―― 來未さんには2020年に『言葉の達人』にもご登場いただきました。歌詞を書くことになった最初のきっかけは、デビュー曲「TAKE BACK」の作詞だったそうですが、それ以前の学生時代には詩や歌詞のようなものは書いていませんでしたか?
まったく書いてなくて。当時の私は、歌うことにしか興味がなかったんですよ。歌詞を誰が書くとかそこまで考えたことがなかったし、「こういうことを歌いたい」って意思さえなかった気がします。極論、歌えればよかった。
ただ、高校2年生のときにオーディションに受かりまして。そのとき会社の方から、「日記を書くようにしなさい」って言われたんです。それで好きなひとのことを書いたりしていたぐらい。だからデビュー曲で作詞をするとなったときにも、「もっと情景描写を入れてほしい」とかいろいろ言われて。私としては、「情景描写って何ですか!?」みたいなレベルから始まったんですよ。
―― ご自身の歌詞世界を否定され、自信を持てなくなった時期もあったそうですね。
そうそう。デビュー当時、ディレクターのひとりの方に、「お前の歌詞はストーカーだな!読んでいて気持ちが悪い」って言われて(笑)。『FINAL FANTASY X-2』のタイアップ曲「real Emotion」とかも、最初は自分で書こうとして、4回ぐらい提出したんです。でも結局、「アカン。お前には書けない」って、作家さんに歌詞をいただいて。そういう悔しさが続いていた時期がありました。やっぱり日記の延長でしかなかったんだと思う。
あと、とくに20代前半は恋愛のことしか書けなかった。恋いちばん!だったので(笑)。しかもたくさんの方に知って貰える曲ほど実話だったんですよ。たとえば「愛のうた」とか「Someday」とか「恋のつぼみ」とか。みんなにも私と同じような恋愛体験があって、だからこそリアルな歌詞なら心に届くのかなとも思った。実体験を綴ることもすごく大事なんだなと感じていましたね。
―― では、來未さんがデビューされてから今に至るまでの活動をグラフで表すとしたら、どんな形になると思いますか?
もうガッタガタよ! 山あり谷ありすぎる。でも最初の山と谷は、今お話した「real Emotion」のタイミングですね。もともとこの曲を出す前、「次に売れなかったら辞めます!」って言っていて。それがオリコンランキングTOP3に入ってくれて、わーって波が来そうだったのに、私は次のシングルまで半年もあけちゃったんです。そこでチャンスを掴めず、またTOP10から離れていってしまった。これが最初のズドーンでした。
ヒットした次の曲が売れないってことは、「real Emotion」を歌うのは倖田來未じゃなくてもよかったんじゃないかとも思ったんですよ。世の中は私の声を必要としているのだろうか、私は歌い続けるべきなのか、みたいな思考に陥るわけ。倖田來未に対する自信をすっごくなくした。で、また「やっぱりもう辞めます!」ってなっていたタイミングで、今度は「キューティーハニー」との出会いがあったんですよね。
その少し前に「Crazy 4 U」という曲と出会いまして。作家さんが書いてくれたんですけど、トラップガールの曲なの。どうやって騙してみせるか、みたいな。もちろんトラップガールをしたことないから心情はわからないんですけど(笑)、自分らしさを考えたとき、「この曲、倖田來未にすごく合ってる!」と思った。さらに当時、セクシーなファッション路線のアーティストもまわりにいなかったので、ひとと違うことをしようって、ああいうスタイルで始めたんです。で、それを見た庵野監督が「キューティーハニー」のオファーをくれた。点と点が繋がっていく感覚がありましたね。でもそこからまた…。
―― 何度も山と谷を繰り返し。
うまくいっているときこそ、パン!と足元をすくわれることがあって。そのたびに「初心に戻りなさい」って言われている気がした。でもだからこそ、ひとの痛みを知れたんだと思います。実は昔の私って、人生のなかで傷ついたことがあんまりなかったんだと思うんです。死にたいと思うほどの悲しい経験とか、親や友達から見放されるとかなかった。ゆえに、心の痛みを本当の意味では理解してなかったと思うんですよ。
だけど、いろんなことをきっかけに、「あぁこういうふうに人間は人間を信じられなくなるのか」とか実感して、書けるようになった曲もあって。倖田來未のなかでたくさんの経験をして、歌詞の世界観がどんどん広がってきたかなって。だから、恋愛のことしか書けなかった私が、少しずつ人生とか自分の生き方についての考えも歌詞に表れてくるようになったんだと思います。
―― 來未さんにとって歌詞とはどんな存在のものですか?
やっぱり昔は正直、歌えればなんでもいいと思っていました。別に歌詞が深くなくても、語呂がよければメロディーと声で持っていけるって。なので、「you」とか「愛のうた」とか、「いい歌詞ですね」って言ってもらえても自分としては、「あー、そうですか! ありがとうございます! 温泉地で書きました!」みたいな(笑)。
―― (笑)。
「愛のうた」は友達と温泉に行っていて、「今日までが納期やから!」って実体験をばーっと書いただけで。まぁリアリティがあるからこそサクサク書けたんです。でも生まれた場所は温泉地(笑)。だからどんなに歌詞を褒めていただいてもピンと来ないこともあって、「歌声とメロディーがよかったからや」と思っていたんですよ。2008年ぐらいまでそういう考え方。だけど2008年以降、「あれ? 歌詞ってすごく大切やな…」って言葉の力の大きさをどんどん感じるようになって。
―― どうして急に変化が訪れたのでしょう。
言葉を届ける仕事をしている人間が、言葉でひとを傷つけてしまうことがあった。その事実に自分も傷ついたし、倖田來未に対しても幻滅したんです。もうこれで倖田來未は辞めよう、と思うぐらい追い詰められていて。
だけど、「待っている」と言ってくれるファンの方もいる。そこで「Moon Crying」って曲が生まれたんですね。毎日ホンマに家のなかひとりぼっちでいて、カーテンの隙間から月を見ていたんですよ。「石、飛んでこないかな…」とか思いながら。だからあの歌詞も実体験。そういう楽曲にまた評価をいただいて、やっぱり歌詞ってすごく重要なんだなと。
―― 言葉で傷つけてしまったという失敗で、歌詞を書くことが怖くなったりはしませんでしたか?
怖かった。人前に出るのも恐ろしかったですよ。だからこそ音楽を聴くか、歌うかしかできなかったんですよね。どんなに追い詰められても、歌いたいという気持ちだけは変わらなかった。で、「歌いたいから、デモテープをください」って言って、いっぱいもらったうちの1曲が「Moon Crying」なんです。
そして当時、自分の想いを伝えられるのは歌のなかだけだったんです。もはや暗号というか、ハトの電報みたいに、「届いて!」という気持ちで一気に書いた感じでしたね。そこで「私の想いを表現する場所は歌なんだな」って実感したからこそ、自分の歌詞にとってめちゃくちゃ大きな転機になりました。
その「Moon Crying」のあとに「You're So Beautiful」って曲を出して、そこから人生とか、自分の思考みたいなものを書けるようになっていきましたね。あのとき自分自身が大きな失敗を経験したからこそ、年齢を重ねた今「Wings」みたいな曲を書けるようになったんだろうなと思います。やっぱり「好き好き!あなた大好き!」ってラブソングだけを、40歳になっても書いているわけにはいかへんかっただろうから(笑)。今は改めて、言葉の力、歌詞の力って大きいなと思っていますね。