いつでも聴きたくなる!“二人三脚”のようなキラキラ応援ソング♪

 10代を中心に絶賛ブレイク中のシンガーソングライター“井上苑子”が、2016年12月7日にニューシングル『エール』をリリース!今作は、あえて「頑張れ!」という言葉を使わず、明るく誰かの背中をポンッと押せるように…という想いで作られたキラキラ応援歌です!井上苑子の中での<君>と<あたし>のストーリー設定に加え、彼女自身が悩んでいたときに支えてくれた親友を思いながら綴ったという歌詞。実体験とフィクションが一つになったひとつひとつのフレーズに注目してみてください♪

 井上苑子は、なんと11歳のころから音楽活動をはじめ、路上ライブ&作詞作曲をスタートさせたアーティスト。その後、ツイキャスやYouTubeの動画などを配信し、SNSで自己プロモーションを行い、一歩ずつ確実に夢に近づいていった結果、ついに2015年7月にメジャデビューを果たしたのです。そしてそのデビューミニアルバム「# 17」のリード曲「大切な君へ」は、歌ネットでも異例の大ヒット!彼女の歌詞が絶大な支持を得るきっかけとなりました。今回のインタビューでは、そのキセキや“胸キュン”ラブソングを生み出す秘訣などもお伺いしましたので必見です!

(取材・文 / 井出美緒)
エール 作詞:井上苑子 作曲:白戸佑輔
あたしが泣いた日に 一緒に泣いてくれた君に
救われたの だからさ あたしの番よ 泣いたり笑ったり
いろんな顔をしてた君と この幸せ ほら分かち合おうよ
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INTERVIEW
基本的にいつもキュンキュンは求めています(笑)

井上苑子さんは、歌ネットで歌詞の支持率がとても高く、その絶大な人気はもう2015年7月のデビュー曲「大切な君へ」からなんですよね。この曲が出来上がったときには、そんな予感や自信がありましたか?

井上:いやー全然!いつもと変わらない感じで作りましたよ。でもメジャーデビューだということで、スタッフさんと曲について相談する機会も多くて、「頑張りたいなぁ」って気持ちは今までで一番強かったし、「行けー!」と願ってはいました(笑)。あと、デビュー少し前のインディーズ曲「赤いマフラー」あたりから、具体的なシチュエーションを描いて<リアルな歌詞>にしたいと思い始めたんです。だから友達の恋愛相談に乗ったりして参考にするようになりました。「大切な君へ」もなんかそういう、みんなが一回は経験したことのあるような歌詞だったから、いろんな人に好きだって言ってもらえたのかなぁと思います。

「大切な君へ」は、歌詞公開後にどんどんアクセス数が増えて、最終的には西野カナさんを抑えてのウィークリーランキング1位を獲得しました。そのじわじわと人気が広まっていく反響を、ご自身ではどんなところから感じていたのでしょうか。

井上:歌詞をツイートしてくれたり、画像にフレーズを書き込んでくれたり、コラージュを作ってくれたり、SNSで「あ、使ってくれてる!」って知ることが多くなっていって、「ということは、広まっているのかなぁ…!」という感覚でした。とくに“MixChannel”はすごかったです!あのときかなり流行っていたから、「大切な君へ」の歌詞を使ってたくさん動画を作ってもらえて。ありがたかったし、嬉しかったですねぇ。

“口コミ”で広まっていったというところがまたすごいですよね。それは、苑子さんが小学生の頃から夢のために“自己プロモーション”を重ねてきた結果だと思うのですが、そもそも歌をはじめたきっかけは…?

photo_01です。

井上:お母さんが専門学校のボイストレーナーで、私もそのスクールに通うことになったんです。ちょうど子ども教室の生徒数が足りなかったらしく、連れられていって。そしたらオーディションがあり、入賞したら授業料が免除ということで、お母さんに「免除になったら通っていいよ」って言われました(笑)。そこで大塚愛さんの「PEACH」を歌い、みごと入賞することができてスクールに通うようになり、すぐ路上ライブを始めましたね。路上ライブを始めたからには、もうこれしかないんだろうなぁというか、私は歌で生きていくんだろうなぁと思いました。

路上ライブと同じく、作詞作曲も11歳から始めたとのことですが、当時はどんな歌詞を書いていましたか?

井上:ん〜いろいろ書きましたけど、最初に作ったのは「こころ」っていう曲ですね。家の前に捨て猫がいたんですけど、そこに人だかりはできているのに誰も飼おうとはしないから、なんか人間って悲しいなぁと思いながら書きました。今でも全然覚えていますよ!<優しさを持って 強さを愛に〜♪>…って歌で。いや、ダサいですね!ヤバ恥ずかしい!これは絶対に発表できないやつです(笑)。

いつか歌っていただきたいです(笑)。では、音楽活動を始めた当時、周りの反応はいかがでしたか?

