“曲のみ重視派”から“歌詞力”に目覚めたアーティストの最新作!

 “ビッケブランカ”が2ndシングル「夏の夢/WALK」をリリース!収録されているのは、夏ギライな<僕>の変化を描いたラブソングとアニメーション映画『詩季織々』のために書き下ろした主題歌です。いずれも気持ちの良いメロディー&サウンドと、光景や感情がしっかり伝わってくる歌詞が印象的。しかし、彼はかつてまったく“歌詞派”じゃなかったんだとか。25歳と27歳で訪れた、とある転機。なぜ歌詞力に気づいたのか。どうやって歌詞力を強めていったのか…。明るく軽快にありのままに、ご自身のこれまでと今をお話してくださいました。是非、ご熟読を!

(取材・文 / 井出美緒)
WALK (movie ver.) 作詞・作曲:ビッケブランカ
いつだって僕はまるまって なにもかも投げ捨てるほうで
見放されるのに慣れてしまったのかな
潤んだ象徴に誰も気づかないが なんかそれでいいと思っていて
どうかキリのないこのちぐはぐ模様に どうか意味よあれと願っていた
ねえ僕を起こして 見落として流れていった
ものが恋しくて 身を賭して探しにいくんだ これからこれから
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月とすっぽん並みに歌詞の存在意義が変わりました。

―― ビッケさんは小学校の高学年からもう曲作りをしていたそうですね。

音楽に対する初期衝動は小学校1~2年の頃にマイケルジャクソンを知ったことなんですけど、ピアノでしっかり曲を作り始めたのは4~5年生でしたね。聴いているだけだと難しそうだったけれど、いざ自分でやってみたら意外と簡単なんだなって感覚を抱いたのを覚えています。最初に作ったのは「壁」という曲なんです。いきなり壁にぶち当たってスタートしました(笑)。なんか“越えてゆく~越えてゆけ~♪”みたいな、どこかで聴いたことありそうな歌謡曲のフレーズを並べたりして。

―― その頃の歌詞で他にも今でも覚えているフレーズってありますか?

いっぱいありますよ!基本的に稚拙でスベっているんですよねぇ。たとえば“雨が止んで 空に虹が見えるまで”……「で?」っていう感じ(笑)。しかもそのワンフレーズ以外はすべて英詞。メロディーに真似事英語を当てはめて、間奏の手前だけちょっと日本語にする程度の歌詞でした。

―― 小学生くらいから学生時代までずっと書いてきたものと、最近の自分の歌詞を比べてみると変わった面は大きいですか?

photo_01です。

もう昔と今じゃ、月とすっぽん並みに歌詞の存在意義が変わりました。比べるまでもないですね。僕は幼い頃からずっと、サウンドやメロディーにばかりこだわってきたから、歌詞に必要性を感じていませんでした。サウンドを引き立てる、ただの発音でしかなかったんです。フェスとかでいろんなアーティストと曲作りの話をしても、やっぱりみなさん最初に「この気持ちを歌いたい」というところから歌詞が生まれて、音楽を作っていくかたが多くて。だけど僕は真逆だった。音が気持ちよくて仕方なかった。歌いたい気持ちなんてなくて、作りたい音しかなかったんです。歌詞や言葉の力に気付いたのは、本当つい3~4年前のことですね。

―― どのようなきっかけから歌詞や言葉の力に気付いたのでしょうか。

25歳の時に大きな挫折をしたんです。僕はずーっと音楽を作ってきたし、もちろん自信もあったわけで、誰にも負けるわけがないと思っていたんですよ。当然、学校でも一番優れているし、この地域でも、日本の同じ年のミュージシャンのなかでも、絶対に自分が優れているぐらいに思っていて。そのまま25歳までやってきて。そんなとき、幸い大きな会社が「契約してくれ」と言ってくれて。それでまた「やっぱりそうだ!僕は間違ってなかった!よかった音楽を選んで!」ってさらに自信を持ちまして。

―― かなり順風満帆だったんですね。

それから何回か移籍もしながら、ある事務所に入ったんです。24~25歳のときですね。そこでついに「デビューしようか」ということになりまして。そのときに「このアーティストをメジャーデビューさせますか?」的な会議があったみたいなんです。10人ぐらいの会議で、半分の人が賛成だったらOKだった。でもそこで「彼はデビューしてヒットします」って賛成してくれたのは、たった1人だったそうなんです。それを担当に知らされて「だからメジャーデビューはできない」って言われて。

―― それはショックですね…。ビッケさんにとって初めての挫折。

マジかぁ…と思いましたね。でも僕としては「きっと(良くない知らせが)来るだろう」という予感があったんです。それまであまりに挫折がなさすぎるってずっと思っていた。何かひとつ弾けて変わるためには、大きいダメージが必要なんだろうって。じゃあそれはいつだろういつだろう…「あ、今やっと来たか」と。10人いて、支持者はたった1人。しかも生半可な事務所じゃないですから。ベテランのアーティストもいて、多くのヒット曲を出していて、いろんなことをわかっている。そういうところで働いている人たちが「こいつは今出しても売れない」って言ったわけで。

