第57回 スキマスイッチ「奏(かなで)」
photo_01です。 2004年3月10日発売
 スキマスイッチが登場した時は、まずグループ名に驚いた。よりによって“スキマ”って…。しかもそのスイッチ、そんなとこにあったらつけたり消したりしづらそう…。でもこういう名前って、由来が知りたくなる、とも違うというか、グループ名そのものが存在感ばつぐんの“文字のオブジェ”のようでもあったわけだ。二人に会ってみると、大橋卓弥も常田真太郎も中身がギッシリ詰まってそうな若者だった。そんな彼らも今や、J-POPの中核を担う存在となったわけである。

気づけば彼らの作品、本コラムでまったく取り上げていなかった。でも「奏(かなで)」がセルフアレンジで生まれ変わり、話題の映画『一週間フレンズ』の主題歌(その際のタイトルは「奏(かなで) for 一週間フレンズ。」)となり、再び注目度がアップしているのでグッドタイミングでもあり、ぜひ今回、この曲について書かせて頂くことにした。

漢字一文字タイトルには二種類ある

 そう。タイトルが一文字というのは、特別珍しいわけじゃない。でも見渡してみると、大きくふたつのグループに分けられる。まずは一文字の名詞として成立し、意味がハッキリわかるタイプだ。「桜」とか「駅」とか「雨」とか、そうした作品である。聴く前から(おそらくこうであろう)歌の背景やシチュエーションも伝わってくる。もうひとつは、こちらも一文字の名詞ではあるけど、敢えてこの言葉を選んだ背景になにかありそうな気がして、ぜひ聞いてみたいと思うタイプである。「奏(かなで)」はこのグループに入るだろう。あと、「鱗」とか「楓」などもそうだ。

なぜこの歌はそう命名されたのか

 このタイトル。もちろん“奏でる”からきているのだろう。動詞の連用形の名詞化、ということだ。響きからして個性的だし、よく目立つ。でも歌を聴く際に、妙な先入観となるわけじゃなく、いろいろ想像を広げてくれる。つまり大変よく出来た楽曲タイトルだと言える。

歌の世界観をぎゅっと凝縮したイメージでもある。なのでこの一文字を想いつき、そこから歌の世界観を広げていったのかな、とも思った。しかし逆だった。実はタイトル、なかなか決まらなかったそうだ。候補はたくさんあった。でも決まらずにタイムリミット。ここで決めなきゃその後の行程に影響が出てしまう、という時、やっとやっと決まったらしい。

そして“奏”というのは、いつか子供が生まれたら、そう命名しようと大橋卓弥があたためていた名前であったそうな。実際、この字は「人名読み」すると一文字で“かなで”である。そんな風にあたためていたものを提出したわけだから、いかにぎりぎりの状況だったかが伝わってくる(ということが、WEB『ホットエキスプレス・ミュージックマガジン』2004年3月10日公開号のインタビューで語られている)。でもこの歌が完成し、人々の耳に届き、それを聴いた人のなかには、自分の赤ちゃんを「奏(かなで)」と命名した人もいたかもしれない。いやなんか、いる気がする。

劇中歌ならぬ“歌中歌”がキーポイント

 本作は青春の一コマを描いているが、たぶん、高校を卒業するあたりの出来事と思われる。駅の改札の別れのシーンを歌っていて、登場人物の二人は、直前まで手をつないでいるんだから相思相愛だったのだろうか。歌詞のなかのキーワードとしては、“こんな歌”という表現が出てくる。で、曲タイトルの「奏(かなで)」との関連だけど、つまり主人公たちが奏でていた、または、奏でていたかったのは、まさにその、“こんな歌”だったのだろう。

劇中歌ならぬ“歌中歌”というのがある。カチュウカなんて語呂はさほどよくないけど、歌の中に歌が鳴っている、という歌詞の構成は、ハマると実に効果的であり、みるからに音楽で溢れた、そんな作品となる。この歌が、まさにそうだ。