井上:小学校が芸能活動禁止だったので、最初はずっと友達に内緒でやっていたんですよ。それが小6の後半くらいにバレて(笑)。「あそこで歌やってるよね〜?」とかいわれて、小学校にもバレてしまって、ヤバイ!退学になる!って焦りました。でもまぁ見逃してくれましたね。それから中学生になったんですけど、入学してすぐお仕事で東京にいたので全然学校に行けてなかったんですよ。で、やっと学校に行ったら「わ〜、なんかあの子、音楽活動しているらしいで…」みたいな話がいつのまにか回っていて。

あ〜…とくに中学生の頃とかって目立つ子への視線が厳しかったりしますよね。

井上:そうなんです。だから最初はみんなから変な目で見られ、中学に入学して早々めちゃくちゃ嫌われかけました(笑)。でも私が結構「友達大好きー!」ってタイプなので、頑張ってこう、壁をぶち破って、そこからたくさん友達ができて、ライブとかも観に来てくれるようになりましたね。路上ライブも、いろんな人に観てもらえるようにと思って、あえてみんなが遊ぶところでやるようにしたので「遊ぶついでに観に来たわー!」みたいな子も徐々に増えていきました。

そうして一歩ずつ夢に近づいて、ついにメジャーデビューを果たしてからもうすぐ約1年半が経ちます。先日(11月1日)のブログには「月初めはなんか、いつも考え込んでしまう」とも書かれていましたが、それはどのようなことを考え込んでいたのでしょうか。

井上:なんか、私はかなり人の目を気にしてしまうところがあって、その路上ライブをやっているときにもどこかで(うわ、絶対あの人あたしのこと「何この子」とか思ってるやろなぁ…)ってマイナスに考えちゃったりしていたんですよ。だから今も、私を知ってくれている人が増えていくのはすっごく嬉しいことなんですけど、それと同時に、SNSとかをみていると良くない意見というか、自分にとって悲しい感じのことも結構書かれていまして…。

それはTwitterでご自身の名前を検索して…ですか?

井上:はい、しますします、めっちゃします。嬉しいことを書いてくださるファンの方は本当にたくさんいらっしゃるし、ライブのあとに直接「今日良かったよ〜!」とかリプをくれる子も多いんですけど、どうしても良くない言葉って目立って見えちゃって。10個良い意見があっても、1個悪いことが書かれているとすっごい傷ついてしまうんですよ。(なんや…。)って。だからそういう嫌なコメントがいつかなくなればいいなぁとも思っちゃうんですけど、でもそれは無理だから。う〜ん、どうしたらいいんだろうなぁって考えたりしますね。まぁデビュー1年過ぎて、自分はもっといろんなステージに立ちたいし、もっともっと上に行きたいという気持ちは募る一方なので、とくに月初めは改めて「頑張らなきゃな!」って気が引き締まる日ですね!

ちなみに、苑子さんがデビューした17歳なんてまさに一番遊びたいときじゃないですか。今も10代でお若いですが、この多忙な中で友達と遊んだり、恋をしたり、青春はできていますか…?

photo_01です。

井上:青春か〜どうだろ(笑)。でも女の子とは普通にたくさん遊んでいますよ!カラオケ行ったり、映画を観たり、ラウンドワン行ったり。でも恋愛は〜…私ねぇ、ちゃんと誰かをこう…「付き合いたい!」とかで好きにならないんですよねぇ。「あ、かっこいいなぁ!」とかはあるんですけど、そう思ったら同時に「こういうかっこいい人はきっと上手いことやってんだろうなぁ…」とか悪い方に考えちゃうんです(笑)。だからダメですねぇ。

そうすると、あの歌詞の様々な“胸キュンシチュエーション”はどういったところからインスピレーションを受けて生まれるのでしょうか。

井上:キュンキュンするのは大好きなんですよ!だから基本的にいつもキュンキュンは求めています(笑)。そのためにドラマとか映画を観たり、マンガ読んだりしていますねぇ。あと最近よくやるのは、Instagramのハッシュタグでドラマの名シーンの動画を探して観ること。『イケメンパラダイス』とか『野ブタ。をプロデュース』とか『プロポーズ大作戦』とか…。とくに『リッチマン、プアウーマン』の最後の空港のシーンはたまらんですね!そういうちょっと前に流行ったような恋愛ドラマで検索して「うわー!このシーンよかったわぁ!」っていう胸キュンをたくさんもらって、実体験の代わりに吸収しています(笑)。


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