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第55回 吉田拓郎「今日までそして明日から」
 吉田拓郎というアーティストについては語り尽くされた感もあるが、語ってきた人達は殆どが男性であり、その論調も、彼が登場した当時(1970年前後)の世間のイデオロギーとむすびつけたものが目立つ気がする。

学生運動が華やかなりし60年代後半を経て70年代となり、政治の季節が終わり、若者が内向的になっていく、ちょうどその境目に登場したのが拓郎…、という評価だ。これ、間違いじゃないだろう。ただ、彼にはアイドル的な人気もあったし、彼の歌は、そもそも屈託のないポップ・ソングとしても親しまれていたのである。もし、そんなイメージは消え去りつつあるのだとしたら、むしろ強調したくもなる。それでこそ、彼に対する評価のバランスも取れるハズだ。アイドルという言葉は誤解されるかもしれないが、長髪でナイーヴそうで、でも喋れば男性的な声の持ち主であった彼のことを、多くの女子学生たちが“仮想のボーイフレンド”として受け入れたのは事実だ。

彼女たちがとった行動は、そんな拓郎に近づくことであり、ギターを手に入れ彼の作品を歌った。当時、彼のおかげで女性のギター人口が増加したのだった。もちろん女性だけじゃない。彼に影響された男の子達は、彼の歌を聴き、彼が影響されたボブ・ディランの存在を知った。そしてこれは総ての拓郎ファンに共通することだが、「日本語って、こんな生き生きとメロディに乗せられるものだったのか!」と驚嘆し、それはまさに、音楽の革命と表現しても過言じゃなかったのだ。

「そして」がつなぐ「今日」と「明日」

 あまりにも名曲が多いので、ひとつ選べと言われると困ってしまうが、ここ最近、再び脚光を浴びているので親しみ易いだろうと思い、「今日までそして明日から」を選ぶことにした。昨年、サントリーのBOSSコーヒーのCMで流れていたので、彼のことをよく知らない人達も、この曲なら耳にしたことがあるだろう。タイトルからして哲学的な雰囲気である。そう書くとムズカシ風に受け取られてしまうかもしれないけど、何のために生きるのか、みたいなことが、歌のテーマであるのは事実だ。

歌詞のスタイルは主人公の独白調であり、“わたし”は“今日まで生きてみました”という、そんな始まり方をする。“今日まで”と言われ、ちょっとドキッとする。このあと、どうなっちゃうんだろう…。心配になる。そして、どのように生きてきたのかを懇切丁寧に語るパートが続いていく。

さらに“そして今”からは、歌詞とメロディが手を携え、別の局面へと展開する。“わたしは思っています”と伝えられ、固唾をのむ。先ほどの“どうなっちゃうんだろう…”がぶり返し、身構えて歌声に耳を澄ます。すると、“明日からもこうして”と、変化の兆しはいっさいみせず、いったん終わるのだった。あれ、そうだったの…。ちょっと拍子抜け。

次のパートも同じメロディの繰り返しで、引き続き、どのように生きてきたのか懇切丁寧に語られていく。これまでは受動的な要素(誰かの力をかりて、とか…)だったけど、ここで能動的な要素(誰かをあざ笑う)も加わる。そしてそして、さらにさらに次のパートも同様なのであった。

非常に辛抱強いというか、変化しないと飽きられるかも、みたいなことは何処吹く風の作品構成だ。ここでいったん、歌のタイトルを思い出してみよう。「今日までそして明日から」。今日と明日には午前零時という境があるけど、実質的には連続している。ところがこのタイトルは、“そして”を入れてる。おそらく作者は、連続しているけど一個一個は別々なのだと意識することを推奨したいのではなかろうか。

