ここへおいで、僕が君の居場所となろう。

人は悲しみのなかでは生きていけるけど
苦しみのなかでは生きていけないの。
(ドラマ『さくらの親子丼』より)

 みなさん、オトナの土ドラ『さくらの親子丼』は観ていますか? 舞台は、とある古本屋。そこの奥には【たまりば】と呼ばれる一室があり、行き場を失くした人、何か問題を抱えた人、孤独な人が集まってきます。すると、店主のさくらさん(真矢ミキ)は相手が誰であろうと、まず「おなか、空いてない?」と、親子丼を無料で作ってあげるのです。そんなさくらさんが毎回、口癖のように放つのが冒頭でご紹介したセリフ。

 独りで苦しみを抱えている人が、せめてちゃんと悲しむことができる場所を、泣くことができる居場所を、作りたい。ほんの少しでも誰かの支えになりたい。その真摯な想いから生まれたのが【たまりば】であり【親子丼】であるのでしょう。さらに、ドラマ『さくらの親子丼』のために書き下ろされた【主題歌】もまた然り。それが“Hilcrhyme”真骨頂のバラード「涙の種、幸せの花」です。

街の片隅で震えてる
どこに行けばいいのか探してる
口にせず胸に留めてる
おかえりって言葉を求めてる

一人が好き 強がりだけど
本当の自分を知らない誰も
流した涙の数だけの花を
咲かしたいと願ってる

満たされない孤独と不安も
夜になるともっと膨らむの
感情出す場所すら無く
隠す傷 増やしては紛らわす
「涙の種、幸せの花」/Hilcrhyme

 居場所も行き場もなくて<街の片隅で震えてる>人たちの<満たされない孤独と不安>がフレーズから伝わってきます。ただ、彼らには、必ずしも周りに誰もいないわけでもありません。つるむ友達はいる。家に帰れば親はいる。でも逆に、誰かがいるからこそ寂しいということもあるんですよね。そばに人がいるのに、誰も<強がり>に気づいてくれないし、誰も<本当の自分を知らない>し、どこにも<感情出す場所すら>ない…。
 
 それは、どこにいたって、誰といたって、独りであるのと変わりない状態ということ。だから本当の意味での<おかえりって言葉を求めてる>のです。また、どんなに苦しくてもいつも心のどこかで<流した涙の数だけの花を 咲かしたいと願ってる>のです。それは言い換えれば「助けて」という言葉かもしれません。そして、そのSOSを受け止めてくれるのが“さくらさん”のような存在であり、この「涙の種、幸せの花」という楽曲なのだと思います。

不安な顔して「どこに行くの?」
眠りにつくまでここにいるよ
行く宛がわからないならばいっそ ほら
「涙の種、幸せの花」/Hilcrhyme

ゆっくり教えて 君を
趣味や性格に 過ごしてきた日々を

大丈夫さ 怖くはないよ
世界中が否定をしても
僕だけが君の肯定をしていようか
「涙の種、幸せの花」/Hilcrhyme

 <不安な顔>に気づいてくれること。「どこに行くの?」と心配してくれること。<眠りにつくまでここにいるよ>とひと時でも安心をくれること。<ゆっくり教えて>と自分のことを知りたいと思ってくれること。<世界中が否定をしても>たった一人の味方であってくれること。そういった誰かの優しさや労り、明るいメッセージやあたたかい想いが、どれだけ心の拠り所になるか…。ドラマ『さくらの親子丼』を観ていても痛感しますし、みなさんもそんな経験があるではないでしょうか。

ここへおいで 僕が君の居場所となろう
泣きたいときは泣けばいい
ここへおいで 僕が君の居場所となろう
涙の数の幸せの花を咲かそう
「涙の種、幸せの花」/Hilcrhyme

 その“心の拠り所”こそが、わたしたち人間の<居場所>なんですよね。どんな悲しみを抱えていても、<ここへおいで 僕が君の居場所となろう 泣きたいときは泣けばいい>と言ってくれる人や歌によって、少なくとも孤独という苦しみは解け、生きよう、生きたいと思う力が強くなってゆく気がします。そしていつかは同じ言葉を、かつての自分と同じような独りぼっちな誰かに贈ることができたら“涙の種”は次々と“幸せの花”に繋がってゆくのでしょう。
 
 今、苦しみのなかで独りぼっちだと感じている方。まずは、Hilcrhymeの「涙の種、幸せの花」を聴いてみてください。きっと、この曲があなたにとっての“さくらさん”になってくれるはず…!

◆22nd SINGLE「涙の種、幸せの花」
2017年11月22日発売
初回限定盤 UPCH-7370 ¥1,700(税抜)
通常盤 UPCH-5930 ¥1,100(税抜)