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第140回 服部良一と笠置シヅ子の世界
 さて今月は、いつもとは趣向を変え、現在放送中のNHKドラマ『ブギウギ』のなかに鳴り響く、服部良一と笠置シヅ子の世界を取り上げる。

ドラマ人気もあり、ネットの特集記事、書籍、音源など、いま現在、“ブギウギ”にまつわるものは実に活況だ。ちなみに僕は、手元にあった服部良一の書籍『ぼくの音楽人生』(中央文芸社)を読み返したり、3枚組CD『ブギの女王-笠置シヅ子』(日本コロムビア)を聴き直してたのだけど、その結果、書きたいことが山ほど生まれた。とはいえ本コラムでは、いつも通り、歌詞中心に攻めていくことにする。
「ラッパと娘」の謎の言葉。“バドジズ デジドダー”
 この名コンビが誕生したのは、舞台でエネルギッシュに歌う笠置シヅ子に魅了され、服部良一が楽曲提供を申し出たのがキッカケだった。それが作品として結実した初期のものが、ドラマ『ブギウギ』の前半で大きな役目を担った、「ラッパと娘」という作品だ。なおこの作品は詞も曲も服部作である。

ちなみに当時の楽曲は、まず舞台のために書かれ、評判になったものがレコード化された。この歌も、そのなかのひとつであり、彼女のコロムビア・レコードでのデビューとなる。

「ラッパと娘」というタイトルがつけられたのは、歌とトランペットの掛け合いがウリの作品だからだろう。その際、1937年のパラマウント映画『画家とモデル』のなかで、女優のマーサ・レイとトランペットのルイ・アームストロングが共演する姿がヒントとなったそうだ。

ドラマを観ていたヒトなら、[楽しいお方も 悲しいお方も]の歌い出しは、覚えてしまったのではなかろうか。でもその次に[誰でも好きな その歌は]ときて、「誰でも好きな“その歌”って、どんな歌なの?」と、耳がひきつけられる構成になっている。で、そのあとが実にユニークなのである。

“その歌”が具体的に示されるわけじゃなく、[バドジズ デジドダー]と歌われる。つまり、それが答だ。さらに[ダドジバジドドダー]も出てくる。さらにさらに、[ドジダジ デジドダー]へ発展する。でもこれ、いったい何処の言葉なの?

実はジャズのボーカルでいうところの、「スキャット」の手法なのである。起源としては、楽器の口まねしたのが最初であり、上手に取り入れれば、まさに言葉を超えて、多くの感情を伝えられた。

この歌などまさにそう。言葉を超える。「ラッパと娘」は何を伝えたいんだろう、なんて考えるのは無粋なのである。歌の冒頭で、“楽しいお方”にも“悲しいお方”にも呼びかけているように、どんな人達にもこの「スキャット」を通じて、エナジーチャージしちゃうのがこの作品の特色。楽曲全体に波打つジャズのスウィング感と、笠置シズ子の肉体的な歌声こそが、最大のご馳走なのだった。
ジャケット画像です。
「ラッパと娘」
1939年12月発売
歌詞を見る。

服部良一
明治40年10月1日生まれ。大阪府大阪市出身。16歳で姉のすすめで音楽をはじめ、ウクライナ人の音楽家エマヌエル・メッテルにその才能を見いだされ、音楽理論、作曲の指導を受け、ジャズに出会い、和製ポップスの礎を築いた作曲家。1934年に大阪から上京、後にコロムビアの専属作曲家となる。

昭和12年「山寺の和尚さん」を発表。その後「別れのブルース」「雨のブルース」が大ヒット。昭和15年に東宝映画『支那の夜』の音楽を担当し、「蘇州夜曲」を主題歌として作曲する。昭和20年上海で終戦を迎え帰国。日劇や有楽座などで多くの舞台音楽を担当する。昭和23年映画『青い山脈』の音楽を担当。翌昭和24年笠置シヅ子とタッグを組んだ「東京ブギウギ」をはじめとするブギウギの名曲をヒットさせる。

戦中戦後に渡り、数多くの映画音楽、舞台音楽、社歌、校歌などを作曲し、生涯で作編曲した楽曲は3000曲以上。また、村雨まさをのペンネームで「買物ブギ」「銀座セレナーデ」など作詞家としての一面もある。

笠置シヅ子
大正3年8月25日生まれ。香川県出身。昭和2年、大阪松竹楽劇部(OSK日本歌劇団の前身)に入り、三笠静子の芸名で初舞台を踏む。その後、芸名を笠置シズ子と改め、作曲家・服部良一と組んでジャズ歌手として売り出すも、戦時中ゆえ、当局の指導によりたびたびの公演中止を余儀なくされる。