さらに、敢えて同じパートを三回辛抱強く繰り返した理由としては、この構成にすることで伝えたかったことがあったからだろう。それは、そもそも「生きる」ということ自体が日々の「繰り返し」だという事実を、体感(聴感)してもらうためだったのではなかろうか。
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「今日までそして明日から」
1971年7月21日
ソニー・ミュージック
歌詞を見る。
吉田拓郎
男性シンガーソングライター。1946年鹿児島県出身。1970年に“フォーク村”のオムニバス・アルバム『古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう』を自主制作。同年6月「イメージの詩」と「マークII」をカップリングした、シングルでデビュー。10月に初のフルアルバム『青春の詩』が発売され、音楽界にその存在が浸透しはじめる。日本フォーク界のスーパースターであり、シンガー・ソングライターのパイオニアでもある。音楽のスタイルを変え、テレビの概念を変え、野外コンサートの歴史を変え、演歌のスタンスまで変えてしまった人物。今なおJ-POPの発展に少なからず影響を与え続けている。
自分を知る、とは、どういうことだろう?

 三回同じパートが繰り返されたあと、いよいよ歌はハッキリとした変化をみせる。そう。“わたしにはわたしの生き方がある”以降である。ここの部分、メロディの動きと言葉とが実に密接だ。言葉のイントネーション自体がメロディを呼び込んだようにも聞こえる。反対から言うなら、メロディを損なうことない言葉の並び、しかも言いたいことと合致する言葉の並びと千載一遇のチャンスをへて巡り会えた結果とも受け取れる。

主人公は、結論めいたものにも達する。私の生き方というのは、“自分というものを知るところ”から始まるんだと歌う。いわゆる“自分探し”ということだろう。ちなみにこうしたテーマは、今もJ-POPの歌詞に見られる。

こちらとしても、せっかくそう歌われたんだから、「自分を知る」とはどういうことか、本腰を入れて考えようとする。でも間髪入れずに、それすらも“どこでどう変わってしまうか”分からないのだと、否定的なことを言い始めるのがこの歌でもあるわけだ。ややこしい。一瞬、混乱してしまう。

この場合の“どこでどう変わってしまうか”は、ふたつの意味にとれる。結論めいたもの自体が変わってしまうとも、いったん知った“自分というもの”が変わってしまうとも、両方に受け取れる。でもそれも無かったかのように力強く立ち直り、“わからないまま生きてゆく”のが“明日から”の“わたし”だといいつつ、歌はエンディングへ進んでいくのだ。

最後の最後に分かるのは、この歌の主人公は“こうして生きていく”ことにしたらしいこと(あくまで、らしい、こと…)である。結局、“わたしの生き方”そのものの内実こそハッキリ歌われていないけど、それをムリに決めつけず、しかし“こうして生きていく”という意志においてはブレてない熱いものが伝わってくる、そんな作品なのだった。

この書き方では(もちろん僕の筆力不足もあり)なんかモヤモヤのうちに終わっていくような気もするけど、そもそも「生きる意味」なんてものがスパッと分かってしまったら、詰まらない人生だろう。もしそこに意味を見出すにしても、結局は「今」を感じて、「ああ生きてる」と実感出来るかどうかが肝心なことだと思う。

そんなこと考えながら「今日までそして明日から」という曲のタイトルを眺めてみると、真ん中の“そして”が支柱となり、「今日」と「明日」が同じ重さの分銅のように、人生という秤のうえに乗っかりユラユラ動いているようにも見えてくる。

映画の劇中歌として捉えてみると

 さて最後にこんな情報を。「今日までそして明日から」は、1972年に公開されてヒットした、『旅の重さ』の劇中歌であった。この映画を意識して作ったものなのかは不明だが、ストーリーと重なる部分も多い作品といえるだろう。なぜならこの映画は、自堕落な生活をおくる母のもとから家出をし、旅を続ける中で様々な経験をしていく女の子の物語だからだ。いわゆるロード・ムービーであり、そのあたりを思い浮かべると、まさにこの歌は、映画の主人公の心情を代弁していると言えるだろう。
INFORMATION
「吉田拓郎 LIVE 2016」
2017年2月8日発売
[DVD+CD] AVBD-92475/B〜C ¥9,200 (税別)
[Blu-ray+CD] AVXD-92477/B〜C ¥9,700 (税別)
[Blu-ray] AVXD-92478 ¥6,500 (税別)
[DVD] AVBD-92476 ¥6,000 (税別)
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