、それを味わいたいという事でした。彼女の気持ちを尊重したいと思い付き合うのは無しになりました。

それからも今の関係は変わらずでしたが気持ちのすれ違いはありました。僕がはじんちゅと遊びに行っていると嫉妬したり、クリスマスの日とかに友達と遊んでいてプレゼントを渡したくても渡せなかった事などです。何がいいか分からず女はじんちゅに相談して一生懸命決めていました。そういうこともあったので仲直りに焼肉屋に行きました。見栄張ってちょっとお高いところに行きました笑。その帰りに彼女が助手席で泣いていたので理由を聞いたら「仕事でNYに半年間出張に行かないといけない。この生活が終わってしまう」と言われました。彼女の事を本気で愛していたしたった半年なんて僕には全く問題はなかったので抱きしめて「大丈夫だよ」と安心させました。それから会えなくなる日々が続きある日突然「終わりにしよう」と彼女に言われました。僕は何を言われたのか全く頭に入らないくらい混乱してしまいましたが彼女の決意は強くそこで関係は終わりました。

それから1年位経った時、携帯触りながら寝転がっていたら急に彼女から「今何してる?」と連絡がありました!飛び起きて「なにもしてないよ」と返したら「今から会いたい」と言われたので急いで会いに行きました。その時もぎこちなさもなく自然と接することが出来て他とは違う特別な存在だと感じました。ですが、慎重になり過ぎていた僕はなにもすることが出来ず、後々聞いた話だと、彼女は、僕がまだ彼女を好きでいたのか確かめたかったそうで何も出来ずかなり後悔して終わりました。

そしてそれからまた2年位経った時、また会えるきっかけができました。2年ぶりでも何も変わらない、むしろ大きくなるこの気持ち。とても楽しくて常にデレデレ。「けーくんのその笑顔。いつになっても変わらないね」と言われるくらいでした。ですがその時にはもう彼女には彼氏がいてとても悔しかったですがとても幸せそうな彼女を見て嬉しくも思いました。失恋しても相手の幸せを幸せだと感じられると思わず内心びっくりでした。別れ際に彼女から貰った写真を今も肌身離さず持ち歩いています。出会ってから3年経ちました。僕もいろんな出会いがあって経験もしてきましたが未だに彼女の事が好きで忘れることができません。かなーーり文章が下手でうまく伝えれらているか分かりませんが僕の叶わぬ恋現在進行形でした。
岡山県 Rちゃんさん/女性26歳
出会いと別れ
彼と知り合ったのはもう10年も前のことです。まだ私も高校一年生になったばかりで初めてのバイトを始めた時にそのバイト先で出会いました。すっごくカッコよくて学校の女の子からすごくモテると聞かされたし本人も分かっているようでした。でも最初、全然良い出会いなんかじゃなくて、彼は人見知りなのか目を合わせもせずに挨拶して通り過ぎて行きました。カッコいいけど嫌なやつだなーっていうのが第一印象でした。その後も何年経っても挨拶をかわすか、数人を交えて話をする程度だったんですが、5年くらい経ったある日私が仕事先で嫌なことがあった時に「怒られてやんの」って冗談交じりに声をかけてきたのがなんと彼でした。それから少しずつ距離が縮まり、彼も人見知りが抜けたのか何かあるたびに私に引っ付いてきました。

バイト先の人には私達は何かあるんじゃないかと思われるほど距離が近くなってきた時、大学を卒業すると共に彼がバイトを辞めることになりました。すごく悲しくてもう会えないのかなーって思っていたら彼が「俺がおらんくなってお前、本当に大丈夫なん?」って聞いてきたんです。というのもバイト先には色んな女性従業員に声をかけている男の人がいて私も言い寄られていたことがありました。でも私が言い寄られていたのは初めの頃で、きっぱりと興味ないです!と断っていたんですが彼はそれを知らなかったみたいで、私に大丈夫か?って聞いてくれていたみたいです。

正直、今までずっとかまってきてくれていたのは、私が言い寄られて嫌な気持ちにならないようにするためなのかな?とか思ったらすごく嬉しくって胸がギュッとしたのを覚えています。その時に「大丈夫ですよ!キッパリ断ってから何も言われてないですよ!」って言ったら、彼が笑いながら「でも俺とだったらデートするよな?」って言ってきました。もうすぐバイトやめて会えなくなるのに冗談言ってるよーって内心思ったんですが、その時は「当たり前じゃないですか!」って返してそのまま終わりました。

いよいよ彼がバイトをやめる何日か前になった時に「俺ももう終わりやー」って言われたので少し寂しくて「あっそうですかーいいですねー」って冷たく返しちゃったなぁって、思っていたら彼が「次いつ休みなん?」って聞いてきたので「日曜日ですけど」って答えたら「珍しいな!俺も日曜日でここのバイト最後だけど日曜休みになってる。デートでもする?」って言われてもう私はパニックで、「どこにですか?」って聞いたら「イベントがあるんだけどついてきて」って言われて本当は今すぐにでもいく!いく!って叫びたかったのに恥ずかしくって「私そのゲーム全然知らないから男友達と行った方が楽しいんじゃないんですか?」なんて可愛くないことを言ってしまいました。(そのイベントは当時流行っていた携帯ゲームのイベントでした)そしたら彼が「野郎と行ってもしょうがねーしな。俺とデートするひとー」って言われて「はーい!」って思わず手を挙げて2人で笑いあったのを覚えています。

そのあとLINEを交換して時間などを決めました。彼が私の家の近くまで車で迎えにきてくれることになり、もうドキドキでした。初めて彼の車に乗って、初めて彼と2人で出かけてってもうこんなドキドキする初めてがあるのかと思いながら到着して、彼に「飯食った?」って聞かれて思わず「食べた」と言ってしまいました。というのも私はドキドキすると気持ち悪くなってご飯が食べれなくなるからです。そのことで前に好きな人に変な奴って言われたことがあるから食べてないのに、食べたと言ってしまいました。そしたら彼も「俺も食べた」って言ったのでホッとしたのですが、今思えばあれは私に合わせてくれていたんだなーって分かりました。

イベントをみてその後彼が「アイスクリーム食べいこっか」と言ってくれて車の中でアイスクリームを食べながらいっぱい話しして、その後ドライブしました。東西南北行けるとこまで車を走らせてくれてそのあと最初の待ち合わせ場所まで車を止めて2人で少し話をしてたんですが、その日私はずーっと緊張しっぱなしでいつもの私と違う私に彼も戸惑っていたのかお互い口数も減って「じゃあ、そろそろ帰ります」って切り出してバイバイしました。それが彼と会ったのも最初で最後でLINEをしたのも最初で最後です。悲しかった気もしますけど、今となっては、あんなに素敵な人がデートに誘ってきてくれたことは私には私にしかない魅力があるんだから大丈夫、ってちょっと落ち込んだり自信がない時には彼のことを思い出して勇気をもらっています。ありがとうも伝えられずにお別れしたけどすごく大事な思い出になってます。
京都府 りなさん/女性18歳
気付いてほしい
今自分は18歳です。私には小学校6年生から7年間ずっと片思いしている男の子がいます。でもその人には付き合って1年経つ彼女さんがいます。その人を忘れようと色々な人と付き合いました。でも何人と付き合ってもその付き合っている人のこを好きにはなれず別れを告げてばっかりです。好きになろうと頑張ってもやっぱり比べてしまいます。いいなと思う人も出来ず、中々片思いしている男の子を超える好きな人はいません。出来ません。もうそろそろ区切りをつけたいのですが忘れかけていた時にばったり街で会ったりなどして中々忘れられません。私はこれから先その人以上の人を本気で好きになれるのか心配です。共感できるような歌をききたいです。
鳥取県 ゆちゃんさん/女性18歳
人生を考える
6月で19歳になるんですけど、周りから未成年って言われる年で親とも仲が悪く。今、友達と一緒に住んでいて、でも友達にもあまり迷惑かけたくないし、とりあえずお金もなくて。自分で何とかしなきゃと思い、飲み屋とお昼に飲食業かけ持ちして、何故頑張らなきゃいけないのか、見失ってしまいました。彼氏がいて飲み屋をすることの罪悪感だったり、いろいろな感情が混ざってしまい、自分を取り戻したいけど、何をどこから始めればいいかもわからなくなってしまい…。ハジ→のライブに一度行った時、なにか救われるものがあって自分の気持ちを動かしてくれると思って今回応募しました。
宮城県 みみみさん/女性20歳
気付いてほしい
高校時代から今までの話。毎日学校行って、勉強して、部活しての繰り返しがかなりつまらないと感じていて、恋愛もあんまりうまくいかなくて、自分が好きになった人とはなかなか付き合えなくて、好きになってくれた人と付き合っても自分がなんか違うなって、長く続かなかったりしていて。そんな時、読者モデルのアイドルグループxoxを知って、毎日Twitter見て、リプ返きたり、いいねがくるだけで嬉しくて、学校もすっごく楽しくて、まだ学生だから地元のリリイベしか行けなくて、その時生で5人を見て、歌を聴いてかなり元気もらえて、そんな時学校のこととかで悩んで相談するとちゃんと話聞いてくれて、歌手なのにこんな親身になってくれるんだって好きになった。

でも5人はどんどん有名になって、リプもいいねも無くなって、有名になるのは嬉しいけど遠くなった感じで複雑な感情でした。わたしは勉強、部活が忙しくてなかなか会いに行けなくなって、卒業する頃にはあぁ、懐かしいなくらいの感じになっていました。その後、つい最近のあらかしらいぶのオープニングに出たカラクリ。これがあたしにとって大きな出会いでした。声がすごく良くて5人いるのに誰も邪魔してない、しかもかっこいい。この人たちを全力で応援したいと思いました。

ハジ→目的で言ったのにこんな素敵な人達に会えるなんて思ってもみなくて、それから郡山のライブも5人を見ることができてどんどん惹かれた。いいねしてくれるだけで嬉しくて、リリイベで見つめてもらったり名前呼んでくれたりして、認知が何より嬉しかった。その5人の中で1人に強く惹かれた。声も、顔も、性格も含め完璧。タイプのまま。前まではアーティストとして大好きで応援していたけどこの人は恋愛として好きだって思いました。でも絶対叶わないし、どう頑張っても結ばれない。諦めて周りのファンと同じようになろうとしたけど、やっぱり好きで、他のファンに取られたくないし、特別に見られたいと思ってしまう。という話です。
高知県 ゆかさん/女性25歳
君のためなら
彼と出会ったのは5年前。出会いは職場で、初めての就職でとても不安だった自分に対して相談ものってくれたし、いかんことはいかんって怒ってくれた人。気がつけば彼のことが気になっていたけど彼は当時同じ職場の人で付き合っていたため諦めようとしたけど、みんなに平等に優しい彼のことなかなか諦めきれずにいたんだ。それでも時間は経って他の人と付き合って忘れようともしたけど諦められんくて。ある日彼女と別れた彼に自分が好きやったことがバレて、何回か遊んだりして真剣に考えてくれた。でも結局はごめん。妹にしか見えん。って言われてめっちゃ泣いた。

それからお互い新しい恋人が出来て幸せな時間が流れた。時々彼のこと思い出すこともあったけどもう好きじゃないって思い込むようにして。でもやっぱりこのままじゃだめやって思って彼氏と別れた。彼と付き合えなくてもやっぱり彼がいいって思って。そうしたら彼も彼女と別れて、次に付き合う人とは結婚を真剣に考えよるけど俺でいいが?っていってくれて。今では付き合っています!約5年の片思いは楽しいこともあったけどそれ以上にしんどかったし辛いこともいっぱいあった!でも諦めずにいてよかった!
徳島県 みちゃさん/女性17歳
人生を考える
私は今、高校三年生で自分が分からないし、自分が何のために生きているのか自分は周りに必要とされているのかをほぼ常に考えてしまいます。そんな風になったのは結構前からです。私の家は小学校3年まで片親でお兄ちゃんと3人でした。でも3年生の時に妹が生まれてそれから私の人生が変わったように思います。妹が生まれる前から親はもともと仕事で夜中まで家に居ないし仕事が忙しいのが当時でもわかっていたので、迷惑をかけないように。困らせちゃいけない。と、当時から思っていました。妹が生まれてからも、もちろんお母さんは仕事があって夜中にお母さんが帰ってくるまで私が1人で妹を子守するのが当たり前でした。ですが当時3年生の私には1人で夜中の2時3時まで子守するのは結構な苦痛で、ある日、子守をしたくないとあった時があったんです。そうしたらお母さんは仕事に行けなくて困って、最終的に私の前で泣いていて。私はその時に『私が我慢してればこんなことにならなかったのに』と思いました。

その日が私の記憶にある中でお母さんの最後の涙でした。そして私はその日から変わってしまったように思います。自分が我慢すれば誰も悲しまなくて自分が我慢すれば解決するならそれでいい。と自分を二の次三の次というのが普通になりました。そしていつの間にか自分のことがわからなくなって、周りのいう通りにしてれば周りが不愉快にならないと思い、自分がしたいことや欲しいもの全てを押しつぶしていました。そうしていたらいつの間にか自分の気持ちや感情も自分で左右できないし、周りに話すことすらも怖くなりました。周りに自分の行動や考え、希望や理想を否定されることが怖くなり無意識に気を使うようになり、偽った自分(いい子で賢い子)で生活するようになりました。

中学では部活をしていて、部活仲間とも仲良くしていましたが、自分をなかなかさらけ出せずにいたため、深い仲になれたのもたった2人くらいです。もちろん部内での揉め事もあり嘘や偽りが多く見え、それが怖くて、仲良くしていたほどに裏切られるのが怖くて、人を信用できなくなりました。高校に入ってから新しい学校で新しい友達を作りましたが、何故かいつの間にか話す人も居なくなりその理由はわかりません。周りに気を使っている気はなくても、周りから見たら気を使われているように感じるようで、もしかしたらそれで愛想をつかされたのかもしれないです。

もともとコミュ力もそんなにないし、優しいだけがとりえだと思って生きてきましたが、それだけでは人の心は満たされない訳で。仲良くしていても相手から見たらただの暇つぶしなんじゃないか。私だけが大事に思っているんではないか。私にとっては居なくてはならない存在でも相手からしたらどうでもいいんだろうか。そんなことばっかり考えてしまうようになりました。最近になっては親にも嘘を疲れたりバイト代が家族の生活費に消えたり親のパチンコ代に消えたり(親は嘘を付いて私からお金をもらおうとします。) 自分が頑張ってバイトしている意味もよく分からなくなって、もし進学しても学費は払えるのか…という不安にさえ最近は駆られます。家族にまで嘘を疲れるようになり、周りは嘘ばかりで人間不信になり人の目が怖くて、街を歩いてもヒソヒソ話は私の悪口なんじゃないか。私なんていない方がいいんじゃないか。私を必要としてくれている人なんていないんじゃないか。とよく考えてしまいます。

しかしこんな私でも周りを気にしなくてもいい時があって、それがLIVE会場だと思っています。周りを気にせず自由に楽しめて自由に叫べて。私の生きる励みになっているのはハジ→の音楽を含める音楽達でLIVEの予定があってその日まで頑張ろうって考えで毎日がんばることができています。ハジ→本当にありがとう。大好きです。毎日消えたいと思ったり、ネガティブな気持ちでいっぱいですけど、生きていれば環境はどんどん変わるわけで、その流れに乗っていればいつか転機は来るのかなと勝手に思っています。今、私は受験生で精神的にもきつい時期ですが音楽達に励まして貰いながら頑張ります。本当に私の頑張る理由はハジ→やその他アーティストの音楽やLIVEです。ありがとうございます。長々と申し訳ございませんでした。
長野県 うたかたさん/女性26歳
危険な恋
同じ職場で出会ったばかりのときは知らなかったけれど、初めて2人で出かけたときに彼には奥さんがいて子どもがいることを知りました。諦めることしか頭にありませんでした。でもお互い好きになっていました。だけど私は彼に付き合うことはできないことを伝えました。でも結局気持ちを捨てることはできなくて今もズルズル…。今は遠距離になったけど、月に一度会ってしまうと好きだと再認識します。彼から奥さんとは仮面夫婦だと聞かされて、いっそ奥さんと別れて一緒になれたらなぁと思います。でも彼から一言もそんなこと言われたことがないし、子どものことはとても大切だと言っているし…。私がそんなこと言ったら、終わってしまうのかなぁとも思います。でも終わってしまうのなら言ってから終わりにするつもり。いつ言えるのか、はたまた結局言えないで終わるのか…。わたしを選んでもらうことはあるのか…。ないとは思うけど。
秋田県 愛友@ぁゅさん/女性25歳
うれしい・たのしい
出会いはネトゲ。初デートは新宿。会っていきなりkissされた。びっくりして目を開けたままでいたら、すごく笑われたのを覚えているよ。「Kissするときに目閉じない人初めて見た!」って。2泊3日。すごくあっという間で、バイバイするとき2人して人目をはばからず泣いたよね。一緒にいる時間が幸せで、繋いだ手を離したくなくて、また会えないと思うと辛くて、色んな意味で涙が止まらなかった。

離れている間に、たくさん傷つけた。貴方はあたしを常に気にかけてくれるのに、あたしは裏切った。それでも貴方は、あたしとの人生を選んで許してくれたね。その後同棲を始めて、もう6年。初めの頃は、ケンカをたくさんした。あたしが家を出て行くと、貴方は必ず探してくれた。「家出は禁止!」これが我が家のルールになったね。色んなことがあったけど、2人で乗り越えてきた。

一緒にいればいるほど、どんどん好きが募っていく。貴方の好きなところはたくさんあるけど、嫌いなところは1つもないよ。毎日が幸せで、毎日が不安。たくさん幸せをもらっているから、いなくなったときを考えてしまう。人間いつ逝くかわからない。だからこそ、一緒にいることを当たり前だなんて思わない。あたしができるのは、毎日好きって伝えること。貴方はたまにしか言ってくれないけど、口にしなくても伝わるよ。いつもありがとう。最期まで一緒にいてください。貴方のことを、心から愛しています。
岩手県 藤原美幸さん/女性40歳
勇気が欲しい
『一喜一憂の世界』

キミは頑張りすぎちゃうから
心も体もヘナヘナになっちゃったんだね

君は心が優しすぎるから
いろんなことを考え過ぎちゃって
心が疲れたんだね

そんな時は
自分の心に休みの時間を与えてあげようね
不安や悲しみ、苦しみを
心の中から吹き飛ばしちゃおう

幸せに生きる為に
キミが君でいられる為に
大丈夫!!ひとりじゃないよ
共に励ましあったり
共に支えあったり
共に涙流したり
共に歩いていく

仲間がちゃんといるんだよ

だから、ひとりぼっちじゃないんだよ

ほんのちょっぴり勇気を出してみよう
苦しみや幸せを乗り越える為に

自分で自分の事を粗末にしないで・・・

自分を大切にしよう
大丈夫!!時間かかっても諦めないで

焦らず少しずつ少しずつ
乗り越えていこうよ

上は詩です。私の病気は神経内科の難病、『ドーパ反応性ジストニア』と後からくっついた『不随意運動症』があります。病名を宣告されて、12年目を今、迎えています。一生、共に付き合っていく病気です。28歳の検査入院でわかり、薬治療で両手の震え、歩きにくさに効果が出てきました。退院と退職が一緒になり、地元の釜石に帰っていた私は、両足の膝の前十字靭帯損傷の手術を1年おきにしていました。左膝の前十字靭帯の手術の時、リハビリ中、右足の指の突っ張り、手で言うと、グーの形になったり、震えたり(左右に振戦という)。私の難病は、進行が遅いはずなのに、原因不明で3年目で進行してきました。

月に2回診察応援に来ていた、岩手医科大学付属病院の神経内科の担当の先生は、当時、リハビリの為、松葉杖で歩く練習していた私に、足が捻れていて、真っ赤になっていて危ないから、歩行練習禁止と言い、車いすを使う事を指示しました。それまで、自分の足が真っ赤になっている事も分かりませんでした。県立釜石病院にいても詳しい事を検査が出来ないという事で、ベッドが空くのを待って医大の神経内科病棟に転院しました。それから、まもなく、脳神経外科の今の担当の先生に紹介されて、東京から2名の医師が手術をやってくださるという事で、3名の医師と、医療チームの先生方と、たくさんの先生方と手術が始まりました。

脳深部刺激療法(DBS)という手術。とてもとても、不思議な手術。脳内は麻酔が効いている、だけど、意識はある。私の場合、意識があるところで手術をやらないと、右足の振戦(左右にふるえる、揺れる、ワイパーみたいな)をピタッと止める場所を決められないから。それは、こわいとか、そういう言葉だけじゃ表せないくらいの時間でした。『ドリルで頭蓋骨に穴を空ける時は眠らせておくからね』と言われ、『美幸ちゃん』と起こされた時、(あれ手術終わった?)と思いました。まだでした、これからが始まりでした。

体に電流を流します。今まで感じたことのない痛み。ふわふわ、どこかに体を持っていかれそうな、意識がとびそうな、苦しさ。私の反応を見て。電流を強弱して、主治医の先生らが『ごめんね、もう少し頑張ろうね、今度は、ちょっと強いのいくよ、』と、体に伝わるビリビリが(あー、私、このまま消えるんだー)と。後から思い返すと、あの瞬間は、ずっと、その前まで痛くて怖くて、わめいていたのに、あの時だけは、バーン!!って体が跳ねたような感覚になり、ふわっともうろうとして、声が出なくて、腕を動かしていた気がしました。

全部が終わって、ナースステーションの近くの部屋に来た頃、他の医師、看護師さんが『頑張ったね、お疲れさま』と声を掛けてくださりました。次の日の朝、東京から来ていた医師らが、新幹線で帰る前に顔を出してくださいました。『おはよう、美幸ちゃん。昨日は、頑張ったね。手術は成功したから、後は、リハビリだね。』って。笑顔で握手しました。私の手術は、病気を根治させる為じゃなくて、症状の進行を遅くする手術です。だから、最初から、成功率は65%と言われていました。でも、薬の治療が足に効かない事がわかり、どの薬を試しても合わず、この手術をしたいと思いました。もちろん、母は反対しました。『頭を切るだなんて』と。

