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第68回 中島みゆき「糸」
 昨年の11月、中島みゆきの新作アルバム『相聞』がリリースされた。話題となったドラマ『やすらぎの郷』の主題歌「慕情」を含む全10曲入りだ。 CD不況が叫ばれ何年も経ち、オリジナル・アルバムを完成させることから縁遠い大物アーティストも居るなかで、彼女は比較的、コンスタントに発表している。

でも、僕はこう思う。音楽シーンがどうあれ、中島みゆきは根っから「歌を紡ぐことが好きな人」なのだろう。 このアルバムのジャケットに並ぶ曲名を見ていて、まず「移動性低気圧」って曲に“食いついて”しまった。みゆきサンがこのタイトルで書くということは、きっとシャレてて、技アリの歌詞なのだろう…。 実際、“女の心は低気圧”“男の心は高気圧”、なんいうフレーズが聞こえてきた。因みにこの文章を書いているのは、南岸低気圧の到来で、ブルブル震えている最中なのだけど…。

中島みゆきの“ヒット曲”の特徴とは?

 今月は、上手い具合に話が繋がっていく。今回、取り上げさせていただく「糸」も、男と女にまつわる歌。ご承知の通り、とても多くのアーティストにカバーされている。

彼女には、息の長い“ヒット曲”が沢山ある。ドラマや番組のテーマとして多く人達の耳に触れ、チャートを駆け上がった作品も多いが、時を経て、新たにドラマで使われたりという例も多い。

「糸」がそうである。もともとは92年のアルバム『EAST ASIA』の一曲だったが、ドラマ『聖者の行進』で使用され、98年に「命の別名」とともにシングルとしてリリースされている。
ジャケット画像です。
「糸」
1998年2月4日発売
ポニーキャニオン
歌詞を見る。
中島みゆき
1952年北海道出身。1975年「アザミ嬢のララバイ」でデビュー。同年、世界歌謡祭「時代」でグランプリを受賞。1976年アルバム「私の声が聞こえますか」をリリース。現在までにオリジナル・アルバム41作品をリリース。アルバム、ビデオ、コンサート、夜会、ラジオパーソナリティ、TV・映画のテーマソング、楽曲提供、小説・詩集・エッセイなどの執筆と幅広く活動。日本において、70年代、80年代、90年代、2000年代と4つの世代(decade)でシングルチャート1位に輝いた女性アーティストは中島みゆき、ただ一人である。

カバーしたくなる楽曲は“共感の分母”が大きい

 同時代のアーティストに、カバーされることも多い。それもあり、人々の心を“ヒット”し続けるのだ。
あれは2004年の1月。「ラフォーレミュージアム六本木」で行われたBankBandの初ライブの時だった。桜井和寿は「糸」を歌った。ここからふたたび、この楽曲に新たな光が当たり始めた部分もあるだろう。

でも、そもそもカバーされる楽曲には、どんな特色があるのだろう。まず、歌のテーマの“共感の分母”が大きいことが挙げられる。まさに「糸」がそうだ。人の縁(えにし)…。男と女…。永遠のテーマである。

もうひとつ。“自分の色”にして歌えそうな曲調、というのもあるだろう。この歌がそうだ。しかし、いっけん淡い色彩のようで、誰が歌っても、もともと備わる原色が、自己主張する歌でもある。それが即ち、“共感の分母”の大きさ、ということかもしれないが…。

当時、本人はこの作品に関して、どんな発言を?

 「糸」はアルバム『EAST ASIA』のラストを飾る作品である。当時、彼女は取材において、「かたっぽだけじゃ、できることに限界があるっちゃねぇ、っていう歌」だと発言している(『月刊カドカワ』92年11月号 以下同)。この場合の“かたっぽ”とは、女だけでも、男だけでも、ということ。さらに、「それぞれの特性のいちばんおいしいところを合わせて、はじめて物事ってうまくいく」、とも…。

男女雇用均等法が施行されたのは、この歌が世に出た数年前だけど、“男女を平等に”とか、そうしたメッセージではない。それより、「どこまでいっても違うもんは違う。違うからおたがい触発されることもある」。彼女はインタビューで、そう言っている。

「糸」のみならず、これは『EAST ASIA』というアルバム全体にも言えることなのだそうだ。となると、曲順にも注目である。1曲目の「EAST ASIA」からずらりと“各論”が並び、最後に“総論”的な内容を響かすのが、すなわち「糸」なのだろう。

最後の最後に座布団一枚あげたいオチが

 当コラムらしく、最後は歌詞について、具体的に書いていく。まずは冒頭の部分だが、人と人の巡り逢いに関して、丁寧に考察している。同じフレーズの繰り返しで耳に馴染み易い雰囲気のなか、それゆえ[なぜ]と[いつ]という、これらのコトバの差異、重みが際立つ。

繰り返しによる効果は、さらに続く。2番の冒頭も巧みだ。ここでふたたび、歌詞は[なぜ]から始まっていく。私たちの耳は、1番ではそれを[いつ]で受けたことを覚えているので、つい“空耳”しかかっていると、予想外の[夢追いかけ]というコトバで変化がつけられる。心地良い刺激となる。

これはまさに、「詩」ではなく歌の「詞」であるからこその効果だ。紙の上の「詩」として受取った場合、頼りになるのは字面だけ。ところが歌には、コトバにメロディという伴侶がいて、それが同じ繰り返しなら、コトバも似た繰り返しなのだろうという意識を誘発し、“空耳”しやすくもなるわけである。

そして、「糸」を名曲たらしめんとするのが、[こんな糸が][心許なく][ふるえてた]の部分だろう。もちろんこれは、織りなし「布」となる、それ以前の状態を表わす。

先ほど引用させていただいた、「かたっぽだけじゃ、できることに限界があるっちゃねぇ、っていう歌」という、この発言を思い出してみよう。確かに細い糸の状態では、取れたボタンを直すくらいしか出来ない。誰かを[温め]たり傷を[かばう]ことは出来ないのだ(しかし糸があれば、傷を縫い合わすことが可能だ、とか、そういう医療系ツッコミは、今回、却下させてください)。

最後の最後。歌詞の最後にオチ、ではないけど、ヤマダくんが座布団あげたくなるフレーズがあって、歌は終わっていく。そう、[逢うべき糸]に出会うことが[仕合わせ]、というヤツである。

“運命の赤い糸伝説”への不満から生まれた?

 ここからはまったくの邪推だ。もしかしてこの歌は、「運命の赤い糸伝説」というものについて、まぁあれも北宋時代の中国の、『太平広記』に由来する由緒あるものではあるんだろうけど、なんか運命というものの絶対性に、偏りすぎてて詰まらなくもあるわよねぇ~、という、そんなみゆきサンのアンチな気分が働き生まれた楽曲なのではなかろうか? こんなこと書くと、世の中の総ての“赤い糸”系ソングを敵に回しそうだが…。

でも想像してみて欲しい。本人達は気付いてないかも知れないが、小指と小指を結ばれている男女複数が、赤信号で一斉に渋谷スクランブル交差点を行き来したら、どうなっちゃうのだろう? そう。こんがらがる。最近は外国人観光客も非常に多く、国際的にこんがらがる。

そこはやはり、みゆきサンの稀代の名曲かつ秀逸な“機織りソング”である「糸」に、ぜひ登場してもらうしかないのである。
INFORMATION
ニューアルバム『相聞』
2017年11月22日発売
YCCW-10315 ¥3,000 (税抜)
ジャケット画像です。
<収録曲>
アマゾン画像です。
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