―― まずは『第63回輝く! 日本レコード大賞』の最優秀新人賞、受賞おめでとうございます!新曲「なんでもないよ、」の勢いといい、マカえん旋風が吹き始めていますね。
ありがとうございます。新人賞は身の引き締まる思いというか、これからだなと思いました。まだ全然、旋風とは感じていないです(笑)。2022年からが大事かなぁ。まさに今回の「なんでもないよ、」がいい動きをしてくれているので、ここから旋風が起こっていけばいいなと思います。今はもうとにかくタイアップに向き合ったり、各地のライブでいいものを届けたり、目の前のことに一生懸命ですね。
―― マカロニえんぴつは、メジャーデビューからは約1年ですが、活動自体は10年近くされているんですよね。これまでの活動の波をグラフで表すとしたら、どんな形になると思いますか?
2012年に結成してから数年はずーっと平行線が続いていました。それがインディーズデビューの2015年でクイッっとちょっと上がりましたね。全国流通の影響力は大きくて、タワレコにCDが並ぶことで注目してもらえたし。そこから初ワンマンまでは結構とんとん拍子に行けたんですよ。でもまたそれ以降がどうにも伸びず。自分たちのスタイルとか歌いたいことがかすんできた時期でした。とくに2016年~2017年はメンバーの脱退もあったので、かなり落ち込みましたし。だけど、そのあと4人の新体制で作ったアルバム『CHOSYOKU』が大きな転機になったのかなぁ。なんかそこからはもうずーっと…。
―― 右肩上がりに。
そう、本当にゆっくりと。『CHOSYOKU』が1年かけて浸透していって。そこから曲作りやレコーディングをバンドみんなでやる楽しさを覚えていったんですよ。それまではわりと俺がひとりで作って、アレンジも完全に固めたものをそのまま演奏してもらっていた感じで。だから自己満足に近い形だったし、メンバーも自分たちで車輪を回している感覚は強くなかったと思います。でも新体制になってから、みんなが曲を作るようになったし、マカロニらしい活動を掴んできた。「レモンパイ」「ブルーベリー・ナイツ」「ヤングアダルト」「恋人ごっこ」といった楽曲のMVが何百万再生まわるようになったり、フェスに出られるようになったり。じわじわ認められるようになって、それに伴って自信がついていった感じです。『CHOSYOKU』以降は、活動内容的にもモチベーション的にも、グラフがガクンと下がるようなことは今のところないですね。
―― 転機に伴って、歌詞も変化していきましたか?
変わっていきましたね。愛って、もらった量しかひとには渡せないと思っていて。だからこそ、メンバーとか、支えてくれるチームとか、お客さんからもらうものが大きくなればなるほど、その感じたままの愛を歌にしようという考えが強くなってきたんです。とくに音楽をやってきてよかったと思うのも、やっぱりライブでお客さんの顔を見たときだし、MVに嬉しいコメントをもらったときだし。昔よりもずっといろんな愛を感じながら歌詞を書くようになりましたね。
―― 感じたままの愛を歌にしていきたい気持ちの強さに比例して、歌詞の支持率も上がっていったのでしょうか。
あ~どうかなぁ…。デビュー当時のアルバム曲とかも、僕は愛着があるし、今は書けない歌詞だから好きなんですよ。どの曲も人気であってほしいと思っているし。歌詞の支持率に関しては正直わからなくて。どうしてその歌詞が人気なのか自覚的にはわからない。狙うわけでもないし、僕が望んだとしてもそうなるわけではないから。たとえば「恋人ごっこ」がテーマにしたような叶わぬ恋とか、忘れられない恋とか、そういうものがより多くのひとに偶然届いたというか…。だからどのタイミングで、どんな理由で歌詞の支持率が上がっていったみたいな感覚もあんまりないですね。あ、でも今回の「なんでもないよ、」に関しては、できた瞬間に「あ、売れる」と思ったんですよ。
―― 初期の手ごたえから違うものがあったんですね。
うん、「ヤングアダルト」を作ったときの感覚。でもどうやら初速の感じで見ると、「なんでもないよ、」のほうがより広がっていきそうですね。僕は大体あとから歌詞をつけるんですけど、「ヤングアダルト」と「なんでもないよ、」はメロディーと同時だったんです。そういうことがマレにあるんです。だから「行ける!」と思いました。何も狙ってはないんですよ。ギターも持ってないとき、夜中の2時~3時にキッチンでふと鼻歌が出てきた。
なんか…いろんな状況が作用したんじゃないですかね。バンドをやっている多幸感もあったと思います。この1年かなり充実していたし、バンドがより好きになったし、歌うことがより楽しくなったタイミングだった。そんな2021年の6月終わりに、この歌のワンコーラスが生まれました。本当にタイミングって不思議だなと思います。それがチャートをぐんぐん上がって、年齢関係なくいろんなひとに聴かれているのが嬉しいですね。
―― ご自身では「なんでもないよ、」のどんなところが多くのひとに響いているのだと思いますか?
「なんでもないよ、」って、何も言ってないわけじゃないですか。だけど何も言わないことが、実は全部を言っていることに等しくなることにあとから気づく。だからみんなに愛されているような気がします。この「なんでもないよ、」の「、」に自分だったらなんて続けるかとか、そんな思いも投影できるし。会話の0.1秒の間に人間は言葉を探るわけです。「相手によく見られたい」「これを言ったら傷つくだろうか」「屈折して伝わらないだろうか」とか考えながら。でも、そこには下心がある。その時点で野暮なんですよね、本当の想いを届けたい場合。それなら言わないほうがいいこともある。そうやってみんなが数秒で考えていることを1曲にしたんですよ。
だけど、全部の言葉がチープになるぐらい心の関係で繋がれている相手が目の前にいる。今、そんな幸せを感じている。じゃあ、ふさわしい言葉なんてそもそも必要なかった。となったときに最後、<なんでもないよ、>のあと<君といるときの僕が好きだ>という想いにたどり着いたんですよね。要は「みんな自分を好きになりたいんだ」というエゴです。愛というのはエゴなんですよ。たとえば<ただ僕より先に死なないでほしい>なんてエゴの代表格じゃないですか。本当に相手のことを思っていたら「君をひとりにさせないために、君が死んでから後を追うように僕は死ぬよ」じゃないですかね。でもそうじゃない。正直、多くのひとは自分の幸せを優先してしまう。それでいいと思うんですよ。想いを伝えるというエゴにフォーカスしたし、そこをはっきり歌にした。だから多くのひとに届いているんだと思うし、自分でも今までしなかった表現だなと思います。
―― <会いたい>じゃなくて、<そばに居たい>じゃなくて、<守りたい>じゃなくて…、と自分のなかでひとつひとつ言葉を否定していくところに、より心の生々しさが出ていますよね。
そうそう。歌を作っていくなかで、言いたいことを取り消していったんですよ。そしてその取り消した過程をそのまま歌にしました。
―― <ただ僕より先に死なないでほしい>というエゴも取り消していますね。
そう、きっと<僕>は「これを言ったらエゴが出ちゃうな」って思って取り消したんです。もしかしたらこれ、最後の一行の<君といるときの僕が好きだ>がなかったら、ここまで親しまれていなかったかもしれないですね。落語で言うオチ。このたったひとことを言うための長~い前置き。本当は最初からこのひとことでいいんですよ。でも長い長い前置きがあるからこそ、このひとことにより厚みが出るというか。いろんな言葉を取り消して、最後に残ったのがこの想いなんだと思います。