愛する苦しみもあれば、愛される孤独もある…。

 今年「今夜くらべてみました」や「行列のできる法律相談所」で【日本一歌詞が暗い、美人シンガー】として話題になった“しばじゅん”こと“柴田淳”がデビュー15周年に突入!その集大成として2015年11月25日、ベストアルバムをリリース。今作はファンが思い思いの楽曲を選んで投票し、その集計結果をもとに本人が収録曲をセレクト。さらに幻のインディーズ楽曲や提供曲のセルフカバーも収録されております。

 今回は、“すべてに実体験のカケラが込められている”という楽曲をもとに、しばじゅんの音楽活動の軌跡・恋愛経験談・女性&男性論などをとことんお伺いしました。“日本一暗い歌詞”を書く方だとは思えないほどトークが面白く、いつまででも色んなお話を聞いていたくなるインタビューでした。ラストの止まらないスガ シカオさんへの愛にも注目です!
あなたとの日々 作詞:柴田淳 / 作曲:柴田淳
悩みさえ 不安さえないから 何もかもが満たされている私がいる
私がいるんだけど… もっともっと 愛してくれなくていい
きっときっと あなたにはわからない
ずっとずっと そんな想い秘めたまま 続いてゆく毎日
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INTERVIEW
ベーシックな悪い男のパターンは全部学びました(笑)。

今年は、HKT48の指原莉乃さんの推しアーティストとして「今夜くらべてみました」にご登場され、さらに「行列のできる法律相談所」にも出演されていて驚きましたが、バラエティーで柴田さんの新たな一面を知ることができて嬉しかったです。

柴田:そうですか(笑)。ありがとうございます!私の中では、あんなに有名な番組に出演させてもらえるなんて本当に光栄だったのですが、話した内容がもう…恥ばかりでしたね(笑)。今までの柴田淳を知っている人たちからは「テレビに出るのはそりゃいいけど、そっち行ったか!」って言われて(笑)。最初に出演したのが今年2月の「今夜くらべてみました」なんですけど、1月の2週目くらいにメールで「指原さんが…」って連絡が来て。VTRとかPV紹介かなぁと思っていたら「いや、出演するんです!」って、もうビックリですよ!番組側のスタッフさんは打ち合わせの時から私に興味を持ってくださっていたんですけど、「私なんかが出ても…」と思っていました。だって素人がプロ相手に何を話せるんだって、想像もつかなくて。素人が一生懸命おもしろいことを言おうとしてスベるほど寒いことはないじゃないですか(笑)。それをしっかりわきまえて、質問されたことだけを答えようと臨みました。でも、その回の放送が何故か好評だったらしく。翌日にすぐ再オファーが来て、また3月に出させていただきました。その時ってちょうど音楽の仕事を休もうと思っていた時期だったんですけど、待ってましたとばかりに全く違う世界から声がかかったんですよね。

各番組の放送後には、歌ネットの歌詞リアルタイムランキングに“柴田淳”の楽曲がズラッと並んでいましたよ。

柴田:ホントですか!でもそうなんですよねぇ…テレビの反響ってとんでもなく大きいんだなぁって痛感しました。“柴田淳としてこういう取り上げられ方はどうなんだ?”って思うところもありましたよ。ただ、音楽活動を15年やってきて、私やスタッフ以上にファンの方々にはずっと「もっとこうすれば売れるのに…」「テレビに出れば良さが伝わるのに…」っていうフラストレーションがあったと思うんですよね。だからもう私のファンは「柴田淳がどういう世界なのかは、とにかく聴いてもらえさえすればわかる。バラエティーだろうと、“歌詞が日本一暗い”と言われようと、“いじられる”っていう条件だろうと、とりあえずテレビに出て、どんなきっかけもチャンスに変えて!」って言ってくれるんですよ(笑)。ホント今年一年、タレントさんでもなかなか出られないような番組に出演できたことはありがたいなぁと思いますね。

先ほど“音楽の仕事を休もうと思っていた時期だった”とおっしゃっていましたが、それは何故でしょうか…。

柴田:去年12月に「バビルサの牙」というアルバムをリリースしたんですけど、その1年半くらいほど前に大失恋をしまして…。その痛手から目を背けるために1年半で3年分くらいの仕事を詰め込んでしまったんです。仕事をしている時は、楽しいし必死だから、傷ついていたことなんて忘れていられる。だから悲しみに向き合わずに過ごせたんです。でも、それが終わった瞬間に、一気に身体も心も壊れてしまったんですよね。しかも、痛みを感じないようにしていた期間が長かったからこその反動っていうんですかね、ものすごく膿がたまっているような状態で。時間が解決してくれるどころか、傷の量がかなり増えてしまっていて…。その状態で「バビルサの牙」を作らなければならない時期になり大変でした。バビルサは、ジャケットを見るだけで今でも涙がこぼれてきてしまう、本当にボロボロの私が形になっています。

