落ち込んでいるとき、雨より晴れているほうが空しくなる。

―― 6曲目「愛しい人」からの「VS.」、「それっぽいふたり」、「318」と続くラブソングブロックも最高です。タイアップ曲でない場合、ラブソングの物語や主人公はどのようにイメージを膨らませるのですか?

あー、曲にもよりますけど、自分が味わったことのない感覚は書いたことがないですね。今日現在かどうかは別にして、なんかこう…苦くも嫌いになりきれない、いつぞやの何がし……みたいな(笑)。自分の引き出しのなかに眠っているものがあるんですよね。

―― その眠っているものを、物語や主人公の核にして、歌詞が展開していくというか。

そう。あと、カップルの話を聞いたときに、「あー、そこにこだわるんだぁ…」とか、「それで怒られるの!?」とか、逆に「それ大丈夫なんだ!」とか、耳にすることあるじゃないですか(笑)。そういうのを受けて、じゃあ自分はどうだろうと考えて、価値観がわかってくることも多くて。それを自分目線で書くときもあるし、俯瞰的に書くこともあるし、ちょっとおもしろおかしい目線で書くときもあるし、という感じですね。

―― SUPER BEAVERにはいろんなラヴソングがあると思いますが、自身の書く登場人物の特徴やあるあるとかって、ありますか?

質問の答えとは少しズレちゃうんですけど。あの……極端に「結ばれて幸せだ!なんて嬉しいんだろう」っていう気持ちを曲にしたいと思ったことがなくて。そのハッピーさはもう「是非、ご堪能ください!」って思うから(笑)。それは逆も然りで、単純に「叶わなくて苦しい」だけの歌はないかも。それよりも、「頭ではわかっているんだけど、でも…」っていう絶妙な部分とか、いじらしさみたいなところばかり書いているなって思いますね。今回の「それっぽいふたり」も「318」もそうですし、過去曲で言うと「赤を塗って」とか「irony」とかまさに。

―― ひとことで失恋ソングとは言えないような。

そうそうそう。苑子ちゃんに書いた「赤いマフラー」も、そんなシチュエーションですね。悲しみさえも押し殺して、「こうしたいかも」とか、「どうか気づかれませんように」とか。僕は欧陽菲菲さんの「ラヴ・イズ・オーヴァー」も好きなんですよ。男側にも響くあのザワザワ感って、今日話した、もの悲しさとか虚無感、寂しさみたいなものと自分のなかでリンクしていて。そういう気持ちを描きたいんですよね。だから僕は落ち込んでいるとき、雨が降っているよりも、晴れているときのほうがよりそのザワザワを感じて空しくなります。

―― あー。わかる気がします。

「なんで晴れてんだろ、今日。俺はもう本当に関係ないんだな」って思ってしまうというか。あと「こんなに泣いてんのに、今お腹鳴ったわ」とか。そういう部分が人間的だなって思って、着目しがちだし、歌詞にしたくなりますね。

―― では、選ぶのが難しいかと思いますが、アルバム曲のなかで「これ書けてよかったな」と思う歌詞やフレーズというと?

「ロマン」の歌詞ですかね。この曲はアルバム制作の最後にできて。レコーディングの直前に、この曲を書かなきゃいけない気がするなって気持ちがあって、なんとか滑り込みで入れることができた曲なんですよ。まさに今日現在のバンドの歌というか。収録が間にあって良かったなと思いました。

―― 柳沢さんは歌詞を書くとき、使わないようにする言葉ってありますか?

これはねぇ…どこまで喋ろうかな(笑)。よくも悪くも、自分がまだ書けていないし、避けていると言えば避けているのは、その時代にしかない言葉。たとえば今、<PHS>とか<ポケベル>とかもうないじゃないですか。今ある言葉もいつかそうなるかもしれない。そういう可能性が大きいであろうワードは、歌詞に入れたことがないかもしれないです。だから<LINE>じゃなくて<メール>とか<電話>って書くし。ただ、それがあるからこそ自分の歌になる感覚もわかるので、「ないです!」というより、まだ書いてないなという感覚ですね。

―― ちなみに、一人称をあまり入れなかったりもしますか?

photo_01です。

あ~、たしかに最近そうかも。たとえば「東京流星群」っていう曲があるんですけど、あの歌詞ではめちゃくちゃ<僕>って歌っているんですよ。東京に対する、「都会って冷たいよね」とか、「星が見えないよね」とか、そういうイメージに対してカウンターを打ちたいと意識的に思っていた歌で。だから、誰かに聴かせる以前に、自分たちの主観や主体性を表したかったというか。当時は、そういう時期だったんだと思うんです。

―― なるほど。

だけど今は多分、「俺はさ~」っていうよりも、「あなたがこう思っていることって、いいと思うな」と伝えたい気持ちのほうが強いんですよね。そういう歌を作りたいと思うことが増えてきているから、無意識のうちに一人称がなくなっているのかもしれないですね。

―― ありがとうございます!最後に、柳沢さんにとって歌詞ってどんな存在のものですか?

難しいな…。そもそも僕はリスナーとしても、音楽のなかでとくに歌詞を聴いているタイプなんですよね。洋楽もあんまり通ってないんです。英語だと一聴したときに意味が分からないという、ただそれだけの理由なんですけど。だから歌詞は、自分たちが生み出す音楽の要素として、絶対になくてはならないというか。もはや、どんな存在か意識しないぐらい、当たり前の存在。なんか音楽は、どこか漫画と似ているかもしれません。

―― 漫画も、絵だけを見たいわけじゃなく、ストーリーとセリフとすべてがひとつというか。

あー、そうそう。漫画って、「次どうなるんだろう?」とページをめくると、見開き1ページでドーン!とあったりするじゃないですか。そういう見せ方でゾクッとする感じも似ていますね。音楽も、言葉を自分でいかようにでも広げられるじゃないですか。

たとえば<おはよう>って歌詞があったとして、それをサウンドやメロディーによって、楽しい<おはよう>にも、悲しい<おはよう>にもできる。それってすごく魅力的だなと思うんです。小説のように、文章だけで想像したり、絵画のように、絵だけでイメージを膨らませたり、そういう趣ももちろん素敵だと思います。でも、自分が好きなのは、歌というもので表現されるものなんじゃないかな。今、喋っていて思いました。僕は音楽というより、歌がすごく好きなんでしょうね。


123