第20回 斉藤和義「歌うたいのバラッド」
photo_01です。 1997年11月21日発売
 「ミュージシャンズ・ミュージシャン」という言葉がある。ミュージシャン仲間や後輩達から尊敬され、信望の厚いヒトのことである。斉藤和義は、まさにそんな存在だ。彼には誰だって一度は書いてみたい「ソング・オブ・ソングス」、つまり“歌のなかの歌”と呼びたい楽曲がある。「歌うたいのバラッド」である。なぜ彼は、こんな名曲を書くことが出来たのだろう。

みなさんの斉藤和義のイメージというのはどういうものだろうか。まず誰もが思うのは、生活感に根ざしたウソのない音楽を作るヒト、といったところだろう。同感である。世の中というもの、長いものに巻かれればラクだし妥協すれば当面は傷つかなくて済んだりもする。しかし彼の音楽の歴史を見てみれば、節目節目で「自分」というものをしっかりと出しつつ現在に至ったことがわかる。
デビュー曲「僕の見たビートルズはTVの中」なら、ジェネレーション・ギャップを背景に描きつつも、ビートルズという偉大なアーティストの作品(詞に実際に出てくるのはジョンの「イマジン」)の永遠性へと行き着く。また、流行に踊らされず自分の感性を信じることの大切さも歌われている。
95年の「ポストにマヨネーズ」も有名だ。これは実話であり…、といったことより重要なのは、その後に普及するネット社会でより顕著となる、匿名ゆえにはびこる抑圧された心の闇を、正面から取り上げてる点だろう。真夜中のイタ電。ポストへの嫌がらせ。そこには相手の顔が見えない恐怖がはびこる。救いがあるとしたら、こんな出来事があったがゆえ、曲が書けたことだろう(歌詞の中でも皮肉交じりに“お礼”を言う)。

この歌を作る直前まで彼はスランプだったという話もある

 さて、いよいよ「歌うたいのバラッド」だ。この作品が最初に世に出たのは97年のことである。その後、Bank Bandで桜井和寿が、さらに奥田民生やBENIなど、多くのアーティストがカバーすることにより、長い間、幅広い層に親しまれる作品になっていった。
いい作品はタイトルからして味わい深い。この曲はまさにそうだ。ただ、「バラッド」という言葉は、伝承されてきた寓話を語るように歌うことを指す場合と、単に「バラード」とほぼ同意語として使われる場合があるので注意が必要だろう。「歌うたいのバラッド」の場合、“とかく歌うたいというのは、こんなものなのでございます”的に俯瞰で己を捉えた語り口である。そのあたりの雰囲気と「バラッド」という言葉の相性は、決して悪くない。
まず注目は冒頭の「唄うことは難しいことじゃない」という宣言にも似た言葉だ。もちろん斉藤和義は、そう思っているわけじゃない。そのあとに出てくる「声に身をまかせ」て「頭の中をからっぽ」にするという、彼が言う“難しいことじゃない”行為こそが、実はもっとも難しいことだと身にしみて分かっている。
実は当時、この歌を作る直前まで彼はスランプだったという話もあるけど、その信憑性は高い。ここに綴られた言葉には、歌を作る立場の人間として「日々そう在りたい」という希望があるのだろう。
曲を書かない僕自身でも、いきなりこの冒頭部分でハッとさせられるのだから、普段、苦労してソング・ライティングに勤しんでいる人達ならば尚更だろう。そして次に注目すべきは「懐かしい思い出やあなたとの毎日」という部分である。これ、僕の解釈では、前半が過去形で後半は現在形だ。こうした過去と現在の並べ方というのは特徴的だ。過去も大切だけど、「肝心なのは今だ」と歌ってるようにも受け取ることができる。
「本当のことは歌の中にある」に関しては、このフレーズ以降に補足があるから分かりやすいのだけど、ここで彼は大風呂敷など広げないのだ。人間の心理とか世の中の善悪とか、そう高らかに叫けぶことイコール「本当のこと」ではないのだ。その次に聞えてくる歌詞で判る。ここで斉藤和義が言う「本当のこと」とは、「いつもなら照れくさくて言えないこと」という、手のひらサイズの心情なのだ。

ずっと言えなかった4文字の言葉。

 そして1番の歌詞は、実は「この歌の最大の目的では」と思うフレーズで終わる。「愛してる」。
彼はこの4文字の言葉が“ずっと言えなかった”と歌のなかで前置きしている。最愛のヒトに言えなかったこの言葉。歌詞とメロディとの兼ね合いで言えば、自信満々に高らかに言い放った、といった印象ではない。ポロッと言った、やっと言えた、といったニュアンスが伝わる。
日本語で「愛してる」を歌詞の最後にもってきた例は、ちょっとすぐには思い浮かばないけど、つのだ☆ひろの「メリー・ジェーン」(英語詞)のように、“いまでも愛している”という未練も含め「I love you」で締める例はある。「歌うたいのバラッド」が特徴的なのは、“いまでも愛している”ではなく、まさに横にいる相手に今、この言葉を告げている点だ。言葉にするのは大切だ。態度だけじゃ伝わらないことは多い。「愛してる」もそうだし、「ありがとう」もそうだ。

 さて、ここまで見事に完璧な1番の歌詞。なので2番はやや落ちるかと思うとそうじゃない。ソング・ライティングというものを「空に浮かんでる言葉」と「メロディを乗せた雲」で「旅に出かける」と表現する。ここまでくると邪推も甚だしいが、「声に身をまかせ」て「頭の中をからっぽ」にする1番は曲を書く段階の話で、今度はそこに歌詞を乗せる(つまり曲先で書く)話をしてくれていると受け取れる。いや、本当にこの歌は興味が尽きない。このあと、最高に詩的な表現と出くわす。「腕組みするビルの影」だ。この歌が描く季節は冬。僕がイメージしたのは、長く伸びたビル群の影ふたつが、地面の彼方で交差して見える景色だ。もちろん歌の解釈は、人それぞれで構わないのだが…。

今回は彼の残したスタンダード「歌うたいのバラッド」を取り上げたが、「やさしくなりたい」をはじめ、実は今こそが彼の絶頂期かもしれない。最近の楽曲に関しても、機会があったら取り上げたい。
小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
プロフィール 小貫 信昭  (おぬきのぶあき)

1957年東京生まれ。そもそも文章を書くことが好きだったのと、 歌が大好きだったので、
これらふたつの合わせ技で音楽評論家なる職業に就いて早ウン十年。でも新しい才能と巡
り会えば、己の感性は日々、更新され続けるのです。ソチ、ですね。コブクロ、絢香と、
僕の親しい人達がテ−マ曲を担当してます。あと、日々の取材・執筆に加え、最近はこれ
までのJ-POP史を総括するような仕事もお手伝いさせて頂いております。最後に食の話題を。
こうしたプロフィ−ルには「好きな食べ物 茶碗蒸し」と書くことも多いのですが、先日、
新橋の「びん」という店で、絶品中の絶品の茶碗蒸しと巡り会いました!