「春なのに」
1983年1月11日発売
フィリップス・レコード
柏原芳恵
1965年10月1日生まれ、大阪府大阪市出身。柏原よしえの名で1980年6月1日、シングル「No.1」でデビュー。1981年10月15日発売の7枚目のシングル「ハロー・グッバイ」が大ヒット。レコード大賞・ゴールデン・アイドル賞を受賞。1982年10月1日、シングル「花梨」の発売と同時に“よしえ”から“芳恵”に改名。「春なのに」、「最愛」など、中島みゆき作詞・作曲作品を中心にトップ10ヒットを1981年から1986年の間に18作品出した。
注意! 制服の第二ボタンの取り扱いについて
ここ最近のニュースとしては、ジェンダーレス制服の導入も広がっている。素晴らしいことだ。しかしこの歌に関しては、男子生徒は学ラン、女子はセーラー服という学内の風景だ。伝統の儀式に則って、女の子は憧れの先輩から制服のボタンをもらう。
先輩にとって、その女の子はあげるに値する対象だったろうが、しかし彼女のその後の行動は、なんとも大胆だ。もらっておいて、[青い空に 捨てます]、なのだから…。
青い空…。さすが中島みゆきだ。いや、今さらこのヒトの作詞能力を褒めても、太陽は東から昇りますよ、というのと同じくらい自明のことなのだが…。
で、もしこの歌、その子がそのボタンを通学途中の近くの川かなんかに捨ててたら、これほどの名曲にはならなかった。歌全体の印象も変わっていた。
先輩の彼女に対する裏切り、みたいなことへの怨恨、といったことのほうが、より多く滲む歌になってしまっていただろう。
青い空…。
それは気持ちの濾過フィルターみたいなものでもある。金のボタンは、やがて地上に落ちてくるのだが、濾過され、そこに残ったものは、ただただ老若男女、誰しもが感じる「切なさ」なのである。
「春なのに」は、“なのに”がともかく効いている
効いている、どころの騒ぎではない。この作詞法はずるい、とも言える。この歌のタイトル、および歌の中で繰り返される[春なのに]というフレーズが、ともかく効いているのだ。
“なのに”というのは、春に起こるべき、または、春に期待されるすべての事象に掛かってくる言葉だ。聴き手はその瞬間、感情移入のための巨大なスペースを与えられる。我々は、中島みゆきから表紙にただ「春」とだけ記された白紙のノートを手渡されたようなものだ。
そこに私やアナタが思い浮かべる、または期待する出来事を、自由に書き記すことが出来る。
吉田拓郎[春だったね」関連説
偉大な中島みゆきには影響を受けた人物がいる。その一人は吉田拓郎だろう。そしてふと思えば、彼には「
春だったね」という名作がある。
「春なのに」と「春だったね」。歌の内容はまったく違うのだが、なんとなく関連がありそうな気もするのだ。
ひとつ言えるのは、どちらの曲も、先述した“「春」とだけ記された白紙のノートを手渡されたような”気分になる歌、ということである。
さて、ここからは中島みゆき自身のことを。先ほどまで、『中島みゆき 2020 ラスト・ツアー「結果オーライ」』を聴いていた。本作はコロナの拡大により惜しくも前半8公演のみを消化した時点で中止となった、彼女のラスト・ツアーのライヴ盤である。こうしてライブ盤が出たのは、このツアーが延期ではなく、中止であるからであって、再開はされない。
ファンとしては、この事実をどう捉えるか悩ましいところだ。希望的に考えるなら、ツアーこそやらないが、ライブは折に触れやっていく、という今後の活動方針だ。でも、ラスト・ツアーがコロナで中止になったという事実は、(もちろんパンデミックを好意的に受け止めるなんてことはあり得ないという前提で敢えて書くなら)、もうひとつ、別の力が働いてのことだったかもしれない。それは、中島みゆきがそこに打とうとした[句点」を、どこかに隠してしまうという行為…、なのだ。