“僕ら”がなんでもない日常を100%愛するためのニューアルバム!

 2015年10月7日に“米津玄師”が新境地を告げる最新アルバム『Bremen』をリリースしオリコン&iTunes&ビルボードジャパンの各チャートで1位の三冠を達成した!今作の核となっているのは童話“ブレーメンの音楽隊”。「光が人を傷つけることだって大いにある」と語る彼が、“ここではないどこかへ向かう、疲れ切った僕ら”のために綴るメッセージとは…。

 今回は、そんな新作「Bremen」について深く掘り下げてお伺いし、米津玄師の歌詞に対するアツい想いをひしひしと感じるインタビューでした。そして“ハチ”というハンドルネーム名義でニコニコ動画にオリジナル楽曲を投稿し、ボーカロイドシーンで絶大な人気を誇っていた高校時代の心境や、“米津玄師”としての軌跡、これからの意志など、とことん語っていただきました!
アンビリーバーズ 作詞:米津玄師 / 作曲:米津玄師
今は信じない 果てのない悲しみを
太陽を見ていた 地面に立ちすくんだまま
それでも僕ら 空を飛ぼうと 夢を見て朝を繋いでいく
全て受け止めて一緒に笑おうか
もっと歌詞を見る
INTERVIEW
“米津玄師”としてやるなら、顔は出さなきゃなと

米津さんは、作詞作曲や編曲だけでなく、動画やアートワークもご自身で制作されていますが、小さい頃から絵を描くことがお好きだったのですか?

米津:そうですね、音楽を本格的に聴き始めたのは中学に入ってからなので、それ以前はずっと絵ばかり描いている子どもでした。ドラえもんとか「少年ジャンプ」のナルトとかワンピースが大好きで、マンガ家に憧れていましたね。絵は、幼稚園くらいのときから自然に描いていたんですけど、母親が教員免許を持っていてイラストを描くのも上手かったので、そういう血なのかなと思います。

音楽面では、どんなものから影響を受けてきましたか?

米津:一番最初に影響を受けたのは、小学5年生のときに流行った「FLASHアニメーション」で、なんかしょうもないイラスト映像に音楽が乗っている動画がたくさん投稿されていたんですよね。それまではあんまり音楽を聴かない子どもだったんですけど、アニメは好きだったので、そこのアニメーションを通じて音楽にも興味を持つようになっていきました。曲やメロディーと一緒に、歌詞へ意識を向けるようになったのは、中学生くらいからですね。当時は、BUMP OF CHICKENやASIAN KUNG-FU GENERATION、スピッツなどのバンドが流行っていてすごく好きでした。彼らの言葉には、少なからず影響を受けていると思います。

中学からは、ご自身でもバンド活動をされていたんですよね。

米津:自分は第一に曲が作りたい、オリジナル曲がやりたいと思っていたので、それを具現化するためのツールとして機能していましたね。同じ部活の仲が良い友達とかと組んだので楽しかったんですけど、初めて組んだバンドで初めて鳴らす音がオリジナル曲って、たぶん彼らは相当戸惑ったと思います(笑)。中学を卒業して、高校に入ってからも一応そのバンドはカタチとしては残っていたんですけど、ライブも年2回くらいしかやらなかったし、あとは練習と称して遊んでいるだけでしたね(笑)。

“ハチ”としての音楽活動は、高校の時からスタートしたのですか?

米津:はい、ネット上では本名で活動をするっていう習慣があまりないので、まずハンドルネームをつけて。ニコニコ動画に投稿したもので20曲くらい、発表していないものも含めると100曲くらい高校3年間で作りました。

2008年までは、米津さんご本人が歌っていますが、2009年からは“VOCALOID”を使ってのオリジナル楽曲を投稿なさっています。機械の声を使っての曲作りに変えたのは何故ですか?

米津:“機械が歌う”というフレコミではじめてボカロというものを知って、デモ音源を聴いてみたら、あまりに普通の人間のような声で驚いたんです。こんなに違和感がないものなんだなぁと。これを使えば自分ひとりでも曲をどんどん作っていけるんじゃないかと思いました。「初音ミク」のソフト自体も簡単に手を伸ばせる値段でしたし。その時、初音ミクを使った曲をニコニコ動画に投稿して、お互いに評価し合うという場所が出来上がっていたので、そこで自分も曲を発表してもっと多くの人に聴いてもらいたいと思ったのがきっかけですね。

photo_01です。

投稿した楽曲は、ミリオン再生を超えるほどの大人気となりましたが、その時の心境はいかがでしたか?

