第37回 山崎まさよし「One more time, One more chance」
photo_01です。 1997年1月22日発売
 本コラムでは、これまでも数多くの作品を紹介してきましたが、まだまだあります、選りすぐりの名曲が。ということで、今回は山崎まさよしの「One more time, One more chance」を取り上げます。この歌の人気はともかく根強い。大切な人を失った時の喪失感を、これほどリアルに描いたものって他にないんじゃないかという位の完成度だ。
彼より後輩のソング・ライターがお手本として挙げていたり、先日も歌番組「ミュージック・ステーション」で、「東大生が選ぶ素晴らしいと思うJ-POPランキング」で1位に輝いたそうだ。これはあくまで番組の企画として取ったアンケートだろうけど、こういうとこにひょいと顔を出すというのも、まさに根強さの証拠である。

脚本からインスパイアされたようでいて自伝的でもある

 いまや大スタンダードとなったこのバラードだが、もともとは彼の主演映画『月とキャベツ』の主題歌として世に出た。劇中、山崎が演じたのはスランプに陥ったミュージシャン。でもファンだという女性との出会いから再び創作意欲を取り戻し、遂に完成させたのが「One more time, One more chance」という、そんなストーリーだった。 ならば曲を書く際に、脚本からインスパイアされた部分も多かったことだろう。特に歌詞のなかで相手のことを“わがままな性格”と描写しているあたりは映画のストーリーとも重なりそう(この主人公は、時に彼女に翻弄されもするからだ)。

ただ、それと同時にこの歌は、自伝的とも受け取れるのだ。山崎が上京して住むこととなった想い出の場所、それは桜木町。その地名がハッキリと歌詞に出てくるのだ。初めての土地での生活は、誰にとっても不安と刺激に満ちたもの。自分の居場所をみつけようとして、感受性を研ぎ澄ませて、新たな生活とともに観察した街の景色は、より一層、心に刻まれることとなる。それらがこの歌のバックグラウンドとなっていても不思議じゃない。もしかしたらこの歌は実話かも…。そんな想像を膨らますことも出来る。このように、脚本からインスパイアされたようでいて自伝的でもあるのが「One more time, One more chance」の特徴なのだ。

1行目からグイッっと心を掴まれて、最後まで放さない

 さてここからは歌詞を細かくみていこう。まず、改めてこの曲を聴いて感じたのは、1番、2番、3番と、物語が発展していく歌ではない、ということ。大切な人を失った喪失感が、じーっとその場所に佇んでいるかのようだ。最後まで、想いが晴れることはない。歌い出しの1行目からグイッと心を掴まれる。“これ以上何を失えば 心は許されるの”。このフレーズには重みがある。主人公が堪えきれないほどの心の空洞を抱えていることが、いきなり聴き手へブレずに伝わるのだ。

そしてサビへと“切なさ指数”がどんどんアップしていく。“いつでも探しているよ どっかに君の姿を”。このあたりからは“感涙ゾーン”へと突入だ。そしてそして“こんなとこにいるはずもないのに”。これは紛れもなく、この歌のキラー・フレーズだ。 具体的な手がかりがあるわけではなく、徒労であるのは承知のうえでもその姿を探し続ける。構成が巧みだなぁと思うのは、探しに出掛ける場所が変化していくあたりだ。一番では“ホーム”や“路地裏”という半径の狭い生活圏だったのが、二番では“交差点”“夢のなか”となり、さらに歌がすすむと“旅先の店”“新聞の隅”と、再び出会える確率は低下していく。にも関わらず、主人公の願いは一切薄まることなくこちらへ届く。

この歌は、経験がいつか想い出に変ることを現状では断固拒否している。“季節よ うつろわないで”とまで言っている。大体の失恋ソングは、どこかに立ち直る兆しも垣間見られるけど、この作品は徹底してる。彼女と過ごした時間がピタリと動きを止め、そこに佇んでいる。
ただ、よく歌詞をみてみると、主人公は“「好き」という言葉”を相手に言えなかったと告白しているではないか。てことは、プラトニックな恋愛だったということか…。この相手は友達だけど恋人未満であって、実はまだ何も始まっていなかった可能性も捨てきれない。通常の失恋ソングが別れを主体としつつも一緒に過ごした時間を過去完了形で吸収合併して成立しているのと違い、「One more time, One more chance」というのこれから始まる本当の“出会い”を探し求める歌だった……、という解釈も出来そうだ。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
プロフィール 小貫 信昭  (おぬきのぶあき)

文章を書くことと歌が大好きだったこともあって、音楽を紹介する職業に就いて早ウン十年。
でも新しい才能と巡り会えば、己の感性は日々、更新され続けるのです。
先日、幕張イベントホ−ルでゲスの極み乙女。のライヴを観てきました。あれよあれよと
いう間にライヴ・ハウスから大ホ−ル。でも、浮ついた感じは一切なく、音楽と真剣に取り組む四人が
いたのでした。川谷さんの書く作品の今後の展開にも大いに期待しつつ、近々彼らの作品、
このコラムでも取り上げたいなぁ。