症例も殆ど無く、私と全く同じ症状という人がいなかったので、前例が無い、日本で初めての患者さんの手術となっていたら、母が、『こんなので日本一はいらない!』と。私は、母に。『頭を切るのも痛いのも私の体。お母さんが不安がるのも分かるけれど、このまま、放置していたら、運動障害が速いうちに残るんだって。だったら、私、まだ、やりたい事がある。やるから、先生たちを信じる、良いよね』って電話で早口で言ったのを覚えています。後で、気付いたのが手術の前日に地下の床屋でカットして来てねって言われていて。坊主だと思っていたら、バイ菌、感染症を防ぐ為に、スキンヘッドで、帰りに被ってくるニット帽を渡されて、あの時は床屋さんに入るまで、気分が落ちていたけれど。床屋さんのおばちゃんが『病気で勝手に抜け落ちる患者さんもいるけれど。あなたは、明日、病気に勝つ為に今日の髪の毛とサヨナラするの』と言われたら、後は、ケラケラと笑っていました。『変じゃない?』『良い頭のカタチだわ』って。

そして、今、40歳。夏が来れば41歳。私は、今年、耐える年と決めて諦めたことがあります。それは、7月28日土曜日に岩手県盛岡市のライブハウスでハジ→さんのライブがあること。FC先行も一般受付もポチッと押さなかったのです。今年は、体調が思わしくなくて。原因不明の高熱、背中痛に悩まされ。抗生剤の点滴通い。私一人でライブには行けないから。体調を少しでも回復させてからでも、遅くないか?ハジ→さんは、また来てくれるって信じて、耐える年にしました。神経内科の難病から始まり、神経因性膀胱になり、泌尿器科にもかかり。自己導尿のやり方を外来の看護師さんと毎日、夕方、練習して覚えて、卒業とともに退院をして。その時は、まだ歩いていたから。

次に車いすになり、脳神経外科にかかり。ある日、利き手の右手にも不随意運動が起こって。尿道を傷つけるかもしれないからと。左手では、どうも上手く出来なかったのもあって。膀胱バルーンカテーテル留置になりました。最初は、何だか、不快な感じ。座り方で痛さがある。だけど、1週間もしたら、(あー。楽になったな)って思えるようになっていました。それから、ずっと抱えている整形外科。最近の手術は、テニスをしている人がよく行う、『TFCC損傷』という左手首の手術を2回行いました。私の体を支える、大切な左手。入院中、友達に『手術、怖くないの?』って聞かれて。私は『こわくないよ。だって、私、もっと、こわい手術やっちゃったから。なんてことない』って言いました。

そして、もう一つの科。担当の先生は、『病気が病気を起こしているから、美幸さんは何も悪くないよ』って。脳を、手術でいじくっている事で、見えなくてもいいものが見えたりする。器質性障害という病名。幻視。抑うつ。易疲労感。時々、どうして、あんなに怖い手術したのに今、私、こんなんだろう?って不安になったり。色んな想いがぐるぐるになったり。でも、誰の事も責められない。きっと、神さまは、私に挑戦状を持って来たんだろうと。私は意外と痛さに強い人でした。朝、起きて。活動する時、自分のリモコンで、左右の胸にある、電池にONとスイッチを押すと、脳内に埋め込んでいる電極に記憶(回路設定)している電流が右半身にドシーン!!!と流れるのです。いつも施設の職員さんに、回路設定がかわるごとに、人体図を書いて、ここがこういうカンジに痛いとか詳しく書きます。口で伝えにくいからです。もっと、分かりやすく言うと、ほっぺは、延々とぶたれているカンジ。スイッチ入れた直後は、息が!?ってくらい、誰か一人ドン!!って乗ったカンジ。ケンザンで刺されているカンジ。冬に凍った水に手を入れたカンジ。焚き火でずっと近くにいてビリビリなるカンジ。手は浮腫んでいる・・・など。だから、神さまは大当たりだね、私は、簡単に弱音、吐かなかったでしょ。

『私は、今まで自分の病気を使って話すことを避けてきました。だけど、医大の先生や看護師さん、施設の職員さんに相談したりして教えられたのは、時と場合によっては、自分の病気を説明して、私はこうだから、こんな介助が必要ですって伝えるのは大切なんだと分かりました。整形外科の手術を2回しました。今、負担、圧を掛けると、すぐ痛くなるので禁止です。1回目の手術の時にこだわっていた、①柵を握れるようになる ②いざりが出来るようになる。このふたつは今回は、こだわっていたら、ずっと痛いままなんだなって。今、自分に大切なのは、字が書けること。絵を描くこと。自分の手で食べること。トイレが出来ること。それが出来ればいいのかなって。だから、出来なくなったことを今、私は、そろそろ、諦めることもしなきゃなって。出来ること、やりたいことは宣言、発信してくし。だけど、ホントにあきらめなきゃいけないことは素直に諦めて受け入れて。助けて欲しいって言えるようになっていきたいです。なので、これから、自分でも、わからないスピードで痛いところが増えたり。変形したり。自分も勉強していくので、皆さんのチカラを、助けを、求めるので介助を宜しくお願いします。』

上記『』は、施設の契約更新の検討会の時、来られる保護者、各部署の主任ら、担当者さんが集まって会議するところでいつも、『本人から何か、ありますか?』って聞かれるんだけど、いつもの私は、『何も、ありませーん、その時、言います』とか、やる気無し。だけど、今回は、自分が言いたくないこと。病気のこと。介助のことを伝えた。うん、自分、一歩、踏み出せた。今回、最初に打った、詩は。モデルさんがいて。頭の手術をして、リハビリする為に転院した、〇〇リハビリ病院に2年3ヶ月入院していた頃、新人看護師さんを見ていて感じた言葉たちです。私は、いつも詩はタイトルを決めてなくて。だから、読んでいく内に、いつの間にか、自分が凹んだ時にも励まされていました。

一喜一憂の世界の『一喜一憂』の言葉は、脳神経外科の担当の先生がいつも言うこと。先生は、すごい腕の良い先生なのに偉ぶってない、医師と患者さんの間に壁を作らない信頼感のある先生です。『美幸ちゃんは誰もが体験出来ない大手術をしたことは財産だと思うよ。色んな症状が出て不安だと思うけど、一喜一憂しないで、一つ一つを個性だと思えれば良いよ』って。先生の言葉も、先生の手も魔法使いのようです。

ハジ→さんは、歌でみんなの心を元気にしてくれます。背中を押して貰えます。私は、私と同じように病気と闘っている仲間に、人々に、勇気を与えられる人になりたいです。私は、人に恵まれています。今まで出会った、医療関係者の方々、施設の方々、地域の方々。ある日の施設で、親孝行が出来てないって言ったら、今の施設長さんが、『人にはそれぞれの親孝行の仕方があってね、生きているだけで親孝行になるんだよ、ちょっと、真面目な話、しているよー』って。聞こえないフリしていて。だけど、救われました、ありがとう、みんなへ、ありがとう、ハジ→さん、のみんなへ。
兵庫県 ひなちゃんさん/女性18歳
危険な恋
私が好きな彼には彼女がいました。その時のことを今と踏まえて。私は彼とは友達(クラスメイト)で相談も受けたり、今もお互い何でも言える仲です。でも、私は叶わない恋をして、結果的に彼の浮気相手となりました。隠れて会っては、密会を繰り返しました。振り向いてほしい、私といる時だけでも私だけ見てほしい、そんな想いでした。彼女が羨ましくて妬みもしました。電話で彼女の愚痴を聞いた時、心が折れそうでしたが、友達だからと言い聞かせ、涙を堪えて、明るく振る舞いました。結局、彼女にはバレることなく、彼とは上手く行かず別れました。それからも一緒にどこかに行ったり、家に行ったりもしました。それでも、彼には私は友達のようです。それでも、私は、彼に恋しています。彼のそばに少しでもいたい。少しでも振り向いてほしい、好かれたい。嫌われたくない想いです。今も想いは変わりません。
長崎県 みーみさん/女性24歳
キモチを伝えたい
わたしが19歳の時先輩の結婚式。二次会までは喋ることなく帰りのバスで出会いました。3次会でその人とその人の同期、わたしとわたしの同期で飲みに行きそこで一目惚れ。それから連絡を取り合っていたのに2ヶ月後、半年間連絡が取り合えない距離にその人はいきました!わたしがあなたの職場に転勤になり連絡が復活し、たまに飲みに行く関係に!職場の先輩後輩という立場なのかなにも進まず5年。飲みに行った時はその人の家に泊まったりしますがなにもなく。ただ腕枕してもらってぎゅっと抱きしめてくれだけ。なにも言えずそのまま。5年大好きなまま。そろそろ本当に進みたいです。大好きなのになんで伝わらないのか。本当に大好きなのに!ハジ→が好きで車に乗った時ハジ→が流れていてびっくりしたり!なんでこんなにうまくいかないんでしょう(;▽;)
秋田県 ゆうあ&りあママさん/女性29歳
キモチを伝えたい
ハジめまして。私が曲にしてもらいたいのは、子供への愛情の歌です。長男は悠亜8歳(小3)、長女は莉亜5歳(年中)、私は亜沙美(29歳)です。20歳で結婚をして、21歳のときに長男を出産しました。そして28歳で離婚しました。普通であれば母親が親権をとりますが、お互い話し合い、経済面や子供の意見などを聞いて親権は父親に譲りました。離婚するまでの話し合いで体調を壊してしまい親権を譲れば早く離婚できると思っていました。離婚は後悔しないけれど、子供たちのことは一生後悔するだろうと思っていました。

私は強がりなので、子供に会えなくて寂しく夜に1人で泣いていることも多々ありました。長男は小さい頃から甘えん坊でわがままでやんちゃでした。でもみんなから顔も性格も私にそっくりと言われていました。私たちがサッカーをしていたので、一緒にサッカーをして遊ぶことが多かったです。私のフットサルの試合も一緒に連れて行ってベンチで応援してくれたこともあります。暴れだすと手がつけられないくらい大変で私と性格が似ているので何回も喧嘩しました。小学生になっても抱っこと言われることもあったので、長女を抱っこして、長男をおんぶしたこともあります。一緒に親子マラソンに出たりキャッチボールをしたり、スポーツが大好きな親子でした。今ではバスケが好きで、スポ小はバスケに入りました。

長女はまだ小さいのですごく心配でした。でも親の都合で兄妹をバラバラにするのは良くないと思い置いてきてしまいました。長女は可愛いものやおしゃれが大好きな女の子です。服も自分で選び、スカートじゃなければ女の子じゃないと言うくらいです。子供用のお化粧で化粧の仕方を教えてあげると自分でチャレンジしていました。長男が「ママがいい」と駄々をこねると、長女は譲ってくれることもあるお姉さんのような優しい子です。いつもママ可愛いと言ってくれ、ママみたくなりたいと言ってくれます。

今は毎日会えないけれど、これからもどんな時でも、いつまでも子供たちのことが大好きだと想っていることを曲にしてもらいたいです。そしてもう少し大きくなったときに子供と離れていても大好きでいてくれたんだなと思ってもらいたいです。無償の愛とはこのことなんだなと子供たちに教えてもらいました。片親でも愛情は両親からもらっていると感じてもらいたいです。曲にしてもらって、子供たちへの愛情を形にして残したいと思い応募しました。よろしくお願いします。
愛知県 Rukaさん/女性31歳
気付いてほしい
あなたに届いて欲しい。あなたと出会ってもう何年になるのかなぁ。お互いに地元を離れて、もし同じ趣味じゃなかったら出逢えてなかった。そして同じteamで毎週会うようになっていつの間にか好きになっていた。あなたは、あまり話さないけど、自然とさりげなく手をさしのべてくれる。そんなのあなたが好きで告白したけど、振られてしまった。それでも毎週同じ趣味で会って、始めは気まずかったけど、だんだん普通になって。でも、私は諦めきれなくて…。1度目の告白から何年経ったんだろう。やっぱりあなたを超えられる人はなかなか現れなくて、あなたの事を目で追ってしまう。

あなたはずるい、私が弱っている時、連絡が欲しいと思った時にタイミング良く連絡してくる。お互い考えていることがわかる時があって、言いたいこと言い合える。あなたは私と話す時、周りの女の子と話し方が違う。それは周りからは私と話す時は素なんじゃって言われる。私が誕生日にあげたプレゼントを使ってくれている。そういうところがまだ好きでいていいのかなぁって期待してしまう。

何度も心の中で諦めなきゃ、って整理してもダメで……。もう一度思いを伝えようと2度目の告白。やっぱりダメだったけど、あなたの考え、私への思いが聞けて、彼氏彼女じゃなくても今のままの関係が1番いいって、私が渡したミサンガ今も付けてくれている。それがあなたにとってどんな意味があるのかは分からない。周りの人は、あなたがいいように逃げているって言うけど、私もわがままで振られたからってあなたから離れることが出来ない。だから今のままの関係でいられるなら、って。

でも最後にあなたへ「私が好きな間ゎ好きでいさせて」って伝えた。それがいつまでかゎ分からない。長い長い片思い…。
広島県 TAKA. Kさん/女性50歳
危険な恋
彼と出会ったのは、4年位前かな。仕事場で取引先の相手。私も、その会社に入社したばかりで、毎日が一所懸命で覚えることだらけ。そんなとき、取引先の相手の彼が私の前に登場してくれました。週に2回しか会えなくて、最初は恥ずかしくて、顔すら見られなくて。でも、ある日彼から二言三言話しかけてくれるようになって、彼が来る日を楽しみに待っている自分がいた。他愛ない話を二人でしていたとき、彼が良かったらライン交換しませんか?と言ってくれた。凄く嬉しかった。

それから、ラインでの会話も弾み、楽しい毎日が続くと思っていたのに…。彼の会社との取引が終わることになって。私は、夢であってくれたらいいのにと何度も思った。けど、それは現実だった。その事が彼にも伝わり、取引終わる前に一回飲みに行く約束をしてくれた。嬉しい…けど、これで会えなくなると思うと、このまま時間が止まってくれればいいのに、とも思っていた。

その日は、とても寒い夜で外を少し散歩しているときに、スッと私の手をとって、彼のコートのポケットに入れてくれた。今まで生きてきた中で、そんな優しいドラマみたいなことしてもらって、キュンキュンしてしまった。おばさんのくせに…。別れ際には、ギュッとしてくれた。彼は、私の心をぶち抜いた!その日以来、頭から彼の事が離れなくなった。お互い結婚しているから、これ以上のことは絶対ダメなのわかっている。

彼を想うだけなら、罪にならないよね?彼の気持ちは、どうなのかわからないけど、嫌いな人にギュッとはしないよね?少しは、私の事、想ってくれているのかな?お互い仕事出会えなくなって、あまりラインもしなくなったね。でも、私は、あの日から毎日あなたの事、想っているよ。

この間、ハジ→のライブに行こうと思って、連絡とったら会場の場所がわからないと言ったら、会場まで案内してくれるって言っていたけど、私の仕事の都合で、行けなくなって…。結果、会えなくて…。やっぱり、もう会ってはいけないよ、って神様が言っているのかな?でも、私は会いたいよ。今度はいつ会える?これからも、ずっと彼の事想い続けるよ!それでも、いいですか?私の気持ち、あなたに伝わっていますか?
埼玉県 Mayumiさん/女性24歳
キモチを伝えたい
私とあなたが出会ってからもう5年が経ちますね…。あっという間だね!出会った時の事、覚えていますか?初めて出会ったあの場所、覚えている?私が居酒屋でアルバイトをしていて、あなたが友達たくさん連れてやってきたあの日。私の名札の「彼氏募集中」を見てLINE交換しよ♪と声をかけてくれたんだよね。それでそこにいる皆とLINE交換したんだよね。次の日、LINE♪と鳴り携帯を開くと、あなたの友達からデートの誘いメールが届いた。正直あなたが良かったなー。なんて思っていたけど、この人と仲良くなればあなたとも距離が縮まると思っていた。でも、何回かデートしている内によく気が合うなーって思っていて告白されて付き合う事になったんだよね。

でも、ずっとあなたの事が気になっていた。彼とデートしていても、あなたならこんな感じのデートなのかな?とかずっとあなたの事を思っていました。社会人になり、すれ違いが多くなり彼と別れる事になった。彼と別れてから1年後ぐらいかな?急にLINE♪と携帯が鳴り開くとあなたから「久しぶり♪」のLINEが!あの時すごくびっくりした!胸がドキドキしていたな。久々に会う事になり、初めて2人でデートしたあの夜。筑波山までドライブデートしたよね。綺麗な夜景見せてくれたね。彼の運転している横顔にずっとドキドキ、キュンとしていました。この日からまたあなたに恋に落ちました。

4回目のデートの時に2人で居酒屋に行き、玄関のドアを開けようとした瞬間にLINE♪と鳴り携帯を開くと「よかったら付き合って下さい。」と。3月24日彼と出会ってから2年目のこの日、やっとあなたの彼女になれました。あなたの彼女になれて幸せ。毎日のように幸せだな、と感じていたけど、連絡がマメじゃない彼。私が連絡しても既読にすらならない人。本当に好きなの?なんで連絡返してくれないの?不安になる日も多々あった。会えるのもほとんど夜。昼間に手を繋いでショッピングしたり、手を繋いで歩きたい。いつか、振られる日が来るんじゃないかなと不安だった。

そんな時に、急に転勤になった彼。埼玉と大分の遠距離。半年は帰って来られないから。そう言って行ってしまった彼。辛くて会いたくて泣いていた。でも、それもきっと私だけで彼はきっとそんな事思ってないだろうな。とか。マイナスの事ばかり考えていたけど、たまに返信くれるだけで、本当に嬉しくて、信じんて待とうと決めた。遠距離から3ヶ月後、早く戻れる事になって、私の誕生日に帰って来る事になった!戻ってきてすぐに彼が「会いたかったよ」と一言。嬉しくて幸せだった。

ずっと彼の隣にいれたら幸せなんだろうなって思っていたのに…。その年の彼の誕生日の次の日に「別れよ。」と泣き崩れた。遠距離も乗り越えられたのに。なんで?この言葉しか出て来なくて。振られたのが人生で初。好きな人に振られるのがこんなにも辛くて悲しいなんて。次の恋に進もう。そう決めて、彼と別れてからSMSで知り合った年上の男性と会う事になって、その人が本当に優しくて、連絡がマメで一緒に居るだけで安心できる人だった。告白されて付き合うまで早かった。この人の彼女になればもう二度とあんな辛い目に合う事はないだろう、って思って。年上の彼はデートの時も全てエスコートしてくれて紳士的な年上の彼。昼間手を繋いでデートしている時に「あー。彼だったらもっと幸せだったのにな」と気づいたら彼の事ばかり考えている自分が居て。そんな自分が嫌になって、年上の彼にも申し訳なくてでも、彼への想いは止まる所か今すぐにでも会いたくて仕方なくなっていた。無理に気持ち押し殺して年上の彼とデートをしていた。

別れてから2ヶ月経ったあの日。あなたからLINEがきて「もう一度チャンスほしい」と。自然と涙が出てきて、泣いていた自分がいた。今なら分かる。嬉しくて泣いていた事を。落ち着いてから「少し時間を欲しい」と返して1週間悩んだ。頭の中はもう彼の事でいっぱいで今すぐに会いたい!って思っていたけど、年上の彼に申し訳ないのと、また振られるかもしれない恐怖ですぐには答えを出す事ができなかったけど、どんなに悩んでも好きな事を変わらなくてもう一度信じてみよう。そう想い、私から今度は告白しました。年上の彼には申し訳なくて、今思えば寂しを埋めて、利用していただけだったのかなって。最低な自分だった。でも、あの時に「もう、答えはでているはず。幸せになれよ。」そう言ってくれて背中を押してくれて本当にありがとう。あなたのおかげでまたヨリを戻す事ができました。

今も時々、不安になる事があるけれど、いつかお嫁さんにしてくれる事を信じんで、ずっとずっとあなたの隣に居たいです。たくさんの人のおかげで私は今、あなたの彼女になれた事、関わってくれた人に感謝の気持ちを忘れないようにします。今も時々不安になったりする日々もあるけど、彼を信じて2人で乗り越えて行きます!早くプロポーズしてね!待ってるぞ!笑
石川県 シュウさん/男性20歳
気付いてほしい
中学に入学して一目惚れした子がいました。その子とはクラスが3年間、同じになることは無かったのですが休み時間に通りすがる時や、友達と笑い合っている姿を見て一目惚れをしました。高校も別々の高校へ行くことになったのですがある日ラインを交換し連絡をとる事に。そこで、遊びに誘ったり電話をしたりしてもあんまり乗り気ではなく僕に気持ちが無いことが明白。ただ、気持ちだけでも伝えようと思い告白しました。しかし、やはり返事は「ごめんなさい。」一途な自分が嫌いになる恋ですね。分かってはいてもかなわない恋というのは辛いなと思った恋でした。
三重県 直姉さん/女性45歳
青春の思い出
小さい頃から鍵っ子だった私はテレビが友達だった。いつしかドラマに出てくる眼鏡の優しい男性に憧れるようになっていた。中学を卒業するまでそんな理想の人に出逢えず、地元の高校へ。山の上にある学校で、辿り着くまでに長い坂道を登らなくてはいけなかった。入学して間もないある日、その坂道を学ランに赤いリュックを背負ってロードレーサーで颯爽と登っていく人がいた。体が固まって、動けなくなって、その人が登っていく後ろ姿をずっと眺めていた。ドキドキする不思議な感覚。今でもその後ろ姿が目に焼き付いている。学校へ着いて部活見学に行った。音楽がしたかったから吹奏楽部の部室を覗きに行った。校舎から離れたボロボロのプレハブ。緊張しながら近くにいた先輩に声をかけた。眼鏡をかけている優しそうな男の先輩。すると後から、全く同じ顔の人か現れて驚いた!もっと驚いたのはその人が赤いリュックの人だったこと。眼鏡をかけていた。双子だった。赤いリュックの人は弟でトロンボーンを吹いていた。兄の方はホルン。私はフルートを選んだ。フルートパートのすぐ後ろでホルンを吹く兄先輩の方より、離れた所でトロンボーンを吹く弟先輩の方が好きだった。

人見知り発動…全く話せなかった…そのうち同級生には弟先輩を好きなことがバレて、お節介な先輩達にも背中を押されるようになった。無口な弟先輩からは話しかけられることはなかった…みんなに背中を押されバレンタインにチョコとお財布を作った。キルティングに赤いロードレーサーの刺繍をした。そして「もしよかったら、食べて下さい。」と、ただそれだけを書いた手紙を付けて。自分では渡せなかった…。フルートパートの先輩が心配して…放課後、弟先輩の引き出しに入れてきてくれた。次の日、恥ずかしくて部活に行くのをためらった。顔も見られない…帰る時間になって、話しかけられるのが怖くて、逃げるように帰った。次の日も次の日も…話しかけたそうにしている姿を感じながら…。