米津:4曲目くらいに投稿した楽曲の再生数が、いきなり大きく伸びたんですよ。だからこれは何かの間違いなんじゃないかと思ったりもしましたね。2ちゃんねるの悪い大人たちが変な風に祭り上げているんじゃないかなぁとか(笑)。でも徐々に、聴いてくれた人が普通に喜んでくれているんだってことに気付いて、それはすごく嬉しかったですね。

“ハチ”としてあれだけ絶大な支持を得た中で“米津玄師”として再出発し、楽曲だけでなく自分自身もオモテに出て活動していくことは、かなり勇気が要ったのではないですか?

米津:“米津玄師”としてやっていくこと自体は、自分としては自然な流れでしたね。米津玄師という本名を世に出すことに対しても抵抗がなかったです。でも、1stシングルの「サンタマリア」という楽曲のMVに、はじめて自分の顔が出たんですけど、その時は本当に嫌でした(笑)。自分で望んでやっていることでも、なんで俺が前に出てこんなことしなきゃならないんだろうってすごく思っていました。今でもちょっと嫌ですけどね(笑)。

たとえば、容姿はシークレットにしたり、顔は出さないで仮面や被り物をするといった活動の形も考えましたか?

米津:うーん、自分の顔を出すというのはかなり嫌だったんですけど、でも隠して活動をするっていう形態に関しても疑問があって…。自分が音楽の聴き手として、どういうものが好きかと考えたらやっぱり、その曲を歌っている人の顔が浮かぶものが好きだし、そうじゃないとなんか芯がぼやける気がするんですよね。まぁ音楽は曲単体でも成立するのかもしれないですけど、俺はそうではなくて、歌っている人自身のことも知りたいし、それも含めて音楽だと思っているので自分が“米津玄師”としてやるなら、顔は出さなきゃなと。

今までの活動を振り返ってみて、ご自身で一番の転機となった時期を挙げるとするといつ頃でしょうか。

米津:そうですねぇ…何度かありますけど、一番となるとやっぱりその1stシングル「サンタマリア」をリリースしたときかなと思います。それまではボーカロイドっていうコミュニティーの中しか自分は見ていなくて、その中でだけ通用するやり方でずっとやってきたんですけど、そのままじゃ意味がないなってことに気が付いたんです。そこから外に視線を向けていこうと決めた最初の一歩が「サンタマリア」だったのですごく記憶に残っていますね。ただ、今でもボカロに対しては育ててもらった恩義、礼儀、愛情はあるし、ニコニコ動画で2〜3年間やっていたことが自分の音楽活動の礎(いしずえ)になっているという感覚はあります。

「光が人を傷つけることだって大いにある」

では、ニューアルバムについてお伺いしていきたいのですが、まずタイトルの「Bremen」にはどんな意味を込めたのですか?

米津:これは最初から決めていたタイトルではないんですよね。アルバムが半分くらい出来上がった頃、収録曲の「ウィルオウィスプ」を作っていて、歌詞に“ブレーメンの音楽隊”のことを織り込もうと考えたんです。でもなんでこの童話を思いついたんだろうって、改めて“ブレーメンの音楽隊”を思い出してみたら、これって今いる場所に疲れた動物が、仲間を引き連れて「こんなところじゃなくてブレーメンにでも行って音楽をやって暮らそうぜ!」って話じゃないですか。その“今いる場所に疲れてどこかに行く”という心情が、今の自分の気持ちとすごくリンクして…。その瞬間に、このアルバムのタイトルは「Bremen」だな、と思いました。

アルバムの入り口となる楽曲「アンビリーバーズ」もまた“ブレーメンの音楽隊”の動物たちの心情に似たものが描かれていますね。この曲はどのようなイメージで作ったのでしょうか。

米津:タイトルは“信じない人たち”というような意味で、この曲では否定による肯定がしたかったんです。自分はすごくひねくれ者で、何かを肯定しなきゃならないとき、素直に肯定できなくて。でも、人間は何かを肯定して、それに寄り添いながらじゃないと生きていけないんですよね。それなら、ただ肯定するのではなく、その反対側にある否定を使ってみようと。そもそも何かを肯定するということは、暗にそれ以外のことを否定しているということでもあるので、それをひっくり返して、まず何かを否定してその反対側にあるものを100%肯定してみようじゃないか…というめんどくさいプロセスを踏みました(笑)。

