―― おふたりが人生でいちばん最初に書いた歌詞って覚えていますか?
水野 聖恵はノートを書いていたよね?
吉岡 書いていましたね。あれは高校生の頃。日記と一緒に恋愛ポエムのようなものを。でも今、突然思い出したんですけど、最初に歌詞を書いたのは…小学生のとき。
水野 早い! 俺より早い。それはメロディーも頭のなかにあったの?
吉岡 そうなんです。でもサビの部分だけ。誰にも聴かせてないし話したこともない、自分のなかで歌っていた片想いの曲。「ハッピーエンド」ってタイトルで。メロディーは暗め、逆に歌詞は少し明るめで<きっといつかはハッピーエンド>ってフレーズがありましたね。
水野 それは俺も初聞きだわ。次の曲出し会に出してほしい(笑)。
吉岡 私自身も今ふいに訊かれるまで忘れていたの(笑)。その曲を作ったときは、歌うひとになると思っていたわけでもなくて。家族に童謡を教え込まれて合唱団に入っていた合唱少女だったので、大好きな歌うことの延長線上の遊びだったんだと思います。自分で書いて歌うことを意識して書いた初めての歌詞だったら、いきものがかりのインディーズ曲だよね。
水野 「ちこくしちゃうよ」か。
吉岡 そうそう。ディレクターさんに「書いてみなよ」って言われて、初めて書いた。それを山下(山下穂尊)に見つけてもらって、一緒に作っていった感じですね。
―― 水野さんは『言葉の達人』で、「高校生のとき、文化祭のテーマソング」が初めての歌作りだったと綴られていましたね。それ以前の少年時代はいかがでしたか?
水野 僕の場合は歌詞についてはなかったですね。ただ、鼻歌でメロディーを作るみたいなことはあったんですよ。中学生の頃、クラスに歌詞を書く男の子がいて。彼は小室哲哉さんが大好きで、ある日、小室さんをコピーしたかのような歌詞が書かれたノートを渡されて、「水野くんはギターとか弾けるから、これに曲をつけられないかな?」って。それで見よう見まねで、カセットテープに何か歌って入れたのを覚えています。
吉岡 最初が楽曲提供なんだ。
水野 そう、最初から職業作家なの。そして初めて歌詞を書いたのは、おっしゃってくださったように高校時代の文化祭テーマソングですね。うちの母校は、文化祭のテーマソングを校内投票で決めていて。そこで自分も目立ってみたいと思って、当時組んでいたバンドで歌詞と曲を書きました。
吉岡 あの伝説のバンド。
水野・吉岡 グルービージャック。
水野 もう言いたくない(笑)。
吉岡 代表曲は「燃える花」ね。実はそのとき出した曲が形を変えて、いきものがかりのシングルになったりもしているんですよ。
水野 「うるわしきひと」とか。
吉岡 「君と歩いた季節」も。
水野 もともと「葵(あおい)」ってタイトルだった曲ね。
―― ちなみにその文化祭のテーマソングはどんな歌詞だったのでしょうか。
水野 それが「燃える花」なんですけど、どんな歌詞でしたかねぇ…。
吉岡 なんかねぇ…当時のトレンド、ちょっとビジュアル系というか…。1回聴いたら覚えられて、みんなで歌いやすいような、キャッチーな歌だったのが印象的。
水野 バンドのボーカル・Nくんがすごく歌の上手い子で。ちょっと粘りっ気のある歌声だったんです。
吉岡 そうそう、ウェットな感じ。憂いを帯びた歌声だったね。
水野 だから憂いを帯びた歌詞だったよね。タイトルから「燃える花」だから。聖恵が言ってくれたように、当時みんなビジュアル系の曲を聴いていたんですよ。そんななかでなんとか人気を得たくて、「こういうのウケるんじゃない?」って話し合って、そういう路線の曲になったんです。最初から売れ線に…。
吉岡 やっぱり「みんなに聴いてほしい」って気持ちは最初から強かったよね。地域的にも、学校的にも結構バンドが盛んだったんですよ。でもリーダーはより本気で取り組んでいたのを覚えてる。ちゃんと校内でCDも作って。私もそのCDをチェックしていました。
―― おふたりともいきものがかりで歌詞を書かれますが、お互いの書く歌詞で違いを感じるところはありますか?
