日本語の美しさが好きだし、緑黄色社会のメロディーによって映えてくる。

―― 挿入歌「マジックアワー」はどのようなイメージで書かれた歌詞なのでしょうか。

小林 ドラマ1話のラストですね。最後に花火が上がるんですよ。そのシーンをイメージして歌詞を書きました。

―― サマータイムシンデレラ」は<ふたり>でしたが、「マジックアワー」は<あたし>にスポットを当てた歌詞ですね。水面として<どんな姿も受け止めるから>という器の大きさもあるし、一方で<見上げていさせて>という一途さもある心が素敵です。

小林 この<あたし>は実際に器が大きいというより、むしろ「本当はそんな器の大きさなんかないけど、とりあえずこっちに来て」という気持ちが強い感じなんですよね。僕はとくに2番~ラストまでのブロックすべてがお気に入りです。映像が繋がっているというか。

長屋 私もその流れのなかの<あなたを見つめる>から<たとえ夜風があなたを攫い>ってテンションが切り替わる瞬間が、自分を含め聴いてくれるひともグッと来るポイントかなと思います。だから歌い方もすごく意識しましたね。

―― 先ほど晴子さんは「変幻自在な声」というお話がありましたが、まさに「サマータイムシンデレラ」と「マジックアワー」もまったく違う表情で、役者性がある歌声でもあるなと感じました。

長屋 あ、最近よく言われます。たしかに私、顔の表情で歌っているところもあるので、顔がうるさいんですよ(笑)。でもそういうタイプだからこそ、平たんにならず感情を乗せやすいし、演じるように歌うのが好きなのかもしれないです。カラオケで他のアーティストの曲を歌うときでも、表情で歌うのが染みついている気がします。

―― もう少し作詞についてお伺いしていきます。壱誓さんは2021年の歌詞エッセイで「余白を持たせて、でも具体的に。」という作詞理念を綴られていましたよね。

長屋 あ、それ読んだよ。「この記事は長屋には絶対に読まれたくない」って書いてあったやつだ。

小林 読むなよ(笑)。でもその作詞論はずっと変わらないですね。

―― 晴子さんはご自身の作詞理念を挙げるとすると?

長屋 昔から変わらず言い続けているんですけど、歌詞は相談相手なんです。自分の気持ちを吐くことは苦手だけど、歌詞が唯一のその場所。だから「歌詞は素直であるべき」、とここ数年より強く思うようになっていますね。素直に書くことで、同じことを思っているひとたちがより深く聴いてくれるといいなって。

―― 小林さんにとって、歌詞はどういう存在のものになりますか?

小林 僕は映像を書き起こしているものかな。そういう手法が好きなんですよね。

長屋 私の場合は日記に近いけど、壱誓は“作品”って感じがする。

小林 そうですね。どこか映画を小説として書き起こしているような…。

長屋 わかる。私の歌詞は違う曲でもどこか関連性があったりするんですよ。それこそ主人公像が重なったり。でも壱誓はかなり違う。一話完結というか。1曲がショートフィルムみたいだなって思う。

―― その映像というのはどこから生まれるのでしょうか。

小林 それが僕もわからなくて。こうやってインタビューでも、長屋とライターさんが喋っているとき、まったく違うことを考えていたりするぐらい、常に思考が飛び飛びしちゃっているんですね(笑)。それと同じ感覚で急にパッと映像が浮かんできたりするんですよ。

長屋 考えようと思って考えるわけじゃないの?

小林 うーん、具体的な言葉を出していくなかで、自然と映像が浮かんでくるんだよね。あ、そういえば、今回の「マジックアワー」の歌詞で描いた花火も、『ジョー・ブラックをよろしく』という映画のワンシーンから影響を受けていたことを思い出しました。

―― タイアップが関係ないとしたら、どんなときに曲ができるのですか?

小林 いや、僕はできないんですよ。

photo_03です。

長屋 テーマがあったほうが発揮するタイプだよね。とくに最近の壱誓は作家だなって思います。そういう意味だと、私は何かを受けて書くほうが苦手。自分のメーターが溜まらないと出せない。だから難産なことが多いんですよね。逆に自分のメーターが溜まっているときには次々歌詞が書きたくなる。実は「こういうシチュエーションのこういう感情を書いてください」っていうオーダーがいちばん難しいかもしれないです。

―― すると、「サマータイムシンデレラ」のような「夏」の「王道ラブストーリー」で、というオーダーもかなり難しそうですね。

長屋 そうなんですよ。そもそも昔は夏がすごく苦手だったので(笑)。最近でこそ好きになってきたんですけど、学生時代は暑すぎて外に出るのをためらっていましたし。自分の夏の経験が少なすぎて、メーターが溜まっていないから難しかったというのも大きかったですね。

―― 晴子さんはご自身の体験から歌詞のインスピレーションが生まれるんですね。壱誓さんの場合は、やはり映像から得ることが多いですか?