昭和23年1月に発売した「東京ブギウギ」が大ヒット。“ブギの女王”と呼ばれたが、昭和30年に録音、翌31年1月に発売した「たよりにしてまっせ」を最後に歌手を引退。その後は芸名を笠置シヅ子と改めて晩年まで芝居やテレビドラマなどで活躍した。昭和60年3月30日、70歳で死去。令和5年秋放送の「NHK連続テレビ小説『ブギウギ』」のヒロインのモデルとなった。
戦時中なのに“まったり”しちゃう「アイレ可愛や」
 やがて太平洋戦争が激化し、戦時中の文化統制により、舶来品のジャズは敵性音楽とされ、大っぴらに演奏出来なくなる。ドラマ『ブギウギ』でも、そんな世相が詳細に描かれていた。でも服部良一が知恵を絞り、網の目をかいくぐるかのように書かれたのが「アイレ可愛や」である。

作詞は藤浦洸。彼は服部とのコンビで、淡谷のり子の「別れのブルース」も作詞している。ちなみに淡谷の歌も、ドラマのなかで重要な役割を果たした。

「アイレ可愛や」のメロディは、南の島の民謡みたいな雰囲気だ。ならば舶来品であり、軍の統制にあいそうだが、実は当時、日本の軍隊は戦略物資確保のため、インドシナなど南方へ進出しようとしていた。なのでこの曲調は、敵性ではなく、むしろ目指すべき場所、みたいな捉え方もされ、自由に歌えた。服部良一の、実に巧妙な作戦であった。

歌詞をみると、戦時中とは思えぬほど長閑(のどか)な雰囲気だ。どうやら[アイレ]は、[村娘]の名前のようである。興味深いのは、この村娘がカラの鳥籠をぶらさげ、小鳥を追いかけて、[村から村へと 流れゆく]というシチュエーションであることだ。そしてついに、[白い鳥」をみつける。そして最後、[白い小鳥が 歌います]、というのが歌の結末部分。

メルヘンな感じの歌なのだが、たびたび登場する鳥籠は、この時代の抑圧された気分の反映かもしれない。みつけた白い小鳥が[歌います]については、音楽が自由にやれる世の中が、再びくることへの願いを込めたと受け取れるだろう。
ジャケット画像です。
「アイレ可愛や」
1946年11月発売
歌詞を見る。
ドラマにはこれから登場する名作を最後に
 この原稿を書いている時点で、まだドラマ『ブギウギ』のなかで、あの曲は誕生していない。でも予告の粗筋をみたら、そろそろのようだ。あの曲とは、「東京ブギウギ」 である。

服部がブギウギというリズムに興味を持ったのは、以下の理由からだ。つまり、バッハの通奏低音のような低音の繰り返しの動きが作用し、躍動するリズムを生み出すという、この音楽スタイルの構造的な部分に興味が湧いたのだ。

さっそく彼は行動し、実験する。「荒城の月」をブギにしたり、ビゼーのメロディにブギを加え、「ジャズ・カルメン」として発表したりした(この部分、書籍『ぽくの音楽人生』を参考にさせて頂いてます)。

そして遂に、自らのブギウギの解釈が、大きな花を開かせたのが、「東京ブギウギ」なのである。なお、作詞は鈴木勝だが、レコーディング直前に服部も加わり、さらに弾んだ歌になるよう、手直ししたという。

それも功を奏し、出だしから絶好調だ。曲のタイトルから歌詞が始まる斬新さもいいが、それに続けて[リズムウキウキ 心ズキズキ ワクワク]というのは完璧な言葉の三段跳び。“ズキズキ”“ワクワク”ときたら、もう平常心ではいられない。下向きの心も見事に持ち上がって前を向く。

ひとつ、重要なことに気づく。「東京ブギウギ」というくらいだから、東京の歌だと思いきや、この解釈は正確ではない。なぜならこの歌は、[海を渡り響く]のだし、[ブギを踊れば 世界は一つ]だからである。つまり、このブギウギは東京産まれは東京産まれだけど、世界中に鳴り響き、世界をひとつにするものなのですよ、というわけ。実にスケールがデカい。同じ東京でも、藤山一郎が歌った「東京ラプソディ」とは、だいぶ違うのだった。
ジャケット画像です。
「東京ブギウギ」
1948年1月発売
歌詞を見る。
INFORMATION
『決定盤 笠置シヅ子「ブギの女王」』

2006年9月27日発売
COCA-71106~8 ¥5,028(税込)

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