第50回 TUBE「あー夏休み」
photo_01です。 1990年5月21日発売
 前回に引き続き、夏をテーマにした作品を取り上げようと思うが、やはりこの人達、TUBEに登場してもらうのが妥当だろう。
ところで…。あれは90年代の前半だったと思うが、僕はボーカルの前田亘輝に、こんな質問をしたことがあった。「TUBEといえば夏だけど、その見られ方を本人達はどう思っているの?」。その時の彼の答は、こういうものだったと記憶する。いくらそれを“狙った”としても、必ずしも受け入れられるわけじゃないし、それなのにそんなイメージが僕らに定着したということは、自分達の音楽にそぐう季節が夏でもあるし、今はごく自然に受け止めている…。
この冷静な言葉を聞いて、ナルホドと思い、さらに調子づいて、当時雑誌に連載してたコラムで、こんな企画を思いついた。「TUBEの新曲で、この夏の天候を占おう!」。彼らは毎年、夏を控えた時期に話題曲を発表していた。その作品から、「来たるべき夏がどんなものになるのか」を予測してみたのだ。

灼熱のラテン調の「だって夏じゃない」(93)が出たときは、コラムで「今年は暑いでしょう」と書き、翌年に哀愁のミディアム・バラード調の「夏を抱きしめて」(94)がリリースされると「前年に較べて冷夏に…」とやったわけだ。しかし実際は逆であって、93年が記録的な冷夏であり、逆に94年は猛暑だった。ちなみに今年の彼らの新曲は「RIDE ON SUMMER」。イメージ的には雲を突き抜けて夏を全身で受け止める感じのイメージなので、さて、どうなのでしょう(と、予想しつつもサスガにこの時期なので、既に長期予報は出てて、今年は残暑がキビしそうですが…)。
熱心な彼らのファンにしたら、大事なオリジナル曲をネタにして遊ばないでよー、という意見もあったかもしれないけど、それほどTUBEというバンドの存在は、夏と密接だったということなのである。

「あー夏休み」は、関西出身の主人公の歌?

 さて、そんな彼らの数ある名作の中から「あー夏休み」を取り上げる。1990年の作品。まず、サビの歌詞とはいえ、かなり面白い発想の曲タイトルだと思う。
ちなみに改めて、「歌ネット動画プラス」で何ヴァージョンか彼らのこの曲のパフォーマンスを見ていたら、前田の歌い方に面白い特徴を発見した。毎回、ではないんだけど、“♪あー夏休みぃ〜”と歌う際、“ぃあー夏休みぃ〜”と、“ぃ”で表記したとこにタメというかシンコペーションというか、そんな工夫をして、より強く遠くへ届かせようとしていたのだ。
あと、ぜんぜん関係ないけど前田の声って、倍音の豊かさとか、ちょっと和田アキ子さんに似てると思うのだが、どうだろうか…。

歌詞の話にいこう。冒頭に「湘南」という言葉が出てくる。よく言われるのは地元のヒトは“わたし、湘南に住んでるの”とは言わない、ということ。なのに「湘南」という言葉が出てきているのは、歌の主人公がほかの場所から来たからだろう。
もうひとつ注目は[夢とちゃうのかい]というフレーズが出てくること。この主人公が関西のほうの出身、という推測もできる。ただ、お笑いの吉本興業の功績もあって、関西弁というのは“全国区”にもなったから、必ずしもこの主人公がそうだとは限らない。
いやむしろ、ちょっと関西弁を交ぜて喋った方がノリも出てカッコいいと思っている関西以外の人間が主人公ということかもしれない。もしこの歌の主人公が普段から関西弁を喋るなら、彼らは自分達の言葉に誇りを持っているし、冒頭から関西弁だったハズ、なので…。

“あー”のひとことに交差する、至福感と寂寞感

 ボヤボヤしてると終わっちゃう、そんな夏が舞台ゆえ、実に展開の早い歌である。たまたま見掛けた素敵な女の子。でもまもなく、歌詞がカメラならその画像はパンして“防波堤にふたりきり”のシーンとなる。いわゆる途中経過は省略されている。そう。気づけばお目当ての女の子のナンパは大成功だったわけである。
なので最初のサビの“あー夏休み”の“あー”は、思わず口から出てしまった至福感の表われであることがわかる。でもこのサビ、“あー”と伸ばしておいて、その次に“チョイト”という小回り効いた響きが出てくるあたりの言葉の乗せ方、抑揚のつけ方が秀逸だ。“あー”と放っておいて、“チョイト”でたぐり寄せる感覚だ。

2番の始まり方も素晴らしい。冒頭、[夜は夜]と、聴き手にここから歌詞は夜のエピソードに突入することをまごうかたなきものとして念押ししている。“あれ、いつの間に夜になってたの…”なんていう聴き手が出てこないための予防策だ。ギラギラの太陽が降り注いでいた1番と違って、ここからはぐっと光量も落ちる。いやいや[瞳読み切れない]ほどに暗い。“光るルージュ”というのも、なんともセクシー。

 そのあと出てくる[だって恋みたい]という表現は非常に重要だろう。主人公はこの出会いを一晩限りのアバンチュール(aventure=フランス語で“冒険”の意味)、そう、粋な日本語で書くなら“火遊び”程度にしか思っていなかっただろうが、でもこれは“恋みたい”と、のっぴきならない自分の心の変化に気づくわけだ。ただ、というか、あくまでこの季節は“三倍速”のごとくどんどん進んでいき、ほどなく別れがやってくる。[粋な別れ]がやってくるわけだ(「石原裕次郎かっ!」と、ツッコミたくもなる…)。さっきの出会いもそうだったけど、この別れに関しても、途中経過はバッサリと省略されている(再び書くが、夏が“三倍速”だから歌詞も“三倍速”なのである)。

そしてそして、再び“あー夏休み”と、曲タイトルとなっているサビの部分が聞こえてくる。先ほどの“あー”は素敵な女の子との出会いを果たした至福感の“あー”だったけど、今度の“あー”は別れを予感した“寂寞感”の“あー”なのだった。鈴虫くんなどもあたりに出没し始める。 
前田はこの歌の歌詞を吟味して吟味して推敲して推敲して書いたというより、言葉のノリやぱっと浮かんだ心象を信じて書いていったと伝えられているが、それが実に上手くいった例なのだろう。

いま、「あー夏休み」は夏の定番ソングとして、毎年この時期に、ふと、どこかから(街中の有線とかから)聞こえてくる。その時、歌詞の世界観全体というより、サビの“あー夏休み”のとこが、ここだけクッキリ太字で耳に読み込まれていく。その時、大人は至福感とも寂寞感とも違う、第三の感情をこの歌から呼び起こされる。それは郷愁感。あ〜〜〜、子供の頃の、若い学生の頃の夏休みは、楽しかったなぁ〜〜〜、と…。

小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
プロフィール 小貫 信昭  (おぬきのぶあき)

文章を書くことと歌が大好きだったこともあって、音楽を紹介する職業に就いて早ウン十年。でも新しい才能と巡り会えば、己の感性は日々、更新され続けるのです。あまり夏フェスとは縁が無いのですが、石巻で行われた『Reborn-Art Festival x ap bank fes 2016』には参加してきました。当日は非常に暑く、ただ港のすぐそばで風もあって、ほどよく日焼けして帰ってきました。石巻の復興という、ハッキリした目的があるイベントなので、参加アーティストは単なる夏フェス気分を越えた問題意識をもった人達ばかり。
でもフェスに慣れてるアーティストというのは、たとえば自分のことを知らないお客さん達であっても、見事に会場をひとつにする術を知ってるものなんですよね。