でも歌の中に歌が出てきた場合、そのイントロを聴いただけで、一気に過去の記憶が鮮明になった、みたいな描かれ方が多い。洋楽のスタンダードである「イエスタデイ・ワンス・モア」(Yesterday Once More)なんていうのが代表例だ。中島みゆきの名曲に「りばいばる」という、まさにこの話がどんぴしゃな作品もある。
「奏(かなで)」はどうだろう。でもこれ、過去の想い出に対してではなく、未来へ向けて歌の中に別の歌を響かせてるのが特徴かもしれない。歌が記憶の“栞”だとしても、すでに読んだ場所じゃなくて、未読のページに差し込まれるのがこの作品の特色なのだ。

“こんな歌”にさらに耳を傾けてみると…。

 まず歌詞のなかに“こんな歌があれば”という登場の仕方をする。ベルの音が響き、彼女は別の街へと旅立っていく。いざ車内へ乗り込もうという君を呼び止め、抱きしめるという情熱的なシーンも描かれている。それに続く“僕の声で守る”という強い言葉が、このシーンの存在により主人公の性格付けを果たし、リアルにこちらに届いてくる。

彼らの自伝的な歌なのではと仮定してみると、“こんな歌”は彼女を想い、そして綴った自作の歌なのかもしれない。そう想うと、実際にそこに鳴っている「奏(かなで)」と歌詞の中に存在する“こんな歌”が、みるみるシンクロしていくのである。このあたりのサジ加減がいい感じだから、この歌は名曲になったのかもしれない。いやきっと、そうだろう。実際の楽曲と、イメージとして歌のなかに鳴る曲が、ソッポ向いて不協和音では、ちっとも感動は出来ないわけだから…。

「奏(かなで)」はこのあと、時系列にそって展開していって、最後の“こんな歌だったら”のあたりは、彼女がいなくなった状況である。君の住む遠い街へも“届けよう”という主人公の決意というか願いというか、最後の最後は歌の到達距離が試されるかのような終わり方をしていく。

“大人になってく”際の男女差について

 この歌を聴いていて、一番グッとくるのは大橋が声を張り歌う“君が大人になってく”のところである。どうも男性が書いた歌というのは、相手の女の子が“大人になってく”ことをしみじみ感じちゃうパターンが多い。男の子より女の子のほうが十代後半から成人への期間、メイクそのほか身繕いに伴う変化も大きいから、だから“大人になってく”と感じてしまうのだろうけど…。しかし「奏(かなで)」は、それをただ見つめているわけじゃなく、“僕も変わってく”と言っている。いや、この言葉をあてがっているところをみると、“大人になってく”は特別な意味じゃなく、ただ時間の経過を伝えてるだけと受取った方がいいだろう。

最後に非常にお節介なことを。漢和辞典をひきながら、この歌の登場人物たちは、その後、どうなったのかを予測してみた。すると…。「奏」には“走る”とか“赴く”という意味もある。つまり主人公は彼女の住む街へ向かった。さらに“集まる”という意味も、さらにさらに“成し遂げる”という意味まで載っているではないか。二人はきっとゴールインしたのだろう。めでたしめでたし(勝手に決めちゃってスミマセン!)。

小貫信昭の名曲!言葉の魔法 Back Number
プロフィール 小貫 信昭  (おぬきのぶあき)

文章を書くことと歌が大好きだったこともあって、音楽を紹介する職業に就いて早ウン十年。でも新しい才能と巡り会えば、己の感性は日々、更新され続けるのです。ところでスキマスイッチといえば、
新作『re:Action』(リアクション)が出たばかりですが、これ、異色のアルバムですよ。なにしろ彼らが敬愛する様々なアーティストをプロデューサーに迎えて、自作曲をリアレンジしてもらって収録する、という企画なのですから。奥田民生や小田和正、TRICERATOPSとか、ほかにもさまざまな豪華な人達が参加していて、例えば民生プロデュースの「全力少年」は、まさに彼の色が濃く出て“全力”具合が違って聞える。ここには書き切れませんけど、二人が自分達を素材のようにすることで(またはまな板の鯉状態にして)様々な音楽的化学反応を楽しんでる雰囲気。そしてこういう経験が新陳代謝を促進し、新たなスキマ・ワールドへとつながるのだと信じてます。