第56回 きゃりーぱみゅぱみゅ「つけまつける」
photo_01です。 2012年1月11日発売
 さて今月はきゃりーぱみゅぱみゅの「つけまつける」を取り上げることにしよう。配信で作品を発表していた彼女の、CDとしてはこれがデビュー作となる。気づけばふと、“♪つーけまつ〜け”と口ずさんでいるタイプの曲であり、童謡のように素直な感じがする一方で、一筋縄ではいかない仕掛けがありそうでもあるなぁ……、というのが、僕の第一印象だった。

歌う彼女は可愛らしいルックスと歌声の持ち主で、でもその声は、可愛いといっても、アニメの声優さん的な整った世界観を響かせる感覚とは違っていて、フツーも適度に紛れ込んでいる声なのだった。程良く影もある声、という表現も出来るだろう。それがもちろん、良い方に働いたわけだが。

ところで…。今更ながらで恐縮だけど、きゃりーぱみゅぱみゅという名前の“ぱみゅぱみゅ”は、最初はなんとも言いづらかった。でも…。言いづらい、覚えづらいものというのは、いったん覚えれば愛しさも倍になるわけである(これは余談だが、この名前をテレビのアナウンサーのみなさんが発音する際、噛まないように留意するからか、一瞬、自分が研修時代に戻ったかのような殊勝な表情になるのを目撃するのも、なんかちょっと個人的には好な瞬間である。いや…、本当に余談でした)。

“つけま経験”ない人間にも伝わるこの歌の魅力

 「つけまつける」は実に軽快な作品だ。フンフンフンフンと、スイスイスイと、進んでいく。でも私はつけまつげをつけた経験がなく、そしてつけまつげのことを「つけま」と省略して言う風習すらも知らなかったので、最初に「つけまつける」を聴いた時は、少し混乱したことも白状する。要するに“つけま”が名詞で“つける”が動詞で、この二語によりこの歌のタイトルが構成されていることに、すぐには気付かなかった。
“つけま”でいったん区切れずに“つけまつ”というふうに、ふたつめの“つ”まで意識がなだれ込んでしまって、なにやら全体としてこのタイトルは呪文のようにも響いたわけなのである。

でも最初から、それは意図したものだったのかもしれない。“つけま”というのは独立した名詞なんだけど、そもそも前後の境界が曖昧に響く感じがする。そんな効果も意識し、利用しつつ、言葉を並べているのだろう。そこに巧みなメロディの抑揚が加わり、さらに“呪文”をカラフルな聴き心地へと誘っていく。
ただ、“つけま”がポイントであるこの部分を抜けていくと、“いーないーな”と譜割り的にも平穏になる。もしここにもさらに“つけま”のような前後の境界が曖昧に響く言葉が出てきたなら、聴いてる方にフクザツすぎる印象を与えたことだろう。そうはなっていないのは正解だった。

“世界共通語としてのJ-POP”を目指して

 きゃりーぱみゅぱみゅの評判は、海外ツアーを成功させたケイティ・ペリーがTwitterで絶賛するなどといった、海外での評価が逆輸入されたところもあった。それは周知の通り、「カワイイ」という文化の輸出とも密接だったわけだ。もはや料理の世界の「テリヤキ」同様、世界中の人が知ってるニホンゴのひとつとなったのが「カワイイ」である。

でも思えば「カワイイ」=「オサナイ」とも受け取られそうだ。どっちかというと「オトナ」になる訓練を十代の早くから始める傾向がある海外のティーンの間では、「オサナイ」は魅力的じゃないだろう。でもこの誤解は、そもそも当初の日本にもあった。それが結果的に、なぜ通用したのだろう?これは私見だが、日本人でないと成し得ない精密で誠実な色彩&造型感覚が、「オサナイ」とは真逆にある種の“成熟したもの”として伝わったからではなかろうか。

音楽の部分ではもちろん、中田ヤスタカのプロデュース・ワークが冴え渡っているが、この人の特徴は、作詞・作曲・アレンジを、まさに三位一体にして表現するところだろう。もちろんこういうことは、かつての小室哲哉や小林武史などもやっていたが、中田はさらに、言葉をサウンドとして処理する傾向が強いように思う。彼はきゃりーぱみゅぱみゅのプロジェクトに加わる当初から、彼女が世界へ羽ばたくことを願っていたそうだが、それが作品に与えた影響もあったのだろう。