たしかに、サビの「今は信じない」という言葉が「果てのない悲しみを」や「残酷な結末なんて」というマイナスな言葉を否定することによって、希望が肯定されているんですね。また、この曲はご自身の中で“今までとは違うことをしようという制約を設けて制作した”とツイートされていましたね。

photo_02です。

米津:やっぱり同じことをやっていても楽しくないから、自分にとっても聴いてくれる人にとっても常に刺激的でありたいなぁと思うんですよね。人間の細胞も、毎日死んで生まれてを繰り返しているので、きっと変化をしないということの方が不自然で、立ち止まったとしても、風に煽られてどんどんどんどん前に進んでいかなければならないように生かされているんですよね。だから音楽でもちゃんと変化をするために、今までやってきたことをある程度否定しようと。その否定する何かっていうのが、今回の場合はギターでしたね。

それに伴って、使う言葉も変わっていったそうなのですが、具体的にはどのように変化したのですか?

米津:最近は、普遍的な言葉というか、わかりやすくて、文脈を必要としない、小学校3年生でもわかるような言葉だけでものごとや自分が考えていることを表現できたらいいなぁと思うようになりましたね。1stアルバムの「diorama」の時には逆に、自分が考える美しさとか、築き上げてきた知識や文脈をフルに使って作っていました。でも、自分にとって普通の言葉や事実が、他人にとって同じではないという当たり前のことを忘れていたなぁって。だから今一度、自分の中の意識から一歩離れて、1+1は2、のような誰しもが共有している感覚に基づいて歌詞を考えました。それによって「(昔の楽曲と)変わっちまったなぁ」という意見を受けることもあるんですけど、でも仕方ないことだと思います。

「アンビリーバーズ」の歌詞には、“ヘッドライトに押し出されて”“テールライトに導かれて”“遠くで光る街明かりに さよならをして”“それが光ならば そんなもの要らない”と光がたくさん出てきますが、どちらかというとマイナスなものとして描かれている印象を受けました。

米津:これもまた自分のひねくれ者根性なのかもしれないですけど、「これは光だよ」って提示されたものに対して、果たして本当にそうなんだろうかと考えてしまうんです。実際、騙すためにそういうことを言ってくる人はいますし。光っていれば偉いのかよ、正しければ良いのかよと思ったりもするんですよね。昔、ディズニーのアニメを観た時にも、すごく正義の暴力みたいなものを感じることがあって…。自分たちにとっての悪い人間は排除して当たり前だみたいな。光が人を傷つけることだって大いにあるし、明るさって明るくない人間からすると、トゲトゲしく見えたりするんですよね。そういう暴力的な光に目が眩むような瞬間っていうのが自分にもあったのでこういう歌詞になったんだと思います。

また、「アンビリーバーズ」を含め、このアルバムの収録楽曲は、「Undercover」の“さぁ今夜逃げ出そう”、「Neon Sign」の“バイバイいつの日かまた出会おうぜ”、「雨の街路に夜光蟲」の“どこにだって行けるんだって”など、やはりここではないどこかへ向かおうとするフレーズが多いのですね。

米津:「ブレーメンの音楽隊」もそうですけど、息苦しい場所から逃げ出すことは大事だと思うんですよね。いろんな問題に対して、若者は立ち向かえとか、目を背けている場合じゃないとか言われるけど、そういう言葉に自分はすごく断絶を感じて…。だって逃げるしかないときってあるじゃないですか。その“逃げることは悪いことだ”という価値観からあぶれてしまった人はどこに行けばいいんだろうって。残された選択肢が逃げるしかなかった人間を誰も肯定できないような社会は嫌だなぁと思うし、だからこそ“ここではないどこかへ行く”ということを肯定したいという思いが強いんです。自分自身も、逃げたいというか、生まれ変わりたいと常々思ってます。

では、13曲目に収録されている「ホープランド」の“いつでもここにおいでよね”というフレーズは、このアルバムの中でどこかへ向かおうとしている主人公達への言葉でもありますか?

