年々どんどん仲良くなっている5人の
【あの頃】と【今】を繋げるセルフカバーベスト!

 “HY”がセルフカバーベストアルバム『STORY~HY BEST~』をリリース!歌ネットの歴代人気曲「366日」「NAO」「AM11:00」はもちろん、数々の名曲に今の彼らの新しい風が吹き込まれました。今回インタビューにご登場いただいたのは、ボーカルの新里英之さんと仲宗根泉さん。お互いに【イズ】【ヒデ】と呼び合うお二人から伝わってくるのは、まるで家族のような信頼と、もはや家族を超えた敬愛の気持ちです。ファン投票1位のあの曲、歌詞の捉え方が変わったあの曲、それぞれの“裏ベスト”的あの曲についてなど、様々な想いをたっぷりお伺いしました!

(取材・文 / 井出美緒)
ホワイトビーチ 作詞:Hideyuki Shinzato・Shun Naka・Izumi Nakasone
作曲:Hideyuki Shinzato・Izumi Nakasone
不安や悲しみもない場所へ 白い光の中で 風を集めて飛び上がろう 広い空に手をのばそう
静まり返った大地は 白い天使が舞い降りる
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ずっと思っていたこと、やっと言えました。

―― HYさんは今年の夏、いろんな音楽番組にご出演なさって名曲を披露されていますよね。画面からメンバー5人の絆やあたたかい雰囲気が伝わってきて、なんだか幸せな気持ちになりました。

仲宗根 あ、伝わります? よかった~。言葉にするのは難しいんですけど、HYって仕事仲間って感じがしないんですよね。沖縄の家族みたいな感じ。

新里 そうだね。家族以外にもいろんな要素が入っている。仲間、ライバル、身内…ひとくくりにできないですね。尊敬もしているし。HYはメンバー5名全員が作詞作曲できるので、すごく助かっています。もし僕一人で作っていたら…もうここにはいないと思います(笑)。このチームワークがあるから、この5人だから、ここまで来ることができた。それは強く感じます。

仲宗根 あとHYはひとりひとりの性格がバラッバラなんですよ。でも、だからこそまとまっている気がします。本当に家族みたい。私がお母さん。ヒデがお父さん。で、ドラム(名嘉俊)が長男で、次男三男がベース(許田信介)とギター(宮里悠平)っていう感じ。でも、私が一番末っ子になって駄々こねているときもある(笑)。そうやってうまーくやってきましたね。

―― 結成20周年も控えておりますが、正直これまで解散とかって考えたことありますか?

仲宗根 ふっふっふっ…(笑)。

新里 いやぁ、ないですねぇ。

仲宗根 100回くらいあるよね(笑)。まぁ解散という感じじゃなかったか。若い頃、とくに『TRUNK』というアルバムのときが史上最強にやばかった。でもちゃんとガッと喧嘩する場があって、ぶつかり合って、それでどうにかなったんだっけなぁ。そのときツアー中だったしね。

―― 主に何が原因だったのでしょうか。

仲宗根 多分、日常の積み重ねです。遅刻した、してないとか、そういう小さなことがきっかけで、溜まっていたストレスに火がついて…みたいな感じじゃなかった?

新里 そんな感じでしたね。もうあの頃、本当に毎日一緒にいたから。

photo_01です。

仲宗根 当時の私たちにとっては、沖縄から外に出てHYのライブに来てくれるファンの方がいてくれるってだけでも、不思議な気持ちだったんですよ。しかもトントン拍子にうまいこといって、CDが売れて、世の中に知ってくれている人たちが増えて。ただ、自分たちがそこに追いついていけないところがありました。アルバムは出さなきゃいけない、ツアーもしなきゃいけない、だからなかなか沖縄に帰れない。そういうストレスが溜まっていったんです。でもどんなに喧嘩をしても解散という道は選びませんでしたね。結局、HYはみんな友達から始まっているからそこが大きかったんだと思います。

他のバンドの話を聞くと、やっぱり活動が長くなるにつれ“仕事仲間”って感覚が強くなっていくみたいなんですよ。そこで仲が悪くなると、解散するか、もしくは「あくまでこいつらは仕事での付き合い」って割り切って、プライベートではまったく話さなくなるか。でもHYは、仲が最悪だった『TRUNK』の時期を乗り越えてから、本当に家族。なかには「家族みたい」って言うバンドもいるけど、私たちの“家族”の感覚とはまたちょっと違う気がします。自分のことをメンバーが一番よく知ってくれているな、目に見えない強い絆で繋がっているな、ってすごく感じるんです。私たち、年々どんどん仲良くなっている。最近は「今年また新しいヒデを見せてもらったな」とか、人間として観察するのも面白いなぁと思っていますね。

―― そんなHYさんが、18年間変わらずに貫いてきたことと言うと?

