
―― 景色が歌詞に繋がる瞬間というのは、ご自身のなかでどんな感覚なのでしょうか。
景色を目の前にして、「何か心に留まったな」と感じた時点で、もう自分の心情を重ねて見ているという感覚です。だから、景色が目に留まったその瞬間が、すでに作詞の一部なんです。
たとえば、「窓」という曲は、書いた時期が梅雨で。自分の家にある曇りガラスに、雨が吹きつけてくるんですね。すると、半透明でザラザラしていて、すべてがクリアに見えるわけではないのに、雫が垂れていくのがわかったんですよ。
そういう景色を目にしたとき、「ああ、これはひとの心も一緒だな」と思いました。相手の心のことを考えるとき、隔たりがあって触れられないし、曇っていてすべては見えない。でも、全部じゃないけれど、わかるものはわかるんだよな、と。そういう気づきが歌詞になるような作り方が多いですね。
―― 景色とご自身の心を結びつけるということが、もうTOMOOさんの思考の癖になっているのかもしれませんね。
昔からの癖だと思います。コンテストに出した「金色のかげ」も、まさにそういう作り方でした。ある日、空を見やすい場所に出たら、綺麗な夕焼けが広がっていて。しかも、夕焼けのときの雲って、灰色というか影っぽくなるんですよね。だから、ただ金色の空に染まっているわけではなく、雲が金色に縁取られて、そこから光が漏れてくるような光景だったんです。それを見たときに、「ああ、金色の輪郭だ」と思いました。
これはお話するのが恥ずかしいのですが…、実はその曲を書き始めたとき、小学校を卒業して離れ離れになってしまった好きな子のことをずっと引きずっていまして。中学時代、ほんの一言二言だけ会話する機会は一度あったけれど、別に仲よく遊ぶようなことも、道ですれ違うこともありませんでした。それで、思い出すとズーン…ってなっていたんです。
でも、暗い雲の影から金の光が漏れて、こっちにだんだんフワッって溶けてきて、空全体を満たしてくるという景色を見たとき、そこでやっと心がほどけたんですよ。「ああすればよかったかな」という後悔や、自分のなかでぐちゃぐちゃしていた気持ちから、「あ、抜けた」って思って。そして、その日のうちに丸1曲を書きあげました。雲の影と、縁取る光と、そこから溢れてくる光。3つの要素がそのまま自分の心情とリンクして曲になったという原体験でしたね。
―― まるで奇跡のような瞬間ですね。
景色がそういうふうに自分と繋がると、曲になります。でも、いつも心が反応するわけではないのですごく厄介です。毎回、気持ちが湯水のように湧いてくれたらいいんですけどね(笑)。
―― 最新作「大人になったら」は『映画クレヨンしんちゃん 奇々怪々!オラの妖怪バケ~ション』主題歌ですが、何を大切に作りましたか?
映画制作の方が、作品の大事な核として、「見えないものに思いを馳せたり、想像してワクワクしたり、そういう気持ちを今の子どもたちにも忘れずに持っていてほしい」というお話をされていたのが印象に残っていて、第一に大切にしようと思いました。今の時代は、スマホがあれば何でもアクセスできて、すぐに調べることができて、“わからないから想像する”ということが昔よりもずっと難しくなっている。そこから私は、“だけど、だからこそ…”というニュアンスを感じたんです。
歌詞を書くときには、妖怪たちに対するしんちゃんの気持ちだけではなく、いろんな登場人物の目線を意識しました。それと同時に、自分自身の気持ちも重ねていて。幼い頃、『ライオンキング』や『もののけ姫』に夢中で、ごっこ遊びをしながら、いろんな想像をしていたんです。その頃の感覚が、結局今の自分にも繋がっている気がしていて。大人になると童心は失われると言われることもありますけど、「本当に消えてしまうものなのかな?」とも思うんですよね。「童心」という言葉は、それこそ大人っぽくてイヤなんですけど(笑)。
私のなかでは、“子どもの自分”はどこかへいなくなったわけではなくて、扉が閉じられているだけなんです。ペラッとめくれたら、そこにいると思いたい。だから、妖怪に会いたい気持ちと一緒に、奔放だった子どものTOMOOにも手を伸ばしているというか、会おうとしているような感覚で書きました。
―― 一人称や二人称がないからこそ、よりいろんなひとが気持ちを重ねられる歌詞になっているように感じます。
たしかに。顕在意識ではなかったのですが、“いろんなひとの目線にしたい”という気持ちが歌詞に表れているのだと思います。あと、いつもはあまりリスナーの年齢は考えないのですが、今回は、小さい子も、そのお父さんやお母さん、おじいちゃんやおばあちゃん、いろんな世代の方が聴いてくれるかもしれないことも、頭の片隅に置きながら書いていましたね。
―― <大人になったら 見えなくなっちゃうの?>という疑問に対する、<それはウソだよ でたらめなんかに化かされないで>というフレーズも、答えを教えているようにも、子どもが「そんなの嘘だ!」と反発しているようにも捉えられますね。
いろんな思いが混じっていますよね。大人が子どもの頃を振り返って、「そんなことないよ」って言っている感じもあるし、子どもが、「そんなはずない」って言い張っている感じもある。妖怪が、「自分らに化かされるのはいいけれど、でたらめなんかに化かされないで」って言ってそうな気もします。
―― <今日も風が吹いてる 誰かに呼ばれたみたいで なんだか振り向いたら あちこち届く暗号>というフレーズは、先ほどお話しされていた“景色と心が結びつく感覚”にも通じる気がします。
まさにそのとおりですね。景色に立ち止まって、「あ!」って思ったとき、自分の心のなかにあるものだけではなく、“世界からのメッセージ”を受け取ったような感覚になることもあるんですよ。そのニュアンスを<あちこち届く暗号>と表現しました。私はそういうものを拾いたくなるし、書き留めたくなります。
―― <遠い日も今日はとなりどうし>というフレーズも好きです。過去と現在の距離がぎゅっと近づくような感覚がありますが、どのようなイメージで書かれたのでしょうか。
単純に時間が経ったからといって、記憶がおぼろげになってしまうわけでもない気がして。遠い日のあの子とか、遠い日の自分とか、まるで昨日のことのように今と繋がることがあるんですよ。たとえば、匂いとかの体感を伴って、ガッと蘇ったりする。心が一気にその頃へ近づいたなら、それはもう“遠いもの”とは言えないのかもしれない。そういう時間の伸縮みたいなイメージで書きました。
―― TOMOOさんが、とくに「書けてよかった」と思うフレーズを教えてください。
私も<遠い日も今日はとなりどうし>が好きですね。“言い切らないところ”が自分らしさなのですが、その曖昧さを大事にした上で何かを言い切るとき、歌ならではの力が生まれる気がしていて。だから、同じメロディーの<思ってるよりも すぐ近く>も、勝ち気な歌い方をしているんですよ。強く信じているから、パッションがあるんですよね。そういう“言い切らない”を踏まえての“言い切り”には、特別なパワーを感じます。