すべての質問に「NOだよ!」と言いたいですね。

―― では、ここからは今回のベストアルバムについてお伺いしていきます。まず選曲はどのように行ったのでしょうか。

2/3はファンのみんなが好きな曲、かつ、私の楽曲のなかでも売れた曲です。やっぱり認知されている曲がないとベストを出す意味がないと思って。本当はもうちょっと入れたかったんですけど、削って削ってこうなりましたね。そして1/3は私の自我というか、自分が好きな曲を入れたという感じで。丸々、自分の好みで選定する度胸はありませんでした。それに「阿部真央の歌を聴いてみたいけれど何から聴けばいいかわからない」という人が手に取って聴いてくれたとき、わかりやすいものにしたかったので、自ずと人気の高い2009年~2011年の初期の楽曲が多くなりました。

―― 収録曲はリリース順に並んでいて、通して聴くと真央さんの軌跡がよくわかりますね。

はい、初期の曲はとくに。これは今だったら書けないなぁと思う歌詞も多いです。ただ、マスタリング作業のときに通して聴いたんですけど、今までライブでたくさんやってきた曲がほとんどなので、曲自体がすごく遠い存在かと言われるとそんなこともなく。感慨深いなぁとか、当時のことを思い出すなぁとか、そういう感じはあまりなかったですね。あ、でも「いつの日も」に関してはすごく…よく書けたなと思いました。良い曲だなぁって(笑)。

―― ド名曲ですよね。これはどんなときに生まれた曲なんですか?

これは<ずっとその手に抱き留めて>とか<いつの日も 愛してよ>とか言っているんですけど、実は私が好きな人と別れたときの歌で。なんかねぇ…離れていくとき「なんでもっとちゃんと大事にしなかったんだろう」と思ったこととかね。一度はすごく好きになった人なのに、終わりがくるんだなぁ…って実感したこととか。そういう実体験を書いているんですけど、ただ悲しいだけじゃなくて、時間には限りがあって、終わりもあるんだってことを教えてくれた恋愛だったんですよね。それを知ったからこそ<最期まで隣で>愛し愛されるような関係にすごく憧れて。だからこの歌は、当時お付き合いして別れてしまった人のことを思って書いている部分もあれば、その彼じゃない誰かといつか私が出会ったときに、それぐらい想い合えたらなぁというような願望も入っているんですよ。

―― 表記も<貴方>と漢字表記であることで、別れてからも敬えるような恋愛だったことが伝わってきます。

そうなんです。私は好きになった人をかなり敬っちゃうので、今の曲でも恋愛対象の人に対しての曲はすべて漢字の<貴方>にしています。あと、たとえば「まだ僕は生きてる」では<貴女>と“女性”を意味する表記にしているんですね。それは私の母親のことなんです。さらにこの曲にはひらがなの<あなた>も出てきて、それはファンの方たち。そうやって、誰に向かって歌っているかの住み分けは、自分のなかでこだわっていて。

―― 「まだ僕は生きてる」の冒頭には<君>も出てきますね。これはお子さんのことかなぁ?と思ったのですが。

あ!たしかにそうかも。意識していなかったけど、多分<君>は息子のことを思っていましたね。なんか私は…貴方、貴女、あなた、ずっと特定の誰かに向けて歌ってきたんですよね。だからあんまり「私が!私が!」っていう内容の歌詞はないかもしれない。他にも<YOU>とか<あいつ>とか<あんた>とか<お前>とか、相手を呼ぶ言葉が非常に多い気がします。

photo_01です。

―― そしてDISC1には「17歳の唄」、DISC2には新曲「28歳の唄」が収録されていて、対比して聴いてみるのもグッときますね。

そう、たまたまこうなったんです。私には「17歳の唄」「18歳の唄」「19歳の唄」っていうシリーズがあるんですけど、その3曲以来書いていなくて。だけど2018年に『虹色デイズ』という映画で「17歳の唄」を挿入歌で使っていただいて、新たにその歌に触れてくださる方ってわりといたんですね。なので、認知されている曲と判断してベストに入れまして。

それから、挿入歌になったことで、ファンの人から「もう“○歳の唄”は書かないんですか?」と言われて。そのときにちょうどこのベストのことも考えていたので、じゃあ新曲として「28歳の唄」を作ろうかな、と。しかも、ベストの発売日が私の誕生日の前日なので、世に出るときはギリギリ28歳なんですよ(笑)。だからギリギリの28歳の気持ちを届けようと思って、今の私を書きました。全然ちゃんとした大人じゃないって歌になっちゃったんですけど。

―― 「17歳の唄」では、漠然とした不安を抱え、すごく孤独感が伝わってきます。一方で「28歳の唄」は悩みがかなり具体的な上に、いろんな人に携わっていることがわかりますね。

ですねぇ。「17歳の唄」は17歳の阿部真央なりに、結構シリアスに歌っていて、苦しかったんだねという感じなんですけど。もう28歳の私は、子どもを産んだりとかいろいろ経験しましたし、もうそんなちょっとしたことでは深刻にならないというか。逆に、今の私のマインドとしてはこういうなんでもない“今”をユーモアを交えて歌いたいなって。だから、内容はもちろん現在の私のリアルなんですけど、この「28歳の唄」の在り方自体が、今の自分を投影しているのかなって思いますね。何でも面白くやりたいと思うようになっているというか。

―― 面白さもありながら<大人になれば少しは ちゃんとできると思ってた 嗚呼 それなのに 直したいことばかりだね>というフレーズは“17歳の私”が聴いたら、希望的に感じるかもしれませんね。

ね。大人になってもそんなに変わらないのか~って。でも、大人になった今でこそ「変わらないよ」とか「そんなことで悩んでないで」とか思えるけど、17歳の時とかって、全く聴く耳を持てないじゃないですか。自分が生きてみてやっとわかるというか。面白いですよねぇ。本当に人は勝手ですよねぇ(笑)。

―― 「17歳の唄」には<大人になれば強くなれるの? 大人になれば自分守れるの? 大人に配られる武器でもあるの? どこが子供の“ゴール”なの?>と大人へのクエスチョンが綴られていますが、今ならなんと答えてあげますか?

すべての質問に「NOだよ!」と言いたいですね。大人になればなるほど、どこまでもNO、NO、NO。年を重ねていくことって、むしろ子供に戻っていく感覚に近い気がします。それに大人の方がよっぽど不器用かもしれない。自分どころか、どんどん守るものは増えていくし、それゆえの恐れも多いですし。知識が多いからこそ、動くように動けず、言いたいことも言えず、もう「POISON」ですよ(笑)。本当に、大人も大変。

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