―― 前回のインタビューが2018年8月の『夏の夢/WALK』のときですね。ちょうど3年ほど経ちますが、感覚的にはあっという間ですか? 長かったですか?
「もう3年も経ったんですか?」って感じかな。ありがたいことにリリースが止まらず。でもそんなに大きい起伏はなかったです。やることは変わらなくて、とにかく曲を突き詰めようという気持ちがより強くなっていますね。日本の音とアメリカの音の違いとか、最近はとくにサウンドメイキングの勉強をしている感じで。ただサウンドにこだわりすぎると、曲ができたときに歌が脇役になることがあるんですよ。そうならないように鍛錬しています。それでようやく両方がステージアップできるので。
―― 以前は「25歳で始まり、27歳で本物になった歌詞人生」とおしゃっていましたが、歌詞人生的に今はどのような感じでしょう。
自分の表現法が徐々に定まってきた感覚があります。たとえば、僕は言葉遊びが好きだから、前なら極端にそちら側に振った曲とかもあるわけですよ。でもそういうものを今後はあまり作らなそうだなという気がしている。別に言葉遊びだけに振らなくても、メッセージを込めた歌のなかでできるってわかったから。これは曲をたくさん作って、経験したからこそわかったことなんですけど。今はかなり“言葉の持つ意味”のほうを大切にしていますね。
―― 韻を踏んだりということも、1曲のなかに自然と入る技のような感覚ですか?
そうそう。そこが主役になるような楽曲ではなく、歌うなかで当たり前に韻を踏んでいるというか。完全に自分の土壌になった気がする。今回のアルバムでも「どう?韻踏んだよ!どう?」っていう楽曲はなくて、達観しつつあるのかも。
―― 作詞法でいうと、以前はストーリーとご自身の体験とをひとつに合致させる方法を確立されていましたが、今はいかがですか?
そこは3年前と全然違いますね!今はストーリーを描くより、瞬間を切り取ることを意識しています。一瞬の気持ちを歌うというか。今回の「夢醒めSunset」だったら、もうその一瞬にしかいないです。夕暮れの時間、ちょっと涼しいけど、まだ暑くて長袖は無理ぐらいの感じのなか、夕焼けを見ている。1曲のなかで夜になったり、翌朝になったりもしないようになりました。歌のなかで時間が経過しなくなりましたね。
―― また、2020年「ミラージュ」リリースの際にはメールインタビューもさせていただき、コロナ禍でもご自身にあまり変化がなかったと綴られていましたね。
気落ちしたって言ったほうがアーティスティックですけど、それがまったくなかったんですよね。曲が書けなくなって困っているひとも多いじゃないですか。でも僕は「こんな情勢ごときで曲作りに影響なんてあってたまるか!」って気持ちがありました。
―― コロナ禍だからこその歌詞を意識されることもなく。
全然なかった。そんなんやったら終わりだと思った。そこを気にされるアーティストもいるんですけど、柔道にたとえると、そっち側の方は柔道選手で、僕は柔道家なんですよ。点を取るため、勝つために頭で考えて試合をするのが柔道選手。試合で勝つ負ける以前に、礼節の問題や相手への敬意を重視するのが柔道家。だから僕としては「コロナ禍だから夏の歌を書いてもみんなに受け入れてもらえない」みたいなことを考えるのは違うわけです。そこを創造するのが僕らの仕事というか。だからいつもどおりの自分で今回のアルバムも作りました。
―― ビッケさんは歌詞を書いていて「難しい」と思うことなどありますか?
やっぱり音の良さを日本語が消しがちなんですよね。そこは未だに苦悩しています。英語のほうがずっと書きやすい。とくに今回の「Divided」なんかは2日で作り上げたし。英語にはたくさん意味がないから、ストレートにわかりやすく伝わるし、曲にハマるんですよね。まぁでも日本語の歌詞でもちょっとずつコツを掴み始めてはいる気はします。
―― そういえば去年、いきものがかりの水野良樹さんとのラジオで、水野さんに一度だけ曲作りの相談をしたことがあるとお話されていましたね。
そうそう。当時は全般的に迷っていて、実はその曲が今回のアルバムに入っている「天」なんです。デモを持って、いきものがかりのリハに行って、休憩時間にみなさんが出てきたところで聴いてもらって「どう?」みたいな。そうしたら水野さんが「あー、迷ってるねー。もういろんなことをやろうとしているね。スランプっぽいよ」って。ですよねー!と思いました。コードをめちゃくちゃ転調させてしまったり、曲の繋ぎのトランジションという部分が甘かったりしたんですよ。で「Aメロ、Bメロ、サビ、全部が良すぎて、どこがサビかわからないよね」とか細かいアドバイスもいただいて、「ありがとうございました!」って帰って、作ったんです。
でもどちらかというと、アドバイスをもらったことよりも、水野さんに曲を聴いてもらって、喋ることができたことで救われた部分が大きかったですね。「水野さんでもスランプはありますか?」とか。僕は水野さんの曲作りを大尊敬しているので、ずっと「僕が水野さんの跡を継ぎたい」って言っているんですよ。水野さんには苦笑いされているんですけど、これからもストーカーし続けようと思っています。しかもそのとき、そこに聖恵さんもいらっしゃって、一緒に聴いてくれて。「頑張って!」みたいなこと言ってくれて。それもグッときました。すごく自分にとって大きな機会でしたね。
―― そういう苦悩や思い出もあるからこそ、アルバムのラストを飾るのが「天」なんですね。
ですね。小手先じゃない独特なパワーがある曲だと思っています。自分ではコントロールできない歌でもあるかもしれないです。
―― この歌詞は、Aメロ頭の<そうですね>というひと言のフックが素敵です。
「あなたと同じ気持ちだ」とか「あなたに寄り添えるように」とかいろんなことを考えたとき、まず<そうですね>って言って、次に<~なものですね>って言えれば、自然と聴いているひとと会話が成立するんじゃないかなって。もはやトリックみたいな感じというか。これは自分でもおもしろいなって思えた部分ですね。
―― ちなみに今回は、作詞作曲のクレジットがビッケブランカではなく、本名の“Junya Yamaike(山池純矢)”となっていますね。
そうなんですよ。これは理由が結構いっぱいあるんですけど、主に三つで。まず、海外のミュージシャンとコラボをしたんですけど、海外だと本名で活動するのが常識なんですって。基本、第一線でやるなら絶対。そりゃそうだよなと思ったのが一つ。あと、単純に飽きたっていうのもあります。で、ここまで自分的に粒ぞろいのアルバムができたから、このタイミングで本名を晒したくなったんです。もう一つは…まだ言えません!