
―― 人生でいちばん音楽に心を動かされた記憶というと、何を思い出しますか?
ディズニーとジブリですね。2~3歳の頃から心酔していました。ひとりでごっこ遊びをしたり、英語版と日本語版の歌を交互に歌ったり。とくに『ライオンキング』と『もののけ姫』が大好きでした。どちらも動物が出てくるし、パッションが激しいし、音楽も印象的だったんです。
―― どちらの作品にも生命力がたぎっていますよね。
はい。そして、誇り高いんですよね。そのカッコよさが幼い頃の自分にフィットしました。『ライオンキング』の「Don't turn your back on me」というセリフをずっとマネしたり。『もののけ姫』のサンになりたかったんですけど、サンの兄弟として育った山犬も大好きで、ズボンのベルトを通すところにタオルを括りつけて、しっぽに見立てて出かけたり。もう毎日のように観ていました。
―― そこから徐々に、「音楽の道に行きたい」と思うようになっていったのでしょうか。
いや、そこに至るのはもっと先ですね。ジブリとディズニーの次は、ピアノにハマりました。5歳の頃、両親が中古の電子ピアノを買ってくれて、好き勝手に弾くようになったんです。6歳の頃に『千と千尋の神隠し』が公開されたのですが、主題歌の「いつも何度でも」を耳コピで弾けるようになって。「幼稚園のみんなも好きだから、弾いたら喜ぶかな」と思って披露したら、すごくいい反応をもらえたので、味を占めました(笑)。
そして、小学校に入学すると、音楽の授業でベーシックなクラシックを聴く機会がありまして。そのときに、「『トルコ行進曲』ってカッコいい。コピーしたい!」と思って、家に帰って弾いてみたら、それっぽくなったんですよ。すると両親が、「クラシックが好きなら、ピアノ教室に行ったら楽しいかもね」と勧めてくれて、小学1年生の終わり頃から近所のピアノ教室に通うようになりました。その段階でもまだ遊びの感覚でしたが。
―― ピアノを始めてからは、聴いたことがない歌詞に自分で即興のメロディーをつけて、歌って遊んでいたそうですね。
小学6年生の頃ですね。当時、テレビ雑誌の最後のほうに、その月に放送されているドラマ主題歌の歌詞一覧ページがあったんですよ。その頃はネット環境がなかったので、歌詞を読んで、「どんな曲だろう?」と想像するしかなくて。「私だったらこんなメロディーをつけてみるかも」と、気になった歌詞を即興で口ずさんでみるという遊びをしていました。
―― 無意識のうちに詞先の曲づくりをなさっていたのですね。
ああ!たしかに考えてみるとスタートから詞先ですね。そういう遊びをしていた頃、歌詞というかポエムのようなものも書き始めた気がします。テストを早く解き終えると、終了まで待ち時間があるじゃないですか。そのテスト用紙の隅に、空想したことや、ちょっとした文言を書いていたんです。
―― 最初に“歌詞”として意識して書いたものは覚えていますか?
小学6年生で卒業した春休みに書いたものは、尺的にしっかり歌詞だったと思います。私は受験をしたので、みんなが行く地元の中学校ではなく、ひとりで遠い街の中学校に進学したんです。もう友だちにも好きな子にも会えない。だから、その春休みが本当に寂しくて。そういう気持ちと、季節が変わっていく感じを重ね合わせて、「まだ前に進めない」みたいな、後ろ髪を引かれるような、王道の春歌を書いていましたね。
さらに、中学1年生の夏休みに、歌詞にメロディーも乗っているものが出来上がりました。その曲は、旅行先で暇になった時間に、宿泊先で書いたものです。「Evening glow」というタイトルで、夕暮れという意味なんですけど、「タイトルだから英語のほうがカッコいいかな」と思って、わざわざ電子辞書で調べました。王道の春歌がVol.0だとすると、夏の夕暮れの寂しさを描いた「Evening glow」がVol.1という感じですね。「Evening glow」は、ファンクラブライブとかYouTubeライブの余興的に何度か披露してみたこともあります。
―― 本格的な曲づくりが「Evening glow」からスタートしたのですね。
そうですね。大量ではないけれど、年に3曲ほど書いていた気がします。中学のときは、小学校と環境が変わったこともあり、誰かとの距離感に対して難しさを感じるようになっていて。馴染めないし、「素の自分って何だっけ?」と、わからなくなってしまって。そういうところから来る寂しさが膨れ上がっていたんですよね。それで、家に帰ったらひとりで、本音を曲に吐露するという流れができていたように思います。
そんななか、すごく踏み込んだ話をできる友だちができたんです。素の私を見抜かれたことが嬉しくて。今まで抑え込んでいた気持ちがバーッって溢れて、手紙代わりの1曲が生まれました。当時、その子と文通をしていたんですけど、「返事を書く前に曲ができちゃったから聴いてほしい」と言って、使ってない時間帯の音楽室についてきてもらって、そこでパッと弾き語りをしたんですよね。すると、その子が、「歌を職業にする道を考えたほうがいいと思うよ」みたいなことを言ってくれて。そこから私も意識するようになっていきました。
―― 「歌を職業にする道を考えたほうがいいと思うよ」と言われたとき、TOMOOさん自身も、「歌を仕事にしたい」という気持ちになりましたか?
