第74回 [ALEXANDROS]「ワタリドリ」
photo_01です。 2015年3月18日発売
 たまたま、というと、なんか彼らに失礼かもしれないが、昨年と今年、たまたま連続して、野外フェスで[ALEXANDROS]を観た。 ちなみにフェスには、ファン以外の観客もいるわけで(まさに僕がそうだった)、その際、武器となる要素がふたつある。ひとつは誰でもすぐにノレる演奏の切れ味であり、もうひとつは、初めて聴いてもイイナと思える楽曲のクオリティだ。

彼らを観て思ったのは、ふたつを兼ね備えていたことである。演奏力に関しては、楽曲を成立させ、なお余りある音楽アイデアをトッピングしてる印象のものもあり、そこには4人のミージシャンシップを感じたものだった。


ここから飛び立つ“起点”としてのワタリドリ

 そんな彼らの作品のなかから、今回取り上げるのは、フェスでも印象深かった「ワタリドリ」である。楽曲自体は知っていたが、野外で聴くと、さらにさらに、自分も一緒に飛び立っていく気分になれた。
ちなみ“渡り鳥”と漢字で書くと、ぐっと昭和の言葉になる。かの大瀧詠一も影響を受けた、小林旭のヒット映画“渡り鳥シリーズ”などが印象深い。でもこの歌ではカタカナ表記となっている。そのことで、言葉が昭和の時代から背負ってきたものが、ここでいったんご破算となり、マッサラな印象にもなる。

この鳥は定住しない。だからそう呼ばれる。でも[ALEXANDROS]の「ワタリドリ」は、今、自分の居る場所から、初めて飛び立とうとする。これは画期的なことである。この歌に登場するのは、もともと渡り鳥だったわけじゃなく、渡り鳥にならんとする鳥なのだ。勇気と志がなければ、出来ないことだろう。

この曲ならではのバイリンガル性について

 バンドの作品を手掛けているボーカルの川上洋平は、子供の頃を海外で過ごし、英語が堪能なようで、全編英語詞の作品も多い。日本語詞のものも、いわゆるバイリンガル的な展開が見られたりする。「ワタリドリ」はどうだろうか。

出だしのパートは英語である。[my wings are dried]と、これから歌の主人公が取ろうとする行動が暗示される。ただ、その英語に続いて出てくるのが、[翼仰げば]という、ちょっと古風な日本語の表現(聴感上のつながりをよくするためか、英語っぽく歌っている)。

ただ、出だしこそ英語だが、以下、しばらくは日本語だけで展開される。サビの一番声を張るとこも堂々の日本語であり、だからこそこの曲は、J-POP~J-ROCKとして、胸に刺さるものとなったとも言えるだろう。 彼らの他の作品、例えば「ムーンソング」などは、ふたつの言語が交互に展開される。僕などがバイリンガル的な歌詞の展開として想像するのは、むしろこっちなので、「ワタリドリ」はそのあたり、特徴的に思えた。

楽曲が完成した当時、彼がブログで書いてたこと

 川上洋平は、ブログ「あれきさんどろす日記」の第96話「明日発売「ワタリドリ」曲解説。長いっす。」(2015年3月17日公開)に、様々なことを書いてくれている。僕は彼にインタビューしたことはないので、今回は、こちらを参考にさせてもらうことにした。

歌詞に[大それた四重奏]とあるが、自分達のことだろう。彼自身、ブログのなかでこの歌は「おそらく自分の事、そしてバンドの事をなんとなく指している」と書いている。その際、注目は“大それた”だ。 ロック・バンドというのは、アンプを使ってデカい音を奏でる。それがそのまま自分達の骨と肉の詰まった“身体”だとは勘違いすべきではない。そのあたりを、彼らはわきまえているのだろう。

でも、そもそもどのあたりから、この歌の“ワタリドリ願望”のようなものが芽生えたのだろう? そのことに関しても、川上洋平はブログで書いている。「自分の曲を武器に知らない土地で知らない人達の前で歌うというのは無謀な旅、というか冒険に近い。でもそれがやりたくてやりたくて仕方ないわけだし」、と。実に明快な答ではないか。

ここまでは、自分達に引き寄せた部分といえるだろう。次は、この歌がどう人々の役に立つか?である。「音楽をやっている最大の理由は自分が好きだからだけど、それと同じぐらい誰かを楽しませたいんだよね」。なんとも素直な言葉なのだけど、でもこれは、他の多くのアーティストにも共通するものだろう。

さらに彼は踏み込んで、そのあたりを明確にするのである。「でもこれって日常生活にも言えると思うんだよね。人を楽しませたい、笑わせたい、とかに理由なんて無いしね」。言っていることが、ひとつひとつ真っ当である。音楽の説得力とは、なにかそこに、隔離されて存在するわけではない。もちろん、純粋芸術であるなら、隔離もされるだろう。ただ、ポピュラリティを目指すなら、それは有り得ない。

なお、ちょっとマニアックで、しかも歌詞と関係ない話で恐縮だが、「ワタリドリ」のレコーディングには、西アフリカの弦楽器「コラ」も使われているという。ギターの原型となった、胴体がひょうたんで出来た楽器なのだが、実に澄んだ音色がする。羽ばたく空に、この音が鳴っていて欲しかったからこそ、使ってみたのだろうか。

僕がいいなと思ったもうひとつの作品

 今回、彼らの作品に接してみて、心に残る歌詞は、例えば「サテライト」など他にも多数あったが、詞の書き方が工夫されてて面白いなぁと思ったのが、「12/26以降の年末ソング」である。そもそも“12/26以降”という、時間の区切り方からして、他ではあまり見かけない。 メロディや歌詞は、自分自身に歌いかける雰囲気。時節柄、クリスマスやら忘年会的やらも終わり、他人との付き合いも一段落した頃だろうし、なのでこの曲調には、リアリティがある。

歌の主人公は、この一年間、頑張った自分を褒めてあげたくなり、認めたくない自分に関しても、素直に認めようと、ふと思う…。素直になるのがいい。普段は日々に雑感の底に沈殿してるかもしれない感情が、ぽっかり浮かんでくるのも年末ならではかもしれない。

面白い仕掛けがあって、当初、この歌は今年も[一時間足らず]で終わり、という状況設定なのだ。つまり“12/26以降”とは、正確には大晦日だと分かる。しかしみるみる、[あと2分]となり、ついに[50秒]を切る。NHK「紅白歌合戦」も終わり、とっくに「ゆく年くる年」が始まっている時刻である。そしてそして…。

歌の冒頭が英語詞、最後も英語詞のパートに変わる。ここでは無事に新年を迎えている。[the sun is rising up]。初日の出の情景なのだった。僕はこの歌が終わる間際……、そっとご来光に手を合わせた。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
プロフィール 小貫 信昭  (おぬきのぶあき)

音楽を紹介する職業に就いて早ウン十年。でも新たな才能は、今日も産声をあげます。そんな彼らと巡り会えれば、己の感性も更新され続けるのです。
僕は行かなかったが、友人・知人のなかには、毎年フジロックへ参戦する人達もちらほら…。よくよく考えると(いや考えなくても)、自分は一度もフジロックへ行ったことがない?!  一回目だったと思うが、スティーヴィ・ウインウッドが来るというので、行こうと思って結局果たされなかった。そのあとも、要はご縁がない、ということなのだが…。今年はこのあとも夏フェスは参戦するけど、通常、夕方になると涼しくなるところ、ずっと灼熱なのが今年の傾向だ。演奏が熱いのは大歓迎だけど、ただ気候が暑すぎるのはバテます。