第116回 柏原芳恵「春なのに」
photo_01です。 1983年1月11日発売
 春の歌も様々だが、まず思い浮かぶのは、冬という閉ざされた季節から一転、様々なモノが活発化する様を描いた作品だろう。

代表的なのは、今もこの季節によく聞かれるキャンディーズの[春一番]である。しかしこれは、あくまで1970年代の歌。歌詞のなかの[重いコートぬいで出かけませんか]は、ウルトラライトダウンな世の中しか知らない若い方には、[はぁ?]って感じかも知れない。


でも、マジで重かったんです、昔のウールのコートは。男用も女用も。僕も親父のお下がりで、肩にずっしりくるの着てた時期が…。

さらに春の歌の定番は、特に日本の場合、この季節に会社の年度末と学校の学年末が重なるがゆえ、別れと出会いの歌ということになる。

学年末の歌は「卒業ソング」という一大ジャンルを形成し、今日に至った(別れと出会いというテーマをさらにビジュアル化したのが、その後の「桜ソング」だ)。さて本題…。

卒業ソングの不朽・不動の名作「春なのに」

 そもそも「卒業」というタイトルの名作も多いし、松本隆が書いた斉藤由貴の[卒業」も超有名だ。[セーラーの薄いスカーフ]で時間を[結ぶ]あたりの発想は流石である。

でも、今回メインで取り上げるのは、このジャンルにおける最高傑作であろう「春なのに」だ。柏原芳恵が1983年にリリースしたシングルで、作詞作曲は中島みゆきである。

実はこの時、柏原はカップリング曲として中島のファーストアルバム『私の声が聞こえますか』に収録されていた「渚便り」も歌っていて、この選曲も大いに注目されたのだった。

注意! 制服の第二ボタンの取り扱いについて

 ここ最近のニュースとしては、ジェンダーレス制服の導入も広がっている。素晴らしいことだ。しかしこの歌に関しては、男子生徒は学ラン、女子はセーラー服という学内の風景だ。伝統の儀式に則って、女の子は憧れの先輩から制服のボタンをもらう。

先輩にとって、その女の子はあげるに値する対象だったろうが、しかし彼女のその後の行動は、なんとも大胆だ。もらっておいて、[青い空に 捨てます]、なのだから…。

青い空…。さすが中島みゆきだ。いや、今さらこのヒトの作詞能力を褒めても、太陽は東から昇りますよ、というのと同じくらい自明のことなのだが…。

で、もしこの歌、その子がそのボタンを通学途中の近くの川かなんかに捨ててたら、これほどの名曲にはならなかった。歌全体の印象も変わっていた。

先輩の彼女に対する裏切り、みたいなことへの怨恨、といったことのほうが、より多く滲む歌になってしまっていただろう。

青い空…。

それは気持ちの濾過フィルターみたいなものでもある。金のボタンは、やがて地上に落ちてくるのだが、濾過され、そこに残ったものは、ただただ老若男女、誰しもが感じる「切なさ」なのである。

「春なのに」は、“なのに”がともかく効いている

 効いている、どころの騒ぎではない。この作詞法はずるい、とも言える。この歌のタイトル、および歌の中で繰り返される[春なのに]というフレーズが、ともかく効いているのだ。

“なのに”というのは、春に起こるべき、または、春に期待されるすべての事象に掛かってくる言葉だ。聴き手はその瞬間、感情移入のための巨大なスペースを与えられる。我々は、中島みゆきから表紙にただ「春」とだけ記された白紙のノートを手渡されたようなものだ。

そこに私やアナタが思い浮かべる、または期待する出来事を、自由に書き記すことが出来る。

吉田拓郎[春だったね」関連説

 偉大な中島みゆきには影響を受けた人物がいる。その一人は吉田拓郎だろう。そしてふと思えば、彼には「春だったね」という名作がある。

「春なのに」と「春だったね」。歌の内容はまったく違うのだが、なんとなく関連がありそうな気もするのだ。

ひとつ言えるのは、どちらの曲も、先述した“「春」とだけ記された白紙のノートを手渡されたような”気分になる歌、ということである。

さて、ここからは中島みゆき自身のことを。先ほどまで、『中島みゆき 2020 ラスト・ツアー「結果オーライ」』を聴いていた。本作はコロナの拡大により惜しくも前半8公演のみを消化した時点で中止となった、彼女のラスト・ツアーのライヴ盤である。こうしてライブ盤が出たのは、このツアーが延期ではなく、中止であるからであって、再開はされない。

ファンとしては、この事実をどう捉えるか悩ましいところだ。希望的に考えるなら、ツアーこそやらないが、ライブは折に触れやっていく、という今後の活動方針だ。でも、ラスト・ツアーがコロナで中止になったという事実は、(もちろんパンデミックを好意的に受け止めるなんてことはあり得ないという前提で敢えて書くなら)、もうひとつ、別の力が働いてのことだったかもしれない。それは、中島みゆきがそこに打とうとした[句点」を、どこかに隠してしまうという行為…、なのだ。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
近況報告 小貫 信昭  (おぬきのぶあき)

仕事場の本を、ブッシャリ(ブック断捨離)しているのだが、細かく選別したり、ましてや要るか要らないか読み返したりしてると捗らないので、そこは大胆不敵にやってみることにした。このあたりはぐいっと掴んでごそっと処分しちゃう、みたいな感じだ(アバウトすぎてすみません)。よく考えたら、地下鉄に少し乗れば国立国会図書館もある、なんてことを、そう、呟きながら。