だから、このままじゃ申し訳ないと思って、勇気をだして待った。「チョコありがとう。」と言ってくれた。そして長い坂道を自転車を押しながら二人で歩いた。坂の下からは、家が反対方向だったから、そこまで。そのうち自転車で片道50分ほどかかる私の住む団地まで送ってくれるようになった。「遠いから…」って言ったけど「この自転車だから大丈夫。」って…優しい人だった。団地に着くまでに公園があって、よくそこで寄り道をした。彼の学ランのポケットには何故かいつもサクマのイチゴミルクキャンディーが入っていて、それを食べるのが好きだった。赤いリュックには私の作ったお財布が入っていた。

バレンタインの日、他の人からも沢山もらっていたらしいよ、と部活仲間から聞いていたので、なんで私と居てくれているのか聞いてみた。「ちゃんと、フルネームが書いてあったから。」他の人の手紙には、イニシャルとか、「OKなら黒板の隅に〇を書いておいて下さい」とかが書かれていて、ふざけている感じがしたらしい。自分の名前、大っ嫌いだったけど、フルネームで書いて良かった!って思った。「付き合って下さい」と言う言葉はもらえなかったけど、公園で暗くなるまで一緒に遊ぶ時間が嬉しかった。

次の年のバレンタインには手編みのセーターを渡した。袖がダボダボで失敗作…でも、喜んでくれた。次の年は、ちゃんと着られるセーターを編んだ。彼はシルバーの指輪をくれた。私はその時 流行っていたドルフィンリングが欲しかったけど、彼はネコの指輪をくれた(笑)それから二人で色んな所へ行った。初めてのデートは地元の遊園地で部活仲間とグループデートだった。みんなに見られないように手を繋いだ。初めて二人で観た映画は『魔女の宅急便』。動物園、水族館、プラネタリウム、色んな所へ行った。

友達とどんなプロポーズがいい?って話すようになって、将来のことを少しずつ考えるようになった。私は「鉄橋の下で思いっきり大きな声で結婚してください!って言ったのに電車が通って聞こえなくて、え??なに??っていうやつがやってみたい(笑)」って。彼は卒業して専門学校へ。遠い他県の学校だったけど、寮に入ると会えなくなるからと、自宅から通ってくれた。携帯もポケベルもまだ無くて唯一の連絡ツールは『伝言ダイヤル』だった。毎日、公衆電話へ行って短いメッセージを残した。今では災害用に使われている。私は就職した。仕事が終わると彼は赤いスカイラインで迎えに来てくれた。家に送ってくれる途中の、あの公園への寄り道は変わらなかった。

彼も就職して、二人とも社会人になった。よく休みの日に川へ出かけた。地元の川。魚を素手で捕まえたりするのが得意で、見た目に反してアウトドアな人だった。私はアウトドアが大嫌いで、ショッピングとかがしたかったけど、彼はしょっちゅう川へ連れて行った。楽しそうにしている彼を見るのは好きだった。その日も川で魚を探しながら一人で行ってしまって…しばらくして真っ赤な顔で戻ってきた。さっぱり訳が分からなかったけど、見たことない彼の顔を見て、気づいた。鉄橋…電車…プロポーズをしてくれたんだと。全く聞こえなかった(笑)。だから私も、何も返事ができなくて、またいつものように過ごした。

ある日、カラオケに行った。彼は歌が苦手であまり歌わない。私は歌が好きで、彼は聞き役だった。どうしても聴いて欲しい歌があった。ドリカムの『未来予想図 Ⅱ』心を込めて歌った。卒業してから三度目の春だった。私なりの、お返しプロポーズだった。彼よりも一緒に聴いていた兄先輩の方が感動していた(笑)。そして…結婚した。それまでも、それからも 色んな事があった…。ここに書ききれないほどの思い出が…別れたいと思ったこともある…。いい事ばかりじゃないけれど、一歩 外に出れば、キラキラした思い出の付箋があちこちに散りばめられていて、支えになってくれて、今日まで来られた。来年、結婚して25年目を迎える。これからも二人でいっぱい付箋を散りばめながら一緒に生きていこう。そして 定年になったら、その付箋を一つ一つ拾い集めながらゆったり、のんびり長生きしようね。
岐阜県 らいきさん/男性19歳
人生を考える
小学一年生の頃にお父さんに連れて行かれ僕は相撲道場に行きました。その時は少し楽しみな気持ちと不安な気持ちが入り混じっていました。今でもその時の気持ちを覚えています!道場に入ってからは日々練習の毎日でした。僕は正直全然強くもなく周りのライバルに負けてばかりでなんにも楽しくありませんでした。毎日負けては泣いての繰り返しで勝負するのが怖くなりやめたくなりました。練習したら勝てる強くなるなんて一切思いませんでした。誰も僕になんか期待してくれている人なんていない、僕はなんのためにやっているんだろうと思っていた。

しかし一人だけ僕に、誰よりも強くなる絶対大丈夫と言い続けてくれる人がいました!それはお父さんだ。お母さんまでもがこの子大丈夫かなって心配していたのに、お父さんは僕の可能性を信じていました。当時はお父さんが言っていたことは信用できなかったが段々強くなって楽しめるようになって。それから、お父さんが信じてくれていた事に感謝するようになり、お父さんの言う言葉は魔法のように叶うし、僕に力を与えてくれます!今でも日々感謝しているし、いつか一人の人間として強くなり立派な大人になったら恩返しする!周りの評価じゃなく自分が自信を持って胸張ってお父さんありがとうと言えるまで日々精進します!今僕は学生になり勉強、スポーツ両方の面で大きな壁にぶち当たっているが必ずこの壁の向こうには光が待っていると信じ日々精進する!どんな困難がこの先あっても乗り越える!必ず。

今僕は周りの評価を気にし過ぎて小さくなっている。昔は自分を見てくれ、見てほしいと思うくらい自分に自信があった。なんで自信が無くなったのかわからない。それは負けが積み重なった事が原因なのか、失敗が原因なのか、それは何年経ってもわからない。きっとまた自分に自信がもてて輝ける日がくるまで…。そしてその答え、原因がわかるまで、わかってからも精進する!将来僕は子供達に伝えていきたい。もっと自分に自信を持て、周りの評価を気にし過ぎて自分が本来持っている力をつぶすな!お前なら絶対やれる!俺はお前を信じている俺には俺がついていると!お前にしか無いものがあると!
埼玉県 ちーさん/女性16歳
気付いてほしい
その人と出会ったのは友達つながり。だんだん話していくうちに、ライン交換して、毎日やり取りをして、だんだん好きになっていって。そうしたら、告白されて本当に嬉しくて付き合い始めた。告白された次の日から、毎日毎日休み時間に2人で話したりして、とっても充実していた。2人ではないけど6人で遊びに行って一緒にまわってすごく楽しくて、手相を見たりしていて、私は今でもすごくドキドキして、思い出す。ある時、三角関係みたいになって、一人の女の子がなんか怒って、その当時の私にはすごく辛かった。その子に「俺には手を出してもいいけどあいつに出すな」って言ってくれて。でももう無理で、自分から別れを告げた。その後も「やり直そう」って言ってくれたけど、またなんかやられたらやだと思って、いいよって言わなかった。ある時、私は1番仲が良かった子と喧嘩して、ほんとに死にたくなって、学校も行きたくなくて、でもそんな時に相手の子に私の気持ちを伝えてくれて、すごく嬉しかった。でも、だんだん日が経って、相手はもう私のことなんて好きではなくなっていて、もう戻れない関係になってしまっていて辛くて辛くて。いつも「もうやだ」って思った時、相手が言ってくれた今までの言葉を思い出したら彼の大切さに気づいて。でも、もう遅かった。お互い違う道を行って、相手には彼女もできていてもう付き合えないのに、話せないのに、電車で会えないかなーとか期待している自分がいて。もう相手に片思いして3年…。毎年出かけた時の日になると泣きたくなる。あんなに優しくしてくれたのに、大切にしてくれていたのにって。でももう戻れない、戻りたいのに、戻れない。忘れたいけど忘れられない、辛い。
福岡県 健也さん/男性24歳
失くした恋
僕だけ見ている彼女。次第に僕は、ひかれていくようになった。この日々が続き、僕は彼女の好きな僕でいようと決意した。よろこんでもらいたくて、彼女の好きなアクセサリーをお揃いでつけた。記念日にはずっと一緒にいようと、名前を入れたリングをつけた。僕はこの日々を幸せに思っていたが、それが当たり前に思ってしまうこともあった。言い方が厳しくなって、喧嘩することもふえた。彼女は僕のことを変わらなく好きでいてくれる、そう思ってしまうようになった。

僕は高校を卒業し、大学生になった。前より会うことは少なくなった。メールすることも少なくなった。僕の思いは変わらなかった。久しぶりに彼女と会ったとき、彼女は笑うことは少なく、淡々と言葉を発していた。様子が変だとおもったが、言及はしなかった。それが続くと、僕は不安になり、つい感情的になった。「もしかして他に好きな人ができた?」って、聞いてしまった。彼女は、そんなわけない、お願い信じて、と。謝った反面、安心した。

しかし、それはやはり嘘だった。他の後輩に、別の男に好意を寄せていたことを聞いた。そして、会えてない日が増えたことで、大切にされていたいと思っていたことも知った。反省したが、僕はなにもできなかった。彼女に別れを告げられた。考えられなかったが、嫌だと言えなかった。これ以上困らせてはいけないと思ったから。嘘をつかれたことに怒ったこともあったが、会えないことや会った時の会話が、大切にされていないと思わせてしまった。あの時、もっと寄り添っていれば、もっと一緒にいれたのではないか。反省ばかりの日々。ずっと好きでいてくれるなんて、そんなことはない。感謝する気持ちが足りなかった。大切にしたかった。気付いたときにはもう遅かった。
大阪府 花まりな→さん/女性24歳
出会いと別れ
男性と出会ったのは私が、中学2年生。たまたまお兄ちゃんの彼女の家に遊びに行った時に、その彼がいました。当時、彼は高校2年生。お兄ちゃんと友達。私は初めてあった時に、一目惚れしましたしかし出会った時には、別の人と付き合っていて、ちょっとしてから別れていました。別れてからは、連絡を取るようになり、毎日お兄ちゃんのケータイから、時々メールしていました。中学3年生になり、ケータイを持つようになり、毎日メールするようになり、いつもは、ちゃん付けで呼んでいるのに、たまに呼び捨てにしてくれて、それが嬉しかったです!そして土曜日などは2人して夜更かしをして、電話したり、同じテレビみたり、それだけで幸せでした!

向こうは高校3年生になり、免許を取って、デートに誘われました。従姉妹に髪の毛、化粧などをやってもらって、なれないヒールなど履いて、張り切っていました!デートは緊張して、全然喋れなかったのを覚えています!そして向こうは、進路の話に。岐阜に進学することになり、帰ってきたら付き合おうって告白されました。だけど岐阜に行ってからは全然連絡が無くなって、月日が流れてから、お兄ちゃんから聞いた話。岐阜で、女作ってお腹に赤ちゃんおる、って言われました。

そしてまたまた月日が流れ、離婚したと風の噂がながれてきて、連絡を取ることに!久しぶりに会おうとなりました。久しぶりに会う彼もかっこよくて、ドキドキしていました。そしてデート中に、元嫁さんから連絡がきて、話があると言われていました。でも、まだ帰りたくないから、勇気を振り絞って、彼に、「もうちょい一緒にいたい」と言いました。だけど「ごめん」って言われてバイバイして、その次の日に、よりを戻したらしいです。その彼は未だに忘れられない人で初恋の人でした。今は3人目の子供がいるみたいです。けど同じ地元にいるらしいから、どこかで会えたらいいなと密かに思っています!
静岡県 みほさん/女性19歳
出会いと別れ
高2の冬に出会った一個上の先輩。LINEするようになって、よく電話するようになって、『可愛いな』とか言われる度にドキドキして、好きになるまでにそこまで時間かからなかった気がするよ。悩んでいた時に『お前はお前らしく自分の道を進めばいい。それでも悩むことはあると思う。そん時は俺とかに相談すればいい』そんな言葉を言ってくれた。そんな言葉に助けられたんだよ。好きって伝えたかったけど、君にはトラウマがあった。でも、ふとした瞬間にポロって本音が出た。君が好きって言う本音が。やばいと思った。伝えるつもりじゃなかったから。君のこと困らずに決まっているから。君に優しく断られた。『俺なんかじゃもったいないよ』って。君を困らせちゃったよね。

それから距離があいまいで遠くになったり近くになったりの繰り返し。もうどうしようもないくらいの後悔があった。あの時伝えなければ…、思いを抑えとけば…、好きになってなければ…って。けど、1度好きになっちゃったらさ気持ちは止められないぐらいに急加速して溢れでちゃうんだよ。最終的に君は離れて行っちゃったね。今じゃどこで何をしているか分からない。けどさ、君のおかげでね少しでも楽しかったよ。すっごい苦しくて泣いた時もある。君に振られた時は君が寝たあと1人で泣いていた。涙が止まらなくて、あーこんなに好きになっていたんだなって思った。

こんなに人好きになるの久々でさ。ワクワク。ドキドキ。モヤモヤ。好きになるってこんなんだったなーって思った。今ではもう君のことちゃんと過去に出来ているよ。しばらくのうちは君のこと忘れられなくて、他の誰かに「好き」って言われても無理って、前に進めないって思っていた。けどね、いつの間にか前に進めていたんだよ。新しく好きな人に出会えたよ。ね。出会ってくれてありがとって伝えたいです。
三重県 ジョニーさん/女性20歳
一目ぼれからの遠距離片思い
高校2年生の頃、学校で男の子に一目惚れしました。その時はその男の子に引き寄せられるような感覚がありました。かっこいいと思っただけで、クラスも知らずなにも行動できませんでした。1週間後、運動部の代表が集まる講習会にその男の子がいて近くに座ったものの声もかけられずに終わってしまいました。相手は私の事を知らないのに、私は男の子を見かけるだけで幸せでした。「LINEを教えてください」と声をかけかったけど、勇気がでず何回も諦めました。でも一目ぼれして1年半がたち、私が本気で好きだと友達が気付いてくれて、色んな人に聞いてくれてその子と LINEできるようになりました。私の事を知らないはずなのに、優しくずっと LINEしてくれました。

高卒後、県外に進学してしばらく地元には戻らないと言う話をしてくれた時、私はこのまま好きでいいのか迷いました。すぐにバレンタインがきて、チョコを渡すことができたけど、自分の気持ちを伝えられず後悔しました。卒業式の日アルバムにメッセージを書いてもらうために私の教室に来てもらい、その後自分の想いを綴った手紙を渡しました。 手紙には、一目ぼれした事、今は付き合ってとは言わないけど私の気持ちを知ってほしい、と書きました。手紙を渡した時はすごく恥ずかしかったけど…今ではいい思い出です。高校で1番最後に写真を撮ったのも好きな人でした。

その後 LINEで長文の手紙の返信をもらいました。私はあまりにも嬉しくて泣きました。離れるけど、もっと仲良くなりたいと言われてすごく嬉しかった。4月になり、遠距離片思いになりました。相手が忙しくなり、今までより LINEができなくなり、諦めたほうがいいかな?と迷う時もありました。でも私がしんどい時 LINEで支えてくれたのは好きな人でした。今は遠距離片思い2年目。離れているため、辛いし嫌いになった方がいいのか葛藤することもありますが今でもまだ好きです。
福島県 ベリグさん/女性15歳
失くした恋
2年間好きだった先輩がいました。その先輩はカッコよくて、面白くて、頭が良くて、運動神経抜群で、野球が上手くて、すごく大好きでした!たくさんLINEも通話もしました。それで私は告白しようと決意しました!1回告白した時に「まだゆりの事知らないから、これからももっと知っていきたいな!」と言われて、その時はすごく嬉しかったです。話していくうちに、先輩の事をたくさん知ることができたし、好きがだんだん大きくなりました。けど2ヶ月が経って、先輩に彼女が出来ました。その彼女は吹奏楽部で先輩の同級生でした。先輩が卒業するということで告白をしようと思いました。結果はダメでした。「彼女がいるから」って。すごくすごく辛かったです。何度も諦めようとしました。

でも、友達に相談するたびに「ここで諦めていいのか?」「これまで頑張ってきたことが水の泡だよ」って言われて。「やっぱり諦めたくない!!」「絶対振り向かせてやる!!」って、思うようになりました!そして先輩が高校生になり、まだ彼女がいたので先輩とLINEできる時間も少なくなるだろうと思っていましたが、ある日先輩から一通のLINEが入っていました。「彼女と別れた」その一通で私は涙が出るくらい嬉しかったです!!これまで以上に先輩とLINEや通話が多くなりました!!けど告白はしたくありませんでした。今までの関係がくずれるのが嫌だから。

試合にも行きました。どんなに遠くても、試合を見に行くと必ず「ありがとな!」とLINEで言ってくれて「気付いていたんだな」と思い、すごく嬉しかったです!!けどそれは最初だけ。話すたんびに先輩は返信がそっけなくて、心が折れそうになりました。ついには、「しつこい」って言われてしまいました。こんなにこんなに辛い思いをするなら卒業式の段階で諦めればよかった!ってすごく後悔しました。それでも諦めたくなかった。飽きられたくなかった。だから、何度も何度も先輩に謝りました。最初は既読無視されて、1週間経っても返信が来ないので、もうダメだろうと思っていました。でも次の日「もう謝るな、俺もいいすぎた、これからも話そうな!」という返信が入っていてもう涙が止まりませんでした!!それからも先輩とLINEや通話は続きました!!これまで以上に先輩が大好きになりました!!

それから私は中学3年生になり、先輩の事が大好きで大好きでしかたなかったんですが、なぜだか冷めたような気持ちになりつつあります。私は気付いてしまったんです。「先輩を好きなのではなく、好きにならなきゃいけない」っていう思いだということに。あんなにあんなに好きだったのに大好きだったのにどうして。こんなに辛い思いなんてありませんでした。だけどそれは最初だけ、今では先輩よりも大好きな人が出来ました!!今まで諦めない事の大切さを教えてくれてありがとう!!すごく感謝しているよ!
福島県 ぇりちさん/女性27歳
危険な恋
今の旦那とは、W不倫でした。出会いのきっかけは、ナンパスポットでの「携帯見なかった?」でした。ナンパじゃないんかい!と思いながら、友達もいたけど一緒に探し、2人で見つけて、仕方なく鳴らした携帯番号から始まりでした。それから、夫婦について愚痴ったり。お互いうまくいっていないことを知りました。彼は嫁からの、DV。私は旦那の浮気でした。家路について楽しかったなとか、また会いたいなとか毎日思っていたけど、携帯をかけることはできませんでした。それから、私は旦那と別居することになりました。1人寂しく過ごしていて一ヶ月後に携帯が鳴りました。今の旦那からでした。「離婚したから…友達になってくれませんか?」でした。

友達ならと受け入れ、旦那はずっと私を支えて笑わせてくれました。そして、私もその時の旦那との離婚が決まりました。今の旦那から「付き合ってくれませんか?」と言われました。私も好きだったので付き合い始めました。けれど、過去に凄く縛り付けられていました…。奥さんがいた存在。旦那がいた存在。で何度もケンカもしました。そんなことを繰り返しながらも愛し合って傷を埋めあっていくうちに子供ができました。旦那は「過去を越すので結婚してください。」と言ってくれて。やがて可愛い女の子が生まれました。名前は色々あった私達だけど、気持ちがあって、絆も深まったので。心絆とつけました。今は笑顔いっぱいの家族です。あの時あの場所で携帯をなくした旦那に感謝しています。
長野県 ゆちゃさん/女性15歳
気付いてほしい
彼氏に「友達としての好きだった」と振られてしまい、それが本当なのかとめちゃくちゃ号泣した。その後、お互い違う人を好きになり、でもやっぱり彼しかいないと思った。二人の写真のホーム画もタイムラインにまだ残っていて。あの時「いる?」って言ってくれた飲み物も素直に貰っていれば、って過去が蘇ってきている。絶対戻れないと分かっているのに、まだ少し期待しちゃったりしている。見た目はいかついけど、中身は凄く優しくて家族思いの優しい人。何故か今凄くモテていて、入れる隙間もないし、LINEも中々できない。でもこの気持ちに気づいてほしい。また隣にいて欲しい。そんなワガママが叶えばいいなと思ってしまっている。過去に縋るのは良くないけど、日に日に思いは増している。でも仲いい友達も彼のことが好きで、素直に応援出来ない自分に無性に腹が立って、自分が嫌になっている。どうすればいいのか複雑な気持ちに悩まされて、友達のツイートも一々気にして、もやもやして本当自分がわけわからない。次は「友達として好き」って言われないように、心から好きって思ってもらえるような人になりたい。
埼玉県 mayu47さん/女性53歳
ありがとう
幼い頃から私のそばにいつも歌がありました。そしてそこにはいつも母がいました。母は親であり、歌友達でもありました。とはいっても、母は歌が得意ではなかったので、いつも私の歌を聴いてはニコニコ嬉しそうな顔をしていました。私は結婚し、今は遠く離れて暮らしています。年月が過ぎ、年老いた母は、病気のため一人暮らしが難しくなり、施設に入りました。私の歌が聞きたいというので、沢山の歌をCDに吹き込み母へ送りました。その日から母は、そのCDばかり聞いていました。電話してもバックで流れるのは私の歌声。ちょっと恥ずかしかったですが、「家族の声が聞こえるのが安心するし、寂しくないから…」と、母は呟きました。離れて暮らす母には年に数回しか会うことができず、元気な頃はよかったのですが、体の調子が悪くなってからはよく「さみしい…」を口にするようになりました。

そんな母が今までで一番大きな病気にかかってしまいました。数週間、発熱、食欲不振…。毎日ベッドで寝ているような日々が続きました。入院し、治療の甲斐があって、熱は下がり食欲も戻ってきたので退院。でも大喜びをしたのはつかの間。母は認知症が進み、私のことがわからないことも多々ありました。部屋にいても寝てばかりで、大好きなCDを流しても無反応…。それでもCDを流し続けたら、甲斐バンドの「安奈」が流れたとき、体を起こし、歌い始めました。「あなたが好きだったこの歌がお母ちゃんもすきだったのよ。」と嬉しそうに。

