―― のんさんは小さい頃、ポエムなどは書かれていましたか?
いや、言葉をよく書くような子どもではありませんでした。本を読むのは好きでしたが、作文も得意ではなかったし、まさか自分が歌詞を書くことになるなんて。
ただ、中学生でティーン誌のモデルを始めて、芸能界に入りましたが、そのときブログを書く必要があって。何者でもなかった頃だからこそ、「ブログをおもしろくしよう」と、自分なりの言葉を書くことに凝るようになったんですよね。そこで文章を書く楽しさを知りましたし、こうしてインタビューでお話するとき紡ぐ言葉も大事に思うようになりました。そう思うと、私の歌詞の根っこには、ブログがあるのかもしれません。
―― 当時、自分の言葉を綴ることに対する怖さはありませんでしたか?
怖さも抵抗もあまりなかった気がします。その日に起きたちょっとした出来事やあるあるを書いていたんですよ。たとえば、「おにぎりの具の鮭を落としちゃってショックだった」とか、「5枚入りの薄切りハムを食べるのが大好き」とか(笑)。だからとにかくブログを書くのが楽しかったのを覚えていますね。「読んでくれたひとに、おもしろがってもらいたい」という気持ちがいちばん強かったです。
―― 人生でいちばん最初に書いた歌詞は覚えていますか?
すでにリリースもされている「へーんなのっ」ですね。初めて曲を作り、歌詞を書いてみたら、「いいじゃん!」と言ってもらえて、1st ALBUM『スーパーヒーローズ』に収録しました。
―― ブログを書くのと、歌詞を書くのとでは、何が違いましたか?
“のん”として音楽活動を始める以上、「自分のメッセージを発信していきたい」とは決めていたんです。私の率直な気持ち、大事に思っているもの、納得いってない出来事、そういうことを歌詞にしたい。でも、すべてが初めてだったので、「そもそも歌詞ってどうやって書くんだろう?」と不思議で(笑)。ストレートすぎてもまとまらないのが難しいところでした。私なりにおもしろおかしく書いてみた結果、「へーんなのっ」が書けたんですよね。
―― 歌詞を書くときも、やはり怖さはありませんでしたか?
それが意外となかったんですよね。私、曲を書くときに“怒り”を込めがちなんです。自分にとって“怒り”がいちばんフランクな感情で。笑ったり、喜んだり、悲しんだり、泣いたりしているのをひとに見られることに比べて、まったく恥ずかしくない。だから、初期に書いた歌詞は怒っているものばかりで(笑)。抵抗がない部分を書いていたのだと思います。
―― では、“のんらしい歌詞”というと、“怒っていること”はひとつのポイントなのですね。
はい。気を抜いて、脳みそに何も通さずにギターを弾きながら作ると、自分のなかに刻み込まれてしまっている怒りが自然と出てきてしまいますね。たとえば、今作の収録曲だと9曲目「秒針」とか。これはまさに脊髄反射で作ったような曲で。
―― 「秒針」では、どんな怒りが出てきたのでしょう。
自分の主義とはまったく違うひとと対峙して、相容れないことってあるじゃないですか。そういうときに、「絶対に私は譲らないぞ」と言いたくなるような激しさ。あと、年齢を重ねる過程で、捨てていかなければいけないと思われているものがあるとしても、「いや、私は持っていく」と反抗する気持ち。そういう怒りが表れていると思います。
―― とくに<ずれた秒針を元に戻すように 誰か遅れた僕を起こして>というフレーズが印象的で。これは何が“ずれてしまう”感覚なのですか?
たとえば、自分がやりたいことを実現するために頑張るなかで、少しずつ目標にズレが生じてしまうことってあると思うんです。「あれ? このために頑張っていたんだっけ? 本当に自分に強いるべきことだっけ?」と。いつのまにか目的と手段がすり替わってしまう感覚というか。だから“本来のリズム”を取り戻したいという気持ちを私は重ねて書きました。聴くひとそれぞれにとっての“ズレ”を投影してもらえればと思います。
―― <壊れた 壊した よい子は帰る時間です>というフレーズは、のんさんのこれからの在り方を宣言されているかのようにも感じ、気持ちがよかったです。
嬉しい、ありがとうございます。なんかこう…、大人のフリをして、何かを追っ払っているような気持ちで書きました(笑)。
―― 「秒針」は今作のなかでもっとも激しく尖った楽曲で。個人的にはこの曲が“挑戦曲”だと想像していたのですが、むしろ逆で。のんさんにとって、もっとも素に近い楽曲だったのですね。
おっしゃるとおり。無の状態から生まれた感覚です。本当に煮詰まって、もはや出がらしのようなときで(笑)。「もう私は枯れました。何も出てきません」とまっさらになったとき、ギターを鳴らしてみたら、<ああでもない こうでもない 聞き分けない 手放さない>というフレーズを口ずさんでいましたね。
―― のんさんは役者としても活動されていますが、自分ではなく“役”として歌詞を書くことも?
まさに10曲目「苦い果実」がそうですね。まず、今回の『Renarrate』というアルバムでは、映画を作るように、物語を作るように、曲たちを形づくろうというテーマがあって。そうして“自分自身を語りなおす”というイメージだったんです。
そのなかでも「苦い果実」は、役者としての自分と音楽をやっている自分が交わった曲になっています。今の自分から切り離して、客観的にストーリーを書いてみたかった。歌い方もどこか、現実離れしたニュアンスになっています。でも紐解いてみると、そのなかに鬱屈していた時代の自分もいる気がしますね。
―― 今回のアルバム『Renarrate』では、どうして改めて“自分自身を語りなおす”という行為が必要だと思われたのでしょうか。
2023年に『PURSUE』というアルバムを出したのですが、それまでは提供曲を含め、今作でいう「秒針」のような曲が多くて。「私はスーパーヒーローなんです!」という自分の力強い姿を、音楽では押し出していきたかったんです。
でも、『PURSUE』の収録曲を書いたとき、「自分の弱さや情けないところをさらけ出しても、自由に活動していけるのではないか」と気づけた。さらに、そういう感情の発信法を役者的に捉えて、曲作りをしていけば、私がステージ上で表現しやすくなると思って。そのためにも今回、“自分自身を語りなおす”ということをしてみようと思いました。聴き終えたとき、映画を観終えたような余韻が残ることを意識して、曲を作っていきましたね。
―― ずっと主観的だった曲作りを、客観的にしてみたアルバムなんですね。そして、演じるように歌うことで、弱い本音も吐き出せるようになった。
そうなんです。怒りが湧いているときは、「相手をねじ伏せたい」みたいな(笑)、負けたくない気持ちでいっぱいで。すると、「自分の弱みを見せたら終わりだ」という意識が強くなっていくんですよ。でも、別にもうそんなに意地にならなくてもいいかなと、自然と心がほぐれてきて。だからこそ、役者・のんとして、映画的に解釈した言葉で、自分のいろんな感情を発信してみようと、表現の輪郭を変えたのが今作の特徴ですね。