なぜか最初は、「曲を書けるひとなんていくらでもいるよ。自分はそんなに珍しいことではないし、それを仕事にするなんて難しいよ」という感じでした。
でも、中学3年生か高校1年生の頃、お昼休みに広めの教室でミニコンサートをやる企画があったんです。やりたいひとが自由にエントリーする形式で、お笑いをやるひともいれば、歌や楽器を披露するひともいて。私は弾き語りをしました。そうしたら、先輩や後輩、友だちがたくさん観に来てくれて、「いいじゃん」と言ってもらえたんです。その体験によって、また一段階、「歌の道もありかな」という気持ちが高まりました。
さらに、高校で友だちから、「音楽コンテストには応募しないの?」と言われたことがあったんです。それで気になって調べてはいたものの、外の世界の話という気がして、なかなか踏み切れなくて。そんなとき親から、「受験があるんだから、高2がラストチャンスなんじゃない?」と背中を押されました。「たしかに。じゃあ、もうやるしかない」と思って。それで中学3年生のときに作ったオリジナル曲「金色のかげ」のデモを録って応募したんです。そこから音楽業界の方と会う機会ができて、歌の道に進むことが一気に現実味を帯びていきましたね。
―― いろんなタイミングで、いろんな方に背中を押されながら、歌の道へ進まれたのですね。
本当にそうです。自分ひとりだったら、ミュージシャンになろうとは思ってないかもしれません。いつも背中を押されながら、ここまで来たような気がします。
―― 歌詞という面で、“TOMOOらしさ”が確立されてきたと実感したタイミングはありますか?
最近かもしれません。10代から21~22歳くらいまでの私の歌詞って、少し重くて、しっとりしていて内省的で。我慢している感じ、距離を詰めたいけれど詰められない感じの内容が多かったと思うんです。もともと曲を書く理由が、「言いたかったけれど言えなかったことを、曲のなかで言う」というところから来ているから、歌詞にもそういう人間性が出ていました。内側でずっしりと思っているようなものが自分らしさというか。
でも近年は、“言い切らないところ”が自分らしいように感じます。一見するとネガティブなように思えることを、ネガティブで終わらせないというか。飲み込んで我慢するというより、「それは本当にネガティブなことなのかな」と捉え直す。そういう姿勢が、大人になってからの自分の楽曲には、少しずつ表れるようになってきた気がします。
あと、今も昔も、本質的に変わってないように思う“らしさ”は、暗いほうを経由してから、希望や明るさ、安心感を描くようにしているところですかね。そういう抽象的な精神性は一貫しているように感じます。
―― 大きく変わったというより、一貫しているものがありながら、グラデーションのように変化してきた部分もあるんですね。
そうですね。すごく女の子っぽい歌詞を書いているときもあれば、性別がわかりづらいもの、男の子っぽく感じるものを書くときもあって。そこも昔から行き来している感覚があります。もうひとつ、多かれ少なかれ視覚的なことを歌詞に入れるというところも変わらないですね。昔から、思いだけを歌詞として書き連ねることが難しいんです。だから、いつも何かしらの景色を手がかりにしながら、曲を書いています。