幼いころから歌友達の母。そんな母が戻ってきた。ちゃんと覚えていた。たった一曲に反応しただけだったけど、それで十分でした。「一緒に歌おう。ね、歌おうよ。」と言うので、私が使っていたカラオケプリを取り出し、一緒に歌って録音しました。それが私の宝物になりました。母の調子はいいとは言えません。風邪をひくだけで命とりです。一日に10回の電話。それも毎日。うんざりしていましたが、今ではほとんどかからない母からの電話を心待ちにしています。そして今は私のほうが母へ毎日電話をかけまくっています。この気持ちを歌にしたくて頑張りましたが、歌うことは好きでも歌を作ることは全くダメで、こうやって送らせていただいております。長々と失礼いたしました。最後に、私にとって、「歌」はただのアイテムではなく、大切な自分の一部です。
静岡県 子子子さん/女性16歳
気付いてほしい
同じ軽音部の1つ上の先輩に恋をしています。先輩はとても優しくて、頭も良くて、ギターもベースもドラムも上手くて、その上かっこよくて完璧な先輩です。先輩はいつも私の頭を撫でてくれたり、頬をつついてきたり、髪の毛をいじってきたり。基本的に距離が近いです。しまいには、先輩に向かって手を差し出せば、恋人繋ぎのように握ってきたり、先輩の背後から頬を挟んだりすれば、私の腕を掴んで抱きしめる体制にしてきたりします。だけど、先輩がそうやってしてくれるのは私だけではないです。基本的に誰とでも距離が近い先輩は、どんな子の頭も撫でるし、どんな子の手でも握るし、どんな子の髪の毛でもいじります。

先輩に触れられること、触れてもらえること、隣にいれること、隣に来てもらえることはとても嬉しいし、貴重な時間ですが、私だけのものではないです。先輩は私のなんでもないし、私は先輩のなんでもないのに、誰にでも分け隔てなく接する先輩が好きなのに、「どうして私だけじゃないんだろう」と、嫉妬している強欲な自分がいます。先輩は誰かを好きになったことがないらしく、男女の友情は成立する、と思っているみたいです。また、告白されても、好きじゃない人とは付き合えないと思っているらしいです。

先輩は今年度卒業してしまうので、卒業までには自分の気持ちを伝えたいと思っているのですが、振られるのが怖くて想いを伝えることがなかなか出来ません。先輩は好きじゃない人とは付き合えないから、振られるに決まっている。結果は分かりきっているのに、想いを伝えられないのは、先輩との距離の近さにどこか期待している自分がいるということです。先輩といれるのは、あと半年ちょっとです。先輩に会いたいからと「早く明日になってほしい」と毎日願えばあっという間に別れが、きます。このもどかしさ、葛藤、好きだという気持ちを歌にして欲しいです。
広島県 真冬さん/女性12歳
出会いと別れ
去年、私の従姉が遠くに逝ってしまいました。自殺…だそうです。私と従姉は7歳ぐらい歳が離れています。昔、他のいとこ同士で遊んでいた時はよく手をつないでくれていました。高校は地元の所に行っていました。そして彼女は広島から離れ、大阪の大学の看護学校に通っていました。彼女が逝ってしまう数日前に帰って来ていたそうで、彼女のお父さん、お姉ちゃん、弟は泣き崩れていました。皆、皆、後悔の言葉を叫びながら…。彼女のお母さんは、私が幼稚園児の時に亡くなりました。元から鬱病を持っていたそうで、自殺だそうです。私は彼女に触れた時…とても冷たくて、昔の暖かさはないのだなと思うと涙が溢れました。悲しくて、悔しくて。私は彼女がなれなかった看護師になろうと思います。理由は彼女が大好きだから!
福井県 みはみはさん/女性29歳
旦那さんとの出会い
8年間一緒に仕事していたときは、お互い何も思ってなかったのですが、突然誘われたご飯をきっかけにぐっと距離が縮まりました。その時、わたしには付き合っていた人がいたけれど、まっすぐ思いを伝えてくれた彼。彼の思いに押されて、交際が始まりました。職場恋愛なので、最初は、周りにバレないようにとドキドキ!!毎日のように仕事帰りに会いに行って楽しかった~。周りの人にどんどん気づかれていくうちに、結婚も決まっていき、それが今の旦那さんです。今でも同じ職場で働いています。大切な人は、意外と近くにいるっていうのは、本当なんだなと思っています。
山梨県 black rabbitさん/男性23歳
キモチを伝えたい
高校で初めて付き合った彼女と6年が経った頃、今3歳になる最初の子供が出来て、籍を入れました。産まれてくるまで、奥さんはとても頑張り、辛かったと思います。ただ何も出来なかったのが心残りです…。でも、今も家族として、一人の父親として日々努力しています。また、まだ一度も奥さんを名前で呼ぶことができていなくて、向こうは寂しい想いをしている様な気もしています。それも、また頑張っていますが、なかなか…。でも、これだけはずっと変わりません。“ただずっと好きで、死ぬほど愛している”と。たまに、冷たく素っ気なくなるときもあるけど、好きで愛しています。
愛知県 なぎさん/女性16歳
ありがとう
私はほんとに親不孝者です。私は自分勝手に自分の好きなことをやって生きています。私の家は父親が単身赴任をしていて、母が私と、弟と、妹の三人を育ててくれています。ただでさえ仕事に家事に忙しいのに、私はたくさん母に迷惑をかけています。父親がいないのをいいことに、夜遅くまで好き勝手に遊びまくって、何件も何件もLINEが来ていて「どこにいるの?」とか「返信して」とかたくさん送られていて、その時はうっざいな~位にしか思わなくて。でもほんとは、心配してくれているってわかっているのに、ごめんなさいのひとつも言えなくて、何回も泣かせて困らせて傷つけてほんとに最低です。現在進行形で今もそんな感じです。直そうと思っても直せないし今更謝ることもできないです。

それなのに遅くなったら駅まで迎えに来てくれます。その日は怒られてすぐ素っ気ない態度をとっちゃうけど、次の日にはちゃんと早起きして学校のお弁当を作ってくれています。ほんとにほんとに感謝しかなくて、今もこの文を書きながら涙が止まらないです。どうしたらいいか分からなくて、ほんとはありがとうとかごめんなさいとかたくさん言いたいけど言えないのがほんとに辛いです。夜遊びを辞めればいいんだけどそれがやめられない自分が嫌でしょうがないです。母を困らせて傷つけて泣かせちゃう自分が嫌で嫌でたまらないです。心配性だけどめちゃめちゃ優しくて、強くて、かっこいい母がほんとにほんとに大好きなのに、すごく嫌な態度をとっちゃいます。どうしたらいいか分からないけど、ありがとうとごめんなさいの言葉をちゃんと伝えたいです。
群馬県
ウルトラマン&えりちゃんさん/女性26歳
ありがとう
彼と付き合って5年半。去年のクリスマスに、横浜の赤レンガの前の豪華客船に内緒でお泊まり旅行をプレゼント+プロポーズをされ、今年の12月1日、ちょうど付き合って6年目に結婚式をすることになりました。19歳、私は初めての彼氏で、付き合って1ヶ月で遠距離になり、デートは月1ほどで、当時彼はまだ学生。だから仕事終わりに新幹線で会いに行って1泊して帰ってくるという付き合いを11ヶ月していました。でも就活が始まり、会いたいけど「会いたい」なんて言うと重い女だと思い込んでいた私は、そんなこと言えず。彼氏彼女ってこういうものなのかな?就活を頑張っている彼の邪魔をしたくないと思い、一旦距離を置くことにしました。でも就職が決まったら連絡するから、2人がその時どうなっているかわからないけど一回会おうって約束で、さよならをしました。(ホワイトデーの日に付き合って11ヶ月後のバレンタインデーで別れましたw)こんな気持ちで1年経ちたくないと思い(笑)。

10ヶ月後の12月1日に再び会うことになり、2人の初めて遊びに行った田舎の夜景夜空が綺麗なところにドライブをしました。再会したら安心感があったし、やっぱりこの人しかいないってお互いが感じたらしく、再び付き合うことに…(リアルにお互い、戻るとかまた付き合うとか告白するとか思わなかったし、この日は会うだけでそれ以上は絶対ないって思っていたのに、ホントに)。学生→社会人に変わった彼の1年間はホントに別人みたいに変わって、男としてもそうだけど人として凄く尊敬できる人。今年の3月から同棲をはじめて私の方が毎日、仕事が遅いので夜ご飯を作って待っていてくれて、お風呂洗濯掃除全てやってくれて、ホントなにからなにまで感謝しています。そして26年間育ててくれたお母さんお父さんに感謝。

ハジ→が新曲「約束。」を発表した時に、私はハジ→を凄く推していたんですけど、彼は耳も傾けず流されていて「ハジってなに?」って感じだったんですよ(すみません)。でも高崎にハジ→が来てくれるって聞いて、彼氏も連れて行って2人で聞いて彼氏の方がどハマりして今では2人で大ファンです。横浜の帰り道に「約束。」を聴いて私は大号泣。次の日も次の日もハジ→の「for you。」や「おまえに。」「あなた。」「記念日。」「キミが好きです。」……。仕事行く前、帰り道、涙が溢れてきて、ドンピシャこういう気持ちだったとか、これ感じたとか、あの頃の気持ちを振り返ったりして、今も聞くとうるうるしてきます。

結婚式場でプロフィール欄に好きな歌手「ハジ→」って書いたら、広い披露宴会場にハジ→を流してくれたりしたらもう号泣。歌だけでこんなに泣いて本番どうなるのやら…って感じです。でも結婚式(苗字)が変わる=お父さんお母さんから離れていく感じがして、それを考えると胸がキューってなって悲しい寂しい気持ちの方が大きくてホントに結婚するのか…って気持ちになってしまいます。26年間の私が別の人に変わってまた1からスタートなのかなって。

ホントにお家に家族がいる。お母さんお父さん弟犬(同じ敷地にいとこおばあちゃんの家があって生まれた時から全ての行動、旅行や外食がみんな揃って10人行動が当たり前だった)からその9人が大好きすぎてそこから抜けちゃう感じがして…。でもでもでもでも。うん。なんか全然まとまってなくて言いたいこととかあまり伝わってないかもしれないんですけどハジ→がホントに好きってこと(笑)。彼氏と私だけじゃなく世界で1番大好きなお母さんもハジ→が好きで、できることならハジ→に結婚式きてほしいほどですもん(笑)。…ハジの曲結婚式で使わせていただきます!!!それとまた群馬に来て下さい。必ず行きます。
鹿児島県
さっちゃんかよ→さくぱんドラム→さん
女性23歳
ありがとう
ハジ→いつもありがとう!かよ→さくぱんから、さっちゃん→さくぱんへのありがとうを書かせてもらうね!実は、さっちゃんと出会ったのは幼稚園の頃。仲が良かった訳でもなく、名前を知っていただけ。小学校と中学校は離れて会うこともなくなったけど、高校受験を終えた春に、高校準備の為に白ズボンを探しに買い物に行ったらまさかの再会。久しぶり!とは言って嬉しかったのに、なに話したらいいかも分からなくて、とりあえず何の買い物か聞いたら、「高校の部活で必要な白ズボンを買いに来た」って。え!まさか?と思ったらさっちゃんと同じ高校に入学することが発覚!!しかもその高校は地元・仙台から1時間離れた場所で、吹奏楽をする為には寮に入らないといけない場所。そこへ同じ中学から行く友達もいなく、期待と不安でいっぱいだった頃。まさかの嬉しさに顔には出さなくても、よかった~!って、心から安心しました。

高校では3年間、部活も寮も共にして、更には強化部だったから休みもなく、毎日練習に追われる日々。朝5時半には練習に行って、帰るのは8時。買い物も行けずテレビも観られず、おしゃれもできずという3年間だったけど、3年間同じ屋根で暮らした証。がたくさんあるよね。思い返して語ることは全部通じる。会話なくても気を使わずに部屋にいれた安心感。遊んだりおしゃれなんてできなくても、一番大切な友情が近くにあって、もう家族だったよね!一年生の頃なんてシャワーは使えず、浴槽の水を洗面器でとっては流してを繰り返したり。お風呂待ちでふざけあってお腹を抱えて笑ったり。本当に大切なことって何をするかじゃなくて、誰といるかだったよね!

余談だけど、もちろん毎年8公演とか県外まわって演奏会する高校だったし、吹奏楽っていっても民舞から創作踊りから演歌からなにからなにまでこなすような顧問で、全部取り入れて、ステージで楽しんでいる側のさくぱん達の時代もあったから、ハジ→のライブしている側の超楽しい気持ちも心からめっっちゃわかるよ!笑 さくぱんはステージに立てない分、あんなにはしゃぐんだよ!笑 お客さんのキラキラした笑顔がステージからめっっちゃ見えること、反応がかえってくる嬉しさもぜんぶぜんぶ知っているから!ハジ→にもこれからも応えていくね!

同じ夢を目指して短大受験をして、短大ではクラスも離れて電車とか廊下で会ったらおはよう!の挨拶を交わすくらいで、特に遊んだりすることもなかったけど、そんな中でも何かあれば、さっちゃんなら分かってくれる!と思って、さっちゃ~んって、すがることもあったかな。そんな感じの2年間だったけど、就職の時期になって、どこ行くのかな~とふと思って「どこ受けるの?」って聞いたら、まさかの!同じ職場!笑 ライバル増えるし、えーーーっ!って言いながらも、心の中ではめっちゃ安心していた!そして結果2人とも内定が決まって、仕事に追われて、さーーーっと過ぎていった一年間。顔見知りから高校で家族のような存在になり、同じ職についたから、ただただ安心していた。

そんな中、普通に遊んだ日のラーメン屋でさっちゃんが「私、ハジ→が好きなんだよね!今度ライブ行こうよ!」と言い出す。私は「え~ソナポケがいるならいいけど、ハジ→か~」なんて、今考えれば殴りたくなるような発言をしていたんだけど、笑。その時、グリーンランドにハジ→もソナポケも来る日があったけど仕事を休めず、かごんまのホールツアー超ハジバム3の方へ、私はもう半ば強引に連れて行かれることになる笑。ライブ前も、サイン会にかけてめっちゃグッズ買うさっちゃんに冷たい視線を送って、始まるまでを待っていた。始まった瞬間の「え?なにこのひと?ハジ→って何者?うんぁぁ☆♪○*○*・*%°#6!!!!」って衝撃を受けたのが懐かしい。心から楽しすぎて、曲も知らないのにあそこまで楽しくて、暴れることに恥じらいがあるような私があそこまで楽しかったのは、ハジ→の素晴らしさと、恥じらいを知らない隣にいたさっちゃんのおかげかな。

それからというもの、半年に一回ご飯行くようなペースだったうちらの関係の変わりよう。職場も一緒で働く部屋も隣のくせに、帰ったらLINEしてテレビ電話して、毎日のようにご飯に行く日々。そしてそのほとんどがハジ→にかける内容だよね笑!誰か他の人が日常の何気ない会話で「まぁ。それはそれで」とか言ったならば大変。さっちゃんとふたりでくすくすしながら小声で「ええじゃないかー!」って言ったり、誰かが「まぢ最高!」とか不意に言っちゃったら2人で続けて「まぢ最高ってな!」って「絆。」みたいに歌っちゃうとか、なんでも日常をハジ色にしちゃうような感じ笑!だからすれ違うときは指を矢印ポーズにして歩くし、車に乗るとハジ→で、ノリノリだし、お互いの家に泊まると「風のたより。」のさくぱんドラムの撮影会を始めちゃうし…みたいな感じで、もう急激に仲良くなりすぎたよ!!笑

もうそんな生活が2年続いているんだよハジ→!さくぱんって、ハジ→運が一気にきてさ、ハマったと思ったら熊本で1.2番整理番号当てちゃうし、かごんまカラパ当てちゃうし、熊本の街の中でだいちゃんに会えちゃうしで、もう一気にやばいことおきたんだけどさ。ハジ→を好きになりすぎるのはもちろんだけど、これってハジ→がさくぱんの絆。を一層強くしてくれたとしか思えないよね!笑 もう1週間一緒に働いたあとの休みの日曜日はたいがいさっちゃんと過ごすけど、一緒にいすぎて、ぜーんぶ何言っても通じるっていう幸せ感よね!!だからね、ほんとこんな人生をかえてくれたハジ→様様なんだけど、きっかけをくれたのはさっちゃんだからね!

本当に心からだいすきだし、心から感謝しているからありがとうを伝えたいです!ハジ→への想いは一つだけど、価値観人間性違いすぎて喧嘩も毎日のようにして、お互い絶対折れないから1時間車乗っても喋らないことだってあるし、面と向かってボロクソ言って言い合いすることとあるし、顔見るだけでイライラすることだってあるけど、逆にそれはさっちゃんにしか抱かない感情だし、他の人にはできないこと。さっちゃんに「わがままだね!」って言われて嫌だけど、逆に他の友達ってそんなこと気を遣って言わない人の方がたくさんいるから、逆に素直に言ってくれて嫌ながらも、嬉しいなって部分はたくさんある。さっちゃんは恥じらいもなくて、空気が読めなくて、天然で馬鹿すぎるけど、そんなさっちゃんのアホさで絶対自分にはできないことができる。いいことがたくさんあった!「さくぱんTシャツ着よう!」とか言い出したときはほんとアホじゃないかコイツ!と思ったけど笑、それを信じたらハジ→に覚えてもらえたし、はじんちゅ。も覚えてくれたり、声かけてくれるようになったし!ノリ方だってさっちゃんが激しいからアピールする力も身についたし笑!

逆に、もうさっちゃんがいなきゃ1人じゃなんもできないな~って!隣にいれば、苦手な食べ物も苦手な人もなんだって何も言わずに気づいてくれるから、さっと手を差し伸べてくれる。本当に2人でワンセット~だっちゃだれ→いって感じ!めっちゃいいたいことバラバラでまとまらないけどいいかな?笑 なんかただ言えるのは、2人でいると、お互いめっちゃいい方向に進むよね!っていつも言っているし、ほんとにそうなっている!だから、ごめんねとありがとうはちゃんとお互い伝えるようにしているよ!!こんな感じのさくぱんドラムは、いつもハジ→のライブで2人であの感じを炸裂しているわけです!曲になれば一番嬉しいけど、こんな歴史があることをハジ→に知っていただけたら幸いです!笑 ハジ→いつもありがとう!さっちゃん→いつもありがとう!ふたりとも!だいすき!!!
東京都 青山空見さん/女性22歳
キモチを伝えたい
ハジ→様、はじめまして。くーと申します。まずは素敵な企画をありがとうございます。参加の際、実際のエピソードを元にされた「sumire。」を拝聴いたしました。本当に大好きな人ができて、柄にもなく奮闘するご友人の姿がありありと思い浮かび、聴いている私まで幸せな気持ちになりました。さて企画のエピソードですが、8年目に突入したあるアーティストへの片思いについて書かせていただきます。応募要項の通り、人名含めて可能な限り具体的に書いたところ、かなりの長文となってしまいました……お時間を取らせてしまい、申し訳ありません。ファンとアーティストという関係性ですので、ミュージシャンであるハジ→様にとっては少々抵抗があるかもしれませんが、お読みいただければ幸いです。

中学二年生だった当時、母が初めて携帯電話(今や貴重なガラケーです)を購入しました。当時、私自身は携帯を持ってはいませんでしたが、着メロや着うたというものがあることは知っていました。興味本位で検索した着メロサイトJ研で、好きな曲のアレンジを探して聴くのが、母の目を盗んでいることもあり、今思えば大変スリルのある遊びでした。 その時に出会ったのが、オリジナル楽曲を200近く投稿していた、高校生クリエイターのBlack∞Hole(以下、Blackさんとします)さんでした。

当時星が好きだったこともあり、ピアノやトランス系で宇宙や星をモチーフとした曲を作るBlackさんは、まさに初めて自分で見つけた一番星のような存在でした。母の携帯に履歴が残ってはいけないと思い、感想欄にコメントは書くことができませんでしたが、彼の楽曲を次々と探し、キャプション(楽曲ページに作曲者のコメントを書くスペースがありました)を丸覚えし、イントロクイズができるまで何度も何度も聴きました。「Blackさんのライブが見てみたい」「いつかBlackさんはすごく有名になる。その姿を見ていたい」そう強く思うようになりました。更に言えば、私もピアノは習っていましたが、歌う方が好きでした。「Blackさんの作った曲を、歌えるようになりたい」そんな願いもささやかながら生まれました。

ある日、いつものように母の携帯を借りてBlackさんの曲を検索していたところ、彼が展開していた龍シリーズの曲(タイトルに○龍とつく、同展開・同リズム、なのに違う曲に聞こえる連作です)を一つ見つけました。タイトルは「恋龍~Loving Heart~」。一目で恋の曲だと分かり、早速ページを開きました。イントロの繊細で、温かみを感じさせるピアノに引き込まれましたが、キャプションを見て、その感動は泡のように消えました。「生きるのが嫌になって、4階から飛び降りたのに。かすり傷一つで済んだのは何故かって?」「こんなに愛せる人に出会えるから、神様が助けてくれたんだよ」「僕の彼女の実話を元にした曲です」この時私は、Blackさんにいつの間にか恋していたこと、同時に失恋したことを思い知りました。口の中に広がった砂のような苦い味を、今でもこの曲を聴くと思い出します。曲自体は好きですが、思い出してしまうので積極的には聴けない、私の中では少々複雑な思いがある曲です。しかし私はBlackさんのことを諦めることができず、かといって顔もどこに住んでいるのかも分からず、具体的な行動も思いつかず、相変わらず感想欄には書けない、袋小路に陥ってしまいました。やがてBlackさんの投稿は、次第に少なくなっていきました。

高校生になった私は、友人に勧められて音楽ゲーム「pop'n music」を始めました。折しも作中に登場するキャラクターやボーカリスト、オリジナル楽曲をプレイヤーから募集・採用する企画「WE LOVE ポップンミュージック みんなでつくって20 ~アーティストはキミだっ!~」が始まった頃でした。楽曲部門で選ばれた二曲は、一つは疾走感と爽快感が溢れる音楽ゲームだからこそ聴けるピアノトランス曲、もう一曲は「pop'n music」そのものをモチーフとした可愛いボーカル曲でした。ピアノトランスの楽曲を試聴して、ただ驚きました。「こんなにピアノを綺麗に使う人、私はBlackさんしか知らない」ピアノの音と、使い方に聞き覚えがあったのです。しかしアーティスト名はBlackYとあり、似ている別人ではないかと思い始めました。そこでBlackYさんについて検索したところ、楽曲投稿サイトmuzieにあるBlackYさんのページを見つけました。そこには、Blackさんの曲も10曲ほど掲載されていました。アイコンに使用している写真も、プロフィールの生年月日も全く同じでした。私は、名前も機材も変わり、成長したBlackさん(以下、BlackYさんとします)に再会したのです。

