第34回 SEKAI NO OWARI「Dragon Night」
photo_01です。 2014年9月16日発売
 SEKAI NO OWARIという名前のグループが存在することを知った時、僕はスコットランドのエジンバラにある、とある地名を思い出した。それは「World's end」。もともとケルト人が暮していたこの場所に、アングロサクソン人が侵攻し、自分達の領地のその果てに、こう呼ばれる石壁を築いた。しかしこれは壁の内側の人間達の感覚であり、そこは決して、世界の果てでも終りでもなかった。さらにその先に、広大な土地やケルト特有の芳醇な文化が広がっていたのだから…。ちなみに壁の外側は「Outer world」と呼ばれた。

 四人がグループ名を考えた時も、きっと似たような感覚があったのではないかと思う。ただ、彼らは終りのその際に、さらに世界は広がっているのであろうことに薄々気づいていた。そこがスコットランドの史実とは違う。終りとは何かの始まりであり、メンバーが五感を奮わせ感じ取りたかったのは、もちろんその先にある「Outer world」と呼ばれるものの正体だったのだろう。 でも昨今の大活躍をみるにつけ、それは着実に現実のものとなっているようだ。もちろんやがて、第二の、第三の壁が訪れるだろうが、それは実際、そうなった時に考えればいいことだ。

“♪だけど僕の嫌いな「彼」”とは誰のことなのか

 紅白歌合戦の影響力は絶大である。あの番組に出ると、普段は繋がりのない一般大衆の目や耳にも触れるため、様々な感想や解釈が噴出する。「Dragon Night」がまさにそうだった。ネット上で、みなさん様々な感想を発信している。では僕も、僕なりに解釈してみることにしよう。まず言えるのは、この曲には「詞先」的な発想と思しき部分と「曲先」的な発想と思しき部分があることだ(この場合どっちを先に書いたという厳密な話ではなく、あくまで発想としてのこと)。前者は作者の“こういう歌にしたい”という意思により司られている。一方後者は、メロディに対してコトバが“降りてきた”結果なので、偶然も紛れ込む。クリスマス休戦というテーマを扱いたいというのはもちろん「詞先」的な発想からだろう。ちなみにクリスマス休戦といえば、第一次大戦が始まった1914年の12月24日に、イギリス軍とドイツ軍の間で取り交わされたものを示すのが普通だ。トランシーバー仕様のマイクを持つfukaseのコスチュームも当時の軍服っぽいイメージだ。

“♪今宵は…”からの歌詞の1行目は、休戦という稀有な状況が訪れたことに対しての比喩表現だろう。問題は「正義」と「彼」が出てくる部分だ。両軍が国益や威信を懸けて戦うその両側に別々の「正義」が存在するのは分る。ただ、“♪だけど僕の嫌いな「彼」”のところはどう解釈したらいいのだろうか。前文とは逆のことを述べる時の接続詞である“だけど”が、なぜここで使われるのか。例えば“そして”とかだったら普通に意味が通るのだが…。
「彼」というくらいなので、普通なら他者(敵軍?)を示すが、ここでは「内なる自分」を指し示すと解釈するのはどうだろうか。つまり「彼」とは戦火という非常時ゆえに自分のなかで目を覚ましてしまった残虐性なり厭世的思考なりといった、非常事態のことだと解釈してみよう。さらに歌が進んで“僕の「正義」”が“彼を傷付け”もするわけだが、ここまでくると、明らかに主人公の心の中はアンビバレンスな状態になっている。

結局「Dragon Night」ってどういう“夜”のことだろう

 一方のサビの部分である。このあたりは「曲先」的な発想である雰囲気が色濃い。そう。“♪ドラゴンナイト 今宵”からは、メロディを響かせるうちに“降りてきた”ものだと推測される。“♪ムーンライト スターリースカイ”のあたりは語呂が心地よい。さらに“ファイアーバード”の“バ”の本来ならbの発音だろうけどちょっとVっぽく聞こえるあたりもとてもカッコいい。このサビは細かく転調するかのようなメロディの綴られ方になっている。そしてこの三つの言葉の意味だけど……。大胆なこといえば、どうでもいい。音楽というのは意味だけのためのものじゃなく、ノリのためのものでもあるのだ。この部分などまさにそうだろう。fukaseの声質とサウンドメイクがばっちり合っているのも魅力的だ。彼の声にはテクノっぽい処理が施されることも多いが、それは声を覆い隠すのが目的なのではなく、寧ろそのことで彼らしさがより引き出される感じになっているのがミソだろう。
で、最終的に行き着くのはこの命題だ。「Dragon Night」とは一体全体どういう“夜”のことなのか、ということだ。“Night”って実は“Knight”(騎士)のことじゃないかとも考えてみたのだが、やや苦しい。ドラゴンボールと何かを合わせた造語…。さらに苦しい。そして遂に、というと大袈裟だなのが、僕はこう解釈してみることにした。つまり「Dragon Night」とは、つまり龍が空を駈ける夢を見た夜のことだと…。古来からの夢判断をまとめた『夢の王国』という本がある。ここで“龍の夢”が何を暗示するのか調べてみたら、そこに「龍が近づいてきてなにかをくれたりしゃべったりしたら、それは大きな幸運の知らせである」と書かれていた。これだ! 

 なお、歌詞のコラムなのでコトバを中心に書いて来たが、この楽曲のもうひとつ大きな魅力は、間奏で鳴り響く“♪チャッチャラララ〜”というファンファーレにも似たシンセの音だ。聴いていて実に気持ちがアガる部分である。僕はこの“♪チャッチャラララ〜”が、あるコトバに聞こえる。「世の中には不可能なんかないのさ」。そう聞こえる。1914年の12月24日のクリスマス休戦が、まさにそうであったように…。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
プロフィール 小貫 信昭  (おぬきのぶあき)

文章を書くことと歌が大好きだったこともあって、音楽を紹介する職業に就いて早ウン十年。でも新しい
才能と巡り会えば、己の感性は日々、更新され続けるのです。
ここ最近の近況としましては、Mr.Childrenのライヴを地方に観に行ったり、桑田佳祐さんにインタビュ
ーした記事などを書いておりました。思えば桑田さんとは長い付き合いで、もうかれこれ30年以上取材
しているんですが、いつお会いしてもこの方は“音楽少年”のままというか、歌作り、サウンド作りに全
霊を傾けているのが分ります。その動かぬ証拠がサザンの『葡萄』ですよね。