photo_01です。

最近のブログには「引退しようとも思っていた」と綴られていてヒヤヒヤしました。

柴田:そうなんです。初めて本気で「仕事やめようかな」って思いました。なんで歌っているんだろう、なんで仕事しているんだろう、なんで生きているんだろう…ってところまでいってしまって。それは単に「死にたい」とかそんなことではなくて、漠然と「もう疲れた。自由になりたい」って思ってしまったんです。でもそうやって“身も心も休みたい、好きな人もいない、どうしよう”って時にちょうどテレビ出演の話をどんどん頂いたので、良い意味で時間を埋めることができたんですよ。全く違う世界に飛び込むことは何もかも新鮮で、心のリフレッシュにもなり、結果的に私の心を救ってもらいましたね。

本当に今年は音楽を休憩するための時間だったのかもしれないですね。また、デビュー15周年を迎えられましたが、柴田さんは20歳で作詞作曲を始めて、24歳でメジャーデビューを果たしているので、かなりハイスピードで夢が叶ったように感じますね。

柴田:私もそう思います。でも、22歳だった大学時代は、就職を蹴っていたのでかなり必死でしたね。「歌手になりたい」とか言っている場合じゃなく「なるしかない」って。だから「なりたいなぁ…」なんて甘い考えの人に対して厳しかったです。自分はそのくらい覚悟を決めていたので。ただ、子どもでバカだったから、今考えるとゾッとするような危ないこともしていました(笑)。“犠牲を払わないとプロにはなれない!”ぐらいに思っていたんですよ。何事もなくデビューできて本当によかった…(笑)。あと、デビュー当時は「24歳でデビューって遅いですね」って周りからすごく言われました。10代でデビューしていて「授業中いつもノートの端っこに歌詞を書いてました」と言うアーティストの方も多いと思うんですが、私は、そういう経験がなかったんです。20歳でオーディションを受けて「歌だけでやりたいのであれば、その歳では遅すぎる」って言われて落ちて、やむを得ず作詞作曲をはじめたくらいですから。

小さい頃は歌手になろうとは思っていなかったんですか?

柴田:全く!歌は好きでしたけど、中身が男の子みたいだったんです。子どもって情報源がテレビしかないので、画面に映っている人しか歌手っていないと思っていたんですよ。私の時代は、み〜んなお人形さんみたいに可愛くて、ヒラヒラドレスを着たアイドルばっかりで。とにかく女の子の格好をすることへ強烈な拒絶反応があったくらいボーイッシュな幼少期だったので、憧れなんてもってのほかでしたね。でも、小学三年生くらいの頃、姉のスカートをこっそり自分にあててみたある日の夕暮れ(笑)。それがはじめての女の子への目覚めでしたね。それなのに、イジワルな姉がタイミング良くそれを見て「ママ〜!淳がスカートあててるぅ〜!」みたいなことを言って、またしばらくスカートは遠ざかりました(笑)。

…(笑) でも柴田さんって、こうしてお話をしていてもテレビのトークを拝見していてもすごく面白いかたなのに、どうして楽曲は“日本一暗い”とまで言われる歌詞なんでしょうか…。

柴田:この前「どっちが本当の柴田淳なの?」って言われたんですけど、どっちも私なんだよねぇ。家族に対する想いや、子どもと大人の中間ぐらいの時期に言いたかった想いを歌にすることによって、今まで背負ってきたものが軽くなるみたいなところはありますね。そして、それが恋愛のこととなればもっと酷くなります…(笑)。

かなり恋愛体質だったりしますか?

photo_01です。

柴田:以前は恋愛体質だったのかなぁ。付き合う付き合わないは別にして、“想い人”は常にいましたね。そうじゃないと生活が輝かないから。まぁそれがバカだったんですけどね。恋愛経験がないからこそ、依存しちゃったり、相手の幸せを私の幸せにして自分を捨てちゃったり、生活の中心に相手を置いてしまうんですよ。好きだから絶対に断らないし、どんなに理不尽なことをされても許しちゃうし、完璧に都合のいい女になるわけです。…最低だよね(笑)。でも、そういう実体験のすべてを題材にして、歌を作ってきたんです。

バラエティーでは「付き合ってきたのが“酒、タバコ、ギャンブル”…な典型的ダメ男だった」とおっしゃっていましたが、ちょっと悪そうな方がタイプなんですか?

柴田:決してそういう人がタイプなわけじゃないんですよ〜。テレビで話したのは、恋愛経験がないからこそ痛い目を見てきたバカな時期のことなんですけど、「この人がいなくなったら私ひとりになっちゃう」って洗脳されてたんだと思います。本当は私が利用されていただけなのにね。もうね、私はベーシックな悪い男のパターンは全部学びました(笑)。



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