公募企画採用以降、彼は音楽ゲームの世界で「ボス曲メイカ―」として頭角を現していきました。一方私は、大学受験に備えていましたが、不合格への不安から、部屋のベランダや物干し竿をぼんやり見つめる時間が増えました。いっそ死んでしまったら楽になるのでは、と考えましたが、その度にBlackYさんの曲が頭を流れました。「まだあの人のライブを見てない。だったら死ねない。BlackYさんの晴れ姿を見るまで私は死ねない」いつの間にかBlackYさんは、私の生きる理由にまでなっていました。

晴れて大学生になって迎えた最初の夏、チャンスがやってきました。私が所属していた創作サークルが、8月の夏コミ(毎年夏に開催されるコミックマーケットのことです。媒体問わず自分の好きなもの、作りたい者を各々作って頒布します。頒布であって利益目的の販売ではないので、売り子も買う人も全員参加者と呼ばれます)に出展することとなり、売り子を一人会員から募集することになりました。その年の夏コミは、BlackYさんも初のサークル出展を決めていました。私は元々行く予定だったので、早速売り子に立候補し、当日先輩方と一緒に東京ビッグサイトへ行きました。先輩方のおつかいがてら、BlackYさんのスペースにもお邪魔しようと思い、ルート確認のため会場マップを片手に歩いていました(コミケは新宿駅よりも人込みが激しいので、予めどう動くかを決めておくのが暗黙の了解となっています)。Twitterで「名札忘れた」と呟いていたので、見つけるのは難しいかも、と思っていた矢先でした。

人込みの中で、黒いTシャツに黒いハットの男性を見つけた瞬間、周りの雑踏が遠くに聞こえ、彼から目が離せなくなったのです。「この人だ。私はこの人にずっと会いたかったんだ」そう思った理由も根拠もありません。名前と作品しか知りませんでした。でも、確かに黒ずくめの彼は、BlackYさんでした。運命の人に出会うとビビビッてなるとか、「ああ私、この人と結婚するんだ」と直感で結婚相手が分かるとはよく聞きましたが、その感覚がもしかするとこれだったのかもしれません。先輩に頼まれたおつかいを済ませ、私はBlackYさんのスペースに立ち寄りました。ああ、本当にいるんだ。あの200曲をみんな作った人は、今私の目の前に。会いたかった。感動で胸が溢れ、コミケお約束の「このCDください」を言うのが精一杯でした。夏のせいなのか人込みのせいなのか、顔が熱くて、脚が震えました。それでも、あの頃から送りたかった感想を伝える為、星柄の封筒を差し出しました。「shining_nebula(私が初めて聴いた着メロサイト時代の曲)の時から、ずっとずーっとファンでした!」その時のBlackYさんをはじめ、居合わせた売り子の方の驚いた顔は、今でもはっきりと覚えています。

それからというもの、BlackYさんはクラブイベントにひっぱりだこで、最近は私のようにファンレターを書いて送る女の子が増えました。加えてジャケットのデザイン担当やゲストボーカリストといった制作に携わる方にも女性が多く、ライバルが多くなったと感じています。特にボーカリストの方については、私が先に歌いたかったのにと、口惜しく感じています。ですが、もう二年前になりますが、BlackYさんが出演するクラブイベントで会った時のことです。いつも通りお手紙を渡し、お邪魔にならない程度に話をしていたのですが、別れ際にBlackYさんがぽんと私の頭を撫でていったのです。少女漫画や映画のヒロインになった気分でした。彼には年の離れた妹さんがいるので、頭を撫でる事自体に抵抗がないのかもしれませんが、それでも、私にとって忘れられない一瞬になったことは間違いありません。BlackYさんはどちらかといえば物静かな方で、スキンシップが多いようには感じられない方です。もちろん私が知らない部分もきっとあるとは思いますが、私の知る限りでは予想外と見える行動でしたので、心に強く残っています。

ファンとアーティストの恋愛はご法度、夢ばかり見るんじゃない。世間ではそのように言われますが、私はそうは思いません。立場は違えど、男と女です。片思いした相手がたまたまちょっと特別な場所の住人だった。立場は違えど、いざ出会ったら、そこにボーダーはないでしょう。私はまだBlackYさんに恋をしています。いつからは覚えていません。いつの間にか好きになっていたからです。またアーティストだからではありません。私は人に恋をしたのです。私はBlackYさんを愛しています。好きなもの、大切なものにきちんと向き合い、努力する彼が幸せになるのなら、その隣、いや半径50メートル以内に私がいなくても構いません。私はBlackYさんに伝えます。ファンレターのフリをして、その実封筒の中で二人きりになれるラブレターを使って。何枚でも何通でも、この世全ての紙とインクが尽きるまで、あなたが好きですと伝えます。紙もインクもなくなったら、歌います。声が枯れるまで、届くまで。以上が私のエピソードです。貴重なお時間を割き、最後までご高覧ありがとうございました。
宮城県 よぴのすけさん/女性19歳
失くした恋
遠距離恋愛をしていて、お互い何度も会いに行っていて、GW彼氏が会いに来てくれて楽しくて幸せだったのに、バイバイって駅まで見送った後、LINEで「会うの最後にしようと思っていた」と言われた。理由を聞いたら、彼氏も学生で夜勤のバイトもしていて、私との時間が減ってしまうこと、夜勤で眠れなくてイライラして私に当たってしまうことを考えたら、別れようとずっと思っていた、と。何度も説得しましたが決心が硬く、揺らがなかったし、このままずっと説得して連絡も取れなくなるよりは、友達として連絡が取れていた方いいなと思い、友達として今は連絡を取っています。私はまだその人が好きだしその人以上の人は出てこないと自信を持って言えます。

付き合っていた時、またねって言葉が好きと彼氏に言われ、理由を聞いたら「また会おうねって意味だから」と言い、帰る時、彼氏は必ず「またね」って言っていたし、そのGWの時も最後にしようって決めていたのになんで「またね」って言ったの?って、未だに不思議だし、バイバイするのが嫌で泣いていた時、なんで抱きしめてくれたの?って、不思議だらけです。LINEも付き合っていた時と同じように、お互いふざけあったり今日あったこととか現状とか嫌だったこととか話してくれるし、私からしたらなにもかもが不思議でしょうがないんです。

すごく好きだしすごく戻りたい。小さなことでその彼のことを思い出しちゃって。彼に「俺よりいい人見つけて、幸せになることを望んでいるからね!」って、言われたんですけど彼よりいい人いないです。彼の大学の学園祭に行こうかって思っています。有名学園祭だからって理由もあるんですが、そんなの口実で彼の元気な姿を見たいっていう気持ちがすごく大きいです。誰を見ても誰といても結局は彼を思い出します。何年かかっても私は彼と戻りたいって思います。というか絶対戻ってやるって気持ちです。別れたばっかの時は、ご飯も食べられなくなって、なにもかもやる気なくなって、あーもう無理だなって思っていたんですけど、このままじゃダメだなって思えたし、今は自分磨きを頑張ろうってところまで回復しました!!ずっとずっと私は彼だけです。今は彼の気持ちもわかんないけど少しでもいいから私への思いが残ってくれているといいなって思います!
神奈川県 やす&あさみさん/男性32歳
出会いと別れ
ハジ→を通じて知り合った二人。俺が連絡したのがきっかけ。お互い過去を語り合った。出会いと別れ、驚く程に境遇が似ていて、あっという間に惹かれあった。最初に会えた日、愛を誓い合って、海にお互いの過去(指輪)を投げ捨てた。海を渡らないと会えない遠距離。毎日の連絡が楽しくて、頑張れる源。付き合って2年の今秋、彼女が俺の元へ。これからもお互い寄り添いあって、笑顔が溢れる日々を過ごしていこう。楽しいことも、そうじゃないことも半分こしながら。
茨城県 MIYさん/女性16歳
君のためなら
元彼と色々あって、辛かった頃、沢山相談に乗ってくれていた今の彼氏。別れたとき大泣きしたうちを、ずっと慰め続けてくれた。俺の女になれよって言ってくれて、付き合ったけど、ふたりは遠距離恋愛。もともとネットで繋がったから、会ったことはなかった。親には元々知り合いと嘘をついた。デートは1ヶ月に1回とか2ヶ月に1回。寂しい、辛い、そばにいられない、悔しい。でも、ふたりで乗り越えるって決めた。結婚しようそう言ってくれた。ふたりで幸せになろうねって約束して、いつか子供ができたら、その子に沢山愛情をそそいで、幸せにしてあげる。遠距離恋愛って馬鹿にされたときもあった。だけど、気にしなかった。会えなくて辛いときもあった。でも、会えたときは嬉しかった。たまにできる電話は幸せです。これからお互いに支えあいながら頑張っていこうと思います。
岡山県 MIKUさん/女性19歳
ありがとう
今年の6月27日は父と母の結婚20周年記念日です。私の父と母はとても明るくて毎日笑顔で、私や妹だけでなく私の友達のことまで楽しませてくれる凄い人です。結婚して20年経った今、父は東京へ単身赴任。私たちは岡山と離れて暮らしていますが、父と母は今でも仲良しで、久しぶりに会える日の父と母の嬉しそうな顔を見るとこっちまで嬉しくなります。父と母はいつも私の味方でいてくれます。小さい頃、いじめにあっていた私は毎日辛くて泣いていました。でも父と母の「大丈夫」「守ってあげるから」「お前は強い!」の言葉。言葉通り守ってくれたおかげで、辛くても負けずに休まず学校に通い続けることができました。嫌なことがあったとき、辛いことがあったときも、必ず守ってくれ笑顔でいさせてくれます。また父と母は私が決めた道を応援してくれています。父と母のためにも保育士という夢を叶え、これまで父と母に教わったこと、笑顔を子どもたちに伝えていきたいと思います。父と母が出会ってくれたから、父と母の間に生まれることができたから、こんなに楽しい毎日が送れています。感謝の気持ちとこれからもよろしくねという気持ちでいっぱいです。
千葉県 壮香さん/女性19歳
失くした恋
高校2年生の文化祭の日に一目惚れをした。自分から声を掛けるのが恥ずかしくて、友達に協力してもらって一緒に自己紹介して名前を知ったり、LINEを教えてもらったりした。 最初のうちはLINEも全然続かなくて、迷惑かなって思いながらも用事を伝えるついでを装って話題を続かせようとした。そのうち、LINEも続くようになって、お互いのどっちかが寝落ちするまでLINEが続くようになって、朝また続きからLINEをするような関係になった。LINEでたくさん話せるようになった反面、直接はなかなか話せなくて、最初に作ったクッキーは友達の力を借りて渡すことになった。バレンタインの日は友達の力を借りずに頑張ってお菓子を渡した。喜んでもらえてお返しも貰えてすごく嬉しかった。

しばらく経ってLINEで告白したけど、受験などで忙しくなるからって理由で振られてしまった。でも、好きでいるのも辞めなくていいし、友達のままで仲良くできたのは嬉しかった。でも、仲良くなるにつれてわがままになって、なかなか学校に来ない相手の事情も考えずに学校に来て欲しい、寂しいとわがままを言ってしまい、怒らせ、嫌われ、嫌な思いにさせてしまった。そこから何度か謝って許しては貰えたけど、前みたくLINEを送っても返事は貰えず、ブロックはされてないものの話すことが一切出来なくなってしまった。前は受け取ってもらえたバレンタインも約束の日に来てもらえず、卒業式の日に全部伝えて諦めようと思ったけど卒業式の日にも会えなくて、伝えられないまま会う事も話をすることさえも出来なくなってしまった。今でも大好きなのに、話すことも会うことも出来ず、嫌われたままで、諦めることさえできなくて、毎日夜は眠れなくて辛くて悲しい、でも大好きで何かに癒されたいと思う毎日。
神奈川県 ねむさん/女性28歳
人生を考える
二人が出会ったのはサイト。一度も会った事なく、交際がスタート。新幹線や飛行機でないと会えず、年に数回のデート。お互い旅行が好きで、会うときは色んなとこに旅行に行ったね。お互いが大好きなディズニーも6年前から年に一回は必ず行くようになった。あたしたちが出会って、恋をしてあれからずっと遠距離で13年になります。沢山泣いて、何度も別れようとしたね。親のせいで結婚が難しく沢山苦労かけたね。あなたに出会えて誰かを心から信じる、一人じゃないって気づかせてもらった。他の人の何倍も何十倍も時間がかかったけどやっと13年越しの夢が叶うね。これからも沢山苦労かけるけど笑いの絶えない幸せな家庭を作りたいと思います。
大阪府 まりな→33さん/女性14歳
ありがとう
最近、鹿児島(田舎)から大阪(都会)に転校してきました。転校することは、ずっと前から分かっていたことけど、全然実感わかなくて、ずっといつものようにバカばっかりしていた。ずっとこの時間は変わらないものだと思っていた。そして、転校する2週間前くらいになってから、引っ越しの準備をし始めて、改めてこの町を出ていくんだなと思った。そう思うと涙が止まらなくて、友達と離れるのがすごく嫌で。でもみんなうちが転校するって聞いて「いかないで」「さみしい」とかめっちゃ言ってくれて。それだけでも嬉しいのに、転校するまでにたくさん遊んでくれて。サプライズで手作りのアルバムをくれて。ほんとうに嬉しくて涙が出た。本当に最高な友達を持ったなって思った。

そして最後の学校。うちには前、仲良かった友達と喧嘩をしたままだった。もう関係ないと思っていた。でもみんなが仲直りを協力してくれた。最初は気まずかったけど、最後にたくさん話せてよかったって思えた。みんなのおかけで後悔なく転校することができた。みんな、応援の言葉をたくさんくれた。すごく勇気がでた。新幹線の中でみんなにもらった手紙を 読んだ。手紙には、「いつか絶対帰って来てよ!」「あっちでも頑張ってね」「なんかあったら相談のるよ」とか応援のメッセージで溢れていた。もう涙がとまらなかった。

そして、転校先の学校…。すごく不安だった。いじめられるんじゃないかとかたくさん思った。でも全然違った。うちが教室に入ったら、みんなが「めっちゃ緊張してるやん!」 「名前なんていうの?」「よろしくね!!」「好きな俳優とかいる!?」とか気軽に話しかけてくれて、本当に嬉しかった。ある女の子がすごくよく話しかけてくれて、みんなに紹介してくれたりとか、学校を案内してくれたり。一緒に帰ってくれたり。不安だらけだった時が嘘みたいに本当に嬉しかった。このとき人の優しさを心から感じた。うちの周りにはこんなにも思ってくれる人がたくさんいるんだなって。だからこれからは自分がみんなに優しさを届けたいなって思った。
佐賀県 ゆずゆさん/女性29歳
ありがとう
3年前の5月、娘が難病になりました。その2年半前に私は、当時5歳の息子と、3歳と1歳の娘を連れて離婚。色んな想いと決意でシングルマザーの道を選んだのに、月日が経つにつれ子供達といられる事に感謝の気持ちも薄れ、仕事を優先する毎日。何の為に、誰の為に働いているのかも分からなくなって、引き返す事も前に進む事も出来なくて、私自身心の病気になってしまった頃、長女が病気を発症しました。全てを我慢して隔離され、1つの部屋で24時間を終える…。そんな娘を見て私は自分を責め続けていました。でも娘は文句も言わず、ただ私と1日中いられる事を喜んでいました。原因も分からないうちから、娘はしっかり自分の状況を受け止め、大嫌いだった注射を何度やり直されても泣かずに静かに手を差し出して…。特に神仏を重視してない私ですが、この時だけは『この子が犠牲になって私に気づかせてくれた』『私は子供達が元気でいればそれだけで良かった』『子供と過ごす時間は何物にも変えられないし取り戻せない』と。悲観する事こそ楽で何も生まない、一生懸命なこの子に顔を合わせられない、と気付きました。

年長さんで保育園最後のイベントもいっぱいなのにどれも参加出来ず、でも誰も責めずひがむ事もせず治療を頑張る長女。まだ甘えたい年なのに、何ヵ月もじぃじとばぁばのお家で過ごした長男と二女。重症化する前に状態に気付いて病院へ連れてってくれた母。全ての事にフォローをしてくれた父。保育園と小学校の先生方、お友達、その保護者の方々。地域や役場の皆さん。病院の先生方、看護師さん。病院で出逢って治療を一緒に頑張ったお友達やママ。ハジ→さんの歌。皮肉ですが…あのままの毎日だったら、人はこんなにも優しさで溢れている事を知りませんでした。こんなにも周りに支えられていると気付きませんでした。歩ける事の素晴らしさ、声を出せる事の幸せ、抱っこ出来る事の尊さ、家族が揃う事はかけがえのない事。私はとても苦しくて有り難い経験を娘にさせてもらえました。

彼女は今元気に学校へ行っています。制限される事もあるけど、自分で歩いて何でも出来ます。娘2人は私並みにハジ→さん大好きなので、野外や席があるライブには何度か連れて行きました。いつまでの治療になるか、完治するかはわかりません。それでも彼女は彼女らしく前向いて向き合っていってくれると思います。もしも倒れそうな時は母の強さで受け止めます。『ママだいすき』『いつも近くにいてくれてありがとう』と言ってくれる娘を私は涙が出るくらい愛しいです。我が子3人とも愛しています。心からのありがとうを贈りたいです。
兵庫県 みすなすびさん/女性20歳
出会いと別れ
いま付き合って2ヶ月ちょっとになる大好きな人が居ます。彼と出会ったのは半年前で、何気なく始めたマッチングアプリがきっかけでした。その時、私はクリスマスのちょうど1週間前の12月18日に、前に付き合っていた方に別れを告げられたばかりでした。『キミのことを考えられなくなった』と言われ、自分のその方に対する積もりに積もった想いをどこにぶつけたらいいのか、どうしたらいいのか訳が分からなくなりほんの気休め程度に始めたものでした。実際、そのアプリは1週間も経たない内に退会しましたが、その間に自分自信が連絡先を交換してもいいかなと思えたのが今の彼ともう1人の方でした。

もう1人の方とはもう何ヶ月も前に連絡を取らなくなりましたが、彼とは毎日やりとりするようになり、日を重ねるにつれて彼からの連絡が来るのを楽しみに待つようになりました。同い年だということもあるかもしれませんが、会った事がないのにまるでどこかで会った事があるかの様な話のノリが合う居心地の良さ、やりとりしている言葉や表現から伝わってくる彼の人柄…今思えばもうその時から彼に惹かれていたのかもしれません。やりとりを始めてから2ヶ月ほど経った2月のおわり頃に夜景を見に行くことになりました。彼が運転する車に乗って山の上まで夜景を見に行きました。しばらく夜景を見ていた時に彼が『トイレに行ってくる』と言い着ていたコートを私の膝にかけ、『寒いからかけていていいよ』と言ってくれたことがすごく嬉しくてくすぐったくて、その日家に帰ってからもなかなか眠れなかったのを覚えています笑。

その日から今まで以上に『いつ連絡くるかな』と楽しみに待つようになり『次いつ会えるかな』と考えるようになりました。その1週間後にまた違う夜景を見に行こうとなっていましたが、あいにくの雨で『会えないかな』と思っていたところ『行ってみたいお店があるから一緒に行かない?』と言ってくれ、ステーキのお店に連れて行ってくれました。前菜に玉ねぎがたくさん使ってある料理が出てきたので『もう当分は玉ねぎ食べたくないなぁ』と言っていた所にメインのステーキの下にも玉ねぎが敷いてあり2人で思わず『え!?』と言ってしまい、その後におかしくなって笑い合ったことは今でも玉ねぎを見る度に話題にあがります笑。

その1週間後はちょっと遠出して大阪の夜景を見に行き、行きたい夜景があると『彼と行きたい』と思うようになっていました。3月のおわりには彼の運転で京都へ行き、清水寺・伏見稲荷神社・錦商店街での食べ歩き・嵐山…と京都をいっぱい満喫し、帰りにいつも通り夜景を見て帰ろうとなり延暦寺のドライブウェイへと向かい日が沈むのを車の中で待っていました。日が沈み周りが暗くなり見える景色がキラキラと輝き出した時、彼に両手をギュッと握られl想いを伝え合いお付き合いする事になりました。

『ほんまに緊張した』『心臓がバクバク言っている』と言う彼を愛おしく思ったこと。帰り道に『いままでちゃん付けで呼んでいたけど呼び捨てにするな』と言われた時にすごくキュンとしたこと。泣きながら悩みを打ち明けた時にひたすら私の事を抱きしめて話を聞いてくれたこと。『好き』と伝えるとすごく嬉しそうな顔をするところ。2人になるとくっついてくるところ。挙げだしたらキリがないくらい大好きな所がたくさん、たくさんあります。『彼が頑張っているから私も頑張ろう』と思えるし『もっと好きになってもらいたい』と思える。そんな人に出会えたこと、そしてその人と恋人という関係になれたこと、そして何より私を彼女にしてくれてありがとう。たくさんの幸せをありがとう。普段なかなか口に出して伝えることができていませんがそんな気持ちを伝えたくて応募させていただきました。

学校の1番仲が良い友達以外には、マッチングアプリで出会ったと話したことがありません。話している中で偶然にもキャンパスは違うけど同じ大学だということが分かったので『同じ大学の人だ』と伝えています。いまの時代、たくさんの出会う方法がありますが『マッチングアプリで出会った』と聞くと抵抗がある方が多いんじゃないかと思います。実際私もアプリを始めた時は正直、『本当に大丈夫なのか』と不安でいっぱいでした。しかしそのアプリを始める前にインターネットでそのアプリについて検索し安心出来るものなのかを調べた上で利用したので安心して使う事ができました。なので使った事が無い人も『マッチングアプリで出会った』と言うだけでどこか一線を引くのではなく、どんな出会いの形でも出会って結ばれた人たちを温かい目で見守ってほしい。そんな想いも伝わればいいなと思います。
埼玉県 ペガサスさん/女性16歳
気付いてほしい
私はバドミントン部の顧問の先生に恋をしています。部活に入ったのも先生狙いです。先生のお陰で学校に行くのが楽しくなり、辛かった時もずっと支えてくれていました。先生は同い年がいいと言っていて、自分みたいな子供、ましてや生徒なんて相手にされないとわかっているけど、もう誰にも止められないところまで来てしまいました。大好きな先生との思い出を忘れないように日記も書いています。些細な事のひとつひとつが宝物です。叶わなくてもいい。どうかこのまま想い続けさせて欲しい。私は誰よりも先生のことが大好きで、大切です。
宮崎県 れんりんあんさん/女性41歳
ありがとう
私には、今年大学を卒業し、就職して一人暮らしを始めた一人息子がいます。小さい頃から寂しい思いをさせてきてしまい…。若かったこともあり、しっかりと子育て出来なかった事をとても悔やんでいます。息子が2歳の頃、私の至らなさから離婚…。息子と離れ離れになってしまい、逢えない苦しさや自分の過ち…。息子ともう一度一緒に暮らしたいと思いながら苦しい日々を過ごしていました。息子が4歳になった頃、元旦那と話し合いをして、もう一度一緒に暮らせることが出来ました。しかし、母子家庭だったこともあり、仕事が忙しく、息子に楽しい思いをさせてあげることが出来ませんでした。