仲宗根 …尊敬すること、ですかね。もちろん人間的に尊敬する部分が一番ありますけど、同じ“アーティスト”という土台に立ったとき「あー、この人の歌詞の世界観は私には書けないな」って思う。みんな自分にないものを持っています。きっとそういう強い尊敬の気持ちがずっとあるから、ただの仕事仲間として割り切ることはないんですよね。本当に尊敬し合っている気持ちが、見えない絆に繋がっているんじゃないかなぁ。

新里 僕もイズと同じことを改めて感じています。5人が曲を書いてくれること。自分がツライときや書けないときでも、誰かが頑張ってくれること。その素敵な曲のおかげで、新しい世界を見せてもらえること。忘れがちになってしまうときもあるけど、すごく感謝しているし、尊敬しています。たとえばイズは、バラードだけじゃなくて、三線を入れて、沖縄の歴史や命の大切さを伝える歌も生み出すことができる人で。そういうところも尊敬していて。だから、誰かが頑張って次に繋げてくれたなら、次は自分が繋いでいこうって、そういうやりとりで18年間やって来ているんだなぁって思いますね。

―― 今回のセルフカバーベストアルバムにも収録されている「時をこえ」や「帰る場所」はイズさんの作詞曲ですが、まさに強い“沖縄愛”が込められていてグッときました。

photo_01です。

新里 そうそう「時をこえ」と「帰る場所」ね!今年、沖縄のイベントがペルーでありまして。イズはちょっとお休みをしていたので、男4人で行ってきたんですけど、この2曲がペルーでもみんなにとても愛されている、心に根付いているということを知りました。その土地の人たちは、戦前に沖縄から移民してきて、1世から4世までいるって言っていました。だけど「沖縄から離れても、この歌が沖縄を近づけてくれる自分たちの歌だ」って。あちらでも歌の花が咲いていて、世界で広がっているんです。それはシンガポール公演でも感じましたし、とくに南米のみなさんに届いているみたいで、嬉しいです。

―― イズさんが思う、ヒデさんの歌詞の魅力はどのようなところですか?

仲宗根 人間の奥深いところを書いているところ。私は、思っていることを遠回りに表現するタイプではなく、悲しかったらはっきり「悲しい」って言葉を歌にするんですよ。でも、ヒデはカウンセラーみたいな書き方をするなぁって思います。人のゴチャゴチャしている心に「どうしてあなたはこうなったんですか?」「どんな気持ちですか?」って語りかけて、少しずつ紐解いてくれる。そうすると悩んでいる人は思わず「いや、実はね…」って打ち明けてしまう。で、打ち明けるとスッキリして「この人こそが私の全てを知ってくれている人だ」という気持ちになるんですよね。今まで誰にも言えなかったことを打ち明けられた唯一の人だから。昔から、ヒデの歌詞はそういう力を持った歌詞なんじゃないかなって、思っています。

―― とくに好きな歌詞を挙げるとするなら、どの曲でしょうか。

仲宗根 迷うなぁ。ベストアルバムには入ってないんですけど「弱虫」「すてきなキッカケ」とかかなぁ。それは多分、私がすごく弱っているときにヒデが書いてくれた曲でもあるから。私はわりと勘が良いんですよ。だから「こういう曲を書いてきたよ」という段階で、この曲は私のことを歌っているなってどこか感じながら、レコーディングをして。それからこういうふうにインタビューで、1曲ずつ解説するじゃないですか。この曲を書いたきっかけとか。そのときに、たしかヒデが「イズのことを書いた」みたいなことを言って、あぁやっぱり!って思ったんです。

こう…今でもこの歌を歌うと、昔の弱かった自分がそこにいるんですよね。もう今は強くなったよ、じゃなくて、あのときの自分が歌っていて、一緒に歌っているヒデに引っ張られている感じがする。もう一回あのときに戻った感じがする。不思議な感情になりますね。もちろん今は昔よりいろんな経験をしたから強くもなっていますけど、やっぱり私にはまだ弱い部分があって。そこをまたヒデにカウンセリングしてもらって、引き上げられている感覚なんです。今、この質問をしてもらえてよかったです(笑)。ずっと思っていたこと、やっと言えました。

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