―― 何が良くなかったのでしょう…。

それをめちゃくちゃ考えました。覚悟していたとはいえ、かなりショックは受けましたし。だから、新しく所属する事務所を探すと同時に、自分の曲に対する向き合いかたを大きく変えなきゃと思ったんですよね。そんなとき、事務所にいた担当の副社長のおじさんが、僕にいろんなことを言ってくれたわけですよ。まず「お前はもう人間性がダメ」だと(笑)。

―― (笑)。

「お前は何も考えてない。だから伝えたいことがないやろ?」と。僕は音の気持ちよさしか知らなくて、そこだけに自信を持っていたんですよ。だから英詞だったし、日本語だって“虹が見えるまで”みたいなことを言っておけばいいんだろうと軽く考えていた。でもそういう歌詞に僕の人間性が出ていたみたいですね。それで「これだけの人がお前の音楽を見つけてくれたということは、才能はあるんだろうけど、本当に誰かの胸を打ったり、誰かの心に届いたりする音楽を目指すのであれば、もっと自分が何を考えていて、何を伝えたいのかをしっかり考えろ」って言われたんですよね。

―― まさに“歌詞面”での転機が訪れたのですね。

そうなんですよ。僕はそこでハッとしました。自信を失っているときだからこそ、やっと他人の意見がちゃんと入ってきて。そもそも「胸を打ちたいなら」とか「届けたいなら」とか言われたけど、まず僕は音楽で心を動かしたいのだろうか、気持ち良いだけでは本当にダメなんだろうか、というところから考えましたね。その副社長さんは“音楽で心を動かしたい”っていう気持ちが当たり前のように僕に備わっているものだと思っていたけれど、僕にはそれさえもなかった。そこで初めて、何かを生み出す“意味”というものを考えていって…。って、これ長くなっちゃいますけど大丈夫ですか!?

―― もちろん大丈夫です!

なんか…その“意味”を考えていくうちに「ちょっと聴いて気持ちが良いだけのものなんて生まれる必要がない」とまで思ったんですよ。ちゃんと生まれた意味があったと言える音楽を作らなきゃって。その曲が、何か大きなものを動かしたり、誰かを勇気づけることができたり、哀しみに寄り添えたり…。そういうものを“作りたいって気持ち”自体が僕には足りなかったんです。そして、意味のある音楽を作るためには、思っていることを言葉にしなきゃいけませんよね。だけれども、そう気付いても、自分はわりと苦悩なく楽しく育ってきたから、ツライ境遇の人の気持ちがわからなかったんですよ。

―― なるほど…。25歳までうまくやってきたからこその壁ですね。

だから経験がない分、人の話をしっかり聞こうと思いまして。一年間くらい、とにかく誰かの話を聞いて、その気持ちを自分の頭のなかで考えに考え抜くということをやってみたんです。「なんでこの人は今、これをつらいと思っているのだろうか」とか。「こういうときはなんて言えば救われるのだろうか」とか。そうやって日に日に成長して、歌詞が変わっていきましたね。

―― でも、もともとご自身が「ツライ境遇の人の気持ちがわからない」というところから、誰かの話を聞いてその気持ちを理解するのは、かなり難しかったのではないでしょうか。

本当にその通りで、めちゃくちゃ大変でした。相手がツライ出来事や気持ちを話してくれても、最初のうちは「そんなんこうすればいいじゃん!何をいつまでもウダウダ言っているんだ?」みたいなことしか言えませんでした。自分はそこまで巨大なコンプレックスとかもなかったし。ただ、一番理解できそうだったのは恋愛関係の感情で。そこを頼りに、なんとか理解しようとしながら、聞いた話をもとに架空のストーリーを作るという方法に挑戦しました。自分の感情や経験じゃないから、まずはフィクションで作詞をしてみたんです。そうしたらだんだん人の心が動くような歌詞を書けるようになって。最初はそんなストーリーテリングによって、歌詞を変えていきましたね。

―― 「最初は」ということは、それからまた変わっていったのでしょうか?

27歳のときに僕、失恋したんです。生まれて初めて。

―― それまで失恋経験なかったんですか…!?

なかった!こちらも順風が満帆でした(笑)。だけど、そんな僕が初めての失恋なわけですよ。もう…そのときのアルバムの歌詞、めちゃくちゃ良いです。良い意味でエグくて、生々しい、伝わる歌詞でしたね。インディーズの2枚目。で、それまで人の話を聞いたり、映画を観たりして、妄想を膨らませていただけけど、そのツライ経験をしてからは、リアリティのある、自分の感情を込めた歌詞を書けるようになりました。だから27歳で失恋をしたことで、想像の世界を書くことと、自分の身を削って書くということ、その両方の作詞法を覚えたんです。

―― その両方が今のビッケブランカさんの歌詞を形成しているんですね。

さらに今、僕がやっているのはその二つの作詞法が共存した歌詞を書くこと。自分にも、日常の中で本当に一瞬、悲しくなること、ツラくなることってあるんですよね。その一瞬をプッと切り取って、想像上の主人公に込める。つまり自分の本当の感情を大げさにストーリー仕立てにするという感じでしょうか。そうすると、その曲で自分も救われるし、きっと聴いてくれる人も同じように救われるんじゃないかなぁ、そうだったらいいなぁと思う。だから25歳で始まり、27歳で本物になった歌詞人生なんです。そして今があるという感じですね。

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