米津:アルバム全体の曲に対してもそうですし、個人的な相手に対しての言葉でもあります。最近すごく昔のことを思い返すんですよね。学校ってやっぱりイジメとかあるじゃないですか。自分の通っていた学校でもそういうことがあって、でも俺はそれに対して何もしてこなかったなぁ…と、今になって思ったり。じゃあ自分はその時どうすべきだったのだろうか、という回答を出したいなという想いをこの曲には込めていますね。

米津さんがこのアルバムの中で、特にオススメの1曲を選ぶとしたらどの楽曲でしょうか。

米津:一番最後の「Blue Jasmine」かな。さっきの「ホープランド」で“いつでもここにおいでよね”と歌っているけれど、結局“ここ”ってどこだよって話になるんです。実際に俺が場所としての“ここ”を提供できるわけではないので…。このアルバムを聴いたあと、その聴いてくれた人はまた同じ日常を暮らしていかなきゃならないわけじゃないですか。自分はただ音楽を作って、それを言葉やメロディーにすることしかできないのに、その精神的な“ここ”に聴いてくれた人を呪縛してしまうんじゃないかとも思ったんですよね。だから、その人が「Bremen」を聴き終わったあと、また新たに自分の毎日を暮らしていくため、もっと身の回りのものやなんでもない日常を100%愛せるために、必要な言葉を考えながら作ったのがこの「Blue Jasmine」です。

「日本で一番、世界で一番、美しいものを作る」

普段、曲作りはどのような流れでなさるのですか?

米津:だいたい最初にアコギの弾き語りでメロディーを作って、歌詞を乗せて、コードをいじって、大本になるものが決まります。それをパソコンでああでもないこうでもないと考えながら1つの作品にしていきますね。

歌詞を書く上で一番大切にしていることはなんですか?

米津:当たり前なことですけど、人にちゃんと伝わるかどうか考えることですね。最近はそれがもっと顕著になってきています。誤解される言葉ではないか、説明が足りないのではないか、いろんな可能性を想定して、自分が思っていることがちゃんと聴き手に伝わるためにはどんな単語を当てはめたら良いのかすごく考えながら作っています。

このアルバムの「シンデレラグレイ」や「あたしはゆうれい」もそうですが、米津さんはよく女性目線の歌詞も描かれますよね。男性の心情を描くときとはやはり感覚が違いますか?

photo_03です。

米津:んー、たぶん違うんでしょうけど、自分でもよくわからないんです。ただひたすら「あたし」って歌いたいと思う瞬間があって。コードやメロディーを作っている段階で「あ、これは女の子の曲だな」と思って、必然的に女性目線の歌詞になっていきます。イラストでも、単純に女の子の方が描いていて楽しいんですよね(笑)。やっぱり美しいなぁと思うし。だからそういう自分にないものを保管するために、女の子の目線で歌ったりするのかも知れないですね。

米津さんにとって歌詞を書くこととはどんなことですか?

米津:人と繋がる手段でもあるし、自分の中にある未分化の状態な割り切れない感情をカタチにするためでもあります。基本的には、誰かに向けて発している部分と、自分のために書いている部分のせめぎ合いですね。片一方が大きくなったり、片一方が小さくなったりというのを繰り返しながら歌詞を書いているなぁと思います。

最近、気になるアーティストはいらっしゃいますか?

米津:“04 Limited Sazabys”というバンドですね。とにかく声がめちゃくちゃ良くて。自分はすごく声が低いので、あの高い声に憧れたりもします。

米津さんのこれからの目標を教えてください。

米津:より普遍的な音楽をやっていきたいなと思います。自分はジブリ映画が好きで、小学生の時にリアルタイムで観た「千と千尋の神隠し」もかなり印象に残っているんですけど、ジブリ作品は子どもも大人も楽しめるし、娯楽映画としてちゃんと成立していながらいろんな文脈に乗っ取って作られているのがすごいバランスだなぁと思うんですよね。自分の作品もそういう風に作っていきたいですね。

最後に、歌ネットを見ている方にメッセージをお願いします。

米津:当たり前のことですが、自分は良い曲しか作りたくないと思っています。曲を作ってそれを発表するのであれば、100%自分が納得いく形で、日本で一番、世界で一番、美しいものを作るっていう気概のもとでやっているので、今回のアルバムもそれに価する作品になりました。是非、手にとって聴いてほしいです。

米津玄師 2015 TOUR / 花ゆり落ちる
撮影:中野敬久