小林 そうですね。自分の財産になっているなって改めて思うんですけど、中学生のとき暇さえあればゲオに行って、DVDレンタルしていたんですよ。ロングヒットのものから、そのときのトレンドのものまで、1日3本ぐらい観て。1つ1つの作品をちゃんとは覚えてないんですけど、映像として頭のなかに残っている。

だから今、どんな言葉からもいろんなシーンが頭に浮かんでくるっていうのがあって。自分自身の想像かと思いきや多分、過去に観た何かなんですよ。それがインスピレーションになっているかなと思います。

―― 膨大な映像が脳内に保存されていて、曲を書くときに降りてくるんですね。とくに印象的だった映像作品はありますか?

小林 『Mr.ノーバディ』とか『クラウド アトラス』とか。『Mr.ノーバディ』にはありえない不可思議なものが詰まっていて。『クラウド アトラス』は3時間くらいある映画なんですけど、ファンタジーな世界観で、映像としての美しさもある。たとえばモノが壊れて舞っているスローモーションのシーンとか。世の中に溢れているいろんなMVのいいところをギュッとしたような作品なんですよね。そういう映像がとくに記憶に残っています。

―― また、晴子さんに以前「使わないようにしている言葉」と「よく使う言葉」をお伺いしたときに、使わないのは「英語」で、よく使うのは「愛」だとおっしゃっていましたが、今はいかがですか?

長屋 そこはあまり変わってないかもしれないな。英語を避けているわけではないんですけど、単純に知識がない(笑)。あとやっぱり日本語の美しさが好きだし、緑黄色社会のメロディーによって映えてくるんですよね。だからあえて日本語を選んでいるところがあって。そして今も「恋」よりは「愛」のほうが出てきます。だから「サマータイムシンデレラ」で久しぶりに「恋」という言葉を使いました。

小林 僕の場合、「使わないようにしている言葉」がめちゃくちゃあると思います。自分のなかでルールがあるというか。でもそれが何なのか紐解いたことはないんですけど…。きっと僕の好きなBUMP OF CHICKENの藤原基央さんも同じような方だと思っていて。美的感覚というか、本能的な価値観を基準に言葉を選んでいる気がしますね。

長屋 同じ意味でも、「こっちは違うな」って避けたりするよね。言い換えて伝えたり。

小林 うん。「この曲を聴いた子どもがどう育つか」とかまで考えますね。逆に好きな言葉は…。長屋なんかある?

長屋 好きな言葉かぁ…。特定の言葉というより、言い回しとか、マイルドでシンプルなんだけどおもしろい言葉が好きかな。それこそ誰かの歌詞で出会うことが多いかも。たとえば吉澤嘉代子さんの歌詞とかすごく好きで。口調とか切り取り方が素敵だなって、どの曲でも思いますね。柔らかいんだけど、特徴的というか。

小林 あ、僕ひとつ美しいなと思っている言葉があって。誰もいまだに使ってないと思うんですけど。

長屋 それ言っちゃっていいの?

小林 大丈夫。逆にここで言っておけば先取りになるから(笑)。「名告り」と書いて「なのり」って読むんですよ。それは「ひとに名前をつけるとき、そこでようやく魂が入る」みたいな意味がある言葉で。

長屋 いいね。

小林 どうやって出会ったか忘れちゃったんですけど、ずっとiPhoneのメモにいて。いつか名前というものに特別な意味を持たせたいとき、使いたいなと思っているんです。これは好きな言葉かもしれないですね。

―― ありがとうございます!では最後にこれから挑戦してみたい歌詞を教えてください。

長屋 「サマータイムシンデレラ」もそうですけど、こういう前向きなラブソングには今後も挑戦してみたいです。緑黄色社会はまだ一歩引いた視点からの歌が多いと思うんですよね。

―― 「好き!」が全面に出ている歌も晴子さんの歌声に似合いそうです。

長屋 よくそう言っていただけるんですけど、自分では絶対に似合わないと思っていたから(笑)。でも今回はドラマのタイアップということもあって挑戦することができたので、これからも避けずに歌ってみたいですね。

小林 僕はさっき作詞理念のお話に出た、「余白を持たせて、でも具体的に。」みたいなことを最近やりすぎている気もしていて。具体的な言葉と心情・内情を表す言葉のバランスとかを考えすぎちゃうんですよ。だから辻褄がすべて合っていて、綺麗な歌詞になりすぎるというか。そこを1回ぶっ壊すのもやっていいのかなって思っています。たとえば全部思っていることだけを書くとか。そういうチャレンジもしてみたいですね。


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