第49回 桑田佳祐「波乗りジョニー」
photo_01です。 2001年7月4日発売
 いよいよ夏本番ということで、今回は夏の大名曲「波乗りジョニー」を取り上げよう。でもその前に…。
夏の歌には大きく分けてふたつある。この季節を迎えるワクワクを描いたものと、終わっていく寂しさを描いたものだ。夏は待ち遠しい。でも夏は短く、しかもビッグイベントはたいていお盆近辺。ぼちぼち秋も忍び寄ってきて、だから夏は、なんかちょっと忙しくもある。夏そのものをじっくり“考察”する暇などないわけだ。

結果、夏へとフェイドインしていく歌と夏からフェイドアウトしていく歌が大半となるのも仕方ないことである。もちろん、インもアウトも、両方面倒みるよと、ひと夏まるごとを描いた歌もけっこうある。その場合はストーリーにテンポ感が求められるだろう。
今回取り上げる「波乗りジョニー」の場合はどうだろうか。まず歌詞のなかに[恋の季節がやってくる]とあるくらいなので、そう、夏へとフェイドインしていく歌なのだ。その後、さまざまに歌詞の世界観は展開していくけど、よく最後まで聴いてみると、[秋が目醒めた]というフレーズもあるではないか。そう。この歌はどうやら、ひと夏まるごと面倒見てくれる歌のようなのだ。

モノマネじゃないサーフィン・ミュージック

 この歌は、まず大前提として、サーフィンというスポーツを題材にしていることが挙げられる。そしてサーフィンといえば海、海といえば夏、という連想が働くわけだが、ポップスの歴史の中では定番のテーマでもあるので、聴く者に安心感を与えてくれる。
サーフィン・ミュージックといえば、もともと60年代に、アメリカ・カリフォルニア出身のビーチボーイズによって広まったものだが、それをそのまま下敷きにしたものではない。冒頭に聞こえる生ピアノのリフは、サザンを連想させるし(この曲は桑田佳祐名義だが…)、型にはまったものじゃないアレンジのアイデアもまさにそうだ。ストリングスやホーンが波頭なら、タイミングよく聞こえるティンパニーのダダダンという音は波のボトムを支えるかのようで、まさに絶好調。

ただ、歌の主人公がバリバリのサーファーであるかどうかに関しては、実は不明なのである。この作品がリリースされたときに制作されたプロモーションビデオは波乗りシーン満載だったけど、歌詞を見る限り、ボードを操る主人公の姿が、具体的に描かれているわけではないからだ。
[同じ波はもう来ない」のくだりはサーファーっぽい表現だが、これは一般人も使う言葉だし、もちろんここでは可愛いあの子と親しくなる千載一遇のチャンスを表わす比喩として“波”という言葉が選ばれている。
大好きなのは[風が水面に帆を立てる]という、実に詩的でステキな表現であり、これはある程度の強風から起こる現象ゆえに、主人公の胸のざわめきが伝わってくる。幼少期より海に隣接する茅ヶ崎で育った桑田佳祐。そんな環境が、気づけば海の景色を描写する際の多彩な語彙を育てたということだろうか…。

「いつか」「やがて」に注目して聴いてみよう

 さらに主人公の胸の奥を覗いてみると、「いつか」「やがて」「だから」という言葉がとても重要な役割を果たしているように思う。ここで再び、この歌が夏へとフェイドインしたところで始まっていることを思い出してみてほしい。すると…。
「いつか」や「やがて」というのは、あくまで主人公が想像した恋の顛末であって、まだ実際にはなにも起こってない、ということを示唆していると受け取れる。しかも主人公が想像する恋の顛末は、決してハンピーエンドではなさそう。言い出しかねて、そのまま無情に過ぎ行く夏…、かもしれないのである。曲自体はノリノリだからこそ、そこはかとなくじゅわ〜んと伝わる哀感…。それこそが、大事なこの歌の感動ポイントだろう。

詞先・曲先ならぬ“タイトル先”

 あれは新潮社から少し前に出版した『桑田佳祐 言の葉大全集 やっぱり、ただの歌詩じゃねえか、こんなもん 』を作っていた時のこと。桑田本人が自らの詞作などについて語る、たいへん興味深い内容の本なのだが、そのインタビュー部分の構成を、大変な光栄なことに、私がやらせていただいた。で、そのなかにこんな話が出てくる。そう。「波乗りジョニー」に関するものだ。

実はこの曲のタイトルというのは、桑田が学生の頃からあたためていたものだった、というのである。当時は具体的な曲作りには着手せず、「後々こういうタイトルの曲を書けたらいいな」、ということだったらしい。
注目すべきは“サーフィン・ジョニー”ではなく、タイトルを考案した時点で既に“波乗り”という表現を使っていることだ。そこにあるのは“和製ポップス”の匂いである。“和製ポップス”というのは、60年代になって花開いた、英米のポップスの歌詞を日本語に意訳した歌謡曲のことであり、坂本九やザ・ピーナッツ、中尾ミエ、園まりなど、多くの歌手が活躍した。おそらくタイトルが思い浮かんだ時に桑田の頭の中に鳴っていた曲調も、まさに“和製ポップス”だったのだろう。

 ただ、もしその時点で「波乗りジョニー」という作品を具体化してたら、どうだったのだろうか。ちょっとテイストの違うものになっていたのかもしれない。というのも、この曲には注目すべき更なるキーワードがあるからである。それはズバリ、[誓う孤独の太陽]。
彼のファンならご存知の通り、『孤独の太陽』とは1994年にリリースされたソロ・アルバムのタイトルであり、その内容は、より私的で内的な、それまでの桑田作品と違った傾向をみせたものだった。シングルとなった「月」がまさにそうだったが、「波乗りジョニー」に自身のアルバムのタイトルが登場したのは、まったくの偶然だったのだろうか。知りたいのは、この歌において“孤独の太陽”という言葉が指し示す意味なのだけど、これは想像するしかないだろう。でも、浮力満点のこの曲に、まるでブイのオモリのようにこの言葉が混ざっていることの効果は大きい。

サビの部分の、実にシンコペーションが効果的な[だから 好きだと言って]以下の “矢継ぎ早”な感覚が、次から次へと波が押し寄せる大海原を連想させるのもイイ。途中、ちょっとリズムにブレーキが掛かる感覚のところがあるのも、風が一瞬、凪いだみたいでイイ。いやこの曲は部分的じゃなく、全部イイ。描かれているのは悲恋なのかもしれないけど、聴いた後の気分はスカッと爽やかである。当時、コカ・コーラのCFソングだっただけに…。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
プロフィール 小貫 信昭  (おぬきのぶあき)

文章を書くことと歌が大好きだったこともあって、音楽を紹介する職業に就いて早ウン十年。でも新しい才能と巡り会えば、己の感性は日々、更新され続けるのです。絢香さんに初めてお会いしたのは、まだ彼女が十代の頃でしたが、今年はデビューして10周年なんですね。アニバーサーリー・ベストは充実した内容で、新たに歌い直した「三日月」も話題ですね。実は僕は、声を張って大きな世界観を描く彼女も好きだけど、“引き”の美学というか、そんな彼女もいいなぁと思っていて…。改めて「Jewelry day」を聴いて、
そう感じたのでした。