なにより怖いのはこの1人ぼっちだったんだ。

 NHK『みんなのうた』2~3月オンエア曲として“クリープハイプ”が新曲「おばけでいいからはやくきて」を書き下ろしました。歌ネットではその歌詞の掲載がスタート&デイリー1位を獲得!そんな注目曲をさっそく今日のうたコラムでご紹介いたします。まず歌詞に描かれているのは、お母さんやお父さんの言うことを聞かず<オモチャ売場>に行ったことで、迷子になってしまった<僕>の不安でいっぱいな心模様…。

迷子になってわかりました あなたのその偉大さを
当たり前につないでた手の温もりを
いい子になんてなれなかった そんな自分の愚かさに
いまになって気づいた馬鹿です
「おばけでいいからはやくきて」/クリープハイプ


 ただし歌詞を読んでみると、子どもに限らず、もう<オモチャ売り場>で迷子になるような歳じゃない私たちでも、思い当たる節があるような気持ちが綴られていることに気がつくのです。それは、シチュエーションでなく“感情面”での共感でしょう。たとえば<あなた>を、自分が“大切にしてあげられなかった大切な人”に置き換えてみてください。

 人は失って初めて気付くとはよく聞きますが、<僕>の場合もまさにそう。迷子になって、やっとわかったのが大切の人の<偉大さ>と<当たり前につないでた手の温もり>です。そばにいる時は、その存在がどれだけ自分にとって欠かせないものか、意識することさえなかったのでしょう。だからこそ<いい子になんてなれなかった>のです。いい子じゃなくても許されるだろう、失ったりしないだろうという甘えがあったのかもしれません。

オモチャ売場になんか行かなければ よかったんだ
こんなことにならなかったのに
もしもこの声が聞こえたらここまで
いますぐに僕を迎えに来てください
「おばけでいいからはやくきて」/クリープハイプ


 子どもにとっての<オモチャ売場>のような存在が、大人にもありますよね。なんとなく楽しそうで、なんとなく惹かれて、つい大切な<あなた>の手を離してまで向かってしまう、そんな存在です。そこで<僕>はひと時だけワクワクを与えてくれる“誰か”や“何か”に出逢い、夢中になるのでしょう。恋愛で言えば、一夜限りの関係であったり。ちょっと手を出した遊びであったり…。しかし<行かなければよかった>と後悔しても時すでに遅し。もう見渡しても探し回っても<あなた>の姿はないのです。

「いい子にしないとおばけが出るよ」って
なにより怖いのはこの1人ぼっちだったんだ
おばけでもいいからはやく
でてきてよ ここから連れだしてよ

欲しかったのはどれもおもちゃばかりで
こわれたらつまらなくなった
もしもこの声が聞こえたらここまで
いますぐに僕を迎えに来てください
「おばけでいいからはやくきて」/クリープハイプ


 そうしてちょっと浮かれた心のせいで、本当に大切な存在を見失ったとき<なにより怖いのはこの1人ぼっち>なんですよね。子どもが、本当は怖いはずの<おばけでもいいからはやく でてきてよ ここから連れだしてよ>とすがる…。その想いからは猛烈な後悔、孤独、反省が伝わってきます。それは、やらかしてしまった大人が抱く気持ちと変わりないのだと思います。

 とくに<欲しかったのはどれもおもちゃばかりで こわれたらつまらなくなった>というフレーズは、迷子になった子どもの気持ちというより、大人のほうがドキッとする真理ではないでしょうか。大切な<あなた>をないがしろにしてまで得た、すぐに壊れてしまうような関係、ひと時の快楽。その結果、残ったのは“空虚感”だけです。本当はもっと早い時点で<そんな自分の愚かさ>に気がつけばよかったのですが…。

お客さまのお呼び出しを申し上げます
お心当たりの方はこちらまで
「おばけでいいからはやくきて」/クリープハイプ


 ただ、迷子のわが子を探す親の気持ちを想像してみてください。きっと<僕>以上に今、不安に揺られているのは<あなた>なんですよね。たとえ<僕>と<あなた>が恋人関係だと考えてみても同じでしょう。お互いに<当たり前につないでた手の温もり>を痛感しているはず。どうか、ラストの<お客さまのお呼び出し>が<お心当たりの方>に届くことを願います。そして無事に再会できたなら、まだ歌のなかでも伝えていない「ごめんなさい」の一言を<僕>は<あなた>に言うことができますように…!

◆紹介曲「おばけでいいからはやくきて
作詞:尾崎世界観
作曲:尾崎世界観