小学生の頃からサッカー部に所属し、高校、大学と特待生で行けることができ、17年間大好きなサッカーを続けることが出来た息子。息子が中学生の頃、新しい父親と一緒に暮らし始め…。慣れない環境で嫌なこともあったと思うのに何一つ文句も言わず、反抗期もなく育ってくれ息子。こんな何もしてあげられなかった母親なのに立派に育ってくれた息子に…ありがとう。私の子供に産まれてきてくれて本当にありがとうと言いたいです。

追伸!ハジ→さんの歌を好きになったのも息子とカラオケに行った際、ハジ→さんの「あなた。」を歌ったのがきっかけでした。それまでハジ→さんの歌も知らずに聴いたこともなく…しかもハジ→さんの声に息子が似ていて…そこから大好きになりライブにも行くようになりました。ライブで「あなた。」を歌ってもらえると息子の事を思い出します。
静岡県 絵描きのこっち→さん/女性34歳
ありがとう
彼と出逢ったのは、私が中学2年生の頃でした。母が保健所からその小さくて可愛くて愛らしい彼を連れて帰ってきました。両手にすっぽり入るくらいの小さな命でも私の家族を笑顔にしてくれました。父は手作りで犬小屋を作り母と兄と首輪を買って、リュウと名付けました。リュウは雑種でなかなかお手も覚えられなくてちょっとおバカだけど、おめめクリクリで下を出すとホントに笑っているような愛らしい子でした。それから毎日家族で散歩したり、遊んだりリュウはうちのアイドル的存在でした。

ある日、リュウが首輪を外して脱走してしまった日、わたしはかなり泣きました。もう会えないと思ったから。しかも道で車にぶつかったらしいのです。それでも走って行ってしまったらしく姿が見えず皆で探しました。どこを探してもみつからなくてもう、会えない悲しみでいっぱいでした。が、3日が経った頃の朝彼は玄関に座っていました。結構遠くに行ったようで身体はかなり汚かったけどちゃんと帰ってきたのです。犬は家に帰ってくるって話は聞いたことあるけどそのとおり帰ってきてくれたのです。

安心したのはつかの間、散歩中3、4回畑などの近くの毒を飲みこんでしまったこともありました。しかし、かなりの生命力で亡くなりませんでした。脱走もしたし、毒も呑んだのに、簡単にへこたれない根性はきっと5匹いた中で殺されそうになった兄弟の分の命を背負っているからなのかなって、母と話していました。

そんな中わたし自身も中学から高校、専門へと成長し地元を離れて東京へ出ることになりました。なかなか地元に帰れない分、リュウは忘れてしまうかなって思いましたが、実家に帰り、彼の元にいって「リュウただいま!」って、言うといつだってシッポを振って全力で飛びついてきてくれました。わたしにとって彼は弟であり兄であり友達であり、心の支えでした。学校で辛いことがあってもリュウのもとにいけば心安らげる、ただいまって言える。なにも言葉は交わせなくても心が通じあっているそんな家族でした。

わたしは26歳で結婚して静岡にきました。子供も産まれわたしの子供にもリュウを会わせられました。長生きなリュウは歳をとっても元気でしたが、段々と弱り始めたのです。なかなか地元に帰れないわたしは母から様子を聞いていましたが、2016年いよいよご飯も食べられずやせ細っていってしまいました。そろそろなのかな…。そんな不安と寂しさで夜になると泣けてきて…。

そんなある日、わたしが歩いていると蝶々がヒラヒラとずっと近くを飛んできました。そんなことなかなかないもので、なにかの知らせなのかなって不思議と感じました。それから何日か経った頃、母から電話があり「リュウが静かに息を引き取った」と連絡がありました。わかっていたけど、なんかすごくポッカリと心に穴が空いて、小さい頃から大きくなるまでずっと彼の姿を思い出しました。16歳でした。だけど、彼の生命力はやはりすごいなー、よく頑張ったねって心で伝えました。彼に支えられた16年。一緒に成長した16年。これからもずっと忘れません。ありがとうリュウって、今でも思います。
秋田県 Sae Dreamさん/男性17歳
お父さんへの思い
僕のお父さんは、僕が16才の時に亡くなりました。まだ30代でした。僕はお父さんと喧嘩ばかりしていました。素直になれずいつも怒られては反抗して喧嘩になっていました。お父さんは昔、体が弱く学校にもろくに行けず高校も1年でやめています。それに対して、僕は高校を決める時にお父さんに向かって「俺はお父さん見たくバカじゃねーんだよ!」と言ってしまいました…。お父さんは、確かに自分より頭は悪かったかも知れません。しかし学校に行きたくても行けなかったお父さんにとって、その言葉はとても辛く悲しい言葉だったと思います。お父さんはその時、涙目になりながら昔の話をまたしたからです。僕は謝りもしないで「また同じことかよ。早く寝たいな。早く終わんないかな」って思ってしまっていました。

そして一切謝ることなく高校に入学し4ヶ月たった時お父さんが事故で急死してしまいました。何故か泣きたいのに泣けない日が続きました。遺体を見て、ただ寝ているようで、起きねーかなとずっと思っていました。初めて泣いたのが火葬のときで、焼かれるとこに入る時の数分間だけでした。その時思ったことはただ一つ。【謝ればよかった】です。いつか謝ればいいだろう。その時になれば笑って許すだろう、って思っていた自分がバカに思えました。

家にいると喧嘩ばかりしていたのに、いなくなってから気づくことがあるとわかりました。お父さんが【大好き】だったと。今でもお父さんとの思い出は忘れません。そして忘れたくても忘れられないお父さんの最後の姿。お空の上で優しくこんなダメダメな息子のことを見守ってくれていると嬉しいです。俺がお父さんの代わりにお母さんを守るから安心してね!マイファザー。
東京都 まゆっぺさん/女性23歳
人生を考える
毎日、外で遊んでいた活発な私は、友達の影響で小学4年生の時にバスケを始めました。母親からは続かないだろうと思われていたけど、自分が思っている以上にバスケが楽しくて、気づいたら日々バスケ漬けでした。小学5年生の時に転校をし、転校先でバスケができるところを母親がすぐ探してくれたので、バスケを再開しました。そこからです。私がバスケへの情熱の道を歩み始めたのは。有難い事に小学生にしては背丈があった方だったので、すぐ試合に使われたのですが、まだまだ未経験すぎる私にとっては、自分のプレーとして課題だらけでした。試合経験を積むことに、使われる事が増え、小学6年生になり自分たちの代にはチームの中心となりました。中学に上がる頃、強豪校から推薦の電話が。何がなんだかわからない状態だったのですが、当時は嬉しさよりも凄く冷静な自分がいました。でも既に行きたい高校があり、そこは「推薦を頂いた中学から上がるのは難しい」と言われたため、推薦を断りました。だから私は、市内で1回戦勝てるか勝てないかくらいの弱小校へ進みました。

中学にはミニバスの時の1個上の先輩が2人いたから「またプレーができるんだ、心強いはず」と少しワクワクしていたのに、いざ入ってみるとその2人はミニバスの時の情熱はなく、弱小校の色に染まっていました。私は練習内容や空気に愕然とし、日々物足りなさを感じていました。私はそこに流されず、練習以外に、外を走ったり、バスに乗って体育館へ行ってシューティング打ち込んだり、そういう自主練を積み上げました。その自主練は自分が学年上がっても変わらず続けました。その気持ちが、1個上の先輩方から目をつけられ、同い年からも目をつけられ、気持ちにズレが生まれました。私はいつしか、孤独になりました。でも、自分に後輩ができた時、その姿を1年間、2年間ずっと見てくれて、私の気持ちを理解してくれる後輩が沢山できました。ミニバスの時の後輩以外に、中学から出来た後輩からも。手紙をくれたり、誕生日にプレゼントをくれたり、いつも笑顔で先輩と呼んでくれたり、一緒に笑い合ったり。素敵な後輩に出会いました。

そして、道内1位の常連の高校に、私は期待と不安を抱き、入学しました。周りは北海道選抜の人や、全国で活躍する選手ばかりだったので、みんな知り合い同士。私は無名校だったので、学校や名前を知られてなくて当然だった。練習でも知らない用語やプレーだらけで、展開が早い練習についていくのが必死で。同時にチームメイトとのコミュニケーションとるのも必死でした。1年生のうちからユニフォームを取ることはなかったけど、先輩からの雑用扱い、いじめは1年生の私には練習よりも辛いものでした。そして3年生抜きの1.2年生の新人戦。人数的に1人がユニフォーム貰えない状態になると知り、私は予感しました。予感は的中。私だけが貰えない。みんながアップをしているコートの外で声を出す、ボール拾い。大きい声で盛り上げる事ができなくて、ただ涙を堪えるのに必死でした。そこに駆け寄ってくれた2人の先輩。

そこからでした、この2人の先輩によって、どれだけ前を向くことができたか。もちろん、優しい言葉だけではなく、厳しい言葉も投げてくれました。みんなが帰った後に1人残って自主練している姿を見ていてくれて練習付き合ってくれたり、練習以外でも可愛がってくれたり。すると、同い年とのコミュニケーションも自然と増えていきました。その2人の先輩のおかげで、私は無名校から全国1位になった強豪校への3年間の挑戦する事ができました。バスケを始めた頃から抱いていたプロバスケ選手にはなれなかったけど、今でも忘れられない特別な3年間になっています。現在(今)は、違う夢を追っています。やりたいことは数え切れないほどあるけど、“叶える”ことは本当に難しいなと痛感しています。追えば追うほど、自分を見失ったりもします。壁ばかりで何もないじゃない、と何度も挫折しそうになります。そこであの3年間が、私を奮い立たせてくれます。
千葉県 ちゃーんさん/女性21歳
ありがとう
私は7つ上の彼氏と付き合って、もうすぐ3年5ヶ月です。彼氏はアルバイト先の社員で、出会った頃は結婚をしていて子供もいましたが、彼が辛い時に支えたこともあり、私が高校生の時に付き合うようになりました。母は全てを知っていますが快く応援してくれています。でも、父には彼の過去はまだ話していません。しかし、私たちは2年後には結婚をしようと話しています。ついに父にも話さなくてはならなくなり、最近母と話し合うことも増えました。もちろん彼はとても良い人ですし、認めてもらいたいですが、両親の気持ちも痛いほどわかります。だからこそ、この壁を乗り越えた後、両親に感謝とこれから彼と必ず幸せな人生を歩むという私たちの決意を込めた歌を作って欲しいです。そして私と彼のだいすきなハジ→さんの歌を結婚式で歌いたいと考えております。この「結婚式で歌いたい」というのは私と彼の付き合った当初からの夢ですので、私たちにとっても両親にとっても忘れられない幸せのスタートの手助けして頂ければと思っております。
岡山県 葵さん/女性23歳
出会いと別れ
五年前に大好きだった人がいます。だけど、すれ違いが多かったり、思いやりが足りなかったりで、関係が壊れました。「私にわからない」で済ませて、彼の気持ちを考えられなかった。自分の幸せばかり優先して思いやりがなかったです。そのことを受け止めて今、真剣に相手を考えるようになりました。お陰で今、私は最大級の幸せを手にすることができました。彼が私にくれた色々なことに感謝しています。別れて、新たに出会って私は幸せです。ありがとうございます。さよなら。どうか幸せでありますようにといつも思います。そう伝えたいです。
佐賀県 ハッシ→さん/女性27歳
出会いと別れ
5年前、職場の人事異動で部署を異動しました。当時その部署の先輩社員に恋心を抱いていた為、部署を離れる事が本当に辛かった。恋心を抱き始めたのは職場の飲み会。たまたま隣の席に座っていた先輩と話していると、お互い高校時代に吹奏楽部で青春を過ごしていた事を知り、少し距離が近づいた気がしました。そんな時の異動。もう、あの時みたいに話せなくなるのかな。近づきはじめたこの気持ちも離れていっちゃうのかな。もう…叶わない恋になっちゃうのかな。そんな気持ちでした。当時の部署で過ごす最後の日。仲の良い方が、ささやかな送別会を開いてくれました。そこに来てくれたのが…私が恋心を寄せていた先輩でした。飛び上がるぐらい嬉しくて…!二次会もしてくれて、お開きになり帰ろうとした時でした。先輩が「家まで送って行くよ」って、言ってくれました。家まで10分ぐらいで近かったので、大丈夫ですよ!!て言ったけど…。「暗いから」って結局、家の近くまで歩いて送ってくれました。あの10分。本当に早かった。何も話す事なく、ただただ隣で歩くだけだったけどすごくドキドキして…それでも嬉しかった。でも上手く話せなかった。だから、勇気を出して、「昨日は送ってくれてありがとうございました!またご飯行けたらいいですね」ってLINEを送りました。すると…返信が!!「昨日は楽しかったね!暗くて夜遅かったし、送るのは当然だよ!今度は2人でドライブ行きたいね」って来ました。嬉し泣きが止まらなかった…。

そして、それは数日後に実現。私の誕生日です。テーマパークへ連れて行ってくれました。あいにく雨が降っていて、アトラクションにはあんまり乗れなかったけど、初めて相合傘したり、初めて腕を組んで歩いたり…緊張しっぱなしでした。すると先輩が「今日誕生日だよね?誕生日プレゼント買いに行こう♪」って私の手を引きガラス細工のお店へ。私に似合うネックレスを選んでプレゼントしてくれました。これが私にとって初めて男性から貰った誕生日プレゼントでした。その後も、室内アトラクションで楽しんだりイルミネーション見たり。本当に幸せな時間でした。最高な誕生日を過ごし、時計を見たら既に0時。帰りの車の中。私は先輩に、自分の気持ちを伝え、最後に「付き合ってくれませんか?」と言うと…

「うん!」って、優しい笑顔で答えてくれました!!初めて出来た彼氏。初めてのデート。初めてのドライブ。初めてのキス…。忘れられない時間。部署を異動する事で、離れ離れになってしまう…って思っていたけど、奇跡が重なり彼と付き合う事が出来て、彼と出逢えて本当に良かったし本当に幸せです!今でも大切で大好きな彼氏です。そして、5年前にプレゼントしてくれたネックレス。今でも大事に使っています!
広島県 しゅうくんさん/男性24歳
人生を考える
俺は、女としてこの世に誕生してきた。そして、女の子として両親に沢山の愛をもらって大きく成長してきた。けど、成長する中で不思議なことが多々起きた。それは、小5の時。俺は女の子に恋をした。女として生まれた俺は、女の子に恋をしたらいけんってわかっていたから、周りの同級生には男の子の名前を言っとったけど、俺の中では、その男の子は友達で、親友だとしか思わなかった。放課後は親友とサッカーしたり、カードゲームしたりしよったけど、それが俺らしく居られる場所だったから。

中学くらいかな?男子と女子って空間に壁ができるようになってきて女子とは中々仲良くできなくて、野球部に入っていた俺は野球する事が必死だった。男子と女子の力の差が出てきたからね。俺は男として生きとるけど、体は女子だわって実感した。それで何度も下向いた事、いっぱいあった。高校ではソフトボールの推薦で女子校。女子との関わり方がわからなくて、何度もはぶかれた。けど、この気持ちを理解してくれる後輩がいてくれた!俺と同じ、男として生きるって決めた優には俺には尊敬できる奴になっていた。

お父さん、お母さん俺を産んでくれてありがとう。俺が病んどる時、話をしっかり聞いてくれて。俺はお父さん、お母さんの子で産まれてこられてよかったです。けど、ごめんね。俺は、俺が幸せになるように、生きやすいよう体を男に戻したいと思っとる。傷つけるのが怖くて言えないけど、俺はいつまでもお父さんお母さんの子であってええよね?これから先、男としてカッコよくなって一杯親孝行してやるぜ!こーやって同じ悩み抱えて生きている奴いっぱい居るじゃろーけど、下向いたって前にはすすまねぇー、俺と一緒に前向こーぜ?
京都府 朋さん/女性23歳
気付いてほしい
保育園からの幼馴染の男の子がいて、卒園と同時に会わなくなっていたのですが、小5のある日、連絡先の名簿を見つけ、連絡を取り、また会うようになりました。そして誕生日、バレンタインなど、イベントの時には恒例行事のように会うようになりました。その男の子は帰りに家まで送ってくれたり、車道を歩いたり、階段を降りるとき手を差し伸べてくれたりと優しい紳士な男の子になっていました。ある日、お祭りに行ったのですが、いつもは優しくエスコートしてくれる彼が、人ごみに流されそうになった私の手をグイっと引っ張り、危ないから。と手をつないでくれました。その時、私はこの人を好きだと自覚しました。そして出会って9年目になる年に、私からの告白で付き合い始めました。私は好きになった人には勝手に焼きもちを焼いたりして、自分が好きなことを押し付けるタイプだったのですが、彼はそんな私のすべてを受け止めてくれました。今は付き合い始めて2年半なのですが、結婚を前提に付き合っています。幼馴染が恋人になんてよくある物語ですが、現実にあるなんて私も信じていませんでした。
宮城県 ko-312さん/女性30歳
人生を考える
結婚生活の中3人目の子を授かった私は旦那に報告。しかし私は産みたい気持ちを敢えて旦那には伝えず、その当時の経済的面、精神的面の事を伝えた所、旦那はあっさり受け止め、新しい命を諦める事に。だが、その後の私の精神的な面が悪化。ただただ後悔しか残らず、夜も眠れなくなり精神科に通院。その最中、旦那はその場から逃げて「仕事だ」と飲み歩き、支えてくれる事もなく結果、離婚へ。子供達は1人1人引き取る事になり、それぞれの生活を送る事になりました。1人で子供を育てながら仕事をし、その時支えてくれた彼とお付き合いする事に。一緒にいて落ち着くし子供を大事にしてくれている事もあり、結婚を考える様に。

そんな時、彼との間に新しい命が。父親が違う子を産むかギリギリまで悩み元旦那に報告。しかし産むなら今の子は引き取ると。自分勝手なのも分かっていたが、今まで育ててきた子をまた失う怖さと葛藤し、また新たな命を失う事に。結局、今いる子供達を手放せない。周りの反対を押し切り結果、元旦那と再婚しマイホームを購入。子供達も前の様に元気を取り戻し、幸せな生活を送っています。「これで良かったんだ」と自分に言い聞かせ、今は毎日子供達の笑顔に包まれて暮らしています。産んであげる事が出来なかった天使の子達はこんなママを許してくれているのかな?とふと思う時もあります。でもこんな私をまた受け入れてくれた旦那に今は感謝しています。
大阪府 しずくさん/女性36歳
人生を考える
36年前、神奈川に生まれ育った私が19歳を迎える秋を控えた頃。間違いメールをきっかけに、大阪に住む旦那と出会い、結婚に至りました。現在、結婚17年目。2人の子供と共に大阪で暮らしています。毎日、子育てや家事、仕事にも追われ忙しく生活している中で、ふと立ち止まる出来事がありました。私が難病に侵されている事が分かったのです。つい、一週間前の事。まさかの事態に自分でも受け止めきれず、呆然としてしまいましたが、家族の為にもしっかり受け入れていこうと決心しました。治療が辛くても逃げ出しません。挫けそうになっても、家族の悲しむ顔は見たくないから、私が家族を笑顔にする毎日を送りたいと思っています。前向きに、ひたむきに頑張っていきます!!
広島県 るんちゃんさん/女性30歳
君のためなら
好きで好きで、どうしょうもなくて、連絡が来ると安心できて、来ないと不安で、会えると安心できて、会えないと不安で、言いたくても言えないこの気持ち。「何していたの?」と聞くと、喧嘩になりそうで自分の気持ちを押し殺そうとしてしまう。友達に言うと自分が心配し過ぎだと。そんな私は毎日、作り笑顔で仕事に行く。不安で不安でどうしようもなくて。でも優しいあなたが好きです。好きです。大好きです。こんな私の気持ちに気付いていますか。
東京都 emiさん/女性40歳
気付いてほしい
遠距離恋愛。ある雨の日に、あなたに出会った。優しくて面白い人。でも、ちょっと弱い。あなたは、愛知県。私は東京。お互い仕事も忙しくって、なかなか会えない…。思い出の東京駅。丸の内の横断歩道で「ずっとそばにいるよ」って言ってくれたね。本当は泣きそうなぐらい嬉しかったけど、私は照れ臭くって、笑ってあなたの腕を軽くたたいた。私は折りたたみ傘を持っているけど、わざと忘れたふり。相合い傘が嬉しい

あなたが帰る新幹線を一緒にホームで待つ。悲しくて言葉がでない。新幹線が来るまで手を繋いでくれたね。涙出そうなとき、あなたは、頭をなでてくれた。新幹線にあなたが乗り込むとき、手を離す瞬間が、スローモーションだった。私が泣いているのを見て、新幹線の窓際でなにか言っていた。わからないし…。

遠距離でも、ラインでやり取りする毎日だけど、書く言葉の難しさ、伝わる難しさがある。ほんとは側にいたい。声が聞きたい。顔見たい。会って伝えたい。会いたい…。会いたいって言うと、あなたを困らせているようで。でも、会いたくて。