吉岡 私は「これはこうじゃん」みたいな単純な固定概念が結構あると思うし、ひとことで言っちゃいたいところもあるんです。でもリーダーは、ひとつの物事に対して、「正面からも見えるけど、裏からも斜めからも横からも下からも上からも考え方があるよね」っていうような捉え方をしているのかなって。
水野 あ…そうっすか…(笑)。
吉岡 これ、褒めてます。いろんな考え方のひとを肯定してくれるというか。だから私が歌ったときにはこういうふうに思ったけど、別のひとは違う角度から共感している、みたいなことも多くて。それがすごさのひとつだなと思います。
水野 恥ずかしい(笑)。
吉岡 もっと褒めていい? 年齢を経て歌ったときに、「あ、こういう意味だったんだ。今までわかってなかったな」って気づく曲も多いです。私のなかでも捉え方が変わっていく。ただ、歌詞について説明し合うことはあまりないので、その解釈が合っているかわからないんですけど、自分のなかで想像して新発見したりしています。
水野 聖恵はやっぱり歌うひとだから、歌詞と自分との距離がすごく近いなと思う。その近さは僕には実現できなくて、羨ましさがありますね。まさに今、何曲か新たに作っているところなんですけど。そのなかにも聖恵の曲があって、「歌詞書けた」ってパッと送られてきたものを読むと、めちゃくちゃストレートに感じるんですよ。僕だったらそこまで行けないというか、「この言葉をまっすぐに投げて大丈夫だろうか」って思っちゃうような。
でもレコーディングで聴くとすんなり受け取れる。自分のなかの言葉だから、確信があることがわかるし、ストレートであることにも不自然さがないというか。そこは歌うひとにしか書けないもので、ひとつの強さだなと思います。あと、いい意味で言うんですけど、もともと変わっているひとだと思うので(笑)。
吉岡 そうですか…。
水野 それがそのまま出れば、他のひとにはない歌詞になるところもありますね。
―― どんなところが「変わっている」と思われますか?
水野 たとえば、楽屋にいてもスタジオにいてもステージ上にいても、聖恵は自然と、目の前の相手が楽しめる表情になる。相手にとっていちばんいい自分にスッとなれる。それって聖恵のすごいところで、天性のものだと思うんですよ。歌うときも同じで。本人はたくさん工夫も練習もしているんですけど、それだけではなくて、「今この瞬間にみんなが求めているもの」がパッと出る。本人の意識のさらに上ぐらいの感覚で。それはやっぱりいい意味で普通じゃないと思います。…どういう表情?
吉岡 言葉を噛みしめているの(笑)。ありがとうございます。なんかこうして話してみると、私とリーダーの歌詞って本当に真逆だって気づくね。
―― 逆に、いきものがかりの曲を作るとなったとき、自然と一致してくる部分、共有している価値観などもあるのでしょうか。
吉岡 いやぁ…。うーん…。でも最近思うのが、私はリーダーほど、みんながどんなことを考えているかわかっていないだろうなって。「どんな考えのひとも何か感じる部分がある曲にしたい」と思っても、同じようには書けないんですよ。だから逆に私は、「きっと自分のなかにもみんなと共通する部分があるはず」って信じるようにしている気がします。そうすることで、いきものがかりの曲として繋がれないかなって考えていますね。
―― 「繋がりたい」という気持ちは、おふたりとも共通しているのかもしれませんね。
水野 そうですねぇ。
吉岡 曲を作る以前に、私たちはそういうタイプじゃない?
水野 ベースとしてね。それはあるかもしれない。あと、聖恵が言ってくれた、「どんなひとでも繋がれるように」というテーマをこんなに大きく置くグループはいきものがかりしかないなとも思います。このグループとして書くとき、どうしようもなく導かれてしまう。聖恵の声が「繋がりたい」というテーマを呼び起こすところもあるし。よくも悪くも“みんなのうた”のようなイメージを背負っていきがちなところも含めて、どんな考えのひとも受容するようなものをここでは書きたいと思うのか。書かなきゃと思うのか。自然とそうなっちゃう。
吉岡 言葉にすると大げさに聞こえるんですけど、多分、最初からそうで。くどいけど、いきものがかりは路上から始まっているし。我々のスタイルはシンプルにそういう感じなんだよね。
水野 そうだね。路上なんて聴くひとを選べないし、選んじゃいけない場所なので。ひとりでも多くのひとにこっちを向いてほしい、みたいなところでスタートしているから。誰も阻害しない。聴くひとを選ばない。
吉岡 だから自然と、そういうふうな曲を作れたらいいなぁって思いながらやっている気がしますね。