―― 個人的な話で恐縮なのですが、私も地元が八王子なんです。
加藤 えええっ!
モン吉 どこらへんですか?
―― 南大沢です。鑓水の方。
加藤 あー!八王子のなかの上流階級だ。俺らとちょっとアイデンティティが違う(笑)。
モン吉 敵を生むからやめて(笑)。でもたしかに生活区域が違いますよね。鑓水の方だと自然も多いし、良いなぁ。
加藤 『平成狸合戦ぽんぽこ』の舞台ですよね。いやー、でもちょっと嬉しくて思わずイス引いちゃったよ。俺たちもやる気が出てきました。八王子の仲間となれば全部答えます(笑)。
―― 八王子民のみならず、待望のファンモン復活だと思いますが、つい先日『CDTVライブ!ライブ!』での「ファンモンフェス」ではまさに「ファンモンが帰ってきた~!」と感じました。
モン吉 そう思ってもらえるとすごく嬉しいですね。
加藤 生放送が終わってスマホを見たら、LINEが30~40件ぐらい来ていたかな。それこそ八王子の久しぶりに連絡してくれた仲間だったり。両親もそうだし。1時間枠で歌わせていただいたので「たまたまテレビつけたら観た」という方も多かったですね。なかなかテレビであんなに腰が砕けるまで歌い切ることもないので、もはや配信ライブのようでした。
―― 8年ぶりにファンモンとして歌ってみて、ステージに立ったときの気持ちっていかがでしたか?
モン吉 バッと当時に戻れた感じだったかなぁ。喜びも込みで。
加藤 うん。違和感がないというか、しっくりくるなって。それはDJケミカルも含めて、3人で1夜限りの復活をした今年3月11日の『音楽の日』もそうでしたけど、今回の『CDTVライブ!ライブ!』もあまり自分たち自身ではブランクを感じませんでしたね。
モン吉 あとDJ(サポートDJ)が変わったから、引きの画的には変わったかもしれないんですけど、本人たちは当時も今もあんまり後ろって見ないから…(笑)。
加藤 僕らが見える景色は変わらないんだよね(笑)。視聴者のみなさんがどう思ったかというところは気になりますけど、自分たち的には「ファンモン イズ バック!」という気持ちで歌っていました。
―― 2013年に解散されてから、お二人はそれぞれソロで活動されていました。その楽曲はファンモン楽曲をどれぐらい意識して作っていましたか?
加藤 ファンモン楽曲から離そうかなと思っていた時期もありました。でもそもそも僕らの解散って、喧嘩別れでもなければ、音楽の方向性の違いでもなく、ただケミカルが寺の住職になるというのが大きな理由だったので、無理やりスタイルを変えることもないなと。だからあまり意識しないで書くようになりましたかね。あと、ファンモンのときはどうしても足並みを揃えなきゃいけない部分もあったんですけど、ソロのときはもう少しだけ自由にわがままに歌詞は書けていましたかね。
モン吉 僕も意識的に違うものを作ろうという気持ちはありませんでした。ただ、ソロになって歌詞を書くパートが4倍ぐらい増えたんですよ。ファンモンだと僕はメロディ担当で、ファンちゃん(ファンキー加藤)が歌詞担当だったので、僕は自分のバースだけを書けば良かったんです。だからソロになった最初の頃は「本当に自分だけで書けるのかな?」と思っていて。でも経験を重ねていくうちになんとなく書くコツがわかっていった感じでしたね。
―― ファンモン楽曲はクレジットが作詞作曲ともに「FUNKY MONKEY BΛBY'S」や「FUNKY MONKEY BABYS」ですが、ほとんど作詞は加藤さんで、作曲がモン吉さんという分業制なのでしょうか。
加藤 そう、分業です。最初にモン吉がトラックやメロディのたたき台を作るんですね。モン吉は直感でその曲の活きるところを掴むのが得意なので、その場でキーボードを弾いてもらって。そして受け取ったメロディを俺が家に持って帰って、じっくりと歌詞を書く。それがずっとファンモン楽曲の基本的な制作パターンで、二人体制になってからも同じですね。それぞれの得意分野を活かして作っています。
―― 先ほど、ファンモンの解散はDJケミカルさんが住職になることが大きな理由だとお伺いしましたが、当時は二人でという形は考えていませんでしたか?