人ゴミの東京。楽しそうなカップルを見ると悲しくなる。あなたに似ている人を見ると悲しくなる。ほんとは全然似てないし…。街中でショッピングしても、見る物、あなたに似合うかも…って考える。また、悲しくなる。空を見ると思い出す。空も見られない…。すべての物が あなたに結びつく。涙はいくら流れるんだろ。枯れることはないよ。
長野県 ちぃ→苺さん/女性27歳
危険な恋
当時、私にとって初めての彼氏はどこか素っ気なく、それなりに会ってはいたけど連絡も全然ないし、あまり大事にされている感じがしなかったし、私が一方的に追いかけているような辛い恋愛でした。あまりに辛すぎて別れ話をしたんですが 彼氏が嫌がって…。私のことを好きだと思っているならもっと大事にしてよ…。やっぱり私が好きなだけなのかな…と、彼氏のことを考えるたびに彼氏のことがわからなくて凄く辛くて泣いてばかりの日々でした。

そんな日々の中1人の男性と出会いました。カレとは共通の趣味きっかけで知り合い 食事をしたり話したりしていて、なんか楽しいな♪と思う程度でした。しかし、話していくうちにだんだん連絡の回数も増えて、気が付けば毎日連絡を取り合っていました。そしていつものように何気なく話していたらカレが突然「彼氏いるの?」と聞いてきたんです。隠すことでもないので『彼氏いるよ』と伝えました。そうしたらカレが「そうなんだ。彼氏どんな人?」と聞いてきて、今まで友達とか誰にも 彼氏について相談はしてなかったんですが…この人なら話しても大丈夫かな?と なぜか思い彼氏に対して私が思っていること、好きだけど辛いから別れたいと思うけど中々別れられないこと…全部話しました。

するとカレが「俺には大事にされてないように思える」と…。私も自分でそう思っていたので『そうだよね。なんか恋愛が辛いだけなんだよね…』と返したら、カレが「なおさら俺が守ってあげたいって思っちゃう。俺本気でアタックしていいかな?俺が幸せって思える時間あげたい」みたいなことを言ってきて、それまで全然そんな話もなかったし 急に言われて私もわけわかんなくて…でもその時の私の頭の中にはまだ彼氏がいたので、彼氏に会えない寂しさを抑えつつ『誘惑しちゃだめ!』と送りました。それに対しカレは「誘惑しちゃだめか…」と…。それからは毎日連絡はするものの 恋愛の話題にはあまりなりませんでした。「会いたい」とは言われましたが、私もカレのことを少しずつ意識してきているのが自分でもわかっていたので、今カレと会ってしまったらイケナイことになってしまうと思い断っていました。

それからほんの少し時間が過ぎ、ちょうどクリスマスの頃に久しぶりに彼氏とデートしました。私はどうしても一緒にイルミネーションが見たくてお願いしたんですが…寒いからやだ!友達とか他の子と見れば?みたいな感じに素っ気なく断られました。その瞬間に私の中で何かが吹っ切れたんです。彼氏ことをまだ好きな気持ちはあったんですが…辛い気持ちの方が勝り…私は気が付けばカレに連絡していました。それから数日後 年もあけてちょっと遅めのクリスマスの夜にカレと待ち合わせをしました。2人きりで会うのは初めてで 変に緊張してしまってそわそわしていると誰かが駆け寄ってくる音がして、顔をあげたらそこにはカレがいました。「いたー!!」と言った カレの嬉しそうな顔は今でもよく覚えています。

歩き出すとカレの方から手を繋いできました。凄く嬉しかったのですが 彼氏のことが頭をよぎり『だめー!』と言って 私が手を離してしまいました。それでもカレは自然と道路側を歩いてくれたり、歩くペースをあわせてくれたり、凄く気を使ってくれました。そして少し歩くとイルミネーションの場所に着きました。私が彼氏に行きたいと言った地元では有名なちょっとした広場にあるイルミネーションです。お互い仕事終わりに会って、時間が少し遅かったせいか珍しく私達以外誰もいませんでした。そんな中2人で会話をしながらイルミネーションに囲まれた道を歩き、とある1つの場所で私達は足を止めました。星座をモチーフにしたイルミネーションのところでした。私はあまり星座には詳しくなく『これは何座かな?』と言ったら カレが凄く星座に詳しくていろいろ答えてくれてそこから誕生日の話になり お互いの星座を探したりしました。2人でたくさん笑いながらとても楽しい時間でした。

気が付くとカレとの距離が近付いていて…急に抱きしめられてキスされ「好き…俺の彼女になって」と 言われました。私もカレに『一緒にイルミネーション見に行こう』と言った時点で、あわよくばカレと付き合いたいという気持ちはあったんだと思います。だけど彼氏のことを考えると心の中で葛藤があって…。カレにそう言われて凄く嬉しい気持ちと、彼氏に対するまだ好きと言う気持ち、自分でもどっちの気持ちの方が大事なのかわからなくなり、私は泣いてしまいました。そんな私を見てカレはまた優しく、でも力強く抱きしめてくれました。時々私の涙を自分の指で拭いてくれながら。そんなところからもカレの優しさを感じました。そして私は泣きながら『傷付けたくないから 付き合うなら彼氏とちゃんと別れてからにしたい…』と伝えました。でもカレは「今は彼氏がいてもいいから 俺と付き合ってほしい」と…。その時はイケナイと思いながらも、彼氏に想ってもらえない寂しさもあったし、カレと一緒にいたいという気持ちも抑えられず、カレに甘えて…友達以上恋人未満のような感じで一緒に過ごすことにしました。

それから数ヶ月後、私が一方的に伝える感じで彼氏と別れることになり、きちんとした形でカレと付き合うことにしました。もちろん彼氏にはカレの存在は教えずに…。カレとの恋愛は前の彼氏の時とは真逆で“おはよう”から“おやすみ”まで毎日連絡をくれて、前の彼氏の時よりは会う頻度は少ないけど、でも凄い大事に想ってくれるし、会えない時は連絡することで安心させてくれるので、前の時みたいに不安と寂しさばかり毎日かかえて過ごすことはなくなりました。それでも、前の彼氏のトラウマもあり、恋愛に対してマイナスな考えになってしまう時も…。でもカレは怒ることなく相談に乗ってくれて、毎回話を聞いてくれました。普通なら元恋人の話なんか聞きたくないはずなのに…。だから私は『怒らないの…?』と聞きました。するとカレは「君が1人でかかえこんで、悩んだり落ち込んだりする方が心配だからなんでも話してほしい。怒らないよ」と…。

前の彼氏にはちょっと申し訳ないですがカレは私にとって救世主のような存在です。前の彼氏のことで辛すぎて消えてしまいたいと思っていた私に、手を差しのべて助けてくれました。前の彼氏の時には好きという気持ちしかわからなかった私に、誰かを愛し愛される気持ちを教えてくれました。頻繁に会うことができなくても、毎日お互いのことを想いあいながら過ごすだけでも 相思相愛な感じがしてなんか幸せだなぁと感じられます。2人で過ごしたちょっと遅めのクリスマスから 1年後、またカレと2人きりで同じ場所のイルミネーションを見に行きました。今度は1年前に繋げなかった手をずっと繋いだまま。ちょっと遅めのクリスマス あの日は今も私たちにとっての大事な記念日です。

今はまだ具体的に結婚とかの話は出ていませんが、いずれは今、右手の薬指にはめているお揃いの指輪が左手の薬指にはめられる日がくるといいなと思っています。凄く長文になってしまいごめんなさい!短くまとめると、始まり方は彼氏がいた中でのイケナイ恋でしたが、私とカレはお互いに大事に想いあいながら、今はちゃんとした恋人として幸せな日々を送っています♪という実話エピソードでした。とても素敵な企画をありがとうございます(*^^*)
沖縄県 オレオ。さん/女性21歳
出会いと別れ
私があなたに出逢ったのは、ちょうどキレイな初日の出が登ったあの日の午後でした。あの頃からあなたはずっと表せきれないほどの愛情を私に注いでくれましたね。あの頃は小さくて小さくて記憶にはないけれど、あなたは毎日毎日私を抱いては笑わせてくれた。小学校に入学したとき、私のランドセル姿をみて、目には涙を浮かべて手を叩き喜んでくれました。 学校が終わるといつもいつも私を迎えにきてくれて、あなたとお話をしながら一緒に帰った道はいつまでも忘れません。時には たくさん喧嘩もしたね。あなたを嫌いになったことだってあったんだ。でもね あなたのことを思い出すと、怒っているあなたよりも笑顔のあなたがいて、涙した。素直に謝ることもできない私なのに、あなたはそれでも毎日私を迎えにきてくれました。

そんな私が中学・高校へと進学し、部活動に励み、学校の友達と遊んだりバイトしたりであなたと過ごす時間が減ってしまいました。あの頃みたいに夕焼けの道をお話しながら帰ることはなくなりました。私が専門学校に入学。あなたのおかげで3年間、夢を諦めずに頑張れました。人の為に役立つ仕事に一歩近づいている真っ只中、あなたの命が短いことを知りました。どうしてどうしてこの人じゃなきゃいけないの。あんなに元気だったのに。どうして命が短いの。頭の中によぎる思いはただそれだけでした。

そしてもうひとつ。家族の中で知らないのは、わたし一人だけでした。大事な試験を目の前にしている私に家族が気を遣い秘密にしていました。あなたの話を聞いた時、怒りと寂しさと孤独さを感じました。家族ってなんだろう。家族ってそんなに気を遣うものなんだ。家族って…部屋で一人泣きました。あなたの命が短いと知らされたあの日から、怖くて怖くてあなたに会いにいけませんでした。会いに行くと病変してしまう。会いに行くと泣いてしまう。会いに行くと余計辛くなる。色んな感情が溢れました。

あなたならきっと大丈夫。そう願っていた、矢先、あなたは周りに見守られながら天国へと旅立っていきました。棺桶に入って静かに眠るあなたの顔を見ると、あの頃と変わらない笑顔で幸せそうに眠っていました。最後のお別れの日に、私はあなたとほんの少しお話ができました。みんなをよろしくね。じゃあいってくる、とあなたは私にそう伝え光り輝く空へと旅立ちました。最後に天国に旅立ったあなたへ。私はあなたの孫で良かった。ありがとう、おじいちゃん。
福島県 hiroさん/女性49歳
ありがとう
今では他界している旦那が、来年は13回忌を迎えます。旦那が亡くなった時には子供達は小学生。生きている時も大変でした。亡くしてからも大変です。私自身も気持ちの浮き沈み、これから先の事、考えると頭がいっぱいになることもありますが、私には母がいて父がいて、私の子供達よりは父との想い出が沢山あります。でも私の子供達には父(旦那)との想い出が、あまりなくて。お酒を飲んで暴れた事、暴言、暴力沢山あったりしましたが、愛してくれた事も確かな証。

今、何事もなく生きていたらどんな家族になれたかな?お酒を飲まなければ優しい人。暴れた後は、お酒が抜けると優しくて、それがあって怯えて暮らす事も色々ありますが、そんな人生ばかりじゃないよね?これからは沢山また子供達にも私にも必ず光があると信じて生きて行こうと改めて思えたし、そんな旦那にでも今は、素直にありがとう。と言えるようになりたくて、子供達にも父の面影を残してあげたく応募してみました。

凄い迷いましたが、よろしくお願いします。家族として今1度みんなで笑える日が来ると信じています。今は大きくなり、ツンケンしている子供達ですが、そんな時ばかりじゃないと思いながら今は巨大迷路に迷い混んでいるような感じ。だけどいつかは抜けられると思いハジ→に託してみました。ハジ→の歌詞にはいつもどんな時も助けられています。ありがとう。この機会を作ってくれた歌ネットさまにも、ありがとうございます。
長崎県 まにゃさん/女性24歳
君のためなら
私には、小学校1年生になった娘がいます。私が16歳で妊娠、17歳で出産しました。未婚のシングルマザーです。親はもちろん。家族、親戚色んな人からの反対もありましたが、今ではみんなから可愛がってもらっています。そして、いま付き合っている彼氏が居て、今年の秋で交際3年になります。お互い一緒になりたいね。結婚しようって話もしています。だけど、相手(彼氏)の親から子持ちだからって反対されていて…。彼氏とうちの家族、娘とも仲良いのですが、彼氏のお母さんとは一緒にお出掛けしますが、お父さんが…。会ったことゎあるんですけど、子持ちってだけで反対されていて。

だけど、一緒になるって決めていて、お互い大好きだし、離れるとか考えられない。君のために頑張りたい。だけど、モヤモヤしているから勇気がほしい。このまま一緒にならないなら、恋人のままならって思うと別れもあるかもしれませんが…。切ない恋になるかもしれませんね。だけど、私達は一緒になります。夢、目標でもありますね。なので、コトバのキモチ←どれを選択したらいいのか分かりませんでした…笑。選ばれないと思いますが…、ハジ→が読んでくれたらそれで少しでも気持ちが分かってくれたら…頑張れって応援してね。切ない恋、進まない恋、君への想い。どんなキモチか分からないけど、私みたいな気持ちを歌に歌詞に共感出来るような歌を作ってほしいです。
宮崎県 琉已華さん/女性39歳
君のためなら
私には、婚約者がいます。彼とは17年前に出逢いました。初めて自分から好きになった人でした。告白したけど玉砕(笑)。諦めて、違う人と結婚しましたが結婚1ヶ月でDV…。誰にも言えなくて苦しかったです。精神的に追い込まれ、いつしか自分で自分を傷つける様になりました。毎日生きていくのが辛くて辛くて…自分で、自分を何度も殺めようとしていました。なんで生きていくの?生きる意味が見い出せなくて。自分には価値もない、生きてていても仕方ない。そんな事を毎日思っていました。程なく離婚成立。

彼(婚約者)とは疎遠でしたが年に一度、誕生日にだけ、おめでとうってメールして。数年後、再婚してすぐ、今度は彼からメールが。「お前の事が忘れられないんだ。俺に付いてきて欲しい」と。だけど私には家庭があり断るしかなく、また疎遠に。今度こそ幸せになろうと頑張ったけど、次々と病気に…。2度目の夫は、モラハラでした。人前で罵倒は当たり前、自分の働いたお金を私の医療費に使うのを嫌がりました。私も家事と両立しながらパートを。そんな日々の中ガラケーからスマホに変えた時、彼の名前を見つけて思わずメッセージを。家庭の愚痴、不安、自分の病気の事、真剣に聞いてくれて沢山アドバイスくれて。いつしか彼はアタシの心の支えになっていました。

ある時、大病の疑いがあり、自立歩行できないくらいひどかった時、2度目の夫は車椅子の私に、病院で怒鳴りつけました。俺の金をどれだけ使えば気が済むんだ…。そんな時でも彼は「大丈夫、絶対大丈夫だから」って言ってくれて…。手術も半年伸ばしました。早く手術しないと一生寝たきりだと。もう、この人とは居られない。離婚を申し込み、毎日仕事と点滴を繰り返しながら手術費用を貯めて、ようやく離婚成立。離婚後すぐさま手術。手術説明会に彼は婚約者だと名乗り一緒に聞いてくれました。まだ付き合ってもないのに…。

手術前夜に「遺書、書かなくていい?」って聞いた時も「死なせない。大丈夫だから」って言ってくれました。苦しかった時、辛かった時、この世から消えようと思った時、彼からのお前は俺にとって必要なんだ。お前はこれから先、俺の為に生きてくれ。俺はお前の為に生きるから…その言葉が生きる力になりました。辛い時、悲しい時、その言葉を思い出します。ずっと忘れられない人でした。今、一緒に居られて本当に幸せです。彼に出逢えて良かった。彼がいつも支えてくれたから今の私がここにいます。

これからの人生どんな辛い事があっても必ず乗り越えて行きます。共に彼と生きていきます。その中にハジ→は絶対必要ですけど(笑)。ハジ→のライブも毎回彼と行っています(笑)。二人の生活の中にハジ→の音楽はなくてはならない大切なものです。カラオケとかでは、お前とかの歌詞部分を名前に変えて歌われた時は泣いたくらいです。幸せをありがとう。彼からもハジ→からも沢山幸せを貰っています。感謝の言葉しかありません。いつか結婚して家庭を持って、いつか死が訪れるその日まで彼に寄り添い支え生きてきいます。上手く書けなくてすみません。 最後まで読んでくれてありがとうございました。
秋田県 碧海ママさん/女性37歳
ありがとう
昨年、8月27日に愛する夫を水難事故で亡くしました…。36歳という若さでした…。結婚して16年、まわりからはとても仲の良い夫婦と言われ、4人の子供たちにも優しく、家事、育児と私にとって最高の夫でした。あの日は、前の日から子供たちと一緒に釣りを楽しみキャンプして楽しい日を過ごしていました。今までに無いくらいの幸せな時間を一緒に過ごしました。亡くなった日も、釣りを楽しみ暑さのためいつもは行かない砂浜へ行ってしまいました。子供たちと一緒に海に入り子供のようにはしゃいでいる夫を私はただ砂浜から見ていました。

波が高くそれでも無邪気に遊んでいる夫と子供たち。4男のメガネが流され探しはじめてしまいました。深みにはまり、溺れていた事にも気付かないまま、子供が助けを求めていることにようやく気付き、救急車を要請しましたが、すでに時間が経ちすぎていました…。それでも、4男を助けて自分が犠牲となってしまいました…。最後の最後まで父親の役目を果たしてくれました。父親の死に目を目の前で見ていた子供たちもかなり辛かったと思います。諦めたくない、そんな思いで子供と2人で心マしましたが絶望的でした…。あの日、なぜ浜辺に行ってしまったのか…。後悔しか残っていません…。なぜ、今まで隣で笑っていた夫が帰らぬ人になってしまったのか…。毎日泣いて泣いて泣いて…。会いたい…声が聞きたい…。いつものように笑った顔が見たい…。

夫の笑顔が大好きでした。夫が亡くなってから1人で過ごす記念日がとても哀しく、切なく…。ハジーの歌が大好きで、音痴だけど「for YOU。」を唄う夫が大好きでした。お金はないけど、子供たちをいつも楽しませてくれていました。海が大好きで、子供たちにも『海』という漢字を使い名前を考えてくれました。私の誕生日にはサプライズで手作りのケーキを作ってくれました。8月の誕生日は本当に今までにないくらいのサイコーの誕生日だったんです。子供たちがおっきくなったら、2人で暖かい所で過ごす約束もしていました。子供たちの柔道も楽しみにしていました。未来の話を2人でいつも話して笑って過ごした毎日が1人で泣いて過ごす毎日になってしまいました。

なぜ私だけがこんなに辛い思いをしなければいけないのか…。夫の所に行きたい…。ただただ会いたい…。夫は最後に何を伝えたかったか…。考えるだけで涙が止まりません…。夏の最後の思い出作りが本当に夫との最後の思い出となってしまいました…。3時50分…死亡確認…。受け止めたくない現実…。今でも隣で笑って居るような気がします。いつも私たちのそばて見守ってくれていると信じて…。愛する夫に心からありがとうと伝えたい…。心から愛していたことを伝えたい…。こうちゃん、本当にありがとう。そして、愛しています。
福岡県 さゆりんぱさん/女性25歳
人生を考える
私は3歳の頃に、母が亡くなりました。お母さんって何だろう?って思っていた時期もありました。私の家族は父と兄二人祖母。何かあった時、頼れる存在、甘えられる環境、そんなもの私にはありませんでした。いじめられた時も、学校に行きたくない時も、夢があって応援してほしいなって時も、誰にも相談出来ずに、どんなに辛くてもずっと笑って過ごしていました。そしたら、いつしか私は“いい人・優しい子”と呼ばれるようになりました。その時はとても嬉しかった。誰かが必要としてくれたから。でもそれがどんどん苦しくなりました。いつもいい人でいなきゃいけないって。

社会人になって壁にぶつかって、あぁ、もう消えちゃったら楽なのにって、何度も何度も考えました。そんな時に、ある2人の友達に出会いました。人見知りで、誰にも心を開けない私は、なぜか2人にはすぐ何でも話せるようになりました。今では居ないといけない存在です。まだ今も闇の中にいる私だけど、そんな私でも側に居てくれます。“ひとりじゃないからね”って泣いて言ってくれました。今まで傷ついた分、誰かに沢山の愛を与えられる人になりたいって強く思います。そして、“あなたには絶対幸せになってほしい”と周りの方が沢山、声をかけてくれます。まだまだ人生これから。少しずつ、少しずつ前向いて歩けるように。天国の母に胸張って、私は幸せだよ!って、言えるような人生にしていこうと思いました。
宮城県 りかぴさん/女性22歳
人生を考える
わたしの家族は、ばぁちゃん、お父さん、お母さん、お兄ちゃん、私の5人家族です。小さいころからお兄ちゃんの野球を毎週、観に行ったり、皆でお休みのときは色々なところにお出掛けに行きました。そんな家族が大好きでしたが、私が高校生のとき、お母さんは実家に帰りました。わたしはまだ子供だったけど、お母さんが小姑や姑で悩んでいたのをずっと、見ていたので、家族がバラバラになるのは嫌だけど、お母さんのことを考えたらそのほうがいいのかなって思うこともあります。お母さんが家を出てから四年近く経つけど、未だに離婚はしてなくて、でも、別々に暮らしている状態です。わたしはお母さんとお父さんどっちと暮らすか選ぶことができなくて、寮のある会社を選びました。お父さんとお母さんの役割は違うからどっちが好きかなんて選べなくて。

私は今年22歳になったけど未だにお父さんと旧車会に行ったりドライブに行ったり、お母さんと道の駅めぐって美味しいもの食べたりしています。いつか、またみんなで笑って暮らしいたいなって思うけど、これでよかったのかなって。わたしにとっても親はこれからも変わることはないと思うし。私だけがこんなこと考えているのかなって。いつも強がって心配かけないように、安定した道をすすんできました。結婚についていいイメージはないけど、いつか、お父さんみたいな人と結婚してお母さんみたいな母親になりたいです!家族が離れて暮らしていてもちゃんと家族だよって。心はつながっているよって。家族にむけて、家族への歌を歌ってほしいです。
福島県 たくにぃ→さん/男性25歳
出会いと別れ
君と出会ったきっかけは共通の友人だった。そこで連絡先を交換し毎日毎日やり取りした。時には言葉のすれ違いでケンカすることがあった。男の必死な想いが、君を傷つけ泣かせたことあった。遠距離になってようやく君の気持ちがわかった。会えない日々があり、一人で何度も何度も君の大切さに気付き泣くこともあった。君は夢に向かう気持ちが強くて、遠距離を選んだ。でも君のことが忘れられず遠距離ながら君を支え続けた。でも男の想いが届かず君と別れることになってしまった。男の想いが君を悩ませたことが別れの原因だった。今でも君のこと思い出すと心が痛くなるときがある。できるならもう一度やり直したい。もう一度、君と付き合って幸せしたい。成長した姿をみてほしい。君が幸せでいられるなら僕はなにも言わない。君と出会えてほんとに幸せだと感じた月日だったよ。ありがとう!
佐賀県 TMさん/女性21歳
失恋からの新たな出会い
高校1年の時、人生で初めて彼氏が出来ました。イマドキのSNSで知り合った同級生で、学校も地元も違う人でした。でも、彼の地元は母の実家の近くという事が分かり、凄く親近感があって、初めて会ったのが映画デートです。それから彼とお付き合いする事になり、1度離れた事もあったけど気づけば、お互い高校卒業して、社会人になっていました。彼は東京、私は地元に残り遠距離恋愛を経験しました。中々会える距離じゃなくて、寂しくて泣いた日も沢山ありました。でも彼が半年後、仕事を辞めて地元に帰ってきて、それからは会う頻度が増えて、色んな所に行って、とても楽しい日々が過ごせていました。でも、いつも同じ事で喧嘩をし、仲直りしていたつもりだけど、その溝が知らないうちに深くなっていたのかも知れません。