海外を意識して、というのは、いま書いた、“言葉をサウンドとして…”ということにも関わる話だ。簡単に書けば、こういうことではなかろうか。頭で解釈してもらう部分(=歌詞の意味)も備えつつ、まずはダイレクトに心に響く要素(=歌詞すらもサウンドとして捉えてもらう部分)を重視した、ということだ。海外で評判になった「PONPONPON」の、オノマトペ(擬態語)の使い方などそうだろうし、「つけまつける」の場合、冒頭でも書いた呪文のような言葉使いがそうなのだ。

ただ、歌のテーマ的にはオーソドックスな部分も

 作詞・作曲・アレンジを、まさに三位一体にして表現する中田ヤスタカならではの強みは、ある部分の歌詞を擬態語的な言葉にしたとしても、作曲家やアレンジャーとしての自分が、言葉の意味じゃなくサウンドに物言わすことで、情報量はいくらでも調整可能だということだ。逆に言葉の意味を重視するところでは、言葉が伝わりやすいサウンドを選ぶこともできる。でも事実、「つけまつける」は言葉遊びが主な作品のようでいて、れっきとしたメッセージ・ソングでもあるのだ。

フルコーラス聴いてみると、伝えたいメッセージが届いてくる。それは、日本のポップ・ソングでよく取り上げられるテーマとも言える。心の持ち様さえ変えれば、まわりの世界も変わっていく…。そう、そんなメッセージだ。まず設定されているのは女の子。オシャレして、つけまつげをつけることの効用として、[気分も上を向く]と歌っている。

さらに特徴的なのは、そのあと、子供の“変身ベルト”の話へと移ることだろう。順当なら(?)、女の子の話をして、じゃあ同世代の男の子はどう気分転換しているのかな、みたいな展開も想像したけど、もっとちっちゃな男の子の話となるのだ。作者の中田ヤスタカが、ふと自分の幼少期を思いだしたのかもしれないが、このあたり、よく分からない。でもサビの部分は擬態語的な世界観なのに、ここの部分には[心の角度]といった、カッチリした響きの言葉が登場してくるのが面白い。

最後に。原宿文化ときゃりーちゃん

 2011年の秋に放送された「僕らの音楽」という番組で、きゃりーぱみゅぱみゅは槇原敬之と対談している。まだ彼女がお茶の間では知られてない時期に、テレビ番組の対談相手に指名した槇原の「先見の明」はサスガだ。彼はCDデビュー直後の彼女の中に、確かな“オンリー・ワン”を見抜いていたのだろう。

番組での主な話題は、原宿から生まれた文化について、だった。実はこの街は、こうした話題に関しては、世代によって、様々な感慨を呼び覚ますのである。筆者であれば、あの伝説の「セントラル・アパート」の存在を、ぎりぎり知っている(全盛期は70年代。私が知ってるのは80年代になってから)。そこには数多のクリエーター達が事務所を構えていた。自分も“住人”になることが、まさに憧れだったのだ。きゃりーちゃんの原宿は、その時代とは様変わりしたけれど、あの街にある、自由でクリエイティヴで、そして街が若者を見守る空気だけは変わらない。「カワイイ」という文化がこの街から育まれたのは、そんな土地柄があってのことだった。

小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
プロフィール 小貫 信昭  (おぬきのぶあき)

文章を書くことと歌が大好きだったこともあって、音楽を紹介する職業に就いて早ウン十年。でも新しい才能と巡り会えば、己の感性は日々、更新され続けるのです。2017年もまもなくバレンタイン・デーの時期になるわけですが、今からかなり前の話ですが、わたしはバレンタイン当日、とある、とっても素敵な女性アーティストさんを取材したのでした。終了して帰ろうとすると、彼女は「はい、これ」と、僕にチョコレートをくれたのです。たまたま同行した担当者も女性アーティストさんのマネージャーさんも別の場所での打ち合わせに入っていて、その場にふたりきり…。舞い上がりましたねー。でも彼女は担当者が戻ると彼にもまわりのみんなにもチョコを配り始めた……、という、実によくある勘違い、なのでした。