加藤 そのときは…なかったかなぁ。
モン吉 うん、なかったねぇ。
加藤 もともとグループを結成して活動していくなかで、ケミカルがいずれ住職になるということはわかっていて。だから当時は、どこに僕らのゴールテープを置こうかと考えながらやっていたというか。最初から終わりありきのグループだったような気がします。
―― 解散から逆算されて活動されていたんですね。
加藤 そうそう。ケミカルは2011年ぐらいには「そろそろ本格的に住職になるための修行に入らなきゃいけないかもです」って、言っていたんです。それを「ケミ、もうちょっと延ばせる?」みたいな。「もうちょっと先に良いゴールがありそうな気がするから」って止めていた感じで。だからこそ、東京ドームという日本の屋内最高峰の会場で無事にゴールテープを切れたことは、3人からするとものすごい充実感で。会場のお客さんは「寂しい」とおっしゃってくれていたんですけど、ステージとお客さんとで温度差がちょっとだけあったのはそういう理由だったんです。僕らとしては、最高のエンディングを切ることができたなって。
―― それからソロ活動をしばらくなさっていて、それぞれ「ファンモン、もう一度やりたいな」と一瞬でもよぎったタイミングというと?
モン吉 解散してすぐは、僕は音楽をやるかやらないかもわからなくて。でもソロ活動を始めてからは正直、再結成の話が来ればいつでも、と思っていました(笑)。もう解散のときのショックも忘れているというか。まぁとりあえず一人でやってみようと、ゆる~い感じでいましたね。
加藤 俺は逆に、最後の最後のほうまでファンモンはやるつもりがなくて。あのとき東京ドームで最高の形でゴールを切ったわけだから、もうやるべきではないという思いがずっとありました。
―― その意志が変わってきたのはいつ頃ですか?
加藤 やっぱり今年の『音楽の日』ですかね。去年の夏終わりぐらいに、「東日本大震災から10年が経ったこのタイミングで、一夜限りでも良いので、復活してほしい」というオファーをいただきまして。俺は2回ぐらいお断りさせていただいたんです。ケミカルも最初はお断りしていたみたいで。住職の仕事が忙しいし。それでも事務所の社長や、TBSさんから、熱烈なお声をかけていただいて。ケミも俺も最終的には、人生の恩人である事務所の社長からの「こんなにも誰かに必要とされることはありがたいことだと思わないか」という口説き文句に、「よし!」と決意した感じですかね。それで「一夜限りですけど、3人で」と。
それで久しぶりに打ち合わせの場に集まって話をして、リハーサルとか重ねていくうちに、なんか…やっぱり居心地良いなぁって。故郷・八王子のようだなぁって(笑)。で、ケミカルはいないけど、今後は二人でやっていくのも良いかもねという空気感になって。最終的な判断は『音楽の日』に委ねましたね。そして当日、自分たち的にも手ごたえのあるライブができたので「このままやってみましょうか」という流れになったんです。去年の今頃は、まさか二人で再結成しているとは想像もしていなかったですね。
モン吉 僕は声かけてくれたらいつでも良かったけどね(笑)。
加藤 ずっと腕まくりしている状態だったもんね(笑)。
―― 8年ぶりにファンモンを二人でやることになり、お互いに「変わったな」と思うところはありますか?
加藤 お互いに大人になったところかなぁ。解散前のファンモンのときって、まだヤンチャなガキの延長で勢いのままにやっていたような感じもあったというか。それがソロ活動を経て、モンちゃんは世界を旅したりとかして、子どもも産まれて、以前よりも…普通にお話できる(笑)。
モン吉 (笑)
加藤 前はこんな普通に話できなかったんですよ。忙しすぎて、お互いに疲れすぎちゃって。それでギクシャクしているような時期もあったし。今はそういうのがないですね。
モン吉 うん、ファンちゃんが言うようにお互い大人になったことが一番の変化かな。
加藤 こういうインタビューのときも、MAXで忙しいときはほとんど話をしなかった気がするよね。あとケミカルがいたから、お互いケミにちょっかい出したりしてバランスを取っていたところもあり。でも今はいないから、二人でもちゃんと話せるようになったし、前よりもずっと健全なのかなって思います。