夏の花火大会、美容室で髪の毛をセットして、浴衣を着て2人で花火大会に出かけました。会場についてすぐ、またいつもと同じ事で喧嘩をしてしまい、怒った彼は、花火大会の会場で私を1人ポツンと残して、どこか行ってしまいました。何回電話しても出てくれなくて、泣いて警察本部のテントに1人ずっといました。「花火が終わるまでは別々に居よう」と言われ、結局一緒に見ることは出来ず、花火も泣いてほとんど見ていません。帰り際、彼から「別れよう」その言葉が出て、私は、受けとめることしか出来ませんでした。素直に言葉で言えばよかった。態度に出すんじゃなくて、ちゃんと言葉にして伝えればこんな風になってなかったのかなって後悔しました。

その日から彼とはお別れする事になり、しばらく落ち込んでいました。初めての彼氏だったから、余計忘れられなくて、だいぶ引きずっていました。そんな時、ある人に出会いました。元々ハジ→が好きでライブにまた行きたいって思っていた所に、1人で行く勇気がなかった私を皆と繋がらせてあげるからってライブに誘ってくれた人がいます。それからハジ→のライブに行くようになり、沢山のはじんちゅも出来て、少しずつ元彼の事を考える時間も減っていきました。ライブに誘ってくれた人に、元彼が忘れられない、こうゆう事があったと話すと、その人は抱きしめてくれて「無理に忘れんでいいと思う、でも次に付き合う人に同じ事をしないように素直になれ」と言われました。

その人は私に好意を持っていてくれて、でも元彼が忘れられないって突き放した事がありました。でも、その人は「過去のお前とかどうでもいい、俺は今の俺が好きやけん」そう言ってくれました。過去をいつまでも思っていても、前に進まないと何も変わらない事を教えてくれました。「好きな人が出来たらそっちに行きなよ、でも俺はずっとお前の事好きやけんな」ってそこまで言ってくれる人がいるのは正直びっくりしたけど、物凄く嬉しかったです。その人とは、付き合ってなかったけど、遊ぶようになりいつの間にか私の方が、気持ちが傾き始めました。

1番寂しかった時、辛かった時に側にいてくれた人です。8歳も年上で、ドキドキもしなかった人なのに、ドキドキしたり緊張したりするようになって、好きなのかな?って。失恋してあんなに悲しかったのに、その人のお陰で笑えるようになりました。この人の側に居たい、側にいて欲しい、誰にも取られたくないって、思うようになって。その気持ちを素直に伝えました。お付き合いしたい、お付き合いしないなら、もう2人では遊ばないと。付き合ってないのに、いつまでもダラダラする関係は良くないと思い、ちゃんと伝えました。

1ヶ月くらいその事に返答がなくて、ケリつけようと話したら、「よろしくお願いします」と言ってくれました。その日からその人お付き合いする事になりました。今ではその人に出会えてほんとに良かったし、側にいてくれた事に感謝しています。また人を好きになって、恋愛できるようになったのはその人のお陰です。隣にいてくれる人を大事にしたいし、今とても幸せです。今の彼に出会えた事も何かの縁、好きになって両思いになって付き合えたのも何かの縁、大事にしていきたいです。大失恋からまた新しく恋が出来るようになりました。冷たくしても側にいてくれた、ずっと好きで居てくれた彼に感謝です。そんな彼を8歳年下の私ですが、精一杯支えていけたらいいなって思っています。好きになったら年の差も関係ないって新しい発見ができました。
千葉県 ゆうさん/女性41歳
失くした恋
20代後半の恋の話です。5つ年下の彼を好きになりました。笑いのツボも音楽の趣味も同じで、グループでスノーボードへ行くこともありました。ただ、私の気持ちにはなかなか気づいてくれず、からかってくるので、我慢できずこちらから告白することにしました。彼には顔がかわいいと言っている私と同じ歳の女性がいることを知っていたので玉砕覚悟で。ところが、断られるどころかその日を境に急接近してきて…。そうこうしているうちに私のルームメイトが急死してしまいました。私は彼女が大好きだったのと、急な失落感に押し潰されそうでした。その様子を見た彼から「君を側で支えたい」と言われ、家族の支えのなかった私は、一度は断ったのですが、彼と付き合うようになりました。

最初のうちは本当に支えられ、どんどん好きになっていき、子供が好きではないのに、“彼と私の遺伝子を組み合わせたらどんな子が生まれるのだろう?”なんてことまで考えるようになりました。救われました。しかし、半年くらいたった頃から、彼の様子がおかしくなり、メールで「君といてもドキドキしないし、かわいいと言っていた子と会った時はドキドキしたから、君への気持ちはLoveじゃなくLikeだったごめん」と。私は大切な人をいっぺんに2人も失い、心の病を抱えるようになりました。彼はその別れから4年後、顔がかわいいと言っていたその女性と結婚しました。私に残されたのは心の病だけですが、ここまで人を愛せたのは初めてでしたので大切な感情です。彼の幸せだけを願っています。
神奈川県 武蔵さん/男性19歳
ありがとう
私が高校の時のエピソードである。高校時代、私は野球部に所属していた。父親はいなく母子家庭で、母は体が弱く家で寝ていることが多かった。正直、私は寂しかった。試合の日、他のみんなは両親が揃って応援にきているのに自分の家族の姿はないし、家に帰っても母は寝ていて一人でご飯を食べる事も多かった。そのことに私は苛々してしまい、言ってはいけない事を言ったり、冷たい態度をとったりしてしまった。今思えばなんであんなこと言ったんだろうと後悔した事もあった。母は「ごめんね」を繰り返していた。それでも母は毎朝必ず起こしてくれて、2リットルタッパーのお弁当を毎日作ってくれていた。母の作る弁当は周りから好評で、私がお弁当を食べていると周りのみんなが「美味しそう」と口を揃えて言った。私はそれが嬉しかった。

自分の身を削って、家族のために必死になって仕事や家事をやっている母を見て「最後の大会、お母さんに少しでも長く自分がプレーしている姿を見せたい」という想いが芽生え始めた。迎えた最後の大会、結果は二回戦で負けてしまった。それでも母は「すごくかっこよかったよ、やっている姿を見せてくれてありがとね」と言ってくれた。涙を流している私を母は優しく抱きしめてくれた。母の腕の中はあったかくて落ち着く場所だった。母親の愛情をすごく感じた。そして私は少し恥ずかしい気持ちになりながらも「3年間ありがとう」と言った。

母は体は弱いかもしれない。でも子供を想い、そして守る気持ちは誰よりも強いと思う。今も私は母親と一緒に暮らしています。高校を卒業してから親への感謝の気持ちを忘れたことはありません。いつもは照れくさくて言えないけど、私のことを命をかけて産んでくれて本当にありがとう。お母さんが頑張ってくれたおかげで、色んな経験をすることが出来た。 いつか私に家族が出来た時、お母さんに教えてもらった愛情を子供に教えたいと思います。
神奈川県 みぃなさん/女性22歳
失くした恋
長年付き合った彼と些細なことで大喧嘩してしまい、一緒に暮らしていましたが別れてしまいました。しかし、どんなに他の人を探そうとしても気がつけば彼を想うばかり、周りからはそんな男と別れて正解と言われる中、私はやっぱり忘れられなくて、一緒にいたい気持ちがずっと心の中にあってずっと引っかかっています。彼とまた付き合いたい、でも、付き合いまた喧嘩してしまったらどうしよう。そんな不安があるけどでも、一緒にいたい。どうしたら幸せなのか現在進行中のエピソードです。
徳島県 レツシさん/男性18歳
ありがとう
ずっと可愛がってくれたひいばあちゃんがいました。自分は野球をしていて、どんなに辛い時もひいばあちゃんの笑顔に支えられてきました。練習が終わっては、ひいばあちゃんの家に行ってご飯を一緒に食べて、ずっと笑顔でいてくれました。そんなひいばあちゃんがある日、突然倒れました。練習終わりに病院にいくと長期の入院と聞かされました。そして、なにより辛かったのが、認知症を宣告されたことです。今までニコニコした顔で名前を言い、練習終わりの自分に「おつかれさま」と言ってくれていたひいばあちゃんが、その日以来、名前を呼んでくれなくなりました。

しかし、唯一覚えていたのは、自分が野球をしていたことです。よく甲子園の中継を見ながら「孫が出とる」とニコニコした顔で教えてくれました。自分はどうしても甲子園に行き本当に、孫が出ているとひいばあちゃんに言ってもらいたいと思い、今まで以上に練習に取り組みました。どんなにきつくてもどんなに辛くなっても、ひいばあちゃんに会えば支えられていました。そんな時、ひいばあちゃんがこの世を去りました。自分は連絡を受けた時、涙が止まりませんでした。でも、唯一残されているのは甲子園に出て恩返しするということです。最後の夏を全身全霊で気持ちをぶつけました。結果は甲子園に行けませんでしたが、ここまで支えられたのはひいばあちゃんのおかげです。そんな天国にいるひいおばあちゃんに歌としてありがとうを届けてほしいです。
埼玉県 うりうりさん/女性16歳
失くした恋
私はつい先月、中学の頃から2年半付き合っていた彼氏と別れました。初めはお互い好きでもないのに付き合って、お互いの元カレ元カノを忘れるために付き合っていました。でもいつの間にか本当に好きになっていて、一緒にディズニー行ったり、たくさんの遠出をしました。高校生になってから、沢山すれ違い、高校一年生のときの6月に「好きな人ができた」と言われ別れました。しかし10月にまた付き合い始めました。それでもすれ違いは増えていく一方で、3月に「好きかわからない。今会っても好きっていう気持ちはないと思う」と言われ、私も悲しいけど、一緒にいるのは好きなのではなくて依存しているだけと思い別れました。別れたことは後悔していません。だけど、ありがとうもなにも伝えられずにお別れしてしまいました。相手には新しい人がいるため何かを伝えるのは難しいという想いもあり、良かったら私と彼がいつも一緒に聞いていた大好きなハジ→さんにこの想いを曲にしてもらえたらなと思い、応募をさせていただきました。これからも応援しています。
熊本県 こ→きさん/男性23歳
うれしい・たのしい
まだ今の奥さんとカップルだった時のお話。当時は、付き合いが長いためかお互い愛が薄れていた。そんなとき彼女が妊娠しました。2人で話し合って親にも相談して産むことになって、とうとう生まれました。子供ができたことで、2人ともまた愛が深まり子供が産まれて2人の間に笑顔がふえた!あのとき間違えた選択をしなくてよかったと思っています。そして子供もどんどん大きくなりもう2歳になりました!最近は言葉も話すようになってきて、とても可愛く幸せだし、家族3人これからもずっと仲良くやっていきたいなぁっておもいます。めでたしめでたし!
北海道 ゆきな→さん/女性19歳
うれしい・たのしい
私の年は今19歳。まだ成人前で実家にいる。そんな今彼氏ができ、旦那さんとなりました。いろいろなことが重なりすぎて自分でも参っていた。付き合ってあと2ヶ月で1年ってときに、突然体に異変がおきてなんなんだろう。どうしたんだろう。って思った!それが2週間くらい続いて、おかしいなってなっている時に「あれ、そういえば女の子の日がきてない…」と、妊娠検査薬を試した。結果は…陽性。本当なら喜ぶところだけどなんだか喜べなかった。彼氏にもいろいろ訳があって、妊娠を報告したが喜んではくれなかった。その理由はお互いに貯金がない。彼氏が仕事をやめた状態で絶望的なことだった。でも彼氏は逃げずに私のそばから離れずにずっといてくれた。その検査薬を使った日。ちょうど仕事が休みということもあって彼氏同伴で病院へいってきた。病院で先生が言った「妊娠することはいいこと」という言葉になにも返すことができなかった。もしお腹の子が自分の元に生まれてきたらちゃんと育てることができるか、などの心配が同時に起こった。

でもエコーを見ながら小さくても心臓が動いている。これをみたら涙が止まらなくなった。こんなダメな私なのに私を選んで授かった命。子供が好きで、ほしいとは思っていた。こんなに早くきてくれるとは思ってなかったけど、一生懸命お腹の中で生きているんだって思ったら、中絶なんてできないと思い、彼氏に産みたいと伝えた。彼氏も私のエコーの最中待っている間、いろんなこととの葛藤で戦っていたと思う。でもエコー写真をみせるとニコニコ笑ってくれた。その後に「元気に産んでね」と言われて泣きそうになった。私はこの人と付き合ってよかったと思った。この後には結婚っていうのがどんどん進んでいって1年記念ではれて夫婦となった。病院へ行くたびに行くたびに旦那が付き添ってくれる。すごく心強いし支えになっている。まだ出産はこれからだけど旦那とならこれから先、一生一緒にいれると思う。だからこれからお腹の中で大きくなる赤ちゃんと旦那に支えてもらいながら私は生きていく。幸せ者なんだと実感しました。
新潟県 にゃぴすたさん/女性25歳
出会いと別れ
初めまして…私は施設で介護の仕事をしています。特養なので人生の最後を看取るところまでお手伝いすることもあります。今年起きた仕事での忘れられない話を、プライバシーもあるので書けるとこだけ簡易に書きたいとおもいます。去年の春に育休も明けて、新しい配属先で仕事に復帰しました。初めましてのおばあちゃんやおじいちゃんばかりで名前と顔を覚える事から始まり、みなさん最初はよそよそしい態度でした。毎日支援をして世間話をしてコミュニケーションをとって、やっと顔と名前を覚えてくれた1人のおばあちゃんがいました。

ほかの入居者さんに比べて少しだけ若く自立している部分も多くて、会話のキャッチボールも普通にできるせいか、私はそのおばあちゃんと話す機会が多くなっていました。認知症があるため、たまに物忘れがあるときもありました。でも、自分の子供が熱をだして何日か仕事休んで出てきても、あたしの顔は覚えていてくれて、朝行くと「おはよー」、帰る時には「あがりら(もうおわり)?」と手をふってくれる方でした。

夏には施設の祭りがあり、秋には外出して菊まつりに行き、文化祭では入居者と一緒にパズルを作って展示しました。元気なおばあちゃんだったためいつもイベントものには一緒でした。そうやって仕事していると、気づけば家族よりも過ごす時間は多くて、数ヶ月で沢山の思い出ができました。入浴支援をしている際には、あたしの腕や足をさすって「この肉あたしに半分くれんかね?」と笑いながら頼んできたり。過ごす時間が多くなると言い合いや喧嘩もしました。もう知らない、と私がへそ曲げると「おめさん(お前さん)だから言えるんだ」と、とても信頼されているなって実感する言葉をくれます。

たぶんきっと私はどの入居者よりこのおばあちゃんのことが大好きだったとおもいます。仕事でよくないことだとは思いますが、特別な存在になっていました。沢山一緒に笑い、沢山怒って、沢山話して、沢山昔の話聞かせてくれて、沢山遊んで、沢山出かけて、共に時間を刻んできました。なのに…なのに。今年の年明けて数日…。若い入居者だったので私も油断していました。まだまだ一緒に過ごせると思っていました。

2~3日前からです。久しぶりに入浴の支援をした際に、肩がだるいと話していました。お腹も前に比べて食べられてないのに、膨れていて看護さんに相談もしましたが、張ってないし本人も難儀くないなら大丈夫と言われ軽く考えていました。食事も減って、体がだるいからって起きてくる時間も減って、トイレ行っても出ないんだと。思えばこの時から前兆はありました。でも、その日も「またね」と「ちゃんと起きてご飯たべるんだよ」と、手をふって別れました。

いつもの休みの日曜の朝、子供とテレビを観て過ごしていた時でした。朝早くにLINEが鳴り、職場の先輩からでした。おばあちゃんが昨夜急変し、亡くなられたと連絡でした。理解ができず一瞬なにが起きたかわからなくなり、なんどもその文を読み返してでも、示されている名前は変わらず、その意味を理解したくないと頭が拒否していました。リーダーに連絡して原因をききました。心不全でした。明日、出勤したらもういないと思ったら涙が流れ、声を上げ泣き叫びました。それほど、心が痛くて、仕事していてこんなにもつらいのは初めての経験でした。何人も見送っては来たけれど、こんなにも突然なのは初めてで、心の準備ができてなくてしばらく涙が止まりませんでした。

次の日…涙堪えて出勤するもいつもの場所にいなくて、実感が湧いて部屋を開けるにはまだ勇気がなくて、色んなところに私物や一緒に写っている写真、作ったパズルなど飾ってあり、とても普段通り仕事するには辛すぎる空間でした。先輩から経緯をきき、ほんと急変で色んな奇跡があったそうです。いつもお酒を飲んでいる息子さんがその日はたまたままだ飲んでなく駆けつけてくれたこと。一番近い救急車が出動していて、隣の地区の救急車がきてそこにお孫さんが丁度、当直で救急車で来てくれたこと。最後は身内に囲まれ、病院で確認されたと聞き、「きっとこの日を選んだんだね」と言っていました。涙がとまりませんでした。

「お通夜今夜あるけどどうする?」と聞かれ、何人かこの仕事して看取ってはきましたが、上司がでるため勤変などして仕事になったり、1度もお通夜に出られたことは無かったのです。でも、たまたまその日は母も休みで、子供もみてくれて出られる日でした。これはきっと、おばあちゃんが呼んでいるんだなって思って、辛くて顔見に行くか悩んだけど、ちゃんとお別れしようと行く決意をしました!上司とお通夜に参列させてもらい、課長が隣であたしにききました。「入居者のお通夜に出るの初めて?」「はい。」「初めてが大好きなおばあちゃんでよかったな」。そういわれた瞬間、涙こらえながら「はい。ほんとにそう思います。」と、心から思いました。何とか泣かずに乗り切り最後に、お別れのため顔を見に前に行った時に、もう涙が溢れました。ほんと、寝ているようにおばあちゃんはそこにいました。とても穏やかでした。今にも起きるんじゃないかってぐらい。「ご飯だよ?起きて」って先輩の言葉に涙が溢れでました。

それから何日かは毎晩泣きました。仕事場行く度に、実感し涙を堪えながら仕事をして、その日々を繰り返し、自分が入居者とどんな距離で接していけばいいのかわからなくなり、向いてないのかな?って、思い始めました。人はいつか旅立ちます。思い出がありすぎるほど残された方はとても辛いです。それなら、一定の距離を保っていかないといつか自分が壊れそうで怖くなり仕事を辞めようかとおもいました。でも、仲間にこの話をして「そこまで泣けるってことはその仕事、向いているってことだよ?きっとおばあちゃんも嬉しかったと思うよ?」と言われ、もう少し頑張ってみようと思いました。

いつか旅立つならば、残された時間をどう過ごすか、大切にしなきゃいけないと教えてくれたようなきがします。ちゃんとありがとうも言えずにいってしまったけれど、きっと空から見守ってくれていると信じています。今もこの話をすると涙がまだでます。このおばあちゃんのことをずっと忘れないと思います。忘れたくもないです。だから一緒に写っている写真をそのままかざってあります。また、会えたらいいなって今でも思っているし、似ている後ろ姿みるとあ!って、思ってしまう。おばあちゃんの影を今でも探してしまう。きっと大切な人を亡くした人ってこんな感じなんだろうなって、思います。
愛媛県 SGさん/男性27歳
ありがとう
小学2年の時に父親を亡くし、それから自分と弟、妹を母親一人で育ててくれました。今年からは妹も就職し、全員が自立し、弟は子供まででき母親も子育てから卒業をしました。しかし今まで感謝を伝えることもなく、苦労ばかりかけてきました。そんな母親に感謝の気持ちを伝えたいと思い、自分も母親も大好きなハジ→さんのこの企画に応募しました。母親はパートで働きながら子供全員に部活動をさせてくれ、大会のたびに県外に送迎して、毎回応援をしてくれましま。そんな母親に対し大学は県外へ出て、そのうえ裏切り行為を行い、母親を泣かせてしまいました。そんな母親と顔を合わすのが気まずく、就職も県外でと考えていましたが、しっかり反省したのなら実家へ帰っておいでと言ってくれ、そのおかげで今は実家で暮らし、仕事も充実し、楽しく暮らせています。今では仕事の悩みや、愚痴も聞いてもらえて、いい関係を築けています。だからこそ今までの感謝の気持ちをハジ→さんに歌にしてもらいたいと思っています。よろしくお願いします。
山口県 ゆかさん/女性23歳
キモチを伝えたい
初めて会ったのは、私が会社へ入社する前に挨拶に行った時でした。第一印象は笑顔が素敵な人で、私が入社した日、その上司は仕事が休みの日だったけど、私のことが心配だったらしくて、わざわざ仕事にしてまで色々気にかけてくれました。その当時は、一緒に仕事出来ることが当たり前で困ったらなんでも助けてくれる存在でした。いつしか好きになっていて、周りからも噂されていたけど、別の人も彼のことを好きだということも噂で回ってきてショックでした。諦めて別の人を好きになり、一緒に遊ぶようになっても、その人とは同じグループだし、職場の上司なので関わりもあり連絡先を交換して。仕事で困ったとき、相談とかしていくなかで、また惹かれていって。去年の10月、他県に異動になって、その人の思い出を友達とかに話すと両想いって言われて辛くなったりもして。なんだかんだで今もたまに連絡を取り合って、楽しく過ごしています
愛知県 ひとみさん/女性25歳
出会いと別れ
小学校1年生の時、親が離婚。まだ小さくて、突然お父さんがいなくなることをなかなか受け入れることができなかった。母